AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果452件中 161 180 件を表示中

姜尚中「内閣とジャニーズの改造人事 組織内権力の再分配で問題は解決しない」
姜尚中「内閣とジャニーズの改造人事 組織内権力の再分配で問題は解決しない」 姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史    政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。 *  *  *  今回の内閣改造には何のための内閣改造なのか、そのミッションが見えてきません。内閣改造をするならば、やはりそこにある一定のビジョンがあるから改造人事をやるわけです。しかし、それがないままに党内の言わば利益分配ならぬ役職分配で、前回は大臣にありつけなかった待機組にうまく役職をロンダリングすることで「岸田内閣よろしくね」と、政権基盤を強化するために改造を強行したとも言えます。すべて政権の延命のためです。  本来の改造人事は、どんな問題を課題として設定して、そのためにどういう適材適所で人物を配置するという課題解決型でなくてはいけないはずなのに、安倍政権以降、権力の再分配による役職分配によって政権の延命を図るための内閣改造が当たり前になっているようです。  この構図は、ある意味でジャニーズ事務所も似ていると思います。先日の会見で新社長の発表がありましたが、問題の元凶の周辺にいたインサイダーたちが改革の主体になっているのですから、問題は切開されないでしょう。組織内の権力の再分配で、世論の風圧を凌ごうとする姿は、牽強付会を承知で言えば、自民党の「改革」「改造」とダブってしまいそうです。 【こちらもチェック!】 姜尚中さんのコラム「eyes」はこちら!  ジャニーズ事務所が「帝国」と呼ばれるほどに力を持つことになったのは、ここ30年の間のことだと思います。帝国が築きあげられ力を維持していく、そういう視点で比べればジャニーズ事務所の力関係は、自民党政治にも似ている部分があります。小選挙区比例代表並立制導入から同じくほぼ30年、自民党は十数年前に一旦は下野したものの、その最大の恩恵を受け、政権を維持しています。それぞれトップにカリスマがいて、長らくその首に鈴をつけられなかった、そんな状況も似ています。みんなまあまあ儲かっているからそれでいい──そんな体質が体制を許してきたのでしょう。  政治が矮小化され、時々の自分たちの利害関心だけで大きく変わっていくと、そのツケは全部国民に回されます。今回の内閣改造でいえば、誰がどんな役職に就いたのかに一喜一憂することなく、いい加減、観客民主主義から脱却していかないといけません。 ◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍 ※AERA 2023年9月25日号
「山麓から頂上までつぶさにフィルムで記録していく」 写真家・石川直樹の全14座登頂に向けた思い
「山麓から頂上までつぶさにフィルムで記録していく」 写真家・石川直樹の全14座登頂に向けた思い   石川直樹(いしかわ・なおき) 1977年、東京都渋谷区生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』、『POLAR』で日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』で土門拳賞。2020年『EVEREST』、『まれびと』で日本写真協会賞作家賞を受賞。著書に、『最後の冒険家』(開高健ノンフィクション賞)、『地上に星座をつくる』ほか。最新刊に『Kangchenjunga』、『Manaslu 2022 edition』など(撮影/写真映像部・東川哲也)    写真家の石川直樹さんは2001年5月のエベレスト登頂以来、これまでヒマラヤ・カラコルムにある世界の8000メートル級の山々14座のうち、12座への登頂を果たしてきた。残りはチベットにあるチョ・オユー(8201メートル)とシシャバンマ(8027メートル)。この2座への登頂をめざして9月中に日本を旅立とうとしている。出発前の石川さんに話を聞いた。 * * * ――いよいよ残り2座となりましたが、石川さんはいつ頃から8000メートル級の山々をすべて登ろうと思っていたのですか? 石川 最初は14座を登ろうなんて全然思っていなかったんです。2011年に、世界最高峰のエベレストに二度目の登頂をしたんですが、そのときに「エベレストを周辺の山々から水平に撮影したらどんなふうに見えるんだろう?」と思って、翌年からローツェやマカルーなどに登りにいったんです。でも、ネパールやチベットだけでなくパキスタンにも行くようになり、シェルパの仲間も増えてくると、いつしか「もっといろいろな山を登ってみたい」という気持ちになっていきました。  14座に登ってみようか、と本格的に考え始めたのは、去年のことでした。2022年4月から5月にネパールへダウラギリ・カンチェンジュンガ遠征、7月にパキスタンへK2・ブロードピーク遠征、9月に再びネパールへマナスル遠征をおこない、5つの山に登頂できたのがきっかけです。連続して登ったわけですが、それは想像されるほど大変ではなく、高所順応した体で続けて行ってしまった方が実は楽な部分もある。「これなら14座も行けるんじゃないか」と思うようになりました。これまで8000メートル峰に登るたびに写真集を作っていて、14冊全部作りたいという思いもありましたし。  今年の4月にはアンナプルナに登頂し、7月にはナンガ・パルバットとガッシャブルムI峰に登頂しました。最後の遠征から帰国したのは8月初めで、まだ高所順応が体に残っているうちに次の山へ行ってしまったほうがいい。今年で46歳になりましたが、体力が落ちたという実感はほとんどありません。でも5年後、10年後に挑戦できるかというと疑問が残る。だから、今やっておきたいんです。パキスタンで52kgまで減った体重も、その後に食べまくって5kg戻しました(笑)。  10年くらい前は、一年に一回、多くても春秋二回の遠征で、ベースキャンプに入ってから1カ月ほどかけてじっくりと高所順応していましたけれど、その間に体調が悪化したり、落石や雪崩などで諦めざるを得なかったりもしました。でも、あらかじめ順応さえできていれば、遠征期間を短縮できて、天候待ちの時間も長く取れる。短い方がむしろ安全だとぼくは考えています。最近はこうした登り方を多くの人が実践するようになってきました。人生に1回だけという思いでヒマラヤの山に登っていた時代もあったのに、隔世の感がありますね。 昨年はヒマラヤ6座挑戦の遠征も。体力を維持するためのトレーニングも欠かさない(撮影/写真映像部・東川哲也)   ――今回のチョ・オユーとシシャパンマ遠征はどのような日程ですか。 石川 チョ・オユーはチベットとネパール側に分かれていますが、チベット側から登るのが一般的で容易です。シシャパンマはチベット内に位置しています。14座を三つのフェーズに分けるとしたら、ネパールの7座、パキスタンの5座、チベットの2座という感じに大枠で分けられます。ここ数年はコロナもあって許可が出ずになかなかチベットに入れませんでしたが、秋には許可証がほぼ出るだろう、と言われています。まだどうなるかわかりませんが…。  日本を出国し、まずネパールの首都カトマンズに入って、中国大使館でビザや入境の許可証を取ります。そして、飛行機でチベットのラサに移動。その後は車でチョ・オユーのベースキャンプに行く予定です。行ったことがないので何時間かかるかわからないけれど、チョモランマ(エベレスト)の近くだとしたら丸1日くらいですかね。9月中にチョ・オユーに登り、10月にシシャパンマに行けたらいいなあ、と。そして10月内に帰国したいです。チョ・オユーの頂上付近は饅頭(まんじゅう)みたいになっていて、登攀(とうはん)自体それほど難しくないはず。一方シシャパンマは中央峰と主峰があり、手前の中央峰から主峰への道のりが結構大変だと聞きました。 ――これまでの12座も大変むずかしい登山だったと思うのですが、何度も挑戦してきたのでしょうか。 石川 K2は3回目、ナンガ・バルバットは2回目で登頂できました。あとは、ほとんど1回で登れていますので、登頂率はまあまあ高い方でしょう。ただ、マナスルについては2012年に一度登頂したけれど、その後「あれは真の頂上ではなかったんじゃないか」という疑問があって、2022年に登り直しました。距離にしてわずか20〜30mの違いなのですが、最後の稜線(りょうせん)を真っ直ぐに進むことはできず、いったん少し下に降りて、トラバース(横移動)してから登り返さねばなりません。それで40分くらいはかかってしまいます。 ――地上を1時間歩くのとはわけが違うでしょうが、そこまで苦労をして登り直す意味があったのですね。 石川 その山の一番高い場所に立とうと、命懸けで登ってきた先人たちへの敬意がありましたからね。特にマナスルは8000メートル峰で唯一日本隊が登頂した山で、1956年の日本山岳会隊の詳細な記録が残されています。また、1974年に日本の女性登山隊がマナスルに登った際は、シェルパに「ここが頂上だよ」と言われたにもかかわらず、それを遮ってまで、その先の真の頂上を目指したという経緯もありました。そうやって、先人たちが頂にこだわってきたのを見ているのに、手前でいいですよね、なんてぼくには言えなかった。現在は、ドローン技術の発達と共に、頂上付近を俯瞰(ふかん)した写真や映像が世に出るようになり、最高点がはっきりと目に見えるようになりましたから、手前のニセ頂上などが、はっきりと「低いな」と思えるようになった。やっぱり一番高い場所に立たなくては登頂とは言えないんじゃないか、という議論がわき起こるのは当然だったんじゃないですか。当たり前のことですが、その山における頂上というものはたった一つしかないわけですから。  例えば、富士山だったら、頂上火口の周辺のどこかに着けば登頂だと思われている節がありますよね。でも測候所のある標高3776メートルの剣が峰に登らないと本当は登頂とはいえないわけです。それと一緒くたにはできませんが、似たようなことが8000メートル級の山で起きている。特にマナスル、ダウラギリ、アンナプルナなどは頂上を間違えやすいんです。登山史の再考にもつながるトピックなんですが、なかなか慎重に扱わないといけない問題で、難しいですね。 2023年7月26日、パキスタンのガッシャブルム I 峰頂上で(本人提供) Instagram:@straightree8848   ――石川さんは写真家としてフィルムカメラで撮影することを大切にされています。今回もそうなさるのですね。 石川 僕は登山家では決してありません。写真家として山に登っているという気持ちが強くあります。1グラムでも背負う荷物を軽くすべき8000メートル峰の登山で、あえて中判カメラとたくさんのフィルムを持っていくのはそれだけでも大変で、傍から見たらアホな行為でしょう(笑)。山麓から頂上に至るまでつぶさにフィルムによって記録していく。こうした撮影ができるのは自分だけじゃないか、という思いもあります。現在の登山者は、スマホやコンパクトデジカメを頂上に持っていくことがほとんどですが、それに比べたらはるかに重たいですよ。 ――何度も8000メートル級登山を共にしてきたシェルパの存在感が変わってきているそうですね。 石川 10数年前とは全く違いますね。昔は登頂のサポートに徹していましたが、今は彼らが表舞台に出てきて、自分たちの登山をするようになりました。今回の自分の遠征も、友人のシェルパが主催しています。成功したら僕と一緒に14座の登頂を果たすシェルパも何人かいるはず。友人のダワ・ヤンザムという女性シェルパもその1人。シェルパの女性では初めてですね。  シェルパの変化は、世代交代もあるでしょうし、コロナ禍も少し関わっているかもしれません。海外の登山者やトレッカーが入って来られなくなり、彼らは一時的に仕事を失いましたが、一方で冬のK2に初登頂を果たすなど、自分の登山遠征に出かけていった。登山に対する考え方も変わっていますし、SNSも活用するようになって、若いシェルパの活躍は目覚ましいものがあります。  今回、もしも14座登頂を果たせたら、ヒマラヤ・カラコルム遠征は一区切りにしようと思っています。23歳の時にエベレストに登ってから22年ものあいだ、関係を続けてきたわけですから、もうそろそろいいかな、と。日本でもいろいろやらなくてはいけない仕事があるし、約束していながら書けていない本もあるし。今回の遠征で撮影した写真は、展覧会や写真集の形でいつものようにシェアしていきますので、楽しみにしていてください。 ――どうぞお気をつけて。成功をお祈りしています。 (構成/ノンフィクションライター・千葉望) ※AERAオンライン限定記事
姜尚中「処理水の海洋放出への反発 利害関係者と合意形成のプロセス不可欠」
姜尚中「処理水の海洋放出への反発 利害関係者と合意形成のプロセス不可欠」 姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史    政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。 *  *  *  今回の日本の処理水の海洋放出は、内外で大きなハレーションを起こしています。なかでも水産物の全面輸入禁止に打って出た中国に対する反発で、両国の間の敵愾(てきがい)心が高まりつつあります。海という公共財の保護や漁業・水産加工業の持続可能な維持、食の安全といった問題が、国家間の地政学的な対立やナショナリズムの相剋(そうこく)という問題にスライドしつつあるのは本末転倒です。  問題の核心は、肝心のデブリ(溶解した核燃料棒や炉心構造物)の安全な取り出しのメドがたたず、ALPS(多核種除去設備)によって処理される以前の汚染水の増加を防ぐ決定打が見つからないことです。福島第一原発の構内に設置されたタンクは約1千基、137万トンとも言われています。トリチウムの濃度が海洋放出の際、近隣諸国の原発から放出されている排水より低濃度だとしても、トリチウム以外の放射性核種の除去が完璧なのか。また、南海トラフなどで巨大地震が起きた場合の不安や疑念にも答えていく必要があるはずです。 【こちらもチェック!】 姜尚中さんのコラム「eyes」はこちら!  被害が近隣諸国や太平洋の島嶼(とうしょ)にまで及びかねない以上、様々な利害関係者の多層的なラウンドテーブルを日本政府の肝煎りで開催し、自然生態系にダメージを与えず、内外の利害関係者も一定の理解を得られるような合意形成のプロセスは不可欠です。個人的には出来るだけ早く、処理水の「固体化」の作業を進め、固体化で体積が増大しても福島第二原発構内をはじめ第一原発近くの場所に管理する、第一原発構内のタンクが限界であるというなら、第二原発構内を差し当たりの保管場所にするといった案もいいと思います。そうしたアイデアも含めてラウンドテーブルで妙案を募る作業が必要です。  地震大国・日本は、30年以内に巨大地震に見舞われる可能性が高いと言われて、被害の規模と形状によっては近隣諸国の援助が必要でしょう。また四川地震では日本のレスキューが活躍し、東日本大震災では中国からの救援物資やレスキューもあったように、緊急事態における相互援助の歴史が共有されています。議論の本位を定め、ナショナリズムに逃れてしまうような愚行は避けなければなりません。 ◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍 ※AERA 2023年9月11日号
プリゴジン氏の死に秘密諜報機関の関与は? プーチン大統領が珍しく神妙な面持だったワケ
プリゴジン氏の死に秘密諜報機関の関与は? プーチン大統領が珍しく神妙な面持だったワケ ロストフ州のロシア軍南部軍管区司令部で、弾薬不足の解消などを訴えるプリゴジン氏=6月24日、テレグラムチャンネル「プリゴジン・ChVKワグネル」より こんな「弱気」なプーチン大統領はあまり見たことがない――。ロシアの民間軍事会社「ワグネル」創設者のエフゲニー・プリゴジン氏が自家用機の墜落で死んだ直後、ロシアの国営テレビに出演したプーチン氏はいつもの落ち着きがなかった。プリゴジン氏とは30年来の付き合い。ウクライナ侵略戦争の一翼を担った、この「盟友」をめぐっては、「暗殺された」との情報も飛び交う。真相を知るはずの大統領は何を思うのか。 *  *  * 「亡くなった全員の家族に心からお悔やみ申し上げます」  プーチン大統領は国営テレビの放送で、こう切り出した(8月24日)。その前日、プリゴジン氏ら10人を乗せた航空機が墜落して全員が死亡していた。航空機に爆弾が仕掛けられていたとも言われ、米国ホワイトハウスもクレムリン(ロシア大統領府)の関与を示唆している。  プーチン氏は番組でさらにワグネルが、ウクライナ東部の激戦地バフムトを「奪取」したことをめぐり言及。「貴重な貢献をした。そのことは忘れない」と述べた。そしてワグネルの創設者プリゴジン氏との思い出を語り始めた。 「プリゴジンとは古い付き合いです。(知り合ったのは)1990年代はじめでした。彼は複雑な人生をたどった人で、深刻な誤りも犯した。しかし、自らのため、また我々の共同の事業のため、多くを成し遂げた、才能あるビジネスマンでした。特にアフリカで石油・ガス・貴金属で成果をあげた」 弔意を述べながら、机の上の書類に手をやるプーチン大統領=ロシア国営テレビより  プーチン氏はこう語りながら、視線をしばしば下へ落とし、両手を机の上でせわしなく動かす。さらに机上の書類を数センチ、横へずらした。「盟友」を悼むというより、考え事をしながら話している様子だ。何を思っていたのか。  落ち着かなさの背景には、プリゴジン氏がロシア国民の間に持っていた一種の「カリスマ性」もあっただろう。  ワグネルは、プリゴジン氏が資金を出してつくったいわば「傭兵集団」。約2万5千人を擁し、中東・シリア、アフリカなどへ密かに派遣され、親ロシアの政権にテコ入れしてきた。シリアでは、戦闘だけでなく、民間人を拷問したり、虐殺したりする動画がSNSにアップされた。  ウクライナ侵攻では、ロシア軍が苦戦する東部バフムトの戦線たて直しのため、プリゴジン氏が、ロシア国内の刑務所を回って、リクルート。受刑者たちを「刑期短縮」を餌にして兵士にしたてて赴かせ、「戦果」をあげた。  実は、正規軍ではない傭兵集団をつくるのは、ロシアでは違法。クレムリンも、海外に「傭兵(ワグネル)はいない」と、その存在を否定してきた。  しかし今回、プーチン氏は視聴者の前で、長らく「日陰の存在」だったワグネルに感謝の意を表明せざるを得なかった。これは、やむを得ない面もあった。プリゴジン氏には一定の大衆人気や「カリスマ性」もあったからだ。  ワグネルがロシア西部で反乱を起こし、ロシア軍基地司令部を占拠して、モスクワへも「進軍」しようとした6月。 「ロシア市民の3人に1人がプリゴジン氏の活動を支持している」 反乱を取りやめてロストフ市を去るプリゴジン氏と記念撮影する市民=6月24日、テレグラムチャンネル「GREY ZONE」より  独立系世論調査機関「レバダ・センター」が、こんな調査結果を明らかにした。「支持する」が34%、「支持しない」が39%で、賛否が拮抗した。この調査は、ロシア指導層に対する評価を尋ねたもので、プリゴジン氏は、ショイグ国防相の支持51%よりは落ちるものの、あけすけな発言が人々をひきつけた。反乱の直前、プリゴジン氏は「ロシアは破滅の瀬戸際にある」「(墜落する)飛行機のように分解する」などと警告していた。ワグネルに比べ、正規軍は士気が低い、とも述べた。 「プリゴジンのどこが好きなのか」  レバダ・センターは支持者を対象にこうも尋ねた。最も多かった回答は「真実を語り、まっすぐで、隠し事をしない、誠実なところ」で、回答者の27%を占めた。一方で「バフムトを奪取したこと」は12%にすぎなかった。  プリゴジン氏は反乱を、「ロシア人の血を流したくない」と述べて、わずか2日間で取りやめた(6月23、24日)。占領した西部の都市ロストフナダヌーから撤退しようとするプリゴジン氏らの車両に市民が近づき、プリゴジン氏やその部下と自撮りする姿がSNSにアップされた。  プーチン政権発足後、最大の危機が撤退によって表向き収まったわけだが、その直後にレバダ・センターが行った世論調査に、55%のロシア市民が「ワグネルへの評価は変わらない」と答えた。  プリゴジン氏の死後、プーチン氏がテレビで見せた「ぎこちなさ」には、プーチン氏の「人格」も関係する――。ワグネルの調査報道をしてきたロシア人記者のザハロフ氏は、英国のBBCロシア語版(8月26日)でこう指摘した。 「童話で、主人公の影が一人歩きして、主人公にたてつく物語があります。プリゴジンは、プーチンの影。プーチンのエゴ(自我)の一部を体現する存在でした」  ザハロフ記者はアンデルセンの『影』を引用。主人公から分離し、独立した主人公の影が、やがて地位を築き、権力を握ろうとする物語だ。似たことが、6月~8月、プーチン氏とプリゴジン氏の間で起きたというのだ。  プーチン大統領を、多面的な「人格」や「側面」を持つ人物として描く伝記や研究書は少なくない。ザハロフ記者によると、そのうちの「暴力的人格」を引き写すように体現し、プーチン氏の政権維持に貢献したのがプリゴジン氏だったという。そうなった経緯を次のように説明する。  プーチン氏とプリゴジン氏はともにロシア第2の都市、サンクトペテルブルク出身。知り合ったのは、プーチン氏の大統領就任(2000年)のはるか前だった。 「プリゴジン氏は若い時、不良仲間と女性からイヤリングなどの金品を強奪し、転売した。後ろから女性の首を絞め、失神させるのがプリゴジンの役割でした。彼は20代のほとんど、10年近くを刑務所で過ごしたのです」 「1990年に出所した後、ホットドックの販売で成功。レストラン経営に乗り出します。当時、カジノの警備にも関与した。プーチン氏はサンクトペテルブルク市でカジノの許認可をしていたので、カジノの仕事のつながりで知り合ったのかもしれません。プーチン氏は大統領になると、身の安全のため、料理は、よく知るプリゴジン氏にまかせます。日本の首相や英国皇太子などの賓客が来ると、プリゴジン氏がもてなすようになった。やがて、大統領が彼の店にくるたび、その膝にナプキンをかけてあげるようになり、関係を深めます」  プリゴジン氏は大統領の「側近」となり、態度を改めたのだろうか。 「いいえ、プリゴジン氏の暴力はやまず、自分の店に気に入らない来客がいると、川に突き落として沈めたり、店員に暴力をふるって支配したりしていました。ワグネルを創設してアフリカへ行くようになってからは、殺したアフリカ人の死体の写真を自宅などに飾っていた」  そんなプリゴジン氏をなぜプーチン氏は登用し続けたのだろうか。 「よく似たもの同士だからです。暴力への志向、自己愛、敵を周囲の者を使って毒殺しようとする点。これらがプーチン氏と共通しており、彼はプーチン氏のエゴを一部、代替する存在になっていったのです」  言い換えれば、プーチン氏が暗に求める汚れ仕事を引き受けるようになった、ということだろう。 ワグネルの兵士と肩を組むプリゴジン氏=ウクライナ・バフムト市で。テレグラムチャンネル「プリゴジン・ChVKワグネル」より  それだけにプリゴジン氏の死の謎は深い。彼は、反乱後、2カ月も自由にロシア国内外を移動していた。その間、プーチン氏は一度、プリゴジン氏と面会した。ザハロフ記者は関係筋の話として、「その際、プーチン氏はプリゴジン氏に、身の安全の約束を与えた」と伝える。だが、それでもなお反乱の2カ月後、彼らの乗った搭乗機は墜落した。  プリゴジン氏の反乱をめぐり7月、米国CIAのバーンズ長官が「プーチンは報復の『使徒』。プリゴジンがこのまま逃げられるとは思えない」と述べた。  ロシアでは、要人やジャーナリストの暗殺事件が次々と迷宮入りしてきた。  エリツィン大統領の辞任時にプーチン氏以外にも後継候補として名前があがっていたネムツォフ元第1副首相の射殺(2015年)。ノーベル平和賞をその編集長が受けた「ノーバヤ・ガゼータ」紙で活躍していたポリトコフスカヤ記者の射殺(2006年)。いずれも下手人の名前はあがったものの、暗殺の指示をした「トップ」が誰かは分かっていない。  こうした事件へのプーチン大統領の関与をクレムリンは一貫して否定してきたが、実際にはクレムリンの関与を強く示唆する事件もあった。  プーチン氏の最大の政敵、ナワリヌイ氏への毒殺未遂事件(2020年)。ナワリヌイ氏はプーチン氏や側近の蓄財疑惑などを追及してきた反政権活動家で、国内便の機中で一時、意識不明の重体となり、ドイツの病院へ移送された。そこで、毒をもられたことが判明した。  その後の会見でプーチン氏は、余裕を見せた。笑みを浮かべ、笑い声もあげながら、「誰にそんなこと(毒殺)が必要なのか。もし、必要だったらなら、やり遂げていただろう」と否定してみせた。その直後、調査報道機関ベリングキャットが、ロシアの秘密諜報機関の人員が「毒をもった」と話す会話の録音を公開し、大統領の面子をつぶした。その録音ではクレムリン高官の実名も出た。  プリゴジン氏の航空機の墜落は単なる事故なのか。あるいは、バーンズCIA長官の「プーチンは、復讐の『使徒』」という予言が当たったのだろうか。  プーチン大統領はプリゴジン氏の反乱が起きた6月24日の演説で、市民と並び、軍、治安機関、そして秘密諜報機関に対し、「脅威から国民・国家を守ろう」と呼びかけた。  復讐の使徒という、プーチン氏のもう一つの「人格」が表面化したのではないのか。その意思を体現する人物に、プリゴジン氏が暗殺されたのだとしても、実行犯のトップに立つのが「誰か」は当分、分かりそうもない。 岡野直/1985年、朝日新聞社入社。プーシキン・ロシア語大学(モスクワ)に留学後、社会部で基地問題や自衛隊・米軍を取材。シンガポール特派員として東南アジアを担当した。2021年からフリーに。関心はロシア、観光、文学。全国通訳案内士(ロシア語)。共著に『自衛隊知られざる変容』(朝日新聞社)、近著に『戦時下のウクライナを歩く』(光文社新書)。
キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後”
キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後” クマに襲われた際、テントを張っていた場所(筆者撮影)    2020年夏、長野県・上高地のキャンプ場で、女性が就寝中にクマに襲われた。女性を襲ったクマはその後どうなったのか、キャンプ場ではどんな再発防止策がとられているのか――。3年ぶりに現地を歩いた女性がリポートする。 *   *   *  私がクマに襲われたのは3年前の8月8日深夜。山仲間とともに行った上高地・小梨平のキャンプ場で、ソロテントで寝ていたときのことだ。 【当時の様子はこちらの記事で】 キャンプ場でクマに襲われた女性が告白「死を覚悟した」 経験から得られる教訓を生かすには  テントごと引きずられてトイレの裏まで運ばれ、テントを引き裂かれ、爪で足をひっかかれ、右膝外側に傷を負った。死を覚悟し、気を失ったが、気づくとあたりが静かだったため、体を起こして、トイレに逃げ込んだ。その際、大きなクマがぬいぐるみのようにおすわりしている姿を見たような気がした。  その後、上高地の診療所から松本の病院に救急車で運ばれ、縫合手術を受け、翌日帰京。幸い、数針縫う「軽傷」で済んだが、医師に「血管が切れていたら、死んでもおかしくなかった」と言われた。 クマに襲撃された時の現場。リュックや食べ物が散乱している(写真1、筆者提供)           食べ尽くされたレトルトカレーやナッツ  そのような状況だったので現場を見に行くことはできなかったが、キャンプ場に残った仲間が私の荷物を回収し、襲撃後の道具類の写真も撮ってくれた(写真1)。レトルトご飯やレトルトカレー、ナッツや菓子などパックされた食料は、それぞれ上手にむかれ、なめるようにきれいに食べ尽くされ、ペットボトルのスクリューキャップも開けられていた。ただし爪が刺さって容器に穴が数カ所、開いていた。せっかくふたを開けたのに、穴から飲料がもれてしまい、あれ?と思ったことだろう。ゴミは1か所にまとめられ、ザックで覆い隠されていたという。なんともマナーがいい。  そのクマは、実は前日も人のいるテントから食料を奪っており、私が襲われた当日も複数の有人テントを襲っていたことが、あとでわかった(人身事故は私のみ)。それ以前に同じクマと思われる個体が、夜間、ゴミ箱をあさる姿も監視カメラに収められており、人がもつ食料の味を覚えてしまった「餌付けグマ」の存在は把握されていた。だが、キャンプ場では、ボランティアでクマの監視を依頼していた研究者のアドバイスもあり、クマが人を襲うことは想定していなかったという。危機管理が甘かったと言わざるを得ない。   【関連記事】 「殺人的な攻撃をされたのは9回」 ツキノワグマを50年追い続ける写真家・米田一彦 https://dot.asahi.com/articles/-/195762    結局、このクマは8月13日に麻酔のついた吹き矢で打たれ、その数時間後に死体で発見された。この顛末を聞いて、クマには本当に申し訳ないと思った。自然の中で野生の尊厳をもって生をまっとうできず、人間が生き方を乱し、死に至らしめてしまったからだ。  クマのためにも、登山者やキャンパーのためにも、同じことを繰り返してはいけないと強く思い、それから約1カ月、キャンプ場の管理人や環境省上高地管理官事務所の担当官とやりとりを重ね、正確な情報を調査し、周知してもらうこと、運営のあり方を見直してもらうことなどを求めた。具体的には、いつどこで何が起きたのかをブログなどで情報公開し、地図上にもわかりやすく示すこと、餌付いたクマがあらわれたらキャンプ場をすぐ閉鎖することなどだ。対応は真摯で、素早く、ほぼ納得のいくものだった。 小梨平キャンプ場の入り口には私の事例が地図付きで掲示されていた(写真2、筆者提供)     クマに引きずられた経路(写真3、筆者撮影)   3年ぶりに上高地を再訪  それから3年。今年8月4日、ようやく念願がかない、上高地を再訪できた。小梨平キャンプ場の入り口には、私の事例がわかりやすく地図付きで掲示されていた(写真2)。キャンプサイトに荷物を置くとすぐ、自分がテントを張った場所やクマに引きずられた経路(写真3)、クマに襲われた現場を見に行った。あたりは笹が刈り払われ、見通しが良くなっていた。 事故後、食料保管庫が設置されていた(写真4、筆者提供)  クマは身を隠す場所がないと出没しにくくなるそうで、私の事故後、キャンプ場の管理人が環境省の担当官にかけあい、国立公園内で笹やぶを刈り払う特別許可を得たそうだ。また、ヒグマのいる北海道を除き、国内の山のテント泊では食料をテント内で保管するのが一般的だが、事故の経験から、小梨平では食料保管庫が設置され、夜間は食料をそこに保管するよう、ルールが変更されていた(写真4)。  ほかにもゴミ箱の管理、炊事棟の定期的な清掃、クマの目撃情報が出たときの利用者への声かけなど、緊張感を保ちつつ、こまやかであたたかな対応に気づく場面が多々あり、事故後の危機対応は信頼できると身をもって感じた。 【こちらもおすすめ】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434 【漫画】クマ撃ちの女/著者・安島薮太【無料1~3話】 https://dot.asahi.com/articles/-/2884   襲ったクマは推定体重170キロ  クマが撃たれた場所は、観光客でにぎわう河童橋のすぐ裏手だった。はっきりした場所はわからないが、森に向かってしばし黙祷した。推定体重170kg、頭胴長1.4mの堂々たるオスグマで、死体はブルーシートに載せて6人がかりで運んだという。  このクマの「食性履歴」が論文になっていることも、今回、初めて知った(https://www.pref.nagano.lg.jp/kanken/johotekyo/kenkyuhokoku/hozen/documents/kh17_1.pdf)。論文によると、クマは推定年齢21歳前後の老体で、胃からは、捕獲直前にあさっていた冷凍庫にあったアップルパイの敷紙と考えられるアルミ箔が大量に見つかった。体毛の状態などから、事故直前の数週間前から人為的な食物を摂取するようになり、栄養状態が急に良くなっていたことも明らかになった。   環境省上高地ビジターセンターでは、現地のクマの生態を知るレクチャーが、夏季は毎日開かれており、そこにも参加した。 クマの生態を学ぶためのレクチャーの案内  クマは冬眠から覚めたあと春から夏の間は、ずっと低栄養の状態が続き、秋に木の実を食べることでようやく栄養状態が良くなるのだという。そんななか、人間の食料はクマにとって麻薬のような存在で、いったん手軽に高カロリーのものが得られることがわかると、やめられなくなってしまうのだという。クマのすみかに人が安全に入らせてもらうためには、餌付けグマを出さないことが何よりも大事だということが、よくわかった。 「3年前の事故以来、餌付けグマは1頭も出していない」と、レクチャーを担当する香取草平さん(自然公園財団上高地支部)は胸を張って答えてくれた。現在、尾瀬でもクマ対策が問題になっており、先進例として上高地に問い合わせが来るそうだ。  事故後、しばらくの間、クマ撃退スプレーを持たないと山に入れなくなっていたが、山にすむツキノワグマは餌付いていない限り、過度に恐れることはないと思い、今回はクマよけスプレーをテント場に置いて山行を楽しんだ。 (川名真理)  
ビッグモーターの元社員がLINEで見た「こうやって傷をつけろ」のマニュアル動画とは
ビッグモーターの元社員がLINEで見た「こうやって傷をつけろ」のマニュアル動画とは 東京都内のビッグモーターの店舗 「知らないなんてあり得ない!」。中古車販売大手「ビッグモーター」(東京都港区)の兼重宏行社長らが開いた記者会見を見て、同社の元社員はそう怒りをにじませた。社長は自身の責任を認めたものの、一連の不正については「まったく知らなかった」として組織ぐるみとの指摘は否定したが、元社員に話を聞くと多くの整備工場で不正行為が組織的に常態化していた様子がうかがえる。 「特別調査委員会の報告書を受けて、耳を疑った。こんなことまでやるのかと、がく然とした。現場に入ってよく見ておくべきだったなと。修理する人間が傷をつけて水増し請求する。ゴルフボールで傷つけて傷の範囲を広げる……」「一連の不正は工場長がやったのではないか」 記者の質問に答えるビッグモーターの兼重宏行社長(左から2人目)。右隣は新社長となる和泉伸二専務取締役=2023年7月25日  兼重社長は会見で、長期間にわたる過大請求や不正を知ったのは「1カ月前」と話した。  これを聞いた、関東地方のビッグモーターの整備工場に勤めていた元社員のAさんは、 「社長が知らないなんてありえませんよ。トップに権限が集中していて、末端の社員のことまで把握していないと気がすまないような社長です。よくもこんなことが言えるなあ、とあきれました」  と話した。  ビッグモーターが公表した特別調査委員会の報告書によると、全国34の工場で約2700件の修理実績を調べたところ、約1200件で不適切な行為が行われた疑いがあった。  この調査結果についてもAさんは、こう話す。 「調査でわかっている不正はごく一部だと感じます」 ■はじめてサンドペーパーで傷をつけた時に涙が  Aさんは高校卒業後、同社とは別の自動車工場で働き、自動車整備士の資格を持っていた。  あるとき、ビッグモーターで働いていた知人から、同社は「高給だ」と聞いて転職。整備工場で働くようになった。 「勤務から4、5日くらいして、工場の上司から『Aさん、ちょっと』と呼ばれました。上司はスマートフォンを出してLINEのアプリを私に見せました。そこには10秒くらいの動画があって、『渡せないけど、こうやって修理を大きくして“保険”が増えるように』と指示されました」  動画は、車体の一部をサンドペーパーで傷をつけているものだった。Aさんは、車体を傷つけて保険金を多く請求するということがすぐにわかったという。 「自動車整備士の資格は苦労して頑張って取りました。わざと傷つけるというのはお客様への背信だし、保険金を請求するというのは詐欺になりかねない。資格だって取り消されるかもしれません」  Aさんは不安になり、 「『こんなことして大丈夫ですか』と聞くと、上司は『うちはこういう方向でやっている。ノルマが厳しい分、給料もアップする。細かいことは気にするな。上も了承してやっていること。うちのような大手がやっているということは、中小の業者だって同じだから』と。それを聞いて絶望的な気持ちになりました」。  さらに上司は、タイヤに工具を差し込んでパンクをさせる、靴下にゴルフボールを入れてボディーをたたいてへこませる、ドライバーで車体に傷を入れる――など、様々な手法をAさんに指示して、 「君は(自動車整備士の)資格があってきているから、これくらいわかるよね。うちは本当にノルマがきついんだよ。LINEを見ていればそのうちわかるから」  と激しい口調で言われたという。 ■なんでもLINEで指示、連絡  Aさんは、上司が何度も「LINE」と繰り返すので違和感があったという。  以前に働いていた工場では、重要なことは紙とメール、会議で指示があり、共有していた。だが、ビッグモーターでは「なんでも共有LINEでチェックすればいい」だったという。 「LINEには、たぶん7、8本くらい『こうやって車に傷をつけろ』というマニュアル動画が入っていました。『うちで高給をとるためにはこうやって売り上げに貢献するんだ』『この程度ではないぞ』と平気で言うので頭がくらくらしました」(Aさん)  しかし、上司には逆らえず、同じ工場の同僚も動画と同じような行為をしている。Aさんもやむなく、車体に傷をつけはじめた。 「はじめてサンドペーパーで傷をつけた時のことです。私も整備士であり、職人だという自負がありました。メーカーの人たちも同じような思いで仕上げた車ですよね。こんなことしていいのかと、思わず涙がこぼれそうになりました」  Aさんのそんな気持ちなど、上司はお構いなしだった。 「さらにビッグモーター独自のシステムで傷つけた部分をスマホで撮影して、共有できるLINEのアプリで送信するのです。上司は『うん、これくらいがいい。もっとうまくやれるようになる』と変にほめてくれる。とんでもない会社だと思いました」  一般的に、自動車事故が起きると保険会社が直後に車体をチェックして、加入者に電話で事情を聴くことになる。しかし、ビッグモーター関連になると、大手という信用もあってか見積書と写真を損保会社に送信するだけで傷などは認められ、保険金が支払われていたのではないかとAさんはいう。 「私が上司から聞いた話です。『最初は保険会社も厳しかったけど、ビッグモーターが急速に業績を伸ばすと書類通りOKとなるようになった』と。私は2、3カ所の工場に転勤になりました。どこでも似たようなことをやっていて、それが“日常”となってしまい、誰も悪いとは思っていない感じでした。そのうち、傷もなく、つけてもいないのに板金塗装をしていたのも見ました」 ■年収3千万円超えの店長の実態は  Aさんの話からは、常軌を逸した不正行為の様子や、理不尽なノルマの押し付けなどがうかがえる。 「店長がきて『足りないからやってくれ』と言ったことがありました。ようするに、もっと傷をつけて保険金請求をしないとノルマが達成されない、という意味でした。その店長は社内でも上位にランクされる高給取りで年収3千万円は超えていたはずです」  報告書によると、同社では車両修理1件当たりの作業代金と、交換した部品の合計金額を「@(アット)」と呼び、これを上げることが至上命令だったという。 「とにかく数字ばかりみて、ノルマ達成に必死になっていたのを覚えています。あるとき工場の上司が『売り上げが低い!』とオンラインの会議でつるし上げられ、がっくりして戻ってくるのを見ました。私もそうでしたが、本社の幹部がLINEでいきなり『転勤だ』と送ってくる。『明日から異動先に行け』で終わり。こちらからの言い分は一切受け付けない。特定の幹部の独裁ですね」  Aさんと一緒に仕事をしていた元店長のBさんは、 「今も怖いので」  とビッグモーターのことを恐れながらも、 「とんでもない会社です。車に傷をつけて、保険金でもうけて売り上げに計上することがビジネスモデルになっている。傷つけて売り上げに貢献すれば給料を上げてやると。黙らせるには『店長にカネを』というやり方です。私は月収200万円、300万円というときもあったけど数カ月だけ。家に帰れない日があるほど仕事が山積み、それも不正請求の伝票などをまとめるためです。カネはそこそこたまったけど、精神が病んで薬が手放せない体になりました。ワーカホリックのようにして、まともな判断ができないような状況に追い込むのです」  とだけ話し、LINEのアプリをみせてくれた。 ■<異動になるぞ> <売り上げは? 降格になるな> <異動になるぞ>  などとあり、送信元が<Koichi Kaneshige>とある。  ビッグモーターを実質的に取り仕切る社長の息子の兼重宏一副社長ら特定の幹部に権限が集中していたという。報告書には、内部告発があり社長や副社長も不正な傷つけや過大請求を知っていたとの指摘もあるが、2人とも、 「知らなかった」  と調査した弁護士に回答したという。  一方、国土交通省や金融庁も同社の関係者に事情聴取する方針だ。  表では「買取台数 6年連続日本一」や「車検価格満足度」「指定工場数」いずれも「第1位」とPRしてきたビッグモーター。はたして、その「闇」はどこまで明らかになるのか。
「うつぶせで寝るとシワが増える」は本当だった 研究論文ではうつぶせ専用枕で顔全体のシワが約12%減少
「うつぶせで寝るとシワが増える」は本当だった 研究論文ではうつぶせ専用枕で顔全体のシワが約12%減少 ※写真はイメージです(写真/Getty Images) うつぶせで寝るとシワが増える――。それを裏付ける研究論文があり、寝ている姿勢がシワの形成に大きな影響を及ぼすことが示されているそうです。近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授の大塚篤司医師が解説します。 *  *  *  シワの予防はアンチエイジングにおいて基本の対策です。目の横のシワが増えれば、気になりますし、口の周りのシワは年齢を感じさせます。増えてしまったシワに対して、ボトックス注射をする人もいれば、ヒアルロン酸を注射する人もいるでしょう。どうしても年齢にはあらがえないシワの出現ですが、ちょっとした努力でシワの増加を防ぐことができます。  シワの原因は年齢以外に、日焼けがあります。そのため、シワを増やさないようにするには、できる限り紫外線を浴びないことです。たとえ窓ガラス越しでも、UVAは肌にダメージを与えます。できる限り紫外線は浴びないほうが良いのは、シワ予防の大前提です。  しかしそれだけではありません。実は、寝ている姿勢がシワの形成に大きな影響を及ぼす可能性があるのです。  最近の研究によれば、寝ている間に顔の位置が枕に対してどのようになっているかが、顔の皮膚に悪影響を及ぼし、シワができる可能性があることが報告されました(文献1)。顔の皮膚に繰り返し、長期的な緊張がかかると顔のシワが発生します。人差し指でほっぺを押し付けるように、皮膚を顔の筋肉の方向と垂直に押したり引いたりすることがシワの原因になるのです。つまり、長い時間、顔に圧迫が続くとシワの原因になるのです。  特に、うつぶせに寝ると、顔の皮膚が枕に押し付けられ、これがシワをつくる原因となりえます。論文では、うつぶせで寝るのがもっともシワができると示されています。寝ているときは、なるべく顔の皮膚に圧迫がかからないのが重要なのです。  どうしても、顔を枕に押し付けて寝るのがやめられない人には、圧力を分散する枕をおすすめします。論文では、うつ伏せ専用のシワ防止枕を使用することで、顔のシワを増やさずに済むことがわかりました。この枕は、睡眠中に頬、目、口への圧力を減らすように設計されています。実際、28日間この特別な枕で寝ると、使用前に比べ顔全体のシワが約12%減少したとの結果が出ています(文献1、2)。  あまり知られてはいませんが、以上のように、うつ伏せで寝ることが顔のシワを増やす可能性があります。顔のシワが気になる人は、今日からでも、枕に顔を押し付けることなく、まっすぐ上を向いて寝るのが良いでしょう。また、どうしても枕に顔を押し付けてしまう人は、しっかりと圧力が分散される枕を選ぶのが良いと思います。 文献1:Poljsak, Borut, Aleksandar Godic, Andrej Starc, and Raja Dahmane. 2016. "The Neglected Importance of Sleep on the Formation and Aggravation of Facial Wrinkles and Their Prevention." Journal of Cosmetics Dermatological Sciences and Applications 06 (03): 96–99.  文献2:Anson, Goesel, Michael A. C. Kane, and Val Lambros. 2016. "Sleep Wrinkles: Facial Aging and Facial Distortion During Sleep." Aesthetic Surgery Journal / the American Society for Aesthetic Plastic Surgery 36 (8): 931–40.
トヨタの強さは「『言語化』力」にあり 部下が主体的に動くようになるヒントを学ぶ
トヨタの強さは「『言語化』力」にあり 部下が主体的に動くようになるヒントを学ぶ ※写真はイメージです(Getty Images)  マネジャーなら誰もが抱くであろう「部下が能動的に働いてくれない」という悩み。著書累計50万部超の人気ビジネス書作家・浅田すぐる氏はトヨタ出身。トヨタ時代に鍛えられたノウハウを、新著『あなたの「言語化」で部下が自ら動き出す 「紙1枚!」マネジメント』(朝日新聞出版)に込めている。紙1枚に「書き出す」ことを通じ部下をもつマネジャーが抱きがちな悩みを解消していく。なぜ浅田氏が「紙1枚」に可能性を見出したのか。その理由を、同著から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  *  特に日本的カルチャーを色濃く残した組織・環境では、知らず知らずのうちに「自分の意志よりも、自分以外の集団的な意志・空気・同調圧力」を優先しがちです。  したがって、「自分で考えろ」「当事者意識を発揮しろ」と頭ごなしに言ったところで、それだけでは暖簾に腕押し状態が続いていくだけとなってしまいます。 「社会的手抜き」や「意見・主張より世間・空気」といった受け身の状態を乗り越え、部下が能動的に働いてくれるようになるにはいったいどうすれば良いのか。  こうした悩みを一挙に解決できるキーワードをヒトコトで言語化してしまうと、結論は「目的のジブンゴト化」です。 ■トヨタの強さの源泉「言語化力」  皆さんの会社では、理念や方針、ビジョン等が策定されているでしょうか。  それらは実際にどの程度、定着あるいは機能しているでしょうか。  私がサラリーマン時代の大半を過ごしたトヨタには、「トヨタフィロソフィー」といったものがあります。  一部を紹介すると、たとえばミッションの項目には「わたしたちは、幸せを量産する」、あるいは、ビジョンとして「可動性を社会の可能性に変える」といった言葉も掲げられています。  あなたの会社には、このように明文化されたものがあるでしょうか。  他にも、「基本理念」「トヨタウェイ」「トヨタグローバルビジョン」「トヨタ・ビジネス・プラクティス」、等々。さまざまなレイヤー・位置づけ・目的で、マネジャー・プレーヤー問わず全社員が働くうえで重視すべきことが言語化されています。  トヨタには「視える化」という有名な企業文化があり、こうした明文化もその具体例です。  トヨタの強さの源泉の1つが「言語化」力であるという点だけは、ここでも強調しておきたいと思います。  加えて、ミッションやビジョンを達成するために、あるいは理念や規範を体現するために、トヨタでは1年ごとに「年度方針」が策定されています。  ただ、時間軸としては「年度」方針ですが、空間軸に重きを置けば、これは「全社」方針と言い換えることも可能です。  なぜこう言い換えたのかというと、「全社」としての方針ができあがり次第、今度はそれが「部門」方針、「部」方針、「室」方針、「グループ」方針というように細分化、ブレイクダウンされていくからです。  各トヨタパーソンは上部方針を一通り確認しつつ、最終的には自分の業務の方針を「紙1枚」に書き出してまとめていきます。  これが最も具体的で、自身の仕事に直結する「目的=何のために働くか?」の方針です。全ての仕事は、自らの言葉で言語化したこの方針を達成するために行い、方針に沿って働くことが、最終的には全社方針や企業理念、フィロソフィーといったものともつながっていく。  逆もまた真なりで、そうした上位方針や明文化された組織文化との「つながりを実感して働ける」からこそ、ブレずに、主体的に、当事者意識を発揮して日々業務を遂行していけるようになるのです。  以上、トヨタのマネジメント手法の1つである「方針管理」の一端をご紹介しました。  英語では「Hoshin-Kanri」とそのまま表記され、世界中のトヨタで実践されています。あなたの会社には、似たような仕組みがあるでしょうか。 ●浅田すぐる(あさだ・すぐる)「1枚」ワークス株式会社代表取締役。「1枚」アカデミアプリンシパル。動画学習コミュニティ「イチラボ」主宰。作家・社会人教育のプロフェッショナル。名古屋市出身。旭丘高校、立命館大学卒。在学時はカナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学留学。トヨタ自動車(株)入社後、海外営業部門に従事。同社の「紙1枚」仕事術を修得・実践。米国勤務などを経験したのち、(株)グロービスへの転職を経て、2012年に独立。現在は社会人教育のフィールドで、ビジネスパーソンの学習を支援。著書に『トヨタで学んだ「紙1枚!」にまとめる技術』(サンマーク出版)、『早く読めて、忘れない、思考力が深まる 「紙1枚! 」読書法』(SBクリエイティブ) などがある。
屈強な自衛官でも、心は壊れる。うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【前編】
屈強な自衛官でも、心は壊れる。うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル【前編】 屈強な自衛官だからといって、メンタルが強いわけではない ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(Mehmet Ozkan / iStock / Getty Images Plus)  4月から新しい環境で生活をスタートさせた人も多いでしょう。新生活に慣れた頃にやってくるのが、五月病。最近では六月病という言葉も使われます。  元陸上自衛隊のメンタル教官で、定年退官後はNPO法人メンタルレスキュー協会理事長を務め、数多くのカウンセリング経験を持ち、新書『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』の著者の下園壮太さん。陸上自衛隊の幹部自衛官だったときに、上司のパワハラでうつとなり地獄を見て、その後、退官して現在は航空業界で働くわびさん。その際の経験を記した著書『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』は、各方面で反響を呼びました。  自衛官の先輩、後輩でもある二人が、自身の自衛官時代のうつ体験、そしてそこからの回復の道のりについて、語りあいました。 *  *  *■自衛隊でまず、叩きこまれること わび:下園先生は防衛大学を何期に卒業されたのですか。 下園:26期です。 わび:私は一般の大学を卒業してから陸上自衛隊に入隊したのですが、下園先生の25年ほど後輩になります。 下園:わびさんも、入隊後に「陸上自衛隊幹部候補生学校」で学んだんですよね。鍛えられる場所だったでしょう。 わび:のんびりとした大学生活を送っていたので、幹部候補生学校の規律の厳しさには面食らいました。起床ラッパで目を覚ましたら3分以内に着替えて外で整列しないといけないわけですから。印象的だったのが半長靴(はんちょうか)という隊員用のブーツを毎日ピカピカに磨かなければならず、できなければ何度でもやり直しになることでした。 下園:大学時代から全寮制の生活を送ってきた防大卒でも厳しいと感じるので、一般大卒の方にはなおさらだったでしょう。そうしたしきたりを通じて、それまでの価値観をいったん壊し、自衛隊の流儀をたたき込みながら、メンタルの強さを育んでいくのが自衛隊の流儀ですね。戦場にいることを想定した組織ですから、普通の日常生活とは違う感覚、意識を植え付けます。 下園壮太著『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る  戦場にいるときに、上官の命令にいちいち、「これをやる意味はあるのですか?」などと反論していたら、その間に敵にやられてしまうかもしれないので、まずは上官の命令に即座に動けるような訓練をするわけです。 わび:自衛隊で教わったことで今も役に立っていることはたくさんありますが、「簡明を基調とせよ」というのも心に刻まれています。上官に報告するときに、モタモタと話していると、「結論から言え。グダグダ話して、結論を言わないうちにお前が敵にやられたら、他に報告する人間はいないんだぞ」と叱られました。  極端に聞こえるかもしれませんが、言われてみれば、これが戦場の現実です。それ以来、口頭の報告でも文章でも、簡明を基調とし、結論から伝えることを習慣にしています。 下園:その考え方は、自衛隊以外の会社でも当てはまるものですね。自衛隊というのは、シビアな戦場を生き抜くことを基本とした行動や考え方が蓄積されていますので、その他の世界でも有用なことがたくさんあります。 ■屈強な自衛官だからといって、メンタルが強いわけではない わび:本当にそう思います。ただ、だからといって、自衛官がみんな絶対に壊れない強靱なメンタルを持っているのかというと、そういう訳ではありません。 下園:そうですね。自衛官は、自分の身体に自信を持っている人が多いです。だからこそ、ちょっとした病気をしたり、ケガで思うように動けなくなったりしたときに、ズンと落ち込んでしまうことがあります。  有名な人でいえば、東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉さん。陸上自衛隊の幹部候補生学校の登山走大会では、彼が残した記録が今でも破られていないはずです。  そんな円谷さんも、持病の腰痛が悪化し、理想となる走りができなくなり、メキシコ五輪に向けての訓練中に自死してしまったわけです。  そこから読み取れるのは、1つのことに全集中してしまうよりも、複数のより所を持つべきであるということ。それも、「静」と「動」、身体を動かすことと、静かにできることの両方を持つことをオススメしています。 わび著『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)※Amazonで本の詳細を見る わび:私自身もメンタルを壊したことがあるので、よくわかります。「剛健」であれという幹部候補生学校の理念に染まった私は、学級委員的なポジションである「自律実践係」に立候補します。幹部のあるべき姿を追いかけ、「意識高い系」の幹部自衛官としてキャリアをスタートしました。  その後、師団司令部から幹部上級課程(AOC)を経て、方面総監部へと異動したのですが、そこでうつになったんです。 下園:師団司令部と方面総監部、それに陸上幕僚監部を加えた3つの部署は業務内容の高度さや多忙さ、緊張感などで過酷な部署なんですよ。私も師団司令部で任務に当たっていたときは辞めたくなりました(笑)。 わび:師団司令部の仕事は非常に高度で緊張感もありましたが、人間関係に恵まれ、明るく前向きに取り組むことができました。私生活も順調で、AOCを修了したころに双子に恵まれました。転落のきっかけとなったのは、方面総監部への転属です。そこで、パワハラにあったんです。 ■パワハラで身も心もぼろぼろに 下園:どんなパワハラでしたか。 わび:嫌がらせと理不尽な叱責です。報告や連絡を後回しにされるのは当り前。仕事のことばかりでなく、弁当の中身や子どもの名前などのプライベートについても言いがかりをつけられました。  常に「怒られる」ことが頭から離れず、缶コーヒーの種類も選べないほどになってしまいました。どの缶コーヒーなら怒鳴られずに済むのかなって考えてしまって……。  覚えていないのですが、ある日、職場で叫びながら自分のデスクの中に潜っていたようで、そのまま病院に運ばれました。「過労状態」「うつ病」「不安神経症」と診断を受け休職することになりました。 【図版】ライフイベントのストレス 下園:アメリカの学者であるホームズとレイがまとめた、ライフイベントのストレス表があります。様々なライフイベントが心に与えるストレスを数値化して評価するものです(表参照 ※外部配信先では図版などの画像が全部閲覧できない場合があります。図版をご覧になりたい方は、AERA dot.でご覧ください)。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  お子さんが生まれたとわびさんはおっしゃっていましたが、家族が増えるという幸せな出来事も、実は心に重圧を与えるものなんです。さらに異動による新しい仕事と労働環境の変化があった。そんな状態の時に、たまたま強烈なパワハラのストレスが加わって、心が悲鳴を上げてしまったのでしょうね。 わび:追い込まれすぎてしまっていて、別の上司に助けを求めたり、担当窓口に相談したりする気力もありませんでした。 ■メンタルを指導する教官自身がうつになる 下園:私も在職中にうつになったことがあります。でも、言葉は変ですが、わびさんに比べると“恵まれた”うつでした。  1996年に自衛隊初の心理幹部に就任してから、色々な場所に派遣されてカウンセリングをしたり、講演をしたり、最初の著書を執筆したり、家を建てたり、新しい車買ったりと、私も、多数のライフイベントが重なっていたんです。  そんな折、アメリカで「9.11」テロが発生し、よりメンタルヘルスの重要性が認知されるようになりました。張り切った私はより精力的に仕事をしていたのですが、ある講演のときに急に吐き気がして話せなくなって講演を中止して、そのまま倒れてしまったんです。 わび:それは大変ですね。 下園:講演では「誰でもうつになる」と言いながら、自分は絶対にならないという変な自信がありました。でも、まんまとそうなったわけです。  翌日には師団等の幹部約500名を集めた重要な講演があったのですが、それもドタキャンさせてもらいました。私がラッキーだったのは、それを許容できる職場だったことですね。講師役を変わってくれる勇気ある同僚もいたし、メンタルヘルスを担当する部署だったので、休める雰囲気もあったのです。信頼できる精神科のドクターと一緒に活動していたので、すぐに受診し、うつの診断をもらいました。  休養のため1カ月は完全に休みを取り、休み後も業務量を絞って勤務をするうちに、1年ほどで元の状態に戻ることができました。「また壇上で喋れなくなったらどうしよう」という恐怖のあった講演の仕事も、復帰から1年経った頃には再びできるようになりました。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません ■うつからの回復には「自信」がポイントになる わび:復活するきっかけはあったのですか? 下園:やはり「自信」を回復したことでしょう。自信とは、成功を重ねて、「もう失敗しないだろう」という予測ができるようになることだと思うんです。  私の場合は、先ほども言ったように周りの理解のもとに少しずつ仕事をできたことにあると思います。カウンセラーとしてクライアントと面談をする際にも、回復を焦らないように抑えつつ、ある段階からは1歩ずつ挑戦して、「できた」という達成感を積み重ねて自信にするように伝えています。 わび:私の場合も、小さな達成感の積み重ねでメンタルダウンから回復しました。医師の指示に従いながらトレーニングをしたり、神社の御朱印巡りをしたりすることで、職場復帰への自信をはぐくむことができたんです。 下園:それはよかった。 わび:復帰後には、陸上自衛隊のある学校へと異動になるのですが、そこでの自衛官との出会いが私を大きく変えました。「自衛官はかくあるべき」と凝り固まっていた思考から、人生という物事を戦略的、大局的に見る術を獲得できたのです。  その方は高度な知識を持っていましたが、いわゆる出世コースからは外れた人でした。以前の自分でしたら、自分の目標とする自衛官ではないとたいして気にもしなかったかもしれませんが、その生き方は爽快で、組織にとって本当に必要だと思うことは、上司に忖度することなく意見していました。  この方の「人生戦略」とも言える生き方、考え方は、私のメンタルを回復する土台となりました。 下園:わびさんのキャリアを拝見していると、今の言葉は非常に納得できます。AOC(幹部上級課程)では戦術・戦略についても学びます。ただ、一般的な自衛隊幹部は、AOCで学んだことをきちんと理解できる人はそれほど多くないと思っています。なぜなら、現場での経験が少ないから。また、戦場では当たり前の「人の極限の心理状態」を知らないから。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません(francescoch / iStock / Getty Images Plus)  でも、わびさんはAOC入校前から師団司令部に所属し、宮崎県の口蹄疫問題や東日本大震災などの災害派遣の実績もある。さらに幸か不幸かメンタルダウンを経験した。だからこそ、その戦術的・戦略的な考え方を自分のものにできたのだと思います。その知識を生かし、退官後も異なる職場で活躍できている。しっかりとレジリエンス(しなやかな回復力)を身に付けられたのとだと思います。 わび:ありがとうございます。 ■うつからの回復は慎重に、でもどこかで勇気も必要になる 下園:もうひとつ、わびさんのキャリアで良いチョイスだと思ったのが、メンタルヘルス回復期の熊本地震の災害派遣です。 わび:私も運命的な出来事だったと考えています。職場復帰から3年ほどの時間が経っていましたが、薬は手放せず、メンタルダウン以前の自信を取り戻せてはいませんでした。その頃に熊本地震が発生しました。  災害派遣に参加することに周囲の人は反対しましたが、熊本は幹部候補生学校を出た後に最初に配属されたところであり、東日本大震災での活動経験もある私にとっては、なかば使命感のような思いから志願したんです。  災害派遣先の南阿蘇司令部は、師団長自らが指揮をとる緊張感のある現場でした。まったく知り合いもおらず、手探りの任務でしたが最終的に「来てもらってよかった」との言葉をいただけたのです。それがすごく自信になりました。 下園:うつからのリカバリーは、とても難しいことです。沈んでしまった心をなんとか引き上げて現実に向き合えるまで持ってこなければならないのですが、どのステージで挑戦するのかのチョイスが大事です。私もカウンセリングで、「焦らないで復帰しよう」と伝えながら、どこかのタイミングで、「勇気を出してやってみよう」と背中を押すようにしています。周囲が反対したにもかかわらず、飛び込んでいったわびさんの勇気は素晴らしいと思います。 ※後編「五月病、六月病にも効く「心の予防注射」とは? うつで地獄を見た元自衛官2人が話す、本当に役に立つメンタルスキル」へつづく (構成/星政明) 下園壮太さん 下園壮太(しもぞの・そうた)1959年、鹿児島県生まれ。NPO法人メンタルレスキュー協会理事長。元・陸上自衛隊衛生学校心理教官。1982年、防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊入隊。筑波大学で心理学を学び、1999年に陸上自衛隊初の心理幹部として、多くの自衛隊員のメンタルヘルス教育、リーダーシップ育成、カウンセリングを手がける。2015年に退官し、講演や研修を通して、独自のカウンセリング技術の普及に努める。惨事ストレスに対応するMR(メンタル・レスキュー)インストラクターでもある。主な著書に『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』『自衛隊メンタル教官が教えるイライラ・怒りをとる技術』(以上、朝日新書)など多数。 わび航空業界で働く危機管理屋。某国立大学卒業後、陸上自衛隊幹部候補生学校に入隊。高射特科大隊で小隊長、その後、師団司令部や方面総監部で勤務。入隊後10年間は順風満帆だったが、早朝から深夜までの激務と上司によるパワハラが重なり、メンタルダウン。第一線からの異動を経て、「出世ばかりが人生ではない」「人に認められるためではなく、もっと楽しく生きたい」と思い、市役所に転職。激務だった自衛隊時代に比べると天国のような場所だったが、自らの成長の機会を得るため、転職後1年半で航空業界にキャリアチェンジ。給料は市役所時代の倍に跳ね上がった。自衛隊などの社会人経験で身につけたメンタルコントロール術、仕事や人間関係に対する向き合い方などを中心にツイッターで発信を開始。普通の会社員にもかかわらず、開始して2年で8万人フォロワー突破。ツイートはネットニュースにも取り上げられ、人気を博している。著書に『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』(ダイヤモンド社)。
生涯予算1兆2800億円! 宇宙望遠鏡ジェイムズ・ウェッブの野望は「宇宙で最初の星」の観測
生涯予算1兆2800億円! 宇宙望遠鏡ジェイムズ・ウェッブの野望は「宇宙で最初の星」の観測 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡と、同機が撮像した渦巻銀河「NGC 7496」 (C)Adriana Manrique Gutierrez, NASA Animator(機体) (C)NASA, ESA, CSA, Janice Lee (NOIRLab)(天体) 「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」(以下JWST)は、2022年4月に本格運用が開始されて以降、かつてないほど鮮明な天体画像を続々と地球へ送り届けている。その解像度はすさまじく、もし同機の主鏡を東京駅から西に向ければ、直線距離で約550キロも離れた岡山駅にあるサッカーボールを識別できるほどだ。その主鏡口径は6.5メートルと巨大で、ハッブルのものと比較すれば直径は2.7倍、面積比では7倍を誇る。  スペックもさることながら、開発費も巨額だ。1996年の計画始動当初、その予算は5億ドル、当時のレートで換算すると約545億円ほどだったが、設計変更が重なり開発が長期化した結果、設計寿命まで運用した際の生涯費用は97億ドル。2022年度NASA予算では、1ドル=132円換算で約1兆2,800億円と算出された。一機の観測機に割り当てられた予算としては、まぎれもなく過去最高額である。  では、なぜこれほどの機体をNASA(米航空宇宙局)、ESA(欧州宇宙局)、CSA(カナダ宇宙庁)は協働して打ち上げたのか? 国立天文台の縣秀彦氏に監修をいただいた拙著『宇宙望遠鏡と驚異の大宇宙』から、その理由と目的を紹介したい。  JWSTの使命は多岐にわたるが、そのひとつに「ファーストスター」の発見がある。ファーストスターとは、宇宙で最初に生まれた星や銀河のこと。つまりJWSTはビッグバンの発生以後、宇宙空間にはじめて光を放った天体を見つけ出そうとしているのだ。  ビッグバンは138億年前に発生したことが判明している。ビッグバン直後にはまだ星はなく、宇宙は暗黒な空間でしかなかった。やがて宇宙空間を漂う水素やヘリウムがガスとなって集積し、ビッグバン発生後、1億年から2億5000万年が経過したころ、やっと「ファーストスター」が誕生し、はじめて宇宙に光をもたらした。  136億年の昔、136億光年の遠方で発せられたファーストスターの光は、136億年かけて地球に向けて飛び続け、いまやっと地球に到達している。その極めて微弱な光をJWSTはとらえようとしている。  ただし、ファーストスターの光は、私たちが目視できる可視光線では捕捉できず、赤外線でしか観ることができない。なぜか。これを理解するには先に、「電磁波」の理解が必要になる。ちなみに、ハッブルは主に可視光線を観測する宇宙望遠鏡だが、JWSTは「赤外線宇宙望遠鏡」である。 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の反射鏡の単体。これが18枚組み合って主鏡が構成されている (C)NASA / Goddard / Drew Noel   電磁波と聞いてもピンとこないかもしれないが、その仲間は私たちになじみ深いものばかりだ。電磁波とは、医療機器にも使用される「ガンマ線」や「X線」、私たちの肌にダメージを与える「紫外線」、ヒトが目で見ることができる「可視光線」、テレビのリモコンにも使用される「赤外線」、テレビやラジオに使用される「電波」などに大別されること、それぞれに波長の長さが異なることは、5月14日に配信した記事「人間の身体は『星の爆発』から生まれた? 宇宙望遠鏡が教えてくれた『私たちはどこから来たのか』」で説明した。少々難しくいえば、電磁波とは「電界と磁界が組み合わさったもの」と説明できる。金属に電気を流すと磁石になるが、それと同じ原理だと思うとイメージしやすいだろう。また、「電磁波は空間を進むことができる」という特徴も持つ。  さて、ファーストスターが136億年前に発した光は、136億年の旅を経て、やっといま我々のもとへ届いているが、じつはその間、宇宙はずっと膨張し続けている。一定の波長を持つ可視光線が、膨張し続ける空間を136億年にわたって飛び続けると、どうなるのか。実は可視光線の光は、宇宙空間とともにそれ自体の波長も引き伸ばされ、現在の地球に届くころには波長の長い赤外線に変化する。この現象を「赤方偏移」という。  つまり、ファーストスターが発した光は、現在の地球では可視光線として見ることはできず、赤外線でしか観測することができない。この赤外線こそがJWSTのターゲットとなる。  JWSTのような赤外線望遠鏡が打ち上げられる理由、つまり赤外線による観測の利点はもう一つある。  宇宙空間にはガスやチリなどが存在するが、可視光線で観測すると、視界はそれらに遮られ、さらに遠方は見ることができない。しかし赤外線の場合は、そのガスやチリの奥に広がる天体を透視することができる。  この現象を、同じ電磁波の仲間である電波、ラジオに例えてみる。FMラジオの電波(超短波)は、波長(1~10メートル)がビルより短く、建物にぶつかって超えることができない。しかし、AMラジオ(中波)の場合は、途中にビルがあっても遠くまで届く。それはAMラジオの波長(100m~1キロ)がビルの幅よりも長く、ビルを迂回(うかい)するためぶつかることなく、さらに先へ進むことができるからだ。  つまり、136億光年離れた遠方で発せられた光を見つけるには、FM電波のように波長の短い可視光線による観測より、AMのように波長の長い赤外線のほうが有利といえる。 巨大なサンシールドやミラーはロケットに搭載する際にはコンパクトに折り畳まれ、打ち上げ後に宇宙空間で展開される (C)NASA, ESA, CSA, Joyce Kang (STScI)   JWSTの機体は特殊な形をしている。魔法のじゅうたんのようなサンシールド(日よけ)は長さ21メートル、幅14メートル。つまりテニスコートとほぼ同じサイズだ。ではなぜJWSTはこんな特殊な形状をしているのか?  前述したとおりJWSTは、遠方の星が発したかすかな光、赤外線をキャッチする。しかし、赤外線は太陽や地球などの熱からも放射されている。そのためJWSTは巨大なサンシールドを常に太陽、地球、月の方向へ向け、その熱を徹底して排除しつつ、ファーストスターからの微弱な赤外線をとらえようとしているのだ。  太陽光などにさらされる機体底部の温度はセ氏125度まで上昇するが、サンシールドは多層構造になっているため、その熱は観測機器が搭載されている機体上部まで届かない。  機体下部が高温になる一方で、機体上部は極寒の宇宙空間においてはセ氏マイナス233度まで下がる。JWSTの観測機器は、この超低温の環境下でも確実に働くよう設計されており、なかでも中赤外線を捕捉する観測機器「MIRI」は、絶対零度(マイナス273度)に近いマイナス266度でも動作する。遠方の星が放つ微細な赤外線をキャッチするには、こうした超低温環境が必要なのだ。  あらゆる技術を駆使して開発されたJWSTは、地球から150万キロ離れた月の向こう側の領域(太陽と地球におけるラグランジュ点L2ポイント)から、定期的に「新作」を地球へ送り届けている。もしウェブニュースなどでそうした画を目にしたら、かつて人類が観たことのない宇宙の真の姿を、あなた自身がリアルタイムで享受しているんだ、と実感してほしい。 (ライター 鈴木喜生/生活・文化編集部)
TKOが去って出番が増えた? 「森脇健児」に還暦前の再ブレークはあり得るのか
TKOが去って出番が増えた? 「森脇健児」に還暦前の再ブレークはあり得るのか ...に頭角を現し、やがて夕方の帯番組「ざまぁKANKAN!」で大ブレーク。ダウンタウンの“対抗馬”として関西で爪痕を残し、その勢いのままに東京進出も果たした。しかしその後、お笑い界の厳しさを知ることになる。 「当時、関西圏での人気は本当にすさまじかった。ダウンタウンを追いかけるようにして東...
織田信長が「茶道具」の価値を変えた……中国で飲まれていた「お茶」が日本の「茶道」になるまで
織田信長が「茶道具」の価値を変えた……中国で飲まれていた「お茶」が日本の「茶道」になるまで 松村宗亮さんの茶室「文彩庵」。茶室の銘は、裏千家十六代家元坐忘斎より授かったものだ。ここで日々、お稽古をしたり茶会を開いたり。横浜のマンションの5階にあるが、都会とは思えぬ静けさを味わえる  4月10日に出版された『人生を豊かにする あたらしい茶道』の著者・松村宗亮さんは、裏千家茶道教室「SHUHALLY」を運営・指導するかたわら、茶道系YouTuberとして茶道の魅力を発信している異色の茶道家。4月10日に配信した記事「異色の茶道家の原体験は『女の子を呼べる部屋作り』 茶の湯はもっと自由でいい」では、彼の独特の茶道観が生まれるまでを紹介したが、松村さんは著書で、「茶道の歴史」も解説している。  今から二千余年前の中国で飲まれていた「お茶」は、どのようにして現在の日本の「茶道」になったのか。その過程では、織田信長、千利休などのキーパーソンがさまざまな変化を起こしていた。著書から抜粋する形で紹介したい。 * * *  お茶についての最古の記録は紀元前1世紀の中国南部。詩人・王褒の『僮約(どうやく)』に、「茶を買う」などと書かれており、当時から喫茶の習慣があったと考えられます。  隋(581~618年)から唐(618~907年)の時代にかけて、喫茶の習慣は中国全土へ拡大。そのさなか、世界初の茶の専門書『茶経』が文人・陸羽によって書かれた。この時代には「餅茶(へいちゃ)」といって、茶葉を蒸して臼でつき固め、乾燥させたものを削って粉末状にし、塩をいれた湯で煮立てて飲んでいました。  宋(960~1279年)の時代になると、餅茶の製法が複雑化して「団茶(だんちゃ)」などと呼ばれるようになり、嗜好(しこう)品として文人や富裕層へ広まっていきます。彼らはお茶を飲みながら書画詩歌を楽しみ、ときにはお茶の色や味、香りを競い合う「闘茶(とうちゃ)」をおこないました。茶葉の粉末に湯を注ぎ茶筅(ちゃせん)で混ぜて飲む「抹茶法」がはじまったのもこの頃です。のちに宋で禅宗を学んだ栄西によって日本に伝えられ、現在の薄茶点前のもとになりました。  日本で最初に飲まれたお茶は、平安時代初期に遣唐使が持ち帰った餅茶だと考えられています。薬として天皇に献上されましたが、広くは普及しませんでした。  鎌倉時代になると、栄西をはじめとする留学僧らを通じて宋の禅僧がおこなっていた喫茶の風習が伝わり、僧侶や武士に広まります。同時に、武士の間では闘茶が大流行。彼らがおこなった闘茶は、お茶を飲み比べて産地や茶種をいい当て、金品を賭けるもの。あまりの人気に貴族にも広がりをみせ、幕府から禁止令が出されるほどでした。  茶道具も注目されはじめ、室町幕府の歴代将軍は豪華な唐物(からもの=中国の道具)集めに熱中します。応仁の乱で世相が一変すると、貿易都市・堺の商人が茶人として活躍するようになり、その財力に目をつけた織田信長が茶道具を領地以上に価値のある「ステータスシンボル」へと押し上げました。信長がはじめた政治利用のためのお茶を、豊臣秀吉が貴族文化に代わるものとしてさらに進めたことから、お茶は武家のたしなみとして引き継がれていきます。  それと前後して15世紀半ばには、あたらしいお茶の概念「わび茶」が生まれました。村田珠光(じゅこう)によって精神性が重視されるようになり、武野紹鴎(たけのじょうおう)を経て、千利休が登場するという流れです。  利休は堺の商家出身ですが、多くの茶道具を所有していた珠光や紹鴎に比べればお金がありませんでした。経済的なハンディを上回る創意工夫こそ、利休の真骨頂でした。花入に水を溜めて花弁を浮かべたり、唐物でも下等とされる品をわざわざつかうなど、斬新なアイデアをくり出すことで「宗易(利休)の茶はおもしろい」という評判を高めていきました。  信長、秀吉に重用されて好きなだけ唐物が買えるようになっても、利休の態度はいっこうに変わりませんでした。それどころか、窮屈極まりない二畳の茶室をつくったり、秀吉が嫌う黒をあえて茶碗に取り入れたりするなど、むしろ先鋭化していきました。よいとされる茶室で、よいとされる道具を用い、よいとされる点前をしていた従来のお茶。それに対して、自分がよいと思う茶室、自分がよいと思う道具、自分がよいと思う点前を“みずからつくる”のが利休のお茶でした。利休を境に、お茶の自由度が飛躍的に上がったのです。 茶筅さえあれば自宅でも抹茶を楽しめる、と松村さんは言う。茶こしでこした抹茶を茶碗に入れお湯を注いだら、手首のスナップをきかせてMを書くイメージで、20~30秒ほど茶筅を振る。目覚めの一杯としてもおすすめだ  利休が秀吉によって切腹に追いこまれたのち、養子の少庵が京千家の長になり、利休のお茶を守ります。少庵と利休の娘・お亀との間に生まれた宗旦がさらにそのあとを継ぎ、四畳半の茶室・又隠(ゆういん)や一畳台目の今日庵などをつくります。そして、宗旦の三男であった宗左、次男の宗守、四男の宗室が独立したことで三千家がはじまります。宗左の茶室・不審庵は通りの表に面していたことから「表千家」、宗室の今日庵は裏に面していたことから「裏千家」、宗守の官休庵は武者小路通にあったため「武者小路千家」とよばれました。  三千家はそれぞれ大名のおかかえとなり、茶道界の三代ブランドとして名声を確立。明治維新では、茶道をはじめとした伝統文化は文明開化の影響を受けたものの、財閥の支援や女学校への導入などによって、茶道は再評価されていきます。昭和に入ると、ラジオや雑誌などのメディアを通じて、茶道文化は社会により広く浸透していきます。茶道人口の大部分を女性が占めるようになり、「華やかなお稽古ごと」というイメージが定着していきました。 (構成 生活・文化編集部 端 香里/写真 松永直子) 【出版記念イベントを開催します】 松村宗亮さんの初著書『人生を豊かにする あたらしい茶道』発売を記念して、代官山 蔦屋書店にてトークショー&お茶会を開催します。 4月20日(木)19:00から https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/32559-1941080321.html
異色の茶道家の原体験は「女の子を呼べる部屋作り」 茶の湯はもっと自由でいい
異色の茶道家の原体験は「女の子を呼べる部屋作り」 茶の湯はもっと自由でいい 松村宗亮さんにとって茶道は「自分の心と向き合うきっかけ」でもあった。現在は、「茶の湯をもっと自由に!もっと愉しく!」をコンセプトに活動している  茶道というととかく堅苦しいイメージが先行し、食わず嫌いな人が多いだろう。だが、「やってみるとおもしろさがわかります」と断言する人がいた。裏千家茶道準教授で茶道教室SHUHALLY代表でもある茶道家の松村宗亮さんだ。  松村さんは、英国立ウェールズ大学大学院に学んだMBA(経営学修士)ホルダーで、首相官邸やフランス・パリのセーヌ川のほとり、シンガポールのアートフェア会場など、さまざまな場所でお点前を披露している異色の茶道家。最近は、YouTuberとして活躍するオリエンタルラジオの中田敦彦さんの茶道の師匠としても知られている。  その松村さんが、初めての著書『人生を豊かにする あたらしい茶道』を出版した。本では茶道を「お茶を介したコミュニケーションツール」と定義し、「やってみるとおもしろさがわかります。型のすばらしさや長年培われた先人の知恵はもちろんのこと、その先には自由や楽しさがある」と話す。  松村さん自身は何をきっかけに茶道の世界に足を踏み入れ、ハマっていったのか。著書ではこんなふうに語っている。 * * *  哲学専攻の大学生だったとき、私は哲学の本場の空気を知りたくてヨーロッパを放浪しました。現地の人は「日本人が来た!」というので、日本の文化や歴史についていろいろ尋ねてきました。しかし、答えられないことが多く、日本人なのに日本を知らない自分にショックを受けました。たくさんの国の方とかかわる多様性の社会では、自身のアイデンティティーを相手に伝える能力が必要だと痛感したのです。  これではいけないと思い、帰国後に一念発起して書道・華道・茶道を習いはじめました。そのなかで最も惹かれたのが茶道です。ほかの2つは自分ひとりでも完結できますが、お茶には対人のコミュニケーションが必須というところが自分にとって魅力でした。  もちろん最初のうちは、正座をすれば足が痛いし、決まりごとも全然覚えられないし、「なんだこれは?」という感じ。昔の型を守るだけというイメージだったのですが、やがてお茶が持つ非日常的・独創的なコンセプトのおもしろさが感じ取れるようになりました。古いのにあたらしい。決まっているのに自由。そんなギャップがたまらなくおもしろくて、どんどんはまっていきました。 松村さんが伝えたいのは「茶道を知れば、人生が豊かになる」ということ。そのために、現代のライフスタイルに合う「あたらしい茶道」の形を模索している  高校生の頃はダンスミュージックが好きで、屋外のパーティーなどにもよく行っていました。そういうところにはテントがあって、ステージがあって、見たこともないような飾りつけがしてあって……要するに、非日常的な空間になっているんです。それがとてつもなくおもしろくて「よし、オレもやってみよう」と、自分の部屋をあれこれいじりはじめました。  当時はタワーレコードへ行くと、いろいろなアーティストのポスターやカレンダーを無料で配っていたんです。それを大量にもらってきて、切り抜いてコラージュをつくり、壁に貼ったりしていました。ブラックライトを購入し、クラブ感を演出したこともありました。  思春期ですから、当然「女の子を呼べる部屋作り」も大きな研究テーマのひとつでしたね。おしゃれな友だちの部屋を見て「こいつセンスいいな!」とか「オレのほうがカッコイイじゃん」とか、男の子どうしで張り合うのも楽しい経験でした。  今にして思えば、自分がよいと思うものを手にいれて組み合わせ、趣向を凝らしてお客さんを呼ぶという、茶会と似たことをやっていたんですね。自分の好きなものを提示して、見た人が「おもしろいね」と共感してくれたら最高にうれしい。茶人として年齢を重ねて知識が増えても、根本にある喜び・楽しさは、あの頃のまま生きているなと感じています。 (構成 生活・文化編集部 端 香里/写真 松永直子) 【出版記念イベントを開催します】 松村宗亮さんの初著書『人生を豊かにする あたらしい茶道』発売を記念して、代官山 蔦屋書店にてトークショー&お茶会を開催します。 4月20日(木)19:00から https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/32559-1941080321.html
Aぇ! group「Aッ!!!!!!と驚き表紙祭り」<史上初!>6週連続で「週刊朝日」の表紙をそれぞれ単独(ソロ)で飾ります!!!!!!
Aぇ! group「Aッ!!!!!!と驚き表紙祭り」<史上初!>6週連続で「週刊朝日」の表紙をそれぞれ単独(ソロ)で飾ります!!!!!! 「週刊朝日」では、毎春、大学入学試験の合格発表を受け、大学別の合格者ランキングをはじめとする受験や大学に関連する特集を大きく展開しています。中高生の読者も増えるこの時期は例年フレッシュなスターのみなさまに表紙を飾っていただいていますが、今年は、ネクストブレイク必至と注目を集めている、Aぇ! groupのみなさんに、それぞれ単独で、表紙とカラーグラビアを6週連続で飾っていただきます。 その名も「Aッ!!!!!!と驚き表紙祭り」、登場していただくのは、この6人です。 ・福本大晴さん                 4月7日号[3月28日(火)発売]・佐野晶哉さん                 4月14日号[4月4日(火)発売]・小島 健さん                   4月21日号[4月11日(火)発売]・草間リチャード敬太さん  4月28日号[4月18日(火) 発売]・正門良規さん                  5月5-12日号[4月25日(火) 発売]・末澤誠也さん                  5月19日号[5月9日(火) 発売] 6号連続ソロ表紙は、あらゆる意味で史上初。しかも、佐野さん、小島さん、草間さんは、単独雑誌初表紙でもあります。関西ジャニーズJr.の6人組Aぇ! groupは、2019年の結成以来、絶大な支持を集め、デビュー前にもかかわらずコンサートや舞台の公演チケット入手が困難なグループとしても知られています。先月2月18日に結成4周年を迎え、明後日3月15日から初の全国ツアーとなる「Aッ!!!!!!と驚き全国ツアー2023」がスタートするメンバーのみなさんには、もちろん、お話もたっぷり伺いました。表紙・グラビアとは別途、インタビューも2ページ予定でお届けします。表紙や記事には、リレー形式や共通の“仕掛け”も。ぜひ、6冊並べてお楽しみください。 ■書店でのご予約にはこちらをお持ちいただくとスムーズです。https://publications.asahi.com/design_items/pc/pdf/ecs/24/reserve.pdf ■WEBでのご予約は以下の特設ページから。 HMVオンラインhttps://www.hmv.co.jp/news/article/230310154/ セブンネットhttps://7net.omni7.jp/search/?keyword=shukanasahiAegroupsoro&searchKeywordFlg=1&intpr=7ns_frmng_top_headnav_schbox&userKeywordFlg=1 タワレコオンラインhttps://tower.jp/article/feature_item/2023/03/13/3007 週刊朝日福本大晴さん 4月7日号[3月28日(火)発売]佐野晶哉さん 4月14日号[4月4日(火)発売]小島 健さん 4月21日号[4月11日(火)発売]草間リチャード敬太さん 4月28日号[4月18日(火) 発売]正門良規さん 5月5-12日号[4月25日(火) 発売]末澤誠也さん 5月19日号[5月9日(火) 発売]
東大・京大合格者が選ぶ「使えるオンライン学習」 ポイントはモチベ維持?
東大・京大合格者が選ぶ「使えるオンライン学習」 ポイントはモチベ維持? 東京大学の安田講堂 「スマホなんか見てないで、勉強しなさい!」。そんなしかり方はもはや過去のものになりつつある。今、高校生の多くが取り入れているのがスマートフォンやタブレットを用いて勉強する「オンライン学習サービス」だ。 *  *  *  この10年ほどで受験勉強への取り組み方は大きく変わってきた。今も塾や予備校に通うのが一般的だが、インターネットやスマホで勉強するという人も増えている。  今年、東大に学校推薦型選抜で合格した都内の高校生はこう話す。 「通学時間にYouTubeの学習動画を2倍速で見たり、単語帳アプリを使ったり、スマホで勉強していました。時間を効率的に使えますし、周囲の友達のほとんどがスマホを活用しています」  本誌「週刊朝日」2月10日号で「東大・京大合格者が参考にするYouTuber」としても紹介したヨビノリ・たくみさんのように、勉強を解説する動画はYouTubeにたくさんあり、受験勉強の一助となっている。  また、本誌が昨年実施した東大・京大の合格者アンケートで、「受験勉強で役に立ったアプリ」について答えてもらったところ、教材を提供するものから、勉強意欲をサポートするものまで、多種多様な回答があった。いくつか紹介しよう。  アンケートで回答が圧倒的に多かったのが「Studyplus」。学習量や時間を記録するアプリだ。2012年にサービスを開始し、利用者数は累計約700万人にのぼる。スタディプラスの昨年の調査では、大学進学を目標にする高校生、既卒生の利用者は約30万人で、受験生の2人に1人が利用している計算だ。  スタディプラス代表取締役の廣瀬高志さんはこう話す。 「学習する人にとって一番の課題は、継続していくのが難しいということ。モチベーションが続かないという声はよく聞かれます。ダイエットで日々体重を記録していったり、節約のために家計簿をつけたりといったことと同じように、記録していくことでモチベーション維持につながります」 Studyplusの使用画面  開発のきっかけは、自身の経験からくる。高校生のときに、東大にトップ合格した先輩の助言を受け、勉強記録ノートをつけていたという。 「当時は手書きで記録をつけ、グラフ化していました。自身の勉強量を可視化することの効果をものすごく実感したので、これをアプリ化できれば勉強の助けになるのではと考えました」  Studyplusは、メモ帳のようなただの記録アプリではない。進学を希望する大学を入力すると、同じ大学を志望する者どうしでつながることができ、その勉強量を見ることができる。 「『この人はこんなに頑張っているんだ』と刺激を受けられますし、相手に『いいね』を送ることもできます。普通に受験勉強していると孤独な戦いになりがちですが、互いに励まし合うことで学習を継続できるんです」  実際に、同社のアンケートでは半数以上が「学習時間が増えた」と回答し、「三日坊主の自分が学習を継続できるようになりました」といった声が寄せられるという。  長引くコロナ禍で自宅学習の必要性が増す中で、大学受験講座の動画を数多く提供するのがリクルートの「スタディサプリ」だ。昨年、サービス開始から10周年を迎えた。予備校や塾で支持を得る講師陣が各科目を解説し、1授業約15分という手軽さも魅力となっている。  開発のきっかけは「塾や予備校に通えない受験生の多さを知ったこと」と、プロデューサーの池田脩太郎さんは話す。 「大学進学を目指して予備校などに通うとなれば、平均100万円から200万円の費用が掛かります。経済的な理由から通えないという人も多く、また、地理的な要因から近くに予備校がなく、学校の授業とネット通販で取り寄せた参考書でしか勉強できないという人もいます。そうした人たちの割合は受験生の3分の1もいるんです。この教育格差を解決できたらと始めました」  スタディサプリの個人向け基本プランは月額1980円(税別)。高校・大学受験講座の講師数は15人で、講座数は1万5千本を誇る。学校向けでは従来の科目に加えて、学習指導要領の改訂で22年度から始まった「探究学習」にも対応する。 mikanの画面 ■学習継続の鍵は意欲向上の工夫  多くの受験生に支持されるのは、講座数の豊富さに加え、授業の「質の高さ」にもある。同社は利用者が動画視聴の際に何分何秒の時点で離脱したかなど、視聴データを蓄積。その要因を分析して再編集するなど、常に「最高の授業を提供できる」よう対策している。 「いわゆる一方通行型の授業では、講師側はわかりやすく教えられているつもりでも、生徒側はもっとここについて聞きたいのにというように、意思疎通ができないまま終わることがある。すべての動画に要望欄を設けていて、利用者のニーズを拾うようにしています」  英語の学習に特化してサポートするスマホアプリもある。利用者700万人超の英語学習アプリ「mikan」だ。ここ数年で高校生ユーザーが増加している。  mikan代表取締役の高岡和正さんが説明する。 「文具の単語暗記カードと似た作りになっています。画面に英単語が次々に表示され、すでに理解している英単語は右にはじき、理解が進んでいない英単語は左にはじくという使い方です」  単語を学習するたびにさまざまなデータが収集され、蓄積データから理解度が自動判定される。そして、理解度が低い単語ほど、多く表示されるようになる。知らない単語にいかに効率よく触れるかを重視する設計だ。  学習意欲を高める工夫もある。毎月発表する学校別学習量ランキングだ。任意で高校名を登録すると、自分の高校の順位が表示される。学べば学ぶほど順位が上がるといった楽しみもある。 「勉強が得意ではない、好きではない高校生もいます。そうした人を取り残さないように、他にもアプリ内で結果が出なくても『勉強している姿勢がえらいね』とほめるなど、意欲格差をなくすための工夫をしています」  学習の継続や意欲の向上など、サポート充実のオンライン学習サービス。受験生たちが、オンラインをメインに選ぶようになる未来はそう遠くない?(本誌・秦正理)※週刊朝日  2023年3月10日号
共働きなら公的年金だけで9286万円…「もらえる年金額」を今すぐ簡単に知ることができる3つの方法
共働きなら公的年金だけで9286万円…「もらえる年金額」を今すぐ簡単に知ることができる3つの方法 ※写真はイメージです(GettyImages)  自分はいったいいくら年金がもらえるのか。把握できていない現役世代は多いのではないか。確定拠出年金アナリストの大江加代さんは「厚労省のモデル給付額を参考に共働きの場合を計算すると、25年間の受給で総額は約9286万円になります。自分のケースを具体的に確認するには、3つの方法があります」という――。 ※本稿は、大江加代『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)の一部を再編集したものです。 3つの年金の違いを知る  会社員がこれから受け取る年金には「公的年金」「企業年金」「じぶん年金」の3つの種類があります。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より  1つめの公的年金は、国の年金制度です。国に年金保険料を一定期間以上納めた人は、一生涯年金を受けることができます。食事にたとえると、「給食」のようなものだと思ってください。給食費(保険料)を払っていれば死ぬまで支給されるので、飢えることはありません。ただし、決まった量しか出てこないので、おなかが減る人もいます。  そこで登場するのが2つめの企業年金です。  これは、会社の退職給付制度のひとつで、会社によっては「退職金」として一時金で支払われる場合もあります。国の年金が「給食」ならば、会社の年金は「社員食堂」といったところでしょう。会社によって社食があるところもあれば、ないところもあります。メニュー(退職給付制度の種類)も会社によって違います。食費は会社負担で、退職後、一定期間は利用可能(給付期間に決まりがある)といったイメージです。「給食」だけではおなかがすいてしまう人も、「社食」があればひと安心ですね。  最後のじぶん年金は、自分で積み立てたお金です。貯蓄やiDeCo、NISAなど、自分の好きな方法でお金を貯えたり、増やしたりします。これはレストランの食事と同じ。料金(積み立て金)はすべて自己負担だけれど、好きなものを自由に食べられるというわけです。 共働き夫婦は「公的年金」だけで1億円近い老後資金  将来は、この3つの年金が塔のように積み重なって、老後の生活を支えてくれます。塔の頑丈な土台となるのは「公的年金」です。  厚生労働省が発表している令和4年度の公的年金のモデル給付額は、夫婦2人分で月額21万9593円です。この金額は夫婦のうち1人は会社員、1人は無職という組み合わせです。この夫婦が同い年でともに65歳から90歳まで生きたとすると、単純計算で約6587万円の年金がもらえます。  仮に同じくらいの年収の共働きならば、モデル給付額を参考に計算すると月額の支給額は30万9554円になります。これを25年間受給すると、総額は約9286万円にものぼります。つまり、共働き夫婦なら、1億円近い老後資金の土台がすでにあるというわけなのです。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より  さらに、人によってその上に「退職金」や「企業年金」が積み上がります。これは、平均すると約1000万~2000万円というかなりまとまった金額です。もちろん、会社の規模、本人の学歴や職種、勤続年数といった諸条件によって支給額は異なるため、これほど多くはもらえないという人もいます。また、会社に退職給付制度がなく、まったくもらえない人もいます。  そして最後の3段目は、「じぶん年金」の層です。これは、自分でやらなければ積み上がらない層です。もらえる年金をさらに充実させたい人や、2段目の会社が支えてくれる制度がない場合は、3段目を準備することで、老後の生活にゆとりをプラスできます。 今さら聞けない会社員の公的年金のしくみ 「老後のお金が心配」という人は、3つの年金を可視化できていません。まずは、定年前に自分が「どの年金をいつからどれくらいもらえるのか」を見える化してみましょう。  最初に確認してほしいのは、老後のお金の土台となる「公的年金」です。  その金額は、夫婦で90歳まで生きれば6000万円以上ももらえるといいました。しかし、これはあくまでモデル給付額です。もらえる金額は人それぞれ違います。  なぜ違いが出るかというと、保険料を納めた期間と現役時代の収入をもとに年金額が計算されるからです。  会社員の公的年金は国民年金(基礎年金)と厚生年金(報酬比例部分)の2段構えになっています。その保険料は、月ごとの給料に対して定率(18.3%)で、その半額を会社が負担しています。つまり、給料から天引きされている保険料の倍の金額をしっかり納めているわけですね。  そして、保険料納付期間が長く、現役時代に稼いだ総賃金が高かった人ほど将来もらえる年金が多くなります。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より 安月給ほど、公的年金制度に救われる 「はいはい、そうですよね。安月給は年金も少ないよね」と、ぼやいている人はいませんか? そんなあなたこそ、実は公的年金制度に救われるしくみになっています。  厚生年金は現役時代の報酬に比例しますが、計算のもととなる収入(標準報酬月額)には上限があります。したがって、もらえる年金額は際限なく増えるわけではありません。支給額にも上限があり、最高でも月額約30万円ほどです。  一方、基礎年金は納付期間の月数で計算されるため報酬額に左右されません。よって、実際の年金支給額は、現役時代の賃金ほど差がつかないしくみになっているのです。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より もらえる金額がわかる「公的年金シミュレーター」 「年金はあてにならない」「ほんのちょっとしかもらえない」と思い込んでいる人は、次の3つの方法で今すぐ自分がもらえる公的年金の見込額を確認してください。 (1)ねんきん定期便  毎年誕生月に日本年金機構から送られてきます。50歳未満の人はこれまでの加入実績に応じた年金額しかわかりませんが、50歳以上は、これから60歳まで同じ条件で加入し続けた場合の年金見込額が記載されています。通常ははがきですが、35歳、45歳、59歳のときには、全期間の年金記録情報が封書で届きます。 (2)ねんきんネット  パソコンやスマホでいつでも自分の年金情報が確認できます。年金受給額のシミュレーション機能があり、50歳未満でも年収や働き方、何歳まで働くかという情報を入力すると、年金見込額が試算できます。50歳以上も60歳以降に働いた場合や受け取り開始年齢を変えると、年金見込額がどう変わるか確認できます。アクセスするにはマイナンバーカードとの連携か、ユーザIDの取得が必要です。 (3)公的年金シミュレーター  厚生労働省が公開している年金額を簡単に試算できるツールです。「ねんきん定期便」(令和4年4月1日以降発行分)についているQRコードをスマホで読み込むだけでアクセスできます。めんどうなIDやパスワードの取得は不要。生年月日を入力すると年金見込額が表示されます。画面のスライドバーで、今後の年収、就労完了年齢、年金受け取り開始年齢などを手軽に変更でき、年金見込額の変化がグラフでひと目でわかります。繰り上げ受給・繰り下げ受給をした場合の見込額の変化も大変わかりやすくなっています。  3つの確認方法のうち、年金情報がもっともくわしくわかるのは「ねんきんネット」です。しかし、年金見込額の確認や、将来の受取額をざっくりシミュレーションするなら、新しく登場した「公的年金シミュレーター」が便利です。「ねんきんネット」より気軽にアクセスでき、入力の手間も少なくなっています。現在はまだ試運転中ですが、本格稼働すれば、年金受給額にかかる社会保険料や税の概算も表示されるそうです。そうすると、年金の手取り額もイメージしやすくなりそうですね。 定年直前でも4割の人が理解していない「企業年金」  次に企業年金を確認しましょう。  企業年金は会社からもらえる年金だというお話をしてきました。しかし、驚くべきことに、会社員で企業年金についてよく知っているという人はほとんどいません。 「うちの会社にそんな年金あるのかな?」「それって退職金とは別物?」と、その存在すら知らないまま働いている人が多いのです。  日本の会社員は、長い間、終身雇用のもとで働いてきました。その歴史の中で「退職金や老後の話は会社に任せておけば安心」といった風土が根強くあるようです。社員は「定年まで勤めるとまとまったお金がもらえて、それで老後は過ごせるらしい」といったぼんやりとした認識しか持たず、自分がいつ、いくらもらえるのか、確認せずに定年を迎える人がいまだに多いのです。  野村総合研究所が会社員6万人を対象に行ったアンケートでは、定年年齢直前の55~59歳でも4割の人が企業年金の受取額が「わからない」と回答しています。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より 50代半ばになったら、企業年金・退職金の確認を  これまでもお伝えしてきたように、企業年金とは、会社の退職給付制度のひとつです。会社の退職給付制度には次の3つのパターンがあります。 (1) 退職一時金制度(2) 企業年金制度(3) 退職一時金制度と企業年金制度の併用 (1)の退職一時金制度はいわゆる「退職金」と呼ばれるもので、退職時に一括で受け取ります。(2)が企業年金です。こちらは、退職金のように一括で受け取る方法、または年金のように分割して受け取る方法が選択できる制度です。最後の(3)は、退職金と企業年金の両方がある会社です。これは公務員や大企業などに多いパターンです。  自分の退職給付制度は、会社の退職金規定を読むと確認できます。会社によっては就業規則の中に退職金規定を定めている場合もあります。  退職給付制度を設けるか否かは会社の自由ですが、設けた場合には、必ず退職金規定を作らなければなりません。読みたいときにいつでもアクセスできるよう、社内のイントラネットなどでオープンにしている会社もあります。そうでない場合も、社員であれば誰でも読むことができますので、人事や総務に問い合わせてみましょう。 「そういえば、入社したときに読んだことがあるな」という人も、最新のものを確認するとよいと思います。就業規則や退職金規定は、会社の都合で勝手に変わることはありませんが、自分が知らない間に労使合意があり退職給付制度が変わっていることもありえます。 「退職金がいくらもらえるか」も、退職金規定に計算方法が示されています。ただし、最近は「勤続年数が何年ならいくら」といった、単純な計算方法ではない場合も多くなっています。金額が知りたいときは、人事や総務に聞いたほうがよいでしょう。ひと昔前は、退職金の問い合わせをすると「会社を辞める気か?」と勘ぐられましたが、今はそんな心配はご無用。「老後のライフプランに必要だから」といえば、見込額を教えてくれます。 退職給付制度あれこれ  定年を前にした会社員なら誰もが期待する「退職金」。  日本ではどのような制度が多く採用されているのでしょうか。 ※『役所や会社は教えてくれない! 定年と年金 3つの年金と退職金を最大限に受け取る方法』(ART NEXT)より 「退職金」や「企業年金」は、会社によっていろいろなバリエーションがあります。  しかし、多くの人は「退職金といえば一括でドーンともらえるもの」というイメージを持っているのではないでしょうか。それもそのはず。実は、2018年の「就労条件総合調査」(厚生労働省)によると、退職給付制度がある会社のうち、およそ7割が退職一時金制度を採用しているのです。企業年金制度のみという会社は8.6%しかありません。なかには、一時金と年金の両方がもらえるという恵まれた会社も2割弱あるようです。  これは、比較的企業規模が大きい会社で採用されているようで、経団連が2021年に加盟する企業に行った調査では、6割以上の会社が退職一時金制度と企業年金制度を併用しているという結果を発表していました。 「企業年金のみ」「一時金と企業年金の併用」という会社は、受け取り方を自分で選ぶことができます。ただし、企業年金にもさまざまな種類があるので、受け取り方も確認が必要です。  一方で、退職給付制度がまったくないという会社も全体の約2割存在しています。  みなさんがお勤めの会社は、どの制度を採用していますか? 定年前に調べておきましょう。 大江 加代(おおえ・かよ)確定拠出年金アナリスト1967年愛知県生まれ。野村証券で一貫してサラリーマンの資産形成業務に携わり、2012年に独立。確定拠出年金の分野においてはわが国の草分け的存在で、厚生労働省社会保障審議会委員、および内閣官房「資産所得倍増分科会」構成員を務める。主な著書は『「サラリーマン女子」、定年後に備える』(日経BP)、『iDeCoのトリセツ』(ソシム)等。テレビやYouTubeでもiDeCoの専門家としてざまざまな番組やチャンネルでコメントをしている。
IVE Z世代「ワナビー」の素顔 “ラブ マイセルフ”で自分のよさは堂々と見せる
IVE Z世代「ワナビー」の素顔 “ラブ マイセルフ”で自分のよさは堂々と見せる 写真 蜷川実花/hair & make up son ji hye,Yang Seonhye,Kang da yoon,Ji eun sun/styling SEO GAYOUNG(SSTYLIST)/ prop styling 遠藤 歩  K-POPでは、主に2000年代生まれのメンバーで構成された“第4世代”に勢いがある。昨年は特にガールズグループの活躍が目立った。その中心にいたのがIVE(アイヴ)。彼女たちの素顔に迫った。AERA 2023年1月30日号から。 *  *  * ――2021年12月に発売した1stシングル「ELEVEN」が、デビュー7日にして音楽番組で1位になり、一気にスターダムにのし上がった。6人の洗練されたビジュアルとともに、「自分の良さを堂々と見せる」というコンセプト、「ELEVEN」の目まぐるしく変わる曲調が、Z世代の感性に刺さった。 ウォニョン:私たちが大切にしている“ラブ マイセルフ”の精神や、歌詞に込められた前向きなメッセージが支持されているのではないかと思います。私は常に自分を信じてきましたし、上手くいく信念もありましたが、この6人が集まることで、私が思い描いていたイメージ以上の結果を出すことができたと思いますし、おかげで幸せな日々を過ごしています。 ガウル:常に新しいことに挑戦しようとする姿勢を評価してくださっているのかな、と。 ■飾らない姿見せたい ユジン:流行に関心を持ち、誰よりも早く流行を掴む。かといって、流行を追いすぎない。そのバランスは大切にしています。 イソ:“自分らしく”というのも、私たちのコンセプトの一つ。私も自分らしさを大切にして、飾らない姿をお見せするよう意識しています。 ――6人6様の個性も強みだ。リーダーのユジンはサバサバ系の姉御肌。 ガウル:ユジンはリーダーらしくチームをよくまとめてリードしてくれています。授賞式のような公式の場で、多くの人を前にして堂々とコメントする姿はかっこいいですね。一方で、舞台裏では冗談といたずらが好きな子。レイの頬をムギュッとつまんで遊んでいたり。 イソ:ユジンさんは頼もしいお姉さんです。仕事はきっちりと。普段はとてもおもしろいんです。例えば、さっきも、楽屋に置いてある帽子を片っ端からかぶってはモデルポーズを取って自己陶酔していました。 AERA2023年1月30日号 ユジン:(笑って)姉御肌のイメージがあると思いますが、実は妹っぽい部分もありますし、メンバーに頼ることも多いです。でも、お姉さんらしく振る舞おうとはしていますね。感情の浮き沈みを表に出さないようにするとか。それがプロだと思います。私は15歳でアイドルを始めたので、「アイドル=仕事」という意識が芽生えたのはつい最近のことではありますが、プロフェッショナルでありたいという気持ちは強いです。 ――チーム最年長のガウルは、しっかり者だという。 レイ:ガウルさんは、チームのお母さん的存在です。 ユジン:自分をしっかりと持っていて、仕事でも宿舎でも、自分なりのルーティンがある。これをして、これをして……と、コツコツやっているのを見ると、かわいいなと思いますね。メンバーの中で何か決めごとがあると、「こうした方がいいよ」と建設的な答えを出してくれる時も助かっています。 イソ:私なら焦ってしまう場面でも、ゆったりと落ち着いて行動するところを尊敬しています。 ■何でもしてあげたい ――センターのウォニョンは、“奇跡の10頭身”と呼ばれる抜群のスタイルとスター性で、ハイブランドのアンバサダーや数多くの広告モデルを務める。韓国の「Z世代のワナビーアイコン」だ。英語・日本語が堪能で、取材も全て日本語で答えてくれた。 レイ:ウォニョンちゃんは、心に余裕があって、忙しくても疲れた顔を一切見せず、常に穏やか。困ったことがあると手伝ってくれたり、悩みを聞いてくれたり。同い年ですが、お母さんのようでもあり、お姉ちゃんのようでもある人です。 ウォニョン:メンバーは大切な仲間。私が助けられることがあれば何でもしてあげたいな、と。自分ではグループの支点の役割を担っていると思っています。中心にいる私がぶれてはいけないので、常に気を引き締めて過ごしています。 ――メインボーカルのリズは、高音の透き通った声が武器。 リズ:少女時代のテヨンさんに憧れて歌手を目指しました。自分の声をたとえるなら、ホワイト。どんな色とも合うし、全ての色に合わせられる色だから。 ウォニョン:リズさんは美しい声と歌で幸せをくれますが、それだけでなく、いつも明るくて、ハッピーなエネルギーでも私たちを元気にしてくれます。 リズ:周りの人を楽しませるのが好き。チームの中では、笑いを提供する役を担っていると自負しています。 レイ:リアクションが大きくて、いつも笑っちゃう! ――日本人のレイは韓国生活6年目。ネイティブ並みの韓国語でラップを担当、韓国で日本のギャルピースを流行(はや)らせたことも。 レイ:通っていた韓国の高校では日本語がわかる人がいなかったので、自然と鍛えられました。今では日本にいるときには日本語で、韓国では韓国語で考えるようになりました。頭の中にスイッチがある感じかな。 リズ:レイはとてもユニークな子です。レイがすると特別に見えて、真似したくなるような不思議な魅力を持っています。そして素直に自分の気持ちを表現することができる人。褒め上手で、「かわいい」とか「キレイ」とかポジティブなことをたくさん言ってくれるので、感動することが多いです。 レイ:思ったことを言っているだけなんですけどね。普段は、メンバーのちょっとした相談に乗ってあげたりしています。 ――最年少のイソは、1月に中学を卒業したばかり。 ユジン:イソはピュアで素直で愛くるしい子。愛嬌があり、よくみんなを笑わせてくれます。 ガウル:末っ子らしい活発なエネルギーを持っていて、いつも私たちを元気にしてくれます。 イソ:この3月から高校生です。楽しみにしているのは修学旅行。中学では一度も行けなかったので、高校では行けたらいいな。 ■一人の時間も大切 ――デビュー以来、毎日、分単位のスケジュールをこなす。自分を見失わないために大切にしているのが、一人の時間だ。 ユジン:ゆったりした曲を聴いて心を落ち着かせています。ドラマを観るのも好きです。 ガウル:バラエティー番組を観てパワーをもらっています。移動中は小説を読んだり、名言集を読んだりも。特に推理小説が好きで、昨年は『容疑者Xの献身』(東野圭吾)を楽しく読みました。どんでん返しの驚きと喜びを感じたいので、犯人捜しは積極的にしないタイプ。犯人が先にわかってしまったらおもしろくないですから。 photo 田中聖太郎 イソ:私は、睡眠を大切にしています。しっかり寝て、最高のコンディションで仕事に臨めるように、(日本語で)モチモチしたおふとんで寝ます。(ここから韓国語で)他には思い出の曲を聞いたり、“プライムメッセージ”というアプリでファンと交流したりする時間も好きです。 ウォニョン:私も寝る前に音楽を聴いて気持ちをリセットしています。ゆっくりした曲、気分が盛り上がる曲と、気分によって変えています。あとは、おいしいものを食べること。最近、料理を始めました。まだメンバーたちには食べさせてあげられていないんですけど。 レイ:昔、クッキーを作ってくれたよね。おいしかったです。 ウォニョン:そうそう。お菓子作りも好きなんです。今年はぜひレイちゃんと一緒に作りたいですね。レイちゃんもお菓子作りが上手なので。 レイ:私はベッドで横になってフェイスパックをしながら「今日は何をしたかな」と、一日を振り返る時間を作っています。移動時間には、昨年祖父にもらった新しいヘッドホンで音楽を聴くのが好きです。 リズ:私も音楽を聴いたり、半身浴をしたり、動画を観たりすることが多いです。楽屋では、音ゲーやシューティングゲームのようなモバイルゲームをしてリフレッシュしています。(ゲームは強いですか?)少し? ――目指すは「世界」だ。 ユジン:グローバルに活躍できるグループになりたいです。 ウォニョン:ワールドツアーをして、世界中のたくさんのファンと会うことが夢です。日本でも一生懸命活動しますので、応援よろしくお願いします。 (ライター・酒井美絵子)※AERA 2023年1月30日号
芸歴20年、宝塚元トップスター望海風斗「まだまだ知らない扉を開けていきたい」と語る
芸歴20年、宝塚元トップスター望海風斗「まだまだ知らない扉を開けていきたい」と語る のぞみ・ふうと/2003年、宝塚歌劇団に89期生として入団。14年、花組から雪組へ組替え。17年7月、雪組トップスターに就任。21年4月、宝塚歌劇団を退団し、現在は舞台を中心に活躍中。23年2~3月、ブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」に出演予定(photo 山本倫子、costume divkanet)  2021年4月に宝塚歌劇団を退団した元トップスター・望海風斗。初舞台から20周年を記念して昨年10~11月に開催し、WOWOWで1月15日に放送・配信するコンサート「Look at Me」に込めた思いを聞いた。AERA 2023年1月16日号より紹介する。 *  *  * ──今年4月で芸能生活20周年を迎えられます。この20年を振り返って何を思いますか。 望海:宝塚時代は一年一年、1作ごとにいろんな出会いがあり、ここまで来られたのだと改めて感じています。一つでも出会いがなかったら、こうはなってなかっただろうなと思うくらい、全てに思い入れがあります。一つひとつの作品の中で、すごく成長させてもらえる機会をたくさんいただけたと感じています。 ──宝塚歌劇団で18年過ごし、2021年4月に退団されました。退団後のキャリアはどのように考えていたのですか。 望海:全然考えていなかったです。というか考えられなかったです。もう一つの自分の人生の終着点ではないですが、宝塚に入って男役になり、トップになりたいと覚悟を決めてから、ずっとそのことばかり考えて生きていました。実際にトップになって、みんなで作品を作ることを楽しみながら、どこかで次にバトンを渡していかなければいけないこともわかっていました。それで終わり(退団)を決めるわけですが、その後については考えることができなかった。今を楽しみたいから辞めたら考えようって思っていました。それが、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大で退団の時期が延び、時間ができてしまった。そこで初めて考えました。 ■まだ舞台に立ちたい ──その時にどんなことが浮かんだのですか。 望海:舞台にはもう立てないなと思ったんです。舞台に立つのはすごく緊張します。人前に出ることがどれだけ大変なことか宝塚でわかっていたので、この緊張をずっと続けていくことはできないと。しかも、宝塚なら知っている仲間と一緒に作品を作れますが、辞めたらそうはいかない。毎回初めましてのカンパニーでは私はできないと。なので勉強をし直して、宝塚で今後のタカラジェンヌに何か貢献できることを探したいと思っていたんです。  でも、新型コロナで公演がストップした時に、舞台に立てないつらさがわかりました。舞台では、出演者同士、ファンの方もお客様も、その日のエネルギーをみんなで交換し合える。普通に生きていたら人と人とがこんなに濃い感情を毎日渡し合わないだろうということが劇場ではできる。自分にとってそれがすごく大事なことだと感じた時に、「まだ舞台に立ちたい」と素直に思いました。そういうきっかけをもらえたという点では、コロナの巣ごもり時間にも意味がありました。 ──昨年10月に行われた、宝塚入団後の初舞台から20周年を記念したステージにつけた「Look at Me」というタイトルへの思いを教えてください。 望海:子どもの頃からの自分を振り返って、私の原点にあった「私を見て」というところからスタートしています。小さい時から音楽、歌うことがすごく好きでした。今回そんな記憶を取り入れてもらったという意味でも、宝塚を退団して芸能生活20周年を迎える今の私を見てもらおうという意味でも、ぴったりなタイトルだったと思います。 作品を味わってほしい ──今回のステージは、半年で歌番組を打ち切られたディレクターのひかり(望海)が、最終日にADに促され、自分自身が本当にやりたかった歌謡ショーに挑戦する、という内容ですね。ブロードウェイ・ミュージカルの曲を歌う「BROADWAY MELODY」、日本の過去のヒット曲を歌う「PLAYBACK SONGS」、そして「LIFE」というコーナーでは「音楽が全てだった」と言うひかり自身の人生に迫ります。この構成にはどんな思いが込められているのでしょうか。 望海:ブロードウェイのナンバーもそうですが、とくに「LIFE」では私が出演した宝塚作品に関連する曲を選びました。コロナ禍で公演がストップしたものや配信だけになったものも入れることで、コロナ禍で公演を見られなかった方にも、1場面でも1曲だけでもその作品を味わってもらいたいと強く思ったんです。「ガイズ&ドールズ」もコロナ禍で止まってしまい、見られなかった方も多かったと思うので「LIFE」では「アデレイドの嘆き」を歌いました。 好きなブロードウェイ・ミュージカルは「シカゴ」だという。「宝塚時代に初めてブロードウェイで『シカゴ』を見た時、『かっこいいな』とものすごく感動しました」(photo 山本倫子、costume divkanet) ──ポップスを歌った「PLAYBACK SONGS」はご自身で選曲したのですか。 望海:それもあります。布施明さんの「君は薔薇より美しい」は、宝塚時代にそれこそ布施さんの曲を歌ってほしいとファンの方からリクエストされて、いつか歌いたいと思っていた曲です。山口百恵さんの「秋桜」もファンの方からリクエストがあって今回歌ったんですが、難しかったですね。玉置浩二さんの「田園」は私がすごく好きで、いつか歌いたいと思っていたので今回取り入れました。 ■エンジン全開の状態 ──「LIFE」のコーナーで、「私は音楽が全てだった」というセリフがあります。望海さんにとって音楽とは? 望海:音楽は奥深いですし、本当にいろんなジャンルがあって、まだまだ知らないものがある。世界は広いなって思います。でも、音楽を通して誰かと一緒に歌ったり、音楽をお届けしたり、ミュージシャンたちと音楽を一緒に作っていくことが私はすごく好き。音楽を通して人と人との心を通わせることがとても好きですし、音楽に歌をのせると自分の気持ちがすごく整理されるというか、言葉にできない思いみたいなものをお届けできる。そういう意味で、やはり音楽は自分が何かを表現する上ですごく必要なものだと感じます。 ──今回のようなコンサートは、ミュージカルや宝塚の公演とはまた違う難しさがありましたか。 望海:そうですね。ミュージカルは歌う曲に気持ちがのっていたり、ストーリーと曲が繋がっていたりするので、そういう意味で歌いやすくもあるし、歌いにくいところがはっきりわかります。「ここは気持ちを優先しすぎると歌えなくなるから一回冷静になったほうがいい」とか。でも、コンサートはそうはいきません。1曲ずつきちんとそのストーリー、自分の中で背景を全部生み出さなければいけない。歌ったことがない作品をどうやって自分の世界に取り込んでいくか、どう作っていくかはやはり難しかったです。 ──いよいよ今年は本格的にデビュー20周年を迎えます。今後どんなことをやっていきたいと考えていますか。 望海:特別何か変わることはないのかなと思うのですが、こうやってコンサートをさせてもらい、大好きなブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」にも出演できる。すごくエンジン全開という状態です(笑)。まだまだ知らない扉を開けていきたい、冒険したいという気持ちです。 (構成/フリーランス記者・坂口さゆり)※AERA 2023年1月16日号

カテゴリから探す