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「親としての自分を大切に」 医療的ケア児支援法施行に障害を持つ子の親と専門家が語り合った
江利川ちひろ 江利川ちひろ
「親としての自分を大切に」 医療的ケア児支援法施行に障害を持つ子の親と専門家が語り合った
写真左から、小林保子さん、江利川ちひろさん、江田明日香さん/撮影 写真部・加藤夏子 江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ  障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えるこの連載。今回は、9月18日に「医療的ケア児支援法」が施行されるのに合わせ、江利川さんが、医療的ケアが必要な長女(15歳)の主治医・江田明日香さん(かるがも藤沢クリニック院長)、障害児保育や特別支援教育に詳しい鎌倉女子大学教授の小林保子さんと、当事者から見える医療的ケアや法律に期待することなどを語り合いました。2回に分けてお伝えします。前編です。 ■前例のない医療的ケア導入まで ――江利川さんがAERA dot.での連載「障害のある子と生きる家族が伝えたいこと」で紹介していますが、長女のゆうちゃんは、胃ろうから栄養を注入し、夜間に人工呼吸器を使用するなど、医療的ケアを行いながら生活しています。また、脳性まひの影響で背骨が曲がる「側弯」が進んで右肺の機能が低下し、特別支援学校の中等部1年だった2020年1月、学校との幾度にもわたる話し合いの末、これまで前例がなかった「看護師による酸素の流量調整」という医療的ケアを認めてもらいました。 江利川 胃ろうやたんの吸引、経管栄養などの医療的ケアを学校で行っているお子さんは多いと思いますが、酸素投与となると、重症心身障害のある子どもが通うはずの特別支援学校でも、周りにはいませんでした。 小林 前例のない医療的ケアの場合、付き添う前提で通学をするか、教員が家庭などに訪問して教育を受ける「訪問教育」のどちらかを勧められることが多いですね。 江利川 私の場合も、付き添うか、訪問教育の施設で学んだほうがいいのでは、と勧められました。 小林 学校生活は社会の自立の一歩です。学校は親から離れて集団の中で教育を受け、共に子ども同士で学び合う場で、そうした場で親御さんがずっと教室や待機室にいることはお子さんやほかのお子さんの貴重な機会を奪ってしまうことにもなります。文部科学省は保護者の付き添いについて、19年に「真に必要と考えられる場合に限るよう努めるべきである」という言葉を入れましたね。 江利川 でも現場は、文科省の指針の感じではないですね。 江田 私は医師ですが、小児神経の専門でもないし、小林先生のように特別支援の専門家でもない。一般の人に近い立場で見てきましたが、指針があっても結局それを実行するのは学校現場であって、法律が変わったとしても、これまでの流れを大きく変えて実行しようとするエネルギーがなければ変わらないと感じました。これは保護者1人が取り組むこととしては非常に負担が大きい。 ■孤立する障害児の親たち 江利川 (代表を務める)NPO法人かるがもCPキッズの活動に参加するママたちは、お子さんが複数いたり、子どもの介護や看護などに追われたりして大変な中で、就園や就学の情報を学校や教育委員会と交渉し、一人で戦っている方が多い。私も当事者として感じるんですが、母親の言葉はすごく弱くて、そこに寄り添ってくれる方がいないと交渉するのは難しい。だんだん自分の考えが間違っているのかなってめげちゃう人も少なくない。福祉と医療、教育がそれぞれ三角形になってそれぞれうまく連携していくことができれば、家族を支え、孤立を防ぐことができると思うんですけど、多職種連携が実現するにはまだまだ壁が大きいと感じています。  小林 学校では学校長に権限があって、学校長の方針が受け入れに影響しています。インクルージョンが広がる中でこれから難しいのは、市区町村立の通常の学校。医療的ケアを受け入れるかは地域や学校次第で、ローカルルールや各学校のルールもある。そうした中で就学相談や、ケアが増えるときなどは保護者からの情報だけではなく、主治医やかかりつけ医も加わると学校現場の理解もスムーズになる。迷っている保護者と教育委員会の間に入って橋渡しができる第三者がいるといいんだろうなと思います。 江田 先生がおっしゃるように、公平中立に物ごとを判断して、「あなたにはこのサービスが必要ですよ」と保護者側にアドバイスをくれて、利害関係のない立場から、保育園や幼稚園、学校、教育委員会に対して「こうしてください」って言える人がいないと、絶対うまくいかないと思います。親御さんって弱いです。 ■親がケースワーカーも兼ねる 江利川 数カ月前、かるがもCPキッズで、就学と就園についてのアンケートを実施したら、2週間で180以上の回答が集まりました。就園のほうが苦労している印象でした。歩ける、歩けないが基準になっていて、歩けないと受け入れてもらえない。「設備がバリアフリーでないので無理です」と簡単に断られてしまう。電話で問い合わせたら、鼻で笑われたという人もいました。私の長男が幼稚園を探していた10年前と同じ状況が今も続いています。保育園や幼稚園は私立が多いので、(職員を多く配置する)加配が受けにくいこともある。合理的配慮もまだ努力義務ですし(6月に改正障害者差別禁止法が成立し、今後は義務になる)。就学に関しては、法律が変わったからか、公立学校での受け入れが多くなってきていますが、心ないこと言われているケースもまだまだある。障害も多様性があって、歩けないけどお話ができる、お話ができないけど歩けるといったお子さんもいる。でも、そういうお子さんを見たことがないと、障害があると受け入れはすべて無理となる。それに、どの福祉サービスがあっているのか、介護保険制度ならケアマネさんが考えてくれるけど、小児の分野は親、多くは母親がケースワーカーをしなければいけない。7~8割の人が「一緒に考えてアドバイスをくださる専門家が近くにいたらいいのに」ということを書いていました。 江田 親がソーシャルワークをしなければならないなんて、普通にびっくりしますよね。たいていの方は妊娠・出産はハッピーなことだと捉えます。でも子どもに病気や障害が見つかり、通院が始まり、思い描いていた子育てとは違うわけです。親としてネガティブになっている。それ以上の苦労は必要ないはずなのに。言ってしまえば社会的に弱い立場にある人たちが、手探りで自分たちの行き場所を探さないといけない。それは酷ですよね。しかも、一カ所に行ったらすべて情報が手に入るわけではなくて、自分たちにフィットする情報を各方面に問い合わせて探さなければならない。そういう力がある人はいいけど、精神的にも金銭的にもいろいろな事情でそれが難しいひともいるわけで。これは解決しなければならない問題だと感じています。  ■親である自分を大切に 小林 地元の医療的ケアと重症心身障害児の連絡協議会の委員をしているんですが、医療的ケアの保育所でのガイドラインをつくったとき、ガイドラインの中にローカルルールができたんです。入園対象が3歳児以上となり、3歳未満の医療的ケアのあるお子さんは入園対象にならなかった。仕事に戻らないといけない事情のある人もいるし、保育は福祉なんだから3歳未満も必要だと言いましたが、反対意見の人もいました。「こんな大変なお子さんを持つお母さんは、もっとお子さんと向き合う時間をもった方がよいのでは」と。確かに、子どもと向き合う大事な時期はあります。子どもに障害があるとわかって間もない時期でもあるので。でも、状況は人それぞれ。子どもに医療的ケアが必要だと、親は仕事より子どもと向き合うことを一律に求められ、障害がなければ子どもを0歳から預けてもよいというのは違うと思うんです。保育の現場だからできる子育て支援もある。保育の受け入れについてもいろんな考えがあって、頑張ったけれど、「3歳から」になってしまいました。 江田 子どものために自分を犠牲にするのは、親であってもおかしい。私のクリニックではオーストラリアのペアレントプログラムを導入しているんですが、「前向き子育て5原則」というのがあって、その最後に「親としての自分を大切にする」と書かれている。親が自分自身、大切にされていると思えなければ、子どもと良い関係性を作っていくことはできない。子どものことを尊重して子どものことを考えることはできない。欧米やオーストラリアではそういう考えが文化としてあって、だから江利川さんはハワイで「あなたは絶対に頑張ってはいけない」と言われた。根性で乗り切ることじゃないんですよ。 小林 江田先生がおっしゃったように、家族の捉え方が欧米と日本では全く違う。家族って親子、夫婦、きょうだいなどさまざまな関係性があるんですけど、日本では出てくる因子のほとんどが「親と子」。子どものために親が犠牲になる。欧米は家族であっても、それぞれが自立し、自分を大事にする。ただ、虐待も多い。それを防ぐために周りにサポートする集団がいて支えていく。でも、日本では家庭に他者の目が入りにくく、障害のある子の親も、一人で子どもが利用できる福祉サービスを探す「セルフプラン」というケースもまだ多いですね。 (構成/編集部・深澤友紀) ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2021/08/24 16:00
「知らない」から「怖い」を超えるために 医ケア児支援法に当事者と専門家が伝えたいこと
江利川ちひろ 江利川ちひろ
「知らない」から「怖い」を超えるために 医ケア児支援法に当事者と専門家が伝えたいこと
江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ 江利川さんの長女(15歳)の主治医で、かるがも藤沢クリニック院長の江田明日香さん/撮影 写真部 加藤夏子 障害児保育や特別支援教育に詳しい鎌倉女子大学教授の小林保子さん/撮影 写真部・加藤夏子  障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えるこの連載。今回は、今年9月18日に「医療的ケア児支援法」が施行されるのに合わせ、江利川さんが、医療的ケアが必要な長女(15歳)の主治医・江田明日香さん(かるがも藤沢クリニック院長)と、障害児保育や特別支援教育に詳しい鎌倉女子大学教授の小林保子さんと、当事者から見える医療的ケアや法律に期待することなどを語り合いました。2回に分けて掲載、こちらは後編です。 *  *  * ■知らないから怖い 江利川 長女は4~5年前から訪問看護を利用していますが、訪問看護ステーションで小児を診てくれるところはすごく少ない。しかも、どこかに一覧があるわけじゃなくて、自分で電話をして、家はどこどこにあるけど来てくれますか、などと問い合わせなければならなかった。いま利用している訪問看護ステーションは高齢者専門で、最初問い合わせたときは、「小児を受けたことがないから怖いんです」と言われました。その当時は大きな医療的ケアが必要なかったので、「まずは入浴介助をお願いしたい」というと、じゃあちょっとずつやっていきましょうか、と受け入れてもらえました。1回来ていただいたら、普段はご高齢の方ばかり相手にしている看護師さんたちが、小学生だった長女の介助を「かわいいかわいい」って言ってやってくださって。その事業所では長女を受け入れたことで、「これから小児の利用者も増やしていきたい」って言ってくれました。 江田 いま、キーワードが2つ出ましたね。最初は「怖い」んです。知らないから、怖い。でも、知ればできるって思うんです。 江利川 長女の特別支援学校での酸素療法導入もそうでした。 江田 だってお風呂ですよ。高齢者よりも子どものほうが体重も軽いじゃないですか。でも、それを経験したことがあるかないかでハードルの高さが変わる。そして、もう一つのキーワードが、「ちょっとずつ」。ハードルを大きくまたげと言っているわけではなくて、まずお風呂からやってみて、あら、できるじゃん、じゃあほかの小児に広げましょうと。そうしてその事業所が変わっていく。 江利川 去年の夏に長女が呼吸器を持って退院することが決まったとき、その事業所では高齢者も含めて1人も呼吸器を使っていなかったそうで、「呼吸器を使える人間がいないんです」って言われたけど、親の私も初めて触るわけで。そうしたら、退院し、呼吸器のメーカーさんが自宅に設定に来てくれるのに合わせて、担当する4人の看護師さん全員が来てくれました。説明を聞き、写真を撮って独自のマニュアルを作ってくれて。今では「病院での採血の結果もあったら見せてください」と言ってくれたりして、トータルに長女を診てくれるようになりました。  ■保育園での受け入れが進まない理由 小林 「怖い」っていう言葉で思い出したんですけど、先日50数園で働く保育士さんを対象にアンケートしたところ、「医療的ケア」という言葉を聞いたことがある人は58%、意味も知っている人は37%、「インクルーシブ保育」という言葉の意味を知っている人は23%だったんです。さっき江利川さんが「鼻で笑われた」事例を紹介していましたが、そういう子どもたちは保育園や幼稚園での集団保育ではなく、療育センターの対象、あるいは専門機関の方が良いと思っている保育者が多いからだと思います。実際に保育園で受け入れることをどう思うかと聞いたら、「良いことではない」「おおむね良いことではない」という回答が合わせて60%ありました。 江利川 多様性に気付いていないということですね。 小林 わからないから想像もつかない。「さまざまなニーズのある子がいて当たり前なんだよ」と知ってもらうのが、大きな課題です。 ■分け隔てのある教育の弊害 江田 やっぱり幼少期から様々な子どもたちの中で育つのが当たり前な教育環境が必要だと思うんですよね。もし、育ってきた中でクラスの中に1人でも車いすの子がいたら、全然違うと思います。いまも分け隔てのある教育がある。バリアがあった時代に育った多くの大人たちは、「インクルージョン? 何のこと?」とイメージが湧かないですよね。わからないものは怖いですし、責任を伴う職業に就いているからこそ、そう簡単にイエスとは言えないというのは自然な発想ですよね。 小林 一方で、すでに受け入れているところは、「普通のことですから」ってアンケートに書いていた。「だって子どもはみんな一緒だもの」「ごはんの代わりに経管栄養でしょ」って。知ることが大切なんですね。 ■学校医の巡回診療が壁 江利川 医療的ケアのあるお子さんの親たちが、付き添いを求められる現状を変えるには、学校医が学校を訪れる「巡回診療」のあり方も考えなければならないと思うんです。長女が通う特別支援学校では、月に1度、2~3時間しかないので、3人しか診てもらえない。翌月や翌々月に回されてしまう子もいて、巡回診療の待機でなかなか付き添いが外れないお子さんもいる。長女の酸素導入の際、学校医は「僕はいつも診ているわけじゃないから、主治医の先生がいいって言えばいいんじゃないか」という立場でした。 江田 私も小学校や保育園の学校医や保育園医をしていますが、すごく立場が難しいんです。特別支援学校ならなおさら、個別性が高いので、そこに月に1度自分が行って何ができるかというと限界がある。だから、ゆうちゃんの学校医の「主治医がいいって言ったらいいよ」言ってくださった立場はすごく理解できます。 江利川 学校のシステムはまだまだアナログで、紙ベースの世界なのだと思います。私のときはたまたま江田先生が主治医として巡回診療に同席してくれて、「何かあれば私に連絡していただいて構いません」と言ってくださったので相談態勢ができ、学校側の不安もだいぶ解消されました。けれど、多くの医師はたくさんの患者さんを抱えていて、それぞれの患者さんの学校に行ってくれるわけではありません。例えばZoomなどオンラインで参加することもできるようにして、月に1度の巡回診療を待つだけでなく、ニーズがある場合にオンラインで診てもらえたらいい。システムが変わったら、少ないマンパワーで多くの人を支援することができるんじゃないかと考えています。  江田  そもそも巡回診療医は、どのように関わっているのでしょうか。指示を出すわけではないですよね? 小林 指示を出すというより、最終チェックですよね。主治医と保護者からはこう要望や指示がきた、学校の対応はこうだ、というところの最後の確認。オンラインは、セキュリティーの問題はあるけど、システムができればできる。それに、1カ月に1度、3枠なんて少なすぎる。学校によっては月に1度、朝から1日中、学校医にいてもらい、10人程度診てもらうところもあります。学校医として巡回してくれる先生を探すのも大変だとよく聞きます。近くに大学病院があるようなところは先生も多く、継続的に来てもらうこともできるでしょうけど、地域差もある。医療的ケア児支援法は、地域格差の是正が柱の一つですが、現実的に医療格差はあるので、オンラインを活用するのは格差をなくすためにも良い方法かもしれないと思います。 ■学校に丸投げしない 江利川 親側も気をつけなければならないと思っているのは、「学校に任せたのだから」といって、責任を押し付けること。私も導入に向けての交渉の際には、「これは娘のために私たちが決断したことなので、酸素を投与して何かあっても責任は問わない」と伝えていました。 小林 医療的ケアを行うにあたって、あれだけたくさんの書類を主治医や親や学校側それぞれが書くのは、責任の所在を明確にし、分散させることにもなっている。お互いに理解し、了承した上での契約に近い書類をかわす。あと、支援法ができて各都道府県に家族からの相談に応じるための支援センターを各都道府県に設置することも、今回の法律の目玉かと思うんですけど、保護者のカウンセリング、きょうだい児への支援など家族を核とした支援ができるのか、中身が気になります。 ■医ケア児支援法への期待 江利川 介護保険法だと福祉と医療が一緒に使えます。でも、いまは小児の分野だと、医療法と福祉法の間に壁がある。例えば、江田先生のクリニックに、発達がゆっくりなお子さんや医療的ケアが必要なお子さんなどに対して必要な診療と家族支援を行う「おうち支援部」を作りましたが、ここで私がソーシャルワークをして個別支援計画を作成したとしても、診療報酬で点数は取れない。一つの場所で、多職種の専門家が障害のあるお子さんをみられると、保護者の負担も減るのになと思っています。医療的ケア児支援法が介護保険法の子ども版のように、福祉と医療を一緒に使えるようになればいいんですけどね。 江田 おうち支援部でやっていきたいことは、社会的ニーズがあると考えています。福祉関係の相談はクリニックの取り組みとして半ばボランティアで受けていきますが、願わくはいろいろな地域に広がってほしいシステムだと思っている。もし法律が各都道府県に設置する「医療的ケア児支援センター」を民間にも下ろしてもらえるのであれば、手を挙げて補助金をもらってやっていけるかもしれない。 江利川 一部の病院では、NICU(新生児集中治療室)を退院した後、親たちがつながり合っているところもありますが、多くは退院したら孤立してしまいます。そうした親たちの孤立をなくしたいと思ってNPOを立ち上げ、ソーシャルワーカーとして活動してきましたが、まだたくさんの壁があると感じています。医療的ケアが必要なお子さんやそのご家族への支援はもちろんですが、医療的ケアが必要ないために医療や療育などの専門家とつながれていない障害のあるお子さんとご家族のことも支援していけたらと思っています。 (構成/編集部・深澤友紀) ※AERAオンライン限定記事
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ローカルテレビ局発のドキュメンタリー映画に底知れない可能性 なぜキー局ではないのか?
ローカルテレビ局発のドキュメンタリー映画に底知れない可能性 なぜキー局ではないのか?
サンマ裁判を起こした魚商、玉城ウシ(c)沖縄テレビ放送  アーカイブとして眠る何十年も前の映像、1つのテーマを掘り下げて撮りためられた映像……。ローカルテレビ局がその強みを生かして制作したドキュメンタリー映画に注目が集まっている。上映中の沖縄テレビ制作「サンマデモクラシー」やKSB瀬戸内海放送制作「カウラは忘れない」も好例だ。歴史に埋もれた映像や物語が、現代をビビットに照らし出す。 「サンマデモクラシー」は、米国による沖縄占領が続いていた1960年代、サンマへの課税がきっかけとなり、一人の沖縄の女性が米国高等弁務官のキャラウェイや琉球政府に挑んだ裁判を描く。監督・プロデューサーは沖縄テレビの山里孫存さん。「玉城ウシという1人の魚商の女性が大きなうねりを起こしていったことが面白かった。沖縄の本土復帰(1972年)後50年の節目も近いこともあって、歴史を見直す中で、この事件が後続の沖縄の様々な運動のもとになっているのではないか、と引き込まれていった」と話す。 サンマ裁判で弁護に立った下里ラッパ。破天荒な人物だったという(c)沖縄テレビ放送  玉城ウシの奮闘につられるように、弁護人の下里ラッパ、名物の国会議員、瀬長亀次郎ら沖縄の民主主義運動を支えてきた魅力的な人物もクローズアップされる。米軍普天間飛行場を辺野古に移設する計画をめぐり、翁長雄志知事と菅義偉官房長官(当時)が会談、翁長知事が、米軍占領時、「沖縄の自治は神話」と語ったキャラウェイ高等弁務官の姿と菅氏が重なる、と言及する部分も収録されている。 ■「対立」が落とす影  過去から現在へと一貫する沖縄の民主主義樹立への悲願が層をなして、数少ない映像しか残っていない女傑・玉城ウシを実在した人物として浮かび立たせてくる。晩年、亡きわが子を思い出して口にした「赤い靴を買ってあげられなかった」という悔恨の述懐は胸を打つ。 「サンマデモクラシー」の監督・プロデューサー山里孫存さん(c)沖縄テレビ放送 「第2次大戦から米国による統治、そして、日本への復帰。でも、望んだ復帰とは違う沖縄の現状にまで、対立が影を落としている」と山里さん。重く激しい歴史の脈動を描きつつ、沖縄出身の落語家の軽妙なトークやナレーションも交えて、親しみやすく仕立てている。  一方、「カウラは忘れない」は、KSB瀬戸内海放送の満田康弘さんが監督を務めた。前作のドキュメンタリー映画「クワイ河に虹をかけた男」の主人公にカウラ事件を教えられたという。 旧日本軍の捕虜が収容されたオーストラリア・カウラの捕虜収容所(c)瀬戸内海放送  カウラ事件は、戦時中の1944年8月5日、オーストラリアのカウラ捕虜収容所で起きた。日本軍の捕虜1000人余りのうち、500人以上が脱走し、ほぼ半数が銃撃などで命を落とした。脱走者たちにのしかかっていたのは1941年、当時の東条英機陸相が布達した「戦陣訓」。「国体の本義」の体得を将兵に要求し、「生きて虜囚の辱を受けず」などの教えを垂れていた。捕虜として生き延びることは罪だった。命はいとおしいが、生き恥はさらせない。日本の家族に迷惑がかかるから、帰国も望めない。脱走者たちは、絶望をかみしめて集団自決的行為を選択したのだろう。既に戦死扱いになっていたこともあってか、多くは偽名を用いたという。 「集団自殺的行為をやめようと思っていても言い出せない。その危険性、恐ろしさが伝わる」と山里さんは感想を述べる。 生存者の村上輝夫さん。カウラ事件の70周年、75周年の追悼式典に出席した(c)瀬戸内海放送  映画は、生き残った当事者たちを追い、証言映像を重ねる。今生きていることが、カウラ事件で亡くなった仲間たちに申し訳なく、押しつぶされそうな気持になる。彼らの戦後も、生き延びることは罪であるかのように。当事者の一人は人前で顔を上げるのも苦痛そうだ。映画では、当事者たちの話を聞く現在の若者が事件をどう継承していくか、という姿も描く。 ■「自分だったら」を考えて  満田さんは「捕虜になった人たちも高齢となり、今話を聞いておこうと撮影を始めた。捕虜たちが直面した、集団自決につながる脱走するかどうかの選択は、決して昔話ではないと思う。今の子どもや若者にも『自分だったらどうするか』を考えてほしい。そういう選択の積み重なりが社会を作る」と言う。 生き延びた立花誠一郎さん。戦時中にハンセン病と診断され、帰国後も岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所・邑久光明園に入所、カウラ事件を語り継ぐことを決意した。事件当時は、隔離テントからその様子を見ていた。2017年11月、96歳で没した(c)瀬戸内海放送  当事者の一人が若者にもらした一言は、ぐさりと突き刺さってくる。 「日本は戦争に負けたんだから……天皇陛下自ら手を上げたんじゃないのか……日本全国の者がみな捕虜ということになりますね」  両作とも、あまり人口に膾炙していない物語をていねいに伝え、現代人が踏みとどまって考え直すべき問題を示唆する。メッセージ性は強烈だ。 本土復帰をかなえた沖縄が目にしたのは何だったのか。沖縄に立ちはだかる壁は、米高等弁務官から日本政府に代わっただけなのか。「第2次世界大戦からアメリカの統治、日本への復帰。しかし望んだ復帰とは違う沖縄の現状にまで、こうした対立は影を落としている」と山里さん。満田さんは「民主主義は闘わないと勝ち取れない。米国高等弁務官の『自治権は神話』という発言も、今の沖縄に響いてくる」と話す。  新型コロナウイルス感染症の拡大への対応、オリンピック・パラリンピックの開催……。不幸にも国論が二分されるような事態は、政権など権力者の、広範な説得力を持たない意思で押し切られていく。さらに政権・与党内部の無批判性も止まらない。カウラ事件のように、たとえ不条理でも、主流派の大きな声に小さな声は呑み込まれて行ってしまう。 生存者らと接し、カウラ事件の体験に関する番組制作などに取り組んだ山陽女子高校(現・山陽学園高校)の生徒・卒業生たち(c)瀬戸内海放送  ノンフィクション作家の保阪正康さんは8月中旬、BS―TBSの報道番組「報道1930」に出演し、戦争体験について、一次的継承(自らの体験を語る)、二次的継承(体験を聞き取り語り継ぐ)を経て、今や三次的継承(体験を自分と切り離し、歴史化する)の時代に入った、と主張した。体験者の多くが亡くなる中、老若を問わず聞き取る人にも、新たに戦争体験の継承に取り組む若者たちにも、その「歴史化」は課題だ。「カウラは忘れない」は一・二次的継承の足跡であり、かつ三次的継承に向けての模索にも見えてくる。 ■キー局ではなくローカルの強み  ローカル局によるドキュメンタリー映画は、東海テレビ放送が2011年に手掛けた意欲作「平成ジレンマ」が先駆けとされる。社会問題になった体罰事件を起こした「戸塚ヨットスクール」を扱い、カナダのモントリオール世界映画祭の招待作にもなった。山口放送、広島テレビ、テレビ長崎なども続いた。富山のチューリップテレビは、自らの調査報道で火をつけた富山市議会の不正問題をドキュメンタリー映画にした。なぜ、キー局ではなく、ローカル局なのか。 カウラの収容所跡地。高校生たちは、立花さんが寂しさを紛らわせようと話しかけていたユーカリの大木を目指して歩く(c)瀬戸内海放送(c)瀬戸内海放送 「映像は宝の山」(山里さん)というように、一つは定点観測的に撮りためた映像が残っている点。もう一つは、一からの映画制作ではなく、テレビ用に撮影して一部を放送し、豊富な映像を加えて再編集して映画化することが多く、予算を比較的抑制できる点だろう。さらには、テレビの枠では、長時間のドキュメンタリーを放送しにくい実情もあり、テレビから映画へと発展的に発表媒体を変えているようだ。  満田さんによれば、ドキュメンタリー映画も作りたいからローカル局に入りたい、と希望する大学生も出てきたという。山里さんも言う。「やる気と企画力があれば、あらゆるものに挑戦できるのが、ローカル局だと思います」 「カウラは忘れない」を監督した満田康弘さん(c)瀬戸内海放送  大都会の渦から一歩引いたところで、対象をじっくり見つめる。大きな声にかき消されそうな小さな声も聞こえてくる。真の像とは、その姿勢から見えてくるのかもしれない。ローカル局発のドキュメンタリー映画が、あたふたと周囲の出来事に振り回され、立ち止まることも許されずに流されていく人々に大切なことを示してくれる。その可能性は、底知れない。  山里さんは「埋もれてしまった出来事や人物にスポットライトを当てることで、歴史を問い直すことが、ドキュメンタリーにはできる」と確信する。満田さんも話す。「カウラ事件でも、新型コロナウイルス感染症でも、明らかになったのが、日本人の同調圧力ではないか。声を上げられない人の助けになって、寛容な世の中になってほしいという意気込みで、ドキュメンタリーを作っていきたい」 (米原範彦) ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2021/08/23 11:30
ダウン症モデル・菜桜さんが「かわいい」と話題! 15回の手術を乗り越えて母子が抱く夢【上半期ベスト10】
ダウン症モデル・菜桜さんが「かわいい」と話題! 15回の手術を乗り越えて母子が抱く夢【上半期ベスト10】
モデルとして活動する菜桜さん。■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/ 振袖を着てポーズを決める菜桜さん(studio Erika提供)■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/ 赤いワンピースと、頭にはリボン型のスカーフ(由美さん提供)■菜桜さんインスタグラム @nao_angel_smile■ブログ https://ameblo.jp/nao-angel-smile/  2021年も上半期が過ぎた。そこで、AERA dot.で読まれた記事ベスト10を振り返る。  4位は「ダウン症モデル・菜桜さんが「かわいい」と話題! 15回の手術を乗り越えて母子が抱く夢」(2月17日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  * 「ダウン症モデル」として活動している菜桜(なお)さん(16)が、注目を集めている。昨年から本格的に活動を開始するや、インスタグラムのフォロワー数は月を追うごとに増え、昨年12月末には1万人を超えた。投稿の中には45万回再生された動画などもあるが、なぜここまで人気を集めているのか。本人と母の由美さん(50)に話を聞いた。  青空の下で、鮮やかなピンク色の帽子が映える写真、艶やかな振り袖の写真……菜桜さんのインスタグラムには日々、さまざまなコーデが投稿される。  それに対して、「笑顔に元気をもらえる」「かわいくて素敵な写真!」といった応援コメントが数多く寄せられる。フォロワー層は障害のある子の親や家族にとどまらず、菜桜さんと同年代の女子高生なども多いという。  写真で目を引くのは、その天真らんまんな笑顔だ。母・由美さんは、そんな菜桜さんの笑顔を「エンジェルスマイル」と名付けた。 「わが娘ながら、かわいいんです」  現在は静岡県内の特別支援学校に通いながら、県内のモデル事務所「スタジオ・エリカ」に所属し、撮影やファッションショーの仕事をしている。事務所の青島えりか代表も期待を抱く。 「注目度が高まってきた。事務所としては、プロとして生活できるよう、ギャラを発生させてあげたい。フォロワーを増やし、アパレルと契約することが目標です」  服は親子で月に1~2回、県内のショッピングモールで選んでいる。ブランドはGAPやOSADAがお気に入りだ。  菜桜さんにお気に入りの色を聞くと、「ピンク!」と笑顔。由美さんは「私は白とグレーが似合うと思うんですけどねえ」と言って笑い合う。 「金銭的に余裕があるわけではないのでたくさん買ってあげることはできませんが、娘が自分から服を選んでいる様子を見ると、うれしくなります」(由美さん)  インスタグラムは毎回、由美さんが投稿している。投稿に対する思いについて、由美さんは言う。 「この子がまだ小さかった頃、ダウン症の子を持つブログを見ても、特徴のある顔つきや短命であることなど、出てくる情報はマイナス面ばかりだった。ネット掲示板では、生きている価値がないとまで書かれている。調べれば調べるほど、気持ちが落ちていきました。だからこそ、明るくなれるような、希望を持てるような情報を発信したかった」    今でこそ仲むつまじい母子だが、出産当初、母は娘を愛せなかった。 「染色体異常があるかもしれない」  産んだその日に告げられて、由美さんは頭が真っ白になった。「ダウン症」という言葉が頭をよぎり、ショックで大泣きをした。赤ん坊のわが子を看護師に触るよう勧められても、「触らない!」と意固地だった。  産んだ翌日に、無理を言って退院した。 「他の元気な赤ちゃんの声が聞こえるのが、つらくてたまらなかったんです。『ここにはいたくない!』と言って、菜桜を置いて帰ってしまった。今では考えられないのですが、当時はパニックになって、現実を認めたくなかった」(同) 「ダウン症」と診断された上、食道がつながっていないことも分かった。ミルクをあげられず、胃ろうで命をつないだ。 「夢だと思っても、朝目覚めたら現実が待っていて、絶望する日が続きました。娘と向き合うこともしませんでした」(同)  その言葉通り、生後2カ月までの菜桜さんの写真は1枚もない。だが、生後2カ月半の時、由美さんの中で何かが変わった。 「抱っこをした時に、私の顔を見て笑ってくれた。それを見て初めて、『かわいい!』と思えたんです」  成長をブログに載せるために、写真を撮るようになった。娘に対するいとおしさは、歳月とともに増していった。とはいえ、 「小学校高学年ごろまでは、正直、普通の子だったらいいなと思うこともありました。『ダウン症の菜桜だからこんなにかわいいんだ』と思えるまでには時間がかかった」(同)  当初は周りの目が気になったという。出掛けるときは髪をツインテールにし、かわいい服を着せた。 「少しでもかわいい服や髪形をさせてあげたかった。最初は見栄もあったと思います。障害のある子だから、親が子どものおしゃれに気を使ってあげない、というのは嫌でした」(同)  当初は母主導であったが、菜桜さん自身がおしゃれに目覚めたのが9歳の頃。「世界ダウン症の日(3月21日)」のイベントで、ファッションショーに出演することになった。2日間ウオーキングレッスンに通って本番に臨んだ。黄緑色のかわいらしい衣装で笑顔を振りまいた。    その後、何年たっても、菜桜さんはファッションショーのことを覚えていた。折に触れ、「またやりたい」と口にした。だが、障がい者モデル向けのレッスンを受けるには東京まで通う必要がある。経済的に厳しかったため、由美さんは応援したい気持ちを抑えて娘をなだめた。  転機は一昨年の2月。 「菜桜ちゃん出ない?」  友人から誘われる形で、静岡県内の百貨店で開かれた「障がい者モデルファッションショー」に参加することになった。出演が決まると、菜桜さんは「楽しみだね!楽しみ!」とうれしそうに毎日を過ごした。本番の衣装は、抜けるように白いロングシャツ。きびきびとステージを歩き、腰に手を当てて笑顔でポーズを決めた。  イベントで指導をした担当者が、静岡市で障がい者モデル向けのレッスンを開いていることがわかった。 「静岡なら通える!」  由美さんは出演後にレッスンを志願。それからは月2回ほどのレッスンに通いつつ、約2年間で計8回のファッションショーに出演した。  モデルとして、乗り越えるべき課題もある。カメラのレンズを見るときに視線が泳いでしまったり、カメラマンの指示をくみ取れなかったりする。筋力が弱いため、ウオーキングの姿勢は猫背になりがちだ。そうした課題を、菜桜さんは自分でも意識して克服しようとしている。目線や姿勢は少しずつ改善し、撮影時間は以前ほどかからなくなった。直近の撮影では、数分でOKが出たほどだ。 「少しずつですが、着実に向上している。経験を積んでいけば、障害があっても上達できると実感しています」(由美さん)  モデル活動をするようになってから、菜桜さんの様子に変化があった。YouTubeで他のモデルのファッションを見るようになったほか、おしゃれに興味が出たことで、「こんな服が着たい!」「髪は長いままがいい!」と意思表示をするようになった。ドラッグストアに行けば、化粧品コーナーの前で立ち止まるようになった。   「年頃の子のおしゃれは、本来当たり前のこと。ダウン症でも、おしゃれしたって化粧したっていいはず。そんな気持ちを応援したい」  当然ながら、裏では苦労もたくさん経験してきた。菜桜さんは生まれてから現在まで、手術と隣り合わせで生きてきた。これまで手術は15回。食道に食べ物が詰まってしまうので、3カ月ごとに拡張手術をしている。食べものは慎重に口に入れ、ゆっくりと水分で流し込まないと簡単に詰まってしまう。合併症を患っているので、心臓や目の手術なども経験した。 「こんなに手術する子もそうそういない。親として、ただただかわいそうで……」  入院や手術が続くと気持ちがめいってしまいそうだが、モデルの活動が支えになっている。入院中は、親子で次の撮影の話をして、今後の楽しみに目を向ける。  大変な思いもたくさん経験してきたが、菜桜さんの笑顔は周囲を明るく照らす。記者も取材中、その笑顔に心がふっと軽くなった。彼女の目標は、自分だけでなく、他人を笑顔にすることだ。菜桜さんは取材の最後、「みんなが笑顔になれるモデルになりたいです!」と宣言した。  菜桜さんが歩んできた道は決して平たんではない。そして今後も困難はつきまとうだろう。日本の障がい者モデルへの理解や活躍の場は、まだ限られている。でも、菜桜さんの笑顔が未来を明るく照らしてくれるはずだ。 (取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)
AERAdotベスト【2021】
dot. 2021/08/22 17:00
正直すぎるベテラン俳優・キムラ緑子「作品の面白さがわからない」
正直すぎるベテラン俳優・キムラ緑子「作品の面白さがわからない」
キムラ緑子 (撮影/遠崎智宏) 話しぶりは立て板に水ながらちゃんと優雅。愛猫の話になると止まらない (撮影/遠崎智宏)  9月に上演される舞台の稽古が始まったキムラ緑子さん。稽古終わりには、週に3回のペースでジムに通う。筋肉を柔らかくし、身体能力を活性化させるトレーニング。リラックスした状態でじんわりと汗がかけるのが気に入っている。 「ジムなんていうと格好よく聞こえるかもしれませんけど、今から努力しておかないと、この先、健全に日常生活を送っていけないんじゃないかと、それが不安で……。生きている限りは、自分の足でちゃんと歩きたいから、今できることからやっておこうと思っているだけなんです」  淡路島に住む緑子さんの両親は80代。2人とも健在だが、最近母が入院し、父が一人暮らしになってしまった。 「83歳にして初めて、一人で家のことなんかをやっているんです。昨日も電話で、『ご飯はちゃんと食べた?』『洗濯物ちゃんと干せた?』なんて会話をしたんですが、今は暑いから、庭の芝生に水をやるのも大変みたい。実家の庭はけっこう広いので、親戚が芝刈りをしてくれたり、みんなに助けられてなんとかやっている。そんな父の話を聞くにつけ、年齢を重ねて体に無理が利かなくなると、もう生きているだけで必死なんだなと痛感しました。でも、いずれは自分もそうなるわけで」  そんな家庭の内情を、声に抑揚をつけながらあっけらかんと話す。役によってくるくると色を変えるその柔らかい声は、インタビューのときは、ハイトーンでリズミカル。コロナ禍で舞台に立つことについても、「もう“やる”しかないから。コロナがどうとかはあんまり関係ない」と言い放つ。 「稽古のときにマスクやフェースガードをつけなきゃいけないとか、外でご飯が食べられないとか、不自由な部分はもちろんあります。でもコロナじゃなくても毎回必死なので、今までと何も変わりません。オリンピックの選手だって、はたから見ると『大変そうだな』なんて心配してしまいますが、自分たちに置き換えてみると、たぶん、みなさんは淡々とやっているんじゃないかと思いますね」  去年の春に上演予定だった舞台は中止になった。その後も、「いつ中止になるかわからない」という中で稽古をしなければいけなかったこともある。 「『ショックで何週間も立ち直れなかった』という俳優さんの声も聞きますが、私はそんなことはなかったですね。舞台は、本番よりも稽古のほうが好きで、そのお稽古が取りやめになっても、『じゃあ明日、家の掃除ができる』みたいな(笑)。『本番のために!』という意気込みが人より少ないのかも……なんて言ったら呆れられちゃうかもしれないけれど。とにかく呑気なんです」  とはいえ、ひとたび演劇に向かうとなると、世間の声を聞いている余裕はなくなるらしい。 「いつもなら必ず見るニュースや新聞に目を通さなくなりますね。政治家が変なこと言ったとか、そういう時事ネタには疎くなります。作品の世界の中に入るから、日常的なことは薄れちゃうんです」  現在稽古中の舞台は、生前「最もノーベル文学賞に近い作家」と呼ばれた安部公房の代表作「友達」。一人暮らしの男の元に現れた9人家族が、隣人愛を唱えながら男の部屋を占拠する不条理劇だ。登場人物は15人。会話劇なので、緑子さんもセリフが多いわけではないが、「とにかく難しいです」と頭を抱える。 「今のところ、この作品の何が面白いのか、正直まだわからない(笑)。ただ、今なぜこの作品を上演するのか。その意味を私なりに考えると、隣人愛を唱えながら9人家族に部屋を占拠されてしまう青年は、今の日本の姿に重なる部分があるのかな、と。青年がどんなに正論を言っても、最後は大きな闇に巻き込まれてしまう。その理不尽さは、今私たちが抱えているイライラやザワザワと似ている部分があると思う」  また、「もしこれを家族の話とするならば、これだけ孤独死の多い世の中に、こういう厚かましい家族がいることは、逆に素敵なことなのじゃないのかしらと思ってしまう」とも。 「今って、隣に誰が住んでいるかも知らずに生活するのが当たり前になっているでしょう? 厚かましい集団であっても、孤独な人に手を差し伸べたり、人と積極的に関わろうとすることはむしろ必要なんじゃないかと思ってしまう」  そう一気に話した後、「でも本当にわからない。ねぇ教えて、この話は一体何が言いたいの?」と、まるで舞台上にいるかのように、ドラマチックに叫ぶのだった。もはや“キムラ緑子劇場”である。 「ひと月ぐらい稽古しますけど、その間に、自分に何が起こるのか。何を発見できるのか。それがすごく楽しみです。演出の加藤拓也さんとは初めてご一緒するんですが、素敵な方だと聞いているので、この作品の良さがまだわからない私が、『なるほど!』と膝を打つ日はきっと来るはず。これだけみんなが、『安部公房はすごい』『これぞ代表作!』って言っている作品の面白さがわかる日が訪れたら、それは私の成長ですから! 今のワクワク感はゼロないしマイナスですが、逆にいえばそれは、私の伸び代が大きいということですよね(笑)」 (菊地陽子 構成/長沢明) キムラ緑子(きむら・みどりこ)/1961年生まれ。兵庫県出身。同志社女子大学卒業後、劇団「M.O.P.」の旗揚げに参加。主宰マキノノゾミ作品を中心に、2010年の解散まで看板女優として活躍。00年頃から映像にも進出。13年、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」でヒロインの義姉を演じ注目される。出演ドラマ「白い濁流」(NHK−BSプレミアム)が22日からスタート。 >>【後編/キムラ緑子が役者のズルさ語る?「ちゃんと“人間”をやらなくちゃ」】へ続く ※週刊朝日  2021年8月20‐27日号より抜粋
週刊朝日 2021/08/22 11:30
25歳で5億の借金 乗り切った後、「私には経営者の血が流れている」と自覚
25歳で5億の借金 乗り切った後、「私には経営者の血が流れている」と自覚
本社は福岡市にある。市長がベンチャー企業の誘致に積極的で、様々な優遇策が受けられる。コロナ禍でメンバーの大半はリモートワークだ(撮影/写真部・東川哲也) まきた・えり/1982年生まれ、東京都出身。38歳(撮影/写真部・東川哲也)  かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの初回は、スマートロックで注目の人物、ベンチャー企業tsumug(ツムグ)を創業した牧田恵里(38)だ。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号の記事の2回目。 *  *  *  幼い頃は毎年、夏休みのほとんどを愛知県東海市の母親の実家で過ごした。織田信長の家臣・池田輝政の居城だった木田城の跡地にあり、座敷は宮造り。幼い牧田は手の込んだ欄間がお気に入りで、「大きくなったら宮大工になる」と言っていた。  地主の娘だった母方の祖母は手広く商売を営むやり手で、3人の娘に「将来、仕事の役に立つだろう」と英語やフランス語を学ばせた。母の姉(牧田の伯母)はスイス人、牧田の母はイギリス人と結婚した。  牧田の父親は外資企業向けの会計ソフトを売る会社を営んでいた。会社は東京にあり、牧田も麹町に住んだ。小学生の時、ブッシュ元米大統領の夫人、バーバラが来日すると動員がかかり、小旗を振って歓迎した。高校は木更津にある暁星国際に進み寮生活を送る。理系のクラスに女子は3人しかいなかった。 「宮大工になりたい」という夢は変わらなかったが、離婚していた母親に「お父さんがいないんだからお願いだから大学にだけは行って」と泣かれ、東京理科大学の建築学科に進んだ。牧田いわく「女の子の扱いが得意でない男子に囲まれた4年間」を過ごした。  大学3年で就職活動を始めるタイミングで、母にがんが見つかった。母は離婚した時、生計を立てるためパソコンの周辺機器を扱う商社を立ち上げた。がんが見つかったのは、その会社が海外企業と合弁会社を立ち上げるタイミングだった。  牧田が入院した母親の代わりに会議に出た。ビジネスはよくわからないから、相手との対話を録音し、病床の母に報告する。母の指示を受けて次回の交渉に臨む、といった具合だ。  幸い治療が成功し、母は2カ月で仕事に戻った。しかし、その間に同級生のほとんどは内定を取り付けていた。すっかり出遅れた牧田は、秋になっても採用を続けていたITベンチャーのサイボウズに入った。入社式で初代社長の高須賀宣が「私は辞めることになりました」とあいさつし、新入社員が泣き始める波乱のスタートだった。  新たに社長になった創業メンバーの一人、青野慶久の下で牧田は伸び伸びと働いた。会社のお金でビジネススクールのグロービスを受講し、オープンソース・フォーラムの立ち上げに加わった。  ところが08年1月、再び牧田に難題が降りかかる。母の会社が、5億円の借金を抱え、資金繰りに行き詰まったのだ。貸し手の1行が世界的な金融不安を前に腰が引け「融資を引き揚げる」と言い出した。母が1人で切り盛りしているような会社だったので、誰かが手伝わないと倒産してしまう。  母の会社の連帯保証人になっていた牧田は、1週間の有給休暇を取って金策に奔走した。その過程で、会社に承継者がいないことも、信用不安の一因になっていることを知った。すぐに片付く状況ではなかった。 「すみません。母親の会社を助けなきゃいけないんで」  牧田は3年ほど勤めたサイボウズを辞め、母の会社に移った。  会社の資産から個人所有のマンションまで売れるものは全部売った。それでも5億円には届かない。牧田は信用金庫を訪れ、本当のことを言った。 「返す気持ちはあるんです。でもどうやって返せばよいのかが分かりません」  牧田の誠意が通じたのかもしれない。信金の担当者が言った。 「いくらなら返せますか」  母親の会社の債務はサービサー(債権回収会社)に回されることもなく、大幅に減免された。  およそ普通の若者が経験するはずのない修羅場を潜った牧田は、こう思うようになった。 (お金のためだけに働くのはつらい。自分がやりたいことをやって生きていきたい。でも私は一体何がしたいのだろう)  母も祖母も経営者だった。自分にはその血が流れている。起業という言葉が頭に浮かんだ。起業するならアメリカ。渡米して働いてみたいと思った。  11年。東日本大震災の直後に、サイバーエージェントアメリカに中途入社した。会社から任されたのは当時、流行の兆しを見せていたソーシャルゲームの開発だった。日本ではグリーやDeNAが急成長していた。 ■米国で意識が変わる  ソーシャルゲームはユーザーの反応を見ながら、アイテムや課金の設定をこまめに変えていく。牧田は大学でかじったプログラミングを学び直し、「イラストレーター」というソフトを使ってアイテムを書き、デバッグ(欠陥の修正)して、イベントに投入するという一連の作業を1人でこなした。  1年間、働いてみて、日本と米国では社会の成り立ちが全く違うことに気づいた。  米国は給与所得者でも確定申告をする。源泉徴収で毎月、給料から天引きされる日本で働いているときは、自分がいくら税金を納めているかも知らなかった。米国で確定申告をした時、「こんなに納めているのか」と実感した。税金の重みが分かると、今度はその使われ方が気になる。今まで無関心だった政治ニュースを見るようになった。 (自立って、こういうことか)  日本で給料をもらっていた頃の自分が、ある意味で思考停止になっていたことを知った。 (ジャーナリスト・大西康之) ※AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から抜粋。文中敬称略
AERA 2021/08/19 16:00
がんで免疫力が低下した母親のためにも私が…「ワクチン打ちたくても打てない」若者の絶望感
米倉昭仁 米倉昭仁
がんで免疫力が低下した母親のためにも私が…「ワクチン打ちたくても打てない」若者の絶望感
ワクチンの供給が急務だ(c)朝日新聞社  20代の若者を中心に新型コロナの感染者が急増している。国は若者の接種の重要性を強調する一方、副反応の心配などでワクチン接種に消極的な若者が少なくないという。ところが、いざ、接種を受けようとすると、予約をとることさえままならない現実がある。東京都内の大学へ通う若者を取材した。 *   *   * 「若者もワクチン接種を」  そう呼びかける小池百合子東京都知事の姿に違和感しか覚えなかった。 「実際、どうすればワクチン接種を受けられるの?という感じ。周囲でも『接種したい』という子が増えてきたけど、予約がとれなくてあきらめている人もいるんです」  そう語るのは、千葉県船橋市の実家で暮らしながら、東京都内の大学に通う20歳の女子学生。彼女にはどうしてもワクチン接種を受けたい、切実な理由があった。 「母は乳がんなんです。検査で見つかったときにはすでに遅く、転移していた。いまは入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を続けています」  母親はワクチンを打つことができない。抗がん剤は副作用として免疫力を落としてしまうため、ワクチンを打っても新型コロナに対する免疫力がつかない。ワクチンを打っても意味がないのだ。ただでさえ治療で免疫力が低下しているうえ、新型コロナに感染してしまえば、その治療も中断せざるを得ない。  だから、ワクチンを打ちたい。 「もし、私が新型コロナに感染して、母にうつしてしまったら、それが原因で母は死ぬかもしれない。そんな恐怖があります」 ■ワクチン供給量が半分以下に  女性の手元にワクチン接種券が届いたのは7月19日。さっそく、市のホームページから接種を予約しようとしたところ、思いがけない表示を目にして愕然とした。 <7月15日から一時的に予約受付を停止させていただいています>  市によると「国からのワクチン供給量ががくんと減ったため、どうしても予約を止めざるを得なかった」(保健福祉センター)。  7月12日に国から市に示されたワクチンの配送量は5月の供給実績の半分以下だった。「7月末までに約8割の高齢者、11月末までに希望するすべての対象者への接種を終えることを目指す」という国の目標に応えるため、市は集団接種会場を2カ所から5カ所に増設した矢先だった(船橋市は8月16日から個別医療機関でのワクチン接種の予約を再開。ただし、集団接種会場再開の目途はたっていない)。  居住地で接種ができないので、自衛隊が運営する大規模接種センター(東京)に申し込もうとした。だが、ここでも「まったく予約がとれない」と女性は言う。当時、同センターでは毎日受け付けていた約1万人の接種予約をはるかに上回る申し込みが殺到していたのだ。  最後に頼ったのは、東京都が大学と連携して設置したワクチン共同接種会場だった。これは都内大学に通学する学生や教職員に向けに設けられた会場で、青山学院大学(渋谷区)、一橋大学(国立市)、東京都立大学(八王子市)の3カ所がある。予約受付は7月27日から始まった。  開始当日、すかさず予約サイトにアクセスしようとするも<しばらくお待ちください>と表示され、なかなか先に進めない。ようやく予約画面にたどり着いたのはアクセス開始から約3時間半後だった。待ったあげく、予約の枠はすでに埋まっていた。女性は「心が折れました」と、ぽつり。  結局、接種予約ができたのは8月中旬のこと。1回目の接種は8月下旬に決まった。 ■接種が授業と重ならないか  その際にも悩みはあった。3週間後に行う2回目の接種だった。  一般に、新型コロナのワクチンは1回目の接種後、3~4週間空けて2回目の接種にのぞむ。となれば、その「3週間後」がいつになるのかもポイントになってくる。女性は言う。 「1回目は夏休み期間中なので大丈夫でしたが、2回目は休み明けで、授業と重なってしまいそうでした。それに接種の翌日以降に副反応が強く出て、授業に出席できなくなるのが心配でした」  大学はワクチン接種について学生にどのような発信をしているのか?  東京都は若者にワクチン接種を勧めているが、「感染症予防の効果と副反応のリスクの双方についてご理解していただいたうえで、自らの意志で接種を受けていただいています」というスタンスだ。そのため、大学も学生に対して積極的にワクチン接種を呼びかけているところは少ない。  一方、ワクチン接種で授業や試験を欠席せざるを得ない――そうした場合、何か配慮はされるのだろうか?  複数の大学に取材したところ、たとえば青山学院大では、副反応による体調の悪化は、他の「体調不良」などと同じ扱いになり、「特定の理由による欠席を認める『公欠制度』は設けていません」との回答だった。学生各自の判断により無理のないスケジュールで予約することが前提であり、接種にともなう欠席は想定していないという。  一方で、東京都立大は、「私事による欠席ではない、『出席停止』の取り扱いもできるようにしています。診断書の提出は求めていません」といった対応を検討しているといい、大学間で対応が分かれた。 ■募る反感と絶望感  冒頭の女性には弟がいる。そのワクチン接種の予約をとるため、16日朝、市から配布されたリストに掲載された対応医療機関に電話した。しかし、つながらない。夕方、ようやく電話がつながったが、すでに予約はいっぱいだった。  市に状況を問い合わせると、「本日の接種枠は予約開始から10分で埋まりました。申しわけありませんが、明日、また病院に電話していただけないでしょうか」。  すべての自治体ではないにせよ、予約をとるのも難しい現状は確かにある。彼女のような若者にとって、「ワクチン接種を」という呼びかけを耳にしても、反感と絶望感が募るばかりだ。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
新型コロナワクチン
dot. 2021/08/19 10:00
ピンク、10歳の娘と“ファミリー・オリンピック”開催&手作り寿司の写真公開
ピンク、10歳の娘と“ファミリー・オリンピック”開催&手作り寿司の写真公開
ピンク、10歳の娘と“ファミリー・オリンピック”開催&手作り寿司の写真公開  現地時間2021年8月9日、ピンクが10歳の娘ウィローと東京オリンピックにちなんだ“ファミリー・オリンピック”を自宅で開催した際の写真を自身のインスタグラムに公開した。  どうやら二人は水泳で対戦したようで、勝者となった母親のピンクが金のメダル、そしてウィローが銀のメダルをかじりながら、自宅のプールで楽しげにポーズする2ショットが投稿されている。加えて、オリンピックが開催されている日本へのオマージュとして手作りの巻き寿司の写真も公開されている。  ピンクは、キャプションに「今日は自宅でファミリー・オリンピックを開催した。東京に敬意を表して寿司も作ったよ」と綴り、「美味しい」「ママが金を獲った」「4年後には勝てますようにウィロー」などのハッシュタグも添えている。  ここ最近、ピンクは女性プロ・アスリートを応援し、そのユニフォームにまつわる規定に対して声を上げている。先月、ノルウェーの女子ビーチ・ハンドボール・チームが、欧州選手権に“不適切な格好”で出場したとして、1,700ドル(約19万円)以上の罰金を科されると、彼女はそれを肩代わりすると公言した。選手たちは、試合でビキニ・ボトムの代わりに少し長めのボード・ショーツを着用していた。  ピンクは、「ノルウェーの女子ビーチ・ハンドボール・チームが“ユニホーム”に関する非常に性差別的な規則に抗議したことをとても誇りに思います」とツイートし、「欧州ハンドボール連盟こそ性差別で罰金を科されるべきです。レディース、よくやりました。喜んであなたたちの罰金を支払います。その調子で頑張ってください」とエールを送っていた。
billboardnews 2021/08/11 00:00
喜友名諒が閉会式で旗手に 沖縄空手の神髄の体現者として大役を担う
喜友名諒が閉会式で旗手に 沖縄空手の神髄の体現者として大役を担う
男子形決勝で演武する喜友名諒(c)朝日新聞社 金メダルを披露する喜友名諒(c)朝日新聞社  8月8日に最終日を迎えた東京五輪の閉会式で、空手男子形の金メダリスト、喜友名(きゆな)諒(31)が日本選手団の旗手を務める。琉球王国時代の護身術、琉球古武道がルーツと言われる発祥地・沖縄に生まれ、沖縄空手の神髄を体現する者として、大役を担う。 *  *  *  1990年、沖縄県沖縄市に生まれた。5歳のときに空手と出合い、2004年に全国中学生選手権個人形を制覇。翌年に劉衛流(りゅうえいりゅう)の門をたたいた。04年、劉衛流の師範・佐久本嗣男さん(73)=現日本代表形監督=のもとで稽古に励んでいた豊見城あずさ、嘉手納由絵、清水由佳の3選手が世界選手権の女子団体形を制していた。 「僕も世界一になりたいです」  喜友名が言うと、佐久本さんは尋ねた。 「365日休まず稽古できるか」 「はい」  喜友名はそう答えたという。  約束どおり、休まずに稽古を重ねてきた。沖縄国際大学4年の12年に全日本選手権を制し、それ以来9連覇している。2年に1度行われる世界選手権も3連覇中だ。  空手にはさまざまな流派があり、沖縄空手では「小林流」「剛柔流」「上地流」が三大流派とされる。「劉衛流」は、戦後まで一子相伝、門外不出を貫いてきたこともあり、小さな流派だ。  佐久本さんは4代目の仲井間憲孝氏に弟子入りを許され、1980年代に世界選手権を3連覇した。指導者としても女子団体形や喜友名、男子団体形で世界チャンピオンを次々と生み出し、劉衛流の名が世界に知られるようになった。  劉衛流は攻防一体のスタイルで、一歩進むうちに二つの技を出す「一足二挙」の間合いで一気に相手にたたみかける。  喜友名は6日、1次リーグから決勝までの四つの演武で、すべて劉衛流の代表的な形を選んだ。1次リーグの2試合は「オーハン」と「アーナン」。準決勝は「アーナンダイ」、そして決勝は「オーハンダイ」だ。四つの演武すべてで、ただ一人の28点台(30点満点)の高得点をたたき出した。  形は決められた102種類の中から一つを選び演武する。男子形に出場した11選手のうち7選手が、劉衛流の伝統形を選んだ。1次リーグA組の第2演武では、5人中3人が「オーハンダイ」を打ち、A組準決勝では3人全員が「アーナンダイ」を打つ場面も見られた。佐久本さんはこう目を細める。 「今回たくさんの方々が劉衛流の形を使ってくれて、とてもうれしく思いました。ちっぽけな流派の形をあんなに多くのみなさんが……。喜友名にあこがれて、みんなこの形を使っていると思います」  喜友名が「アーナンダイ」を公式戦で初めて演武したのが17年。19年には「オーハンダイ」を初演武した。それまでほぼ知られていなかった形が、各国・地域の選手に広がっていった。  東京五輪で日本勢は史上最多を大幅に更新する金メダルを獲得した。一方で、金メダルの有力候補と言われながら早々と敗退した選手もいた。「五輪には魔物がいる」と言われるが、4年に一度の舞台、しかも自国開催というプレッシャーの中で実力を発揮できなかった選手も少なくなかった。  喜友名は「日本勢で金メダルに一番近い選手」とも期待された中で、まったく動じていなかった。「大会よりも先生の前で思い切って稽古するほうが緊張する」というほどの質の高い稽古を積み重ねてきたという自信が、精神的な強さにつながっている。  空手は東京五輪で新たに採用されたが、次の24年パリ五輪では実施されない。今後のモチベーションについて、喜友名は言った。 「空手に関して、稽古すればするほどわかってくるものたくさんありますので。まだまだ技術を磨いていけると思いますし、何年も何十年も空手を続けることによって技は磨かれますので、一生鍛錬して精進していきたいと思います」  佐久本さんはこう話した。 「喜友名が空手をわかる年齢というのは、70を超してからじゃないかなと思います。いまは勝ち負けを楽しんでもいい。喜友名を評価するのはあと30年後。技術もメンタルも含めてこれからだと思います」 (編集部・深澤友紀) ※AERA オンライン限定記事
ピックアップ東京五輪注目競技注目選手
AERA 2021/08/08 13:58
みうらじゅんが連載に危惧?「でもエロにはリアリティーが必要」
みうらじゅんが連載に危惧?「でもエロにはリアリティーが必要」
みうらじゅん (撮影/写真部・戸嶋日菜乃) みうらじゅんさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  イラストレーターでありながら、エッセイやコラムなどでも活躍する、みうらじゅんさん。作家・林真理子さんとの対談では、仏像ブームの話からお二人が手がけてきた連載の話題に。 【「水玉のパンツでした?(笑)」 みうらじゅんも驚く出会い?】より続く *  *  * 林:ご自身がつくった「マイブーム」という言葉が流行語大賞になり、仏像やゆるキャラのブームとか、いろいろ仕掛けていますよね。「一人電通」とおっしゃってるけど、マーケティングなんかしないで、「自分がおもしろがってることをみんなもおもしろがれ」という、ガキ大将が言ってる感じがすごくいいなと(笑)。 みうら:ガキ大将って(笑)。いや、「おもしろい」と思ったものは、自分がめっちゃハマってないと説得力がないじゃないですか。でも、はじめは自分も半信半疑で、好きかどうかもわからないことも多くて(笑)。ある日「天狗がすっごいキテる」って言いだし、頑張って自分を洗脳するんですけど、ぜんぜん自分にすらキテない(笑)。 林:ハハハ。 みうら:なので、天狗にゆかりがあるという山に登ってみたり、天狗祭を見に行ったりと。そのときは特にほしくなかったけど、でっかくて長~い鼻の天狗面を通販で買ったり、仕事場を天狗グッズで埋め尽くしたりと……。 林:そうすると天狗がすごく好きなような気がしてくる? みうら:ですね(笑)。天狗ノイローゼまで持っていくには、やはり無駄な努力とある程度の無駄遣いが必要で、僕にとってはそれ、投資の意味なんですけど。好きにならざるを得なくなるまで続けます。そうやってようやく、「そこまで言うならちょっと見てやろうか」って思ってもらうという手口です(笑)。 林:仏像ブームなんて、いま完璧に若い人に定着してますよね。 みうら:僕の中で「仏像ブーム」は第2期で、第1期は小学校4年生のときでした。当時は怪獣がすごい好きだったんですが、ある日、京都の東寺の立体曼荼羅を見た瞬間「これは怪獣くらいカッコイイ!」と思って。そのうち、「ウルトラマンは弥勒菩薩である」ということにも気が付いたんです。 林:ああ。顔が似てますね。 みうら:初期のウルトラマンは口元にアルカイックスマイルをたたえてましたし、それに特撮ヒーローの設定自体が、仏教の世界観と同じではないかと思い始めて。これでとっかかりができて、後に、エマニエル夫人も弥勒菩薩に影響を受けているのではないかと……。 林:そう言えば脚の組み方も。 みうら:実際は逆ポーズですけど、半跏思惟(はんかしい)のポーズをとってるし、籐椅子の背もたれが丸くて大きいのも、光背ではないかと。そういう学術的でない発見があったので、これはいけるんじゃないかと友達にずいぶんしゃべりました。でも、「もういいわ」ってなって、どんどん友達をなくすんですよね(笑)。第2期仏像ブームは30歳くらいのときでした。いとうせいこうさんと「見仏記」という企画を始めようと思って、「中央公論」に持ち込んだんです。 林:えっ、「中央公論」に。 みうら:いきなり、仏像の連載をお願いしますって(笑)。だから、たいがいの企画は持ち込みです。 林:思い出したけど、80年代のはじめごろ、「ギャルズライフ」というティーン向けのちょっと過激な雑誌があったじゃないですか。私、「おんな成り上がり講座」を連載してましたが、みうらさんも……。 みうら:そうそう、やっておられましたよね。僕は企画ページのイラストをやらせてもらってたんですが、当時は過激な少女向け雑誌でね。「ギャルズライフ」も問題になって、一度、国会で取り上げられたことがありましたよね。たまたまそのニュースを見てたら、国会議員が「ギャルズライフ」を広げてて、何か言ってました。それがね、なんと僕のイラストのページだったのは驚きましたけど(笑)。 林:あのころは、全体的に過激なことが喜ばれる空気がありましたよね。今は世の中全体の恋愛力や性欲が減り、それにコンプライアンスが重なってきて。たとえば「昔は名門女子大の学生が東大の運動部のマネジャーをやっていた」なんて雑誌に書くと、「これはジェンダー的に許されない」と指摘を受ける。こういう点って、3年前だったら指摘はなかった気がするので、世の中急速に変わっていると感じます。みうらさんが文春で連載なさってる「人生エロエロ」も何か言われたりします? みうら:何せタイトルが「エロエロ」ですからねぇ(笑)。エッセー風を装ってますけど、気持ち的には艶笑落語みたいな感じで書いているんですよ。マクラがあって、噺があって、サゲがあるみたいな。かなり妄想の部分も多いですけど。 林:ああ、あれは妄想なんですね。 みうら:妄想にまでジャッジが入ったら、たぶん僕はアウトでしょう。でも、やはりエロにはリアリティーが必要ですからね。 林:あれを読んでると、「みうらさん、昔からすごいな。こんなにたくさんの女の人と」って……。 みうら:いや、つき合ってた一人の方との思い出を、金箔をたたくように薄く薄く広げてるつもりなんで(笑)。 林:わかります、その気持ち(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) みうらじゅん/1958年、京都府出身。80年、武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。97年に「マイブーム」で新語・流行語大賞を受賞。イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなどとして幅広く活動。ゆるキャラや仏像など多くのブームをつくる。『アイデン&ティティ』『マイ仏教』『さよなら私』など、著書多数。今年、『「ない仕事」の作り方』で本屋大賞「2021年発掘部門『超発掘本!』」。現在、「みうらじゅんフェス! マイブームの全貌展」が9月5日まで盛岡市民文化ホール・展示ホールで開催中。 >>【みうらじゅんが受けたステイホームの弊害「きのうも職質受けました」】へ続く ※週刊朝日  2021年8月13日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/08/08 11:30
東京五輪イケメン選手総括 馬術、ホッケー、旗手に至宝男子たちがいた!
東京五輪イケメン選手総括 馬術、ホッケー、旗手に至宝男子たちがいた!
開会式の選手団入場で女子の心をつかんだのはトルコの旗手ベルケ・サカ選手(GettyImages)  五輪などのスポーツの大きな世界大会において、イケメン選手探しは楽しみのひとつでもある。閉会式を前に東京五輪におけるイケメン選手総括をイケメン評論家である沖直実さんに話を聞いた。  *  *   *  まず初めに、前回のリオ五輪とも比較して昨今のイケメン選手を取り巻く事情と“イケメン”の選考基準について沖さんはこう述べる。 「コンプライアンスの観点から外見だけで選手を判断したり取り上げたりすることを問われる時代なので、選手のバックボーンを必ず見ています。前回のリオ五輪の時はイケメン選手写真集を出版したり妄想を語ったりしていました(笑)。今回の東京五輪では例えば、馬術中国代表の華天選手は、青少年に向けて公益プロジェクトを立ち上げているとか。空手の西村拳選手は記者会見での対応が素晴らしかったり、子どもたちへの接し方もいい。ただ、私が注目した選手たちの全員が全員、人物像までわかる詳しい資料がないのでわからない部分もあるのですが、できるだけオフの部分とか競技から離れた時の人間性が見えることを探しています」  さて、沖さんが選んだ東京五輪イケメン選手は以下!   橋岡優輝(はしおかゆうき・22歳)/陸上・男子走り幅跳び(C)朝日新聞社 ◆橋岡優輝(はしおかゆうき・22歳)/陸上・走り幅跳び/「走るダビデ像! 跳んでも、走ってもとにかくクール!」(沖さん)という橋岡選手は、父母共に元陸上選手。父は日本選手権で7度優勝した棒高跳の元日本記録保持者であり、母も走幅跳と三段跳と100メートルハードルの元中学記録保持者。東京五輪では橋岡優輝選手は37年ぶり6位入賞を果たした。その記録もさることながら、SNSでは「アイドルグループにいても推すくらいのビジュアルなのに、走り方も跳び方も記録の出し方もかっこよすぎ」「ジャニーズっぽい。素敵でした」「キスマイの藤ヶ谷君に似ている」「横浜流星と(韓国のボーイズグループ「セブンティーン」の)ミンギュを足して割ったような感じ」との声も数多く上がり、競技が終わった直後は、一時、「橋岡くん」がツイッターのトレンド入りした。 五十嵐カノア(いがらしかのあ・23歳)/サーフィン競技(C)朝日新聞社 ◆五十嵐カノア(いがらしかのあ・23歳)/サーフィン競技/日本人の両親のもとにアメリカ合衆国・カリフォルニア州で生まれ、父もサーファー。東京五輪のサーフィン準決勝では土壇場のエアリアルでブラジルのメジナ選手を大逆転。決勝で惜しくも銀メダルに。料理家・仲野香織さんは自身のインスタに「五十嵐カノアくんむちゃ大好き。かっこよすぎる」と投稿。台風の大荒れの海で競技をする姿に注目が集まり、競技後の会見では悔しさをにじませながら周りの支えに感謝の言葉を述べた姿もさわやかだった。「波乗りベビーフェイス! 5か国語こなすところもイイ!」(沖さん) 楢崎智亜(ならさきともあ・25歳)/スポーツクライミング(C)朝日新聞社 ◆楢崎智亜(ならさきともあ・25歳)/スポーツクライミング/スポーツクライミングスピードで日本記録保持者だったが、東京五輪では「自己ベストを出したい欲が出た」とメダルに届かず4位入賞。「新しい競技は見どころいっぱい。楢崎選手は眼光鋭いニンジャ!」(沖さん)とキャッチコピーを付けるように、海外では、その身体能力、類稀な跳躍力、俊敏性から“ninja”との異名で呼ばれる。また、他の選手が思いつかないような動きは“Tomoa style”と評される。人気俳優の中川大志や福士蒼汰、KAT-TUNの上田竜也に似ているという声や、“お笑い芸人の狩野英孝をもっとイケメンにした感じ”などの意見も。 喜友名諒(きゆなりょう・31歳)/空手形(C)朝日新聞社 ◆喜友名諒(きゆなりょう・31歳)/空手形/「古き良き昭和の男のよう。男の中の男という感じで感動しました!」(沖さん)。世界空手道選手権大会で3連覇、全日本空手道選手権大会では2012年から9連覇しており、東京五輪の新種目だった空手では“最も金メダルに近い男”とされていた。その名の通り、空手形決勝ではスペインの選手を破り、金メダル。“金メダルなし県”だった沖縄県に初のメダルをもたらした。 西村拳(にしむらけん・25歳)/空手組手75キロ級(C)朝日新聞社 ◆西村拳(にしむらけん・25歳)/空手組手75キロ級/「清潔な色気と気さくさ!」(沖さん)と指摘するように通称は“空手道界のプリンス”。父は空手の元世界王者で3歳から空手を始める。東京五輪では引き分け以上で突破が決まる予選ラウンドで、終了間際に首元に蹴りを受けて逆転、残り時間表示は「0.0秒」となり、試合はそのまま終わった。土壇場の大逆転負けには会見で涙を浮かべた。空手キッズをだしにママたちが西村選手にサインを求めるなどの噂もあったり、とにかくモテるそうで昨年は写真週刊誌に複数女性との交際も報じられた。 高橋藍(たかはしらん・19歳)/バレーボール(C)朝日新聞社 ◆高橋藍(たかはしらん・19歳)/バレーボール/東京五輪でバレーボール男子は準々決勝でブラジルに敗北したものの、29年ぶりに五輪の決勝ラウンドに進出し8強に。中でも相手を面白いほど翻弄させたのがメンバー最年少の高橋選手で海外メディアからも注目を集めていた。米メディア『INSIDER』は、「日本のスタールーキーは、スポーツアニメ『ハイキュー!』にそっくり真似たような滑らかな動きはSNSでもバズった」と報道。「アタックナンバ-1な美青年!スパイクジャンプの高さは343センチ!」(沖さん)と評するように今回の五輪で躍進した選手である。 ピッタ・タウファトフア(テコンドー80キロ超級トンガ代表・37歳)(C)朝日新聞社 ◆ピッタ・タウファトフア(テコンドー80キロ超級トンガ代表・37歳)/「“開会式イケメン”! テカテカのボディでの騎手で夏はテコンドー、冬はクロスカントリーの二足のわらじ」(沖さん)というタウファトフア選手は自身3度目の五輪でもテカテカ上半身で開会式で旗手を務め、再び大いに注目を集めた。ユニセフ親善大使も務め、貧困などに苦しむ子どもたちを支援するなどが報じられるとSNSでは「東京に来てくれてありがとー」という書き込みも。 ベルケ・サカ(競泳背泳ぎトルコ代表・18歳)眼鏡男子のオフショット!/ベルケ・サカInstagramよりberke_saka ◆ベルケ・サカ(競泳背泳ぎトルコ代表・18歳)/「眼鏡男子でネットでも話題に!」(沖さん)というようにトンガのテカテカ旗手と同じ開会式で注目を集めたイケメン。日本の眼鏡男子好きな人たちは見逃さず、開会式でトルコが入場直後にSNSでは「さっきからずっとトルコの旗手のこと調べてます」「トルコの旗手めちゃめちゃかっこいいなと思って調べたら、同じこと思ってる人いっぱいおったw」「トルコの旗手の顔がスイートイケメンすぎるメガネ」。赤でパイピングの純白のスーツに身を包んだサカ選手はクラシカルなボストン型のメガネをかけて、16歳の同じく競泳のメルヴェ・トゥンジェル選手旗手と登場。マスク越しでもわかる満面の笑みに日本女性の心はわしづかみにされ、即インスタフォローした人も。 華天(馬術中国代表・31歳)/GettyImages ◆華天(馬術中国代表・31歳)/「青少年に騎士道精神を伝える公益プロジェクトら立ち上げる白馬に乗った王子様!」(沖さん)と絶賛する華選手は、中国人の父と英国人の母のロンドン生まれ。乗馬好きの母は華選手を妊娠中、7カ月になっても馬に乗っていたそうで、華選手は4歳から乗馬を始めた。東京五輪の馬術競技(総合馬術)は89年ぶりに日本代表の戸本一真選手が4位に入賞したことが話題になったが、華選手は25位だった。東京五輪での最年長馬術選手は豪州代表のメアリー・ハナ選手の66歳と選手生命の長い競技なので、次のパリ五輪も華選手を心待ちに! アルトゥル・ファン ドーレン(ホッケーベルギー代表・26歳)/GettyImages ◆アルトゥル・ファン ドーレン(ホッケーベルギー代表・26歳)/17歳で初めてベルギー代表に選出され、2012年、18歳の時にベルギーホッケー協会による「ゴールデンスティック賞」を受賞。前回のリオ五輪では銀メダル、東京五輪では世界ランキング1位の強豪・オーストラリアと決勝戦へ。60分では決着がつかず、サッカーのPK戦のようなシュートアウト戦でベルギーが金メダルに輝いた。そんな試合で「優勝を決めた決勝戦でひとめぼれしました!(笑)」(沖さん)と、ベルギーの至宝とも称される選手を発見してしまったそう。  最後に沖さんはこう語る。 「イケメンはイケてるメンタルも併せてイケメンと考えています。アスリートは本当に尊いと思っています。この4年間さらにコロナ禍という状況で、その鍛えられた筋肉は汗と涙の血の結晶です。芸能人の方の筋肉は見せるために鍛えている事も多いですが、アスリートの筋肉はこの4年間の本当に努力の賜物。東京五輪では10代で活躍した選手もたくさんいますが、自分の息子、娘くらいの年代の方々の可能性の素晴らしさ、本当に心から尊敬しています。イケメン評論というのはリスペクトの上に成り立っています。リスペクトしてからの選定です!」 競技を終えてすでに帰国してしまった選手もいるが、今回気になった選手を閉会式でまたお目にかかることができるか!? もしくは次のパリ五輪でなのか……楽しみにしたい。 沖直実(おき・なおみ)イケメン評論家、ラジオ、イベントMC。「沖直実のいい男祭り」を企画主催司会。城田優さん斎藤工さん宮野真守さん等出演。『ホンマでっかTV』等でイケメンについてコメントなど“イケメン”にまつわる仕事多数。
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dot. 2021/08/08 11:00
大坂と瀬戸は“アンチ”増やし、桃田には声援 「まさかの敗退選手」試合後に明暗
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大坂と瀬戸は“アンチ”増やし、桃田には声援 「まさかの敗退選手」試合後に明暗
東京五輪ではプレー以外の部分でも注目された大坂なおみ (c)朝日新聞社  大坂なおみ(テニス)、瀬戸大也(競泳)、桃田賢斗(バドミントン)。  東京五輪では金メダル獲得が有力視されていたものの“まさか”の敗退となったことが共通しているが、試合後に置かれた立場や周囲の評価は大きく異なっている。  東京2020オリンピックまで今年のスポーツ界の“中心人物”だったのは大坂。全仏オープンでの記者会見拒否、大会途中での棄権、うつ病の告白など、プレー以外の行動が何かと話題となった。五輪でも開会式の聖火最終走者を務め、最も注目されたアスリートの一人だったのは間違いないだろう。 「聖火といい、試合といい、本当に夢のよう。悪いところはどこにもない。聖火の話を聞いた時は、びっくりしちゃった。信じられないほど名誉です」(大坂/7月25日)  女子シングルス初戦での勝利後は、ミックスゾーンでマスコミの質問に対応。しかし、27日の3回戦で敗退するとミックスゾーンを通らずあっという間に会場を去った。その後、テニス協会関係者の説得で会場に戻り報道陣に対応したが、「ルールであることを知らなかった」という理由に納得できないファンも多いだろう。 「聖火の最終走者を務めるなど今大会の顔。本人がルールを知らなかったなら周囲にも問題がある。多くのスポンサーを抱えたプロアスリートとしては考えられない振る舞いです」(大手広告代理店関係者)  自身のSNSなどで一方的に意見を述べる姿勢にも賛否両論がある。「日本代表としてこの大きな舞台に立てたことは私にとって夢のような時間」(大坂フェイスブック/7月28日)と試合後に語ったが、五輪でもその行動に疑問を感じるファンがさらに増えてしまった感は否めない。  大坂と同様、瀬戸も五輪で大きく株を下げてしまった。 「本番で思い描くレースができたら、金メダルは99%獲れる。残りの1%をひっくり返されないように。正直、ライバルは自分自身だと思う」(瀬戸/6月3日「競泳ジャパンオープン」優勝後)  五輪前には日本選手団の中でも最も金メダルが“固い”とされていた一人だったが、最初の競技となった400m個人メドレーで予選落ちすると、200mバタフライでも決勝に進めず。試合前のビッグマウス、さらにバタフライ予選後の「いろいろ言われてめっちゃムカつきますけど」という発言もあり、ネット上を中心に批判が巻き起こった。  そして迎えた最終種目、200m個人メドレーでは決勝に進んだものの4位。メダルなしで東京五輪の競技を終えた。 「昨年9月の不倫騒動でANAとの所属契約を解除された。国内大会出場のためには所属団体が必要。水泳選手として時間も限られている中、周囲の支えで『TEAM DAIYA(チーム・ダイヤ)』を立ち上げた。反省していると思っていたがコメントなどを見ると疑問を感じる」(在京テレビ局スポーツ担当者)  ANA所属時代は実質のプロ契約を結び、今後に続くスイマーたちのモデルケースでもあった。自身の甘さが招いた結果とはいえ、すべてが水泡に帰してしまった。そして、今回の五輪での結果や振舞いもあって、周囲の逆風も強い。  一方、大坂や瀬戸と同じく桃田も期待に応えられなかったが、五輪では“アンチ”から辛辣なコメントが寄せられるようなことは少なかった。  桃田は16年に違法賭博問題が発覚し、前回のリオ五輪は出場できず。20年1月にはマレーシアで交通事故に遭い眼窩底骨折の重傷を負った。トラブル続きだったが周囲のサポートを受け、甘えることなくバドミントンに打ち込んだ。4月からは所属先のNTT東日本とプロ契約を結び五輪にかけていた。 「感謝の気持ちを忘れず、バドミントンをします」(桃田)  何かある度に何度も頭を下げ、“謙虚”な姿を見せていた世界ランク1位の桃田だったが、東京五輪では男子シングルス1次リーグで早々と姿を消すこととなった。 「五輪での金メダルを目指す」「髪形も見てください」  以前は派手な言動で眉をひそめる関係者も多かった。しかし別人のようになった桃田を悪く言う声は聞かなくなった。19年ワールドツアーでは年間最多11勝を挙げて年間最優秀選手に輝くなど、実力もどんどん伸びた。 「事件発覚当時は世界ランク2位。リオデジャネイロ五輪でのメダルを期待された中での大事件だった。日本中からバッシングされ桃田自身もきつかったはず。でも逃げずに立ち向かい東京五輪を迎えた。今回は結果が出なかったが、29歳の次回パリ五輪も十分にチャンスがある」(在京テレビ局スポーツ担当者)  18年5月の日本代表合宿中には女子選手との関係で厳重注意を受けることもあった。まだまだ危うく感じる部分は多い。しかし大坂、瀬戸と異なるのは周囲に温かい声が溢れている点だ。 「桃田は問題発覚後も公の場所で自分の口から謝罪してきた。今大会敗退後『ヤンチャな部分がなくなったのが競技に悪影響があった』と言う擁護論まで聞こえたほど。真っ直ぐな部分が伝わるから憎めない部分がある。大坂や瀬戸とは違い好感度は高い」(大手広告代理店関係者)  3人はアスリートとして実力は疑いようもなく、東京五輪でも金メダル候補として注目された。だが期待には応えられなかった。勝負の世界では負けはつきものだ。当然ファンもそれを理解しているが、どうしても競技以外の言動が結果と結びつき批判されてしまうことも多い。大坂、瀬戸、桃田の3人は今後もアスリートとしての活躍が期待されるが、素直に応援できるかどうかでは、今のところ差があるようだ。
ピックアップ大坂なおみ東京五輪桃田賢斗瀬戸大也
dot. 2021/08/07 18:00
「幸せな女性みると殺したい」小田急線で包丁振り回し10人を刺した36歳男の驚愕の動機
「幸せな女性みると殺したい」小田急線で包丁振り回し10人を刺した36歳男の驚愕の動機
「前方の車両から人がなだれこんできた。『男が刃物を振り回している』と叫びながら次々と人が後方に移動していった」(乗客)  8月6日午後8時半ごろ、帰宅ラッシュの電車内で事件は発生した。小田急線「成城学園前」―「祖師ケ谷大蔵」間を走っていた藤沢発新宿行きの快速急行に乗っていた男が20代の女子大学生の胸や背中などを長さ約20センチの包丁で刺した後、周囲にいた9人の乗客に次々と襲いかかった。 「男は先頭から4両目の車両から2両目までを移動しながら、複数の乗客を手にした包丁で切りつけていった。女子大学生は7カ所を刺され重傷で他の9人は命に別状はない。3両目では食用油をまいて火を付けようとしたらしい。牛刀も準備していた。その後、自ら非常用ドアコックで緊急停車させて祖師ケ谷大蔵駅近くで包丁や携帯電話を放置して線路上を徒歩で逃げた」(捜査関係者)  警視庁はその後、現場から約4キロ離れた杉並区高井戸のコンビニで男の身柄を確保した。殺人などの容疑で逮捕されたのは、川崎市多摩区に住む職業不詳の対馬悠介容疑者(36)だ。  対馬容疑者は店員に「ニュースに出ている犯人は俺です。逃げるのに疲れた」と名乗り出たことから店員がすぐに110番したという。 「男(対馬容疑者)は10人以上の警察官に取り囲まれながらパトカーの後部座席にすぐに乗せられていた」(目撃者)  捜査一課の調べに対して対馬容疑者は「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった。刃物がうまくいかなければ、電車内で油を撒いて火をつけようと思った。逃げ場がない電車なら大量に人を殺せる」などと供述しているという。  対馬容疑者は当日、都内の食料品店で万引きしたとして店から通報され警察の事情聴取を受けていたという。その際に対馬容疑者はカッターナイフを所持していたという。警察官に説諭され、自宅まで送り届けられた対馬容疑者はその後刃物や油を持って小田急線に乗り込んだとみられる。 「対馬容疑者は通報した食料品店の女性を襲撃しようと店に引き返そうと考えたが閉店していると考え、乗り込んだ電車内での犯行を決めたという趣旨の供述をしている」(前出の捜査関係者)  電車内での殺傷事件は過去にも例がある。2018年6月には東海道新幹線の車内で男が鉈で男女3人を殺傷し逮捕された。事件を受けて国土交通省は手荷物検査について、これまで法令の定めがなかったため、省令を改正。「手荷物等の点検を行うことができる」という規定を新たに設けていた。しかし、大規模イベントのある際の主要なターミナル駅や新幹線の駅などに限定する運用だったために今回のケースには該当しなかったようだ。  こうした事件は防ぐにはどうすべきなのか。テロ事件に詳しい警視庁関係者は言う。 「今回の事件は刃物による無差別殺傷事件につながりかねない大事件だった。いわば『刃物テロ』だ。こうしたテロはいつでも起こりうると我々ひとりひとりが心のどこかで警戒しておくべきだ。不審者を見かけたら空振りでも構わないので駅係員、警察に迷わず通報してほしい」  更にこうした場面に遭遇した際に私たちはどう行動すべきなのか。 「まず、無理に手出しをすることは絶対にしてはいけない。犯人は興奮状態にあり普段以上の力を発揮できる状態にある。刃物を手にしている犯人から襲撃されたら、とにかく少しでも良いので距離を取ること、つまり逃げることだ。他の大勢の客への被害を防止するために『刃物!刃物!』と叫び注意喚起しながら逃げること。至近距離で襲われた場合は所持品で徹底抗戦するべきだ。とにかくカバンやリュック、傘など所持品を盾にして攻撃をブロックする。その際にも顔面などに刃物が届かないように腕を伸ばして距離を取ることが大事だ」  警視庁は東京五輪期間中の刃物による重大な殺人未遂事件として、成城警察署に特別捜査本部を設置して事件のいきさつを詳しく調べている。 (野田太郎)
dot. 2021/08/07 15:00
レジェンド釜本邦茂も「面食らった」と驚愕 五輪男子サッカー、急きょ時間変更で「見られなくなった」と悲痛の声
レジェンド釜本邦茂も「面食らった」と驚愕 五輪男子サッカー、急きょ時間変更で「見られなくなった」と悲痛の声
サッカー日本代表の選手たち(c)朝日新聞社  男子サッカー3位決定戦の試合前日となる5日、急きょ試合開始時刻が変更になるという異例の判断が下された。日本とメキシコが銅メダルをかけて闘う大一番とあって注目度の高い試合だ。しかし、キックオフが20時から18時へと2時間の前倒しとなり、多くのサラリーマンは見られなくなる事態に。当然ながら、不満の声が噴出している。サッカー界のレジェンドに直撃すると、2時間の前倒しにより「暑さ」を心配する声も聞かれた。  組織委員会が発表したのは、試合前日となる5日夜。土壇場での変更は異例のことだ。組織委は変更の理由について、サッカー女子決勝の開始時刻を6日午前11時から午後9時に変更したことにより、「試合時間の重複を避けるため」だとする。だが、2つの試合は別の会場で行うため、重複しても問題ないのではないかという疑問が残る。テレビ放映やスポンサーを考慮しての判断だったのだろうか。  サッカー女子決勝の時間変更は猛暑の影響を考慮してのこと。アスリート・ファーストである以上、この変更には納得がいく。だが、その“余波”で男子サッカーは18時開始。まだまだ暑さの残る時間に前倒しになったことは、こうした判断と矛盾するようにも思える。  メダルがかかった注目度の高い試合ゆえに、前倒しにより「見られなくなった」などのサラリーマンと思しき人たちからの不満の声が挙がる。U-24日本代表の公式アカウントが時間変更をツイートすると、「ショック半端ないって」「前日に変更なんて酷すぎる」といったリプライが400以上寄せられた。  試合を見られなくなったという江戸川区の会社員の26歳男性は「家に着くのがちょうど20時くらいで、家族と食事しながら見るのにちょうどいいと思っていたのに……」と嘆き、こう続ける。 「(決勝トーナメントの)これまでの2試合は、紙一重の攻防が続いてハラハラして、点が入らなかったけれど楽しめた。今回も、映画のようなハラハラを味わいたかった。ニュース映像や録画では、そういう感覚は味わえない」  都内の30代女性は、仕事のため18時のキックオフに間に合わなくなった。「メダルが取れるかどうかの瀬戸際のゲームだから、応援も熱を入れてしたかった。選手にとっても突然の時間変更は準備に支障が出るだろうし、気の毒。いったい誰のためのオリンピックなんだろう」  勝てば53年ぶりの銅メダル獲得。その歴史的瞬間をこの目で見ようと、楽しみにしていた人も多いはずだ。ならば、1968年のメキシコ五輪で銅メダル獲得の立役者となったレジェンド・釜本邦茂さん(77)は、この変更をどう思っているのだろうか。  直撃したところ、「面食らってますよ。晩ご飯を食べた後、ゆっくり見ようと思っていたのに……」とやはり驚いた様子。 「サッカーを長くやってきたけれど、あんまりそういうのは聞いたことがない。横浜と埼玉で、会場が違うのにおかしいよね。今夜は家に帰ってじっくりテレビの前でビールを飲みながらっていう人がたくさんいると思うよ。本来なら、客席がいっぱいになる試合。無観客だけれど、選手としては、テレビでも観てほしいという気持ちはあるだろうし、残念だね」 ピッチ上のコンディションも心配する。 「2時間の差は大きい。18時だとまだ太陽も出ているし、暑い時間。選手たちは急な前倒しで精神的にどうこうなるということはないだろうけど、やっぱり暑さは心配だよね」  選手も視聴者も置き去りにされた今回の対応。試合を見られなくなった前出の26歳会社員男性は取材の最後、こう無念さを語った。 「一番困惑しているのはアスリートだと思うし、ファンにも配慮されていない。どこに忖度したのかはわからないけど、裏があるのかなと思ってしまう。オリンピックが実際は誰のために行われているのかがよくわかるような判断で、残念」  無観客の今大会ではテニスをはじめ、急な日程変更が続いた。暑さを考慮しての変更には納得がいくが、なぜ、男子サッカーまで変更になったのか。納得のできる説明をしてほしかった。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)
2020年東京五輪
dot. 2021/08/06 17:42
金メダルかじった河村たかし市長「謝罪コメント」でさらに炎上 辞任求める声も
金メダルかじった河村たかし市長「謝罪コメント」でさらに炎上 辞任求める声も
後藤希友投手の金メダルをかじる河村市長(c)朝日新聞社   東京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボール日本代表・後藤希友が出身地である名古屋市役所を4日に表敬訪問した際、「事件」が起きた。後藤に金メダルを首に掛けてもらった河村市長が手に取って「重たいな」とつぶやくと、突然マスクを外して金メダルに噛みついた。後藤は苦笑いを浮かべたが、非常識で済まされない行動だ。  SNS上では河村市長の愚挙に批判の声が殺到し、アスリートからも怒りの声が。東京五輪柔道男子60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿は自身のツイッターに「動画見たけど、『カンッ』て歯が当たる音なってるし。自分の金メダルでも傷つかないように優しく扱ってるのに、怒らない後藤選手の心の広さ凄すごすぎ。俺だったら泣く」と投稿。フェンシング元日本代表の太田雄貴さんもツイッターで、「ごめんなさい。これは流石に。。現場の空気や、お二人の関係値は分かりませんが。選手に対するリスペクトが欠けている上に、感染対策の観点からもセレモニーさえも自分自身やチームメイトでメダルをかけたりしたのに、『噛む』とは。ごめんなさい僕には理解できません」と綴った。  だが、これでは終わらない。河村市長の「謝罪コメント」が火に油を注いだ。報道によると、「(メダルをかむ行為は)最大の愛情表現だった。迷惑をかけているのであれば、ごめんなさい」とコメント。当人はそのつもりはないかもしれないが、反省の意が全く伝わってこない。作家の乙武洋匡氏は「『主役は自分だ』という自己愛。そんな自分への『最大の愛情表現』」と皮肉を交えて指摘し、元プロサッカー選手の武岡優斗さんも「愛情表現とは?????見苦しい言い訳過ぎて…迷惑どうのこうの問題じゃない。そもそも論。リスペクトのなさが最大に行動や言動に出てますね」と批判した。  河村市長のツイッターは苦情や怒りのコメントが止まらない状況になっている。「噛むってことは唾液が着くんだよね?唾液って体液ですよね?相手の所有物に体液を付けたって事?器物破損罪とかにならんの?絶対にこの市長許せないんだが…(原文ママ)」、「これが本気なら辞任するべきですよ。あなたは名古屋市民の為に存在しているんです。金メダルを勝ち獲った名古屋市民に感謝が必要で、あなたの愛情は必要ないんです(原文ママ)」などのコメントが。  地元・名古屋のテレビ関係者は、「映像を見て唖然としました。河村さんは批判が殺到するまで、事の重大性を認識していなかったのではないか。謝罪コメントを見ても、切迫した感じが伝わってこない。プライドが邪魔しているのでしょうけど、記者会見を開いて謝罪しなければ収拾がつかない状況になっています。あと一番心配なのが後藤選手の精神状態です。あの場では苦笑いを浮かべていましたが、大切な金メダルをかじられたショックは後になって感じると思います。JOCが動いて可能なら新しいメダルに交換するべきではないでしょうか。交換に費用が必要なら河村さんが補填するべきです」と話す。  後藤はチーム最年少の20歳左腕。全6試合中5試合に登板して10回2/3を無失点、22奪三振の快投で日本の金メダル獲得に大きく貢献した。報道によると、今回の表敬訪問で、「私は名古屋が大好きなので地元に金メダルを持ち帰れたのは本当に良かった」と語ったという。故郷に笑顔で金メダル獲得を報告するはずが、金メダルをかじられる「愚挙」に巻き込まれた。河村市長は猛省すべきと共に、メダルの交換について関係者が行動に移すべきだろう。(牧忠則)
東京五輪注目選手
dot. 2021/08/05 16:11
刑期を終え“銭湯のオヤジ”になった柔道元金メダリストの内柴正人「五輪直前、高藤直寿から相談受けた」
刑期を終え“銭湯のオヤジ”になった柔道元金メダリストの内柴正人「五輪直前、高藤直寿から相談受けた」
北京五輪で金メダルを獲得した内柴正人氏(左)、東京五輪男子60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿(c)朝日新聞社  東京五輪もいよいよ大詰め。今大会では日本柔道チームが五輪史上最多の9個の金メダルを獲得するなど、目覚ましい活躍を見せた。  そんな後輩たちの活躍を、熊本県八代市内の銭湯の従業員として、テレビ越しに見守る金メダリストがいた。男子柔道66キロ級で、2004年のアテネ・08年の北京と2連覇を果たした内柴正人氏(43)だ。  内柴氏は現在、銭湯「つる乃湯 八代店」に勤務。“あの事件”を機に柔道界を遠ざかり、栄光と挫折を知ったアスリートは、新たな人生をどう歩み、後輩たちの活躍をどう見たのだろうか。 「日本開催で金ラッシュは嬉しいです。凄いとしか言いようがない」  後輩たちの活躍について、内柴氏は嬉しそうに感想を語る。「皆が五輪を見れるように」と、自宅にあったテレビを銭湯の休憩スペースに設置した。ディスタンスを保ちつつ、常連客やスタッフらと観戦することもある。 「これだけ多くの階級で金メダルを取れるというのは、歴史的にもないこと。個々の強さもありますが、一人一人の力を引き出すチームジャパンの監督も見事ですし、チームの雰囲気も良かったのだと思います」  当初は五輪観戦に対して、心に壁のようなものがあったという。職場の上司からも、「いろいろなことがあったし、お前は大会を見るのも嫌だろう」と気遣われた。 「どうしても、『戦いたい』と思ってしまうんです。引退した選手は誰もが思うことかもしれませんが、普通は引退したら、指導者をやりながら大人になっていきます。僕は指導者としての時間がとても短く終わってしまったので、まだ子供のまま。五輪の舞台はもう僕が入れない世界ですから、モヤモヤをコーチとして選手に託すこともできない」  2連覇の功績が認められ、内柴氏は紫綬褒章を2度受勲するなど、数々の栄誉に輝いた。だが2011年、教え子だった女子柔道部員への準強姦容疑で警視庁に逮捕され、事態は一変。「合意の上」として裁判で争ったが、14年には最高裁で上告が棄却され、懲役5年の実刑判決を受けた。この件によって数々の栄誉賞ははく奪され、五輪2連覇の男の名声は地に落ちた。内柴氏は過去を振り返り、後悔をにじませる。 「反省するべき点ばかりです。自分が起こしたことの悪い部分は反省して、裁判で結果が出た以上は、最後までまっとうしようと。実家の父や家族についても、しつこくカメラに追い回されて憔悴していましたし、たくさん心配をかけたと思います」 北京五輪で金メダルを獲得した内柴氏のパレードに宮崎県延岡市民たちが声援を送った (c)朝日新聞社  事件を機に、地位やお金、離婚で家族も失った内柴氏。精神的にも追い詰められ、うつになって薬を飲むこともあったという。刑務所での服役中は、紙に柔道に関する思いを書き連ねて過ごした。そうしないと、自分を保てなかったからだ。 「自分の柔道は終わったというのは分かっていたんですけど、当時の僕には柔道のほかに経験や知識がなかったので、新しいことを考えることもできず……。柔道のことを書きなぐること以外に、自分を保つ方法がなかった。吊り手の位置から、膝の使い方、腰の角度まで、技を全部分解してみたり、柔道で感じたことや身に付けたことを自問自答したりして、すべて文字に起こしてました。それでどうにかこうにかって感じです」  17年の出所後は、もう一度自分の人生を立て直すことに目を向けた。「健全な精神は肉体から宿る」の考えにのっとり、たとえ柔道ができなくても体を動かすことをしようと、「柔術」のジムに弟子入り。師範の家に住み込み、トレーニングに打ち込んだ。そこでキルギスの柔道連盟の関係者に出会った縁で、18年7月から19年12月まで、キルギス柔道連盟の総監督として指導。異国の教え子を率い、世界選手権に進出した。 「帰国後に、格闘技イベント『RIZIN』に誘ってもらったこともあったのですが、スポンサーから許可がおりないといった事情があって、思うように活動できなかった。そんな時、今勤めさせてもらっているお風呂屋さんの社長に、『地元に貢献できるお風呂屋さんで、一社会人として勝負しませんか』と声をかけていただいて。そのお風呂は自分が現役時代から使っていた場所で、愛着がありました。実家を離れて東京で長く暮らしてきたので、熊本で年老いた父と過ごす時間を大切にしたかったし、地元での暮らしも良いんじゃないかと」  現役時代は柔道ばかりで、前妻にはたくさん苦労をかけたという内柴氏。今は新たな妻と1歳の子供がいて、地元で家族と一緒にいる時間を大事に過ごすようになったという。ただ、40代にして“異業種中の異業種”ともいえる銭湯での社会人デビューは、苦労の連続だった。 「『いらっしゃいませ』と言う経験がなかったので、自分にできるのか不安でした。あとは、損得勘定も一から勉強して。一から学ぶのが大変だったんですけど、新しいことができるようになるのは楽しいですね」 熊本県八代市内の銭湯の従業員として働く内柴氏(提供)  仕事における師範は、社長と本店のマネージャーだ。ボイラー技士2級と危険物取扱者の資格も取得。モーターなど機械の不具合があれば分解し、まずは自分で直せないか試みる。 「一生懸命修理して、次の日の朝、自動運転でお湯が湯舟に入っていく姿を見ると、感動するんです。それこそ、柔道時代に苦労していた減量に成功した時と同じくらい嬉しい。普通に働くことのすばらしさを実感しています」  働きぶりが認められ、現在は八代店の店長として1店舗を切り盛り。売り上げを計算し、スタッフのシフトを作り、人が足りないところには自分が入り、機械が壊れれば修理もする。いわば何でも屋だ。  内柴氏の方向転換には、家族の反対もあった。 「妻をはじめ家族は今でも、僕には『柔道にこだわって、いけるところまでいってほしい』と言ってくれるんです。銭湯に就職する時には全く違う分野だったので、なんで?と残念がられて。指導者として柔道に関わってほしいというのはひしひしと感じます」  それでも銭湯で働くことを選んだことには、こんな思いがある。 「今は自分で働いて力をつけていく時期。生活の基盤さえしっかり作って誰にも文句言われないぐらいしっかり仕事を頑張れば、だんだんと社会に受け入れてもらえるようになる。環境は、自分の頑張り次第で作っていけると信じてやっています」  そんな内柴氏は、東京五輪で活躍する後輩たちをどう見たのか。五輪開催前の6月末、60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿選手から「五輪、是が非でも取りたいので相談させてもらってもいいですか」と連絡を受けた。 「1度会って30分ほどのスパーリングをし、組んでみて感じたことをアドバイスしました。例えば、待っている時間が長いように見受けられたので『得意技があるのはわかるけど、自分からプレッシャーをかけて試合全体の流れを自分から作ったほうがいいかもよ』といったことです。あとは、1度タイトルを取るとコーチから『チャンピオンなんだから』と、アドバイスをもらう機会は少なくなりがち。僕自身も孤独になった経験をしました。そこで、コーチに自分がどういう練習をしたいかを伝え、試合の時にコーチにかけてもらう言葉の内容まで、自分から提案するようにしていたんです。そうした自分の経験を伝えました」 北京五輪に出場した内柴氏を応援する、内柴氏の出身地・合志市の人々(c)朝日新聞社  高藤選手の戦いがどうしても気になってしまった内柴氏は、五輪への心の壁はありつつも、テレビをつけて観戦した。画面越しの高藤選手は、決勝戦で台湾の楊勇緯選手との延長戦を粘り強く戦い抜き、60キロ級で今大会第1号となる金メダルに輝いた。 「高藤選手の活躍が、僕の五輪への拒絶心、壁のようなものを払しょくさせてくれました。おかげで今大会は、本当に五輪を楽しむことができています。五輪経験者でタイトルを取った僕が五輪を楽しまなかったらどうするんだという気持ちになれたんです」  今は仕事に励みつつ、グラップリングルールを採用した(打撃を禁止とし、投げや関節、絞め技などの組み技のみ有効とする)格闘技イベント「QUINTET」に出場しながら、グラップリングと柔術の経験を積んでいる。柔術は、始めて3年で茶帯だ。 「柔術とグラップリングに関しては、素人に毛の生えたようなもの。柔道では相手の心の中が見えることもありましたが、柔術とグラップリングに関しては、一手先・二手先までしかわからない。でも、柔道で学んだ教わり上手は生きています」  才能のある次世代選手が次々と輩出される柔道界。柔道に対して未練はないのだろうか。 「もちろん柔道はやりたいですが、僕が表に出ると目立ってしまいます……。今は週に1度、地元の大学生に教えるくらいです。日本では難しいので、もしも柔道を諦めきれなくなったら、もしかしたらまた海外に行ってしまうかもしれないですが、それは0・2%の可能性の話。メダリストにとって、現役引退後は日本の柔道トップ選手を育てるのも一つの夢かもしれないですが、今は仕事を頑張りつつ、新しく始めた柔術・グラップリング、それに柔道の3競技で、地元の方々と関わりたいという目標にシフトチェンジしました」  当初は自分が社会に出ることを許すだろうかという葛藤があった内柴氏だが、今では地元の支えを感じている。 「QUINTETに出るようになってから、顔なじみのお風呂の常連さんが応援してくれますし、店舗スタッフのみんなが僕のトレーニングの時間を作るためにシフトを融通してくれることもあります。店舗の一角で練習しているんですが、そこに柔術のジムの先生や、大学の柔道部の学生などが集まってくれて、一緒に汗を流してくれます。地元の支えがなければ、僕は立ち直れていなかったと思います。阿部一二三選手がチャンピオンになって感謝の言葉を述べていましたが、僕も熊本県の皆さんやいろんな方々に本当に感謝して、一日一日を過ごさせてもらっています」  地元の支えもあって、かつての金メダリストは第二の人生を歩み始めている。五輪の後輩たちの活躍は、そんな彼の活力源になっているようだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)
ピックアップ東京五輪
dot. 2021/08/05 10:00
モヤモヤしながら選手を応援 五輪を巡る世論は「熱狂とは程遠い二重意識」
川口穣 川口穣
モヤモヤしながら選手を応援 五輪を巡る世論は「熱狂とは程遠い二重意識」
日本勢はスケートボード女子で金、銅のメダルを獲得したほか、競泳、卓球、柔道などでも金メダルを次々獲得した (c)朝日新聞社  コロナ下での強行開催となった東京五輪は、日本勢のメダルラッシュに沸く。しかし、世論は熱狂とは程遠いという。AERA 2021年8月9日号では、五輪後に語り継ぐべき矛盾と葛藤について専門家が語った。 *  *  *  コロナ下の開催を巡る賛否の間で揺れに揺れた東京五輪。日本は連日のメダルラッシュに沸いている。7月30日現在、日本勢が獲得した金メダルは史上最多の17個。国・地域別で中国に次ぐ2位となっている。日本人最年少の13歳で金メダルを獲得した新競技スケートボードの西矢椛(もみじ)ら新しいスターも次々に誕生した。  27日夜のソフトボール決勝で日本が13年越しの連覇を達成した試合の瞬間最高視聴率(世帯、関東地区)は、46.0%(ビデオリサーチ社調べ)に上った。Googleで検索された回数の目安である「検索トレンド」でも、連日トップ10の大半を五輪関連の語が占める。朝日新聞の5月の調査では五輪を「再び延期」「中止」すべきだとの回答が8割を超えていたが、その「世論」は霧散したように見える。  国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ副会長は4月、「(日本勢の活躍で)世論が変わると自信を持っている」と述べ、政権側の「五輪が始まれば盛り上がる」との見立てもたびたび報じられた。まさに「思惑どおり」の様相だ。 ■複雑な二重意識を持つ  だが、関西学院大学の阿部潔教授(メディア・コミュニケーション論)は五輪を巡る空気を「熱狂とは程遠い」と指摘する。 「多くの人はこれでいいとは思っていない。一方で、声を上げて何かが変わる期待もありません。そんなある種の諦め感のなかで、『どうにもならない以上せめて頑張っているアスリートを応援しよう』『少しでも楽しもう』という複雑な二重意識を持っているのだと思います」  これまでも五輪を巡る世論は揺れてきた。NHK放送文化研究所が2016~19年に5回行った世論調査では、東京五輪の開催を肯定的に捉える人がいずれも8割を超えていた。ただし、五輪の理念が支持されたわけではない。阿部教授は言う。 「詳しく調査すると、賛成の大半は『なんだか誇らしい』『景気がよくなるかもしれない』という漠然とした支持でした。国際交流や平和を掲げる五輪はどちらかというと『いいもの』とみなされていて、明確な根拠を持って反対する人以外は『なんとなく賛成』していた。それが賛成8割の正体です」  一方、コロナ禍によって「このままではマズイ」という意識が優勢となり、「なんとなく賛成」は反対に転じた。だがそれも、根拠を持った明確な反対とは一線を画す。いざ開幕すれば疑問やモヤモヤを感じながらも応援し、日本勢の活躍に沸き立つのは当然だという。  その結果、「五輪後」には何が残るのか。 ■語り継ぐことが必要  過去の夏季五輪で日本勢が獲得した金メダルは1964年東京大会と04年アテネ大会の16個が最多だった。今後の競技の期待度を加味すると、今大会で記録を大きく更新するのはほぼ確実だ。それは各競技団体の強化の成果だし、選手の努力の賜物(たまもの)であることは間違いない。一方で、その躍進によってこの1年の混乱や人々が感じたモヤモヤが語り継がれない危険性があると阿部教授は懸念する。 「このまま五輪が終われば、後に残るのは『世界的な危機のなかで五輪をやりとおした』ことと、『日本のアスリートは素晴らしい結果を残した』ことの2点だけになってしまうかもしれません。しかし、1年の延期を経て開催された五輪の陰にどんな矛盾や人々の葛藤があったのかをしっかりと記録し、語り継ぐことが必要でしょう」 (編集部・川口穣) ※AERA 2021年8月9日号
東京五輪
AERA 2021/08/04 17:00
母国でやまぬ韓国五輪選手への中傷 背景に「兵役免除への嫉妬」も
母国でやまぬ韓国五輪選手への中傷 背景に「兵役免除への嫉妬」も
アーチェリー女子個人で優勝した韓国のアン・サン(c)朝日新聞社   東京五輪に出場した女子アーチェリー韓国代表のアン・サンが、混合団体、女子団体、個人で金メダルを獲得して韓国初の五輪三冠に輝いたにもかかわらず、「男性を嫌悪するフェミニスト」とネット上で誹謗中傷を受けた一件は大きな反響を呼んだ。  アン・サンがネット上で批判の標的になった理由は短髪だった。韓国では「短髪の女性はフェミニスト」という偏見があるようだが、他にも原因があるという。 「韓国では女性に兵役義務がないことに対し、20代の若者を中心に『不公平だ』という声が高まっています。金メダルを獲得したアンは嫉妬の標的になった格好です。反フェミニストの過激な思想を持っている人間だけではなく、兵役義務がある一部の男性たちが現状に不満を感じて書き込んだのでしょう」(韓国駐在の通信員)  今年の4月19日に青瓦台(大統領府)のホームページに「男性だけでなく、女性も兵役に就くべき」と訴える国民請願が掲示されると、29万人以上が賛同して注目を呼んだ。若い時期に兵役生活に入り、女性に比べて就職や社内の出世争いで不利だと感じる男性の不満が噴出した形となった。  1953年に朝鮮戦争が休戦して北朝鮮と対峙している韓国では、男性の兵役義務が憲法で定められている。満18歳から徴兵の対象者となり、特別な理由がない限り、満28歳になるまでに一定期間、軍隊に所属し国防の義務を遂行しなければならない。ただ、兵役免除の特例が受けられる条件があり、スポーツ要員は五輪3位以内の入賞者、アジア大会1位入賞者(団体競技の場合、実際に出場した選手だけが該当)と定められている。  韓国の男性アスリートは勝利を目指して国際大会に出場しているが、兵役免除になっても韓国国民の感情を慮り発言が慎重になる。デリケートな問題なのだ。  18年のジャカルタ・アジア大会では、金メダルを獲得した男子サッカーと野球の韓国代表にネット上で不満の声が噴出する事態が起きた。U-23サッカー代表にオーバーエイジ枠で加わった26歳の孫興民、野球韓国代表の28歳の呉智煥が兵役免除の特例の対象となったことに、「兵役が免除になる可能性のあるアジア大会まで入隊せず、代表に選ばれた」、「アジア大会の金メダルで兵役免除になり、世界的に活躍しているBTSが免除されないのはおかしい」などの書き込みが見られた。  韓国の男性アスリートは「兵役免除」について公の場で発言することは少ない。だが、日本のプロ野球界でプレー経験がある韓国人選手は、「兵役の2年は選手寿命を考えると、非常に大きい。技術や身体能力が一番伸びる時期に兵役に行くと、2年後に復帰した時にパフォーマンスは大きく落ちてしまい、以前の力を取り戻せない選手もいる。五輪やアジア大会の試合中は勝つことしか考えないが、メダルを獲得して兵役が免除されるのが選手にとって一番のプレゼントだと思う」と思いを口にする。  朝鮮戦争が休戦して80年近く経ち、兵役に対する考え方は世代によって変わってくる。今後も兵役免除は韓国国民の大きな関心事になるだろう。(牧忠則)
東京五輪注目選手
dot. 2021/08/04 15:00
筑波大から東京五輪に24人が出場 スポーツに強い国立大学は?
筑波大から東京五輪に24人が出場 スポーツに強い国立大学は?
男子81キロ級で金メダルを獲得した永瀬貴規選手は筑波大出身(c)朝日新聞社  1912年、日本がオリンピックに初めて参加したストックホルム大会。日本代表2人はいずれも国立大学(官立)の学生である。彼らは東京高等師範学校(戦後は東京教育大、筑波大に継承)、東京帝国大(同・東京大)に通っていた。  しかし、その後の日本代表には早稲田大、慶應義塾大、中央大、明治大、日本大、日本体育大などにおされて国立大学出身者はなかなか選ばれなかった。それでも東北大、東京大、一橋大、東京学芸大、福島大、埼玉大などから代表を送り出している。  東京2020の代表には国立大出身者はどのぐらいいるだろうか。JOC日本選手団名簿から集計してみた。次のとおりである(判明分)。 〇筑波大 24人 〇鹿屋体育大 3人 〇東京学芸大 2人 〇岩手大、一橋大、横浜国立大、名古屋大、京都大、大阪教育大 各1人  圧倒的トップの筑波大は体育専門学群の存在が大きい。前身は東京教育大体育学部であり、ここからが多くのオリンピック代表が誕生した。なかでもレジェンドとして、いまなお、とんでもない記録を樹立したとして語り継がれているのが、体操の小野喬さんである。1952年、56年、60年、64年と4大会連続で出場し、金5、銀4、銅4の計13個のメダルを獲得した。この記録はいまでも破られていない。  なお、筑波大出身のオリンピック代表選手のメダリストは金24、銀17、銅22となっている(東京教育大を含む、集計は大学ウェブサイト)。  筑波大は1973年に開学した。同大学になってからは、女子柔道の谷本歩実さんが、2004年、08年の2大会連続金メダリストとなっている。  東京2020大会では、ハンドボールで唯一の学生、吉田守一選手が選ばれた。和歌山県立那賀高校出身。ポーランド1部リーグ、タルヌフに所属してプレーしている。  ラグビーの彦坂圭克選手は、大学ラグビー選手権で筑波大が国立大学として初めて決勝まで進んだ試合に出場している。このときのメンバーには、筑波大で2学年下の福岡堅樹さん(現在は順天堂大医学部学生)がいる。福岡さんは16年のリオ五輪、19年ワールドカップで活躍したのが記憶に新しい。  サッカー女子の熊谷紗希選手は、12年のロンドン大会に続き2回目の出場。熊谷選手の8歳年上の安藤梢さんも筑波大で活躍し、オリンピックには04年、08年、12年と3大会連続出場した。熊谷選手、安藤さんは、11年のサッカーワールドカップ優勝メンバーでもある。  16年大会からの連続出場者には、柔道男子81キロ級で金メダルを獲得した永瀬貴規選手のほか、陸上の衛藤昂選手、水球の志水祐介と棚村克行選手、ビーチバレーの石島雄介選手がいる。  88年ソウル大会の女子柔道(公開競技)銅メダリストの山口香さんもつくば大出身だ。現在筑波大の教授であり、最近までJOC理事をつとめていた。  山口さんは東京2020大会のあり方について、開催の延期、再延期などについてしっかり発言してきた。ときに厳しい意見を発している。 「開催すれば盛り上がり、感動も生むでしょう。無事に終われば、スポーツの力があったとなるかもしれません。ただ、多くの国民の心にしこりは残ると思います。それは、スポーツやオリパラへの不信感です。五輪の理念を無視し、スポーツの価値から逸脱することをやりながら開催しても、素晴らしかった、とは言えない」(朝日新聞2021年6月23日)  鹿屋体育大は、東京2020大会に3人の代表選手を出した。1981年に開学した、国立でただ1つの体育系単科大学だ。基本理念として、「創造性とバイタリティに富む有為の人材を輩出するとともに、体育・スポーツ学分野における学術・文化の発展と国民の健康増進に貢献」とある(ウェブサイトから)。スポーツ科学の最先端研究、スポーツや体育の指導者育成、国民の健康促進などに取り組んできた。  2004年大会で3年生だった柴田亜衣さんが競泳で金メダルをとったことで、鹿屋体育大はおおいに脚光を浴びた。12年大会では大学院博士課程に在籍していた松田丈志さんは男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得する。そのときのインタビューで「(北島)康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないと思いました」と語り、注目された。  東京2020大会では、競泳の高橋航太郎選手、自転車の橋本英也選手、カヌーの宮田悠佑選手が出場する。高橋選手は鹿屋体育大のウェブサイトで母校愛を披瀝している。 「鹿屋体育大での4年間は、これまでで1番きつくて楽しくて最も成長できた4年間でした。鹿屋での土台がなければ今の自分はいないと思います。在学中に開催が決まった東京オリンピックに当時は出られるとは思っていませんでしたが、諦めずにやってきて良かったです。子どもの頃から夢に見てきたオリンピックなので、精一杯噛み締めて楽しんで頑張ってきたいと思います」(2021年4月8日)  東京学芸大出身者には、7人制ラグビーの小出深冬選手、陸上の卜部蘭選手がいる。小出選手は中学時代から本格的にラグビーをはじめて、地元のクラブチーム、横濱ラグビーアカデミーで技術を身につけた。横浜市立金沢高校3年のとき日本代表となる。16年大会ではチーム最年少の20歳で代表に選ばれた。東京2020大会では、チーム最年長で唯一の2大会連続出場者であり、若手には頼りになるベテランとなった。  神奈川県のウェブサイトには、小川選手からオリンピック経験者ならではのメッセージが寄せられている。 「大変な思いをされている方が多くいる中、私たちはラグビーができることを当たり前と思ってはいけないと感じています。多くの方への感謝の気持ちを忘れず、全力でプレーします。個人的には2度目のオリンピック。自分もチームもこの5年間でどれだけ成長したかを示す大会だと思います。女子ラグビーの歴史に良い結果を上乗せできるよう頑張ります」(2021年7月19日)  大阪教育大出身は、女子ハンドボール「おりひめジャパン」のゴールキーパー、板野陽(みなみ)選手だ。板野選手は総社南高校卒。同校はインターハイ出場経験があるものの、全国レベルの強豪校とまでは言えない。地元紙・中国新聞では「無名から咲いた努力家」(2021年7月6日)と報じられた。  進学した大阪教育大はハンドボール強豪校で、全日本学生ハンドボール選手権大会の2回優勝している。同大学のウェブサイトに板野選手からのメッセージが掲載されている。 「一生に二度とない自国開催でのオリンピックの内定選手に選ばれ、大変嬉しく思います。大阪教育大学に進学していなかったら今の私はないと思いますので、当時顧問だった土井秀和先生をはじめ、在学中にお世話になった皆さんに感謝申し上げます。オリンピックでは、私に関わって下さった全ての方々に恩返しの気持ちを持って、自分の持てる力を全て出し尽くして戦います。また、ハンドボールという競技をもっと発展させるために、メダル獲得を最大の目標に頑張りたいと思います」(2021年6月29日)  昨年11月、板野選手は右肩を負傷し半年間リハビリ生活を余儀なくされたが、見事に復帰した。 「プレーで勇気や感動を与え、ハンドボールの面白さを伝えたい」(朝日新聞2021年6月29日)  東京学芸大は2000年から東京2020までの5大会で9人の代表を送り込んだ(累計)。陸上の卜部蘭選手は教育学部芸術スポーツ文化課程生涯スポーツ専攻、前出ラグビーの小出選手と16年にラグビーで出場した谷口令子さんは教育学部中等教育教員養成課程保健体育専攻を卒業している。大阪教育大の板野選手は教育学部スポーツ科学教養学科スポーツ専攻(現・教育協働学科スポーツ科学専攻)の出身だ。  国立大学で東京学芸大、大阪教育大出身者からオリンピック代表が生まれるのは、教員養成系大学または教員養成系学部に、体育教員養成課程、スポーツ科学専攻などが設置されていることも大きい。これらの大学にはスポーツ実技があり、ポテンシャルの高いアスリートが入学する。  また、国立大学のなかには優れた指導者によってオリンピック代表を育てるところがある。その1つが福島大だ。  東京2020大会に福島大出身者はいないが、08年、12年、16年に3大会続けて同大学から代表が生まれた。累計で7人を数え、いずれも陸上である。08年は学生1人、卒業生4人の5人がオリンピックのトラックを走っていた。このなかで「イケクミ」こと池田久美子さんが知られている。また、久保倉里美さんは3大会で代表となった。  地方国立大学の学生がどうやって世界と戦えるアスリートになったのか。同大学陸上競技部の川本和久監督による独自の指導が大きい。  川本監督は自著でこう話している。 「入学当初からすごい選手だったと思うかもしれませんが、実はそうでもありません。もちろん、才能も実力もありましたが、まだ荒削りで、走り方もきちんと習ったことのない子たちが大多数です。そんな彼女たちに教えることは、速く走るには、それなりの方法があるということです。『走ることとは』から始まり、力の伝え方やそのタイミング、そのための体の使い方の基本を頭にたたき込み、まずは理解させます。それを選手たちが、体の感覚として実感し、その精度を高めていくのです」(『福島大学陸上部の「速い走り」が身につく本』マキノ出版 2008年)  川本監督は筑波大体育専門学群出身で、1984年に福島大教育学部(当時)の助手、陸上競技部監督に就任した。91年文部省(当時)在外研究員としてアメリカ、カナダに滞在中、カール・ルイスのコーチ、トム・テレツから指導法を学ぶ。08年大会の5人出場以降、福島大の川本監督の名前は、全国の高校生アスリートに知れわたっていた。彼の指導を受けたいと、遠路、福島大を目指した学生も少なくなかった。 (文/教育ジャーナリスト・小林哲夫) <前編「京大、名大、一橋大から東京五輪代表に 国立大出身の「文武両道」アスリート」から続く>
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畑岡&稲見のメダルの可能性は? 五輪女子ゴルフ、韓国勢と笹生らがライバル
ゴルフ競技に日本代表として出場する畑岡奈紗(左)と稲見萌寧 (c)朝日新聞社  東京五輪の女子ゴルフ競技は、4日から7日まで4日間の72ホールストロークプレーで争われる。112年ぶりに正式種目として復活した前回のリオデジャネイロ五輪では、韓国の朴仁妃が通算16アンダーで2位のリディア・コ(ニュージーランド)を振り切り金メダルに輝いた。  日本代表は米ツアーを主戦場にする野村敏京が、通算9アンダーをマークし4位タイと健闘。銅メダルまであと一歩に迫り、もう一人の大山志保は通算8オーバー42位に終わったが、それぞれが国を代表する大舞台で貴重な経験を積んだことだろう。  五輪競技復活から2度目の開催となる東京五輪には、日本から畑岡奈紗と稲見萌寧が出場し金メダルを目指す。男子は新型コロナウイルス検査で陽性となり欠場を余儀なくされた選手や、ダスティン・ジョンソン(米)のようにツアーを優先するため来日を見送ったものもいるが、女子は資格のあるプレーヤーがこぞって参加予定。真の世界一を決めるに相応しい大会となりそうだ。  世界ランキング9位で五輪に臨む畑岡は、先月11日まで開催されていたマラソンクラシックで米ツアー4勝目を挙げた他、6月の全米女子オープンでは、優勝した笹生優花とともにプレーオフを戦い2位。250ヤードを超える飛距離と安定したショットとパットを武器に、ハイレベルなプレーを続けている。  大会前には畑岡の声がけで男子代表の松山英樹、星野陸也と舞台となる霞ヶ関カンツリー倶楽部での練習ラウンドが実現。五輪でなければあり得ない豪華ラウンドを共にし、男子プロのアプローチのテクニックなどをしっかりチェックした。  畑岡は茨城県出身。1999年生まれの22歳で、昨今女子ゴルフ界の中心にいる「黄金世代」の一人だ。霞ヶ関CCはジュニア時代から親しんだコースで、大会用に大規模改修されたとはいえ、海外選手に比べれば圧倒的な地の利がある。アドバンテージを生かして、世代の代表として快挙達成なるか注目したい。  6月28日時点の世界ランキングで畑岡に次ぐ日本勢2番手の27位となり五輪への切符を手にしたのが稲見だ。  当初は畑岡こそ五輪出場が確実視されていたが、2番手を争っていたのは渋野日向子と古江彩佳で稲見は「圏外」にいた。ところが今年に入ると明治安田生命レディスで優勝し、ヤマハレディースオープン葛城、富士フイルム・スタジオアリス女子オープンで連勝。この後も2勝し、2021年だけで5勝をマーク。圧倒的な強さを見せ、滑り込みで代表入りを決めた。  稲見の強さは「練習の虫」から生まれたスイングの再現性にあると言われる。それを証拠にパーオン率は74.47%で2位、フェアウェイキープ率74.35%も12位と高い水準で、さらにパーセーブ率は90.13%でトップとショートゲームにも長けている。またゴルフ以外にもウェイトトレーニングやキックボクシングなど主にスタミナ作りや体幹強化にも取り組んでおり、他の女子プロたちと一線を画しているのも特筆すべきところだ。  これまで世界のトッププロとプレーをする機会はほとんどなく、大舞台での経験が浅いところは畑岡と異なる部分だが、今年のプレーを見る限りビッグタイトルへの期待は膨らむばかり。31日まで楽天スーパーレディースでプレーしていた稲見は休みなしで五輪に挑むことになるが、それが吉と出るか凶と出るかも注目される。  海外勢に目を移すと、五輪連覇を目指す朴やネリー・コルダ(米)、コ・ジンヨン(韓)、レキシー・トンプソン(米)など一流どころも当然目を引くが、ここはフィリピン代表として五輪に臨む笹生のプレーが楽しみだ。  日本とフィリピンの国籍を持つ笹生は、今年の全米女子オープンで日本人女子三人目の海外メジャー制覇を達成。フィリピン人としては男女を通じて初となるビッグタイトルを手に入れた。  ロリー・マキロイ(北アイルランド)に憧れる20歳の笹生は、スイングがマキロイと「激似」。女子プロとは思えない飛距離を武器に、昨年の国内女子ツアーでいきなり2連勝すると、一気にスターダムにのし上がった。快挙を成し遂げた全米女子オープン以降も先月出場した米ツアーの2大会はともに5位と調子は上々。五輪で参加する国籍は異なるが、故郷でのプレーに当然気合も入るはずで、畑岡、稲見にとっては手強いライバルとなることは間違いない。  果たして畑岡と稲見は日本にメダルをもたらすことができるのか。あるいは笹生が、またまたビッグニュースをフィリピンに届けるのか。4年に一度の決戦はまもなくティーオフする。
東京五輪注目競技
dot. 2021/08/03 18:00
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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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