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妊娠中に予防接種を避ける必要はない…赤ちゃんまで守られる可能性がある3つのワクチン
※写真はイメージです(GettyImages)
今年、新型コロナウイルス感染症によって軽症で済むと考えられていた子供の命が失われ、根絶間際と思われていたポリオがイギリスやアメリカで検出された。小児科医の森戸やすみさんは「ワクチンで子供を守ることが大切。しかも妊婦さんが接種すると、おなかの子にも抗体移行するものもある」という――。
子供が犠牲になった新型コロナ第6~7波
コロナ禍はなかなか終わりませんね。新型コロナウイルス感染症の第6~7波の際には、私のクリニックでも新規感染者が毎日たくさん出ました。第5波までと違って、第6~7波は子供の感染者が多かったのです。
それまでは「子供は新型コロナにかかりにくい」「子供は新型コロナにかかっても重症化しないし、まして一人も亡くなっていない」という人の声が多く、2022年2~3月に始まった子供用の新型コロナワクチンの接種率は2割程度と低いまま。そういったなかでの第6~7波だったので、今年の1月1日から8月31日までの間に20歳未満の新型コロナによる死亡が41人も出てしまいました(※1)。詳しいことがわかったお子さん29人のうち、半数以上が基礎疾患がないこともわかっています。
そのほか、多くの子供たちが新型コロナによる高熱や熱性けいれん、喉の痛み、頭痛などに苦しみました。私の患者さんでも「喉が痛くて水を飲むのもつらい」「頭が痛くて眠れない」という子が多数いました。当然、どのワクチンも強制されるものでも、義務でもありません。むしろ、子供にはワクチンを受ける権利があるのです。ぜひ、正しい知識を得た上で判断していただけたらと思います。
出典=国立感染症研究所「新型コロナウイルス感染後の20歳未満の死亡例に関する積極的疫学調査(第一報)」
※1 国立感染症研究所「新型コロナウイルス感染後の20歳未満の死亡例に関する積極的疫学調査(第一報)」
未接種のお母さんと赤ちゃんが心配
私が診療していたなかで非常に心配に思ったのは、新型コロナワクチン未接種のお母さんと赤ちゃんが、他の家族から感染してしまう事例が相次いだことです。そうした事例でお母さんにお話を聞くと「妊娠中のワクチン接種が不安で、今も授乳中なので接種できないと思っていました」という返答がほとんど。
でも、妊娠後期に新型コロナに感染してしまうと、わずかながら早産の危険性が高くなったり、妊婦さん自身も重症化するリスクが高くなったりすることが報告されています。また、赤ちゃんが新型コロナに感染すると、哺乳できなくなったり、熱性けいれんや脳症になったりするリスクが高いのです。
一方、新型コロナワクチンは新しいものではありますが、すでに世界中で数多く接種されています。その結果、妊娠中でも授乳中でも、妊娠を計画中でも何も問題は起きていません(※2)。さらに日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会、日本産婦人科感染症学会が連名で、妊娠中でも接種するメリットのほうが大きいこと、妊婦さんと一般の人で副反応には差がないことを説明しています(※3)。
「新しいmRNAワクチンだから」「胎児に異常が起こる、不妊症になるというウワサがあるから」と妊娠中の新型コロナワクチンを避けるのはよくありません。どうしてもmRNAワクチンや外国製ワクチンに抵抗があるようなら、日本の会社である武田薬品工業の不活化ワクチン「ノババックス」を接種できる医療機関や接種会場を探してみましょう。
※2 厚生労働省「新型コロナウイルスに関するQ&A」※3 日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会、日本産婦人科感染症学会「新型コロナウイルス(メッセンジャーRNA)ワクチンについて」
妊娠中のワクチン接種はメリット大
じつは妊娠中の新型コロナワクチンの接種は、怖いどころか、妊娠している女性にもおなかの赤ちゃんにとっても、むしろよいものなのです。妊娠後期に新型コロナワクチン(mRNA)を受けると、生まれた新生児に抗体が移行するため、赤ちゃんが感染から守られる可能性があります(※4)。乳幼児の新型コロナワクチンの接種が始まりましたが、生後6カ月までは受けられないので、ぜひ周囲の大人や妊婦さんが受けてお子さんを守ってあげてください。
この他にも、日本ではあまり知られていませんが、妊娠中の女性が接種するとお子さんにも抗体が移行して感染を防ぐことができる可能性のあるワクチンはあります。それはインフルエンザワクチン、百日咳ワクチンです。それぞれについて詳しく説明しましょう。
まず、特に毎年10~11月に接種するインフルエンザワクチンは最も身近ですね。わざわざチメロサールが入っていないインフルエンザワクチンを探す人がいますが、子供の自閉症との関連はすでに否定されています。受けやすい医療機関で接種しましょう。妊娠の初期でも後期でも、妊娠を計画中でも時期を問わず、安心して受けることができます(※5)。
※4 厚生労働省「新型コロナワクチンQ&A」※5 社団法人日本産科婦人科学会「妊娠している婦人もしくは授乳中の婦人に対しての新型インフルエンザ(H1N1)感染に対する対応Q&A(一般の方対象)」
他の先進国で妊娠後期に接種する「Tdap」
次に百日咳ワクチンは、単体ではなく3種混合(ジフテリア・破傷風・百日咳)で接種します。百日咳は月齢の小さい子がかかるととても悪くなりやすく、亡くなってしまうこともある恐ろしい病気です。見かけたことがないという人も多いと思いますが、文字通り100日間(3カ月)くらい続くこともある長引く咳が特徴です。
YouTubeで「baby pertussis」と検索すると、百日咳にかかってけいれん性の激しい咳をする赤ちゃんの動画が出てきます。「感染症はワクチンを受けるよりもかかったほうがいい」などと言う人もいますが、顔色が悪くなって激しい咳発作に苦しむ子供を見ながら、そんなことを言える人はいないでしょう。
こうした百日咳から子供を守るために、海外の一般的な先進国では妊娠後期に「Tdap」という成人用3種混合ワクチンを受けます。アメリカでは、妊婦さん(妊娠するたびに)だけでなく、乳児の世話をする成人や医療従事者もTdapを接種しています。
ところが、日本ではこのワクチンは未承認で、残念ながら通常の医療機関では接種できません。そして子供用として承認されている3種混合あるいは4種混合ワクチンは、妊婦への安全性が確認されていないのです。ですから、日本でTdapを受けるには渡航ワクチンやトラベルワクチンを扱っている医療機関に行く必要があります。ただ、この場合は自費扱いとなり、万が一にも有害事象が起こったときに予防接種法による補償がありません。
根絶を目前に増えてしまったポリオ感染
一方、もちろん子供自身の生後2カ月からのワクチン接種も大事です。よく「もう日本では流行していない感染症もあるのに……」などと言う人もいますが、一度収まったと思われた感染症が再興することがあります。実際、今ポリオは根絶を宣言した国々でも再び流行の兆しを見せているのです。ポリオの感染者は、アフリカ、ウクライナ、アフガニスタン、パキスタンなどに多いのですが、不活化ポリオワクチンの接種率が高いイギリスやアメリカも発生国に入っています(※6)。
ポリオは、感染者の一部ではありますが、高熱が数日間続いた後に筋肉が麻痺(まひ)し、その麻痺が生涯にわたって残る病気です。昔は「小児麻痺」と呼ばれていましたが、日本での正式な病名は「急性(きゅうせい)灰白髄炎(かいはくずいえん)」。小児麻痺と呼ばれるものの子供だけの病気でなく、大人になってもかかることがあります。麻痺が残るのは手足の筋肉のこともありますが、呼吸筋に残ることもあり、そうなるとずっと人工呼吸管理が必要です。
書籍『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子、講談社)に小児麻痺の子が登場するように、かつてはよくある病気でした。が、ポリオウイルスはヒトにしか感染しないこと、有効なワクチンがあることから、WHOは根絶を目指してきました。ところが根絶達成を目前にして、残念ながら感染者が増えてしまっています。
※6 外務省「ポリオの発生状況」
イギリスやアメリカの素早いポリオ対策
今年6月、イギリスのロンドンの下水からポリオウイルスが検出されました。ポリオウイルスは、ヒトの腸で増えて排出されるのです。ポリオウイルスが下水から複数回にわたって検出され、ウイルスの遺伝子解析から伝播型だと判断したイギリスの対応は早く、発症者が出る前に、ロンドン在住の1~9歳のすべての子供に不活化ポリオワクチンを追加接種することになりました。もともとイギリスのポリオワクチンの接種回数は日本よりも多く、0歳で3回、3歳で1回、14歳で1回と5回も受けるのに、さらに追加接種を決定したのです。
続いて7月には、アメリカにおいて宗教上の理由からワクチンを一切受けていなかった成人男性がポリオを発症し、麻痺が残りました。ニューヨーク州の下水を調べたところ複数箇所でポリオウイルスが検出されたことから、ニューヨーク州では緊急事態宣言が出され、未接種者への接種はもちろん、医療従事者にもポリオワクチンを追加接種することを決定しました。
これはポリオ感染者の90~95%は症状がない不顕性感染であり、さらに麻痺が残るのは1%だからです。つまり、ポリオによる麻痺患者が1人出たということは、ポリオに感染したものの症状が出ていない人が多数いる恐れが高いからこその対応策でした。
5~6歳の不活化ワクチンでポリオを予防
じつはポリオウイルスは、日本の環境水からも検出されることがあります。繰り返し検出されるわけではなく、伝播型として分類されている型でもありません。でも、日本国内で検出されているので海外から持ち込まれている可能性があり、安心はできないのです。
日本のポリオワクチンの接種回数は少なく、1歳半までの4回が標準。先進国の中で、こんなに回数が少なく、こんなに早い年齢で終了してしまう国は他にありません。多くの国では不活化ポリオワクチンは5回接種し、最後に受ける年齢は4~14歳です。そのため、日本でも5~6歳で5回目の接種(自費)をすることが推奨されていますし、患者会であるポリオの会、小児科学会などの多数の学会からも、5回目の定期接種化の要望が出ています。
ポリオワクチンが、まれにワクチン由来のウイルスで発症者を出してしまう生ワクチンから、そのリスクのない不活化ワクチンになり、4種混合(ジフテリア・破傷風・百日咳・ポリオ)ワクチンとなったのは2012年。数年以内には、4種混合ワクチンはヒブワクチンを含めた5種混合ワクチンになり、生後2カ月から受けられるようになるといわれています。
免疫を高めるより健康を守ることが大事
「昔はどの感染症にもかかったものだ。そのほうが自然で免疫がしっかりつく」と言う人がいます。でも、それは正しくありません。感染症にかかると苦しいだけでなく、合併症が起こったり、後遺症が残ったり、亡くなったりすることがあるのを、今回の新型コロナウイルス感染症でも実感した人が多いのではないでしょうか。
たとえ免疫がついたとしても、後遺症が残ったり、亡くなったりしては本末転倒です。ワクチンの目的は免疫をつけることではなく、健康を守ること。つまり感染症によって苦しんだり、後遺症が残ったり、命を失ったりしないことです。
しかも、感染症というのは、一度かかったからといって二度とかからないわけではありません。新型コロナウイルスと同様に、何度もかかるものが多いのです。麻疹や風疹でさえ生涯に2回かかる人がいますし、今回のコロナ禍で帯状疱疹(たいじょうほうしん)が増えたことも話題になっています。
水ぼうそうに一度かかったことがある人は、急に帯状疱疹になることがあるのは知っている人も多いですね。「mRNAワクチンを受けると遺伝子が書き換わる」という根拠のない説を信じている人がいますが、mRNAは数時間で消えてしまいます。一方、水ぼうそうにかかったら、DNAウイルスである水痘・帯状疱疹ウイルスが細胞内に加わってしまいます。そのほうがずっと怖くないでしょうか。
ですから、ワクチンで防ぐことのできる病気は、ぜひワクチンで予防しましょう。妊娠中のワクチン接種はリスクがあるどころか、妊婦さんご自身だけでなく赤ちゃんを守ることもあるということを知ってください。
もちろん、子供は生後2カ月から受けられるワクチンをしっかり受けることが大切です。
森戸 やすみ(もりと・やすみ)小児科専門医1971年、東京生まれ。一般小児科、NICU(新生児特定集中治療室)などを経て、現在は東京都内で開業。医療者と非医療者の架け橋となる記事や本を書いていきたいと思っている。『新装版 小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』『小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK』など著書多数。Blog Twitter

「犬は主人に対して忠誠心を持つ」は間違い…科学的研究でわかった犬が本当に考えていること
※写真はイメージです(GettyImages)
犬と接するときはどんなことに気を付けるべきか。ドッグトレーナーの鹿野正顕さんは「犬を擬人化してはいけない。あくまで動物であり、常に本能で動いている。人間側の一方的な思いや価値観で犬と接してはいけない」という――。
※本稿は、鹿野正顕『犬にウケる飼い方』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。
犬は本能を理性でコントロールできない
犬という動物を知る上で、大前提として知っておきたいのは、五感の感覚が人間とはまったく違うこと。そして脳の働きも人間とはまるで違うということです。
これは当たり前のことなのですが、ともすれば、犬と家族同様に暮らしていくうちに、犬も人と同じようにものを見たり聞いたりし、人と同じような感情を持つように思い込んでしまう方もいます。
同じ空間で生活していても、犬は人間とは違う世界で生きています。
まず感覚受容器の構造が違うため、人と同じ環境にいても、目、耳、鼻から受け取る情報が人間とはまったく異なっているのです。
感覚受容器は、外部からの刺激を脳に伝えて行動を促す役割があります。
動物の行動には、それを促す何らかの刺激が必ず存在し、五感が敏感であるほど刺激を受けやすいということになります。
その行動を司(つかさど)るのが脳ですが、人の脳と、犬などの哺乳類の脳では大脳皮質(大脳の表面部分)のとくに前頭葉の働きが大きく違います。
前頭葉には、「思考・判断・情動のコントロール・行動の指令」という大事な役割がありますが、犬の前頭葉の働きは鈍く、簡単に言うと「犬は人のように本能を理性でコントロールすることが難しい」のです。
犬は哺乳動物のなかでも「頭がいい・かしこい動物」とされていますが、大脳皮質のうち前頭葉の占める割合は、人は30%、犬は7%、ネコは3%となっています。つまり、犬は人間のように何か考えに基づいて行動したり、意図的に行動をコントロールすることはほとんどできないのです。
人にいやがらせをすることはない
そうした脳の働きをふまえて、犬の行動や認知能力を見ていくと、次のような特徴があることがわかってきます。
●感情をコントロールすることが苦手
犬は、高ぶった気持ちを自分で落ち着かせたり、がまんするなど、情動・感情のコントロールが苦手です。
●善悪の判断はしないし、人社会のルールも理解できない
人間のモラルや道徳観とは無縁なので、自分の行為の善悪の判断をしません。基本、人の都合にはおかまいなしです。人社会のルールをそのまま押し付けようとしても、守るべき理由を理解できません。
●先のことを予測して考えることができない
これをやったらどうなるか、という先のことを考えることができません。たとえば、子ども用のぬいぐるみの腕を噛んで振り回したら、腕が取れてボロボロになる……といった行動の先の結果を予測することはしないし、できないのです。
●短期記憶は10秒程度で消えることも
記憶には短期記憶と長期記憶がありますが、犬の短期記憶は30秒~120秒程度とされ、10秒程度で消えてしまうこともあります。さっきやったばかりのこともすぐ忘れて、また同じことをやるということが起こります。
●人にいやがらせをすることはない
飼い主に対してわざといやがらせをすることはありません。相手を困らせて喜ぶという発想も想像力も持たないし、犬にそういう概念はないのです。
人がいやがることかどうかの判断もできません。してほしくないところへ排泄するケースも、犬に「おしっこやうんちは汚い」という衛生観念はないので、「これで人を困らせてやれ」と意図することはあり得ないのです。したがって、叱られた腹いせでわざとおしっこをするようなことはありません。
叱られても反省することはない
●ほめことば/叱りことばだけかけても理解しない
「いい子だね」とか「いけない・ダメ」ということばだけを聞いて、自分はほめられたとか叱られたとかは理解できません。ことばだけではなく、ことばプラスいい結果(ごほうびがもらえる)、または悪い結果(リードを強く引かれるなど)と結び付くことで、自分の行為が肯定されたのか否定されたのかを覚えていきます。
●叱られても反省はしません
「うちのワンちゃんは叱るとシュンとなって反省のポーズをします」という飼い主さんがいますが、犬は叱られても反省はしません。
なぜ悪いことなのかを理解しないし、やったことを後悔もしません。叱られておとなしくなるのは、飼い主さんが怖くて萎縮しているだけなのです。これはいくつかの実験でも明らかにされています。
叱られると目をそらしたりするのは、犬の目をじっと見て強い調子でしゃべる飼い主にケンカや闘いの前ぶれを感じ、目をそらすことで「自分は闘いモードではありません」という意志を示しているのです。
うなだれたり、体を縮めて“反省のポーズ”をしているように見えても、飼い主のふだんと違う態度に怯えて、「早くこの恐怖から抜け出したい、早くこのつらい時間が終わればいい」と思っているだけのことがほとんどです。
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食事の回数は適量を複数回に
これは摂食行動の話になりますが、犬を初めて飼ったとき、食べ物をいくらでも欲しがることに驚いた人もいるのではないでしょうか。
犬は食べ物をほとんど一気食いしてしまい、出されたものはいくらでも食べてしまう傾向があります。
これは犬が特別“食い意地が張っている”というわけではありません。犬は、人や他の動物ほど脳の満腹中枢が機能していないため、「満腹感を感じにくい」という特徴があるのです。そして一度にたくさん食べるよりも、食べる回数が増えるほうが犬はよろこぶのです。
そのため、しつけやトレーニングの際のごほうび(トリーツ)として、好きな食べ物を何度でも与えることが有効な方法になってきます。
ところが、しつけ教室などでたまにいらっしゃるのは、「食べ物で釣るなんて、浅ましくていやだ」という飼い主さんです。ごほうびに「おやつ」をあげてトレーニングすることを頑なに拒否する飼い主さんもいます。
それは「人間の物差し」でしか考えられない方なのです。
しょっちゅう食べてばかりいるとか、もらうだけ食べるのが“浅ましい”とか“意地汚い”と感じるのは人間だけです。動物にとって食べ物を見つければ口にするのは別に浅ましいことではないし、食べたばかりでも、もらったらまた食べるのは犬の本能なのです。
満腹中枢がほとんど機能していないということは、脳が「もう十分だ」という指令を出さないということ。だから犬は「もうけっこう」なんて遠慮はしないし、あげたらあげるだけ食べるのが普通なのです。
野生ではいつ食べ物にありつけるかわからないので、いまある食べ物を一気に丸呑みし、大量にお腹にため込もうとしていました。その名残で、犬はごはんをあげるとほとんど噛まずに呑み込むようにして食べます。
猫はごはんを少し残したり、数度に分けて食べることが多いのですが、犬は出されたものを一気に食べてしまいます。そのため、留守番させるときなど、器に食べ物を出しておくと一度で全部食べてしまうので、自動給餌(きゅうじ)器を利用したり、遊びながら食べ物が得られるおもちゃ(コングなど)を与えるなどの工夫が必要になります。
動物を飼うことには向いていない人の特徴
ここまで述べたように、人間と犬は感覚や脳の働きが大きく異なります。
そこを理解せずに、犬をまるで同居人のように擬人化して、人の感覚や「人間の物差し」で行動を判断してしまうと、さまざまな誤解や人の勝手な思い込みを生んでしまいます。
大事なのは、人間側の一方的な思いや価値観だけで犬の行動を見ないことです。
こうしてほしいのに、なぜできないの?何度も教えているのに、なぜ覚えないの?
犬と暮らしていれば、そのような不満が生じるのは当たり前なのです。
人間側の都合ばかり押し付けたい人は、はっきり言って動物を飼うことには向いていません。
犬はあくまで動物で、人と同じような考え方や行動はしません。
人間の価値観や常識(=人間の物差し)で犬の行動を見てしまうのもやはり間違っています。
あらためてその点を認識し、犬の特性を尊重する姿勢を持てば、しつけやトレーニングをする際にもよけいな悩みが減ってくると思います。
※写真はイメージです(GettyImages)
「犬は主人に対して忠誠心を持つ」は幻想
昔から犬は主人思いの動物とされて、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」などと言われてきました。
しかし、ここにも人間の勝手な思い込みが入っている気がします。
ただ飼えばいいわけではなく、飼い主が本能的欲求を満たしてくれる(十分な食事、安心な寝床、一緒に遊んでスキンシップをしてくれるなど)ことがなければ恩は感じてくれません。
「動物なのだから、食べ物をあげていれば懐いて恩を感じるだろう」と思うかもしれませんが、それだけなら、よそでもっとたくさんごはんをくれる人を見つければ、そっちへ行ってしまいます。
同様に「犬は主人に対して忠誠心を持つ」というのも、ほとんどの場合、人間の思い込みです。これも親和性の高い飼い方をしない限り、ただの幻想と言っていいでしょう。
幸せホルモン(オキシトシン)に満たされるような、安心と幸せを感じる関係にあれば、親愛の情や絆を感じさせる行為がみられることはあります。
実際、「飼い主に危険が及ぶのを察知して知らせてくれた」とか、「か弱い子どもを懸命に守ろうとした」といった感動的なエピソードには事欠きません。
それを忠誠心と呼ぶのは自由ですが、犬は犬社会でも、仲間に危険を警告したり、犬同士で助け合う行動は普通にみられます。それを飼い主に対しても行っているだけだ、というドライな見方もできるのです。
群れで生活する動物には、危機に瀕(ひん)している仲間を助けようという行為は珍しくありません。社会性のある動物は、群れを維持していかないと自分の生存も危ぶまれるからです。
たとえばゾウの集団では、子ゾウを協力して助けたり守ったりしますが、それは群れ・集団の維持のために仲間を守る行為なのです。
そうした行動は、ときに自己犠牲をともなう“利他的”な、見返りを求めない無償の行為に見えることもあります。しかしそこには「自分の生存にも関わる」という動物の本能がはたらいているはずなのです。
忠犬ハチ公の真実
犬は人間が好きですが、“欲求の期待に応えてくれる存在”が好きなので、人に飼われても、不満やストレスばかり抱えるようだと何年飼っても恩義や忠誠心のようなものは抱きません。
ちなみに、有名な「忠犬ハチ公」の話がありますが、ハチは飼い主だった大学の先生を、亡くなった後もずっと駅で待ち続けていたわけではなく、好物の焼き鳥をくれる人を待っていたのが真実だそうです(諸説あり)。ハチの剥製は東京の国立科学博物館に現存していますが、解剖した際にハチの胃袋からは焼き鳥の串がいくつも出てきたそうです。
鹿野 正顕(しかの・まさあき)ドッグトレーナー、スタディ・ドッグ・スクール代表1977年、千葉県生まれ。麻布大学入学後、主に犬の問題行動やトレーニング方法を研究。「人と犬の関係学」の分野で日本初の博士号を取得する。卒業後、人と動物のより良い共生を目指す専門家、ドッグトレーナーの育成を目指し、株式会社Animal Life Solutionsを設立。2009年には世界的なドッグトレーナーの資格であるCPDT-KAを取得。日本ペットドッグトレーナーズ協会理事長、動物介在教育療法学会理事も務める。プロのドッグトレーナーが教えを乞う「犬の行動学のスペシャリスト」として、メディアでも活躍中。Twitter

【PR】知の先端を学べる充実した10研究科を擁する国士舘大学大学院。社会人も学びやすい環境を用意!
国士舘大学大学院は、1965年に政治学研究科と経済学研究科を開設以来、時代とともに高度な教育研究を推進してきた。現在では、10研究科を設置し、高度な理論探究と実践的研究との両面から真理を究明し、それぞれの分野におけるプロフェッショナルの養成を目指している。また、社会人選考試験を各研究科で行っており、研究意欲の高い社会人を積極的に受け入れている。
国士舘大学大学院の詳細や2023年度入試情報について、詳しくはこちら >
願書・資料請求 >
国士舘大学大学院は10研究科15専攻を擁しており、学生一人ひとりの目的やライフスタイルに合わせて様々な研究に取り組むことができる。現在、人文科学研究科で歴史考古学を学んでいる学生に、大学院に進学するきっかけや授業について、また今後の目標などについて話を聞いてみた。
◇研究を楽しむ!国士舘大学大学院生インタビュー
『文化財に関わる職業に就くために、歴史考古学を学修中。発掘された瓦の文様から、当時のあり様を研究しています』
国士舘大学大学院 人文科学研究科 人文科学専攻 修士課程2年宇髙 美友子 さん
■下野国分寺創建期の瓦の生産地ごとの供給量の違いを研究
大学時代に考古学を一から学びはじめた宇髙さんは、卒業論文を執筆する中で、考古学の奥深さや面白さに気づき、大学院に進学することにした。
「将来、埋蔵文化財に関わる職業に就きたいと考えるようになり、そのために必要な専門性の高い知識を身につけたいという思いもありました」
大学時代に、学芸員資格を取得したほか、大学院で所定の科目を修得することでワンランクアップする考古調査士資格に必要な科目も修得し、埋蔵文化財に関わる職業に就くための下準備を整えた。
「人文科学専攻に入学したのは、考古学を専門に学べる考古・歴史学コースがあり、私が研究対象にしている『古代』『寺院』『瓦』などを専門にする教授から質の高い指導を受けることができ、研究内容を高められると考えたからです。また、フィールドワークが多く、現地に行き、現物に触れる機会が多いことも国士舘大学大学院を選んだ理由です」
『古瓦の考古学』の著者の一人でもある眞保昌弘教授から、現在、研究指導を受けている。
「歴史考古学という、文字が使われた時代について、遺跡・遺構の調査によって歴史的事実の裏付けを行ったり、住居など建築物の出土品から日常生活のあり様を考究したりする考古学について学んでいます。
私は下野(現在の栃木県)に建立された下野国分寺の創建期にふかれた瓦について研究しています。
瓦は、文様や胎土、製作技法などの違いから、生産場所を特定することができ、下野国分寺創建期の瓦は、下野国内のいくつかの郡の窯跡で生産されて供給していたことが明らかになっています。私が注目しているのは、近年の発掘調査により明らかになった、郡ごとの供給量の違いについてです」
■大学院修了後も文化財研究を続けていきたい
大学院での授業は、いずれも少人数によるゼミ形式が多く、幅広い知識を吸収するのに役立っている。宇髙さんの研究力を高めるのに役立っている科目の一つに、「考古学演習Ⅰ・Ⅱ」がある。
「先生が講演会で発表した内容について講義を受けた上で討論したり、各自が取り組んでいる研究の進み具合や成果、課題などを発表し、先生から指導を受けたり、学生間で意見を交わしたりする授業です。講義では考古学の学術的な話だけでなく、文化財行政の仕事をされていた時の経験などを聞くこともでき、とても参考になります」
現在、文化財に関わる職業に就くために、納得のいく修士論文を書き上げることを目標にしている。
「修了後も研究を続け、文化財の保護と活用に貢献できる力を常に高めていきたいと思っています」
国士舘大学 世田谷キャンパス
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国士舘大学大学院では、実務経験豊かな教員を配置し、大学院教育の充実強化を図っている。2023年4月からは、経済学研究科で新カリキュラムがスタート。そこで、新しいカリキュラムについて研究科長に話を聞いてみた。
◇研究科長インタビュー(経済学研究科) ~新カリキュラムがスタート!~
『社会に貢献できる経済分野の研究者と高度専門職業人の養成を目指し、多様な選択肢を提供しています』
国士舘大学大学院 経済学研究科許 海珠 研究科長・教授
■経済学の「奥深さ」を理論、歴史、政策から探究
国士舘大学大学院経済学研究科では、経済学という学問の「奥深さ」について理解を深められるように、経済学の基本となる理論、歴史、政策分野から、実社会経済の激しい変化に対応できる専門研究領域をカバーする応用経済学や租税法・会計学関連の分野まで、幅広い研究領域に科目を配置し、基礎から応用まで体系的に学修することができる。
■領域横断的な研究意欲にも応える、新しいカリキュラムがスタート
2023年4月から、将来の進路やキャリアにつながる研究・学修ができ、多様な選択肢を提供する新カリキュラムが修士課程でスタートする。
『セメスター制』の導入により、科目履修期間が半期になることで、自分に合った科目の選択と学修がしやすくなる。併せて、1年次は5つの研究領域から自由に科目を選択し、2年次に自分に合ったコースの選択ができる『コース制』を取り入れる。
5つの研究領域に配置される科目数は45科目にわたることから、自らの関心や将来目的に合わせて各領域を深く研究することも、領域横断的な研究を進めることも可能。現代社会のITが生み出した課題の解決策を文理融合の多面的視点で議論する「情報産業論研究」「情報社会・情報倫理研究」をはじめ、「環境経済論研究」といった社会ニーズに応じた新しい学びも提供。
コースには、研究者を目指す『研究コース』、専門スキルが求められる職業に就くための『特定課題研究コース』、税理士国家試験の試験科目一部免除認定申請が可能な『租税法・会計コース』を設置。本研究科は、これまでに試験科目免除申請を受けた修了生が多く輩出してきたように、指導にあたる教員陣が充実しているのも特色の一つだ。
■社会人が学びやすい環境を整備
社会人が学びやすいように、入学試験に社会人選考を設けているほか、いずれのコースでも、平日夜間と土曜日に科目を開講。
授業は目的に応じて、コンピュータ教室やプレゼンテーションに適した教室を使用するなど、多様に展開している。
経済学研究科 新カリキュラムについて、詳しくはこちらへ >
国士舘大学 中央図書館(世田谷キャンパス)
◆国士舘大学大学院 10研究科の概要
○政治学研究科 政治学専攻[修士、博士]
政治学研究科は、専門的な研究者や教育者の養成を目指し、政治の主要分野をはじめ、政治行政やアジアを取り巻く政治・文化をテーマにした問題にも取り組んでいる。また、高度な専門的知識を身につける社会人のリカレント教育の場として活況を呈するとともに、教職免許の専修免許も取得が可能。【昼間・夜間/土曜日開講】
○経済学研究科 経済学専攻[修士、博士]
経済学研究科は、2023年度から新しいカリキュラムがスタートする。修士課程では「セメスター制」と「コース制(研究コース、特定課題研究コース、租税法・会計コース)」が導入され、博士課程では研究領域・分野別に科目が配置される。学位取得に向けた研究・学修を積極的にサポートし、社会人、留学生も積極的に受け入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】
○経営学研究科 経営学専攻[修士、博士]
経営学研究科は、経営・会計の高度職業人および研究者の養成を目指している。「修士論文研究コース」と「特定課題研究コース」を設け、最新の経営理論・研究成果・ケーススタディーを学ぶ授業を通じて、実社会で活躍する社会人のリフレッシュ教育を行っている。経営グローバル化に対応する教育・研究も行っている。【昼間・夜間/土曜日開講】
○法学研究科 法学専攻[修士、博士]
法学研究科の修士課程では、「基幹法コース」「税法・ビジネス法コース」「スポーツ法コース」の3コース制を導入。社会の要請に応えて、より高度の法理論および実務理論の教授・研究を通して、高度な専門職業人の養成に取り組んでいる。社会人も積極的に受け入れ、法理論に裏付けられた事務処理能力を身につけられるように指導している。【昼間・夜間/土曜日開講】
○総合知的財産法学研究科 総合知的財産法学専攻[修士]
法律の基礎である憲法、行政法、民法、民事訴訟法などを修得した上で、経営学や工学などを包括的に学ぶことで、知的財産法の専門家を育成している。内外で知的財産の実務に携わる専門家を教授陣に迎え、理論と実践の融合を図る指導を行っている。特許事務所における実務研修「エクスターンシップ」も取り入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】
○工学研究科 機械工学専攻/電気工学専攻/建設工学専攻[修士]、応用システム工学専攻[博士]
工学研究科は、応用学力を身につけ、優れた応用開発能力を有し、創造性豊かでユニークな技術者、研究者の養成を目的としている。修士課程では、機械工学専攻、電気工学専攻、建設工学専攻を設置し、各専攻に2~5コースを設けている【昼間・夜間/土曜日開講】。また博士課程は、修士3専攻を統合する形で応用システム工学専攻のみを設けている。【昼間/土曜日開講】
○人文科学研究科 人文科学専攻/教育学専攻[修士、博士]
人文科学研究科は人文科学の諸分野研究を究められるように、修士課程および博士課程から構成されている。修士課程では研究能力開発とともに時代の要請に応える高度な知見を身につけた職業人の養成を目指し、博士課程では特に研究者養成に力を入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】
○スポーツ・システム研究科 スポーツ・システム専攻[修士、博士]
スポーツ教育コースとスポーツ科学コースを設置し、競技スポーツから生涯スポーツまで、多種多様なスポーツ事象を研究対象とし、院生の興味や関心に応じた研究活動ができる環境を整えている。世界各国・地域が抱えるスポーツの諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる高度職業人や研究者の育成を目指している。【昼間・夜間/土曜日開講】
○救急システム研究科 救急救命システム専攻[修士、博士]、救急救命システム専攻(1年制コース)[修士]
医師や看護師、救急救命士といった病院前救急医療に携わる国家資格有資格者に対する高度な教育と研究を行う。日本のみならず、世界各国・地域が抱える病院前救急医療に関する諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる専門能力と豊かな学識を有する高度専門職業人の育成を目指している。【昼間・夜間/土曜日開講】
○グローバルアジア研究科 グローバルアジア専攻[修士]、グローバルアジア研究専攻[博士]
グローバルアジア研究科では、グローバル化が進むアジアを研究対象とするため、経済学、経営学、歴史学、国際関係論、言語教育、文化研究、先史学、考古学、保存科学、文化政策論といったさまざまな学問領域が連携・融合する、総合的かつ先端的な研究に取り組むことができる。【修士:昼間/土曜日開講、博士:昼間開講】
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「緊張でほとんど記憶がありません」 元劇団員のラーメン店主が作る「醤油ら~めん」
金町製麺の「雉の中華そば」は一杯800円。仕入れのたびにメニューを作るため、グランドメニューはほぼなし。ラーメンの種類もさまざまなのが魅力的だ(筆者撮影)
日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。東京都葛飾区の金町にある手打ち麺のラーメンが自慢の呑めるラーメン店の店主が愛するのは、同じ修行先で苦楽を共にした店主の紡ぐ真っすぐすぎるラーメンだった。
■安定供給できない「雉」を愛媛から取り寄せ……
JR常磐線・金町駅から徒歩2分、京成線・京成金町駅から徒歩1分のところにある“呑める”ラーメン店「立ち呑み居酒屋 金町製麺」。会社帰りのビジネスパーソンや地元客からラーメンフリークまで、店主・長尾優介さんの振る舞う日替わりのおつまみをさかなにお酒を楽しんでいる。
ラーメンにこだわった居酒屋スタイルが人気の金町製麺は、今年で営業12年目になる(筆者撮影)
この店は有名店「麺や 七彩」が手掛けるラーメン居酒屋で、2010年にオープン。イタリアンや和食の経験もある長尾さんを店主に起用し、ラーメンだけでなく料理も楽しめるコンセプトで出店を決めた。
「お酒が飲めてラーメンも食べられるというお店が当時あまりなかったんですよね。シメのラーメンがあるというだけではなく、いろんなラーメンを出しているのも特徴ですね」(長尾さん)
ラーメンの麺は、超アナログな手法で作った手打ち麺を使うなど、居酒屋にしては本格的なラーメンをラインアップしていて、町中華とも違う。ありそうでなかったコンセプトで多くのファンを抱えているのだ。ブログで限定ラーメンを告知することで、ラーメンファンたちもこぞって訪れる店になった。
金町製麺の「雉の中華そば」(筆者撮影)
特に人気のラーメンは「雉(キジ)の中華そば」。雉はラーメン店ではなかなかお目にかかれない食材だが、油にパワーがあって個性的な旨味を放つ。強めの醤油ダレともしっかり調和するうまみの強さが特徴だ。
「金町製麺」店主の長尾優介さん。イタリアンや和食の敬遠もある長尾さんだからこそできる、金町製麺のスタイルがある(筆者撮影)
「雉はここ7~8年ぐらい使っています。愛媛から取り寄せているんですが、生産者さんの人柄が良く、こういうところの食材を使いたいなと思い、お付き合いさせてもらっています。安定供給ができないので、通常のラーメン店だと厳しいと思うのですが、うちならばOK。週に1回だけ送ってもらっています。アクが出ず、全てがうまみになるのが特徴で、珍しい看板メニューになっていると思います」(長尾さん)
長尾さんは毎日仕入れに出て、その日市場に出ているなかから、「いいもの」を使う。仕入れによってメニューも毎日変わるが、常連客もその違いを楽しみに店に通っている。
立ち呑み居酒屋 金町製麺/東京都葛飾区金町6-2-1 ヴィナシス金町104/18:00-23:00。詳細はお店のTwitter(@kanamachiseimen)にて/筆者撮影
「コロナ禍で居酒屋営業ができなかった期間は、ラーメン一本で耐えきりました。この期間に新しいレシピを考え、今メニュー化をしています。仕入れに行って食材を見るとメニューが浮かんでくるんです。今後も変わらずこのスタイルでいきたいと思います」(長尾さん)
そんな長尾さんの愛するラーメンは、同じ「麺や 七彩」で修行をし独立した先輩が紡ぐ極上の一杯だ。
麺や 河野/東京都板橋区赤塚新町2-2-13/12:00~15:00、18:00~21:00、月曜のみ12:00~15:00、火曜定休。詳細はお店のTwitter(@menya_kouno)にて/筆者撮影
■「緊張でほとんど記憶がありません」元劇団員のラーメン店主が作る「醤油ら~めん」
東京メトロ・地下鉄赤塚駅から徒歩3分、東武東上線・下赤塚駅南口から徒歩5分。川越街道沿いに「麺や 河野」はある。10年に練馬区の中村橋で創業し、18年に現在の場所に移転。看板メニューの「醤油ら~めん」は煮干しや魚介のうまみあふれる逸品で、ゆでる前に一玉ずつ丁寧に手もみした自家製麺が最高にうまい。
店主の河野三英(みつひで)さんは千葉県生まれで、東京都練馬区光が丘で育つ。若い頃は劇団に所属しており、役者を目指していた。この頃は、板橋駅近くにあった「自家製麺 CONCEPT」が大好きで、週に5日間通うファンだった。そのうち他の店も回り始めるようになり、ラーメンの食べ歩きが始まった。
「麺や 河野」店主の河野三英さん。若い頃は役者を目指していた(筆者撮影)
24歳の頃、所属していた劇団が解散になってしまった。この劇団に入れ込んでいて、完全に燃え尽きてしまった河野さんは、好きだったラーメンに目を向けてみることにした。インターネットで検索をし、毎日のように食べ歩きをした。
そこで出会ったお店が西武新宿線・都立家政駅近くにある「麺や 七彩」(現・食堂七彩)。ここで食べた喜多方ラーメンに衝撃を受ける。スープ、麺、具材のすべてに驚き、ここで働きたいと直感的に思った。店の前に貼ってあった求人の貼り紙を見つけ、早速応募。河野さんは「七彩」で働くことになった。09年、30歳の頃だった。
入ってすぐに製麺を教えてもらい、先輩と2人で店に立つことになる。テレビでの紹介もあり、毎日すごい行列ができて、店はてんてこ舞い状態に。新人だったので仕込みがメインだったが、超人気店での経験は貴いものだったという。
手打ちの勉強をして、オリジナル麺を完成させた(筆者撮影)
「朝2時に出勤し、製麺からスープまで一人で仕込みをやっていました。『七彩』は食材への理解がとにかく深い店です。『この食材はこう調理することで、こうなる』ということを全てわかっていて、ベストな使い方をする。毎日怒られてばかりでしたが、とてもいい経験になりました」(河野さん)
10年に卒業し、独立。自宅から「七彩」まで自転車で通った道すがらにある西武池袋線・中村橋駅近くに「麺や 河野」がオープンした。こぢんまりとした物件だったが、店中に目が行き届く理想のサイズだった。
「麺や 河野」の看板メニュー「醤油ら~めん」は一杯790円。煮干しや魚介のうまみがあふれている(筆者撮影)
「七彩」の修行時代からのこだわりもあり、麺は自家製麺と決めていたが、河野さんには製麺機を買う資金がなかった。そこで挑戦したのが手打ち麺だ。そば打ちの教室に通い、手打ちの勉強をし、苦労してオリジナルの麺を完成させた。
「名店『七彩』の出身ということもあり、開店してすぐたくさんのお客様に来ていただきました。オープンして1年ぐらいは緊張でほとんど記憶がありません。自分の店となると全て自分の責任でやらなくてはならない。フォローしてくれる人もいない。重圧に毎日押しつぶされそうでしたね」(河野さん)
中村橋で8年間営業し、その後は東京都板橋区の赤塚に移転する。プライベートでは結婚もし、妻とともに以前より広い店に移転することにした。その頃には製麺機も買うことができ、自家製麺にさらに磨きをかけた。
「前の倍ぐらいの広さで、家賃も上がりましたし不安でしたが、地元で店をやれることの喜びを感じています。いろんな食材を試して醤油ラーメンをバージョンアップさせました。メインは麺に置き、それに負けないスープを開発しました」(河野さん)
「七彩」イズムを継承し、その食材ごとにベストな使い方を意識している(筆者撮影)
開店から12年。円熟味さえ感じるその一杯は、今や地域になくてはならないものになっている。
「金町製麺」の長尾店主は、先輩である河野さんの真っすぐさに引かれている。
「修行時代に苦楽を共にした先輩で、『七彩』の一番弟子として七彩イズムを継承しています。『七彩』のブレーク直前から働いていたこともあり、初期の『七彩』を感じる一杯です。すごく真面目にラーメンに向き合う姿が印象的です」(長尾さん)
自家製麺はゆでる前に一玉ずつ丁寧に手もみしている(筆者撮影)
河野さんは長尾さんのセンスの良さに一目置いている。
「『七彩』の中でもとにかくできるやつで、料理の素養もあり、私も包丁の使い方を教えてもらいました。卒業する時には包丁をもらいましたね。自分の知識とラーメンへの情熱が見える彼らしいお店をやっていると思います。手打ち麺など『七彩』のノウハウを器用に生かし、彼なら大丈夫だ、任せてみようと思わせてくれる職人ですね」(河野さん)
同じ名店「七彩」から生まれた2人の職人。それぞれのエリアで自分の強みを生かしながら、地元のお客さんの舌をうならせている。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

「若いときは死に憧れた」と語る写真家・五島健司が撮り続けた「墓守桜」と「幽玄」の美
* * * 五島健司さんの心の中には燦然(さんぜん)と輝く「松林図屏風」があるという。
国宝・松林図屏風は安土桃山時代の絵師・長谷川等伯が描いた作品で、水墨画の最高傑作の一つと言われる。もやに包まれて見え隠れする松の木の何げない風景。そこにわびさびの境地を感じる。五島さんは、こう語る。
「『描かずに表す』といわれる幽玄美と空白美。松林を包み込むもやを描くことなく、手前の松を濃墨で荒々しく、背後の松を薄墨でやわらかく表すことであたかももやが実在しているような、湿気を帯びた大気までも見る者に錯覚を抱かせる」
五島さんはレンズを通してそんな表現を目指してきた。「要は『描写せずに表す』みたいな。それが自分のゴール地点かな、と思う」。
一方、これまで撮影してきた作品については「自分の内面に向かっていく感じだった」と振り返る。
■雪の風景に感じた温かさ
1960年、福島市に生まれた五島さんは20歳のころ、友人宅の玄関に飾られた版画を目にした。雪深い会津の情景を晩年のライフワークとした版画家・斎藤清の作品だった。
「雪がたくさん積もった民家に人の姿が小さく見えた。冬の風景なのになんでこんなに温かいんだろう。ああ、ぼくも何かを表現したいなあ、と思った。それがカメラを持つようになったきっかけですね。それで『郷愁シリーズ』を撮るようになった」
訪れたのは暗雲が低く垂れ込めた厳冬の日本海。断崖絶壁で人を寄せつけぬ荒涼とした風景と対峙する五島さんに横なぐりの風雪が容赦なく吹きつけた。荒れくるう海原や逃げ惑うカモメ、墓碑、廃屋など、出合うすべての風物をいとおしく感じた。
30代は「夜桜の世界にハマった」。単なる植物として桜を撮るのではなくて、桜を擬人化して向き合った。
「心象写真というか、桜を通して自分の内面を表現していく。喜怒哀楽だったり、生や死といったものを風景を通して表していく。それを常々心がけてきた」
若いころは死への憧れがあったという。
梶井基次郎の短編小説のなかに「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている」という有名な一節がある。
五島さんの代表作の一つに福島県川俣町の「秋山の駒桜」を写したものがある。推定樹齢500年以上、高さ約21メートルの巨大なエドヒガンザクラだ。
「昔、この桜を見つけたとき、優美な姿に魅了された。周囲は桑畑で、写真を撮りに来る人なんて誰もいなかった」
■墓守桜を巡った
「秋山の駒桜」の太い幹の根元にはいくつもの古い墓がある。
「それを見たとき、『ぼくもここに入りたいな。死んだら、骨をここに埋めてくれないかな』と思った。若いときの作品は梶井の世界だった。でも、だんだんと歳を重ねてくると、死んだ後も桜の木の下でさんさんと朝日や夕日を浴びたいな、と。そんな気持ちになってきた」
福島県の中通り地方には大きな桜がそびえる小高い丘がたくさんある。周囲にさえぎるものがなく、太陽の光をさん然と浴びる桜の下に墓がある。何百年前も前、亡くなった人のために墓のとなりに桜を植えた。それが巨木となり、春になると大勢の人々を楽しませている。五島さんはそんな墓守桜を撮り歩いた。
「梶井の世界というのは、死人の血を吸って花があでやかに咲いている、そんな生命観というか、輪廻(りんね)を表現していると思います。でも、ぼくの墓守桜の作品はそういう発想じゃなくて、先祖の魂を見守る桜の温かいまなざしです」
今回、五島さんが見せてくれた「秋山の駒桜」は深いもやに包まれている。古い墓石は周囲の風景に溶け込んで違和感がない。
「知らず知らずのうちにこんな幽玄な世界が心の中にふつふつと湧き上がってきた。もやが織りなす幽玄な世界に出合うべく活動するようになった」
■もやの空白の美
それが明確になったのは5年ほど前。
「これまでは場所や被写体を擬人化したり、自分自身の喜怒哀楽を写してきたんですけれど、この水墨画のような世界にはもう自分自身がいないというか、取るに足らない自分自身の存在を超越したものであると思う」
絹のベールのようなもやは単なる霧ではなく、幽玄で幻想的、そして奥ゆかしい。そこに日本の美を感じる。
「京都・竜安寺の枯れ山水の庭もそうですが、空白とのバランスで引き立つ美しさがある。ある意味、非現実的な造形美」
作品には「秋山の駒桜」のように有名な被写体があれば、まったく無名の風景を写したものもある。
「こういう世界って、遠くに行けば撮れるわけではないですから」と言い、見せてくれた別の写真には松の木が点在する山の斜面にもやが流れている。
「これは福島市内で撮影したものです。誰もカメラを向けることのないごく普通の山。そこにもやが流れると幽玄な世界が展開される。そんなもやが織りなす光景を心の中に描いておいて、天気が悪くなったら、さっと行って撮影する」
雨や雨上がりの山里を訪れると、もやのかかった風景を目にすることは珍しくない。しかし、あらかじめ水墨画のような世界を明確に心の中に描いておかなければなかなか撮れるものではないという。
「絵になる山があったり、松がぽんぽんとあったりして、そこにふわっともやがかかっている、と言いますか。でも、なかなかそんな場所はないですね」
■自分を呼び寄せる力
コロナ以前は年間200日以上、車中泊をしながら日本全国を旅した。いくつかの撮影テーマを追いながら、「ここにもやがかかったらすごく幽玄な世界になるだろうな」と感じた場所を頭の片隅に集めていった。
天気が悪くなると、そんな場所に足を運んだ。しかし、シャッターチャンスに恵まれるとはかぎらない。もやは多すぎても、少なすぎても作品にはならない。心の中で描いたようにもやが流れるのを待った。
「1日10時間ねばっても真っ白なもやに包まれて、まったく何も見えなかったとか、そういうことは多々あります。それは自然相手なので仕方がない」
一方、旅の途中「この風景がもやに包まれれば幽玄なんだけれどなあ」と想像し、翌朝、ぱっと起きるともやがかかっているときがあるという。
「偶然なんでしょうけれど、偶然ではないと思っています。そこに自分を呼び寄せる力のようなものが働いていると思うんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】五島健司写真展「山河幽靄図」福島市写真美術館 10月15日~11月7日塩谷定好写真記念館(鳥取県琴浦町) 11月23日~11月28日京都写真美術館ギャラリー・ジャパネスク12月6日~12月11日


「ここまで昭和な作り方をしている店はない」 都内の人気ラーメン店“麺作り”の秘密
鈴ノ木の「特製ラーメン」は一杯1200円。3種のチャーシューや手作りのワンタンもおいしい(筆者撮影)
日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。大好きな西武ライオンズの球場近くで自家製の手もみ麺で勝負した、埼玉でも指折りの人気店の店主の愛するラーメンは、修業先の店主がアナログすぎる方法で作る手打ち麺が光る一杯だった。
■「3軍や育成の選手まで顔を覚える」 西武ライオンズが大好きなラーメン店主
西武池袋線・狭山ケ丘駅の西口から徒歩1分。「自家製手もみ麺 鈴ノ木」はある。2018年10月オープンで、開店4年目ながら埼玉でもトップレベルの人気を誇る有名店。「食べログ」では3.88点を誇り、埼玉のラーメン店では堂々の2位につく(2022年8月21日現在)。埼玉県幸手市出身の店主の鈴木一成さんが一玉ずつ手もみするモチモチの自家製麺が自慢で、ダシ感たっぷりのスープとの相性は抜群だ。西武ライオンズの大ファンの鈴木さんが、西武ドーム(現・ベルーナドーム)の近くで物件を探してオープンした。
自家製手もみ麺 鈴ノ木/埼玉県所沢市埼玉県所沢市狭山ケ丘1-3003-83/11:30-15:00 火曜・水曜定休日 不定期で夜営業有り。詳細はお店のTwitter(@suzunoki0802)にて/筆者撮影
鈴木さんは「六厘舎」「金町製麺」などの有名店を渡り歩き、独立にあたっては幼い頃から好きだった多加水の太麺で勝負をかけることにした。麺は自分で打ちたいと自家製麺にトライすることになり、製粉会社を調べ始めた鈴木さん。「六厘舎」で修業時代から通っていた「くじら食堂」の店主・下村浩介さんに前田食品という製粉会社を紹介してもらう。鈴木さんはここで運命を感じる。前田食品が地元・幸手市の会社だったからだ。
「自分の出身地である幸手の製粉会社の小麦粉を使わせてもらい、ラーメンで地元に恩返しができるならこんなに素晴らしいことはないと思ったんです。これこそご縁ですよね。幸手には今も母方の兄弟や両親が住んでいます」(鈴木さん)
鈴ノ木の「特製ラーメン」。麺は目の前で一玉ずつ手もみしてくれる(筆者撮影)
まずは「くじら食堂」で使っている前田食品の小麦粉を使わせてもらい、2年半が経過。今年からは「鈴ノ木」専用粉を作ってもらえるようになった。
静かなところでゆったりやろうと狭山ケ丘を選んだが、雑誌での受賞をきっかけに口コミがどんどん増え「鈴ノ木」の人気はうなぎ登りに。店の前には行列が絶えなくなった。
前田食品の小麦粉を使った「鈴ノ木」専用粉(筆者撮影)
「地元の人がふらっと寄ってくれる店を目指していましたが、行列が長くなりすぎてご迷惑をおかけしてしまうようになってきて、それが悩みでした。そこで今年から“記帳制”を採用し、紙に名前を書いていただいて、後でお呼びして入れるシステムにしました」(鈴木さん)
午前11時から記帳開始なので、名前を書いた後、一度帰宅してから戻ってくることもできる。この取り組みは地元の常連客からも好評で、夫婦2人でスムーズに営業をこなすためにはどうしたらいいのかを考えての選択だった。
「鈴ノ木」店主の鈴木一成さん。27歳の頃に「六厘舎」に飛び込んだ(筆者撮影)
「体力が続く限り厨房(ちゅうぼう)に立ち続けたいですね。妻と2人でやれるだけ続けたいです。ご夫婦で切り盛りされている(埼玉県)入間市の『Miya De La Soul』みたいなお店が目標です」(鈴木さん)
大好きな西武ライオンズの選手がいつ来ても大丈夫なように、選手名鑑を読んで3軍や育成の選手まで顔を覚えているという。
店主の鈴木さんは、西武ライオンズの大ファン(筆者撮影)
そんな鈴木さんの愛するラーメン店は、自身の修業先のひとつである「金町製麺」(東京都葛飾区)。「鈴ノ木」の自家製手もみ麺のルーツはここにある。
ラーメンにこだわった居酒屋スタイルが人気の金町製麺は、今年で営業12年目になる(筆者撮影)
■「ここまで昭和な作り方をしている店はない」 都内の人気ラーメン店「麺作り」の秘密
JR常磐線・金町駅から徒歩2分、京成線・京成金町駅から徒歩1分のところに、人気の“呑める”ラーメン店がある。「立ち呑み居酒屋 金町製麺」だ。市場から毎日仕入れる日替わりのおつまみとお酒に、〆のラーメンが超本格的と人気の店である。店名には「立ち呑み」とあるが、店にはなぜか椅子がたくさんある。
店主の長尾優介さんは埼玉県三郷市出身。幼い頃からラーメンが大好きで、小学校時代から夢はラーメン屋さんになることだった。父が居酒屋で働いていて、夜ヘトヘトで帰ってきたところに長尾さんがサッポロ一番塩ラーメンを作ってあげていた。
「金町製麺」店主の長尾優介さん。「うどん屋さんのように手ごねして打つ昭和な作り方」と鈴木店主(筆者撮影)
高校卒業後は、武蔵野調理師専門学校へ。当時は「LA BETTOLA da Ochiai」の人気から料理人の中でもイタリアンがブームになっていて、長尾さんも卒業後はイタリアンの世界へ飛び込んだ。19歳から1年半修業をし、その後は友人の紹介で新宿の居酒屋で働いた。一緒に働いていた先輩が桜新町に居酒屋をオープンするということで、長尾さんも誘われる。しっかりとした和食の店で、4年間和食のイロハを教えてもらう。
いよいよラーメンの世界に入ろうと思った長尾さんは、バイク便の配達の仕事をしながら、各地のラーメン店を食べ歩き始める。有名店を回っている中で西武新宿線・都立家政駅近くにある「麺や 七彩」に出会った。自家製麺で無化調(化学調味料不使用)の店だが、当時はまだ製麺機やゆで麺機がなく、ボウルで麺をゆでていた。
その味と独創性に引かれた長尾さんは、渋谷の居酒屋のアルバイトで半年間食いつないだ後、独立前提で「七彩」に入社する。2008年、26歳の頃だった。
「『七彩』がオープン2年目だったんですが、何でもかんでも手間をかける作り方で、とても効率が悪かったんですね(笑)。 お店の人気が一気に伸びている時期で、忙しいのが当たり前だったんです。朝の6時に入って、夜中の1時とか2時まで働いていました。今思えば全て手作りなのが大きかった。忙しかったですが、どっしり腰を据えて作れたのも良かったです。麺は特に勉強になりましたね」(長尾さん)
店が忙しすぎて、長尾さんは朝から晩までほとんど仕込みをやっていたが、充実した日々が続いた。そんな頃、「金町製麺」オープンの話が持ち上がる。
立ち呑み居酒屋 金町製麺/東京都葛飾区金町6-2-1 ヴィナシス金町104/18:00-23:00。詳細はお店のTwitter(@kanamachiseimen)にて/筆者撮影
「ここ(金町)の物件が空いているけどやってみないか?と誘われたんです。当時、結婚して実家の三郷に戻っていたこともあり、近いしお前やってみろというノリですね。ラーメンだけでなく他の料理もできたので、立ち呑みで〆にラーメンが食べられる居酒屋のコンセプトでいこうと決めました」(長尾さん)
独立志望だった長尾さんだが、ひょんなことから「七彩」に籍を残しながら自分の店を開けることになった。こうして10年9月、「立ち呑み居酒屋 金町製麺」はオープンした。
昔から金町にはよく遊びに来ていて土地勘もあったし、過去に店の立ち上げに関わった経験もあったので、長尾さんは前向きだった。だが、オープン直後から店には閑古鳥が鳴いていた。営業時間は夜のみで、夜中2時まで開けていたが、一向にお客さんが来ない。
オープンから半年経った11年3月11日には、東日本大震災が起こった。
「東日本大震災で考えがガラッと変わりました。毎日みんな疲れて帰ってきているのに、一杯飲むのに椅子がないのはつらいだろうなと。そう考えて、12日から椅子を置き始めました」(長尾さん)
すると客入りが変わり始めた。地元の人が気軽に寄ってくれるようになったのだ。ブログを始めて限定ラーメンの情報を発信するとリピーターも現れ始めた。さらに、ラーメンフリークの中でも話題になり、そのうち他の店のラーメン店主が通う店にもなった。
金町製麺の「雉の中華そば」は一杯800円。仕入れのたびにメニューを作るため、グランドメニューはほぼなし。ラーメンの種類もさまざまなのが魅力的だ(筆者撮影)
小麦粉を丸めて足で踏んでこね、パスタマシンで伸ばして麺帯にし、注文直前に切ってゆでるという実にアナログな手打ち麺は大変魅力的で、ここでしか食べられないと話題だ。
「お酒が飲めて本格的なラーメンが食べられるお店があまりなかったですからね。いろんなラーメンを出しているのも新鮮だったようです。町中華とも違う、ラーメンにこだわった居酒屋スタイルで何とか12年続けてきています」(長尾さん)
「鈴ノ木」の鈴木店主は、長尾さんの麺打ちがルーツになっている。
「うどん屋さんのように手ごねして打つ昭和な作り方をしているお店はなかなか少ないと思います。『鈴ノ木』の自家製麺はこれがベースになっています。グルテンの出し方や理論、麺に仕上がるメカニズムなど全て長尾さんから学ばせていただきました」(鈴木さん)
長尾さんは「鈴ノ木」がオープンしてからの鈴木さんの飛躍ぶりに驚くばかりだ。
「1年間ほど、毎週土曜日に働いてくれましたが、とにかく真面目で熱心に学んでくれたと思います。お店には何度か行かせてもらいましたが、本当に成長したなと感じます。うちで手打ちで作っていた麺がああいった形で生きていてうれしく思います。埼玉でも指折りの名店に成長しましたね」(長尾さん)
「金町製麺」店主の長尾優介さん。イタリアンや和食の敬遠もある長尾さんだからこそできる、金町製麺のスタイルがある(筆者撮影)
とにかく麺がおいしい両店。職人の麺作りの極意は伝承することによって広がり、また各店でさらに発展し、おいしい麺が生まれる。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
※AERAオンライン限定記事





戦争で女性が果たす役割と受けた傷 「ロシアの若い世代に戦争の実態を知ってほしい」
photo(c)Non-Stop Production, LLC, 2019
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる証言集『戦争は女の顔をしていない』を原案にした映画「戦争と女の顔」。舞台は1945年、終戦直後のレニングラード。看護師イーヤは男の子を育てているが、ある悲劇で亡くしてしまう。そんななか戦友マーシャが戦地から戻ってくる。実は男の子はマーシャの子だった──。連載「シネマ×SDGs」の14回目は、同作の監督カンテミール・バラーゴフさんに話を聞いた。
* * *
ノーベル文学賞作家の本、という好奇心から『戦争は女の顔をしていない』を読み、自分がいかに戦争について何も知らなかったかを思い知らされました。特に女性が果たした役割についてまったくの無知だったんです。恥ずかしくなりました。自分を含めたロシアの若い世代に戦争の実態を知ってほしいと本作を撮りました。
photo(c)Non-Stop Production, LLC, 2019
イーヤとマーシャのキャラクターは本に登場する女性たちから生まれました。彼女たちが受けた傷やトラウマ、子どもを持つことへの思いなど感情面は理解できましたが、男性である自分がどれだけ女性の目線で物語を語れるか?という不安はありました。でも母と姉と一緒に暮らしてきたことが助けになった気がします。それにアレクサンドル・ソクーロフ監督からも、こう教わっていたんです。
photo(c)Non-Stop Production, LLC, 2019
「映画を作る者はある意味、両性具有的であり、ジェンダーを超えた存在であることが必要だ」と。
映画には緑と赤を象徴的に使いました。最初はモノクロの予定だったんです。でもリサーチするうちに当時の社会にはさまざまな色があったことがわかった。灰色の現実からの逃避という面もあったと思います。いまウクライナ戦争の写真で破壊された建物の一部にピンクなどの明るい色が見えるとハッとさせられます。その色は「私たちはまた普段の生活を取り戻す」という希望の象徴にも見えます。
photo(c)Non-Stop Production, LLC, 2019
2月24日を境に私の人生は真っ二つに引き裂かれました。不穏な兆候は感じていましたが、実際に町に「Z」の文字が書かれ、知り合いがウクライナに侵攻している事実が理解できなかったのです。「もうロシアにはいられない」と国を出ました。私にとって映画とは希望であり、奇跡です。そしてそれはいま誰もが是が非でも手に入れたいものではないでしょうか。
カンテミール・バラーゴフ監督(Kantemir
Balagov)/1991年、ロシアに属するカバ
ルダ・バルカル共和国生まれ。アレクサン
ドル・ソクーロフ監督に師事し、本作でア
カデミー賞国際長編映画賞のロシア代表
に選出された。全国順次公開中
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2022年8月1日号


プレスリーの孫娘 ライリー・キーオが鮮烈監督デビュー 赤裸々に語った祖父、家族、映画
エルビス・プレスリーの娘のリサ・マリー・プレスリーを母に、ミュージシャンのダニー・キーオを父に持つ俳優ライリー・キーオが、映画監督デビューした。初監督作となる「War Pony」(邦題未定)について、監督としての今後、そして家族についてイベントで語った内容を詳報する。
今年のカンヌ映画祭でカメラドール(新人監督賞)に輝いた「War Pony」(邦題未定)は、ジーナ・ギャメルとの共同作品。米国サウスダコタ州のパイン・リッジ・リザヴェーションという先住民居留地に住む二人の少年が主人公の物語だ。キーオは親友でもあるギャメルを含め、友人3人とともに脚本を執筆した。
これまで俳優としてハリウッド大作から独立系作品まで幅広く出演してきたが、本作で取り組んだのは、ネイティブアメリカンの血を引く二人が米国社会の片隅で葛藤する人生の模索をリアルな映像で描く社会性の高い内容だ。自身で資金集めもした意欲作で見事カメラドールの受賞となった。
キーオが公式上映に先立ち登壇した仏ラグジュアリーブランド、ケアリング主催の女性地位向上のためのイベント、「ウーマン・イン・モーション」では、次のように話していた。
イベントで発言するライリーと共作監督のジーナ(c)yuko takano
――監督デビュー作がカンヌ映画祭の「ある視点」部門に入ったと知ったときはどう思いましたか?
「信じられなくてめまいがした。全く予想していなかったから。友達と一緒に作ったパーソナルな映画で、仲間内だけで観るつもりだったし。カンヌで上映されるなんて」
――演技する以前から監督になりたかったそうですね。
「脚本を書いて監督するというのが子どもころからの夢で、友だちと映画を自作していた。18歳の時、演技の道は、たまたまオーディションを受けたのがきっかけに開いたけれど、それがなかったら入らなかったかも」
――ジーナ・ガメルさんとずっと二人で監督しているようですね。
「二人で構想した最初の作品はSFだったの。劇場映画だったらとんでもない費用がかかったはず。もちろん実現しなかたけれど(笑)。今回のような予算規模の小さい映画でさえ、資金調達が大変だったから。二人で映画作りを始めたのは22歳頃、人生を謳歌するのに精いっぱいで。長い間試行錯誤していた。これまで完成までたどり着かなかったから、この映画は私たちにとって1本目なの」
――本作は、俳優として出演したアンドレア・アーノルド監督の「アメリカン・ハニー」(2015年)の撮影現場で発案したそうですね。
「共演した俳優がサウスダコタの地元の人で、意気投合して大親友になった。そこに映画好き、音楽好きの友だちが加わり、輪が拡大していった。脚本には1年かかったかな」
――当時の「インディアン居留地」の青年が主人公で、現地キャストの起用にこだわったようですね。
映画「War Pony」(c)Felix Culpa
「現地キャスト以外の起用は考えなかった。少年たちにとってパーソナルな映画だし、彼らと私たちの関係もパーソナルだし。彼らから湧いてくる言葉をひとこと、ひとこと脚本に書き下ろしていった。シーン一つ一つ、カメラの位置なども細かく決めていった。彼らにとってどんな意味があるのかを考え、彼が不自然だと感じる部分は脚本に手を入れた。最重要視したのは彼らの視点。アドリブに見えるシーンも全部が脚本に書かれている。7年という時間をかけ築いた友情の上にこの映画はできあがっている。責任を持ってコミュニティーとコラボレートする事が重要だった。簡単ではなかったけれど」
――今年のカンヌのコンペ部門に女性の監督が3人しか入っていないのは残念ですね。男女平等という点で映画界の状況についてどう思いますか?
「資金を確保して映画製作までこぎつけている女性監督がどれぐらいの数がいるかを思う。私も男性の監督に比べると資金確保は難しかった。私はプロダクションの経営もしているから、そのあたりをシビアに実感する。同じ新人監督でも男性のほうがずっと大きな予算を託されている。業界内に、女性のリーダーシップに対する明らかな懸念があると体感した。意図的でないにしても。その点で女性にもっと機会が与えられるべきだと感じている」
カンヌ映画祭のレッドカーペットをキャストとともに歩くライリー・キーオ(c) Anthonin Thuillier
――有名な一家の出身のあなたでさえ予算確保は難しいということは、一般的な女性監督の状況は一層厳しいものだと想像できますね。
「まさにその通り。私が一緒に仕事をした『ゾラ』(21年)を作ったジャニクサ・ブラヴォーもそう。もっと大きな予算をもらうべきだと思う。経験も天才的なひらめきもある素晴らしい監督だ」
――プレスリーという家系であるということが、キャリアの助けになったと実感しますか?プラス面マイナス面は?
「他の新人俳優と比べたら、資金面でも恵まれていたし、エージェントもついたし、いろんな面でプラスになったとは思う。でもオーディションでは、そこで実力を証明することがすべて。恵まれていたからこそ、期待されていることに緊張し、プレシャーも感じた」
――逆に自分の実力が正当に評価されていないと感じることは?
「祖父の本業は音楽だから、俳優としての自分を家族から独立させて考えるのはそれほど難しくない。母(リサ・マリー・プレスリー)の場合は大変だったと思うけれど、私は2世代離れていて祖父との距離感もあるし、自分なりの道を切り開いているという意識が強い。でも明らかに、家族からの恩恵を受けている点には感謝している」
ライリー・キーオ(c)Felix Culpa
――監督デビューの今年、映画「エルヴィス」も公開です。感想は?
「映画は母と祖母、妹、父と一緒に観たの。家族についての映画だったから強烈な体験だった。私が初めて映画館で観た映画が、本作のバズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」で12歳の時だった。大ファンの監督に祖父の物語を映画化したいと言われ栄誉だと思った。でもバズがどんな映画を作るのか不安は強かった。家族の物語だから正直、過敏な気持ちになった。完成作を観て、バズとオースティンがいかに心を砕いて入魂し、細心の注意を払い作り上げてくれたとわかり、嬉しかった。最初の5分間で涙が込み上げてきて、ずっと止まらなかった」
――自分の家族についての映画を観るというのは、確かに不思議な体験でしょうね。
「家族の世代をこえて続くトラウマが、あの時代に発端があったと感じた。それを目撃するのは強烈な体験だった。祖父の本質に触れる映像を作り上げてくれたんだと感じた。オースティンの演技は美しい。まさかあそこまで彼の演技やバズの業績に圧倒されるとは予想していなかった」
――あなたは祖母のプリシラさんと容姿が似ていますね。出演を依頼されませんでしたか?
「依頼はなかった。それが良かったのだと思う。出演したくなかったし。その辺りに境界線を引き、私たちの尊厳を保ってくれていた事をうれしく思っているの」
――エルビスはあなたのアーティストとしての自己形成の基盤になっていると思いますか?
「どうかしら。はっきりは言えない。でも遺伝子のどこかにあるかもしれない。多分わたしの家族、その物語すべてが、私という人間、アーティストとしての大部分を占めているのかもしれない」
※映画「エルヴィス」TOHOシネマズ日比谷ほか全国で上映中

【下山進=2050年のメディア第3回】新聞が「統一教会」の名前を出せなかった理由
安倍元首相暗殺の翌日の各紙の紙面。見出しは全て同じだが、しかし中身は、独自取材をしているか否かで違った
私がまず違和感をもったのは、各党党首の談話だった。安倍元首相の死が、昭恵夫人が病院に到着するのを待って発表されると、「言論に対するテロを断固として許さない」「民主主義の破壊」と各党党首が判でおしたようにコメントをしているのを見て、そのような問題だろうか、とまず疑問をもったのだった。
政治家はまだいい、しかし民放の某キャスターが、同じ日の首相会見で「戦前の5・15事件が想起されます。戦前のような状況がもう出てきたのではないか」と聞いたのには、唖然とした。だいいちその時点では、犯人の動機もまだ何もわかっていないのだ。
翌日の各紙の朝刊で、ようやく犯人の供述のなかに、犯人が特定の宗教団体に恨みをもっていたことが書かれていたが、それだけではよくわからない。
つまりこの時点では各紙、警察へのアクセスジャーナリズムで、容疑者が「宗教団体に恨み」をもって「安倍氏が(その宗教団体と)つながりがあると思った」との供述をとっており、そこまではどこも同じ、しかし違ったのは、そこから独自の取材をしたか否かだった。
朝日新聞のみが容疑者の親族から「特定の宗教団体を巡って容疑者の家庭は壊れた。本人はその団体から被害を受けていたはずだ」とのコメントを引き出しており、さらに容疑者が登録していた人材派遣会社から容疑者の経歴や、さらに派遣先の社員の話も聞いて紙面化していた。
最初から戦前のテロと結びつける短絡はジャーナリズムではない。私は朝日が独自取材でとってきた親族の証言を読んで初めてこの事件が、新興宗教のからんだ今日的な事件ではないか、と気がついたのだ。
左の立場から戦前のテロと結びつけるのも間違いだが、右の立場から安倍氏に対するリベラル派のバッシングがこの事態を招いたかのような記事をつくるのも同じ陥穽に陥っている。
読売新聞は同じ暗殺翌日の紙面で「首相退任後も中傷続く」「批判先鋭化」「演説を妨害」の大見出しの記事を掲載した。「リベラル派を自任する集団が選挙演説を妨害するような活動も増え」と書き、SNSでの「安倍死ね」「うそつきは安倍の始まり」の書き込みを紹介する同じ記事の中で、共産党の小池晃書記局長が参院予算委員会で「安倍政権時代からの異常な体質だ」と岸田首相を<追及した>とわざわざ書いていた。
これが投票日の前日だ。
そして投票日当日、東京新聞に宗教団体の広報担当者のコメントがあるのに気がついた。「(母親が)長年信者として活動しているのは間違いない」とあるではないか。そうなるとなぜその宗教団体を実名で報道しないのか、ということになる。
供述はあくまで警察の間接的な情報だ。それを独自取材で確認したのだから実名で報道してもいいではないか。
ここにいたって、なぜ宗教団体の名前を出さないのか、この記事を配信した共同通信の統合編集本部長に確認してみた。すると、確かに、その宗教団体は、母親が信者であることは認めたが、多額の寄付をしたことについては、「確認がとれない」とし、また「安倍元首相と関係があると思って」という供述の部分については、安倍元首相がビデオメッセージを関連団体によせた、という昨年の赤旗の報道は承知しているが、安倍元首相との関係については「コメントできない」とのことだったという。「その結果をうけて社内で協議をした結果、宗教団体の名前は出さないことにした」(共同通信)
結局、講談社のウェブメディア「現代ビジネス」が旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の名前を出して報道したことで、教会側が、雑誌、ウェブメディアを排除して会長の会見を行い、「統一教会」の名前はようやくテレビ・新聞でも報道されるようになった。
統一教会は2007年以降、関連会社の特定商取引法・薬事法違反による刑事摘発があいつぎ、東京地裁の判決(2009年11月10日)で「統一教会への信者を増やすことをも目的として違法な手段を伴う印鑑販売を行っていた」と断ぜられている。
統一教会側は記者会見で、コンプライアンス遵守の「声明」が2009年に出されて以降は、こうしたトラブルはない、献金も収入の10分の1は奨励しているが、無理をしていることはないと主張した。
が、翌日、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が記者会見し、旧統一教会による献金の被害はいまだに続いていることを、元女性信者が、2012~15年に行った献金の返還を求めた訴訟などをあげながら指摘した。たしかに判決文を確認すると「不安をあおられたり、多額の献金をさせられたりするなどして、精神的苦痛を受けたものと認められる」と裁判所が事実認定し、476万500円の損害金の支払いが命じられていることがわかる。
背景の解明は、イデオロギーでもなく、陰謀論でもなく、メディア独自の取材で掘り起こしたファクトをもって帰納法的に進められなくてはならない。
言論へのテロ、民主主義への破壊、戦前への回帰という紋切り型の言葉では、この事件の真相は見えてこない。
これは、保守政党と新興宗教、派遣労働者、銃規制のすり抜けといった要素がからむ極めて今日的な事件だ。新聞は智恵を絞って前に出なくてはならない。
そうでなくては、またもや週刊文春の独壇場になる。14日発売の週刊文春は、統一教会と安倍元首相の関係についても、警察情報ではなく、直接取材で踏み込んでいた。
下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。
※週刊朝日 2022年7月29日号

「こだわりはお客さんにわからなければ意味がない」 ミシュラン獲得ラーメン店主の“取捨選択”
カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」(筆者撮影)
日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。鶏清湯で3年連続の『ミシュランガイド』掲載を果たした店主の愛するラーメンは、同じ店で修行した店主が紡ぐ、手もみの自家製麺が光る珠玉の一杯だった。
■「あえて自家製麺にしない」 ミシュラン獲得店のこだわり
西武池袋線・東長崎駅南口から徒歩2分。小さなビルの2階に「カネキッチン ヌードル(KaneKitchen Noodles)」はある。つけ麺の名店「六厘舎」出身の店主・金田広伸さんが、「六厘舎」とは真逆の清湯系のラーメンで勝負した店。「ミシュランガイド東京」で3年連続のビブグルマンを獲得し、頂点を極めた。
カネキッチン ヌードル/東京都豊島区南長崎5-26-15 マチテラス南長崎 2F/[木~火] 11:30~15:00、18:00~21:00、水曜定休※麺、スープなくなり次第閉店/筆者撮影
「カネキッチンヌードル」のラーメンは、“鶏清湯”と分類される。地鶏の丸鶏をぜいたくに使ったダシ感の分厚いスープ。ここに黄金の鶏油を合わせ、うまみを倍増させる。ここに柔らかくゆで切った麺をくぐらせ、至高の一杯が完成する。
2019年5月まで鶏清湯を提供していた「飯田商店」(神奈川・湯河原)の大ブームや、「トイボックス」(東京・三ノ輪)や「カネキッチンヌードル」などの名店がミシュランガイドに掲載されたことをきっかけに関東を中心に鶏清湯の店が増え、空前の鶏清湯ブームが到来した。
「いきなりの大ブームで、自分の実力以上に後ろから背中を押されている感覚でした。お店がたくさん増えて鶏清湯が一般化してからは差が生まれにくくなっていると思います。私はラーメンがおいしいのは当たり前として、差別化できる他の目線をはじめから探していました」(金田さん)
カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。名店「六厘舎」で修行した(筆者撮影)
金田さんが他店との差別化のために注力したのは、とびきりおいしいチャーシューの開発だった。レアチャーシューとくんせいチャーシューをいち早く取り入れ、“チャーシューのうまい店”としてメディアで引っ張りだこになった。
「スープをこれ以上頑張ってもマニアックになるだけだなと思いました。“こだわり”というのはお客さんにわからなければ意味がないと思っています。もっとお客さんがおいしいと思うポイントは他にあるはずと思って、チャーシューに行きつきました」(金田さん)
カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」は醤油の配合を間違ったことから生まれたという(筆者撮影)
金田さんは、繁盛店は長く続けられるようにすることこそが大事だという。こだわり続けることも大切だが、原価や工数との戦いも待っている。「六厘舎」出身の金田さんは、続けることの大変さとその術を知っているのだ。あえて自家製麺にしないなど、こだわりの中にも取捨選択が必要だという。
今後、店舗を増やしたい思いはあるが、路面店の展開は考えていない。今のラーメンをしっかりレシピ化し、フードコートなどに展開できるようにしていきたいという。「六厘舎」での商品開発経験を役立て、次なる挑戦をしていくという。
カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。名店「六厘舎」で修行した(筆者撮影)
そんな金田さんの愛するお店は、「六厘舎」時代の後輩が埼玉でオープンした店。西武ライオンズを愛する夫婦が所沢で開いた名店だ。
■テレビで同級生の活躍を見て… ラーメンの世界に飛び込んだ男の挑戦
西武池袋線・狭山ヶ丘駅の西口から徒歩1分のところに、連日大人気のラーメン店がある。「自家製手もみ麺 鈴ノ木」だ。開店4年目ながら埼玉でもトップレベルの人気を誇る有名店。店主の鈴木一成さんが一玉ずつ手もみするモチモチの自家製麺が自慢で、ダシ感たっぷりのスープとの相性は抜群だ。
自家製手もみ麺 鈴ノ木/埼玉県所沢市埼玉県所沢市狭山ケ丘1-3003-83/11:30-15:00 火曜・水曜定休日 不定期で夜営業有り。詳細はお店のTwitter(@suzunoki0802)にて/筆者撮影
鈴木さんは埼玉県幸手市に生まれた。小中高と野球をやっていて、西武ライオンズの大ファン。西武は当時常勝時代で秋山・清原・デストラーデが大活躍していた頃だ。幼い頃から、家族旅行で訪れた栃木県佐野市や福島県喜多方市のラーメンが大好きだったという。
高校を卒業し、ヤマト運輸のドライバーとして働いた後は、お菓子の工場で働いていた。ある日、テレビで東京都品川区大崎にある「六厘舎」の行列がすごすぎて、移転を余儀なくされているというニュースを見た。そのとき、店長としてインタビューに答えていたのが、中学の同級生・瀬戸口亮さんだった。仲の良かった同級生が繁盛店で店長をしていることに衝撃を受けた鈴木さん。久しぶりに瀬戸口さんに連絡をすると、「今、人がいないので良かったら来ない?」と誘われた。そこからが鈴木さんのラーメン人生のスタートである。27歳の頃だった。
鈴ノ木の製麺機。モチモチの自家製麺が自慢だ(筆者撮影)
「六厘舎」では東京ソラマチ店(東京都墨田区)で働いた。そのうち2年間は店長に抜擢(ばってき)された。店舗展開がスタートし、会社が変わっていく時期で、40~50人の従業員のマネジメントをやるという役割だった。ラーメン作りというよりは、店作りをしっかり学べた時期だった。その頃、瀬戸口さんが先に独立し、「つけめん さなだ」を埼玉県の三郷でオープンした。この瀬戸口さんの独立が、鈴木さんの独立を考えるきっかけになった。
「会社の中でのステップアップもあり得ましたが、多忙なのと精神的にもつらいかなと思いました。店長として1店舗を見るだけでも大変なのに、多店舗は難しいだろうと判断したんです。自分は経営者ではなくラーメン職人になろうと決意しましたが、独立するにはラーメン作りを知らなさ過ぎたことに気づきました」(鈴木さん)
そこで、独立するにはどうしたらいいかを東京・東小金井のラーメン店「くじら食堂」の店主・下村浩介さんに相談した。もともと多加水でピロピロとした手打ち麺が好きで、「くじら食堂」の常連になって顔を覚えてもらっていた鈴木さん。下村さんに紹介してもらった店で修業することになる。
「器、醤油、地鶏など使うものはもちろん、1日のムダのない使い方など、今やっていることの9割はここで教わったことです」(鈴木さん)
「鈴ノ木」店主の鈴木一成さん。27歳の頃に「六厘舎」に飛び込んだ(筆者撮影)
この修業に合わせて、東京都葛飾区の「金町製麺」でもバイトという形で製麺などを教わった。鈴木さんは独立に向けて、大好きな“多加水の手打ち麺”を極めたかったのだ。幼い頃から好きだった佐野や喜多方のラーメンの麺を職人になっても追い求めた。
この頃は、結婚して埼玉県吉川市に住んでいた。独立に向けて開業資金を貯めていて、いよいよ独立をと考えた時に、所沢市にある西武ドーム(現・ベルーナドーム)の近くに店を出す案が浮かび上がる。夫婦そろっての西武ライオンズファンだからだ。
西武ライオンズの大ファンだという鈴木さん。店内にもその思いがあふれている(筆者撮影)
「静かな場所でゆったりとラーメンを作りたいという思いがあり、そうなると西武ドームの近くはいいのではないかという話になったんです。妻も09年からの西武ファンだったので。もしかしたら選手が食べに来てくれるかもという淡い期待をしながら、16年に小手指に引っ越し、狭山ヶ丘駅前に店をオープンしました」(鈴木さん)
鈴ノ木の「特製ラーメン」は一杯1200円。3種のチャーシューや手作りのワンタンもおいしい(筆者撮影)
こうして18年10月、「鈴ノ木」はオープンした。年内はオープン景気で繁盛したが、年明けから3月までは客足が悪く不安な日々が続いた。だが、鈴木さんは限定メニューには逃げず、グランドメニューをひたすら磨き続けた。すると徐々に評判が広がり、口コミサイトでも高得点が付くようになった。そして、秋の「TRYラーメン大賞」や「ラーメンWALKER」での受賞がきっかけとなり、大人気店の仲間入りとなった。今やエリアを代表する名店として、多くのファンが訪れている。
「カネキッチンヌードル」の金田店主は、鈴木さんのラーメンを高く評価する。
「『六厘舎』時代に最後の2年間を一緒に過ごしました。温厚で優しい性格で、どんなラーメンで独立するのかずっと楽しみにしていました。自宅で試作していた時代から食べさせてもらいましたが、最初からかなり完成度が高かったですね。うどん屋でも小麦の使い方を学んだそうで、いい麺を作っていると思います。地域に根付く理想のお店ですね」(金田さん)
手打ち麺を極めた(筆者撮影)
鈴木さんも金田さんのセンスには驚くばかりだ。
「『六厘舎』の先輩ということで、いろいろと教えていただいています。修行先と真逆のラーメンを作って、さらに高く評価されるというのは本当にすごいことだと思います。センスがとにかく抜群で、うまいものを作らせたらその腕はピカイチです」(鈴木さん)
麺は目の前で一玉ずつ手もみしてくれる(筆者撮影)
同じ「六厘舎」出身でも、これほどまでに違うラーメンで人気を勝ち得ているのはすごい。別のラーメンを作っていても、大事にしている部分は同じなのだと思う。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

【PR】【Vol.3】関西外国語大学「新学部・新学科を開設!時代のニーズに合わせて進化する」
グローバルな視点で自ら
社会の課題解決に関わっていく
国際共生学部 国際共生学科 学科長(就任予定) リンダ・ボアカー
――新学部の英語名「グローバル・エンゲージメント」に込めた思いとは?
ボアカー:現在のグローバル社会はさまざまな国が関連し合っていて、そこに発生する課題を解決するにはグローバルな視点が欠かせません。エンゲージメントには、「自分から行動して関わっていく」という意味があります。これからの予測困難な社会情勢に対応するために、世界に関心を持って、自ら考え行動を起こしたいという意欲のある人材を育成したいのです。
この目標を達成するために必要な要素が、英語のコミュニケーション能力などの「スキル」、世界の課題に関する「知識」、学んだことを実践する「経験」、そして課題に関心を持って取り組む「情熱」。これら四つがそろってはじめて行動を起こせます。
――具体的にはどのような学びの場を用意していますか?
ボアカー: まずは「English for Global Citizens」という英語のスキルを高める集中プログラム。さらに「人文科学」「社会科学」「ビジネス・経済学」の3分野を教養として身につけます。全てオールイングリッシュの授業です。また留学生とのグループワークや、学外でのインターンシップ、ボランティアなどの経験ができます。
グローバル人材とは、グローバル企業で働く人のことだけではありません。ローカルな課題もグローバルな視点でとらえ、さまざまな文化背景を持つ人と関わりながら、共生のために貢献できる人を社会は求めています。
リンダ・ボアカー
国際共生学部 国際共生学科 学科長(就任予定)
米・タフツ大学とワシントン大学で修士号を取得。日本企業に勤務後、プリンシピア大学でビジネスと日本史を教える。2016年から関西外国語大学教授。専門は経営学と日本の歴史。
「文理デジタル融合」を実現
「英語+α」で時代を牽引する
外国語学部 英語・デジタルコミュニケーション学科 学科長(就任予定) 水野義之
――「英語」×「デジタル」という組み合わせがユニークです。
水野: 本学は英語を軸にしながらスペイン語や中国語、社会科学などの学びの幅を広げてきました。デジタル化の普及で情報による国境がなくなったように、次は分野の壁がなくなると考え、「英語・デジタルコミュニケーション学科」を新設します。デジタルスキルを外国語大学で学べるというのが画期的です。
「文系でもわかりますか?」と質問を受けることがありますが、英語もデジタルも基礎をしっかり修得してから、2年次でログラミング、2~3年次から統計分析やアートサイエンスなどの専門分野というように段階を追っているので心配ありません。
――メタバースコミュニケーションルームは珍しい施設ですね。
水野:「Hello World」と名付けた施設には巨大なスクリーンがあり、ブラウザやVRゴーグルで3次元の仮想空間を共有できます。そこでグラフィックデザインや動画コンテンツ作成をサポートします。VRで社会課題を解決する取り組みは注目されているんですよ。
これからの100年を考えたとき、文系の目線で問題意識を持ち、理系の目線で解決策を見つける必要があります。これを体系的に学べるのが文理デジタル融合。文系も理系もわかって、英語ができる人はさまざまなシーンで活躍できるでしょう。
水野義之
外国語学部 英語・デジタルコミュニケーション学科 学科長(就任予定)
東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士。大阪大学助教授、京都女子大学教授を経て、2022年から関西外国語大学教授。専門は物理学、情報学(社会情報学)。
関西外国語大学
■中宮キャンパス 大阪府枚方市中宮東之町16-1
■御殿山キャンパス・グローバルタウン 大阪府枚方市御殿山南町6-1
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文:米原晶子 イラスト:おおの麻里 デザイン:佐藤ジョウタ+鈴木マサル(iroiroinc.) 写真提供:関西外国語大学
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醤油の配合を間違ったら…「六厘舎」出身のラーメン店主がミシュランを取るまで
カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」は一杯880円(筆者撮影)
日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。熊谷で“TKM”というシンプルすぎる一杯で大行列ができる店主が愛するラーメンは、名店「六厘舎」でスープを作り続けた男の紡ぐ、鶏のうま味が凝縮した清湯系の一杯だった。
■具なし、スープなし、卵あり 「TKM」誕生の背景
JR高崎線・熊谷駅(埼玉県)から徒歩5分、突如現れる大行列にはいつも驚かされる。「ゴールデンタイガー」だ。およそラーメン店には見えないポップな店だが、常連客を中心に遠方からもラーメンファンが集まる。
「ゴールデンタイガー」の看板メニューは“TKM(タマゴカケメン)”。麺線のビシッと整った麺の上に卵の黄身が鎮座する。シンプルすぎるメニューながら、麺のうまさが際立つ一杯だ。「卵かけご飯」の“TKG”からヒントを得て付けた名前もこれまたポップで良い。
ゴールデンタイガーの「特製TKM」は一杯850円。生卵、鶏チャーシュー2枚、味玉がのっている(筆者撮影)
TKMのような汁なし麺は一般的には「まぜそば」「油そば」と呼ばれることが多い。なぜそう呼ばなかったのか。店主の金澤洋介さんは言う。
「“冷やしまぜそば”と呼ぶこともできたかもしれませんが、人と同じことをしたくなかったんです。写真を見たら驚くものにしたかったので、卵に目がいく盛り付けを目指しました」
TKMはまかないから生まれたメニュー。まかないとして具なし、スープなしで麺を食べていた時に「卵かけてみる?」と思いついたのがきっかけだ。卵は近隣の川本町にある田中農場のものを使っている。黄身のオレンジ色が濃く、臭みがないので生で食べるには最高の卵だ。
店の外観や内装はとにかくポップ。「ゴールデンタイガー」という店名はピザ屋をやっている知人がつけてくれた。ありきたりの名前で営業するより、目立つ店名にしたかったという。
金澤店主の決めポーズは、店名にちなんだ“タイガーポーズ”。お客さんと一緒にタイガーポーズをして写真を撮ると、SNSにその写真があふれた。こうしてだんだんファンがついていったのである。
ゴールデンタイガー店主の金澤洋介さん。「タイガーポーズ」が様になる(筆者撮影)
2020年10月からは麺を自家製麺にした。製粉会社と二人三脚で完成させた、加水が高めで弾力が強い麺は、麺だけ食べた時の説得力が半端ではない。コロナ禍に合わせて自社工場を作り、製麺と同時に店頭・オンライン販売用のお土産麺も準備した。イートインのみならず、オンラインでもファンが広がり、“TKM”は少しずつ広がっている。
すべてにアイデアがあふれ、唯一無二の存在になった「ゴールデンタイガー」。マーケティング視点でも参考になる店である。今後は、もう1、2店舗広げていきたいという。
「次はTKMの専門店を出してみたいです。TKMを国民食のひとつにできたらと考えているんです。『東池袋大勝軒』の山岸さんがいっぱい弟子をとってつけ麺文化を広めたように、TKMをどんどん広めていきたいと考えています」(金澤さん)
ゴールデンタイガー/埼玉県熊谷市本町2-116アイジマビル1F/11:00~14:00、18:00~21:30LO。水曜定休日。営業情報は店のツイッター(@golden_tiger24)にて/筆者撮影
そんな金澤さんの愛するラーメンは、つけ麺の名店「六厘舎」でスープを作り続けた男が独立して一転、清湯(ちんたん)系でミシュラン・ビブグルマンを獲得した一杯だ。
カネキッチン ヌードル/東京都豊島区南長崎5-26-15 マチテラス南長崎 2F/[木~火] 11:30~15:00、18:00~21:00、水曜定休※麺、スープなくなり次第閉店/筆者撮影
■醤油の配合を間違ったら… 「六厘舎」出身のラーメン店主がミシュランを取るまで
西武池袋線・東長崎駅南口から徒歩2分。飲食店の集まる小さなビル「マチテラス南長崎」の2階にその店はある。「カネキッチン ヌードル(KaneKitchen Noodles)」だ。ラーメンフリークの店主がたどり着いた至高の一杯で多くのラーメンファンをうならせる名店である。
店主の金田広伸さんは埼玉県朝霞市出身。若い頃はアニメーターを目指して代々木アニメーション学院へ。アニメーターとして2年間働いたが、実力不足を感じ、その後はアルバイトをしていたすし屋に就職した。
カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。名店「六厘舎」で修行した(筆者撮影)
それも続かず、今度はホンダの自動車工場で働くことに。夜まで仕事をしては、夜中によくラーメンを食べていた。リーマン・ショックで仕事を辞め、職業安定所で仕事を探していたところ、つけ麺の名店「六厘舎」が地元近くの新座市で工場を開くため働き手を募集しているのを見つけた。そろそろ手に職をつけたいと思っていた金田さんは、「六厘舎」に就職する。33歳の時だった。
はじめの2年間は工場勤務。スープ作りがメインの仕事だったが、最終的にはレシピを任せられるようになった。ちょうど多店舗展開を始めた頃で、とにかく勢いがあった。はじめは60センチの寸胴(ずんどう)でスープを1日2本分炊く仕事だったが、どんどん量が増え1日20本に。24時間態勢でスープを炊く工場になった。
「体力的にはしんどかったですが、このスープと向き合った日々が今の自分を作っています。徹底的に覚えましたね。人が一生で作るスープの量は、この時期だけで余裕で作っていたと思います(笑)」(金田さん)
その後、東京駅の店や別ブランド「舎鈴」の立ち上げなど、いろいろな店舗を回った。年月とともに立場が変わり、従業員管理やマネジメントにも携わり、大変勉強になったという。
退職の2年前ぐらいから独立を見据えて食べ歩きを始める。特に好きだったのが「蔦」「鳴龍」「くろ喜(*)」。濃厚系のスープを作り続けてきた金田さんだったが、独立したらあっさりした清湯系をやろうと心に誓った。
書店で見つけた本に「鳴龍」のラーメンの作り方が書いてあり、それに倣って作ってみた。だが、似たようなラーメンは作れるが、どうしてもクオリティーが届かない。作りたいラーメンのイメージは決まっていたが、技術が追い付いていなかったのだ。自分がこれまで作ってきた濃厚系のラーメンとは基礎の基礎から違ったのである。
西武池袋線「東長崎駅」南口から徒歩2分の場所にある(筆者撮影)
そこで金田さんは「鳴龍」の店主・齋藤一将さんに直接質問し、食材の使い方や仕入れ先まで教えてもらうことに。独立前に、地元の朝霞にある定食屋を週1で間借りし、ラーメンを提供することにもなった。「ラーメン 金田」のオープンである。
「安定して同じものは作れなかったけれど、おいしいものはできていたと思います。『鳴龍』さんが麺を卸してくれて、本当にありがたかったです。最後の方は行列もできていたんですよ」(金田さん)
そしていよいよ独立の時。地元で店を開きたかったが物件がなく、エリアを広げ、東京都豊島区の東長崎に決めた。駅前ではありながら建物の2階というあまり条件の良くない物件。アニメーター時代によくこの辺りで仕事をしていたので土地勘があったことと、とにかく早くやりたいという気持ちが大きかったのだという。
「売れてしまえば場所は関係ないと思い、決めてしまいました。建物的に『ラーメン 金田』という名前が合わないと思い、大好きだった『Japanese soba noodles蔦』に敬意を表してオマージュしました」(金田さん)
カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」。醤油の配合を間違ったことから生まれたという(筆者撮影)
こうして2016年12月、「カネキッチンヌードル」はオープンした。開店して3カ月は間借り時代のファンや、特集された雑誌を見てたくさんのお客さんが来た。だが、ワンオペで店がまったく回らず、許容量オーバー。金田さんはオープンから半年間の記憶がほぼないという。
「クオリティーが全く追い付いていませんでした。間借り時代とは道具も違い、コンロもIH。満足いくスープが炊けなかったんです。オープン景気が終わった頃、IHが壊れてガスに変えたことでようやくちゃんとスープが炊ける環境になりました」(金田さん)
この後転機になったのはオープンから1年半経った頃である。仕込み中に醤油の配合を間違ったことがあった。試しにそのまま作ってみたら、これが驚くほどうまかったのである。ここから醤油の量や火入れの有無を気にするようになる。
「これをきっかけにより食材と向き合えるようになりました。それぞれの素材の良さをマックスで引き出せるようにいろいろ工夫しました。醤油をきっかけにスープも変え、地鶏を使い始めました。オープンから2年である程度完成形に近づいた感じです」(金田さん)
この後、「カネキッチンヌードル」は『ミシュランガイド東京』で3年連続のビブグルマンを獲得。一気にトップの仲間入りを果たす。鶏清湯ラーメンブームの一端を担う名店として、今も行列を作り続けている。
カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。素材の良さを生かしたラーメンづくりをしている(筆者撮影)
「ゴールデンタイガー」の金澤店主は、金田さんを兄のように慕う。
「イベントで初めてお会いして以来、いろいろ教えてくださる兄貴です。『六厘舎』の出身ということで数字管理やマネジメントにも詳しいですし、食材の扱い方についてもすごい知識を持っています。つるし焼のチャーシューの作り方も金田さんに教えてもらいました。TKMも気に入ってくださり、週1の限定でお店で出されているんですよね」(金澤さん)
金田さんもTKMを高く評価している。
「TKMがとにかくおいしいです。シンプルすぎるだけにこれを作るのは非常に難しいんです。金澤さんは明るい体育会系。職人の部分と経営者の部分のバランスが取れていて、お店が完成されている感じがします」(金田さん)
取材を通して思ったのは、金澤さんも金田さんも底抜けに明るいこと。そして、ラーメン作りだけでなく、経営面もしっかり考えられているのが印象的だった。長く店を続けるには、そのバランスが大事なのだと再認識した。(ラーメンライター・井手隊長)
*「くろ喜」の「喜」は「七」を三つ並べたものです。
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
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