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【Vol.01】Tokyo’s most passionate dancing? Intense rhythms to enthrall visitors
【PR】【Vol.01】Tokyo’s most passionate dancing? Intense rhythms to enthrall visitors Just like a rock concert A great ensemble of drums, shamisen and guitars My first visit to this Bon dance festival around ten years ago was a real surprise. The venue is specially constructed under the elevated Metropolitan Expressway Route 7, and the ring of dancers spreads out across the whole area. The tremendous passion changed my preconception of the Bon dance being for just the elderly. Behind the ring of dancers is a stage hung with numerous lanterns. An ensemble of drummers, shamisen players and guitarists, along with chorus leaders in beautiful costumes, performs on the stage with great passion. The speakers are many times bigger than those used for regular Bon dances; it really has the intensity of a rock concert. The music resonating through this dance festival is not originally that of the local Tokyo area, but of faraway Osaka, the birthplace of the festival’s Kawachi Ondo folksongs. One song is several tens of minutes long. The leader tells a story, with the backing ensemble helping build it up. It is a stage performance that has absorbed various performance arts, such as rokyoku narrative singing, and which has developed its own original style. After the Second World War, the electric guitar was introduced to Kawachi Ondo, and since then, the folksong has been fused with reggae and disco, making for a unique style of Japanese Bon dance.  Interaction between performers another point of appeal Kawachi Ondo – watch and dance Kawachi Ondo was brought to Kinshicho, Tokyo, in 1982. It was not Osakans that began it, but group of Kawachi Ondo fanatics and youths of the Kinshicho shopping arcade. A unique point about this Bon dance festival is that it started from scratch. The venue changed many times from there on, until the festival finally settled in its current location. Today, it is the best known Bon dance festival of eastern Tokyo. It is of great significance in that it brings Kawachi Ondo to the whole of Tokyo and plays a major role in the area. Kawachi Ondo is not so simple that the steps can be learned by just watching. However, once your body has learned the movements, you’ll find it so much fun that you want to keep dancing and not leave the dance ring. Even for those who lack the courage to enter the dance ring, this festival is still worth attending to see the passionate performance of the experts from Osaka. The musicians ad-lib to the singing of the chorus leader. That interaction, with a sense of thrill, has similarities with jazz, and is a unique point of Kawachi Ondo.  Kinshicho has an area lined with attractive bars where you can cool down from the heat of the dancing. Lively conversation is to be had with the people drinking around you. When coming to the Bon dance festival, be sure to enjoy the Kinshicho area, too. Sumida Kinshicho Kawachi Ondo Bon Dance Festival Held every year at the end of August Venue: Tatekawa Shinsui Park special venue (Under the elevated Metropolitan Expressway Route 7) Sumida Kinshicho Kawachi Ondo Bon Dance Festival official site (Japanese): https://www.kinshicho-kawachiondo.jp/ Text: Hajime Oishi Photographs: Keiko Oishi N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.) 
米グラミー賞にノミネートされた日本の環境音楽のアルバムはどんな音楽なのか
米グラミー賞にノミネートされた日本の環境音楽のアルバムはどんな音楽なのか アルバム「Kankyo Ongaku」/「Light In The Attic」提供 アルバム「Kankyo Ongaku」/「Light In The Attic」提供  米音楽界で最も権威ある音楽賞とされるグラミー賞のノミネート作品、アーティストが今年も発表された。  世界各国のチャートでアルバム「When We All Fall  Asleep,Where Do We Go?」が1位を獲得した17歳の女性アーティストのビリー・アイリッシュ、おおらかでメロディックな歌世界をアルバム「i, i」で昇華させたボン・イヴェール、アルバム「Cuz I Love You」で迫力あるボーカルを聴かせた黒人女性アーティストのリゾらが複数の部門でノミネートされている。  約5カ月間にわたってビルボード・シングルチャートの1位を独走したリル・ナズ・エックスの「Old Town Road」も、カントリー・ラップなる新スタイルで話題を集めて最優秀レコード賞候補に選ばれ、台風の目になりそうだ。授賞式は2020年1月27日(日本時間)に開催される。  グラミー賞には主要部門以外にも多くのカテゴリーがあり、第62回となる今回は全部で84部門が設けられた。その中には日本人のクリエイターや制作者が受賞対象者になっているものや、作品に関わっているものもある。  例えば狭間美帆の「Dancer In Nowhere」は最優秀ジャズ・アンサンブル・アルバムにノミネート。高山浩也と小坂剛正がエンジニア、ミキサーとして関わったアメリカのバンド、ヴァンパイア・ウィークエンドの「Father Of The Bride」は、年間最優秀アルバムの獲得が期待されている。  そんな今回のグラミー賞でぜひ注目してほしいのが、最優秀ヒストリカル・アルバム部門にノミネートされている「Kankyo Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990」という作品だ。  この作品は文字通り環境音楽とも言われる日本のアンビエント、ニューエイジ系音楽から1980年代~90年代にかけての楽曲を集めたオムニバス・アルバム(CD2枚組、アナログ・レコード3枚組)だ。芦川聡、清水靖晃、日向敏文、深町純、吉村弘といったアーティストたちの曲が収録されている。  なかにはYMOや、そのメンバーの細野晴臣や坂本龍一(アナログ・レコードのみ)、あるいは「風の谷のナウシカ」を筆頭に数々のスタジオジブリ作品の音楽で知られる久石譲といった広く知られた名前もある。いずれも環境音楽というテーマに沿った曲が選ばれ、日本のポピュラー音楽の歴史を支える重要な作品であることを伝えていると言っていい。  ここでいう環境音楽は、作業効率や精神安定を促すような、いわゆるBGM(バックグラウンドミュージック)とは違い、音と環境の関係を主体的かつ創造的にとらえようとする音楽のこと。ジョン・ケージのような現代音楽の作品を起点とする説や、イギリスのブライアン・イーノが提唱したアンビエント音楽との接点を重要視する説など様々ある。フランスの作曲家エリック・サティが1920年に発表した曲「家具の音楽」のように、“生活の中に溶け込む音楽”という、ある種の思想性を伴う音楽という解釈がここでは近いかもしれない。  興味深いのは、日本の音楽のコンピレーション盤となるこのアルバムをリリースしているのがアメリカのレーベル「Light In The Attic(ライト・イン・ジ・アティック)」だということ。プロデューサーであり、日本のアンビエント・ミュージック発見の第一人者であるスペンサー・ドランらとともに、制作に関わったアメリカ在住の日本人、北沢洋祐氏は言う。 「このアルバムのカヴァー(ジャケット)には槙文彦が設計した鹿児島の《岩崎美術館》の写真を使っています。同じ槇文彦がデザインした建築の一つに、東京にある《SPIRAL》ビルがありますが、『Kankyo Ongaku』に収録されている尾島由郎や越智義朗といったアーティストは、《SPIRAL》の音楽を制作しているんですね。ほかにも、そうした物理的な空間、建物のために音楽を作るようミュージシャンやサウンド・アーティストに依頼していた企業や公共団体が当時ありました。多くの楽曲が建築と固有の関係性を持っており、多くのアーティストが音楽を作るための物理的な空間として建築を意識していたんです」  人々の暮らしの中にある建築物と音楽の関係性を問うた際に浮かび上がってくる作品、それが環境音楽という解釈だ。だからこそ、「Kankyo Ongaku」というアルバムは、電子楽器などを用いた心地よい昔のヒーリング音楽を集めただけではない、テーマと哲学を明確に持つ作品ととらえることができる。  今回のグラミー賞の最優秀ヒストリカル・アルバム部門には、ほかにもピアニストのウラディミール・ホロヴィッツのカーネギーホールでの演奏アルバム、プロテスト・フォークのレジェンドであるピート・シーガーのスミソニアン・フォークウェイズ・コレクションといったそうそうたる音源集がノミネートされている。  果たして受賞できるかどうかは神のみぞ知る、だ。だが、今から40年ほど前の日本の音楽がアメリカのレーベルで編纂され、環境音楽という分野が建築と密接な関係にあることを改めて知らしめたことは特筆に値するだろう。  この「ライト・イン・ジ・アティック」レーベルからは、ほかにも多くの日本人アーティストの旧作がリイシュー(再発)されている。細野晴臣、金延幸子、小坂忠らの代表作、大貫妙子や吉田美奈子といった70年代~80年代のシティー・ポップを集めたオムニバス・アルバムも話題を集めた。  このレーベル発ではないが、竹内まりやの代表曲「Plastic Love」がYouTubeを中心に世界規模で再評価・拡散されたことも記憶に新しい。かつて作られたニッポン産の音楽が、今なおヴィヴィッドな作品として世界で鳴らされている。 (文/岡村詩野) ※AERAオンライン限定記事 ※アルバムのタイトル「Kankyo Ongaku」の小文字「o」は、ジャケットの写真にあるように、正式には上に横棒がつきます。
【12/4(水)開催】『AERA』働く女性応援プロジェクト ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論” いつだって「キレイ」をあきらめない。
【12/4(水)開催】『AERA』働く女性応援プロジェクト ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論” いつだって「キレイ」をあきらめない。 蜷川 実花(写真家、映画監督) 片桐 圭子(AERA編集長)  ビジネスパーソンのためのニュース週刊誌『AERA』が、働く女性の「キレイ」をテーマにトークイベントを開催します。なぜ『AERA』で「美」なのか。それは、美しさは外見のことだけでなく、心の持ち方や教養などの内面によっても支えられていると考えるからです。また、多様な美しさのなかから自分が美しいと感じるものを見つけて追求すること、自分のなかにある美しさを発見して伸ばすことができたら、モチベーションと自信を持つことができるのではないでしょうか。  そこで、「いつだって『キレイ』をあきらめない。」をテーマに、毎号『AERA』の表紙フォトグラファーを務める、写真家で映画監督の蜷川実花さんをお招きしてトークイベントを開催します。蜷川さんはキレイなもの、可愛いものが大好き。ハードな仕事のときほどお気に入りの洋服やアクセサリーなどで、自分らしさを表現するという流儀を貫かれています。行きたい場所、会いたい人、読んでおきたい本などにも積極的に触れる一方、家族と過ごす時間もとても大切にされています。  蜷川さんの、写真や映画にかける想いについてもお話いただく予定です。『AERA』の表紙は毎号人物が変わりますが、蜷川さんが撮るポートレートは、被写体が老若男女どんな人であっても、その人物の魅力を余すところなく引き出して、私たちを惹きつけます。これらの写真はどのようにうみだされているのでしょうか。聞き手は『AERA』編集長の片桐圭子が務めます。  本イベントは、『AERA』働く女性応援プロジェクト「ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論”」の第8回です。働く女性は仕事に家事・育児とタスクに追われる毎日ですが、忙しいときこそ少しでも、「キレイ」を意識できたら素敵ですね。 お申込みは締め切りました。 たくさんのご応募ありがとうございました。 【開催日時】 2019年12月4日(水) 19:00~21:30(18:00開場)※予定 【場  所】 ベルサール汐留 〒104-0061東京都中央区銀座8-21-1 住友不動産汐留浜離宮ビル1F・2F 地図はこちら 【プログラム】 ■第1部 特別講演 蜷川 実花 さん × 片桐 圭子 『AERA』編集長 ■第2部 企業プレゼンテーション ※上記は予定です。変更の可能性がございます。 【参加人数】 女性限定 400名(抽選・参加無料) 【お問い合わせ先】 メール:aeraevent@asahi.com 電話番号:03-5540-7665(平日10時~17時 担当:与儀、東山) ※定員を超えるご応募をいただいており、新規のお申込みはご遠慮いただいております。 【主  催】 『AERA』(朝日新聞出版) 【特別協賛】 SBI証券 日本生命保険 日本メナード化粧品 【協  賛】 西武鉄道 花王 ◇登壇者プロフィール ※敬称略 蜷川 実花 (写真家、映画監督) 木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画『さくらん』(2007)、『ヘルタースケルター』(2012)、『Diner ダイナー』(2019)、『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019)など映像作品も多く手がける。2008年、「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版、世界各国で話題に。2016年、台北の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。https://mikaninagawa.com/ 片桐 圭子 (AERA編集長) 1995年、朝日新聞社入社。『AERA』では女性、子ども、教育、働き方、事件、ベンチャー企業などを幅広く取材。副編集長時代は表紙担当としてブッキングや撮影の指揮を執る。 朝日新聞宇都宮総局、教育ジュニア編集部、宣伝プロモーション部長などを経て、2018年9月から現職。
西日本を走る「紅葉絶景路線」で観光列車も満喫!
西日本を走る「紅葉絶景路線」で観光列車も満喫! 叡山電鉄の市原~二ノ瀬間にある「もみじのトンネル」は車窓からのみ楽しめる(C)朝日新聞社 嵯峨野観光鉄道「トロッコ列車」に乗車の際は保津川下りと合わせた周遊もおススメ(C)朝日新聞社 山間部を走る「奥出雲おろち号」。木次線沿線にはヤマタノオロチ伝説にちなむスポットが点在する (写真/photolibrary) 神社の造りを模したJR木次線、出雲横田駅の駅舎。入り口にはしめ縄がかかる(C)朝日新聞社  秋のハイライトを列車に乗って満喫したい! きらびやかに彩られた紅葉風景をより堪能するための「首都圏でも満喫できる『紅葉絶景路線』3選!」に続き、西日本で注目の紅葉路線と、プラスアルファの楽しみが広がる「観光列車」をピックアップ! *  *  * ■展望列車は行くよ「もみじのトンネル」を ~比叡電車「展望列車きらら」  西日本の紅葉探訪列車のなかで、まずおススメしたいのが「叡山電車」の愛称で親しまれている叡山電鉄だ。  叡山電車は京都市をエリアとする私鉄路線。出町柳と八瀬比叡山口(やせひえいざんぐち)とを結ぶ全長5.6キロの叡山本線と、宝ケ池(たからがいけ)で叡山本線と分岐し鞍馬(くらま)までを結ぶ8.8キロの鞍馬線からなっている。全長14.4キロと比較的コンパクトな市街路線ながら車窓美でも知られ、紅葉を目的として訪れる人も多い。  とりわけ、山間部となる鞍馬線の二軒茶屋(にけんちゃや)~鞍馬間では勾配や急曲線など山岳路線の様相を呈し、沿線風景が一変。市原駅付近で鞍馬川と出会うといよいよハイライトで、つぎの二ノ瀬駅との間にはイロハモミジやオオモミジが線路際を包む「もみじのトンネル」と呼ばれる絶景がおよそ250メートルにわたり車窓を彩る。  見ごろはおおむね11月中旬から12月上旬(年によって異なる)。11月上旬から下旬にかけては、貴船神社とその周辺で開催される「貴船もみじ灯籠」と合わせ「もみじのトンネル」区間がライトアップ(夕方~21時ごろ)されるので、日中と合わせ夜間の探訪も楽しみたいところ。  この「もみじのトンネル」をより堪能するには、展望列車「きらら」に乗ってみたい。 「きらら」は沿線の四季、とりわけ紅葉の美しさをデザインに取り込んだ文字どおりの「紅葉探訪列車」。最大で高さ1050ミリメートルに及ぶ大型の側窓に加え車体傾斜に合わせて天窓を設置するなど、車内は開放感抜群! 座席は2+1列のクロスシートで、うち各車両8席が窓に向けて配置されているのは、観光列車らしい設計といえる。  11月上旬から下旬にかけては、「もみじのトンネル」ライトアップと合わせて車内消灯や徐行運転を実施。側窓からの眺めはもちろん、前後面展望や足元までガラス張りとなっている乗降扉から鞍馬川の渓谷美を眺めるのもいい。  展望列車「きらら」は通常の定期普通列車として運行されている。予約は不要で乗車券のみで乗車でき、運行ダイヤは比叡電車公式HPで公開されている。人気列車のため、紅葉時期の週末などは混雑が予想されるので、余裕をもったスケジュールを組むのが利用のコツ。 ■保津峡の渓谷美と紅葉のコラボを意外な列車で満喫!? 嵯峨野観光鉄道「トロッコ列車」  京都・嵯峨野の定番観光コースとして国内外を問わず高い人気を誇る嵯峨野観光鉄道。トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までを結ぶ7.3キロの路線は、全線の多くを保津峡(ほづきょう)として知られる景勝地・保津川に沿っており、渓谷美とともに織り成す紅葉がとりわけ見事な鉄道路線のひとつである。  使われている線路は、かつてはJR山陰本線の一部だった区間。1989年3月に同線の嵯峨~馬掘間を新線に切り替えたことから廃線なった旧線が、嵯峨野観光鉄道として生まれ変わったものだ。  新線が直線指向でトンネル中心なのに対し、旧線は蛇行する保津峡を間近に望みながら進むため、車窓の軍配は旧線に挙がる。景勝地の車窓をトロッコ車両で楽しむというスタイルは開業とともに話題を呼び、年間100万人を超す乗客を集める人気路線となっているのである。  列車はトロッコタイプ客車の5両編成で、DE10形ディーゼル機関車を嵯峨駅寄りに連結。アールデコ調にデザインされた客車には木のベンチや裸電球がしつらえられ、レトロ感を演出。機関車に隣接する1両(5号車)は窓ガラスなしの「ザ・リッチ号」と呼ばれる車両で、自然風を受けながらのトリップが楽しめるが、寒さ対策も忘れずに!  また、冬季には石炭ストーブが用意されたストーブ列車が登場するのは同列車の風物詩だ。7.3キロ区間をおよそ25分間、表速度時速25キロでトコトコとわだちを刻むトロッコ列車。鉄橋ありトンネルあり、イロハモミジやヤマトモミジなど1000本を超すという線路際の紅葉が保津峡の景色とともに車窓を彩る。  列車は通常は1日8往復の運行。2019年12月7日にかけて沿線でライトアップが実施され、点灯に合わせた臨時列車が運行される。季節を問わず人気が高いが、紅葉時期はとりわけ混雑が予想されるので事前予約をしておきたい。乗車券(指定券)は乗車1カ月前からJR西日本のみどりの窓口やJR西日本のウェブ予約サービス「e5489」などで発売。空席状況や運行ダイヤは嵯峨野観光鉄道公式HPをチェック。  なお、紅葉の見ごろはおおむね11月中旬から12月上旬ごろ。保津川下りと合わせた周遊もおススメしたい(乗船場はトロッコ亀岡駅からバスで約15分。川下りは所要約1時間30分)。 ■絶景と鉄道名所、そしてご当地グルメ。楽しみが満載の「奥出雲おろち号」  おススメ紅葉探訪列車の3本目はちょっとエリアを変えて奥出雲へ。JR木次(きすき)線で運行されているトロッコ列車「奥出雲おろち号」も、人気を集める絶景紅葉列車だ。  木次線は山陰本線の宍道(しんじ)と広島県の北東端に近い備後落合(びんごおちあい)とを結ぶ81.9キロの非電化ローカル線。古くは山陽と山陰とを結ぶ陰陽連絡線の一端をなしていたが、現在はわずかなローカル列車が命脈を保つにすぎない閑散路線と化して久しい。とりわけ出雲横田~備後落合間で運行されている定期列車は1日3往復に留まり、山深い中国山地を縫うように進むこともあって秘境路線ともいいうるロケーションとなっているのが特徴だ。  島根・広島県境にまたがる区間では西日本屈指の豪雪地帯でもある三井野原(みいのはら)を辿り、三井野原駅はJR西日本最高地点駅(727メートル)を記録。車窓には二重ループ橋「奥出雲おろちループ」や高さ約100メートルに及ぶ三井野大橋の赤いアーチなどが現れるので、紅葉時期の展望はお見逃しなく。また、三段式スイッチバックを持つ出雲坂根駅や重厚な木造駅舎を持つ出雲横田駅などの鉄道名所にも恵まれ、鉄道ファンからの注目度が高い路線なのである。 「奥出雲おろち号」は木次線の観光列車として1998年4月にデビュー。オープンタイプのトロッコ車両をディーゼル機関車が引っ張る。冷暖房つき客車も連結されており、悪天候時などはこちらの車両に移動することもできるので、寒い日には重宝するはずだ。  また、名物の「亀嵩(かめだけ)駅そば弁当」や「トロッコそば弁当」、「スーパープレミアムアイスクリーム」など沿線の味覚も味わいたい(販売駅または車内などで販売。一部予約可能)。  通常は4~11月の金・土・日曜・祝日の運行で、紅葉期間にあたる2019年11月24日までは毎日1往復が運転される。木次~備後落合間が通常の運転区間だが、11月24日までの日曜・祝日と11月23日(土)は出雲市~木次間で延長運転を実施(備後落合行き片道のみ)。乗車には乗車券のほか指定券が必要で、指定券は乗車日1カ月前からJRのみどりの窓口や旅行代理店などで購入できる。 ○植村誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話 韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。
【Vol.02】ボン・ジョヴィも驚いた現在進行形の盆踊り。根っこにあるのは盆踊り文化に対するリスペクト
【PR】【Vol.02】ボン・ジョヴィも驚いた現在進行形の盆踊り。根っこにあるのは盆踊り文化に対するリスペクト YouTube(※)を使いながら 地域の盆踊りを活性化  2013年に始まった新しい盆踊りながら、斬新なアイデアで東京の盆踊り界でも異彩を放ってきたのが「中野駅前大盆踊り大会」だ。  まず話題となったのが、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅなど、ポップスの楽曲を盆踊りに導入した点。しかも、Perfumeのヒット曲「Baby cruising Love」には福島県の代表的な盆踊り唄である「相馬盆唄(そうまぼんうた)」の振り付けを転用するなど、盆踊りとポップスの融合を推し進めてきたのがこの盆踊りのユニークなところ。近ごろ、一部の盆踊りでは古くからの盆踊り唄のみならず、ポップスやロック、ディスコなどのダンスミュージックが導入され、伝統の更新が図られているが、「中野駅前大盆踊り大会」はその急先鋒ともいうべき盆踊りである  実行委員長を務めるのは、日本民踊鳳蝶流(にほんみんようあげはりゅう)の家元師範として各地の教室で指導を行う鳳蝶美成(あげは・びじょう)。いわば踊りのプロフェッショナルだ。1981年生まれの彼は幼少時代から盆踊りに触れてきたが、地元の盆踊りが高齢化し、活気を失いつつあることに危機感を持っていたという。ポップスの導入は、そうした盆踊りの活性化を目的とするものだったのだ。また、彼は踊りの振り付け動画をYouTube(※)にアップするなど、従来の盆踊り団体にはなかった発想でさまざまな活動を展開中。現代進行形の盆踊りカルチャーのキーパーソンともいえる人物である。 日本各地の盆踊り唄を生演奏で 堪能できるのも醍醐味のひとつ  2018年からはDJをゲストに招き、盆踊りとディスコの融合も企画。アメリカのロックバンドであるボン・ジョヴィのヒット曲「Livin’ On A Prayer」に合わせて「鹿児島おはら節」の振り付けを踊った動画がSNS上で拡散されて大きな話題を集めると、なんと本家ボン・ジョヴィがその投稿に反応するというオマケまでついた。  2019年にはキッスやクイーンの盆踊りタイムで盛り上がったうえに、歌手の高橋洋子が出演して、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のオープニング曲である「残酷な天使のテーゼ」の盆踊りバージョンを披露。さらにはDJ KOOが自身のヒット曲であるTRF「EZ DO DANCE」で会場を熱狂させた。ただし、先述のボン・ジョヴィ同様、クイーンの「Don't Stop Me Now」では河内音頭の振り付けをあてるなど、かつてPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅの楽曲で試みた成果が生かされているところがユニークだ。 「中野駅前大盆踊り大会」の土台となっているのは、盆踊りとディスコの融合企画「盆ディスコタイム」の前に用意された正統派の盆踊りタイム。ここでは日本各地のさまざまな盆踊り唄を中野区民謡連盟のプロフェッショナルな歌い手・演奏者が演奏し、それに合わせて踊ることができる。「黒石じょんから」や「ドダレバチ」といった青森県の民謡では音頭取りが唸り、三味線奏者が腕を振るう。「郡上節」(岐阜県の民謡)での生き生きとしたグルーヴもまた、生演奏ならではのものだ。  斬新なアイデアが注目されている「中野駅前大盆踊り大会」だが、根っこにあるのは盆踊り文化に対するリスペクトと愛情。まさにオールド・ミーツ・ニュー、今体験すべき盆踊りのひとつだ。 ※YouTubeはGoogle LLCの商標または登録商標です 中野駅前大盆踊り大会 毎年8月 会場:会場:中野セントラルパーク内パークアベニュー 中野駅前大盆踊り大会 https://bon-odori.net/nakano-bonodori/ 文:大石始 写真:大石慶子 本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。 このサイトの情報は、すべて2019年8月現在のものです。予告なしに変更される可能性がありますので、おでかけの際は、事前にご確認下さい。 →英語版はこちら(English version)
もの忘れの症状がない「認知症」もある? 怒りっぽくなる、マナーが守れなくなる…
もの忘れの症状がない「認知症」もある? 怒りっぽくなる、マナーが守れなくなる… 千葉大学病院・精神神経科特任助教の大石賢吾医師が、認知症、発達障害に関するあなたの悩みにおこたえします! あらゆる人間関係、組織のなかで、相談者や家族の身に起きている事態をお聞かせください。採用されたご相談は本連載で紹介します。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  認知症の特徴的な症状は、もの忘れという印象を持たれる読者も多いことでしょう。しかし、記憶の障害が目立たなくても、怒りっぽくなったり、ルールやマナーが守れなくなるなどの行動上の変化も認知症の症状の一つです。千葉大学病院精神神経科特任助教の大石賢吾医師が相談に答えます。 【40代女性Aさんからの相談】最近、実家の母と電話で話したとき「ささいなことでもお父さんがきつく当たるようになった」と相談を受けました。両親はとても仲がよく、子どものころからの記憶でもたまに小言を言うくらいで、けんかをしていた印象もありません。先日、実家に帰ってみると、いつもどおりの優しい父なのですが、確かに母には何かとイライラしてしまうようです。普段はきちんとしているのにシャツがはみ出したままで気になりました。ネットで調べていたら、年齢的にも認知症なのかもと心配しています。もの忘れの症状ははっきりしないのですが、一度診てもらったほうがよいでしょうか。 *  *  *  離れて暮らしているお父さまについて「なんか最近変なのよ」と言われたら……。いても立ってもいられない心持ちなのではないでしょうか。Aさんのお父さまが認知症かと問われると判断はできませんが、ご相談にある変化が矛盾するわけでもありません。ご家族からみて普段の様子と違うようでしたら、ぜひ一度受診して相談してみることをお勧めします。  認知症の特徴的な症状は、もの忘れという印象を持たれる読者の人も多いかもしれませんが、本コラムの第2回(2019年4月4日公開)でレビー小体型認知症に伴う幻視、第7回(2019年6月20日公開)で被害妄想について取り上げてきたように、種類や病期によって目立つ症状が異なることがあります。また、第9回(2019年7月18日公開)の薬を飲んでくれないというご相談のように、見る人の立場によって受けるストレスの大きさも違ってくるかもしれません(本人は困っていない可能性もあります)。  先述のとおり、今回ご相談いただいたケースが認知症に基づいたものであるかはわかりません。しかし、もし認知症であれば状態を確かめ、ご本人や周囲の支援者がより安心して生活できるよう対応策を備えていくことが有用かと思います。  今回は私が実際に経験した中で、ご相談にある状況とよく似た症状で受診され認知症の診断に至った症例を紹介し、別の認知症の症状や対応についてみなさんと考える機会になればと思います(他回同様に一部修正しています)。  もう3、4年が経つでしょうか。当時50代後半だったBさん(男性)は、困った様子の奥さまに連れ添われて受診されました。ご本人にお話をうかがうと「先生、私はね、私はね、私は別になんでもないんですよ。こいつ(奥さま)がああだこうだとうるさくてね」と。  一方、どうにかBさんを説得して受診にこぎ着けた奥さまは「最近は格好もちゃんとしてなくて。何度言っても直さないんです。注意するとカッとなって聞く耳持たず。もともと、こんなに口悪くいう人じゃなかったんですけど…」と話されます。  Bさんとの面接では、会話はたどたどしく、声量は大きくぶっきらぼうで、隣でお困りになっている奥さまの話は意に介していないご様子でした。また、奥さまがおっしゃるとおり、身なりも寝癖がそのままだったり着衣の乱れが目立ち、従業員を数人雇用し自営業を営んでいるという状況からは違和感を感じたのを覚えています。  さて、Bさんは最終的に認知症の診断に至ったと紹介しました。認知機能では、場所や日時など状況把握は正しくできているものの、記憶に大きな障害は認めず、集中を維持したり段取りよく取り組む作業にやや困難さを認める状態でした。 「記憶の障害も目立たないのに怒りっぽいだけで認知症なの?」と思われる読者もおられるかもしれません。そのご指摘は正しく、Bさんの場合においても慎重に評価される必要がありました。  実際に、受診の時点での状態からは、気分が上がってしまう躁状態やADHD(注意欠陥多動性障害)を含む発達障害などの見極めるべき疾患が考えられます。しかし、これらのものを否定し、最終的にBさんは前頭側頭型認知症であると判断しました。  前頭側頭型認知症は、典型的な好発年齢が45~65歳と比較的低く、男女差は認められないことが報告されています(引用1)。脳の画像検査では、Bさんの場合もそうでしたが、名前のとおり前頭葉と側頭葉に萎縮が見られることがあります。  特徴的な症状には、Aさんのご相談やBさんのケースでも見られたように、怒りっぽくなってしまうなど人格変化や、ルールやマナーを守れなくなる、同じことを言ったり繰り返したり、こだわりを持ってしまうというような行動上の変化があります。また、見たものを認識したり、周囲の人の心情に共感することに困難さが生じることもあります。  一方で、記憶は比較的保たれていることもあるため、家族など周囲の支援者から認知症として疑われないケースもあります。くわえて、ご本人は障害を自覚しにくいとされており、結果的に誤解され周囲との関係が悪化してしまうことがあるように思います。  残念ながら、前頭側頭型認知症に対する根本的な治療法は確立されていませんが、ご家族に患者本人が置かれている状況や得意・苦手な作業について理解を深めていただくことで、介護者の不安や負担を減らすことができるかもしれません。  例えば、前頭側頭型認知症の人が何かをきっかけに興奮してしまうとき、周囲にとってはささいなことに思えることでも本人にとっては大事なこだわりである可能性があります。  想像してみてください。自分が大切に思っていることがないがしろにされるとどうでしょうか。興奮してしまうことも理解できるような気がします。ただ、こだわりの内容や自分で抑えることができないことに対して理解を得るのが難しく、ときに本人と周囲の関係が難しくなる一因となってしまいます。  そのような状況であることを理解したうえで、(とくに危険を伴わない行動であれば)ある程度容認して対応したり、興奮の原因となるものがあれば、そこから注意をそらせるよう本人が没頭できるような作業を勧めてみたりという対応も有用です。  しかしながら、どうやっても周囲の支援者の疲弊が重なることもあるかもしれません。そのような場合には、デイケアやデイサービスなど、家族以外のサービスの利用を検討してもよいかもしれません。  また、薬物治療についても、前頭側頭型認知症に伴う周辺症状で、感情や衝動を抑えられなくなってしまう「脱抑制」やささいな刺激で怒りやすくなってしまう「易怒性(いどせい)」「抑うつ状態」などに対する有効性が報告されているものもあります。例としては、うつ病の治療に用いられる選択的セロトニン再取り込み阻害薬(引用2)や漢方薬(引用3)などが挙げられます。  Bさんのケースでも、ご本人と奥さまと相談し漢方薬を投与したところ、脱抑制と易怒性において一部改善が得られました。これらの薬物治療については、必ずしも全てのケースで効果が得られるわけではないこと、くわえて十分なエビデンスが得られていないことを改めて周知しておきたいと思います。  このように、Bさんの診断となった前頭側頭型認知症や以前取り上げたレビー小体型認知症のように、認知症とはいえ、必ずしももの忘れが主な症状でない場合も存在します。普段と異なる様子がありましたら、一度ご相談してみることを検討して頂ければ幸いです。 【引用文献】 【1】Olney NTら. Frontotemporal dementia. Neurol Clin. 2017 May ; 35(2): 339–374. 【2】Herrmann Nら. Serotonergic function and treatment of behavioral and psychological symptoms of frontotemporal dementia. Am J Geriatr Psychiatry. 2012 Sep;20(9):789-97. 【3】Kimura Tら. Pilot study of pharmacological treatment for frontotemporal dementia: Effect of Yokukansan on behavioral symptoms. Psychiatry Clin Neurosci. 2010 Apr;64(2):207-10.
【9/30(月)開催】『オチビサン 9巻』&『鎌倉オチビサンポ』刊行記念イベント 安野モヨコ トーク・ライブペインティング
【9/30(月)開催】『オチビサン 9巻』&『鎌倉オチビサンポ』刊行記念イベント 安野モヨコ トーク・ライブペインティング オチビサン 9巻 ※Amazonで好評発売中! 鎌倉オチビサンポ ※Amazonで予約受付中!  雑誌「AERA」で好評連載中の安野モヨコの人気マンガ『オチビサン』。 『オチビサン 9巻』(朝日新聞出版刊)、オチビサンとその仲間たちが鎌倉の花や緑の名所を案内するガイドブック『鎌倉オチビサンポ』(パイ インターナショナル刊)の発売を記念して、安野モヨコさんのトーク&ライブペインティングを開催いたします!  対談相手にライターの山内宏泰さんをお迎えし、『オチビサン』の舞台となっている鎌倉の魅力やエピソードなどをお話しいただきます。 ライブペインティングも予定してますので、お楽しみに! 【開催日時】 2019年9月30日(月) 19:30~21:00(開場19:15~) 【会場】 代官山 蔦屋書店 1号館2階 イベントスペース 【参加条件】 代官山 蔦屋書店にて、以下いずれかの対象商品をご予約・ご購入いただいたお客様がご参加いただけます。 【対象商品】 ・書籍『オチビサン 9巻』(朝日新聞出版・842円/税込)+イベント参加券(864円/税込)セット1,706円 ・書籍『鎌倉オチビサンポ』(パイ インターナショナル・1,296円/税込)+イベント参加券(864円/税込)セット2,160円 ・イベント参加券 1,400円 【ご予約・お問い合わせ】 代官山 蔦屋書店 TEL:03-3770-2525 https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/9294-1856340831.html 【定員】 60名 (著者プロフィール) 安野モヨコ(あんの・もよこ) 1971年生まれ、漫画家。1989年に別冊フレンド(講談社)よりデビュー。 1996年に発表した『ハッピー・マニア』は今までにないセンセーショナルな恋愛ストーリーに多くの女性読者が共感。続いて、『さくらん』『シュガシュガルーン』『働きマン』『オチビサン』を発表。『美人画報』や『くいいじ』などのエッセイも連載。 2008年、『オチビサン』以外の連載を休止して療養に入る。 5年後の2013年より『鼻下長紳士回顧録』の連載開始。2018年3月に完結。 ●『オチビサン 9巻』(7月5日発売)の詳細はこちら
小島慶子「痴漢レーダーに期待 痴漢を生み出す社会病理はもしかしたらあなたにも」
小島慶子「痴漢レーダーに期待 痴漢を生み出す社会病理はもしかしたらあなたにも」 小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中 8月1日、キュカが開発、発表した痴漢レーダー(https://chikanradar.qccca.com/)が注目を集めている。写真はキュカのnote(撮影/写真部・張溢文)  タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。 *  *  *  高校生のころ、夏休みの終わりは憂鬱(ゆううつ)でした。また満員電車での痴漢とのバトルが始まるのかと。30年経っても変わらぬ状況に暗澹(あんたん)たる気持ちになります。痴漢と、痴漢を作り出す社会に対する憤りは今も消えません。  このほどキュカ(QCCCA)というプラットフォームが痴漢レーダー(ChikanRadar)を立ち上げました。ユーザーはLINEを友達登録し、痴漢被害にあったら「通報する」をタップ。位置情報を伝えることで、どの駅で痴漢被害が発生しているのかを可視化する仕組みです。集まったデータをもとに、鉄道会社や警察に働きかけて、警備強化や監視カメラ設置などを求めていくそうです。画期的な取り組みとして期待が集まっています。  痴漢行為は必ずしも性衝動が原因ではなく、支配欲が動機とも言われます。強いストレスにさらされた男性が痴漢行為をやめられなくなる、依存症としての面があるというのです。『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)を書いた精神保健福祉士の斉藤章佳さんは、痴漢は男性優位社会の病理の表れだといいます。根底には“男らしさ”の呪縛や「女性は男性の“性”を受け入れなければならない」という男尊女卑的な社会通念があるのだと。斉藤さんは私の対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)の中で「日本は“男尊女卑依存症社会”だ」と述べました。男尊女卑は男も女もむしばむ構造なのに、みんなやめたくてもやめられなくなっているのだという指摘には、思わず膝を打ちました。  痴漢をなくすには、データで被害を可視化して対策を進めるのと同時に、根深い女性差別、女性嫌悪を取り除くことが重要です。またそんな被害妄想を……と思ったあなたが男性でも女性でも、心の中には痴漢を育む土壌があるかもしれないのです。 ※AERA 2019年9月2日号
「駅で困っている外国人」を見かけたら…乗り鉄なら“わかる”やさしい英会話 
「駅で困っている外国人」を見かけたら…乗り鉄なら“わかる”やさしい英会話  (写真はイメージ/Gettyimages)  訪日観光客の増加もあり、駅構内で外国人を見かけることが多くなった。とくに路線が交錯して列車種別も多い首都圏や関西圏では、どの列車に乗っていいのか迷っている外国人も目につく。2020年には東京オリンピック・パラリンピックを控えており、日本の鉄道に乗りなれない外国人はますます増えそうだ。そこで、外国人に乗り方を訪ねられたり、あるいは積極的に案内してあげたりする場面に遭遇したときに使える、簡単な英語をマスターしよう。  ちなみに、前回の「駅で使いたい英会話(1)」では、「乗りたい列車の案内」などについて紹介した。こちらも参照してみよう。  さて、東京や大阪など大都会のターミナル駅には、JRのみならず私鉄の駅もあり、慣れない外国人はまごつきやすい。今回はまず、新宿駅での例を取り上げる。 *  *  * ■新宿駅できっぷ売り場へと案内しよう 例)JR新宿駅で、箱根行きのきっぷ売り場について教えてみる。 “I would like to go to Hakone by train. Where can I get a ticket?” 「箱根へ行きたいのですが、どこできっぷが買えますか?」  自動券売機を使いこなすのは難しいと思われるので、あえて旅行センターを紹介してみよう。「Odakyu Sightseeing Service Center」という英文表記もあるので、そのまま伝えればよい。また、ロマンスカーというのは小田急特急の固有名詞なので、「ロマンスカーという名前の特急」と、説明的に表現したほうが伝わりやすい。 “This is JR Shinjuku Station. Please go to Odakyu Shinjuku Station.” 「ここはJR新宿駅なので、小田急線の新宿駅へ行ってください」 “We have Odakyu Sightseeing Service Centers at Shinjuku Station West Gate or South Gate.” 「小田急線の旅行センターが新宿駅の西口と南口にありますよ」 “There you can get a ticket for express named Romancecar.” 「そこで特急ロマンスカーの特急券を買うことができます」 「ジャパン・レ-ル・パス」は、訪日外国人向けのJR全線乗り放題パスである。「のぞみ」「みずほ」以外の新幹線や特急にも無制限に乗れるので、私鉄を避けてジャパン・レール・パスを使いたいという外国人はかなりいるようだ。 “Can I take Odakyu Line by Japan Rail Pass?” 「ジャパン・レール・パスで小田急線に乗れますか?」 “No, you have to buy a ticket for Odakyu line.” 「いいえ、小田急線のきっぷを買わなければなりません」 “Can I go to Hakone by JR Line?” 「JR線で箱根に行くことはできますか?」 “You can go to Odawara by JR Line. But at Odawara you can change trains to Hakone Tozan Railway.” 「小田原までは行けますが、そこで箱根登山鉄道に乗り換えなくてはなりません」 “That railway is not JR Line, so you can buy a ticket at Odawara Station.” 「箱根登山鉄道はJR線ではありませんから、乗車券を小田原駅で買ってください」 “If you use your Japan Rail Pass, go to Tokyo Station and take Tokaido Shinkansen Kodama Super Express and get off at Odawara Station.” 「ジャパン・レール・パスなら、東京駅に出て東海道新幹線『こだま』で小田原で降ります」 「列車を乗り換える」は「change trains」。新幹線は今や国際語なので「Shinkansen」のままでよい。「こだま」でも「ひかり」「のぞみ」でも「Super Express」と表記している。新幹線を使って箱根に行くなら、東京駅から東海道新幹線「こだま」に乗って小田原まで行って、箱根登山鉄道に乗り換えるよう伝える。  小田原に停車する「ひかり」もあるけれど、「ひかり」の停車駅は複雑なので、乗り間違いを防ぐため、あえて「こだま」に乗るように伝えた方が無難であろう。  ほかにも、駅から歩いて行ける観光スポットの案内の事例を見ておこう。  上野公園には動物園や美術館、博物館、それにコンサートホールの東京文化会館や奏楽堂といった文化施設が数多く点在するため、目的の施設を探している外国人の姿を近辺の改札付近でよく見かける。ぜひ積極的に声をかけて案内してみよう。上野駅構内の場合、公園口は「Park Gate」などと直訳するとかえって混乱するので、そのまま「Koenguchi」として、出口の意味である「Exit」をつけたほうが分かりやすい。 “Excuse me, but how can I get to Ueno Zoo?” 「すみません、上野動物園への行き方を教えてください」 “You will go out of Koenguchi Exit and go straight west.” 「公園口を出て、まっすぐ西に歩けばいいですよ」 “How about Tokyo National Museum?” 「東京国立博物館はどうでしょう?」 “You will also go out of Koenguchi Exit and go straight west. At the second corner turn right. You can see a big fountain and behind it you can find Tokyo National Museum.” 「同じく公園口を出て、まっすぐ西へ向かい、二つ目の角を右に曲がります。大きな噴水が見えますので、その背後にある建物が東京国立博物館となります」 「角」は「corner」で「二つ目の角」は「the second corner」。「右折」は「turn right」で、左折は「turn left」。目印があれば、それも伝えておきたい。ここでは大きな噴水が目印なので、「You can see a big fountain」。「~がある」は、「There is(are)~」と直訳しそうだが、「You can see~」のほうが自然な表現だ。  また、ここ数年は東京ばかりではなく、地方の観光地にも数多くの外国人が訪れるようになった。例えば、姫路駅にて。 “Excuse me, can you tell me the way to Himeji Castle?” 「すみません、姫路城への行き方を教えてください」 “Go straight north along the wide street.” 「広い通り沿いをまっすぐ北に進んでください」 “How long does it take from here?” 「どれくらいかかりますか?」 “It takes about 20 minutes on foot. You can take a taxi if you hurry.” 「歩いて20分くらいです。急ぐならタクシーを使いましょう」 「かかる」は「It takes(時間)」と覚えておこう。「徒歩で」は「on foot」あるいは「if you can walk」。乗り物を使うなら「by bus」「by train」「by taxi」のように「by」を使う。  もちろん、地図があれば経路を指で示すと分かりやすい。言葉と組み合わせて教えてあげるとより親切だ。 ○プロフィール 野田 隆(のだ・たかし)/1952年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大大学院法学研究科修了。長年、都立高校で英語を教えていたが、2010年に早期退職後、旅行作家として活動。おもに国内外の鉄道紀行を手掛ける。著書に『シニア鉄道旅のすすめ』(平凡社新書)、『テツ道のすゝめ』(中日新聞社)など多数。8月末に『今すぐ出かけたくなる魅惑の鉄道旅』(産業編集センター)を刊行予定。
酒は「百薬の長」か「万病の元」か。がん、肝硬変、認知症…感染症医がデータで読み解く
酒は「百薬の長」か「万病の元」か。がん、肝硬変、認知症…感染症医がデータで読み解く 岩田健太郎(いわた・けんたろう)/1971年、島根県生まれ。島根医科大学(現島根大学)卒業。神戸大学医学研究科感染治療学分野教授、神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長。沖縄、米国、中国などでの勤務を経て現職。専門は感染症など。微生物から派生して発酵、さらにはワインへ、というのはただの言い訳なワイン・ラバー。日本ソムリエ協会認定シニア・ワインエキスパート。共著に『もやしもんと感染症屋の気になる菌辞典』、『ワインは毒か、薬か。』など アルコールは心臓にも影響を与える。心筋症という心臓の筋肉にダメージを与える病気を起こしたり、その結果不整脈になったりもする。不整脈の患者さんを見ていてアルコール多飲があるとき、お酒を止めると不整脈も治ることはしばしばある(写真:Getty Images)  感染症は微生物が起こす病気である。そして、ワインや日本酒などのアルコールは、微生物が発酵によって作り出す飲み物である。両者の共通項は、とても多いのだ。  感染症を専門とする医師であり、健康に関するプロであると同時に、日本ソムリエ協会認定のシニア・ワイン・エキスパートでもある岩田健太郎先生が「ワインと健康の関係」について解説したこの連載が本になりました!『ワインは毒か、薬か。』(朝日新聞出版)カバーは『もやしもん』で大人気の漫画家、石川雅之先生の書き下ろしで、4Pの漫画も収録しています。 *  *  * 「酒は百薬の長」とよく言われる。しかし、「酒は万病の元」とも言われる。いったい、どっちが正しいのだろう。  これについて「適度な飲酒」は健康によく、「過度な飲酒」は健康によくないというのが定説だ。  最近、ベストセラーになった葉石かおり氏の『酒好き医師が教える最高の飲み方』(日経BP社)も「ザックリ」言えばそういう結論を出している。この本は医師が監修しており、多くの医学者のインタビューから構成されているため概ね正しい情報が記載されている。 「トンデモ」が多い健康本の中ではわりとましな本だ。  ただし、日本酒を飲んでいる東日本では肝がんが少ない、のような誤った情報も混じっている(実際には西日本のほうが肝炎ウイルス感染が多いためだ。https://dot.asahi.com/wa/2015091000065.html)。「酒好き」医師の意見をまとめただけあって、総じて飲酒リスクのデータの解釈があまめなのも問題だ。  ま、それは置いておいて。とりあえず、ここでも飲酒と健康についてデータをまとめておこう。 ■アルコールの過重摂取は肝臓の病気や膵臓の病気と関連  アルコールがたくさんの健康被害の原因になっていることは皆さんよくご存知のことだろう。まず、アルコールの大量飲酒はアルコール中毒(alcohol intoxication)の原因になる。平たくいうと「酔っ払いすぎ」の状態だ。  さて、アルコールを常習してしまう状態がアルコール依存(alcohol dependency)だ。日本語で属に「アル中」と呼ばれるのはこの状態だが、前述のintoxicationと紛らわしいから、使わないほうがよいだろう。日本語で「中毒」というときに、大量摂取と依存性がごちゃごちゃになっている。両者は分けて考える必要がある。  そのため、ぼくの意見では、「中毒」という言葉はまぎらわしいので使わないほうがよい。最近ではアルコール摂取障害(alcohol use disorder)という呼称も使われているようだ。こっちのほうがいいのかもしれない。  また、アルコールの過量摂取は肝炎、肝硬変、肝がんといった肝臓の病気、膵炎といった膵臓の病気と関連していることもよく知られている。なお、アルコールは肝炎、と肝臓がん両方を増やすが、膵炎は増やしても膵臓がんがアルコール摂取で増えるというデータは乏しい(ただし、過料飲酒が膵臓がんを増やすかも、という研究はある)。  この研究ではワインやビールの飲み過ぎが膵臓がん増加に寄与するが、蒸留酒は関係ない、というものだった。直感的には逆な気がする。不思議だ(Partanen TJ et al. Cancer Lett. 1997 Jun 3;116(1):27–32)。また、肝臓がんは肝硬変の結果起きている可能性もあり、肝硬変のない方がアルコールで肝臓がんのリスクが増えるかははっきりしていない。  アルコールは心臓にも影響を与える。心筋症という心臓の筋肉にダメージを与える病気を起こしたり、その結果不整脈になったりもする。不整脈の患者さんを見ていてアルコール多飲があるとき、お酒を止めると不整脈も治ることはしばしばある。  アルコールはさまざまながんの原因にもなる。本書の冒頭で胆管がんはアルコールが原因にはならないだろう、という話をした。胆管がんは比較的まれながんで、もっと頻度の多いがんなどが、しばしばアルコールがリスクになる。 ■アルコールの多飲は乳がんや神経障害も発症  たとえば、乳がんのリスクが高まる。とくに女性では少量の飲酒でも乳がんリスクは高い(Bagnardi V et al. Ann Oncol. 2013 Feb;24(2):301–8)。とくにホルモン療法を受けている方だと、アルコールはさらにリスクを高める(Chen WY et al. Ann Intern Med. 2002 Nov 19;137(10):798–804)。ほかにも口から喉にかけての、いわゆる「耳鼻科系のがん」はアルコール摂取がリスクになる。食道がんもアルコールがリスクだ(Thun MJ et al. N Engl J Med. 1997 Dec 11;337(24):1705–14)。    また、アルコール多飲はさまざまな神経障害も起こす。アルツハイマー病などの認知症も増えるという意見もあるが、逆に飲酒によってアルツハイマー病が減るというデータもあり、見解の一致を得ていない(Charness ME. Alcohol Clin Exp Res. 1993 Feb;17(1):2–11.1、Huang W-J et al. Exp Ther Med. 2016 Sep;12(3):1247–50)。  また、最近の研究では「適量の」アルコール飲酒も長期的には脳の海馬(記憶の拠り所とされる)の萎縮や朗読の滑らかさの減退に関係していた(Topiwala A, Allan CL, Valkanova V, Zsoldos E, Filippini N, Sexton C, et al. Moderate alcohol consumption as risk factor for adverse brain outcomes and cognitive decline: longitudinal cohort study. BMJ. 2017 Jun 6;357:j2353)。  もっとも、この研究では少量飲酒者も大量飲酒者も認知能力の低下のスピードには差がなかったという意外な結果も示している(非飲酒者が一番低下のスピードが低い)。  飲酒と喫煙は深く関わっている。飲酒者が喫煙をしているとリスクはずっと増える。なお、食道がんには扁平上皮癌と腺癌という2つのタイプのがんがあるが、飲酒で増えるのは前者のみと言われている(Pandeya N et al. Gastroenterology. 2009 Apr;136(4):1215–24, e1-2)。  もっとも、後者についてはワインの場合は減るかもしれないことが示唆されている(後述)。  アルコールは目にも影響を与える。いろいろな研究データを統合したメタ分析によると、大量アルコール摂取は白内障発症のリスクを増すという。ただし、喫煙という交絡因子を調整するとそのリスクはやや下がるとか。  適度な飲酒であれば白内障のリスクが下がる(かも)、というデータになっている(Gong Yet al. Optom Vis Sci. 2015 Apr;92(4):471–9)。同様に、大量アルコール摂取は加齢性黄斑変性症のリスクを高めるというメタ分析もある(Chong EW-T et al. Am J Ophthalmol. 2008 Apr;145(4):707–15)。  妊婦がアルコールを摂取すると子どもに悪影響があることが昔からいわれている。しかし、1日10g未満程度の飲酒であれば生まれた子どもの健康には悪影響はないかも、という研究も発表されている(Patra J et al. BJOG. 2011 Nov;118(12):1411–21)。妊娠中、ときに記念のワイン1杯位は、問題ない。ここでも極端なのはよくない。過度に罪悪感を抱きすぎないほうがよいだろう。  アルコールは他にもいろいろな健康問題、社会問題と関係している。けが、暴力、事故、自殺、その他の社会的な迷惑行為だ。こんなわけで、アルコール摂取は多種多様な健康問題の原因になっている。酔ったときの他人への迷惑も考えると、たばこと比肩できるほどの健康被害が懸念される。  実際、たばこよりもアルコールのほうが健康には悪いのではないかという意見もある(Alcohol is worse than cigarettes. The Guardian Internet. 2009 Oct 19 cited 2016 Oct 25; Available from: https://www.theguardian.com/commentisfree/2009/oct/19/alcohol-worse-than-cigarettes)。  ぼく自身はこの「たばことアルコールはどっちがより悪いか」という問題についてはたぶん、どっこいどっこいだと思っている。微細な差はあるのかもしれないけれど、そんな「比較」は不毛な議論だとすら思う。健康への悪影響がある点、社会的に問題がある点においてはどちらも変わりがないか、大きな違いはない。  ただ、喫煙と喫煙者にはものすごく辛辣で厳しく非難するくせに、自分の飲酒には恐ろしく甘い医療者はわりと多い。そういうのはおかしい、とぼくはいつも思っている。それって二重規範、ダブルスタンダードではなかろうか。  世界保健機関(WHO)は、毎年およそ600万人の命がたばこによって、250万人の命がアルコールによって失われていると説明している(http://drugfree.org/learn/drug-and-alcohol-news/who-report-smoking-and-drinking-cause-millions-of-deaths-worldwide/)。  600万と250万だから、後者を看過して良いのだろうか。そういう議論ではないだろう。健康ハザードは価値中立的に、自分の主観や嗜好を抜きにして議論すべきだ。一般に、日本の医者はしばしば酒に甘く、たばこに厳しい。非科学的なまでに。これは好ましい態度ではないとぼくは思う。
「乗り鉄旅行作家」が指南 駅で困っている外国人にはこう伝えよう
「乗り鉄旅行作家」が指南 駅で困っている外国人にはこう伝えよう 互いに余裕があれば、構内図などで案内してあげるのもいいだろう(C)朝日新聞社  訪日観光客の増加もあって、駅構内で外国人を見かけることが多くなった。とくに路線が交錯し、列車種別も多い首都圏や関西圏では、どの列車に乗っていいのか迷っている外国人も目につく。2020年には東京オリンピック・パラリンピックを控えているので、日本の鉄道に乗りなれない外国人はますます増えそうだ。そこで、外国人に乗り方を訪ねられたり、あるいは積極的に案内してあげたりする場面に遭遇したときの簡単な英語を伝授できればと思う。 *  *  * ■「乗る列車」を訪ねられたら? 例)御茶ノ水駅で、外国人観光客に水道橋への行き方を訪ねられたら……? “I would like to go to Suidobashi, Which train shall I take?” 「水道橋に行きたいのですが、どの電車に乗ればいいのですか?」  この場合は、下記のように答えると、乗り間違いも防げて分かりやすいだろう。 “You will take the local train bound for Nakano. The train with yellow stripe. “You must not take the rapid service with red stripe.” 「中野行き各駅停車に乗ってください。黄色い帯の電車です。赤い帯の快速電車には乗らないでください。」  列車や電車の行き先は「bound for Nakano」(中野行き)のように「bound for」を使うのが通例だ。Boundを略して「for~」といっても通じるけれど、「to~」は不可。英語の小噺で「to Boston」と言ったら切符が2枚出てきたので、そうか、toではなくてforだったと気づき「for Boston」と言い直したら今度は4枚でてきて焦った。困ってしまい、日本語で「えーと、えーと」とつぶやいていたら8枚出てきた、というものがある。どこまで本当の話かは不確かだが「I will take the train bound for Boston.」と言えば確実であろう。  ところで、各駅停車のことは「Local Train」という。人口希薄なへき地を走るいわゆる「ローカル線」ではなく、首都圏の通勤電車も、快速の「Rapid Service」に対して「Local Service」「Local Train」という。もともとローカルには田舎の意味はなく「(全体に対して)地域の」という意味だから、地域密着型の各駅停車が「Local Train」なのである。 例)横浜駅で、外国人観光客に特急「踊り子」の停車駅を訪ねられたら……? A: “Is this train bound for Atami? ” B:“Yes, this is the Odoriko Express bound for Izukyu-Shimoda. This train stops at Ofuna, Odawara,Yugawara and Atami. Bye the way, do you know you have to pay the extra fare? ” A:“I have the Japan Railpass. ” B:“Oh, no problem! A:「この列車は熱海に行きますか?」 B:「はい、伊豆急下田行きの特急踊り子です。大船、小田原、湯河原、熱海に停まります。ところで、特急券が要るのをご存じですか?」 A:「ジャパンレールパスを持っているのですが」 B:「ああ、それなら問題ないですね」  この場合「ticket for express train」あたりが直訳であるが、乗車券に加えて、特別料金が要るということを解説する意味で「the extra fare」としたほうがわかりやすいだろう。  ここでは、特急「踊り子」号を「Express」と表現した。日本では「Limited Express」と表示することが多いが、英語では特急と急行の違いは明確ではなく、停車駅の少ない優等列車のことは、すべて「Express」で十分なのである。その昔、Orient Express(オリエント急行※ヨーロッパを走った国際長距離特急)と聞いて、特急ではないから大した列車ではなさそうだな、と思った日本人がいたそうだが、とんでもない誤解である。  最近では、国内の特急列車でもNarita Express とかSunrise Expressなどの愛称もあり、あえて直訳風に「Limited Express」と言わなくなっている。急行がJRの定期列車から消えてしまったこともあり、日本特有の直訳英語から、より一般的な英語のExpressに移り変わりつつあるのも、時代の流れなのだ。  なお、国内の列車には特急をはじめ、急行、準急、快速、通勤快速、区間快速、準特急など多種多様な種別があって混乱しそうだ。鉄道会社それぞれが独自に英語表記を定めていて「Semi Superexpress(準特急)」「Section Semi Express(区間準急)」など直訳風の呼称が乱立気味だがこれはなかなか理解をしてもらえない。やはり相手の停車駅を確認したうえで、停車ホームなどとあわせて説明した方が無難だ。(文/野田 隆) ○野田 隆(のだ・たかし)1952年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修了。長年、都立高校で英語を教えていたが、2010年に早期退職後、旅行作家として活動。おもに国内外の鉄道紀行を手掛ける。著書に『シニア鉄道旅のすすめ』(平凡社新書)『テツ道のすゝめ』(中日新聞社)など多数。8月末に『今すぐ出かけたくなる魅惑の鉄道旅』(産業編集センター)刊行予定。
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窪田正孝が語ったカンヌ映画祭でのテンション「欲が芽生えました」
窪田正孝が語ったカンヌ映画祭でのテンション「欲が芽生えました」 『初恋』でカンヌ入りを果たした三池崇史監督(左)と窪田正孝(C)yukotakano グッと男らしくなった窪田正孝(c)yukotakano  カンヌ映画祭は2年ぶり、上映作は7本目という三池崇史監督が、今年も南仏カンヌの土を踏んだ。新作『初恋』の監督週間での上映の機会と合わせ、現地で新作発表会も行われた。同行したのは近年、演技力をめきめきとつけ、あちこちからひっぱりだこの窪田正孝だ。そして共演者であり、オーディションで3000人の中から抜擢された新人の小西桜子。 「カンヌという映画の聖地に三池監督から連れてきてもらい、感無量です。この映画はスピード感が凄くて、観客の目を惹きつける力があり、自分自身も熱くなるものがありました。世界中の人に見てもらいたいと思います。カンヌは空気が違って、映画ファンも世界各国のメディアもたくさんいて、気分がいいです。テンションがあがります!」  こう元気に語った窪田。三池監督とは2009年『ケータイ捜査官7』以来、10年ぶりの主演となる。カンヌで上映された『13人の刺客』にも出演した。 「国民的スター窪田が主演をやってくださって、いいやつだな、と(笑)。彼とは『ケータイ捜査官7』で出会った。ハードなスケジュールの中、カンヌに駆けつけてくれて非常に嬉しいし、やっぱり“映画の人間”なんだと思った」  こう三池監督も語った。 「三池監督とは右も左もかわらない時にお会いしたんですが、第一印象は、すごく怖い人(笑)1年間もんでいただいて、指導というよりは現場で感じさせていただいた。『十三人の刺客』の時も、先輩方の背中を見ながら、葛藤しながら、もっと頑張りたいと思っていました。『ケータイ捜査官7』の時、“あいつを選んだ理由がわかる”と言ってくれたのがすごい印象に残っています。ずっとやりたかったボクサー役で、三池監督が言ってくださった10年後にまた、三池さんの世界に没頭できたことは幸せでした。映画やTVに出させていただいている中で演者としてフラストレーションが溜まることが、役者さんは誰しももっているかと思うのですが(笑)、今回そういった感情がみんなこの作品を通して爆発していて…。観ていただいたらわかると思います。日本の映画はこうあるべきだと思うし、こういう生き方をしたいと思いました」(窪田)   初のカンヌについては、こう興奮気味に語った。 「街並みが日本と違うので、それだけでも高揚するものがあります。道を歩いていたら大きい看板があって、あの有名なレッドカーペットがあって…。去年の冬、みんなで暖を取りながら、カーアクションシーンなどをずっと撮影していて、没頭していたのを思い出しました。頑張って作り上げたものが、こうやって海を越えてきたのが純粋に嬉しいです。カンヌというこの地に来れたことで、役者として一つの形をもらった気がしました。正直、ヴェネツィア国際映画祭やベルリン国際映画祭など、自分とは全然縁のないものだと思っていました。いつかそこに立つというイメージが全然なかったので…でも、もっとここからやってみたいという欲が芽生えました。自分が生きている幅が、自分の中の可能性が、少し広がったように感じます。日本という場所でドラマや映画に出演して生きていきたいと決めてからは、しがみついている感覚があったのですが、その幅を大きくしてくれたように思いますし、自分の出演する作品がまた海を越える可能性もあるのかもしれない、という感覚になりました。映画やドラマをやらせていただいていますが、純粋に映画が好きだと再確認できました」  また三池監督はカンヌの観客の反応についてこう分析した。 「カンヌの観客がビビッドに反応していました。役者が目指していたものを感じてくれた。なぜヤクザ映画で笑いが起きるんだと思う人もいるかもしれないけど、エンタメだから楽しんでもらえたのが素直に嬉しいし、役者の演技やキャラクターが届いてるということだと思う。観客の受け取り方が多少ずれているのもそれはそれで面白い。監督と役者では読む解釈が違うし、それは観客も同じ。集団で同じ空間でみることでそのズレを感じられるし、それを楽しんでくれる。監督週間に足を運んでくれる人には、そうゆう人が多いと思います」 さすがカンヌ7本目の監督ならではの発言だ。『初恋』は2020年日本公開予定。(=カンヌ/高野裕子) ※週刊朝日オンライン限定記事
雑誌の世界観をウェブに持ち込む 『BRUTUS』と『ぴあ』の新たな挑戦
雑誌の世界観をウェブに持ち込む 『BRUTUS』と『ぴあ』の新たな挑戦 (写真:BOOKSTAND)  3月12日、下北沢の「本屋B&B」でトークイベント「『BRUTUS』と『ぴあ』がデジタルで目指す世界とは?」が開催され、『BRUTUS』編集長の西田善太さん、『ぴあ』(アプリ)編集長の岡政人さん、博報堂ケトル代表で本屋B&B開業者のひとり、嶋浩一郎さんが登壇しました。  同イベントでは、両媒体が2018年11月にデジタル版のサービスを開始したことを受け、「二つの雑誌ブランドが、デジタル世界でどんな人と情報の出会いをつくりだすのか?」を問うトークが展開されました。  嶋さんが前提として提示していたのは、ウェブメディアで世界観を構築することの難しさ。「ウェブはひとつひとつの記事のPVが高いと評価されて、全体として世界観を作ったことが評価されることがあんまりないんですよね」と語ります。 「雑誌って1つの世界観があるじゃないですか。これは西田さんがよく言うんですけど、雑誌っていうのは限られたスペースの中で情報をセレクトしなきゃいけないから、どんな情報を選ぶかっていう視点が重要で、そこにファンがつく。その雑誌ならではの人格や文脈ができるわけですよね」(嶋)  嶋さんは続けて「(両媒体は)雑誌の世界観を体現してデジタルコンテンツを作っている」と分析。それでは『BRUTUS』と『ぴあ』はどのような考えを持って、雑誌の世界観をウェブに持ち込もうと試みたのでしょうか。  『BRUTUS』は今でも雑誌媒体を持ちつつ、ウェブ媒体として『BRUTUS.jp』をスタートさせました。西田さんは「『BRUTUS』は特集のメディア」と位置付けたうえで、ウェブコンテンツを作る際にも「ニュースサイトにはしたくなかった」と語ります。  「インターネットの本質はリンク構造にある」と西田さん。『BRUTUS.jp』では、BRUTUSの特集や定例記事をひとつひとつデジタルに最適化しながらアーカイブ。その記事を数多くのキーワードでつなぐことで、自分だけの"読み方""飛び方"、思いもよらない情報の連鎖を楽しめる仕組みになっています。数年後にも見つけてもらえる、コンテンツを再利用できるところがウェブの強みだと考えているのだそう。雑誌のアーカイブでは何号分も購入し保管しなければならなかったのが、ウェブ媒体ならスマートフォン1台で可能になるからです。現在は過去5年分、100冊のBRUTUS記事がアーカイブされ、これからの特集はもちろん、過去の号もさかのぼってアーカイブされていく予定です。  一方の『ぴあ』は、雑誌媒体を2011年7月に休刊。その直後からアプリプロジェクトを始動させていたそうです。「雑誌だと、1ページ開くと新宿の映画情報の一覧がある横で、当時だと渋谷とかが載っていたのかな」と嶋さんは振り返ります。岡さんも「雑誌だと1冊で1週間分の情報をぱらぱらとページをめくれば一瞬で俯瞰できるけど、ネットでは(同じことは)絶対にできない」と語っていました。  そのような雑誌の世界観をアプリでなら表現できると考えたのだそうです。「10個くらいのアプリを1個にしているのに近い」と岡さんが話す通り、『ぴあ』(アプリ)では映画の情報を作品、会場をインデックスしており、ステージや音楽などにカテゴリを切り替えると、映画と同じようにインデックスが使えるようになっています。雑誌を捲るのと同じ感覚で使えるようにと試行錯誤して独自に生み出した「チャンネル」UIについては、特許出願中だとか。  また『ぴあ』はアプリで復刊したのではなく、「エンターテインメントの一次情報をきっかけに、人がリアルな場所に集まることで出会いや感動が生まれる&広まる」という「本質的価値」を踏襲した新しいサービスとしてスタートさせたそうです。  『BRUTUS』と『ぴあ』はこのようにしてウェブコンテンツに雑誌の世界観を持ち込みました。両媒体とも読者が自分で情報を発見できる方法を提示しているという特徴があります。  嶋さんが開業した「本屋B&B」では、コンセプトとして本との「偶然の出会い」を大きく掲げています。両媒体と同じく情報を提供する立場として、「自分の好きなことを自分で見つける」ことの大切さを語っていました。「好奇心を人任せにしない」と西田さんもそれに同意。  3人は共通して情報を見つける場を作っています。検索することは発見ではなく確認でしかない、検索することで知識が減る、と意見をぶつけ合い、欲しかった情報の横に偶然あった情報と出会うことの重要性を話していました。  最後に嶋さんは両媒体の今後やりたいことを尋ねました。西田さんは「コアな情報を発信する媒体としての枠を『BRUTUS』で守っていきたい。デジタルで場を得たのは楽しいこと。面白い人が20代、30代にいるので、そういう人を『BRUTUS.jp』でピックして、本誌にも役立てていきたいです」。  また岡さんは、今回のイベントが『ぴあ』では実は取り上げられていないことを例に、「大小問わず、人が集まる場の情報と熱量をネットで可視化できたら理想。このリアルな場に集まった、この空間、感動とか出会いを時間と場所で可視化したい。それをやっていくのが『ぴあ』だと思う。」と話していました。  同イベントはチケットが完売し、出版社で働く人や両媒体のファンなど、会場いっぱいの参加者で大盛況のうちに終了しました。読者がウェブ上の情報をどのように扱っていくか、自分で発見し体験することの重要性を問うトークにもなり、それを助ける媒体として『BRUTUS』と『ぴあ』の取り組みが見えるイベントになりました。 ■関連リンク ・本屋B&B http://bookandbeer.com/ ・BRUTUS.jp https://brutus.jp/ ・ぴあ(アプリ) https://lp.p.pia.jp/
第44回「木村伊兵衛写真賞」は岩根愛さんに決定!
第44回「木村伊兵衛写真賞」は岩根愛さんに決定! 岩根愛『KIPUKA』から  第44回(2018年度)「木村伊兵衛写真賞」(主催:朝日新聞社、朝日新聞出版/特別協賛:ニコンイメージングジャパン)の受賞者が岩根愛さんに決まりました。対象作は写真集『KIPUKA』および展示「FUKUSHIMA ONDO」です。選考の詳細は3月20日発売の「アサヒカメラ2019年4月号」で紹介します。特別別冊付録(36ページ)にて、作品を掲載するほか、本人のインタビューや今回の選考過程についてもお伝えします。 第44回(2018年度)「木村伊兵衛写真賞」 ○受賞者 岩根 愛(いわね・あい) ○対象作 写真集『KIPUKA』(青幻舎)/展示「FUKUSHIMA ONDO」(Kanzan Gallery) 受賞した岩根愛さん <受賞者プロフィール> 岩根愛(いわね・あい)/東京都生まれ。1991年単身渡米、ペトロリアハイスクールに留学。オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。帰国後、アシスタントを経て96年に独立。雑誌媒体、音楽関連等の仕事をしながら、世界の特殊なコミュニティーでの取材に取り組む。2006年以降、ハワイにおける日系文化に注視し、13年から福島県三春町にも拠点を構え、移民を通じたハワイと福島の関連をテーマに制作を続ける。18年、初の作品集『KIPUKA』(青幻舎)を上梓。 ※第44回(2018年度)木村伊兵衛写真賞選考の詳細は、3月20日に発売される「アサヒカメラ2019年4月号」で紹介します。特別別冊付録(36ページ)にて、作品を掲載するほか、本人のインタビューや今回の選考過程についてもお伝えします。 岩根愛『KIPUKA』から ■「木村伊兵衛写真賞」とは  故・木村伊兵衛氏の業績を記念して1975年に創設され、各年にすぐれた作品を発表した新人写真家を対象としています。選考にあたっては、写真関係者の方々からアンケートによって候補者を推薦していただき、選考委員会で受賞者を決定しました。選考委員は、石内 都、鈴木理策、ホンマタカシの写真家3氏と、作家の平野啓一郎氏です。 ■授賞式と受賞作品展  授賞式は4月24日(水)午後6時半から、東京・一ツ橋の如水会館で行い、受賞者には賞状、賞牌、および賞金100万円を贈ります。また、受賞作品展を4月23日~5月2日、東京・新宿のニコンプラザ新宿 THE GALLERY 1で、6月13日~19日、ニコンプラザ大阪 THE GALLERYで開催します。 岩根愛『KIPUKA』から ■「選考にあたって」(アサヒカメラ編集長 佐々木広人)  第44回木村伊兵衛写真賞は岩根愛さんの『KIPUKA』に決定しました。 毎回、1次選考会と最終選考会の前に、推薦人に推挙していただきますが、岩根さんを推す数はその時点で最多でした。つまり、今回は「大本命」が受賞したことになります。  こう記すと、選考があっさり終わったと勘違いされそうですが、推薦から最終選考までの過程では、現代の写真表現をめぐる課題、在りようなどがさまざまに語られました。  いまや1秒間に25万枚の写真が撮影されていると言われています。大した知識がなくてもデジタルカメラを使うだけでそれなりの画像が撮影でき、現像知識がなくても編集用のソフトやアプリの使い方を知っていれば画像はいかようにでも加工できます。交通網と通信網の発達で、かつては秘境だった異国の地でさえ「近場」になってしまいました。もはや「ただ撮る」だけでは不十分ですが、「プラスα」があっても必ずしも評価されるとは限らないのです。  そんな困難な時代の写真表現とは何なのか。写真家たちに課された問いは難解です。しかし、そんな時代で最高の評価を受けるということは、とてつもない偉業だとも思うのです。
西川貴教が語るいくつもの顔「孤高の存在になるのは分不相応でした」
西川貴教が語るいくつもの顔「孤高の存在になるのは分不相応でした」 西川貴教名義のファーストアルバム『SINGularity(シンギュラリティ)』(EPICレコード・ジャパン)。テレビアニメ『Fate/EXTRA Last encore』のオープニングテーマ「Bright Burning Shout」や『映画刀剣乱舞』の主題歌で布袋寅泰が楽曲提供した「UNBROKEN(feat.布袋寅泰)」など13曲収録。初回限定盤は12曲収録のCDに「UNBROKEN(feat.布袋寅泰)」などを収録したDVD付き 4月13日から「Takanori Nishikawa LIVE TOUR001 [SINGularity]」がスタート。全国7都市13公演予定。「イナズマロックフェス」は9月21日と22日に滋賀県草津市烏丸半島芝生広場で開催http://www.takanorinishikawa.com  ソロプロジェクト、T.M.Revolutionとして22年活動してきた西川貴教が、本名名義でのファーストアルバム『SINGularity(シンギュラリティ)』をリリースした。 「いわゆる“屋号”ではなく本名で歌を届けたい――。デビュー15周年を迎えた2011年ごろから、漠然と思っていました。その想いが強くなったのは2017年です。8月に僕をずっと応援してくれていた母が亡くなり、親から貰った名前で自分を表現したい、親から貰った名前をもっと知ってほしい、という気持ちが抑えられなくなってきて。2018年に西川貴教としてシングルを2枚リリースし、今回初アルバムをレコーディングしました」  収録曲の多くは、西川の持ち味ともいえる激しくも美しいナンバー。そんな中で西川の声の魅力が今まで以上に際立つ曲がある。「awakening」だ。ピアノとストリングスで始まるバラード。悲しげで儚げな歌が、後半になるとオーケストラのように壮大に展開する。 「4分の3拍子で、ときにボレロのようで、ときにワルツのようなナンバーです。アンサンブルの中で言葉に気持ちを込めて届けたい。声をもっと聴いていただきたい。そんな想いが表れている作品の1つです。その背景には、2017年にクラシックの人たちとの音楽を始めたことが大きかったかもしれません。僕の出身地の滋賀の隣、京都市交響楽団の方々の演奏で歌うコンサートです。デビュー以来、僕はエレクトリック音楽を中心にやってきました。それとはまったく違うアプローチを体験させていただいています。指揮者の生きた手の動きや息づかいを感じて歌うことで、自分の歌唱が変わってきました。クラシックのコンサートにもマイクはありますが、ほぼありのままの自分の生声で歌わなくてはいけません。こうした体験を重ねることで、声が磨かれてきたと感じています」  音楽以外の分野の活動でも、西川の歌唱は変わった。 「テレビCMやNHK Eテレ『天才てれびくんYOU』のキャラクターや、舞台の体験によっても、歌唱が変わってきたと思います。歌は、歌詞とメロディだけではなく、コミュニケーションでもある。感情の昂ぶりによって会話が歌になる。だから、オペラが成立するわけです。それを、ヨーロッパのオペラの役者さんたちは、見事に表現しています。語るように歌い、歌うように語る。その表現を磨き上げたら、リスナーにもっと気持ちを伝えられると思っています。もちろん技術は大切です。その上で、もっと気持ちを込めることも強く意識しています」  世の中には、声域が広くてピッチが正確でも、心に響かない歌はある。その一方で、声が掠れていてもリズムが多少ずれていても、心に響く歌もある。 「歌詞に書かれていることをシンガーが本気で思っているか。伝えようとしているか。リスナーのみなさんははちゃんと聴き分けています」  こうして西川の話を聞いていると、地道な努力をコツコツと重ねていることがわかる。その象徴の1つが、毎年9月に出身地、滋賀県の琵琶湖畔で開催している音楽イベント、「イナズマロックフェス」だろう。第1回は2009年。2018年に10年目を迎え、2019年には西川貴教名義で新たなフェイズに入る。 「イナズマは、実は母親の病気がきっかけで始めたんです。僕に限らず、ミュージシャンって、なかなか自己都合では実家に帰れません。コンサートツアー中に身内に何かが起きても、ステージを中止にするわけにはいきません。だったら、地元で大きなプロジェクトを始めよう、と。そうすれば、イベントの期間は堂々と滋賀に帰ることができますから」  ミュージシャン、役者、タレント、事務所の経営者、そしてイベンター……。約20年のキャリアの間に、西川はいくつもの顔を持つようになった。 「デビューから20年以上、その前のバンドから数えると30年近いキャリアがあって、今ではみなさんも僕の顔と名前を一致して覚えていてくださっていて、なんでまた新しいことを始めているの? なんで自分から面倒くさいことをしているの? と言われることもあります。でも、これでいいか、と思ったらそこで終わってしまう。一度きりの人生だから、できることはなんでもトライしたい。まだまだ自分を磨きたい。今の自分に満足したくない。そんな気持ちだけでやっています。僕の姿を見て、誰か1人でも、あいつもやっているんだからオレもできるんじゃない? って思ってほしい。僕、MVで風に吹かれたり、水しぶきを浴びたり、吹雪かれたりしてきて、でも、あんなバカなことしているやつも頑張っているんだから、オレももっとできるんじゃない? って思ってほしい。ミュージシャンには、才能に溢れている人がいます。圧倒的な人を何人も見てきました。そういう孤高の存在を僕もイメージしたこともあったけれど、どうやら分不相応でした。じゃあ、僕にできることは何? と自分に問いかけると、リスナーの方々に近い存在でありながら、一生あがき続けるしかない。努力し続けるしかない。そういう存在でいたいですね」(神舘和典)
3月号漫画家 鳥飼 茜 Torikai Akane「恋愛結婚」の自由を手にするには、私たちはあまりに幼すぎたのかもしれない。
3月号漫画家 鳥飼 茜 Torikai Akane「恋愛結婚」の自由を手にするには、私たちはあまりに幼すぎたのかもしれない。  東日本大震災があったその年、私は一度目の結婚をやめることにした。  私には当時二歳になる息子がおり、育児ストレスと、ホルモンの乱れによる完全なセックスレスと、想定外の地震という出来事の間で自分自身が引きちぎれそうになり、子供を連れての一時避難のつもりで実家へ帰った後そのまま夫の元に戻ることは無かった。  いつか起こると言われた地震があり(予想されていた震源とは別だったが)、あり得ないとされた原発事故があり、一番の被災地である東北から数百キロも離れた東京で多少の不便を強いられた私たちは、とにかくイライラしていた。私たち夫婦間に限らず、道ですれ違う人、飲食店の客同士、皆気が立っていたように思う。特に食品がスーパーから消えていった時など、米屋に長い列ができ、普段なら絶対消費しないだろう量の米を我れ先にと買い求め、店の人に窘められた客も見た。みんな不安だった。  これでいいのか、この先どうなるのか、何が悪かったのか。  そんな不安が政治やインフラの問題への視座だけでなく、人々を大きく動かしたのが、結婚への希求だった。 「絆」という文字がそこかしこに幅を利かすようになり、人は自分の生活に人との繋がりを求め出す。やっぱり独身では心細いと感じた人たちが身を固め出し、婚活と言われる結婚相手探しにそれぞれの経済活動の片手間で勤しむようになった。そしてその活動を大きく支えている結婚相談所や、携帯電話で簡単にアクセスできるお見合いサイトが震災から八年が経った今も大盛況しているのは知っての通りだ。 『傲慢と善良』では、その婚活を軸とした物語の中、全てを親の意思に委ねひとりでは何一つ決められず、他人の自由な生き方を嫉妬でしか眺められない依存的な人物像が、「真実」というヒロインにあてがわれていく。嫌悪感と同時に彼女から目を逸らすことができないのは、読む者がそこに自分の本質を見てしまうからだろう。  ある日突然、変われる、反対側に行ける、そんなチャンスを人は待っている。できればチャンスの方から、やってきて無理やり連れ出してくれるのを待っている。物語のヒロインである「真実」のありようは、読んでいるこちらをやきもきさせるほどに運命を定義づけられたがっている。それは、誰の中にもある切ない願望だ。  ここにはあらゆる対比が描かれている。  独身と結婚、自由と不自由、都会と田舎、傲慢と善良。しかしそれらは、今の自分と地続きのものだ。もし対岸に行きたいなら、一歩一歩自分の足で目指すしかない。  物語のもうひとりの主人公でもある婚約者「架」は「真実」が人生で初めて全てを賭けてもいいと思えるような、まさに外界へ無理やりに連れて行ってくれる運命の相手だった。婚活で知り合った「架」は三十代後半の今まで付き合う女性に不自由したことがない、経済力のある都会の男ではあるが、彼自身もまた四十歳を手前にいざ結婚となると婚活市場で戸惑うことになる。  なんでも選べる都会にいて、選べる選択肢が無限である状態をキープしているつもりが、時間だけが経って手元には何も残らないということを昔、漫画で描いたことがある。『傲慢と善良』でヒロインとは対照的に主体性のある人間として描かれている彼もまた、今まで何もかもを選んできたつもりが、結局は誰をも選ばず、振り返れば一番欲しかった女性が残らなかったと心中で嘆いているのだ。  人間とは、自らの決断のみで生き方を選択するのを究極に面倒とする生き物である。  震災のあった2011年、私の妹は結婚相手の生まれ故郷であるカナダで暮らしていた。離婚が成立してから母と息子と連れ立って妹宅を訪れた私は、心の底に妹への羨望と妬みを感じて自己嫌悪に陥った。  カナダの首都であるトロントは先進国の中でも指折りの住みやすさを誇る街だ。治安が良く、美しい湖と洗練された街並みの中で地震の心配もなく、原発事故の影響を不安がる必要もない。日本から遠く離れたその場所に、愛する夫と子供のために住む必然性がある妹。  対して私は、離婚を決めたは良いものの、幼子を連れてひとまず住む場所といえば自ずと実家近くに限られてくる。自由に住みたい場所に住めば良いと言われても、他者からの必然がないから選べない。自分が選んだ行動の先に不安があるくらいなら、予め決められた不運に巻き込まれる方が楽なのだ。  小説を読み進めるうち、主体性の乏しい「真実」へのもどかしさと同時に、結婚相手に遠く離れた場所へと連れ出された妹の運命への、私自身の強烈な嫉妬が蘇る。  誰かこの鬱屈から外に連れ出してくれ。  そういう運命だと、誰か私に決めてくれ。それなら、全てを捨ててそこに賭けられるのに。  人は弱い。だから『傲慢と善良』の「真実」のように、誰もが納得する結婚という形をもってして、自分の選択した行動を外側から運命付けられたいのだ。  物語は終盤を迎えるにあたり、件の震災の地に舞台を移すことになる。何も選べなかった主人公たちが、震災の現場に立ち戻るという流れは、私にはとても自然に思えた。  東日本大震災は私たちに何を与えたのか、それは膨大な損失と引き換えの、成長の機会でもあったと思う。  逆作用として、今までの人間関係を見直すきっかけも与えた。不要だったものを整理する、婚活とは逆の縁切りも当時盛んに報道されていた。  冒頭に記したように私自身がそんな影響を受けた一人だった。この先いつ何があるかわからない、人生は明日にも終わるかもしれない、そう考えた時に無理をして続けるべきものとそうでないものが明確になった末の離婚だった、と説明すれば少しだけ理解してもらえるだろうか。  この約十年は私たちにとって、「何もかもを地縁や親に、選んでもらってきた子どものような時代」から、「その代償込みで何かを選び取る大人へと成長する時代」への転換のような気がしてならない。  この小説で時に自分を見失い、葛藤しながらそれを体現する真実と架と共に私たちもまた、地続きの自由へと一歩踏み出すのだ。
史上最速200万ダウンロードは必然?米津玄師が執着を手放して生まれたあの「Lemon」の秘密
史上最速200万ダウンロードは必然?米津玄師が執着を手放して生まれたあの「Lemon」の秘密 ※写真はイメージ  99%の人間関係は『9code(ナインコード)』で解決できる!  経営コンサルタントである著者が、歴史上の偉人から有名タレント、経営者まで、世界最古の『易経』をベースに、運命学、帝王学などを交え、1万人のサンプリングを体系化。「水の一白」「大地の二黒」「雷の三碧」「風の四緑」「ガイアの五黄」「天の六白」「湖の七赤」「山の八白」「火の九紫」など、歴史上の偉人から有名人まで、人間は9タイプしかいない。「本当の自分」がわかり「人間関係」の悩みが解消するという『“強運を呼ぶ”9code(ナインコード)占い』が発売たちまち第4刷となった。 『9code(ナインコード)』とは一体どんなものか? 2034年までの幸運バイオリズムが一目でわかるという著者にこっそり語ってもらった。今回は紅白歌合戦で話題を呼んだ「米津玄師」の知られざる秘密に迫ろう。 ●米津玄師の魅力って何?  ある楽曲が「史上最速での200万ダウンロード」成し遂げ、いま、若者を中心に大人気のアーティストをご存じでしょうか。  昨年の紅白歌合戦で初の生歌を披露したことからも話題になったので、きっと、30代以上が多い本連載の読者の皆様でもピンときているかと思います。  そうです、「Lemon」の作詞作曲者である、  米津玄師(以下、米津氏)です。 「Lemon」は、323日で史上最速200万ダウンロードを達成し、これまで最速とされていた、コブクロ「蕾(つぼみ)」の2480日を大幅に塗り替えました。  米津氏は、いまや、2019年の音楽界を牽引する人物とまでされているのです。  そんな彼の魅力は、そのミステリアスな印象もさることながら、音楽に秘められた“独創性と寓話(ぐうわ)性”にこそあります。  彼はなぜ、わずか1年足らずで最速記録を樹立し、いまや誰もがその名を知るアーティストにまでたどり着けたのか?  他のアーティストが真似できない領域の音楽を生み出せるのか?  実は……、ナインコードで米津氏を紐解くと、その全貌がはっきりとわかります。  そこには、目には見えない、人間学としての要因があるのです。  雑誌、TV、ラジオ、あらゆる媒体が米津氏を特集していますが、今回は、他のメディアからは絶対に語られない、米津氏の人間性、独創的かつ寓話的な音楽を創れる理由を、どんどん深堀していきたいと思います。 ●宇多田ヒカル、黒澤明、手塚治虫と共通する米津玄師が持つ天性の「〇〇」  まずは、米津氏のナインコードを明らかにしましょう。  彼は、1991年3月10日生まれの「火の九紫」として、この世に生まれてきました(どんな人も9タイプに分かれるナインコードは本書参照)。  彼の趣味や特技を公式ページで見ると、「作詞、作曲、イラスト」とあります。  いくつかのインタビューでは、プログラミングや動画制作もしていると話しています。  音楽家ですから作詞・作曲はもちろんですが、絵に関しては、雑誌取材での米津氏へのインタビューを覗くと、美術系の学校に通っていたという母親の影響もあってか、小さい頃から絵を描くのが好きだったようです。  小学生の頃には、当時流行っていたFLASHアニメからインスピレーションを受け、そこから彼の音楽人生は始まりました。  中学からはバンドを組み、本格的に音楽の世界へ。  高校になると、「ボカロP」としてハチという名義で音楽活動をはじめ、ニコニコ動画へも動画を投稿していました。  彼はCDのジャケットなども自分で手掛けていることで有名ですが、それはこの頃から健在で、ミュージックビデオのイラストなども当時から描いていたようです。  さて、簡単ではありますが、彼の人間性を示す「趣味と特技」を紹介しました。  これを見て、あなたは何を感じますか?  ナインコードを学んでいる方ならピンときましたよね。 (もちろんナインコードのことは知るよしもないと思いますが)米津氏は「九紫」として与えられた才力を、すでに子どものときから開花させようとしていたのです。  九紫の最も優れた才能は「インスピレーション」です。  つまり、感性がずば抜けています。  物心つく前から何かを生み出すことを習慣としていれば、中高生にもなれば、才能はどんどん開花します。  音楽家や漫画家、映画監督、発明家、そのいずれも天才と呼ばれる人物に九紫が多いのは、それが理由です。  宇多田ヒカル、黒澤明、ビートたけし、手塚治虫、スティーブ・ジョブズ。彼らはすべて九紫。米津氏は、幼少の時から絵を通じて「創造性と感性」を磨き、それらを音楽に応用していったのです。  彼の歌詞は深みがあって独創的、そして、まるで物語のような寓話(ぐうわ)性があると言われています。  それもそのはず、九紫の天才たちを見るとわかるように、彼にも、物語(ストーリー)を創る能力というのが、天賦の才として元々備わっているのです。  そして、音楽を通じ、その磨かれた感性で、人々を感動させる作品をどんどん作っていきました。まさに、九紫ならではの活躍の形なのです。 ●「Lemon」史上最速200万ダウンロードは、九紫として「〇〇」から決別せずして達成不可能? 「Lemon」で米津氏を知った人は、彼のこれまでの作品のテイストをご存じないかもしれませんが、彼がメジャーデビューした2012年に出されたファーストアルバム『diorama』では、曲も歌詞も一般受けしないような作品が多かったと言われます。  米津氏もファーストアルバムについてのインタビューでは、 「他の人の目線でなく、自分の中での最高のJ-POPを作った」  と語っているほどで、周囲からの共感よりも、自分のやりたいことを貫いていました。  歌詞も哲学的なものが多く、一般人からしてみると理解が難しかったのです。  そのせいで、当時から歌唱力やセンスはあったものの、なかなか売れず、もどかしい思いをしたようです。  しかし、ここから、彼の九紫としての良さが発揮されることになります。  九紫の特性のひとつに「執着から離れる」というのがあります。  これは、九紫の特性である「離為火(りいか)」という気質が影響しているのですが、気質を磨いている九紫人は、芸術的なものにこだわることはあれども、それが時代にふさわしくなかったり、今の自分に必要なものではなかったりすることを悟ると柔軟に方向転換します。  米津氏も例外ではなく、「売れなかったこと」を踏まえて、自己満足ということから離れて、もっと大衆に受け入れてもらえる曲作りをするようになったのです。  気になった方は聞いてほしいのですが、このアルバム以降の彼の曲の歌詞は、以前に比べるとだいぶ理解しやすくなっています。  こうした執着から離れた結果、東京メトロのCMでも使われた「アイネクライネ」、アニメ映画とのタイアップで使われた「打上花火」、今回の「Lemon」と、どんどん大衆に受け入れられ、ついに、今の地位まで上り詰めたのです。  九紫ならではの、「執着から離れる気概」こそが、今の彼を作り上げたと言っても過言ではないと、私は考えています。  ちなみに、彼は、2017年、自身のツイッターでこんなことを言っていました。 「何かを手に入れる為には何かを捨てなきゃいけない。  昔のひとが言った「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉に共感する。  停滞は衰退とほぼ同じこと。  なんとなくこのままでもいいとぼんやりしてる人より、より新しいものを探してる人の方が好きだ」  まさに、執着しないことで、どんどん新しい未来の可能性をつかんで上昇していく、九紫らしいですね。 ●運気MAXの【陽4年】で紅白出場を果たした理由  さて、ここまで米津氏の人柄をナインコードで探ってきましたがいかがでしたでしょうか?  彼の大躍進は、九紫としての感性(インスピレーション)、独創性が果敢なく発揮されたたまものであり、執着を離れ、自らの殻を破ったところにも関係しています。  彼が名を知られるような大きな躍動を始めたのは2014年でした。  彼のバイオリズムでいえば【陰5年】であり、まさに春の訪れのときでした。  そこからぐんぐん上昇し、運気が最高潮に達した【陽4年】の2018年では、見事、紅白出場も果たし、最速ダウンロード記録も達成しました。  まさに、バイオリズムにのっとった快進撃です。  自らの持つ気質を活かしていけば、物事をなんでも好転させることができるということを、米津氏は示してくれた気がしています。  これからの活躍も期待したところです。 中野 博(Hiroshi Nakano) 信和義塾大學校創設者兼塾長、経営コンサルタント。早稲田大学商学部卒業。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院ブランディング実践講座エグゼグティブコースを修める。ハーバードビジネススクールでは経営学を学ぶ(いずれも短期集中型の経営者クラス)。1992年、地球サミットに国連認定ジャーナリストとして参加したことを契機に環境ジャーナリストとして活動。1997年の地球温暖化防止京都会議を機に、株式会社エコライフ研究所設立。環境ジャーナリストとしての取材・分析力と経営コンサルタントとしての提案力をベースに、800社以上を環境ビジネスに参入させ成果を挙げる。その傍ら、住宅、環境を軸にした本を多数出版(本書が30冊目)。講演依頼も多く、国内外で2000回以上の実績。2005年、教育研修会社の株式会社ゴクーを設立。1万人のサンプリングを体系化した『9code(ナインコード)』をもとに、信和義塾大學校で指導にあたるほか、企業や各種組織で『9code』を利用したコンサルティングや人材活用研修も多い。現在、信和義塾大學校は、世界6ヵ国20都市以上にあり、塾生は700名超。
「XJAPAN」YOSHIKIが再注目された理由。GACKTとの相性は?
「XJAPAN」YOSHIKIが再注目された理由。GACKTとの相性は? ※写真はイメージ  99%の人間関係は『9code(ナインコード)』で解決できる! 経営コンサルタントである著者が、歴史上の偉人から有名タレント、経営者まで、世界最古の『易経』をベースに、運命学、帝王学などを交え、1万人のサンプリングを体系化。 「水の一白」「大地の二黒」「雷の三碧」「風の四緑」「ガイアの五黄」「天の六白」「湖の七赤」「山の八白」「火の九紫」など、歴史上の偉人から有名人まで、人間は9タイプしかいない。「本当の自分」がわかり「人間関係」の悩みが解消するという『“強運を呼ぶ”9code(ナインコード)占い』が発売たちまち第4刷となった。 『9code(ナインコード)』とは一体どんなものか? 2034年までの幸運バイオリズムが一目でわかるという著者にこっそり語ってもらった。今回はあの「YOSHIKI」の知られざる秘密に迫ろう。 ●再加熱したYOSHIKIブーム、なぜ?  日本を代表するロック界の大スター「XJAPAN」のYOSHIKI。  最近では、バラエティーでもよく目にする人が多いのではないでしょうか?  2018年1月、「芸能人格付けチェック」(テレビ朝日)への出演がきっかけで、YOSHIKIの人気は再加熱しました。  ワイン、味覚、音楽、次々と本物を当て続け、圧巻の一流ぶりを同番組で発揮。  今年も全問正解を果たし、その威厳は今も保たれています。  番組内で彼が食べたお菓子は放送直後からメーカーに注文が殺到するぐらいだと言いますから、YOSHIKIブームの勢いには目を張るものがあります。  そんな、ここ最近話題沸騰中のYOSHIKIですが、彼の人気を支えているものは何なのでしょうか?  あの激しいロックのイメージからは想像できない、柔和で優しい姿を、番組内から感じている人はいませんか?  ドラムを叩いているときとはまるで違う雰囲気に、大きなギャップを感じている人も少なくないと思います。  実は、YOSHIKIがここまで異なる二面性を持っているのには“ある理由”があるのです。  なんだと思いますか?  その答えは、彼のナインコードを紐解けば一発で判明します。  今日は、YOSHIKIの人気を支える、彼の二面性について、ナインコードで紐解いていきましょう。 ●YOSHIKI、人気の秘訣は八白としての二面性にあった!?  まず、YOSHIKIの「ナインコード」(どんな人も9タイプに分かれるナインコードは本書参照)を明らかにしましょう。  YOSHIKIは、1965年11月生まれの「山の八白」です。  これまで、同連載でも様々な八白の人間にスポットを当ててきました。 「いまでしょ!」の林修先生。  美術界の巨匠、岡本太郎先生。 「Kawaii文化」の生みの親きゃりーぱみゅぱみゅ。  彼らはみんな「山の八白」です。  八白の人間で、その気質を活かしきっている人には“ある共通点”があります。  なんだかわかりますか…?  その共通点は、「二面性」を持ち合わせていることなのです。  ここで、あなたに質問します。  YOSHIKIという名を聞くと、あなたはどんなイメージを持ちますか?  フェロモン全開で妖艶なたたずまいでドラムをたたく姿でしょうか。  それとも、サングラスをかけて柔らかな口調でトークを繰り広げている姿でしょうか。  きっと、両方のイメージが頭に浮かんでいる人が多いのではないでしょうか。  YOSHIKIの人気の秘訣、それは、この二面性にこそあります。  普段は柔らかく温和なイメージなのに、ステージに立つと変貌を遂げて周囲を「あっ」と驚かせる。 林先生もそうです。  普段は優しそうなのに、何かを熱く語るときはまるでスイッチが入ったかのように、博識ぶりを発揮し、他を圧倒します。普段の柔和な表情とはまるで異なり、頼もしさ全開です。  そして、きゃりーぱみゅぱみゅ。  彼女もまた八白としてのギャップを持ちます。  彼女を知らない人は、「あの奇抜な格好の人?」ぐらいのイメージしかないかもしれませんが、彼女は「Kawaii」文化を世界に広げた革命者なのです。  こういった二面性を持つのは、山の八白人の特性でもあります。  八白の人は情に厚く、何事にもぶれないという精神的な強さを持っていますが、もう一方でダイナミックに動き、他を圧倒しながら魅了するという気質を持ちます。  もちろん、意志の強さは健在ですので「頼りになる」というイメージを持たれます。  ここで、改めてYOSHIKIを思い返してください。  普段は温厚で柔らかい人柄ですが、音楽となると一変し、力強いメロディを奏でます。  こうした八白のギャップこそが人間の心をくすぐるのです。  天皇陛下御即位十年を祝う祭典で自作の奉祝曲を披露したこともあるYOSHIKI。  こうした実績を聞くと、さぞかし高貴な人なのだろうと思うかもしれませんが、いざお茶の間の番組に出ると、「え、こんなに優しそうな人なの?」と驚いてしまうぐらいの雰囲気を見せてくれます。  超一流アーティストであるYOSHIKIですが、テレビに出ているときには決して偉そうに振る舞うことはなく、気さくで穏やかな雰囲気をかもし出します。  この、実に八白らしいこの二面性こそが、YOSHIKIの真骨頂と言えるでしょう。 ●YOSHIKIの人生を支える 八白としての「〇〇」なこだわり 「山の八白」の大切な気質に「自分の芯」を持つということがあります。  こだわるところは本当にこだわります。  ときには、そのこだわりが周囲にとっては変人扱いされてしまうこともあるのですが、それも八白人の人間味あるところと言っていいでしょう。  YOSHIKIも例外ではなく、いくつかの仰天エピソードがあります。  有名なのは、リハーサルに出されたカレーが辛くて帰った。シャワーの温度調整がうまくいかなかったから帰った。和田アキ子からサングラスを外せと言われたがかたくなに外さずバトル寸前までいった……など、後にいくつかの番組で自分でも認めたエピソードがありますが、こういった話も、どんな場面でも自分のこだわりを貫き通す八白らしい姿であると、私は考えます。  ハッキリ言えば、八白はこれぐらいストイックにこだわりを持ったほうが成功する人が多い。中途半端はダメなのです。  八白を象徴するのは「山」。山をイメージしてください。  地震が起きても、雷が落ちても、その場を動きません。  それぐらいの気概がないと、ダメなのです。  他の八白の有名人を見てもそう。吉田松陰、高杉晋作、桑田佳祐、中森明菜、尾崎豊……どうですか?  みんなこだわりが強く、自分の意志を貫く人ばかりですよね。  だからこそ、成功するのです。  八白は強いこだわりを持つことで、人生が良くも悪くも展開していきます。  きっと、YOSHIKIをはじめ、上にあげた八白の人たちも、こだわりのせいで、人間関係を悪化させてしまった人もいるかもしれません。  しかし、時がたつと、八白の人は自分の過去を反省します。  あのときのこだわりが幼稚でなかったか、自己主張ばかりしていなかったか。  そして、悪いところはしっかりと修正します。  結果、本当に必要なこだわりだけが残るのです。  そして、そのこだわりは、まるで火山の噴火のようなダイナミックな革命を社会に起こすのです。  働く女のワーク&ライフマガジン「Woman&Type」のプロフェッショナルのTheoryで、YOSHIKIは自分のこだわりについて、こんな言葉を話している。 「今の僕は、ファンの方たちからもらった第二の人生を生きているようなもの。  だからこそ、この与えられた人生を全うすることが僕の使命だと思っています。  そして、もう1つはHIDEとTAIJIの存在ですね。  彼らがいなかったら今の僕はいなかった。  HIDEとTAIJIという素晴らしいミュージシャンがいたことを、僕は世界に広めたい。その使命感があるから突っ走っていられるんだと思います」 「この世の中に存在する以上、みんな何かしらの使命感を抱いて生まれてきたと思う」  YOSHIKIが人生で貫く最大のこだわり。それは、「自身の使命感」でした。  この使命感にこだわる姿勢こそが、「山の八白」としてのYOSHIKIに磨きをかけて輝かせ、世界のYOSHIKIに導いたと言っても過言ではありません。  YOSHIKIは同インタビューで、 「一番大事なのは、自分に正直になること。  みんな何かを選択するときは必ず世間の目というものが気になると思いますが、ワガママも含めて自分です。  だから『こうでなきゃいけない』なんて壁は全部取っ払って、思い切りワガママになればいいんです」  とも語っています。  本当に、自分の意思をとことん貫きながら、人間としての深みを目指す八白らしいですね。  こういった、とても人間臭い一面があるからこそ、情に厚く、頼られたら断れない兄貴肌の一面を持つのです。 ●気になるGACKTとの相性は?格付け連勝記録は続くのか?  YOSHIKIについて語るなら、最近のYOSHIKIブームの火付けとなった格付けチェックでの相棒、GACKTとの関係も忘れてはいけません。  GACKTのナインコードは「火の九紫」(1973年7月生まれ)です。 「山の八白」と「火の九紫」の相性、覚えていますか?(くわしくは本書参照)  そうです!  互いが互いを活かす、相生(そうしょう)の関係です。  九紫が八白に良いエネルギーを与える関係になるのです。  GACKTの格付けの凄さは、みな知るところでしょうが、そのエネルギーが八白のYOSHIKIに伝わっているのでしょうか、YOSHIKIも二年連続全問正解です。  互いに欠点を補い合えるナインコードの間柄ですから、きっと、これからも連勝を続けていけるでしょう。  2019年は「山の八白」がもっともエネルギーが高まる年。  きっと、YOSHIKIのエネルギーレベルも最高潮に達し、世界レベルでのダイナミックな八白としての革命を見せてくれるのではないでしょうか。  彼の動きに、目が離せません! 中野 博(Hiroshi Nakano) 信和義塾大學校創設者兼塾長、経営コンサルタント。早稲田大学商学部卒業。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院ブランディング実践講座エグゼグティブコースを修める。ハーバードビジネススクールでは経営学を学ぶ(いずれも短期集中型の経営者クラス)。1992年、地球サミットに国連認定ジャーナリストとして参加したことを契機に環境ジャーナリストとして活動。1997年の地球温暖化防止京都会議を機に、株式会社エコライフ研究所設立。環境ジャーナリストとしての取材・分析力と経営コンサルタントとしての提案力をベースに、800社以上を環境ビジネスに参入させ成果を挙げる。その傍ら、住宅、環境を軸にした本を多数出版(本書が30冊目)。講演依頼も多く、国内外で2000回以上の実績。2005年、教育研修会社の株式会社ゴクーを設立。1万人のサンプリングを体系化した『9code(ナインコード)』をもとに、信和義塾大學校で指導にあたるほか、企業や各種組織で『9code』を利用したコンサルティングや人材活用研修も多い。現在、信和義塾大學校は、世界6ヵ国20都市以上にあり、塾生は700名超。

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