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男性育休率100%の中小企業 「休めない空気」を打破した社長のメッセージとは?
男性育休率100%の中小企業 「休めない空気」を打破した社長のメッセージとは? 総務部長として男性社員の育休推進に取り組んだサカタ製作所の小林準一さん 社員と談笑する坂田匠社長(左)=新潟県長岡市<『妻に言えない夫の本音』刊行イベントを開きます> #父親のモヤモヤの書籍化を記念し、取材班の高橋健次郎記者が聞き手となったトークイベント「育休にまつわる誤解とモヤモヤの正体」を11月9日(月)に開催いたします。ゲストは、9月に『男性の育休 家族・企業・経済はこう変わる』(PHP研究所)を上梓した、天野妙さん(Respect each other)と小室淑恵さん(ワーク・ライフバランス)です。父親母親はもとより、立場にかかわらず、多くの方の参考になる内容となるはずです。詳細・申し込みはこちらのページ(http://bookandbeer.com/event/20201109_moyamoya/)から。みなさんのご参加をお待ちしています  日本の取得率は7.48%(2019年度)と、まだまだ取りづらい「男性の育児休業」。日本商工会議所が中小企業6千社を対象にした調査では、「男性社員の育児休業取得の義務化」について、7割の企業が「反対」と回答しました。一方、中小企業でも育休取得率100%を達成する会社が出てきています。育休が取りやすい組織とそうでない組織の違いはどこにあるのでしょうか?  朝日新聞が運営するwebメディア「withnews」や朝日新聞デジタルで人気の連載「#父親のモヤモヤ」を書籍化した朝日新書『妻に言えない夫の本音 仕事と子育てをめぐる葛藤の正体』の一部を抜粋、再編集して紹介します。 *  *  * ■育休を取得しなかった男性社員らの本音  信濃川に沿った田園が近くに広がる新潟県長岡市のサカタ製作所。工場や倉庫、空港といった大型建築の屋根金具などを製造する同社では2018年、子どもが生まれた男性社員6人全員が3週間以上の育休を取得しました。  社員数は約150人。その2年前まで取得率は「ほぼゼロ」でした。「実績作りのために取らせた年もありましたが、日数が短く中身も伴わなかった。『真剣にやろう』と2016年暮れから、全社的に取り組み始めました」。総務部長(現・技術開発部長)だった小林準一さんは振り返ります。  まず行ったのが、「休めない雰囲気」の解明です。総務部の女性社員2人を「推進スタッフ」に任命し、育休を取得しなかった男性社員らに、聞き取りをしました。「自分の仕事が忙しくて休めない」「上司や仲間の手前、休みづらい」「評価が下がる」「休んだら経済的に困る」などといった社員の本音が浮かび上がりました。  育休を促されても、売り上げも求められるような矛盾した会社の空気。それを打破したのが、60歳間近の坂田匠社長が行った「イクメン推進宣言」でした。全社集会などで育休を取得した社員や推進した管理職を高く評価するとした一方、「業績が落ちても構わない」と明言。「『何を言うか』より『誰が言うか』。社長のメッセージで方針が明確になりました」  宣言後は男性社員が妻の妊娠を報告すると、上司や役員を交えて育休取得に向けた面談を実施。業務引き継ぎを会社幹部も共有することで、休めない雰囲気を払拭しました。また、給付金や補助金などを含めた給与シミュレーションを示し、収入面の不安も緩和しました。  2018年末と2019年2月に育休を取得した30代の青柳剛志さんは「妊娠の報告をすると上司からは『いつから取るの?』と言ってもらい、2度取得ができる特例も会社が説明してくれた。何の心配もなく育休が取れた」と話します。 ■50代部長。「会社人間」としての苦い経験  50代の小林さんが男性の育休取得にこだわるのは、サカタに転職する前の「会社人間」としての苦い経験です。 「子ども2人が小学生の時に、中国に1年間単身赴任したり、帰宅が毎日午後10時を過ぎたりするなど、仕事優先で家族を顧みませんでした」。サカタに移ってからは、社員目線の会社を第一に働き方改革に着手。1人あたりの平均残業時間(1カ月)は14年の17.6時間から18年は1.1時間に減り、育休推進の機運につながりました。  小林さんによると、育休推進の効果は社内外で出始めています。社員の長期休暇を前提とすることで、業務の見直しや特定の人が仕事を抱える属人化の解消が起こり、生産性が向上。懸念された主要事業の売り上げも堅調です。新卒採用でも、子育て環境を重視する学生へのアピールとなり、応募が増加しました。 「男性の育休により、社員と組織を活性化させ、業績向上を狙う。取得100%は経営戦略です」 ■育休が取りやすい組織の特長  育休が取りやすい組織とそうでない組織。その違いはどこにあるのでしょうか。男性の家事・育児参加を後押しするNPO法人「ファザーリング・ジャパン」の代表理事、安藤哲也さんに聞きました。 「会社での育休に関しては、まず国の制度がしっかりとあります」と話す安藤さん。それでも、中小企業に勤める男性からよく、「うちの会社には制度がない」という相談があるそうです。「もちろん、それは間違い。今の法律は従業員が男性でも女性でも、取得する権利が保障されています」  法制度は整備されているのに、なぜ育休の取得が進まないのか。安藤さんは「制度より風土が悪い」と指摘します。「昔ながらの経営者や上司は、自分の価値観で職場の空気を作ってしまう。50代ぐらいまでの男性は、『仕事だけやっていればいい』という選択が多かった。そういう意識だと、若い社員は育休を取りづらいわけです」  ただ、安藤さんは、対象となる社員の意識も大事だと語ります。「制度があるのに、組織の空気を忖度したり、評価が下がると思ったりして取らない。または、いざ取得する段階になって、十分な引き継ぎなどの準備をせずに休みに入ってしまう。そうすると、職場からは歓迎されませんよね」  対照的に育休取得率が高い会社は、「組織と個人がうまくかみ合っている」と安藤さん。「経営陣がしっかりとメッセージを発し、それを理解した管理職がマネジメントをする。しっかり準備をして育休を取る人は、育児を通じて家族の絆を強める。そうすると、仕事へのモチベーションも上がるので、組織にとってもプラスになります」 「男性の育児は家族サービスではなく、まさに家族のケア。とても重要な役割であることを、会社も当事者も理解していってほしいですね」
職人による手刺繍レースあしらったウェディングマスクも 進化するマスク事情
職人による手刺繍レースあしらったウェディングマスクも 進化するマスク事情 ウェディングマスク/「刺繍に関してすごい腕の職人さんがたくさんいるので、マスクにも生かさない手はないと思いました」と担当者/VALORE.Co. U.bridal 金地 4200円/https://kanaji4868.thebase.in(撮影/写真部・張溢文)  マスク着用が日常になるなか、使い捨てマスク以外のものを使う人も増えている。AERA2020年11月2日号では、各業界から日進月歩で開発が進むマスクを紹介する。 *  *  * 「白いマスクじゃ興ざめ。何とか考えてほしいと言われて急きょ作り始めたんです」  こう話すのは、山形県米沢市の和装コートメーカー「おとづき商店」専務の弟月千恵子さん。接客を伴う飲食店従業員向けに「フェイスベールナイトスタイル」を6月から販売。全国から問い合わせが相次いでいる。  弟月さんは東日本大震災以降、それまで廃棄していた浴衣の端切れを「綿100%だから医療物資として使えるのでは」と保存。マスク不足が深刻化した時、通常業務をストップして社員総出でマスク作りを開始。小中高への寄贈、米沢市役所などの依頼による成人向けマスク製作を経て、フェイスベールナイトスタイルの製作へとつながった。その後「肌に優しいマスクを」との要望が寄せられ、昼の仕事用の「フェイスベールデイスタイル」も製作。品質も重視し、山形県工業技術センター置賜試験場で飛沫がどれくらい防げるかの試験も行っている。 「ハッピーになれる」がキーワードのマスクやマスク関連グッズも出ている。可憐なレースやキラキラ輝くクリスタルが素敵なウェディングマスクは、「VALORE.Co.U.bridal 金地」のもの。ブライダル・フォーマルのファッション小物の企画・製造・販売をして55年になる同社がコロナを機に、初めてブライダル用マスクを製造し、一般向けに販売を始めた。ベテランの職人がすべて手刺繍で作っているという。  マスクのゴムの痛さをおしゃれに解決したい──。主に女性から絶大な支持を得ているのが、ファッションブランド「mayla classic」の「ヘアオブジェ マスクリーフ」だ。販売するや瞬く間に大量に売れたほどの人気という。 ■性能は確保して楽しむ  記者が使って驚いたのが、マスクに貼ると除菌・消臭効果を発揮する「マジックシールド」。あの「嫌なニオイ」を感じにくい。長時間のマスク着用も以前より不快ではなくなった。  マスクが日常となった今、洋服を選ぶようにマスクを選ぶようになった。選択肢の幅が広がることはいいことだ。ただし、ウイルス対策を第一に考えるなら、やはり「性能」。日本衛生材料工業連合会(JHPIA)専務理事の高橋紳哉さんによれば「マスクの基本性能はフィルター部分の捕集(ろ過)効率と形状で決まり、捕集効率を示すにはフィルター部の性能試験法BFE、VFE、PFEが必要です」。ウイルス対策なら、少なくとも客観的データが分かるものを。その上で、気持ちが明るくなるものを選ぶといい。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2020年11月2日号より抜粋
関電“倍返し”金品受け取り問題発覚から1年 新旧経営陣いまだ対立
関電“倍返し”金品受け取り問題発覚から1年 新旧経営陣いまだ対立 ...迫られている。  関電は7月、子会社「KANSOテクノス」(大阪市)の元社長ら2人が森山氏から商品券約400万円や現金4万円を受け取っていたことを明らかにした。今井武・元社長が社長だった03~12年、商品券約400万円を受け取っていたというものだ。  返却などは済んでいたとするが、...
2020年10月15日「伝説の空手家」岡本秀樹&山崎照朝の人生を語る、オンラインイベント開催!
2020年10月15日「伝説の空手家」岡本秀樹&山崎照朝の人生を語る、オンラインイベント開催! 『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』小倉 孝保 KADOKAWA  2020年10月15日(木)20時~22時、オンラインイベント「下北沢の本屋から、2人の空手家を語る夜。岡本秀樹と山崎照朝」が開催されます。  同イベントでは、書籍『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)と、『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』(東京新聞)の著者の小倉孝保と森合正範が、伝説の空手家である岡本秀樹と山崎照朝の人生について語り合います。司会は2冊の書籍を読んで熱狂した本屋B&B所属の編集者・原カントくんです。  岡本秀樹は、映画『アラビアのロレンス』に憧れてシリアへ向かい、中東・アフリカで秘密警察や政府要人に空手を指導し、空手人口200万人にも及ぶ礎を築いた人物。しかし、外国製品の闇ルート販売とカジノ経営に手を出して失敗するという、光と闇の濃い人生を送りました。  一方の山崎照朝は、名作ボクシング漫画『あしたのジョー』に登場する力石徹のモデルになった人物で、人気格闘漫画『刃牙』シリーズの作者・板垣恵介も、山崎の姿に影響を受けて回し蹴りシーンを描いたと話しています。  そんな彼らの格闘技人生を、小倉と森合が綿密な取材により得た情報をもとに紐解き、新たな発見を探ります。格闘技や空手のファンはもちろん、強さに憧れを持つ人にとっても、楽しい2時間になるでしょう。 【イベント入場料】 配信参加:1500円(税別) 配信参加+サイン本『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』:1500円+1500円(税別) 配信参加+サイン本『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』:1500円+2200円(税別) 配信参加+サイン本『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』:1500円+1500円+2200円(税別)+送料520円 【イベント予約】 https://peatix.com/event/1644050/view 【イベント詳細】 http://bookandbeer.com/event/20201015_karate/
オックスフォード大・英国人女性、卒論は「日本のBL同人誌」 驚きの『海外オタ女子事情』
オックスフォード大・英国人女性、卒論は「日本のBL同人誌」 驚きの『海外オタ女子事情』 『海外オタ女子事情』劇団雌猫 KADOKAWA  いまや、日本のアニメやマンガなどのオタク文化は「クールジャパン」として、世界中の人々を魅了しています。では、実際にそれらを愛する人たちはどんなきっかけでハマり、どのように満喫しているのか、実は意外に知られていません。  そんな海外オタクのリアルが詰まっているのが劇団雌猫著『海外オタ女子事情』。アジアやアメリカ・中東、ヨーロッパなど世界各国で、どんなコンテンツが人気なのかなど、世界の趣向や動向がわかりやすくまとめられています。  例えば、本書では日本、英語圏、中国語圏と文化圏ごとに好みのアニメ傾向を分析。2018年秋クールの放送後人気ランキングでは、『ソードアート・オンライン アリシゼーション』が日本1位、英語圏3位、中国語圏1位で、すべてのエリアで人気でした。英語圏では、『ゴブリンスレイヤー』『転生したらスライムだった件』『ゾンビランドサガ』が上位となり、「ゾンビ、ゴブリン、モンスター、異世界系といったジャンルを英語圏のファンは好む」傾向にあるといいます。同様に2019年冬クールでも1位は異世界系の『盾の勇者の成り上がり』でした。  一方、中国語圏では「ラブコメ好き」な傾向があるそうです。2018年秋では『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』『うちのメイドがウザすぎる!』、2019年冬では『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』『五等分の花嫁』が上位に名を連ねます。  そうした世界のオタク文化の動向に触れながらも、本書でとくに力を入れているのは、世界各国の女性オタクたちにインタビューをして書かれた「オタ女子事情」。例えば、「萌え絵」のかわいさに魅せられた30代イギリス人女性・フォックスさんです。 「目が大きくてかわいい女の子の、萌え系のイラストが載っていました。『こんなアート見たことない!』って驚きました。『このアートがどこから来たのか』を調べ始め、流れでアニメやゲームなどの日本文化に興味を持つようになりました」(本書より)  フォックスさんが魅せられたのは、日本で「泣きゲーの元祖」と称されるゲーム『Kanon』でした。当時フォックスさんは13歳で、『Kanon』が大人向けのいわゆる「エロゲ」とは知らず、「いたって普通のかわいい女の子が出てくるゲーム」として認識していました。ヒロインがいつも食べている「たいやき」を見て、「どんな味なんだろう?」と憧れていたと言います。  ゲームは男性向け作品、同人誌では女性向けのBL作品が好きだというフォックスさん。日本語をマスターすれば、「大好きなゲームやマンガもファンサブ(ファンによってつけられた字幕)を待たずに楽しめる」という熱い思いから、名門オックスフォード大学に入学して東洋学部日本学を専攻。在学中に日本への留学も果たし、卒論のテーマは「日本のBL同人誌」だというから驚きです。  2020年で来日9年目になるフォックスさんは現在、絵と音とともにテキストを読む「ノベルゲーム」の翻訳会社を日本で経営しています。最近は日本企業より海外企業からの仕事が多いため、「これを日本で出すのはいかがでしょうか?」と営業をかけることもあるといいます。将来的にはゲーム作品のプロデュースも視野に入れており、英語圏のインディーズゲーム開発者の間で、オリジナルのノベルゲームが盛り上がりを見せているそうです。  日本人以上にオタク文化の沼にハマり、ただひたすらに「好き」にひたむきな姿勢の「海外オタ女子」たち。あなたも知られざる海外オタク事情をのぞいてみませんか? (文・山中一生)
「なんで前説でモヒカンにせなあかんねん」麒麟・川島明 テレ東漫画家・真船佳奈との対談で明かした実体験
「なんで前説でモヒカンにせなあかんねん」麒麟・川島明 テレ東漫画家・真船佳奈との対談で明かした実体験 川島明/かわしま・あきら 1979年生まれ。京都府出身。お笑いコンビ・麒麟のボケ担当。漫才をはじめとしてさまざまなバラエティ番組でも活躍中。自身Instagramの活動をまとめた『#麒麟川島のタグ大喜利』が発売中。Instagram @kirinkawashima0203(撮影/写真部・小黒冴夏) 真船佳奈/まふね・かな 1989年生まれ。2012年、テレビ東京入社。2014年、制作現場に異動しADに。ディレクターを経て、現在はBSテレビ東京編成部に出向中。漫画家・ライターとしても活動している。ADの仕事ぶりやテレビの裏側を描いた漫画『オンエアできない!Deep』が発売中。Twitter:@mafune_kana/Instagram:@mafunekana(撮影/写真部・小黒冴夏)  真船佳奈さんは、テレビ東京に所属する現役のテレビ局員でありながら、過酷なAD時代の実体験をもとにしたコミックエッセイ『オンエアできない! 女ADまふねこ(23)、テレビ番組つくってます』『オンエアできない!Deep』(共に朝日新聞出版)を出版して話題になりました。  そんな『オンエアできない!Deep』の帯の推薦文を書いたのが麒麟の川島明さん。川島さんも芸人でありながら、雑誌にコラムを執筆したりイラスト付きのエッセイ集を出したりしている多才な人物です。Instagramで芸人の顔写真を題材にして大喜利をする企画が話題になり、それをまとめた『#麒麟川島のタグ大喜利』(宝島社)という本も出版されました。そんな2人が、久々に顔を合わせて真船さんの作品やテレビ業界についてじっくり語り合いました。 ※本対談は緊急事態宣言解除後の2020年6月に、換気や消毒など感染症拡大予防に十分に配慮したうえで実施しました。 *  *  * 真船:私は1回だけ、川島さんが出演されていた特番にADとして参加したことがあったんです。フリップを渡すだけの役だったんですけど、そこで唯一ちゃんとお礼を言ってくれた人だったんですよ。そのときから「川島さんはいい人だ」と思っていたんです。その人が自分の漫画の感想をTwitterでつぶやいてくれたのを見て「ヤバい!」と思って、すぐにお礼のDM(ダイレクトメッセージ)を送りました。そしたら、「みんなで飲みに行きませんか」と誘ってくださって。 川島:ネゴシックスと天津の向(清太朗)と飲みに行く機会があって。僕もネゴも絵を描くし、向もアニメや漫画がすごく好きなので、真船さんとも共通の話題があるんじゃないかと思って声をかけさせてもらったんですね。 真船:でも、私はめちゃくちゃ緊張したので、行く前にタクシーの中でストロング系缶チューハイを2本飲んで、ベロベロの状態で登場したのが初対面でした(笑)。それからちょくちょく一緒に飲ませていただいたりしていて、今日お会いするのは1年ぶりぐらいです。 川島:テレビ局のADが漫画を描くというのは珍しいし、読んでみたら面白かったんですよね。作品の中で描かれていた前説の難しさとかは、僕らの若手のときとも共通する部分があって。僕らは前説が苦手だったんです。『オンエアできない!Deep』にも描かれていましたけど、前説で何をやっても、結局は本番が始まったらお客さんは勝手に盛り上がるんですよね。 真船:そうそう、そうなんですよね。 川島:でも、一方でやけに前説に自信持ってるスタッフもいるんです。前説のために頭をモヒカンにしてくるテレビ局員がいたんですよ。そいつが偉そうに僕らの楽屋に来て「お前らもこれくらいやらなあかんで」って言ってきて(笑)。  僕は心の中で「なんでやねん! なんで前説でモヒカンにせなあかんねん!」って叫んでいたんですけど。漫画を読んでいてそんなことを思い出しました。 真船:わかります。私も『プレミアMelodiX!』という南海キャンディーズさんが司会をされていた番組で前説をやっていたことがあって。最初のうちは上手くできなくて過呼吸寸前になっちゃったこともあって、見るに見かねて山里(亮太)さんが出てきて「ごめんなさいね、この子、慣れてないから」って助けてくれたりしたんです。  その後に「何か話せることを考えなきゃ」って思って、前説のための台本を4ページくらい作って行くようになって。それでお客さんも盛り上がってくれたのが嬉しくて、前説に力を入れるようになって。私もそのモヒカンの人みたいになっていたんです。でも、ADって本当はもっとほかにやるべきことがあるんですよね(笑)。 川島:そう、本末転倒なんですよ。お笑いの世界でも「前説が上手い芸人は売れない」って言われたりしますからね 。そっちをがんばりすぎてネタを作らなくなってしまう人がいるんです。漫画を読んでいてそういうところもすごく共感できました。真船さんがAD時代に一番つらかったことって何ですか? 真船:やっぱり単純にお風呂に入れないとか、寝られないとかですかね。当時のADは今よりだいぶ過酷だったので、最高で20日間家に帰らなかったことがあって。そのときは洗面所で100円ショップで売っているシャンプーで髪を洗っていました。 川島:うわ、最悪ですね。 真船:そんなときに、仕事で憧れだったアイドルタレントさんにお会いする機会があったんですけど、ずっとお風呂に入っていなかったんですよ。だから「もうこの場で死にたい!」って思いました(笑)。 川島:漫画の中では真船さんはポンコツキャラみたいな感じでしたけど、実際の仕事ぶりはどうだったんですか? 真船:本当にできなかったです。ちょっと病気なのかもしれないですね(笑)。ADってすごい数の業務を同時並行でやらないといけないんですけど、私はそれがすごく苦手で。しかも「ひとつ忘れると死ぬ」みたいなことを同時並行でやっていたので、漏れなく死んでいたんです。 川島:漏れなく忘れていた? 真船:漏れなく忘れちゃうんです。寝不足で脳も極限状態になっていたので、首からメモをぶら下げるようにしていて、そのメモにやるべきことを書いてもらったりしていたんですけど、メモを下げていること自体を忘れちゃうんです。 川島:寝てないって怖いですね……。 真船:怖いですよ! 本当にポンコツキャラだったんです。だから、今の職場(注:現在、BSテレビ東京の編成部に出向中)に来たらようやく「真船、いいね!」と言ってもらえるようになりました。同時並行が減ったことでだいぶ楽になりました。  あと、漫画を描いたことで楽になった部分もあります。テレビの制作って職人の世界なので、佐久間(宣行)さんみたいなみんなが知っているディレクターがいる一方で、仕事はそつなくこなすけれど、なかなかヒット番組に恵まれなかったり、企画が通らない人もたくさんいるんです。そういう人が歳を重ねると自分の立ち位置を考えなきゃいけなくなるんですよね。その中で私は局内で1人しかいない「漫画家」というポジションに行けたので、それで覚えてもらえたりとか、仕事を振ってもらえたりするようになったのがすごく良かったと思います。 川島:今は真船さんの漫画を読んで「私もテレビの世界に行こう」と思う人もいるんじゃないですか。 真船:結構いますね。私は人望がそんなにないんですけど、新入社員だけはみんな「あの真船さんですよね」って声をかけてくれたりします。でも、あれを読んでよく行こうと思ったな、っていうのもあって。「ちゃんと読んだか?」って思っちゃいますね(笑)。今はなぜかテレ東が入社したい局のナンバーワンになりましたから。それもおかしいですよね。絶対みんな両方受かったらテレ朝に行くと思いますけど。 川島:テレ東は将軍じゃなくて歩兵っていう感じですよね。いい意味で。だから一番フットワークが軽いし、どんなに大きな事件が起こっても淡々とカニの通販番組を流していたりする。  あとは『ゴッドタン』が作ったイメージが大きいと思います。純度の濃いお笑いをやっているから、テレ東に呼ばれるときは芸人として試されているときなんです。 真船:たしかに『ゴッドタン』に出たときの川島さんは群を抜いて面白いです(笑)。 川島:(博多)大吉さんと一緒に「上品芸人ハメ外しクラブ」っていうのに呼ばれて、さんざん悪口を言わされて、性格の悪い部分を引き出していただいて。それがあったことでほかの番組にもたくさん呼ばれるようになったんですよね。それはテレ東でしかできないことだったと思うので、『ゴッドタン』には感謝しています。 真船:やっぱりあの番組は特別ですよね。 川島:めちゃくちゃなことを言っていても「『ゴッドタン』だから」っていうことで許されるみたいなところがあって、白昼夢みたいな番組です。それこそ劇団ひとりさんなんかも、『ゴッドタン』では下ネタ全開で要らんことばっかりしますけど、別の番組では池上彰先生の隣にスッといらっしゃったりするじゃないですか。だから僕なんかも、ほかの局で「あの感じでハメを外してください」って言われても「いや、無理や!」ってなるんです。今では『ゴッドタン』を含めてテレ東という1つのジャンルになっているのが面白いと思います。 真船:私が入ったときはフジテレビが大人気で、テレビ局っていうのが就職先の花形だったんです。私が就活中に「3.11」が起きて、そこからテレビに対する世間の見方が少しずつ変わってきたんですよね。今の若い子はコロナの影響もあって、働くということに対する考え方が変わってきていますよね。  今の時代、テレビ局員ってエリートでも何でもないですし、お金がいっぱいもらえてかわいい芸能人の女の子と付き合えるみたいなイメージもない。その中で同じ土俵で考えたときに、テレビの仕事をやるんだったら楽しそうな局でやりたいと思う人が増えたのかもしれないですね。 川島:真船さんは面白い星のもとに生まれているんだなと思います。彼氏とデートで大阪に行こうとしたら乗っていたバスが爆発したとか、普通の人が体験しないようなハプニングを死ぬほど持っているんですよ。それはお金では買えないし、努力しても無理なんです。不幸と言えば不幸なんですけど、表現する人間からしたらうらやましいと思います。神に選ばれているんですよね。 真船:たしかに友達からも「なんでそんなことが起きるの!?」みたいなことをよく言われていたので、川島さんにそう言っていただけるのはすごく嬉しいです。 川島:漫画という舞台があって何でも発散できるというのは相当強いと思います。特に、SNSとかで見栄を張る人が多い中では、その芸風が際立ちますよね。「こんなものを食べてます」とか「夜景に乾杯!」とか書いている人に対して「ウソつけ!」ってツッコんだり。そういうことができるのが面白いですよね。 真船:何が起こっても「あっ、漫画に描ける」と思うようにはなりました。 川島:『オンエアできない!』の続編をまた描く予定はあるんですか? 真船:いや、それはもういいかなと思っていて。もう制作の部署を離れてしまったので、過去を思い出しながら描く作業になっていて。今後も描き続けるとなるとリアリティが薄まってしまうと思うんですよね。だから、今後はもう少しいろいろな形でテレビの仕事をして、それを違う作品に生かしたいです。  あとは、逆にテレビの仕事で私の漫画を生かしたいんです。例えば、キャラクターデザインをやったり、番宣の漫画を描いたり、番組で使うためのイラストを描いたり。テレビのことをだいぶネタにさせてもらったので、逆に私がテレビのために役立てることがあれば、それができるのがいいのかなと思っています。(構成/ラリー遠田)
鈴木杏「今がチャンス」 コロナ自粛期間に始めた2つのこと
鈴木杏「今がチャンス」 コロナ自粛期間に始めた2つのこと 鈴木杏(すずき・あん)/1987年生まれ。東京都出身。96年にドラマデビュー。以降、テレビ、映画、舞台などで活躍。2012年に映画「軽蔑」で第26回高崎映画祭最優秀主演女優賞、17年に舞台「イニシュマン島のビリー」「母と惑星について、および自転する女たちの記録」で第24回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞するなど受賞歴多数。 [撮影/加藤夏子 ヘアメイク/菅野綾香(ENISHI) スタイリスト/和田ケイコ 衣装協力/AOI WAKANA] 鈴木杏さん [撮影/加藤夏子 ヘアメイク/菅野綾香(ENISHI) スタイリスト/和田ケイコ 衣装協力/AOI WAKANA]  新型コロナウイルスの影響で、多くの人の生活が一変した。だが、女優・鈴木杏さんは実感がなかったという。一体、どんな生活を送っていたのか。  自粛期間中に、始めたことが二つある。一つが、朝日新聞の「天声人語」をノートに書き写すことだ。 「10代から仕事をしていたせいで、高校もあまり通えていなかったんです。役者は、台本を読むのも大事な仕事だから、文字には慣れ親しんでいたものの、いざというときに漢字が書けないことがあって。ちゃんと勉強しないと、と思ってました。そうしたら、自粛期間中にぽっかり時間ができて、以前知り合いの方から、『天声人語を書き写すのが勉強法としてすごくいい』と教えていただいたことがあったので、“今がチャンス”とばかりに、20年ぶりぐらいに、ジャポニカ学習帳と鉛筆を買いました。今は毎朝、携帯のストップウォッチを横に置いて、104字詰めの漢字練習帳に、ひたすら文章を写していて、それが3カ月続いています。知らなかったことが知れて勉強になるだけじゃなくて、心も落ち着くし、手を動かしているときは、“自分の時間”って感じがするんです」  もう一つが、写真や動画の投稿サイトである「インスタグラム」上で行うインスタライブ。最初は、友達としゃべることが多かったが、リクエストに応じて、瞑想やストレッチなど、普段自分がやっているトレーニングの先生を呼んで、簡単なやり方を紹介したり。 「緊急事態宣言が発令されてからというもの、テレビをつけると、やっているのは全部コロナに関連したニュースばかりで。見れば見たで不安になるので、そういうのとは全然関係ない、ダラダラしたただのおしゃべりをするのは、インスタライブがいいかもしれないと思って。ゆるーい感じで始めたんです。私、趣味で絵を描くんですけど、その自分の描いた絵をTシャツにして着ていたら、見た人から、『それ欲しい』っていう声があがって。今は、ユニクロにUTme!(ユー・ティー・ミー)っていうオリジナルTシャツを作れるアプリがあるので、私の絵の入ったTシャツをそこに出品したりとか」  舞台「殺意 ストリップショウ」のための準備期間だったこともあるのだろうが、「新型コロナ感染症で生活が一変した」という実感はほとんどないという。 「ジョギングの時間を早めたぐらいで、あまり、生活も変わらなかった。もちろん、この2カ月は友達とも会えなかったけれど、元々頻繁に会うようなタイプではなかったし」  ただ一つの懸案が、7月に上演予定の一人芝居の稽古が6月から始まること。延期や中止になる可能性もあったので、「どのタイミングでセリフを覚えようか」と、それだけは4月からずっと考えていた。 「そういうときに私って呑気なんです。役との巡り合わせも、人との巡り合わせもご縁なので、上演できるかできないかは、神のみぞ知る、と。今までもいろんなピンチに直面したけれど、後から思えば悪いことっていうのは起きていないし。結局、台本を手に取ってセリフを覚え始めたのは、5月になってから。ギリギリまでのんびり過ごしていましたね(笑)」 >>【後編/鈴木杏が一人芝居に挑戦 舞台「殺意」に感じたコロナ時代との共通点】へ続く (菊地陽子、構成/長沢明) ※週刊朝日  2020年7月17日号より抜粋
鈴木杏が一人芝居に挑戦 舞台「殺意」に感じたコロナ時代との共通点
鈴木杏が一人芝居に挑戦 舞台「殺意」に感じたコロナ時代との共通点 鈴木杏(すずき・あん)/1987年生まれ。東京都出身。96年にドラマデビュー。以降、テレビ、映画、舞台などで活躍。2012年に映画「軽蔑」で第26回高崎映画祭最優秀主演女優賞、17年に舞台「イニシュマン島のビリー」「母と惑星について、および自転する女たちの記録」で第24回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞するなど受賞歴多数。 [撮影/加藤夏子 ヘアメイク/菅野綾香(ENISHI) スタイリスト/和田ケイコ 衣装協力/AOI WAKANA] 鈴木杏さん [撮影/加藤夏子 ヘアメイク/菅野綾香(ENISHI) スタイリスト/和田ケイコ 衣装協力/AOI WAKANA]  常に新しいチャレンジを続けている女優・鈴木杏さん。自粛期間が明けて立つ舞台は、初の一人芝居。大衆主義の愚かさを描いた三好十郎の作品が、“withコロナ”の今上演されるのは、運命だろうか。 【前編/鈴木杏「今がチャンス」 コロナ自粛期間に始めた2つのこと】より続く 杏さんが出演する舞台「殺意 ストリップショウ」は、劇作家の三好十郎が1950年に発表した、一人のダンサアが語る衝撃的な半生の物語だ。演出を手がけるのは、ここ数年は年に1本のペースで杏さんとタッグを組んでいる栗山民也さん。この作品については、2年ほど前に、栗山さんから、「2020年に、大変なやつをやる」とぼんやりした情報だけを耳にしていた。 「『壮大な話なのかな? 歴史物かな?』などと勝手に想像していたんです。でも蓋を開けたら、その“大変さ”は、私の想像をはるかに超えていました。三好十郎さんの作品をたくさんは見ていませんが、毎回、今とはまた違う景色が浮かび上がって、言葉の美しさや持つ力に感動するんです。三好作品への憧れもあったので、『やります!』って言っちゃいましたけど、できるできないはさておき、飛び込んじゃうというのは私の悪い癖ですね(笑)」  戯曲と観客の橋渡しの役目を果たすのが役者だと思っている。一人芝居だろうと群像劇だろうと、戯曲が伝えたいことを客側にどう手渡すかに必死になるのは同じだ。ただ、一人芝居の稽古をしていると、相手役がいるときよりも、セリフの一つひとつが、より作家の魂の言葉であると痛感する。 「稽古そのものは、いつもとあまり変わらないです。ただ、ずーっと出番なので、ずーっとしゃべってるな、ずーっと稽古しているな、という感覚はあります。私の場合は10代から演劇界に入れてもらっているので、スタッフさんも含めて、親戚の人みたいな感じなんです。(演出家の)栗山さんもそうです。最初は萎縮してしまう部分もありましたけど、あっという間に、お父さんというかおじさんというか(笑)。舞台の稽古って基本的に恥をかく場所だから。恥ずかしいところを散々見られていると思うと、今更カッコつけなくてもいいし。自然体でいられる場所だなって。一人芝居だけど、スタッフさんは大勢いるので、稽古のときは一人じゃないんです」  杏さんが初舞台を踏んだのは、16歳になる年のことで、演目は「奇跡の人」。ヘレン・ケラー役だった。 「そのときはセリフがなくて、同じ年の秋には蜷川(幸雄)さん演出の『ハムレット』の舞台に立っていました。だから、初めてのセリフがシェイクスピアだったんです。当時から毎回、“できないことをできるようにしていく”。それをひたすらやっていて、無我夢中で、目の前にある壁を登って、今またここにいる感じです」  舞台女優としての、大きな目標があるわけではなかった。ただ、コツコツと修練を積み重ね、毎日の生活の中に、稽古や本番がある。映画のように、どこか遠い場所で撮影のためだけに時間を費やすのでもなく、ドラマのように、一日の時間が断片的に切り取られていくわけでもなく、舞台のときは、朝起きて稽古に行って、終わったら家に帰る。暮らしと地続きにある、その日常性が性に合っていた。 「朝起きて、体を動かしたり、食事をしたり、掃除や洗濯なんかをして、決まった時間に家を出て、決まった時間に稽古場に着いて、だいたい決まった時間に終わる。本番も同じで、劇場入ってアップして、ご飯を食べて、メイクして、本番。それを毎日繰り返す、コツコツした感じが好きです。稽古が終わればスーパーに寄って、自分の家でご飯が作れる。自分の生活も確保しながら仕事もできる。学校に行っていた頃は、それなりに忙しかったけど。でも、空いている時間にやりたいことをできるのが舞台。人と会う約束もできるし、先のスケジュールがわかるので、予定が組みやすい。そういう、シンプルな理由で、私は舞台が好きなのかもしれません(笑)」  今回、新型コロナ感染症の影響で、3月から6月にかけて、ほとんどの劇場がクローズした。「殺意~」は、いわゆる“withコロナ”期に、先陣を切って開催される舞台の一つとなる。もし、この時期に上演される運命だったとしたら、そこに込められたメッセージは、どう今の時代とシンクロするのだろうか。 「私がこの戯曲を読んで思ったことは、人の感情というのは、いつの時代も変わらないということです。人の心が動いている様が描かれているので、最後は、『人間とは?』というすごく本質的な問いを突きつけられる気がします。一人芝居ですが、人とは何か、命とは何かを覗いていく感覚は一緒だなと思います。もう一つ、この戯曲のすごいところは、人が、生きている間に感じる、おおよそ全ての感情が描かれていることです。誰かを愛しく思うこと、恥じらうこと、憎むことだけでなく、殺意が芽生えたり、人を蔑んだり、自分を蔑んだり。善とか悪とか、そんな単純に分けることのできない、あらゆる気持ちがそこにある」  タイトルにある“ストリップショウ”というのも、杏さんが演じるダンサアの美沙(役名)の職業である“脱ぐ”という行為が、“心のストリップ”にもかけてある気がするのだとか。 「ホン(台本)が進むに連れて、一枚、また一枚と、美沙の本質がめくれていく感じがあります」 (菊地陽子、構成/長沢明) ※週刊朝日  2020年7月17日号より抜粋
有安杏果が撮る東京の文化財『世田谷観音』の魅力 「ライブ演奏時は音楽の神様に祈りたくなる」
有安杏果が撮る東京の文化財『世田谷観音』の魅力 「ライブ演奏時は音楽の神様に祈りたくなる」  有安杏果さんと東京都内の神社仏閣を訪ねる企画「ももかアイズ」。今回は世田谷観音だ。東急田園都市線の三軒茶屋駅を降りると、ランドマークとなっている商業施設「キャロットタワー」がそびえ立っている。多くの人が行き交う大通りから住宅街を20分ほど歩くと、正式名称「世田谷山観音寺」に着く。世田谷観音の通称で、多くの人に親しまれている。  今回の撮影は新型コロナウイルスの影響が拡大する前に、安全に配慮して行った。  境内を歩く有安杏果さん(アプリコット提供)    1951年に太田睦賢(おおたぼっけん)和尚が独力で建立した。20歳ごろに上京し、宣教師との出会いからキリスト教に帰依した。海外でキリスト教を学ぼうとしたが、家族から国内で得度することを勧められ、仏教徒の道を歩むことになった。生計は製菓・製パン業で立て、さらに神官の資格も取り、禰宜(ねぎ)として奉仕したこともあるという。己の懐が寒くては思うことを思った通りに実践できないという信念から、商売で経済的な基盤を固めてから寺院を立ち上げたのだろう。  寺院で、昭和時代の創建となると新しいイメージが持たれるが、境内のお堂は、ほかの寺院などから移築されたものばかりで、古刹のような雰囲気がある。「江戸三十三観音」の第32番札所。緑に囲まれ、心が洗われる。     境内を撮影する有安杏果さん             「世田谷にあるレコーディングスタジオも使うことが多いのですが、ここにお寺があるなんて知りませんでした。とても静かで心が休まりますね」  境内に入った有安杏果さんが仁王門で足を止め、「鳴き龍」を見上げた。  真下でパンと手をたたくと、不思議な音が響くことからそう呼ばれる。向かって右側は金剛力士像、左側は密迹力士(みつじゃくりきし)像。平安時代後期に造られた東京都内最古の仁王像との説明書きがある。         密迹力士像                 仁王門をくぐり、参道を歩くと、正面に観音堂(本堂)が見えてくる。靴を脱いでお堂に上がり、ご本尊・聖観世音菩薩像に手を合わせる。         聖観世音菩薩像                その脇にまつられているのがマリア観音像。江戸幕府の厳しいキリスト教禁制を避け、「隠れキリシタン」が聖母マリアの化身として、ひそかに崇拝した観音像のことだ。幼児を抱くマリア観音の姿は、キリスト教と仏教が融合しているように映る。              観音堂                 「マリアさま?」有安さんが近づいて、のぞき込む。  撮影の合間に、「有安さんはどんな時に祈りたくなりますか」と聞いてみた。 「そうですね……。ギター、ピアノ、サックス……ライブでいろいろな楽器をやりますが、新しい楽器にチャレンジしてライブで演奏する時は祈りたくなりますね。音楽の神様はいるんじゃないかと思います。でも、音楽の神様はきっと、そんなに優しくないと思う」  有安さんはそうほほえんだ。そして、一拍置いて、「努力したうえでお祈りすることにしています」と自分に言い聞かせるように答えてくれた。    マリア観音像               堂内をよく見ると観音堂の柱に見慣れない表示が……「写真撮影OK」。奈良や京都の多くの寺院を訪ねたが、堂内はほとんど撮影禁止だ。カメラを構えた人が立ち止まって動かないとほかの参拝者に迷惑がかかるという理由で、庭園の撮影もダメという寺院もある。いつの間にか、それが私の中で「常識」になっていた。        写真撮影OKの表示    何かの間違いではと思い、世田谷観音の執事、太田兼照さんに尋ねると、こう笑顔で説明してくれた。 「うちは逆に写真を撮影してもらい、それをツイッターやインスタグラムといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で発信してもらいたいと思っています。それで、一人でも多くの方とご縁ができればうれしいと考えています」  太田さんはサラリーマンの経験を経て実家に戻り、執事を務めている。参拝に訪れた一人ひとりに、気さくにあいさつをする姿がとても印象的だ。世田谷観音のオープンな雰囲気が伝わってくる。       観音堂に柔らかな光が入り、美しいシルエットを生み出す    次に、阿弥陀堂を訪れる。ここには、東京都の指定有形文化財となっている「五百羅漢坐像」が9体安置されている。もともとは、ももかアイズ第2回で紹介した「五百羅漢寺」にあったものの一部だ。阿弥陀堂にも「写真撮影OK」の表示があった。          五百羅漢坐像  そのほか、韋駄天(いだてん)像もまつられている。韋駄天は、釈迦の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)を盗んだ捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて取り返したことから、足の速い神とされる。         阿弥陀堂    日本で初めてオリンピックに参加したマラソンランナーの金栗四三(かなくりしそう、1891~1983)。2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)」で取り上げられたように、俊足の人を「韋駄天」に例えることがある。            韋駄天像    阿弥陀堂を出て建物を見上げると、その金栗氏の揮毫で「韋駄天」と書かれた扁額が見えた。東京五輪のマラソンと言えば、日本代表の選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で盛り上がった。残念ながら延期が決まったが、マラソンファンならば金栗氏の繊細でバランスの取れた筆遣いを鑑賞してほしい。           六角堂  2017年に東京国立博物館で開催された特別展「運慶(うんけい)」では、約60万人が鎌倉時代の写実的な美に魅了された。その仏師・運慶(?~1223)の孫にあたると言われる康円(こうえん、1207~?)が手がけた不動明王と八大童子像が、阿弥陀堂の向かいにある六角堂(不動堂)に安置されている。           有安杏果(ありやす・ももか)/1995年3月15日生まれ。歌手、写真家。0歳から芸能活動を始め、CMやドラマ、MVなどに出演多数。2017年3月、日本大学芸術学部写真学科卒業。芸術学部長特別表彰受賞。写真学科奨励賞受賞。2009年7月から8年間アイドルグループで活動し、2018年1月卒業。2019年1月、音楽や写真などを通して表現し伝えていく活動を発表。有安杏果オフィシャルサイト(https://www.ariyasumomoka.jp/)「サクラトーン」「虹む涙」ストリーミング&ダウンロード配信スタート!(https://www.ariyasumomoka.jp/extra/sakura_tears/)    1272年に造られたことが分かっている。時代でいうと、蒙古襲来のあった「文永の役」の2年前だ。普段は閉まっているが、毎月28日午後2時からは公開され、多くの参拝者でにぎわう。国指定の重要文化財だ。護摩焚きが行われた後、そばでじっくりと対面できる。世田谷観音で唯一、六角堂(不動堂)は撮影禁止になっている。 世田谷観音 東京都世田谷区下馬4-9-4 03-3410-8811 公式サイト(http://www.setagayakannon.com/) 東急バスの三軒茶屋駅、祐天寺駅、目黒駅前から「黒06」系統で世田谷観音下車。東急田園都市線の三軒茶屋駅から徒歩約20分。境内自由。 ※現在、コロナウイルスの影響で閉門時間が午後4時に変更されています。マスクの着用もお願いします。境内の散策はできますが堂内へは入れません。状況は日々変わるので、参拝の際はあらかじめ電話で世田谷観音まで問い合わせを。 <文> 平野圭祐(ひらの・けいすけ)/1970年、京都市生まれ。毎日新聞社に入社。横浜支局、経済部兼京都支局記者を経て、朝日新聞社入社。金沢総局、大阪本社社会部記者などを経て、大阪企画事業部で「国宝 阿修羅展」「国宝 鳥獣戯画と高山寺」「運慶」などの展覧会を担当。現在、寺社文化財みらいセンター事務局長。著書に「京都水ものがたり―平安京1200年を歩く―」など。
子どもの反抗期、毎日の食事、動かない夫……毎日のイライラの解決が見つかる本
子どもの反抗期、毎日の食事、動かない夫……毎日のイライラの解決が見つかる本 ...子どもめし』 まついなつき著(KANZEN) 今年1月に亡くなられた漫画家まついなつきさんが、育ち盛りの3人の息子たちの子育て&ごはんについてつづったエッセー。毎日の食事ってつい「ちゃんとしたものをたべさせないと」と思いがちですが、にんじんがメインのにんじんごはん、きゅ...
歌詞は文学として扱われてもおかしくない ピーター・バラカンが教える「ボブ・ディランのここがすごい」
歌詞は文学として扱われてもおかしくない ピーター・バラカンが教える「ボブ・ディランのここがすごい」 Peter Barakan/1951年、ロンドン生まれ。ラジオDJ、音楽評論家。74年に来日。著書に『ロックの英詞を読む』など。78年のディラン初来日ライブも日本武道館で見た(写真:本人提供)  新型コロナウイルスの影響でライブ公演中止を発表したボブ・ディラン。ロンドン出身の音楽評論家で、著書に『ロックの英詞を読む』などがあるピーター・バラカンさんは、1978年のディラン初来日ライブも日本武道館で見た筋金入りのディランファンだ。AERA 2020年4月6日号では、バラカンさんにディランの魅力について話を聞いた。 *  *  *  私が最初にディランを聴いたのは2枚目のアルバム「The Freewheelin’Bob Dylan」(1963年)でした。ビートルズの誰かがラジオでディランを「すごいアーティスト」と紹介したのです。すでに私はビートルズの大ファンだったので、「そこまで言うなら」と聴いてみました。子どもながらに気に入ったのを覚えています。  ディランのメッセージ性のピークは、その次の「The Times They Are A−Changin’」(64年)でしょう。すべての曲に強烈なメッセージがありました。  このレコードの影響力はすごかったのですが、ディランはそのために「世代の代弁者」と言われるようになります。でもまだ彼も20代前半で、泡食っちゃったんでしょう。それ以降、わかりやすいいわゆるプロテストソングからは距離を置いています。  私は60年代の黄金時代の歌にあるいくつもの言葉に、無意識に影響を受けました。私の座右の銘は、ディランの傑作「Like a Rolling Stone」の一節です。  When you got nothing, you got nothing to lose  何も持っていなければ失うものがない、という意味。すごいと思いました。失うものを持っていない状態が一番強い状態ですよね。冒険もできるし、臆することもない。ズキンときました。一つの価値観としてとても大切なものだと思いました。  ディランの歌詞がノーベル文学賞にふさわしいかどうかわかりませんが、文学として扱われてもおかしくないとは思います。詩人のような人ですから。  例えば、60年代中頃のディランって、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ期の映画を見ているような感じがします。ルイス・ブニュエルとかゴダールとか、訳がわからないなりに映像としての面白さがある。  ディランの「Desolation Row」や「Highway 61 Revisited」は、同じようにメチャクチャでしょ。イメージの連続。理解しようとしても無理があります。だけど、一つ一つ描かれている描写を想像してみると面白いんです。  ただ、やっぱり彼がやっているのは音楽なんです。みんなディランの歌詞ばかりを集中的に語りたがりますが、音楽は人が歌う。メロディーがある。編曲もあって、レコードなら全体のサウンドもあります。ディランの歌詞を本で読んだとき、レコードほどのインパクトを受けるかというと、そうではないと思います。言葉をそれほど理解しようとしなくても、純粋に音楽として聴く価値がある作品が多いのです。  初めての人が聴くなら、60年代の代表的な傑作アルバムから入るとスムーズに入ることができると思います。私もあの時代の音楽をもっとラジオなどで流したいと思います。(編集部・小田健司) ※AERA 2020年4月6日号より抜粋
がんになるリスクを下げる5つの食品
がんになるリスクを下げる5つの食品 ※写真はイメージです(Getty Images) 図表1 がんになるリスクを下げる5つの食品出典:*1-9より筆者ら作成 ●食事でがんは予防できるのか  がんは日本人の2人に1人がなる国民病です。がんになりたくないと思っている人は多いと思いますし、食事でがんを予防できたらしたいと考えている人も多いのではないでしょうか? 現に、テレビの健康番組や本屋に行くと、「がんを予防する食事」に関する情報があふれています。  本当に食事でがんの予防することはできるのでしょうか?  結論から言うと、がんになってしまうリスクを下げるという観点であれば、「できる」と言っていいでしょう。一方で、食事によってリスクをゼロにできるかという問いであれば「できない」が答えになります。  予防とひとくちに言っても、色々な考え方があります。たとえば、HPVワクチンの接種によって子宮頸がんのようながんを予防したり、体重管理をして肥満を避けることでリスクを下げたりすることは可能です。しかし、食事によってリスクをゼロにできるかというと、そこまでの劇的な効果は期待できません。  食事とがんのリスクの関係に関して、信頼性の高いエビデンスを基に予防についてまとめたものが図表1です。  これら5つの食品は、がんのリスクを下げると複数の研究で報告されています。諸外国では野菜と果物は同じカテゴリーに含まれるので(野菜と果物を合わせて一日350~400g以上摂取することが推奨されています)、並列して表記しました。  全粒穀物は、玄米、全粒粉、そば、雑穀類など、精製されていない穀物を指します。表の右列には、これら5つの食品の摂取により、どういったがんが減るのを記してあります。これを見ると、大腸がんが多いのがわかるはずです。  ほとんどの研究は、ランダム化比較試験という最も質の高い研究で証明されているもの、もしくは5~10の複数の良質な研究の結果をまとめたものです。いずれにしても信頼できる研究によって「がんのリスクが下がる」と証明されているので、覚えておくといいでしょう。 ●がん予防の観点からも玄米食はおすすめ  野菜と果物に関して言うと、日本人は野菜の摂取量が他の国と比べると多い。反対に、果物の摂取量が少ないという傾向があります。したがって、野菜の消費を今以上に増やすのは難しいかもしれないので、果物の量を増やすことを心掛けてみてください。  ナッツ類とオリーブオイルを普段から摂取している人はそう多くないかもしれません。その場合、間食にナッツ類を食べ、料理で油を使う際にはオリーブオイルを使うようにするといいでしょう。  また、白米を玄米に変えるだけで、大腸がんだけでなく、糖尿病のリスクも下がると報告されています。日本人が白米食べるようになったのはそれほど昔の話ではありません。健康のことを考えるのであれば、原点回帰をして玄米食に変えてみてはどうでしょうか。  ちまたで流行っている糖質制限(注:糖質制限が健康に良いかどうかは、代わりに何を食べるかによって変わってきます。牛肉や豚肉など動物性の蛋白質を代わりに摂取する食事は、大腸がんのリスクが増加するため推奨されません。一方で、代わりに野菜を摂取するということであれば健康的な食事といえます)に比べると、玄米食への移行は比較的楽だと思います。  玄米が苦手な人もいますが、うまく炊けばもちもちしていてむしろ美味しいものです。日本では玄米が消化に悪いのではないかと言う人がいますが、そんなことはありません。玄米には不溶性の食物繊維が多いため便通もよくなりますし、白米を玄米に変えたら比較的すぐに体調の変化を実感できると思います。ぜひ日々の食事に玄米を取り入れてみてください。  注意していただきたいのは、「健康的な食事だけをすべき」という話をしたいのではないということです。人それぞれの生き方ですので、病気になってもいいからおいしいもの食べたいという人もいると思います。少し太ってしまっても、おいしいもの食べたいという人もいるでしょう。味気ない食事を毎日食べ続け、その結果、長生きできたとしても、「そんな人生楽しいのか?」という意見もあるはずです。ですから、一概にどちらがいいとは言えません。  何を食べるかは最終的に自分自身で判断して決めればいいのですが、ただ1つお伝えしたいのは、しっかりとした正しい情報を入手した上で、何を食べるのか選択してほしいという点です。わかっていて決めているのなら、後悔もない。しかし、誤った情報に惑わされ、健康にいいと頑なに信じながら、健康に悪いものを食べてしまっている人も残念ながらいるのです。 『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』には、がんに関する研究をわかりやすくまとめています。ぜひご覧ください。 (津川友介:UCLA助教授 勝俣範之:日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授 大須賀覚:アラバマ大学バーミンガム校助教授) 著者について 津川友介(つがわ・ゆうすけ) 医療データ分析の専門家。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)内科学助教授。東北大学医学部卒業後、ハーバード大学で博士号(PhD)を取得。聖路加国際病院、世界銀行、ハーバード大学勤務を経て現職。著書に『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』(東洋経済新報社)、共著書に『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社)。 勝俣範之(かつまた・のりゆき) 日本の抗がん剤治療のパイオニア。日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授、外来学療法室室長。富山医科薬科大学(現富山大学)医学部卒業後、国立がんセンター中央病院内科レジデント、同薬物療法部薬物療法室室長などを経て現職。『逸脱症例から学ぶがん薬物療法』(じほう)、『「抗がん剤は効かない」の罪』(毎日新聞社)など著書多数。 大須賀覚(おおすか・さとる) がんの研究者。アラバマ大学バーミンガム校(UAB)脳神経外科助教授。筑波大学医学専門学群卒業後、日本で脳神経外科医として脳腫瘍患者の治療に従事した後、基礎研究者へと転身。現在は脳腫瘍を治療する新薬開発に従事。日本での詐欺的がん情報の拡大を危惧し、がん患者をそれから守ろうと、ブログ、Twitterなどの各種メディアで情報発信を行っている。 参考文献 *1 Zheng JS, Hu XJ, Zhao YM, Yang J, Li D (2013) “Intake of fish and marine n-3 polyunsaturated fatty acids and risk of breast cancer: meta-analysis of data from 21 independent prospective cohort studies,” BMJ; 346: f3706. *2 Wu S, Feng B, Li K, Zhu X, Liang S, Liu X, Han S, Wang B, Wu K, Miao D, Liang J, Fan D (2012)“ Fish consumption and colorectal cancer risk in humans: a systematic review and meta-analysis,” Am J Med; 125(6): 551-9.e5. *3 Song J, Su H, Wang BL, Zhou YY, Guo LL (2014) “Fish consumption and lung cancer risk: systematic review and meta-analysis,” Nutr Cancer; 66(4): 539-49. *4 Aune D, Lau R, Chan DS, Vieira R, Greenwood DC, Kampman E, Norat T (2011)“ Nonlinear reduction in risk for colorectal cancer by fruit and vegetable intake based on meta-analysis of prospective studies,” Gastroenterology; 141(1): 106-18. *5 Vieira AR, Abar L, Vingeliene S, Chan DS, Aune D, Navarro-Rosenblatt D, Stevens C, Greenwood D, Norat T (2016) “Fruits, vegetables and lung cancer risk: a systematic review and meta-analysis,” Ann Oncol; 27(1): 81-96. *6 Aune D, Chan DS, Lau R, Vieira R, Greenwood DC, Kampman E, Norat T (2011) “Dietary fibre, whole grains, and risk of colorectal cancer: systematic review and dose-response meta-analysis of prospective studies,” BMJ; 343: d6617. *7 Reynolds A, Mann J, Cummings J, Winter N, Mete E, Te Morenga L (2019) “Carbohydrate quality and human health: a series of systematic reviews and meta-analyses,” Lancet; 393(10170): 434-445. *8 Bloomfield HE, Koeller E, Greer N, MacDonald R, Kane R, Wilt TJ (2016) “Effects on Health Outcomes of a Mediterranean Diet With No Restriction on Fat Intake: A Systematic Review and Meta-analysis,” Ann Intern Med; 165(7): 491-500. *9 Toledo E, Salas-Salvado J, Donat-Vargas C, Buil-Cosiales P, Estruch R, Ros E, Corella D, Fito M, Hu FB, Aros F, Gomez-Gracia E, Romaguera D, Ortega-Calvo M, Serra-Majem L, Pinto X, Schroder H, Basora J, Sorli JV, Bullo M, Serra-Mir M, Martinez-Gonzalez MA (2015) “Mediterranean Diet and Invasive Breast Cancer Risk Among Women at High Cardiovascular Risk in the PREDIMED Trial: A Randomized Clinical Trial,” JAMA Intern Med; 175(11): 1752-60.
有安杏果が撮る東京の文化財『五百羅漢寺』の魅力「仏像を撮るのは人物と同じで難しい」
有安杏果が撮る東京の文化財『五百羅漢寺』の魅力「仏像を撮るのは人物と同じで難しい」  有安杏果さんと東京都内の寺社仏閣を訪ねる企画「ももかアイズ」。今回の五百羅漢寺は、JR目黒駅から歩いて十数分のところにあり、「目黒のらかんさん」として親しまれている。  寺院近くの交差点脇に、江戸時代の1695年(元禄8年)にこの寺を開いた松雲元慶(しょううんげんけい)の像がある。お寺に向かって住宅街に入ると、静けさに包まれる。 五百羅漢寺正面(アプリコット提供)  寺の入り口は、白を基調としたモダンな造りだ。1938年から4代続けて尼僧が守り続けていた。寺をマンションにするという話が持ち上がったこともあったが、当時、不動産業を手がけていた故・日高宗敏貫主が費用を工面し、寺を建て直した。さまざまな困難を乗り越え、現在の堂塔は1981年に落慶した。 境内で撮影する有安さん(アプリコット提供、※特別な許可を受けて撮影しています)  話は明治時代にさかのぼる。1868年、政府から「神仏判然令」が発布された。これは、インドから中国、朝鮮半島を経て伝来した仏教と、日本固有の神道を併せ持った日本の「神仏習合」の形を壊そうとした政策だった。  神道を重んじる過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が起き、全国的に寺や文化財の破壊が行われ、多くの仏像が失われた。五百羅漢寺もその影響を受け、没落していたという。一時は檀家がほとんどいなくなり、建物の修繕もままならなかったという。 取材を終えた有安さん(アプリコット提供)  寺を開いた松雲元慶が手がけた羅漢像は、500体以上に上る。神仏判然令の影響で壊されたものや、やむを得ず手放されたものもあり、現在残されたものは305体。大雄殿(本堂)と羅漢堂に分けて安置されている。  松雲元慶は、もとは京都の仏師で後に得度し僧侶になった。豊前(ぶぜん、大分県)の耶馬渓(やばけい)の羅漢寺を参拝し、五百羅漢の造立を発願(ほつがん)、江戸に向かった。5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)をはじめ、江戸中の人々から寄せられた浄財をもとに完成させた。 羅漢堂  階段を上り拝観受付を過ぎると、右手に羅漢堂がある。ここには146体の羅漢像がコの字型にずらりと並ぶ。入ると、時間が止まっているような感じを受ける。凜と張り詰めた空気。羅漢像の一人一人の顔つきを見ながら歩くと、次第に気持ちが落ち着いてくる。柔らかな光を背に堂内にあるいすに腰を下ろし、じっくりと向き合ってみるのもいい。 外光が差し込む羅漢堂 「わぁ、すごい。顔つきが一つ一つ違う」  衣の裾の流れるような曲線、喜怒哀楽の豊かな表情。今にも動き出しそうな羅漢像を前に、有安さんが食い入るようにカメラのシャッターを切る。 「柵やガラスケースがない分、近く感じます」  仏像好きでいろんな寺をお参りした人でも、その存在感に圧倒されるに違いない。 「語り声が聞こえてきそうな気がしますね」 頂生尊尊者  頂生尊尊者は目を細め、歯を見せながら声高らかに笑っている。実際、「あーっ、はっはっ」と声が聞こえてきそうだ。じっと見つめていると、自然とこちらも笑いたくなってしまいそうなパワーを感じる。  一方で、鉢を持つ声引衆尊者の控えめな目線には、人を安心させる力がある。 鉢を持つ声引衆尊者(手前)  羅漢とは釈迦の弟子たちのこと。釈迦の教えに従って修行を積み、煩悩を払い、インドでは「アラハン」と讃えられた。仏教がインドから中国に伝わり、「アラハン」の発音を「阿羅漢(あらかん)」と漢字で表現した。そのうち、「阿」がとれて「羅漢」と呼ばれるようになったと言われる。  有安さんが「よく見ると羅漢さんにいろいろな説明が書いてある」と気づいた。  案内していた五百羅漢寺の佐山拓郎住職が、こう説明してくれた。 「羅漢さんの名前の書かれているお経をもとに現代的な解釈をして、わかりやすくメッセージを表記していますので、1体1体丁寧に見ていけば、どんな人にもちゃんと刺さります。じっくり見ていただければ、あなただけの羅漢さんに出会えるはずです」  有安さんは2019年、初めての写真作品集「ヒカリの声」(クレヴィス)を出版した。今回の「ももかアイズ」のシリーズで初めて、仏像の撮影にチャレンジしている。こう手応えを語る。 「仏像を撮るのは人物を撮るのと同じですよね。お一人お一人の表情を引き出すのが難しかったです。いい経験になりました」(有安さん) 羅漢堂内の五百羅漢像  大力尊者の前には、「信念と努力が大きな力をつくる」。無垢蔵尊者のところには、「人のいやがる仕事をすすんでやる」と書かれている。釈迦の一人息子である羅怙羅尊者は、両手で体内にある仏の姿を見せていて、特に印象に残る。 羅怙羅尊者  羅漢堂の出口で有安さんが立ち止まった。安置されていた「獏王像」に目が止まる。獏(ばく)は中国の想像上の動物。人間の悪い夢を食べ、良い夢を与えてくれるという。羅漢堂のものは、人面牛身虎尾で顔と腹の両側に3つずつ、計9個の目がある異形だ。 獏王像  羅漢堂を出て、今度は大雄殿(本堂)に入る。中央には、手に一輪の花を持つ釈迦如来像。その周りに、釈迦の説法を聞く羅漢たちが並ぶ。関東大震災や大空襲などを経験した東京で、これだけの羅漢像がまとめて残っていることは奇跡と言えるだろう。 大雄殿に安置されたご本尊  佐山住職は10年間のサラリーマン生活を経て、僧侶になった。出版関連の会社にいたが、不規則な生活に心身とも疲れ、30代前半で退職。五百羅漢寺に入った。 大雄殿内の五百羅漢像  佐山住職は、「ドラゴンボール」「北斗の拳」「キン肉マン」「キャプテン翼」といった漫画が大好きだ。お笑いやゲーム、スポーツ観戦も趣味だという。  なかでも、人気ゲーム「ドラゴンクエスト」(ドラクエ)が好きで、参加者と雑談形式の「ドラクエ法話」というイベントを定期的に開催するほど。ゲームのストーリーと仏教の教義をわかりやすくつなげる内容だという。 「ドラクエは、自分の行動によって他者と関われるところが魅力です。シューティングゲームのようにうまい、へたではなく、ロールプレイングゲームなので、誰もが主人公になれるのです。アイテムを選び、どう戦うのかも自分で決めます。自分が思った方向に進めばいいのです。自分次第で相手の反応も違ってくる。仏教に通じるものを感じます」(佐山住職) 大雄殿  寺の入り口には訪れる人へのメッセージが掲げられている。佐山住職が定期的に書き換えている。ある日は、こんなことが記されていた。 生きることは まわりとのプレゼント交換 苦手なことと、得意なこと 悲しい気持ちと、よりそう心 交換していくうちに 生まれた意味も、生きた証もいつのまにか、手元にある 用意した、人へのプレゼントから、本当の自分も、見つかる 「駆け込み寺という言葉があるように、お寺はもともと思い立った時に誰が来てもよい場所であったはずです。お寺への敷居を低くして、気軽に自由に来ていただける空間作りを目指しています」(同) 大雄殿内で撮影する有安さん(アプリコット提供) 《アクセス》 五百羅漢寺 東京都目黒区下目黒3丁目20-11 03・3792・6751 拝観料 一般500円(65歳以上、高校生以上400円)。JR山手線「目黒駅」から徒歩12分。東急目黒線「不動前駅」から徒歩8分。詳しくは五百羅漢寺公式HP(http://rakan.or.jp/)で。  昭和を代表する写真の名手、林忠彦氏(1918~1990)と、代表作に盆栽を被写体にした「FORM」がある大和田良氏。五百羅漢に魅せられ、寺内にこもって羅漢を撮り続けた2人の写真家の特別企画写真展「五百羅漢を巡るふたつの視覚」を、2020年4月29日まで開催中(拝観料が必要)。 <写真> 有安杏果(ありやす・ももか)/1995年3月15日生まれ。歌手、写真家。0歳から芸能活動を始め、CMやドラマ、MVなどに出演多数。2017年3月、日本大学芸術学部写真学科卒業。芸術学部長特別表彰受賞。写真学科奨励賞受賞。09年7月から8年間アイドルグループで活動し、18年1月卒業。19年1月、音楽や写真などを通して表現し伝えていく活動を発表。有安杏果オフィシャルサイトは(https://www.ariyasumomoka.jp/)。「サクライブTour2020」の詳細は(https://www.ariyasumomoka.jp/special/sakulive2020/) <文> 平野圭祐(ひらの・けいすけ)/1970年、京都市生まれ。毎日新聞社に入社。横浜支局、経済部兼京都支局記者を経て、朝日新聞社入社。大阪本社社会部記者などを経て、大阪企画事業部で「国宝 阿修羅展」「国宝 鳥獣戯画と高山寺」「運慶」などの展覧会を担当。現在、寺社文化財みらいセンター事務局長。著書に「京都水ものがたり―平安京1200年を歩く―」など。
【Vol.30】Interview with designer Akira Minagawa,The connection between festivals and design
【PR】【Vol.30】Interview with designer Akira Minagawa,The connection between festivals and design Born in Oimachi, Tokyo, Minagawa spent his youth in Kamata. “Before moving to Shirokanedai, I had my atelier in Asagaya, where they held jazz festivals, as well as Tanabata festivals in the Pearl Center Shopping street. You could feel how much everybody looked forward to those local festivals every year, which I found very nice.” The highlight of the Tanabata festival is the giant papier-mâché figures handmade by the staff of the various shops along the street. They range from cartoon characters to animals, fish, and so on. These elaborate figures from each shop are a famous part of the festival. “When I think about the impression these figures give the children, it warms my heart somehow. When children see their favorite characters floating in giant sizes in the air, it must be like a world full of their dreams. When I was small, living in Kamata, I used to be a member of carrying the portable shrine (mikoshi) around the area. I find it nice to bring back memories of festivals in my childhood again, in the pleasant, mellow atmosphere of Asagaya.” As a designer, Minagawa found ‘Sansa Odori’ also interesting. He saw the dance for the first time in Morioka, where his sister and mother live. “There’s a flowing feminine elegance in the gestures; it’s rhythmical. It stayed strongly in my mind how everyone entered the world and concentrated on dancing. It was beyond the Bon dances—there was something sacred about it. It really made me see how culture is being faithfully passed on to the younger generation.” Another festival is the Summer Solstice Festival in Finland, where he spends about a month every summer. “For a festival, it’s pretty quiet. Everyone performs folk dancing, and at the end they make a great bonfire. Everyone just watches it silently. The atmosphere is like praying, more than joy of summer.” Courtesy of Akira Minagawa Festivals come in all forms, but at their heart, they are expressions of thanks for nature’s bounty—harvests in particular—and this is something we see in every country. Is there any difference between what you see in ‘festivals’ as a designer and what we can see? “Take farming, for example. Even if you put in a lot of effort, at the very end you’re still left with part of it being in the hands of the gods. Because you’re dealing with nature, and human efforts can only go so far. You do everything you can, and then leave the rest to God... I find that attitude very nice. We need to remember that it’s not a stance of “if we put in our effort, it should turn out okay,” but one of “we’ll put in the effort, but in the end, we rely on the bounty of nature.” We do not make things that deals with nature, but there’s still a part that we have to entrust to the people who make the actual items in the factories. Clothes isn’t a product of nature, but it is the same, in terms of ‘leaving it to others’. It’s not my efforts alone: a lot of people are involved, which means that there’s no end of work in the factories, supporting people’s livelihoods. This cycle is important, I think.” says Minagawa. No matter what sort of AI develops, people continue to appreciate something that cannot be seen, and dance in festivals. Today, clothes of minä perhonen are loved by people from both in Japan and overseas. The reason is not just the beauty of the clothes,bags and so on, but because they can feel the “truth” within the making process. Real things never disappear. Just as festivals in Japan will continue, so will Minagawa’s designs and creations. Akira Minagawa Akira Minagawa, Designer. Founded the “minä” fashion brand in 1995 (name changed to minä perhonen in 2003). Received the Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology’s Art Encouragement Prize for New Artists in 2016. Held the Tsuzuku exhibition in 2019 at the Museum of Contemporary Art Tokyo to showcase the brand and his views on creating and the world (Tsuzuku will next be shown starting in June 2020 at the Hyogo Prefectural Museum of Art). Text: Noriko Ichida N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.) 
【Vol.26】Food stylist Nami Iijima discovers just how much goes into a single handmade hagoita at the Hagoita Fair
【PR】【Vol.26】Food stylist Nami Iijima discovers just how much goes into a single handmade hagoita at the Hagoita Fair At Sensoji Temple, the 18th day of every month is a holy day (en’nichi), for worship of the Kanzeon Bosatsu. And December 18th, a date known as Osame no Kannon, is an extra-special event when the Toshi no Ichi takes place. Various stalls are set up on the temple grounds to sell New Year goods and lucky items in what is known as the Hagoita Fair. The hagoita is an auspicious paddle-like charm that dates from the Edo period (17th-19th centuries). Because the shuttlecocks used to play hanetsuki (a traditional game similar to badminton) have an appearance similar to insect-eating dragonflies, hagoita have been considered lucky objects that “eat bad insects (disease).” The shuttlecock also has a bean attached to it, symbolizing health, thanks to a pun on the word mame which can mean both “bean” and “healthy.” The custom of offering a hagoita as a gift to households on the birth of a daughter became popular after the war, which is probably what led to the hagoita gaining such importance in the yearly Toshi no Ichi. Numerous shops and stalls now sell hagoita during the three days from December 17th to 19th. During the golden age of kabuki in the Edo period, endless rows of hagoita featured portraits of popular kabuki actors, and large crowds gathered, vying to buy hagoita featuring particularly beloved actors. In those days, hagoita sales were a measure of the various actors’ popularity each year. Women hurried home, lovingly cradling hagoita featuring kyogen actors from traditional comic dramas.  In the past, Asakusa was home to small playhouses known as Edo-sanza that featured kabuki plays, and artisans created faces and applique pictures while watching and studying the kabuki there. Today, in addition to pictures capturing the atmosphere of the Edo (Tokyo) of old, hagoita also bear socially satirical content and depict popular celebrities. Nami wanders through the stalls looking at all the different hagoita pictures, lost in a world of dazzling colors and designs:  “Wow, the faces and kimono in the portraits are so different from shop to shop, aren’t they?”  “The shiny one with a Dojo-ji woman’s face is nice, but this Sukeroku one [both from famous kabuki plays] is really cool too, don’t you think? I think I like hagoita with men’s faces the most,”  “Hey, that hagoita over there, that’s Michael Leitch from the Japanese national rugby team!” Nami asks an artisan, “How tall is the biggest one over there?” “That one with the kabuki lion dance (renjishi) on it is one meter 70 centimeters. It took three or four months to finish.” “So you made it?” “That’s right. When you’re making a hagoita, the face and the applique-like cloth picture involve two separate processes. For the face, whitewash pigment (gofun) is painted on first, and then each face is drawn individually by hand. The kimono requires an applique, and for that I keep a stock of old kimono, and I put cotton inside it to make it stand out as three-dimensional.” “Wow, that sounds like a lot of work!” It’s also nice to be able to learn about traditional crafts as you shop because the hagoita vendors at the fair are the artisans who made them. The Edo hagoita is considered a traditional craft, certified by the governor of Tokyo upon meeting the strict standards set by the Tokyo metropolis, courtesy of the Tokyo Hina Doll Producers’ Cooperative Association.  Says Nami, “I’ve had almost no opportunities at all to learn about this kind of traditional craft in my regular daily life, so it’s great to be able to experience Japanese manners, customs and culture here.”  There are also fun activities at the Hagoita Fair like oekaki hagoita where you can draw any pattern you like on a paulownia wood paddle and take it home with you. Nami picked up a crayon and drew a plump rice cake. She said she’d be spending her new year holidays in France, so purchased three hagoita paddles here at 1,000 yen apiece to use for playing hanetsuki. “I’ll play doubles with these in France!” she says happily. The street stalls are lit up after sunset, creating an entirely different atmosphere from the afternoon. When the Hagoita Fair ends, the year is already over. It’s nice to take a break from the mundane jobs and household chores of ordinary life to go out and have fun with this end-of-year custom. Navigator: Nami Iijima A food stylist born in Tokyo. She works with food in a variety of fields such as film, television dramas and commercials. She has managed well-known projects such as for the films “Kamome Diner” (Kamome Shokudo) and “Umimachi Diary,” as well as for the television dramas “Midnight Diner” (Shinya Shokudo) and Gochiso-san. She was also involved in “The Truth” (La Vérité), the latest film from director Hirokazu Kore’eda, featuring the internationally famous actresses Catherine Deneuve and Juliette Binoche. Text: Noriko Ichida Photographs: Yukari Isa Photography location courtesy of: the Hagoita Fair https://www.asakusa-toshinoichi.com/hagoita-ichi N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.) 
プロが憧れる久保田利伸 ライブはアポロシアターのような熱気
プロが憧れる久保田利伸 ライブはアポロシアターのような熱気 ...od」)には彼女の書き下ろし短編「VODKANEAT」が添えられ、ソウルミュージックをキーワードに、久保田利伸と山田詠美という、音楽と文学のトップ同士、文字通りソウルメイトの共演が話題になった。その際、クボジャー、ポンちゃんを囲んで気分を高めようと特番を企画、沖縄に飛んだ。  どこま...
【Vol.25】Kimura Ihei Award–winning photographer Masataka Nakano reflects on the profound relationship between Tokyo festivals and water
【PR】【Vol.25】Kimura Ihei Award–winning photographer Masataka Nakano reflects on the profound relationship between Tokyo festivals and water The Japanese people have long believed that gods reside in mountains, rivers and seas, and throughout the natural world. They began holding festivals as ceremonies to express their gratitude to nature and the gods. I believe this original nature of festivals is why fire and water, two of the four elements of nature, play such important roles in them. Tokyo is home to several water-related festivals. The Ebara Shrine Festival of Shinagawa, also known as the Kappa Matsuri Festival, is one of Tokyo's largest, covering a tremendous distance. In the early Edo era, as the story has it, a villager saw a mask of the god Susano'o-no-Mikoto drifting at sea. He fished it out of the water and brought it to the Ebara Shrine, where it was then enshrined. The shrine's priest then had a revelation in a dream saying that as the mask came from the sea, it must be taken back to the sea once a year. The mask was placed in a mikoshi portable shrine and taken to the sea, and that same year the fishermen enjoyed a tremendous catch. It thus became an annual tradition to bring the mask to the sea to pray for bountiful catches and harvests. When I photographed the procession, the mikoshi decorated with a mask was carried from the base of the Susaki Bridge down the Meguro River and out onto Tokyo Bay. Accompanied by lively festival music, energetic young people carried the mikoshi into the waters of the bay, the air reverberating with their powerful voices in this event of prayer and remembrance. The scene of the mikoshi-bearers splitting up, boarding dozens of fishing boats, and crossing Tokyo Bay en masse is striking, like a fleet setting out during the Warring States era. I still remember how incredibly fired up and passionate everyone was. These kinds of festivals always crackle with this electric, intensely focused atmosphere. The energy created when a whole community comes together as one fills the air, inspiring a powerful, almost supernatural feeling. Another festival tied to water is the Tomioka Hachiman Shrine's Fukagawa Hachiman Festival. Also known as the "Water Splashing Festival," this festival fills the air with arcs of splashing water, as the name implies. A total of 120 mikoshi large and small are carried through the streets and constantly showered with water to purify them. The sight of the water glittering in the sunlight, combined with the steam rising from the bodies of the mikoshi-bearers, is truly beautiful. On the roads along which the shrines are borne, you can see startling scenes of fire brigades using hoses to shower water on the procession. Even the spectators become soaked, feeling that they, too, have been purified. In my work as a photographer I am always awe-struck by water. This is true not only on nature shoots, when I photograph rivers or the sea, but also when I photograph droplets of spraying water, like at this festival. Water is what makes our planet the way it is, so of course it is sublime in itself. But when it plays a part in festivals honoring the gods, it takes on an even more majestic and sacred aspect. Photograph and text: Masataka Nakano Born in Fukuoka Prefecture in 1955. Moved to Tokyo the following year, where he has lived ever since. Graduated from Musashino Art University's College of Art and Design with a degree in Visual Communication Design in 1979. Began working as a freelance photographer in 1980. Projects included advertisements and magazine covers. In 2000, Nakano published Tokyo Nobody, (Little More), a collection of photographs of Tokyo without people. This work caught the popular imagination, influencing movies and literature. The next year, he was awarded the Photographic Society of Japan Awards Newcomer's Award. In 2005, he published Tokyo Windows (Kawade Shobo Shinsha), a collection of photographs of Tokyo's features taken through the windows of buildings, for which he won the 2004 Kimura Ihei Award. From 2019 to 2020 he presented a photo exhibition simply entitled Tokyo at the Tokyo Photographic Art Museum. http://www.artunlimited.co.jp/artists/masataka-nakano.html N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.) 
【Vol.24】Kimura Ihei Award–winning photographer Masataka Nakano catches a glimpse of people shining bright at a Tokyo festival
【PR】【Vol.24】Kimura Ihei Award–winning photographer Masataka Nakano catches a glimpse of people shining bright at a Tokyo festival Nihonbashi is the starting point of the Fifty-three Stages of the Tokaido, the great coastal highway of Edo-era Japan. Shinagawa, to its west, flourished as the first post-town on the route from Edo (as Tokyo was then known) to Kyoto. It is here that the Shinagawa Shukuba Matsuri festival is celebrated, preserving Edo-era traditions and culture for future generations. Without question, the highlight of the first day of this two-day annual festival is the Oiran Dochu. In this event, beautiful women in resplendent clothing walk through the streets of the commercial district in the soto hachimonji style (pointing the toes of the back foot inwards, then sweeping it foot forward in an arc). During the Edo era Shinagawa was a bustling red-light district, as referenced in the phrase "Yoshiwara in the north, Shinagawa in the south," though this historical fact is scarcely remembered today. Considering that the Shinagawa post-town was a gateway to both land and sea routes, it is easy to imagine how lively it must have been. When the sun sets and the district is enshrouded in darkness, re-enactors dressed as oiran (high-ranking courtesans and entertainers) appear, walking slowly down the street in white makeup from head to foot. Instantly the city street is transported back to Edo times. The oiran were the Hollywood stars of their day, stealing the hearts of the common folk of Edo. The elegance and sensuousness of this elite class of entertainers must have brought color and richness to the times and milieu in which they flourished. These modern-day oiran exude elegance and grace. Lit by the strobing flashes of cameras, their figures, shine with beauty, adding to the glittering festival’s splendor. The dazzling spectacle of the festival enthralls me every time. The fascination emerges not just from the beautiful costumes but by the energetic glow the re-enactors exude in their roles. Their dramatis personae allow them to be truly free as they take center stage. The Edo Fuzoku Parade, held on the second day of the festival, is also fascinating. The old Tokaido Road was the route taken by the daimyo lords and their retinue as they traveled between Edo and Kyoto under sankin kotai: a system imposed by the shogun in which daimyo throughout Japan were obligated to alternate between residences in their home regions and Edo. In this parade, a hundred or so people, selected from an open pool of applicants, dress as samurai, merchants, young townswomen, and other figures from the Edo era. Each person in the parade loses themselves in their part, but some dress so eccentrically that you wonder, "Who is this person supposed to be?" As they watch the parade, the onlookers’ smiles never fade. Of course, the processions of daimyo lords and their retinue during actual Edo times were much more solemn, and the commoners that observed them must have done so with serious faces, but this modern procession is much more of a commemorative festival, bringing re-enactors and spectators together as one for a lively celebration. The secret to photographing a festival is to truly become part of it. I also joined in the parade, immersing myself in the fun of taking photos as I cast my mind back to Edo times. Photograph and text: Masataka Nakano Born in Fukuoka Prefecture in 1955. Moved to Tokyo the following year, where he has lived ever since. Graduated from Musashino Art University's College of Art and Design with a degree in Visual Communication Design in 1979. Began working as a freelance photographer in 1980. Projects included advertisements and magazine covers. In 2000, Nakano published Tokyo Nobody, (Little More), a collection of photographs of Tokyo without people. This work caught the popular imagination, influencing movies and literature. The next year, he was awarded the Photographic Society of Japan Awards Newcomer's Award. In 2005, he published Tokyo Windows (Kawade Shobo Shinsha), a collection of photographs of Tokyo's features taken through the windows of buildings, for which he won the 2004 Kimura Ihei Award. From 2019 to 2020 he presented a photo exhibition simply entitled Tokyo at the Tokyo Photographic Art Museum. http://www.artunlimited.co.jp/artists/masataka-nakano.html N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.) 
【Vol.23】Writer Minori Kai Recommends Places to Visit Alongside a Trip to the Oedo Antique Market
【PR】【Vol.23】Writer Minori Kai Recommends Places to Visit Alongside a Trip to the Oedo Antique Market  Tokyo is the perfect city for people who like to make little detours. Each neighborhood and each train and subway station has its own unique character. Virtually every nook of the city packed with shops and interesting spots, so whenever I go out, I don't just focus on my initial goal but also "side attractions," like taking a break and having a drink or doing a little shopping.   After browsing articles once used in everyday life and works of art at the Oedo Antique Market, I stopped by Tokyo Kaikan, a “hospitality complex” whose history stretches back almost 100 years. The first main building of Tokyo Kaikan was constructed in 1922, at a time when Western culture was spreading through Japan. With its restaurants, bars, banquet halls and cooking school, it was long loved as a world-class social venue that anyone could enjoy. On the 1st floor of Tokyo Kaikan is Rossini Terrace. Here, you can treat yourself with a meal and dessert in spacious surroundings with a view of the Imperial Palace. Marron Chantilly is a Tokyo Kaikan specialty, a confection with the motif of a snow-covered mountain created by Tokyo Kaikan's first head pastry chef. The ingredients are simple—just dairy cream and puréed chestnut—but because of that very simplicity it requires the deft hand of a skilled patisserie. The concoction’s refined, smooth sweetness fills you with such gustatory bliss that before you know it, the exhaustion of walking through the Oedo Antique Market is a distant memory. In addition to the basic dairy cream flavor, also seasonal varieties are also on offer, so you can partake of a different Marron Chantilly each time you visit.  My next stop was the Ippodo Tea Tokyo Marunouchi store, just a stone’s throw from Tokyo Kaikan. Headquartered in Kyoto with a history of some 300 years, Ippodo is a Japanese tea specialist, selling teas such as matcha, gyokuro, sencha and bancha. Some of the shop’s lineup of teas are meant to be prepared with tea whisks or brewed in traditional Japanese teapots, while others are sold in packages of tea bags. The Tokyo Marunouchi shop is Ippodo Tea's only street-front store in Japan apart from the main Kyoto store, and is divided into three spaces: a Shop space, an Enjoy space and a Learn space. The Shop space is a sales area featuring a counter where you can sample teas and select the one you like best. You can ask the staff about the characteristics of each variety of tea and choose the one that suits you. The tea shop also offers a takeout service by the cup, making it easy to relax with soothing Japanese tea. The Enjoy space is "Kaboku," a tearoom adjacent to the sales area. Among the menu’s highlights are selections of teas you experience preparing yourself and a "full-course" selection of Japanese teas. I chose the "Gyokuro Tekiro" set of tea served in a teapot and sweets. The sweets, beautiful hand-made creations from a Japanese confectioner, vary from day to day. You can feel the atmosphere of the main Kyoto shop everywhere: the baskets available at each table for storing your belongings are custom items from Ichizawa Shinzaburo Hanpu, a Kyoto canvas-bag shop, and the uniforms worn by the shop staff were designed by Morikage Shirt Kyoto, a Kyoto shirt specialist.  Lastly, at the Learn space, you can take part in regularly held classes on how to brew tea (reservations are required) or events in which you can learn more about Japanese tea—which, despite its familiarity, is often so little understood. The next time I visit, perhaps I’ll do it not as a side trip but instead with a Japanese tea class as my primary objective.  After this side trip, I visited Intermediatheque, a free museum on the second and third floors of the JP Tower KITTE building. This building preserves part of the former Tokyo Central Post Office while updating it through remodeling. Jointly operated by the Japan Post Co., Ltd. and the University Museum, the University of Tokyo (UMUT), Intermediatheque features permanent exhibits of academic specimens and research materials accrued since the founding of the University of Tokyo in 1877. The floor of the exhibition room is the same wooden floor used when the building was the Tokyo Central Post Office, and some of the showcases and cabinets used for the exhibits are actual fixtures previously used for educational purposes at the University of Tokyo. Walking through the doors is like stepping back through time into a tranquil 19th-century museum. Specimens of skeletons of large land and sea animals. Taxidermy specimens. Minerals. Pre-modern Japanese literature. Mathematical models. Instruments. Old globes. Clocks. All kinds of exhibits, both great and small, are arranged irregularly throughout the exhibition space. No matter where you look, there is something to surprise you, to captivate you, to stimulate your curiosity. Visitors are invariably enthralled by the exhibits, and it's easy to forget that the museum is located right in front of bustling Tokyo Station.  Photography is prohibited inside Intermediatheque, but is allowed in the "Academia" space. This zone is furnished with desks and chairs formerly used in a small hall of the University of Tokyo Faculty of Medicine, reproducing a University of Tokyo classroom circa the 1920s or 1930s. The portraits of former professors adorning the walls lend the space the ambiance of a fantasy novel.  The shop on the third floor sells catalogues of special exhibitions, products that sprang from the latest research conducted at the University of Tokyo, and original merchandise. It is the perfect place to pick up a Tokyo souvenir that's a little out of the ordinary.  Every place I visited in this post-Oedo Antique Market stroll was a special one, creating a sense of excitement like I'd travelled through time itself. I enjoyed the feeling of having travelled far afield without ever leaving Tokyo. Text: Minori Kai  Author. Born in Shizuoka Prefecture. Graduated from the Osaka University of Arts with a major in Literary Arts. Minori writes books and magazine articles, primarily about travel, walks, sweets, local breads, gifts, classic hotels and architecture, knick-knacks and sundries, and lifestyle. She excels at rediscovering the allure of foods, shops, scenery, and people, as well as unique local attractions. Minori also creates sightseeing pamphlets for local governments and gives lectures.   http://www.loule.net/ Photographs: Yukari Isa Cooperation: Tokyo Kaikan https://www.kaikan.co.jp/en Ippodo Tea http://www.ippodo-tea.co.jp/en/ JP Tower Museum INTERMEDIATHEQUE http://www.intermediatheque.jp/en Museography (c) UMUT works N.B. The information on this site is correct as of August 2019. It is subject to change without notice, so please confirm the details before coming to the festival. (This is a "Tokyo Tokyo Old meets New" Project.)
【2/24(月・祝)・29(土)】『暗渠パラダイス!』刊行記念イベント開催
【2/24(月・祝)・29(土)】『暗渠パラダイス!』刊行記念イベント開催 『暗渠パラダイス!』(2月20日発売) 暗渠パラダイス! それは、異世界へのゲートウェイ。 かつての川跡である「暗渠」に強く魅せられつづけてきた 「暗渠マニアックス」のふたりによる著書、 『暗渠パラダイス!』が、2月20日に刊行します。 同じ暗渠を見ていても、ふたりの目線は異なります。 高山さんは、俯瞰と分析・理論化を繰り返し、暗渠を広く捉えます。 一方の吉村さんは、郷土史を中心に情報を積み重ね、じっくりと掘り下げていく手法で、暗渠の持つものがたりに耳を傾けます。 本書では、暗渠と「街道」「鉄道」「猫」「人物」といった、さまざまな異なるジャンルをかけあわせ、暗渠を通して、あらたな街の魅力を発見していきます。 本書の発売を記念し、書店でのトークイベントを開催いたします。 2月6日現在、2店舗での開催が決まっています。 1) 縄文から令和。遺跡と川跡からみつける「あたらしい」代官山 『暗渠パラダイス!』出版記念 街を見る目が変わるトーク ゲストに『ひとり古墳部』スソアキコさんをお迎えして、代官山 蔦屋書店周辺を暗渠・縄文遺跡・古墳など、いろんな「メガネ」でみてみよう!というイベントです。 【日 時】 2月24日(月・祝)19:00~21:00頃 【会 場】 代官山 蔦屋書店1号館1階 【参加条件】 代官山 蔦屋書店にて、以下の対象商品のいずれかをご予約・ご購入頂いたお客様がご参加いただけます。 ■対象商品 A)書籍『暗渠パラダイス!』(1,980円/税込)+イベント参加券(520円/税込)セット 2,500円(税込) B)イベント参加券のみの場合は、1,100円(税込) 【お申込み方法】 以下の方法でお申込みいただけます。 (1)代官山 蔦屋書店の店頭(1号館1階 レジ) (2)お電話 03-3770-2525(人文フロア) (3)オンラインストア 詳細はこちら 代官山 蔦屋書店サイト 2) 暗渠でひもとく台湾の魅力 『暗渠パラダイス!』発売記念トーク 暗渠と台湾をかけあわせて見えてくる、あたらしい台湾! 新刊『暗渠パラダイス!』の内容をご紹介しながら、どんな街にもある暗渠の愉しみ方を解説します。当日は台北を中心に、台湾各地の暗渠を紹介しながら、新しい台湾の愉しみ方をご提案します。 【日 時】 2月29日(土) 15:00~16:00 【会 場】 誠品生活日本橋フォーラム 東京都中央区日本橋室町3-2-1 コレド室町テラス2階 【定 員】 30名(予約制。椅子席確約) ご予約がなくても、50名までは当日の立ち見入場が可能です 【参加料金】 無料 詳細・ご予約はこちらから 【プロフィール】 高山英男(中級暗渠ハンター<自称>)× 吉村 生(深掘型暗渠研究家) 2人で「暗渠マニアックス」として、雑誌への寄稿や、暗渠をテーマにさまざまなイベントを企画するなど、暗渠を通して町を見たり、歩いたり、考えたりする活動を行っている。著書は、2人の共著として『暗渠マニアック!』(柏書房)。ほか、『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』(洋泉社)、『はじめての暗渠散歩』(ちくま文庫)、『板橋マニア』(フリックスタジオ)、『はま太郎』(星羊社)などにも執筆。このたび、5年ぶりとなる2人の共著『暗渠パラダイス!』を刊行する。

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