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“リアルアナ雪” 眞子さんが突きつけた女性皇族の「存在の曖昧さ」と「公と私」
矢部万紀子 矢部万紀子
“リアルアナ雪” 眞子さんが突きつけた女性皇族の「存在の曖昧さ」と「公と私」
10月26日、小室眞子さんと圭さんは都内ホテルで結婚の記者会見を行った。会見は約12分で終了した(c)朝日新聞社  10月26日、小室眞子さんが結婚、皇籍を離脱した。妹の佳子さまは26歳、愛子さまは今年12月、20歳になる。女性皇族という存在の曖昧さと、その「公」と「私」という問題が突きつけられている。AERA 2021年11月8日号から。 *  *  *  リアルアナ雪──SNSの世界では、そう命名されたそうだ。10月26日、秋篠宮家を出発する眞子さまと妹の佳子さまとのハグのことだ。映画「アナと雪の女王」に重ね、ネットでは「尊すぎる」などと感想が飛び交ったという。儀式なし、一時金辞退、そして「複雑性PTSD」と引き換えのように実現した結婚だった。旅立ちの最後のハグ、眞子さまは一生忘れないだろう。  さて「眞子さま」はここまで、ここからは「眞子さん」とする。26日、眞子さんは小室圭さんと結婚、2人で記者会見に臨んだ。眞子さんはその席で、「婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした」と述べた。「お母様の元婚約者の方への対応」「留学」を例に、「私がお願いした」と言い切った。  これまで私は、眞子さんを「優等生」だと思っていた。「天皇陛下(現在の上皇陛下)の初孫」として生まれたのだから当然、と。が、この日は全く違った。 「結婚を主導してきたのは私」と表明すると同時に、小室さんへの批判を「一方的な憶測」「誤った情報」「謂(いわ)れのない物語」とし、それらに抱いた感情を「恐怖心」「つらく、悲しい思い」と強い言葉で表した。 ■人生は自分が決める  眞子さんは吹き荒れる逆風に、心の傷を負った。それでも結婚を貫く強さがあり、最後に「主導」を表明した。「自分で決めてきた」という説明であると同時に、「これからも自分の人生は自分が決める」という宣言のようにも感じられた。  眞子さんの結婚を通し、「皇室の『公』と『私』」が注目されるようになった。公の存在ではあるが、天皇も皇族も一人の人間。そのことに国民がどう向き合うかという問題だ。  眞子さんの結婚について、秋篠宮ご夫妻と共に佳子さまもコメントを発表した。中に「結婚に関して、誤った情報が事実であるかのように取り上げられたこと、多くの誹謗中傷があったことを、私もとても悲しく感じていました。そのような中でも、姉と小室圭さんがお互いに支え合う姿を近くで見てまいりました。本日、2人が結婚できたことを嬉しく思っております」という一節があった。  佳子さまは、「本音」を明かすのが上手だ。批判するというより、前向きに伝える。姉の結婚を応援する気持ちもはっきり表明していた。そこから、佳子さまの「皇室を出たい」という気持ちを勝手に読み取っていた。眞子さんと共有する気持ちだろう、と。姉の結婚を通し、佳子さまは「公と私」の問題を考えに考えたはずだ。これから佳子さまは、どうするのだろう。 26日朝、秋篠宮邸を出発するにあたって、妹の佳子さまと抱き合う小室眞子さん(c)朝日新聞社 ■女性宮家と佳子さま  皇室には「人手不足」問題もある。眞子さんの結婚で、皇室の構成員は17人になった。30歳未満は、佳子さまと愛子さまと悠仁さまの3人だけ。だから、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」が議論されている。  実現すれば、佳子さまが第1号となるのが自然な流れだろう。それを佳子さまが望むのか、気がかりでならない。「女性宮家」が実現しても、女性皇族という存在の曖昧(あいまい)さは解消されそうにないから、余計にそう思う。そもそも女性皇族は、「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」(皇室典範12条)としか定められていない。男系男子が継承する皇室で何をする存在なのか。  眞子さんは会見で、「皇族としての仕事を、自分なりにできる限り大切に果たそうと努めてまいりました」と語った。そう、眞子さんは公務に勤しむ女性皇族だった。初の単独公務は学習院女子高等科2年生の2008年。15年、英国のレスター大学大学院を修了すると、すぐに日本テニス協会名誉総裁に就任。同年12月にエルサルバドルとホンジュラスを訪問、以後中南米を6カ国、ブータンと合わせ計7カ国を公式訪問している。 ■公務邁進型の皇族像  この「成人前から開始」「学業終了後に本格化」という公務邁進(まいしん)型女性皇族像は、天皇陛下の妹、黒田清子さんが築いた。清子さんは学習院女子高等科の3年間、両親(上皇陛下と美智子さま)と全国高校総体に臨席、学習院大学1年で初の単独公務、卒業3年後のブラジルを皮切りに、36歳で結婚するまで14カ国を公式訪問した。  04年、35歳の誕生日にあたって清子さんは、「公務は常に私事に先んじるという陛下のご姿勢は、私が幼い頃から決して崩れることのないものでした」と文書で述べている。「私より公」が清子さんの規律だ。ただ、こうも述べている。「内親王という立場は、先行きを考えるとき、将来的にその立場を離れる可能性がどうしても念頭にあるため、(略)継続的な責任ある立場に就いたりすることは控えてきたということはあるかもしれません」(02年、33歳の誕生日の文書回答) 愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎える。会見で何を語るかが注目される(宮内庁提供)  清子さんが控えた「責任ある立場」に就く女性がまだ少ないから、日本のジェンダーギャップ指数は21年も120位。それを「とても残念なことです」と語ったのは佳子さまだ。10月10日、「国際ガールズメッセ」でのビデオによる挨拶だった。「今後、ジェンダー平等が達成され、誰もがより幅広い人生の選択肢を持てるようになることを、自らの可能性を最大限いかす道を選べるようになることを、それが当たり前の社会になることを切に願います」と述べた。それが佳子さまの時代感覚だ。  そして天皇陛下の長女愛子さまが今年12月1日、20歳になる。成人にあたっては、記者会見が恒例になっている。愛子さまはそこで、何を語るだろうか。 ■困難は国民全体のもの 「成人前からの公務開始」という清子さん、眞子さんの路線を愛子さまは取っていない。母の雅子さまが「適応障害」という病を得て、長く苦しんでいることが影響しているかもしれないと想像する。令和になってすぐに「コロナ禍」が広がったという事情も大きいだろう。そもそも皇室全体で、国民と直接触れ合う機会が激減している。 「愛子天皇待望論」がメディアから消えることがないのは、悠仁さまは「次男の長男」で愛子さまは「長男の長女」という“ねじれ”があるからだ。それなのに政府は、「女性、女系天皇」問題の議論を避けている。  怠慢ではないだろうか、と書いたところで眞子さんに戻る。  会見の最後、眞子さんはこう言った。「今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております」  昨年11月、眞子さんは「お気持ち」を発表、「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と訴えた。この時に感じた「心を大切に守りながら生きることの困難さ」を眞子さんは国民全体のものと捉えていた。そして、「心を大切に守りながら生きていける社会」となることを望んでいた。  眞子さんはこれまでも今も、「公」と共にある。そう思うと、とても切ない。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年11月8日号
皇室眞子さま
AERA 2021/11/02 08:00
映画監督・脚本家、岨手由貴子 出産、移住…すごろくのように自分の人生が進むことで新しい映画が撮れる
中村千晶 中村千晶
映画監督・脚本家、岨手由貴子 出産、移住…すごろくのように自分の人生が進むことで新しい映画が撮れる
金沢と東京を行き来して作品を撮る。いま自分がいる場所、時代を映すことが理想だ(撮影/倉田貴志)  映画監督・脚本家、岨手由貴子。映画「あのこは貴族」は、見えにくい日本社会の階層や格差を描き、話題となった。TAMA映画賞も受賞した。この映画を監督したのが岨手由貴子。脚本制作では、富裕層の暮らしが分からず、200回以上、書き直した。子育てと仕事の両立を考えたとき、東京では暮らせないと、金沢に移住した。普通の暮らしの、普通の感覚が映画を撮る鍵になる。 *  *  *  9月の日曜日、石川県金沢市の空はどこまでも青かった。市内をとうとうと流れる犀川(さいがわ)の水は澄みきっていて、どんより雨続きだった東京とは打って変わった清涼な風が心地よい。 「遠いところまで、ありがとうございます」  ベルを鳴らすと、岨手由貴子(そでゆきこ)(38)が出迎えてくれた。奥から夫・中島雄介(37)と子どもたちがニッコリと顔を出す。その光景はとてつもなく「ふつう」で、平和で、あたたかかった。  岨手の存在を知ったのは2015年、長編デビュー作の「グッド・ストライプス」だ。倦怠期のカップルが妊娠を機に同棲を始め、結婚するまでのストーリー。育った環境も性格も違う男女の差異を自然な会話と所作で表現し「あるある」の共感でプッと笑わせる。その世界に魅了された。  そして今年2月に公開された「あのこは貴族」。「あたしたちって、東京の養分だよね」とぼやく地方出身の苦労人女子・美紀と、東京・松濤生まれのお嬢様・華子。一見、交わることのないような2人の人生がつかの間交差し、それぞれに一歩を踏み出していく。見えにくいけれど、確かに存在する日本社会の階層や格差を透かしながら、現代を生きる女性たちをリアルな息づかいで描ききった。女性の生きにくさだけでなく、男性のつらさも内包した物語は男女問わず幅広い世代の共感を呼び、今年最初の賞レースとなる第13回TAMA映画賞で濱口竜介が監督した「ドライブ・マイ・カー」と並んで最優秀作品賞を受賞した。  華子を演じた門脇麦(29)は岨手を「日常の些細なこと、人が見逃してしまいそうなキラキラッとした瞬間をキャッチすることに長(た)けていて、それをドラマチックに作品に盛り込む方」だと言う。 第43回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2021」で映画監督の今泉力哉(中央・左)らとともに最終審査員を務めた。自身の経験を語りながら丁寧に作品を講評し、後輩たちにエールを送る(撮影/倉田貴志) 高1で学校を辞める選択青春18きっぷで全国を回る  例えばお嬢様である華子が、実家の台所でジャムの瓶に指を突っ込んでなめるシーン。台本にはなく、現場で岨手に指示されたものだという。 「あれだけで華子のちょっと可愛らしいところ、子どもっぽいところもあるんだ、ということを見せる。華子は掴むのが難しい役でしたが、あの場面で『あ、近づけたかも』と思えた。とても立体的になるんですよね。岨手監督が演出すると」  自主映画で下積みをし、「グッド・ストライプス」で待望の商業映画デビュー、というさなかに結婚&出産。4年前に「老後資金1500万とか(当時)言われる時代に、いつまでも目黒区になんか住んでいられないわけで」(本人のコラムから抜粋)と、さっさと金沢に移住し、映画業界でもまだまだ珍しい多拠点生活を実現している。 「あのこは貴族」の撮影時は、夫に分厚い「家事&育児マニュアル」を作って渡し、3カ月間東京でウィークリーマンション暮らしをした。その決断力、行動力はどうやら幼少期からブレていない。  岨手は1983年、長野市で生まれた。2歳違いの兄と弟がいる。父・善久は病院勤めの外科医で、母・京子は元保健師。結婚後は専業主婦となった。岨手は小さいころから活発で自立心が強かった。「自分でこうと思ったらやりとげる子だった」と京子も証言する。 「4歳のころ『自転車の補助輪を外す』と言って朝5時にむくっと起き出して一人で公園に自転車を引っ張っていったんです。すぐに乗れるようになると2歳の弟を荷台に乗せて、知らないうちに遠くの友だちの家まで遊びに行っていました」  近所でも「ゆきちゃんって、おもしろいね」と評判だった。のんびり気質の岨手一家のなかで、やや異質な存在。そのキャラクターは京子の母、能登に暮らすおばあちゃんに似ているらしい。 「おなかのなかにあることをパッと発言するところや、猪突(ちょとつ)猛進なところが似ていますね。2人とも同じいのしし年なんですよ」(京子)  運動が得意で、中学時代はテニス部の副部長。ただ内心では体罰もありの部活に懐疑的だった。学校や社会で「こうだ」とされるものに違和感を抱いていた。そんな思いを言語化し、周囲に話すと「本当にあんたは口から生まれてきた」と半分あきれられ、半分おもしろがられた。  大きな転機は高1で訪れた。 「高校1年の途中から、どんどん教室にいることが苦痛になってきちゃったんです」  学校をサボって長野市内の映画館に通い、友だちとマクドナルドで感想を語り合った。「バッファロー’66」やウォン・カーウァイ監督作品などミニシアター系の映画に触れ始めたのもこの時期だ。自分も何かを表現したい。その欲求はあったが、手段はまだわからなかった。高1の終わりに学校を辞める選択をする。「一番つらい時期だった」と京子は振り返る。 「ありあまるエネルギーを上手に発散できないでいて、苦しいのだろうなと見ていても感じました」  両親は見守るしかなかった。岨手も回想する。 「外にいる間は前に進んでいるというか、新しい体験が続いているという気がして躁(そう)の状態。でも立ち止まってしまうと不安になる。家族のみんなは朝、それぞれ仕事や学校に出かけていく。私はTSUTAYAに行って、映画を借りて家で観る。そんなことを繰り返していました」  高2にあたる1年間は、青春18きっぷで全国を旅し、行った先で友だちの家に泊めてもらった。そんななかで岨手にある思いが芽生えていく。 「みんな『高校を卒業したら東京に行くんだ』とワクワクしている。私はこのまま何も努力をしなければ、一人だけ、長野に取り残されるんだ、と」  大検は取得していた。1年間の猛勉強の末に現役で大学入学を果たし、東京暮らしが始まった。 (文・中村千晶) ※記事の続きはAERA 2021年11月1日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2021/10/31 17:00
北京五輪のフィギュア団体戦のメダル獲得も視野に ペアとアイスダンス強化で
北京五輪のフィギュア団体戦のメダル獲得も視野に ペアとアイスダンス強化で
村元哉中&高橋大輔(むらもと・かな、たかはし・だいすけ)/2020年からカップルを組む。シングルで五輪メダリストの高橋が再び五輪メダルをかけアイスダンスに転向した。昨季の全日本選手権2位 (c)朝日新聞社  北京五輪に向けてのシーズンが開幕し、代表枠争いが早くもヒートアップしている。日本の出場枠は男女シングル各3枠、アイスダンス1枠、ペア1枠。その切符を手にするのは誰か。AERA 2021年11月1日号では、女子シングル、アイスダンス、ペアの各選手たちの現在のコンディションや戦略、各大会への意気込みなどを取材した。 *  *  *  日本女子の3枠は混戦を極めている。エースの紀平梨花(19)は9月から羽生のコーチであるブライアン・オーサーに師事しトロントに拠点を移したばかりだが、右足関節骨軟骨損傷でGPシリーズ1戦目のスケートカナダを欠場。「今後の試合に向けて治療に専念します」といい、実績もあるため、NHK杯と全日本選手権に選考を賭ける。五輪までに4回転サルコーをどこまで仕上げられるかが重要になる。  台風の目は17歳の松生理乃だ。伊藤みどりや浅田真央を育てた山田満知子、樋口美穂子の門下生で、トリプルアクセルを練習中。10月のジャパンオープンでは回転不足ながら片足で着氷した。ジャンプ力と美しい滑りとのバランスも魅力だ。 「シニア1年目なので、守りに入らず、しっかり自信を持って挑戦していきたい」  4年越しで五輪を狙う樋口新葉(20)も、今季は初めてクリーンにトリプルアクセルを成功。 「4年前の悔しい気持ちを忘れず頑張ってきた。最後まで集中を切らさず自分の演技をしたい」  と絶好調で、五輪レースで先陣を切っている。三原舞依(22)も、3シーズンぶりの国際大会となるアジアンオープントロフィーで坂本花織(21)を抑えて優勝。紀平の代打でスケートカナダ出場も決まり「五輪への思いは強くなった」と再起を誓う。 ■ロシア女子は異次元  平昌五輪を経験した坂本と宮原知子(23)はスロースタート。坂本は新プログラムの表現に苦戦し、宮原はジャンプで試行錯誤しているが、ともに実力者だけに、全日本選手権までには調子を上げてくるだろう。 紀平梨花(きひら・りか)/昨季の全日本選手権で4回転サルコーを決め2連覇。2018年のGPファイナル優勝。今季はけがでGPシリーズカナダ大会欠場を発表 (c)朝日新聞社  一方で、ロシアの女子は異次元のジャンプ競争を展開している。15歳のカミラ・ワリエワは、トリプルアクセルと2種類の4回転を持つ。フィンランディア杯では249.24点で世界最高点を更新し、五輪金メダルの最有力候補となった。昨季の世界女王アンナ・シェルバコワ(17)と、3位のアレクサンドラ・トルソワ(17)はともに複数の4回転を操る。また世界選手権銀メダルの24歳、エリザベータ・トゥクタミシェワは8年越しの五輪出場を狙い、19年GPファイナル女王のアリョーナ・コストルナヤ(18)もトリプルアクセルは復活傾向だ。  ロシア女子の一角を日本女子が崩せるか。トリプルアクセルは最低限必要になるだろう。  また今回の北京五輪は、日本として初めて団体メダルの可能性が浮上している。まず三浦璃来(19)、木原龍一(29)組は、初めて組んだ瞬間から技の相性が良かったというペア。昨季の世界選手権は10位だったが、今季9月の国際大会では目標の200点超えを果たして優勝。 「世界と戦う自信がついて、夢が現実的に見えてきた」(木原) ■高橋大輔のソーラン節  さらにアイスダンスは、2組が切磋琢磨している。小松原美里(29)、ティム・コレト(30)組は、コレトが日本国籍を取得したことで五輪出場が可能になった。また昨季からアイスダンスに転向した高橋大輔(35)は、平昌五輪経験者の村元哉中(28)と組み、表現の幅をさらに広げている。今季のリズムダンスに高橋自身が「唯一無二のプログラム」と称する「ソーラン節」のアレンジ曲を選び、米国での大会では高い評価を得た。  日本は、ソチ五輪も平昌五輪も団体戦は5位だったが、ペアとアイスダンスが強化され、メダルにぐっと近づいている。  コロナ禍のなか、多くの制限をむしろ力に変えた選手たちは、力強く成長してきた。誰もが「やり切った」と言えるシーズンになることを願いたい。(ライター・野口美恵)※AERA 2021年11月1日号より抜粋
AERA 2021/10/31 09:00
まさかの「落選危機」甘利幹事長が3日連続で地元にべたばり 自民党から不満続出も
上田耕司 上田耕司
まさかの「落選危機」甘利幹事長が3日連続で地元にべたばり 自民党から不満続出も
甘利明氏(写真/上田耕司)  自民党の甘利明幹事長は自身の出馬する神奈川13区で「落選危機」などと報じられ、幹事長としての全国行脚がストップ。選挙終盤の10月28日から最終日までの3日連続で地元に朝からベタばりして、駅頭や公園などをまわっていた。  この13区では野党共闘により、共産党が候補者の擁立を公示日直前に取り下げ、立憲民主党新人の太栄志(ふとり・ひでし)氏に一本化。甘利氏と太氏の一騎討ちとなっている。  選挙序盤の21日には、甘利氏は余裕しゃくしゃくでこうツイートをしていたものだった。 「本日は地元選挙区での決起大会でした。選挙期間中地元に入れるのは今日の2時間だけ。よってタスキをかけるのもこの2時間だけ。コスパの悪い選挙備品だね。でもその分、同志の応援に全国を走り抜けます」(10月21日)  もう地元には戻らないつもりだったらしい。確かに愛知県、青森県、東京都など各地の応援に連日まわったが、今ではそんな余裕は消し飛んでしまったかのようだ。  29日午後3時半過ぎ、甘利氏の「街頭演説会」が行われる綾瀬市のスーパー前の駐車場で待っていると、選挙カーからこんなアナウンスが聞こえてきた。 「甘利明本人は地元に戻ってまいりました。このあと、みなさまの前で直接、ご挨拶させていただきます」 選挙カーから演説する甘利明氏(写真/上田耕司)  駐車場には200人くらいの市民が集まっていた。甘利氏が選挙カーから下りてくると、拍手が起こる。甘利氏は「コスパの悪い備品」だったはずのタスキをかけ、白い手袋をし、選挙カーに乗って演説した。綾瀬市内だけで3カ所を回ったという。  演説後、甘利氏に「公明党の票が伸び悩んでいると聞きますがいかがですか?」とたずねたが、何も答えず、聴衆とのグータッチや写真撮影をするばかり。  その当日夜、海老名駅前でも、街頭演説に立った甘利氏。演説後、報道陣の囲み取材があった。選挙情勢を問われると、 「非常に厳しい戦いで、とにかく誹謗中傷の中で戦っているわけですから。私自身、全力を出して戦っていくだけです」  と甘利氏。追い上げる太候補の“伸び”についてどう受け止めているかという質問には「どういう伸び方かというのは後で分析をしていただきたいと思います」とかわし、質問は2問だけで囲み取材を打ち切り、歩き始めた。 聴衆の関心を集めている(写真/上田耕司)  そんな甘利氏に、記者は「ご自身の政治とカネの問題についてお聞きしたい」と、直撃すると、立ち止まり、「まったく一点の曇りもありません」と答えた。「そうですか?」とたたみかけると、甘利氏は「明確です、明確です。ちゃんとあなたは聞いていないからです。そういうあなた方の……」と声のトーンが上がって怒りをあらわに。「(5年半前の金銭授受疑惑の時に説明せず)入院してたんすよね」と質問すると、「えっ……」と言ったまま、それ以上は答えなかった。  甘利氏とツーショット写真を撮っていた神奈川県内在住の女子大生は、こう感想を話した。 「きょうはたまたまショッピングで通りました。18歳なので、今度初めて投票に行きます。甘利さんと一緒に写真を撮れて、いい感じです。甘利さんの大学改革とか研究者を支援する姿勢がいいなと思っています」  過去の金銭スキャンダルについても聞いてみたが、「なにかあった気はするけど、覚えていません」(女子大生)。 「政治とカネ」の問題で閣僚を辞任した過去がある甘利氏。陣営の幹部は、甘利氏が必死になって地元にはりついている理由をこう説明する。 「甘利さんは自民党幹事長なので、圧倒的な差でもって勝たないと、今後の政局運営にもいろいろと影響が出てくる。結局、『全部、幹事長が悪い』と集中砲火されるから」  戦況はどうなのか。 「いろんなメディアで『厳しい』と書きたてられている。情勢分析も『苦戦』だとか『(太氏に)差を広げている』とかバラバラ。自民党の独自の調査では前回(12万7000票)のように楽勝とは思っておりませんけど、10万~12万票は取れる。十分な差をつけられるだろうと思っています」(陣営幹部)  とはいえ、「政治とカネ」の問題では批判にさられることもあるようだ。 「街頭でビラ撒きしていても、有権者から怒られたり、中指を立てられたりします。本当は4年前の衆院選挙で甘利さんは当選したんですから、既に国民の審判は済んだはずなんですよ」(甘利陣営の市議)  公明党は16日、衆院選の第3次推薦候補者として、甘利氏の推薦を決めた。「政治とカネ」の問題を抱えているため、甘利氏推薦が遅くなったとの見方もある。そういえば、前述の海老名駅前の甘利氏の街頭演説に、公明党議員の姿が見られなかった。 太 栄志氏(写真/上田耕司)  甘利陣営の関係者は「それは呼ばなかったからですよ」と言うが、公明党との関係は? 「甘利さんはもともと、公明党とそんなにベッタリではないんです。神奈川6区から公明党候補者が出ていた頃は、公明さんも一生懸命支援してくれましたけど、今回は出馬していない。そういう関係もあるのかなと思います」(甘利陣営関係者)  読売新聞10月21日付け朝刊では、序盤の選挙情勢として「党幹事長の甘利と太がしのぎを削る。甘利は自民党支持層の約8割を固めたが、公明党支持層の支持は5割半ばにとどまる」と報じた。  綾瀬市の甘利陣営の幹部はこう話す。 「それは序盤の情勢ですからね。公明党の市議会議員も立ち会い演説にきているし、『私たちも全員で回っています』と言ってくれています。それこそ、われわれ自民党の議員よりも力強くおっしゃっています。序盤は弱かったと思いますけど、だんだんと弾みがついてきたのかなと思っていますし、期待もしています」  一方の太候補は駅頭などで13時間マラソン遊説などを慣行。「逆転の道を与えてください」と呼びかけていた。太候補を直撃すると、こう話した。 「手応えはありますけど、まだ追いついてはいないですね。『政治とカネ』の問題では、自民党では許されても、一般の有権者は怒っていますよ。公明党員の方からも『がんばれ、比例は自民党だけど、小選挙区は太に入れる』と激励してもらっています」  甘利氏もこれまで選挙区で2回落選したことがある。 「だから、そんなに強いとは思っていません。これからの追い上げで、どう追い越せるかです」(太候補)  太陣営で応援演説していた大波修二・大和市議はこう話す。 「甘利さんは5年半前の金銭授受疑惑の時、病院に入院して説明責任を果たさず、追及されなくなったら出てきた。そういう人が自民党の幹事長になっていては、『政治とカネ』の問題を解決できないでしょう。私たちはお灸をすえたいのです。そういう政治を作るための闘いだと考えています」  首相官邸関係者はこう話す。 「甘利さんは幹事長でありながら最終日になっても、自身の選挙区にはりついている。それ自体、異例のことです。自民党内でも『仮に甘利さんが当選したとしても、全国各地の当落線上にある候補者を押し上げるべき立場の人が何をしているんだ』と不満が噴出しています」  そればかりではない。 「甘利さんが応援に入った選挙区は軒並み苦戦するのではないか、と言われています。人事でやりたい放題やって、選挙はグダグタ。甘利さんが当選しても、幹事長としての進退問題が出てくるのではないでしょうか。万一に落選したら、間違いなく政局に発展するでしょう」  いよいよ31日に審判がくだされる。(AERAdot.編集部・上田耕司)
dot. 2021/10/30 19:30
きゃりーぱみゅぱみゅ「『若いから』でなく、人を魅了できるようになりたい」
きゃりーぱみゅぱみゅ「『若いから』でなく、人を魅了できるようになりたい」
きゃりーぱみゅぱみゅさん(右)と林真理子さん [撮影/写真部・戸嶋日菜乃、ヘアメイク/カワムラノゾミ]   今月、デビュー10周年記念アルバム「キャンディーレーサー」が発売予定のきゃりーぱみゅぱみゅさん。作家・林真理子さんとの対談では、意外なデビューのきっかけや今後の目標など語ってくれました。 【前編/きゃりーぱみゅぱみゅ「クレカの限度額は30万ぐらい。最近まで通帳の残高も知らなかった」】より続く *  *  * 林:今日のお洋服もかわいいですね。 きゃりー:ありがとうございます。今日は私服で、自分でコーディネートしました。 林:中世の女の子っぽい、イノセントな感じがめちゃくちゃかわいいです。今日はこのイメージで、と決めてお洋服を選ぶんですか。 きゃりー:真理子さんは頭がよくって、文学の世界の方なので、今日はちょっとインテリ系で、文学少女をイメージしました。 林:まあ、ありがとうございます! うれしいです。もっと華やかなお洋服かと思ったら、黒で統一して。 きゃりー:私服は、こういう黒とか白とかベージュみたいな色味が多いですね。 林:きゃりーさんは原宿でスカウトされたんですか。 きゃりー:16歳のときに原宿を歩いてたら、当時は雑誌のスナップ隊がたくさんいて、「Zipper」とか「KERA」という原宿系の個性的な雑誌にスナップされたのがきっかけでした。おしゃれして原宿に行って、写真を撮ってもらって、人気の雑誌に載せてもらえるってすごくうれしくて。 林:読者モデルですね。そのときはふつうの女子高校生だったんですか。 きゃりー:そうです。「CAPSULE」と「Perfume」がメチャクチャ好きで、中田ヤスタカさん(作詞・作曲家、プロデューサー)がつくった楽曲のリスナーみたいな感じでした。 林:それが、なんでこんなにすごい存在になったんですか。 きゃりー:いま所属してる事務所が当時、「原宿スタイルコレクション」という読者モデルさんたちを集めたファッションショーみたいなのをやっていて、友達のモデルさんがそこに所属してたんです。そこに私もついていって、今の社長さんに「きゃりーはどんな曲を聴くの?」って聞かれて、「CAPSULE」聴いてます、と言ったら、「俺、中田ヤスタカと仕事してるから、今度DJイベントにおいでよ」って言われて、高校生も体験できるDJイベントみたいなのに行ったんです。そこで中田さんとお会いして、仲良くなって、「おもしろそうだし、デビューしてみる?」って。 きゃりーぱみゅぱみゅ [撮影/写真部・戸嶋日菜乃、ヘアメイク/カワムラノゾミ] 林:そんなに簡単にデビューできちゃったんだ。 きゃりー:でもあとで聞いたら、ちょうど別のプロジェクトの話が急になくなってしまったところで、ピンチヒッターだったらしいんです。たくさんの偶然が重なって、デビューに至りました。 林:スターの誕生って、そういう偶然が重なるんですね。私はきゃりーさんを「ファッションモンスター」から「わ~、おもしろい」と思って見てたんだけど、最近のヒット曲って、私みたいな年齢の人たちが口ずさむってことがほんとに少ないんですよ。でも、あれは老若男女、日本人はみんな口ずさんでましたよね。 きゃりー:「ファッションモンスター」はフェスで歌っても盛り上がるし、カラオケで「歌って」って言われて歌うとみんな喜ぶし。 林:えっ、カラオケできゃりーさん自身があれを歌ってくれるの? きゃりー:歌います、歌います。カラオケ大好きなんです。 林:それはすごい。そして社会現象になって、本当にモンスターみたいになっていったけど、きゃりーさんのファンって、やっぱり女性が多いんですか。 きゃりー:それが、今は6対4ぐらいの割合で男性が多いんです。最初は圧倒的に女性が多かったんですけど、だんだん男性が増えてきましたね。 林:それはおもしろいですね。 きゃりー:じつは、「奇抜さ」を薄めると一気に男性ファンが増えます。“奇抜”というだけで男子は「別の世界の人」「遠い存在」みたいになっちゃうみたいで。逆に、髪をナチュラルな茶髪にして、服装も少しシンプルにすると、急に男性ファンが増えます。その分、“奇抜好き”な女子が少し減っちゃったりとか。ファン層って、そのときそのときのビジュアルとか楽曲で変わっていきますね。 林:“出待ち”なんかでコワい思いをしたことなんてありません? きゃりー:ああ、1回だけありましたね。ただ、私のファンの方、たとえば私が結婚したとして、それで怒るような方は少ないですね。むしろ「幸せになってくれるならよかったよ」って思ってくれるファンのほうが多い気がします。 林:じゃ、いつでも結婚できますね。 きゃりー:うーん。アイドル扱いじゃないと、自分では思ってますけどね。 林:まあ、人それぞれ幸せがあるわけで、結婚してもしなくてもいいし、好きな人と暮らすのが幸せだと思ったらそうすればいいし。 きゃりー:結婚が最終ゴールじゃないってことは、いま特に、時代的にもそうだなって感じます。いろんな人がいて、いろんな個性があるから、その人のなりたいようになったらいいんじゃないかなって思いますね。 林:そうですね。音楽の世界では、「歌姫」と言われる先輩の方々で、メンタルがやられてしまった方が何人かいますけど、社会現象を生み出すぐらいまでになっちゃうと、やっぱりすごく大変なんだろうなと思いますよ。私、新幹線でたまたま某「歌姫」と乗り合わせたことがあって、彼女、護送されるみたいに頭から何かかぶって、手を引かれて一連隊が移動していったんです。「大丈夫かな」と思ったことがありますけど、きゃりーさんは大丈夫そうですね。 きゃりー:事務所もレコード会社さんも、私をちゃんと「いち、人(ひと)」として扱ってくれてるなってすごく思います。仲もいいし、仕事場とはいえいろんなお話をするので、そこがリラックスの場所になってるのかなと思います。 林:(スタッフを見て)今日もすてきなお姉さま方に囲まれて、楽しそうにいらっしゃって。 きゃりー:ここに来る前、みんなでおうどんをテイクアウトして、事務所で食べてから来ました。毎日お弁当ばっかりで働いてると「ウ~ッ」となるんですけど、ちゃんと息抜きの場所をつくってくれるのでありがたいです。 林:じゃ、メンタルをやられちゃうなんてことはないわけですね。 きゃりー:それと、期待されすぎてないのがいいかもしれません。私に対して「ビッグになってほしい」とかいう期待が、あまり直接的に伝わってこないので、プレッシャーみたいな部分は、そんなにズキンと来てないです。 林:10年の節目を迎えて、これからこういうアーティストになりたいとか、こういう歌を歌っていきたいとかいうのはあるんですか。 きゃりー:子どものころから歌を目指していたわけでもなく、ただただ中田ヤスタカさんがつくる楽曲が好きで、その中田さんに曲を書いていただいているという今のこの現状がほんとに幸せなので、これがずっと続けばいいなと思ってます。もともと高みを目指してないタイプなんです。 林:あ、そうなんだ。 きゃりー:とはいえ、「きゃりーぱみゅぱみゅっていつまでやるの?」って、地元の友達に半笑いで言われたこともあって。こうやって髪を二つ結びにしていることもそうですが、私がやっている「原宿系」って、「若いから価値がある」って判断されやすいんです。でも、「若いから」でなく、人を魅了できるようになりたい。11年目からは、そういうことを考えていきたいと思っています。 林:そうなんですね。 きゃりー:日本は、女性が若ければ若いほど「カワイイ」「きれい」とか言われるけど、フランスなんかだと、年を重ねた女性のほうが美しいとされる文化があるっていいますよね。だから、誰もたどり着けなかった、そのフェーズに行けたらいいなと思ってますね。 林:きゃりーさんってミステリアスで、今まであまり肉声が伝わってこなかったけど、こうしてお話を聞くと、非常に知的なお嬢さんですね。 きゃりー:「“不思議ちゃん”なんじゃないか」とか、「派手だから常識がないんじゃないか」とか、そういうイメージがあるみたいですね。だから、初めてお話する方は、私が「ふつうに」話すだけで、「意外!」って好印象を持ってくれるみたいで。そういう意味では、得かもしれないですね。特別なことをしなくても、いい意味で、びっくりしてくれる方が多いんです。 林:私もちょっとびっくりしちゃった。今日はいろいろ意外なお話も聞けて楽しかったです。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) きゃりーぱみゅぱみゅ/1993年、東京都生まれ。2011年、中田ヤスタカプロデュースのミニアルバム「もしもし原宿」でメジャーデビュー。アルバムに「ぱみゅぱみゅレボリューション」(12年)、「なんだこれくしょん」(13年)、「ピカピカふぁんたじん」(14年)、「じゃぱみゅ」(18年)など。個性的なファッションや表現で、国内外から支持を集め、過去に4度のワールドツアーを開催。10月27日にデビュー10周年を記念するアルバム「キャンディーレーサー」が発売される。※週刊朝日  2021年11月5日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/10/30 11:30
紀子さま友人が願う「穏やかな日々」 眞子さまに背中で見せてきた紀子さまの思いとは
矢部万紀子 矢部万紀子
紀子さま友人が願う「穏やかな日々」 眞子さまに背中で見せてきた紀子さまの思いとは
1992年8月、軽井沢で生後9カ月の眞子さまを抱く紀子さま (c)朝日新聞社  これまで多くの公務に真面目に律義に取り組んできた眞子さま。その歩みを振り返ると、眞子さまの人柄や紀子さまの思いが見えてきた。AERA 2021年11月1日号から。 *  *  *  眞子さまの一番有名な映像は1993年8月の軽井沢、「犬との遭遇」だと思う。もうすぐ2歳になる眞子さまは、紀子さまに抱かれていた。そこにやってきた散歩中のゴールデンレトリバーが、手を伸ばす眞子さまにジャンプした。「こわいー」としがみつく眞子さまに、紀子さまは「お友達になりたいのね」と言った。可愛い眞子さまと若く賢い母の紀子さま。この映像は、何度も放送された。 「あれが紀子さまの教育の本質です」。そう語るのは志賀律子さん。学生時代、「東南アジア青年の船」で紀子さまと一緒になって以来の友人だ。物事は捉え方ひとつで違う面が見えてくると考える紀子さまだから、ごく自然に「怖い」を「お友達」に切り替えた。「天然」で、誰にも優しく接する紀子さまなのに、眞子さまとボツ交渉だとか、職員にきつく当たるなどと書かれている。そういう報道は匿名の「関係者」が語っていてモヤモヤする。娘を遠くに送りだす紀子さまの心が、少しでも軽くなってほしい、と志賀さん。  紀子さまは18年、秋篠宮さまの誕生日に当たっての会見に同席、眞子さまのことを「母親として」と断り、語った。結婚が延期され、体調が悪くなる中、それでもブラジル国内14カ所を訪問した眞子さまのことを「本当によく頑張っているな」と褒めた。 「待っていてくれる人がいると、紀子さまはいつも言っています。そして、そういう姿を背中で子どもたちに見せてきました」と志賀さんは言う。 ■勤め帰りの「普通」の姿  秋篠宮さまと眞子さまは10月5日、パラグアイ政府から勲章「国家功労勲章特別大十字型章」を贈られた。秋篠宮さまは06年、日本人のパラグアイ移住70周年にあたって同国を訪問。眞子さまは16年、80周年にあたって訪問、18年の歌会始(お題は「語」)で眞子さまは、「パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る」と詠んだ。 13年12月、宮内庁鴨場(かもば)での外交団接待で紀子さまとカモを放つ眞子さま (c)朝日新聞社  眞子さまにとって初の海外公式訪問は15年、エルサルバドル、ホンジュラス。16年がパラグアイで、18年がブラジルだった。遠い中南米だが、眞子さまは行く先々和服に着替え、お言葉を述べた。16年の歌会始(お題は「人」)で詠んだ「広がりし苔の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる」は、石川県小松市「苔の里」で歌碑になっている。15年の訪問での思い出を詠んだもので、内親王の歌碑は珍しいという。  などなど、眞子さまはエピソードも真面目で優等生なものが並ぶ。だから19年7月、女性週刊誌のグラビアで眞子さまの写真を見た時は、しみじみとした感情に見舞われた。 「勤め帰り」の眞子さまだった。非常勤の特任研究員として勤める東京大学総合研究博物館を出て、迎えの車に乗ろうとする眞子さまは、薄いピンクのニットに明るい紺色の花柄のスカートを着て、メガネをかけていた。この写真で、公務の時の眞子さまはコンタクトレンズをしているのだと想像した。次に「コンタクトレンズ時々メガネ」は、「視力の良くない女子あるある」だと思った。そして、「眞子さまにも“普通”があるのだな」としみじみとしたのだ。  26日の記者会見の行方を前出の志賀さんは案じている。紀子さまもきっと心配だろうと想像している。何とか乗り越え、穏やかな日々が眞子さま、そして紀子さまに来ることを願っている。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年11月1日号の特集「眞子さま結婚 批判の深層」より抜粋 ※敬称は取材時のものです
皇室
AERA 2021/10/29 08:00
女子フィギュアの“ロシア一強”に終止符を! 台頭する日本の新星スケーターたち
女子フィギュアの“ロシア一強”に終止符を! 台頭する日本の新星スケーターたち
日本女子フィギュアの期待の星・島田麻央 (c)朝日新聞社  現在フィギュアスケートの女子シングルでは、圧倒的な強さをみせるロシア勢が世界を牽引している。だが高難度ジャンプに挑む日本の少女たちには、近い将来ロシア勢に対抗し得る存在となる可能性がある。  10月30日に13歳の誕生日を迎える島田麻央は、今季のフリーで、チェスの天才少女を描くドラマ「The Queen’s Gambit」の曲を使っている。スピード感あふれるダイナミックな旋律は、並外れたジャンプの才能を持つ島田にぴったりだ。  10月10日、近畿選手権・ノービスA(6月30日時点で11~12歳のクラス)女子に出場した島田は4回転トウループに挑み、1.90の加点がつく出来栄えで決めている。今年3月の京都府選手権に続き、2回目となる成功だった。過去に4回転を成功させた日本女子は安藤美姫と紀平梨花の二人だが、安藤と紀平は4回転サルコウを跳んでおり、4回転トウループを跳んだ日本女子は島田が初めてということになる。また10月23日に行われた全日本ノービス選手権でも4回転トウループを着氷させており、もう習得済みだと言っていいだろう。  島田は昨季、全日本ノービス選手権でトリプルアクセルにも挑んでおり(回転不足で転倒)、歴代最高得点を出して優勝している。さらに全日本ジュニア選手権でも3位に入り表彰台に乗ったが、これはノービスの女子としては2000年に安藤美姫が3位に入って以来20年ぶりとなる快挙だった。  ジャンプを降りた後も姿勢を美しく保ち、すべての要素を丁寧に行う島田の演技には、真面目な性格がにじみ出ている。島田は2022年北京五輪には既定の年齢に満たず出場できないが、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪での活躍が期待される。  島田が素質を開花させたのは、昨年2月に東京から京都に転居してからだ。東京に父を残し、母と妹と一緒に京都に引っ越してきたのは、木下アカデミーで練習するためだった。 「第二のマオ」の呼び声高い島田麻央 (c)朝日新聞社 「スケートをもっともっと頑張るために(京都に)来たので、『毎日練習を一生懸命やらないと』と思っています」(島田)  宮原知子や紀平を指導した濱田美栄コーチに師事し、優秀な仲間と恵まれた環境で自分を磨く日々が、島田の快進撃につながっている。  昨季の全日本ジュニアで2位に入ったのも、木下アカデミー所属のスケーターだった。現在16歳の吉田陽菜はトリプルアクセルを武器にしており、シニアを含めても日本屈指といえる安定感を誇る。昨季の全日本ジュニアでもトリプルアクセルを決めており、「先生に『思っていたようなアクセルが跳べていた』と言われたので、その時はすごく嬉しかった」と喜びを語っている。しかし、続けて「その後に『トリプルアクセルを2本入れられるように練習しなきゃ』と言われた」とも口にしており、濱田コーチが常に上を目指すよう導いていることがうかがわれた。  そしてその言葉通り、今年10月の近畿選手権・ジュニアに出場した吉田は、2本のトリプルアクセルを成功させている。しかも1本目は後ろに3回転トウループをつけて決めており、これは世界的にも跳ぶ選手が少ないコンビネーションジャンプだ。また快活な印象を与えるきびきびした滑りも、吉田の魅力になっている。  昨季の全日本ジュニアで、吉田は「ノービスの選手は安定感もあるしすごく上手なので、負けたくはないですが、応援もしている。年齢は違うかもしれないですけれども、お互いいい刺激になって、頑張っていけたら」と語っている。北京五輪シーズンである今季、あえてジュニアに残る選択をした吉田は、次の大舞台を見据えているのではないだろうか。  切磋琢磨して成長し続ける少女たちが、2026年のイタリアで、日本代表としてロシア勢に真っ向勝負を挑むかもしれない。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
フィギュアスケート島田麻央
dot. 2021/10/26 18:00
キャンディーズのLPに残された遺書「いまさみしくってしょうがない」ある少年の自殺
キャンディーズのLPに残された遺書「いまさみしくってしょうがない」ある少年の自殺
遺書はキャンディーズのLPの上にあったという…(※写真はイメージ/Gettyimages)  訴状、蹶起趣意書、宣言、遺書、碑文、天皇のおことば……。昭和・平成の時代には、命を賭けて、自らの主張を世の中へ問うた人々がいた。彼らの遺した言葉を「檄文」という。  保阪正康氏の新刊『「檄文」の日本近現代史』(朝日新書)では、28の檄文を紹介し、それを書いた者の真の意図と歴史的評価、そこに生まれたズレを鮮やかに浮かび上がらせている。今回は、キャンディーズのLPの上に残された遺書から、昭和53年の少年のさみしさに迫る。 *  *  *拝啓おれは今、レコードをききながら泣いている。これからはどうやって生きていいかわからない。ただいろんなことを考えているだけだ。おれなんか、死んだ方がいいのかな。死んで天国に行きたい。田舎に帰りたかった。いまさみしくってしようがない。 ■いまさみしくってしようがない─少年の自殺  16歳の少年、江尻富美雄(仮名)は、キャンディーズのLPの上に、この遺書をのこして逝った。昭和53(1978)年3月16日正午すぎ、江尻少年の死体は都営地下鉄工事現場のコンクリート製水槽(高さ3.7メートル、幅7.3メートル、奥行9.5メートル)の水底で発見された。場所は東京都千代田区九段1の1、いわば東京の中心地である。この自殺を報じた読売新聞は、「さびしい、田舎に帰りたい―少年作業員 工事現場で自殺」と社会面の一部をさいた。  しかしほとんどの新聞は黙殺した。なぜだろうか。  なにしろこの日は、もうひとつ女子高校生の自殺があった。大学の進路を文科にするか、理科にするか悩み、あげくのはてに日赤医療センター敷地内宿舎屋上からとびおり自殺をはかったのである。こちらのほうが、たしかに人びとの関心を集める。おりしも教育過熱の時代ではないか。  少年作業員の工事現場での自殺は、女子高校生よりはるかにニュース価値が低いということだろう。とにかくこの少年の死は、都会人の関心をさそうにはあまりにも条件が悪かった。 ※写真はイメージ/Gettyimages  私はこの新聞記事が気になった。新聞記事のなかに、江尻少年が自殺したのは、「寂しいので泣いている。彼女もできない。いなかに帰りたい」などの走り書きがあり……という一節にも関心を持ったが、それより江東区のアパートの一室に住み、そこに遺書が置かれていたというのを知ったからだった。  そのころ私は、ある老人の生き方を追いかけて、江東区のアパートを訪ねては取材していた。貧相なアパートであった。ドアをあけると4畳半の部屋のまんなかにコタツがあり、あとはピンク・レディーや西城秀樹らのポスターが壁にはってあった。それが不自然であった。孫のような歌手たちの笑いのなかで、老人はテレビを見ては、一日をすごしていた。  江尻少年の自殺を新聞記事で読んで、私は陽当たりの悪い部屋でテレビにかじりついている老人を思った。もし少年であれば、あんな環境には耐えられぬだろうと思った。江尻少年が作業現場に寝泊まりしていたのなら、私の関心をひかなかった。しかし江東区の陽のあたらないアパートの一室で、「寂しいので泣いている」少年の像は、あまりにもむごい感がする。  昭和54年4月、サンケイ新聞は、少年の自殺をとりあげた。たまたまこの企画のなかで、江尻少年がとりあげられた。そこで私は、彼がのこしていた冒頭の遺書の詳しい内容を知った。中学生時代の同級生に宛てたものという。 「おれは今、レコードをききながら泣いている。これからはどうやって生きていいかわからない」  この一節は、大仰にいうなら、深遠をつくことばである。レコードをきいているうちに、己れのいまがなんとも空しくなるというのは、しばしばあることだ。そんな経験はだれにでもある。しかしだれもがそれに耐えている。そういう経験をとおして、私たちは成長していく……。  16歳の少年が、なぜ死んでいかなければならなかったのかを追いかけていくと、そこにはこの時代がかかえているあらゆる問題がひそんでいることに気づく……。この少年は時代に押しつぶされた犠牲者だということがわかってくる――。 ※写真はイメージ/Gettyimages  まだ世の中のことを寸分も理解しないでいる少年が、地下鉄工事の現場で自死するのは、この社会がかかえている矛盾をひとりでかかえていった姿ともいえる。大変失礼な推測をする。もし彼が犯罪者に転じて、そのことにより“社会的発言”を得るようになったら、たちまちのうちに“守る会”なるものが、その発言を武器にするだろう。実際にそういう例があるではないか。  しかしひたすら「レコードをきいて泣いている」少年には、だれもふりむいてはくれない。そこにまたこの社会の二重の残酷さがある……と私は思う。  江尻少年は、昭和36年12月16日に生まれた。高度成長政策が進められたころに生まれたのである。推測すれば、物質的に恵まれた環境が用意されている世代のはずだ。  実家は福島県の小さな町にある。そこには祖父母と母親、そして小学生の弟がいる。サンケイ新聞の報じるところでは、彼の自殺を東京の警察が伝えると、母親は絶句し、つぎに弱々しく汽車賃の心配をしたという。そこに家庭環境の一端がのぞかれる。  少年は地元の中学を卒業すると、すぐに神奈川県藤沢市の電機会社に就職した。仕事は、ベルトコンベアの作業工程の監視だった。彼に必要なのは、目と手だけである。じっと流れてくる部品を見つめているだけだ。それも限られた時間いっぱいつづける。神経は疲れる。仕事を終えると、会社の体育室でピンポンをして寮に帰ってくる。あとはテレビを見るだけだ。  平凡な日々のくり返し。  そこには彼なりに満足感はあったろう。なぜならここにいる限り衣食住が保証されるからだ。ときに家庭へ仕送りをしている。しかしこういう生活に耐えるには、ある種の諦観とか割り切りが必要になる。そこに達するには、彼はまだあまりにも若すぎた。  中学時代、少年は野球部にはいっていた。万年補欠だった。それでも退部はしなかった。家に帰るより、学校にいるほうがまだ楽しかったからともいう。そういう楽しさを、人生のあきらめにむすびつけるのは、彼にはあまりにも厄介な営みだった。 保阪正康著『「檄文」の日本近現代史 二・二六から天皇退位のおことばまで』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る  昭和53年2月、彼は電機会社を辞める。すでに人生の輪郭を知った中年の社員たちが、懸命にとめる。しかしそれをふりきるように辞めていく。彼は、衣食住の代償として毎日8時間から9時間も拘束されつづける仕事が耐えられなくなったのだ。それをだれが辛抱がたりないといって責められよう。  その後、彼は叔父を頼って東京に出てくる。  叔父が地下鉄工事に従事していたので、その手伝いをすることになった。1日5500円の仕事。といってもとくべつにむずかしい仕事ではなかった。  地下鉄工事に従事する労働者は、30代か40代の屈強な者が多い。経験こそが工事を円滑に進める鍵なのである。そのなかにあって、十代のこの少年は、あまりにも弱々しく痛々しい。  この仕事についてまもなく、2メートルの高さのヤグラからすべり落ちて怪我をしている。事実、1カ月ほど共に働いた労働者は、その痛々しさと仕事の不慣れに同情していたのだ。  5500円の日給は、彼にとっては高額に映る。  電機会社の単調さから救われ、そのうえこれだけの金がはいる。しばしば藤沢にある電機会社の寮にも遊びに行ったという。土産を渡し、ときに椀飯ぶるまいをした。それがたとえ少年の見栄であっても、そのこと自体に彼自身が満足感を味わっていたとするならば、それはそれで人生勉強のひとつであっただろう。  少年の自殺のあと、彼の部屋をのぞいた叔母は、布団とボストンバッグ、そして一台のプレーヤーがあるのを見つけている。4畳半の部屋に、彼の楽しみをあらわすのはプレーヤーだけだ。  レコードが一枚あった。キャンディーズのLPだったという。キャンディーズは、半年前に「ふつうの女の子に戻りたい」と、解散宣言をし、その素朴さが若者の気持をとらえた。彼女たちのヒット曲「春一番」のなかに、 <もうすぐ春ですねえ>  という歌詞がある。青春の息吹をたたえる歌詞が散っている歌。三人の女性がハーモニーをとりながらくり返し歌う。  感情を刺激し、そしてレコードがとまる。 ※写真はイメージ/Gettyimages  思うに、少年は、4畳半の部屋でなんどもなんどもLPをかけていたのだろう。それをききながら、彼は泣きつづけている。なんのために……なぜ自分が生きているのか、生きつづけるのか、それをたしかめようとする。そのことを知ろうと希求する。しかし彼にはそれがわからない。16歳、彼の年齢の90%はまだ高校1年生である。 <もうすぐ春ですねえ>をきいて泣きつづける少年。夜、地下鉄工事で地下10メートルの地底にもぐり、そして昼はアパートにかえってキャンディーズのレコード。そのくり返しに、こんどは初めの職場、電機会社の単調さとちがう耐えられなさを見つけていただろう。  だが地下鉄工事もまた永遠の彼の仕事になりうるかどうか。都会の喧噪をぬうように、都会が寝静まると同時に、地下にもぐっていく生活。周りにいるのは30代か40代の男たちばかりだ。少年はまだ一人前でない。労働の意味もしらない。屈強な男たちが工事の基本ともなるべき土砂運びをし、重いコンクリートを運んでいるとき、筋肉もかたまっていない少年はどぎまぎしているだけだ。仕事の邪魔にさえなりかねない。  少年は故郷を思う……そこに友人もいる。肉親もいる。しかし彼を受けいれる職場はない。  3月10日すぎ、彼の姿が工事現場から見えなくなった。ここにきて40日を経たときだ。心配した叔父は、捜索願をだす。まだ子どもだから仕事もあきっぽいのだろう、どこかで遊びあるいているのかもしれん――しかし4畳半をしらべてはじめて遺書をのこしているのを知る。  遺書はLPのレコードの上にのせられていた。  姿が見えなくなってから1週間後、彼の姿は水槽のなかから発見される。彼の働いていた職場の一角にある水槽であった。カーキ色の作業衣と長ぐつ姿。ズボンのポケットに、11000円と25円の硬貨があった。中学時代の友人に宛てた遺書、それに女性の友だちに宛てたらしい手紙が投函されずにあり、それらが、彼の遺志をはかる、のこされたすべてであった。 保阪正康著『「檄文」の日本近現代史 二・二六から天皇退位のおことばまで』(朝日新書)※Amazonで本の詳細を見る  肉親宛ての遺書はない。肉親に別れを告げる遺書より、彼自身の心の悩みをそのまま書きのこすことで、江尻少年は<時代>に宛てての遺書を書いたことになる。 「死んで天国に行きたい」「いまさみしくってしようがない」――。  16歳の少年の本音だろう。彼は本音のままに死んでいった。土曜日の夜の新宿、日曜日の昼の原宿、そこにはこの少年と同じ境遇の少年が無数にいる。田舎に帰りたいが帰れない少年、4畳半で泣くだけの少年、しかし彼らはとにかく新宿や原宿で、自己発散をしてつかのまの解放感を求めている。  私が取材した老人は、もう人生の終焉を迎えていた。いまの4畳半の生活で、好き勝手のできる境遇は幸せすぎるほどだといっていた。  そういう老人たちの人生は、戦争によって狂わせられたにもかかわらず、「しかし生きのこっていることで、私は幸せなのだ」といいつづける。その意味を、死んだ江尻少年や、原宿や新宿に集まる少年が理解するには、まだ幼すぎる。所詮、人間はたったひとりで生きていく動物なのだということを知るには、彼らは子どもでありすぎる。だが江尻少年の死は、この時代がいつかこういう層によって反撃を受ける予兆であると断言できる。  この少年の苦しみを歪曲して“政治化”しようとする勢力が生まれ、それが時代の主流になれば、社会はより苦悩に満ちたものになる。勉強部屋と塾だけにとじこめておこうと願う母親への“秀才生徒”の反乱は、江尻少年の自死と同根である。彼らもまた、 「これからはどうやって生きていいかわからない」  と悩んでいる。この悩みを放置すれば、いつか政治がまちがいなく<死>へとつながる道に進む。いまふえている一連の少年、少女の自殺は、次代の断面をきびしく断罪しているのである。
朝日新聞出版の本読書
dot. 2021/10/25 17:00
「産まれる!」15歳の女子中学生が立ち会った保護猫の初出産 大切なことは猫が教えてくれた
水野マルコ 水野マルコ
「産まれる!」15歳の女子中学生が立ち会った保護猫の初出産 大切なことは猫が教えてくれた
小柄ながら良きママぶりを発揮しためい(撮影・水野マルコ)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ新連載「猫をたずねて三千里」。今回、お話を聞かせてくれたのは東京都在住の女子中学生たくみさん(15)。両親が保護した野良猫のお腹に思いがけず赤ちゃんが宿っていて、家でいちばん落ち着けそうな、(一人娘の)たくみさんの部屋で出産させることになったのです。お産と育児の見守りから親子の別れまで、はらはらドキドキ……。猫をめぐるひと夏の物語。 *  *  *◆帰宅したら白猫が部屋に しかもお腹には……  オリンピックで「真夏の大冒険」という解説があったけど、私もこの夏、大きな経験をしました。猫をめぐる出来事です。  5月半ば、学校から帰ってきたら、母が「あなたの部屋に白い猫がいるから」と。見にいったら、少し汚れて灰色っぽい毛の猫がいました。父の会社のビルの脇に迷い込んだ猫で、父と目が合うと追いかけて歩道に出てきて戻らなかったらしいのです。それで、父から連絡をもらった母が迎えにいきました。  その2日後、学校から帰ったら、「猫に赤ちゃんがいる」と母にいわれてびっくり。健康診断に連れていって妊娠がわかったそうです。 めいが住んでいたビルの隙間(提供)  獣医さんがいうには、「1歳未満。野良で育った猫で、これが初産」。家族会議をして、「おうちで産ませよう」と決まりました。当面、めいちゃんは私の勉強部屋で過ごすことに。今までにも猫を保護したことはあるけど、お産は初めて。家族中でドキドキです。  ママ猫の名前は、「めい」にしました。ビルの隙間の暗い所にいたので、「明るい名にしてあげよう」と父が言い、『となりのトトロ』に出てくる女の子からもらいました。 出産前。日に日にお腹が大きくなり、お乳もめだつように(提供)  めいちゃんは本当に人懐こく、家に来て3日目で膝にぴょんっと乗ってきました。私が寝そべると胸や背中にも乗ってくる甘えん坊さんで、とっても可愛い猫。  とにかく、めいちゃん自身が健康で“無事に産む”ことが大事ですからね。  ネットで調べると、「産箱」があると猫が落ち着いて産んで、そこでお乳もあげられるとわかり、作ることにしました。  段ボールは、父が「これどうかな」と会社から新品を持ってきてくれました。片方の側面に切り込みをいれて、扉が開くようにして、めいちゃんが自由に出入りできるようにしました。箱の中にはビニールシート、バスタオル、ふわふわな毛布を敷いてあげて、天井にバスタオルをかけて完成。  病院で「(子猫は)2匹はいる」と言われたので、産箱の“表札”にめいと2匹の子猫の絵を描きました。  ちょっと早いけど、勉強部屋の床に産箱を置いてみたら、めいちゃんが「これなに?」と興味深そうに入ってくれたので、よし!って感じでした。  出産予定日は、6月20日。 (7月前の)中間試験と重ならないといいな。学校に行ってる平日の昼でなく、休みの土日がいいと密かに願ってました。めいちゃんも初めてのお産で不安かもしれないので、立ち会ってあげたかったのです。  毎日のように写メを撮っていると、少しずつ、めいちゃんのお腹が大きくなるのがわかりました。さらに予定日が近づくと、お腹の一部の毛がぽつぽつ抜けて、おっぱいが目立ちはじめました。でも予定日になっても私には気配は感じられず。けど、ご飯はいっぱい食べていました。めいちゃんはママになる準備をしているようでした。 手作りした産箱に入るめいちゃん(提供) ◆まさかの噛みつきとリアルモミモミ  予定日から6日経ったころ、不安になって母の知り合いの猫のボランティアさんに、ラインで質問してアドバイスをもらいました。 ――お産箱は作ってタオルも敷きつめました。他に家族が準備するものはありますか?  とくにありませんが、急場の時のために、はさみと消毒液、糸などがすぐ出るようにするといいかもしれません。 ――ネットで胎盤を食べてしまわないようにと書いてありました。出産後に食べてしまうことあるのですか?  少し下痢をするかもしれないけど、食べても大丈夫だと思いますよ。  このアドバイスに従って、すぐにはさみや消毒液などのアイテムを用意しました。すると翌日の日曜、ついに「その時」が! お産の2日前、たくみさんと遊ぶめいちゃん(提供)  昼前、部屋で勉強していると、めいちゃんが急に鳴いてうろうろ歩き回って。「産まれる!」と思って両親を呼びにいきました。  私はベッドに産箱を載せて固唾を飲んで見守りました。めいちゃんはベッドの上で、苦しそうにのたうちまわるように動いている。いてもたってもいられず、「わっ、何かしなきゃ」と思わずめいちゃんの傍にいくと、私の腕にしがみつくようにして、ガブ~ッと噛んだんです。血が出て痛くて泣きそうになったけど、めいちゃんはパニックになるほど必死なんだ、子ども産むのって大変なんだ……って思いました。  ほどなくして、最初の子猫が出てきました、めいちゃんはその子をすっとくわえて産箱へ連れていきました。  それから2匹、3匹、と産箱の中で続けて産んで。めいちゃんは子猫の濡れた体を全部なめてきれいにしました。そう、2匹でなく、3匹いたんです! 「1時間くらいで無事に産まれた」とボランティアさんに報告すると、「よかったね、ママ猫が体調を崩しがちになるので、高栄養のご飯をあげてください」と返事がきました。「そうか、これからが大事なんだ!」と身がひきしまりました。  子猫はオス1匹、メス2匹でみんな黒っぽい柄。みんな可愛い。白猫が産まれるとばかり思っていたので、ちょっと意外でした。 無事に産まれてママのお乳を飲む子猫たち(提供)  産まれた子たちは自分でおっぱいを探して、ミルクを飲みました。その時、初めて“リアルモミモミ”を見て、感動しちゃいました。  子猫たちの体重を計るためにちょっと抱いても、めいちゃんは怒らなかったので、ほっとしました。3匹の体重は、だいたい100g前後で“標準”です。  実は、猫も母になると「強くなる」と聞いたことがあるし、めいちゃんも急に変わっちゃうかな、出産前にはそんな不安がわいて、ちょっとこわくなったりもしていたのです。  めいちゃんは、めいちゃんのまま、いいママになりました。子猫たちが寝ると産箱から出てきて床でゆっくりして、ミャアミャア鳴き声がすると、いそいでおっぱいを飲ませに箱に戻ってました。 ◆人に慣れて人を好きになるように  10日も経つと子猫の目が開いて、(ねずみっぽかったのが)だんだんと猫らしくなりました。生後3週でよちよち歩いて、4週目で部屋の探検を始めて。子猫たちが動きだすと、めいちゃんは、全員を“見渡せる”高さの机に登って見ていました。  5週目には、早走りしてドタドタ。机にも乗れるようになって、ノートにどかっと乗ったり、ペンに噛みついたり。危ないことがないように私も見守りました。膝に乗せながら勉強するのは憧れだったので、楽しかったな。  友だちやいとこも子猫を見に来ました。子猫を抱き抱えて遊ぶ様子を、めいちゃんはテーブルで“香箱座り”をしながら、じっと見張っていました。それがなかなかの貫禄なので、「ボスキャラ感がすごい」と言われたりして(笑)。 勉強部屋ですくすく育った3匹。左2匹は新たな家にお引越し(提供)  2カ月くらいして、部屋のキャットタワーを窓側に移動すると、喜んで乗ったけど、カーテンを引っ張ってビリビリにしちゃいました。本当に活発な子たち。   私も、子猫とできるだけたくさん遊んであげました。どこ(の家)にいっても大丈夫なように、人に慣れて、人を好きになるように……。  うちには先住犬と先住猫がいて、生まれた子猫みんなを飼うことができません。それで、子猫たちが生まれる前、めいちゃんのお産の準備をしている段階から、父や母の知り合いに「子猫が生まれます(欲しい方いませんか)」と声をかけて、探していました。  3匹の子猫の名前ですが、男の子はお花やさんの家にいくことになったので「お花」にして、雌は「ポンズ」と、「天(そら)」と名づけました。ポンズは父の友だちの家に行くことになりました。 勉強しながら子猫たちのお世話をしていました(提供)  天はなかなか決まらず、「うちで飼わない?」と両親に言うと賛成してくれました。いちばん最初に産まれてきたのが天なのですが、見たとたん、なぜか「この子だ(うちの子になる子だ)」と予感があったんです。めいちゃんは「おとなで貰い手がなかなかないかも」と、両親ははじめから家で迎えるつもりでいたので、結局、親子2匹が家に残ることになりました。 ◆2匹の子猫の旅立ち…めいちゃんは毅然としていた  3カ月後、2匹の子猫をついに送り出すことになりました。2匹との別れの時……私は何とも言えない気持ちになりました。 家に残った天ちゃんとめいちゃん親子。仲良し!(提供)  胸の奥がずーんと痛みました。もちろん、これから幸せになるためお引越しをするわけだし、新しい家族があたたかく迎えてくれることもわかっている。ただ、何もわからない子猫を裏切っているんじゃないかって気もして……。  そんな思いを救ったのは、めいちゃんでした。1匹ずつ、貰われていき、家には“残りが天ちゃん1匹”になっても冷静で、探すような素振りは見せませんでした。子猫が巣立った後も変わらず、私や母を慕ってくれました。めいちゃんの毅然とした態度もかっこよくて、落ち込んじゃだめだなって、思えたんです。  たくみさんに甘える天ちゃん「可愛い“押し”にゃんこ」(提供) ◆   猫たちが大切なことを教えてくれた  翌日から、めいちゃんと天も先住猫と先住犬と少しずつ会わせるようにして、今は、リビングでみんな一緒に過ごしています。  めいちゃんたら、後から仲間入りしたのに勇ましく、犬のバニラ君を見てパンチ、次に猫のみー君にパンチ。でもこの男子組は陽キャラ&マイペースなので、あまり気にしてない(笑い)。元々ビビりの猫のおとちゃんは「こわ~」とばかりに、私に頼ってくっつくようになりました。それはそれで嬉しいこと。最近では、めいちゃんが穏やかになって落ちついて、動物同士のバランスもいい感じになってきました。 家に馴染んだめい、黒猫みー君、陽キャラ犬バニラ(撮影・水野マルコ)  それにしても、濃い5カ月だったな。この出来事は、この先も記憶に残っていくと思います。  家族に馴染んで、必死に子猫を産んで、育てて、一途に見守って……とても大切なことを、勉強部屋で猫たちに教えてもらいました。  ポンズにもお花にも、ずっと元気でいてほしい。先住さんとも仲良くね。めいちゃんの子だもの、きっとだいじょうぶ! (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫とたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらに連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
ねこペット保護猫
dot. 2021/10/23 14:00
BTSを生んだ韓国の壮絶な競争社会 「努力、努力」と「レベルが違う」パフォーマンス
BTSを生んだ韓国の壮絶な競争社会 「努力、努力」と「レベルが違う」パフォーマンス
BTSは国連総会特別イベント「SDGモーメント」に出席、若い世代に向けて未来への希望を訴えた。(写真左から V、SUGA、JIN、RM、JUNG KOOK、JIMIN、J-HOPE)photo:gettyimages  世界を席巻する人気グループBTS。ファンは彼らについて「努力、努力で有名」だと話すが、その背景には韓国の熾烈な競争社会がある。AERA 2021年10月25日号から。 *  *  *  3048万回。BTS(防弾少年団)が9月20日朝に米ニューヨークの国連総会特別イベントで行った記念演説とパフォーマンスの、10月13日現在でのユーチューブ再生回数だ。  米ワシントン近郊に住む30代のコリアンアメリカン(韓国系米国人)男性は、演説直後の夜、このユーチューブを何度か再生した。「再生するたび、爆発的に回数が伸びていた。周囲の米国人でBTSを知らない人は誰もいない」と語る。  米メディアは演説の内容を次々に報道。ABCテレビは、BTSと文在寅韓国大統領をスタジオに招いてインタビューを行った。米フォックスニュースは10月3日、BTSが国連児童基金(ユニセフ)と提携した4年間で、360万ドル(約4億円)と何百万ものツイートを獲得したと報じた。BTSと所属事務所はユニセフとのパートナーシップを結び、2017年11月から韓国で「LOVE MYSELF」(私自身を愛そう)キャンペーンを展開してきた。あまりの反響に、韓国野党から「文在寅政権がBTSを政治外交ショーに利用した」というやっかみの声まで上がったほどだ。 ■勉強にもスポーツにも熾烈な競争がある  BTSは今回、若い世代に新型コロナウイルスのワクチン接種を呼びかけた。都内の私立高校に通う男子生徒(16)は、「国連という世界的な場所で、自分の好きなグループが自分に近い考えを語ってくれて感動した」と話す。都立高校に通う女子生徒(16)は9月20日夜、ユーチューブのライブ中継を見ていた。「バンタン(BTS)のパフォーマンスが終わった瞬間、視聴者の数が3分の1くらいになってびっくりした。それくらいの影響力。国連でスピーチした意味があったなと感じた。若者に人気があるグローバルスターがワクチンを打っていて、さらに勧められたら打つしかない」と話す。 BTSの国連総会でのスピーチとパフォーマンス動画は、10月13日現在、YouTubeで3千万回を超えて再生されている(photo:gettyimages)  この生徒にBTSの魅力を尋ねると、「グク(JUNG KOOK)とテテ(V)の圧倒的ビジュアル」「ホソク(J-HOPE)とJIMINの人を惹きつける圧倒的なダンス。基礎がありすぎてレベルが違う」と、立て板に水を流すように答えてくれた。そして「やっぱり、何より、努力、努力で有名なのがバンタンだから」と話す。 「努力」の意味は、韓国と日本では天と地ほども違う。韓国では勉強、スポーツ、芸能など、あらゆる世界が競争の場と化している。小学校高学年になれば夜10時くらいまでの学院(塾)通いは当たり前。多くの自治体が「深夜11時から朝6時まで塾の営業禁止」という条例を設けているほどだ。韓国統計庁によれば、韓国の高校生の1日の平均課外学習時間は8時間以上にも及ぶ。BTSのリーダーRMも母親が熱心に語学教育を施した結果、ネイティブ並みの英語力を身につけたという。  スポーツも、日本のような「学校教育の一環」「生涯スポーツ」という文化はない。運動部は一握りのエリートが、プロを目指して切磋琢磨する場になっている。  2010年3月、日本の文部科学省関係者が韓国を視察した。同年のバンクーバー冬季五輪で韓国チームが金メダル6個などの好成績を収めたからだ。だが、関係者は「とても日本では真似ができない」とため息をついた。韓国が五輪メダリストらに最高月額100万ウォン(約10万円)の生涯年金を支給するなどしていたからだ。  そんな競争文化を芸能分野に持ち込めばどうなるか。筆者は10年ほど前、当時最も勢いがあった4人組女性グループ「SISTAR」が所属する「STARSHIPエンターテインメント」を取材する機会があった。当時、この事務所には中学1年生から21歳までの男女15人の練習生が、合宿所と呼ばれるアパートで共同生活を送りながら、デビューの日を待ち続けていた。学校が終わるとダンスや歌の練習を午前零時ごろまで続ける。納得できなければ朝までやる。休みは平均で月1回ほどだという。それでも、デビューできずに事務所を去る子も大勢いる。デビューしても、成功するとは限らない。当時の事務所関係者は「芸能界で成功する確率は1%にも満たないかもしれない」と語っていた。 ■韓国のソフトパワーは米韓関係にも影響  こうした徹底した管理によるスター育成方法は「インキュベイティング・システム(孵化装置)」と呼ばれる。まさに、学校教育の1年から2年先を教える学院(塾)や、韓国エリートスポーツ制度そっくりだ。BTSの「レベルが違う」ダンスもこうした苦労の賜物と言える。  そして、K-POPは、海外市場を大切に扱ってきた。韓国大手紙の芸能担当記者は、その理由について「韓国市場は小さいし、国内の競争も激しいからだ」と語る。  この記者によれば、重要な海外市場は日本、中国、タイを中心とした東南アジア諸国になるという。  中国には巨大な市場がある。日本人は「一度ファンになると10年間は裏切らない」と言われるほど忠誠心が高く、CDやコンサートの関連グッズの売り上げも大きい。東南アジアの若い世代はソーシャルメディアでの貢献度が高い。BTSも数年前までは、ユーチューブの再生回数の多くを東南アジアの人々に頼っていた。  このため、韓国の各芸能事務所は競うように練習生に英語や日本語、中国語を学ばせている。BTSは元々、RM以外のメンバーは外国語に堪能ではなかった。数年前、米国のテレビに出演した際、ほとんどRMだけが発言していたほどだ。  しかし、BTSの成功で、韓国の各芸能事務所の「外国語熱」が更に過熱したことは間違いない。日本人や中国人、タイ人らのメンバーを加えているK-POPグループもある。  こうした海外戦略に支えられ、韓流文化は世界を席巻している。米国の戦略国際問題研究所(CSIS)が10月5日に開いたオンラインセミナーでは、BTSのほか、世界中で大ヒットしているNetflixのオリジナル韓国ドラマ「イカゲーム」や、昨年のアカデミー作品賞や監督賞などを獲得した映画「パラサイト 半地下の家族」が話題になった。セミナーに出席したクリントン政権で国防次官補を務めたハーバード大学のジョセフ・ナイ特別功労教授は、「韓国のソフトパワーは米韓関係や金正恩(朝鮮労働党総書記)にも影響を及ぼすだろう」とまで語った。(朝日新聞記者・牧野愛博)※AERA 2021年10月25日号より抜粋
AERA 2021/10/22 11:30
「忠犬系男子」町田啓太 気遣い&謙虚さに共演者も“うっとり”するモテっぷり
丸山ひろし 丸山ひろし
「忠犬系男子」町田啓太 気遣い&謙虚さに共演者も“うっとり”するモテっぷり
町田啓太(C)朝日新聞社  10月14日にスタートした江口のりこ主演ドラマ「SUPER RICH」(フジテレビ系)に出演中の町田啓太(31)。江口演じるベンチャー企業社長の波瀾万丈な半生を描く作品で、町田は周囲から“忠犬”と言われるほど社長に尽くす、秘書的存在の宮村空役を演じている。  これまでNHK連続テレビ小説「花子とアン」やNHK大河ドラマ「西郷どん」、ドラマ「中学聖日記」(TBS系)など数々の連ドラに出演し、正統派のイケメン俳優という印象のある町田。昨年10月期に放送された“チェリまほ”こと深夜ドラマ「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(テレビ東京系)で、同性の同僚に恋をするエリート役を自然かつコミカルに演じ、高い評価を得てさらに知名度がアップした。  その流れに乗って、2019年に発売されたファースト写真集「BASIC」(光文社)も増刷され、昨年12月には売り上げが累計5万部を突破。町田に対するSNS上の声を見ても、「町田啓太を今のうちに知っておけてよかった」「今まで見てきた芸能人の中でダントツのイケメン」「忠犬系男子…楽しみ」と、女性ファンはさらに増えているようだ。 「劇団EXILEのメンバーということに加え、整った顔立ちと抜群のスタイルで、“どこから見てもかっこいい”と、ビジュアルが注目されがちですが、その人柄も女性を惹きつけています。得意な家事について聞かれると『全部!』と返答。特に洗濯が好きで、洗濯物を干しているとすがすがしい気分になるそうです。また、なるべく部屋をきれいに保つため掃除もサボらないとか。そんな清潔感もポイントが高い」(テレビ情報誌の編集者)  非の打ちどころがないルックスでありながら、町田の場合は、謙虚さも垣間みえるところが好感度につながっている。 「ダウンタウンDX」(日本テレビ系、2019年3月14日放送)では、共演経験のある上白石萌音が「現場の女性スタッフ、みんなメロメロ」と、町田のモテエピソードを披露。これに町田は首を振って否定すると、上白石は「こうやって謙遜されますけど、もう認めちゃった方がいいと思うんですよ」と言い、さらに同番組で共演していた関口メンディーが「モテてんの本当に認めなくて、謙虚ハラスメントっていうか……」と、町田の謙虚さを指摘。また、「ウチのガヤがすみません!」(日本テレビ系、2019年3月26日放送)でも、高校時代の先生から「ダンスコンクールでは出待ちの女の子が100人弱はいた」と、高校生の頃のモテぶりを明かされるも、町田は「そんなことないです。先生方が盛ってくださった」と謙遜していた。 「謙虚さの中に相手への気遣いもあるので、性別を問わず好かれているのでしょう。以前WEBマガジンで明かしていたエピソードなのですが、撮影現場で弁当の量が足りず『ちょっと足りなかったな』とつぶやくと、大先輩が『自分の分も食べていいよ』と言ってくれたので、ありがたく弁当をもらったとか。すると、翌日からも『あげるよ! お腹空いてるでしょ』と弁当を勧められ、その時はおなかが一杯だったのに『はい!空いてます!』とウソをついて苦しみながら食べたと語っていました」(同)  演技に関しても先輩からの評価は高いようだ。女性週刊誌の芸能担当記者は言う。 「現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で、町田は土方歳三役を演じていますが、9月に放送された『あさイチ』(NHK総合)で主演の吉沢亮が“うっとり”した場面として町田の殺陣のシーンを挙げていました。あまりにもかっこいいので、渋沢喜作役を演じている高良健吾と『土方が出てきたら土方に持っていかれるね』という話になり、2人で『どうするか……』と会議をしたというエピソードがありました。そんな町田ですが、顔が整いすぎているので『かっこいい俳優』という認識で止まっていた人も多いはず。しかし、知名度が上がっていくと同時に、演技力に加え、謙虚さなど人の良さもジワジワと伝わってきたことから、ファンが増え続けているのでしょう」  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、町田の魅力と今後についてこう分析する。 「清潔感あふれる端正な顔立ちと、笑った時にクシャッとなる目尻の愛らしさ。大人っぽいルックスと子どものような笑顔のギャップが、多くの人の心をわしづかみするのだと思います。3年前の出演作『女子的生活』では、主演の志尊淳演じるトランスジェンダー・みきと共同生活をする大学の同級生・後藤を好演。有村架純主演の『中学聖日記』では、有村演じる主人公の婚約者として見事な演技を披露しました。今は多くのファンからの『こうあってほしい』という理想になるべく寄り添う時期だと思いますが、俳優としてはそのイメージを大胆に裏切って、冷酷に相手を追い込む非情なキャラクターや、常にドタバタして落ち着かないコミカルな役なども見てみたいところです」  ルックスだけでなく人間としても魅力的な町田。さらなるブレークが期待できそうだ。(丸山ひろし)
SUPER RICH劇団EXILE町田啓太
dot. 2021/10/21 11:30
高梨沙羅“3度目の正直”で金メダルなるか 五輪シーズンに向け、視界は良好
高梨沙羅“3度目の正直”で金メダルなるか 五輪シーズンに向け、視界は良好
前回の平昌五輪では銅メダルだった高梨沙羅 (c)朝日新聞社  スキージャンプW杯は10シーズンで勝利数60で、表彰台は109。男女を通じた歴代最多記録を打ち立てている高梨沙羅だが、五輪は過去2大会で4位と3位。その勝利を得る難しさをこう語っていた。 「自分の中では五輪で結果を残すことは、今まで支えてくれた人たちや、日本の女子ジャンプを切り開いてきてくれた先輩たちへの恩返しになると思っている。それを果たしたいと常々思っているけど、世界選手権も含めた大きい大会で勝てないのはなんでだろうと考えるけど、わからないんです。特に五輪は、4年間すべてを捧げてやってきたものがその一瞬、10秒程度が2回の合わせて20秒で決まってしまうじゃないですか。その20秒に4年間やってきたことを合わせる能力は何だろうと考えて……。アベレージを上げていくしかないと思うけど、『上げ切ったところで挑んでもダメな時があったよな』と考えると、もっと違う何かが必要なんだと思うし。どうしたらいいのかというのが単純にわからないんです」  だからこそそれを追求したいという思いは、2回の五輪と、個人は無冠だった6回の世界選手権を経験してさらに強くなっている。  平昌五輪シーズンはマーレン・ルンビ(ノルウェー)とカタリナ・アルトハウス(ドイツ)の躍進で、五輪とW杯総合1位と2位を占められた。ふたりはともにパワフルに踏み切るジャンプの精度を上げてきた。五輪では高梨も銅メダルを獲得したが、得点では上位を占めたふたりに大差をつけられた。  その流れに対抗するために、高梨もジャンプ台に力を伝える踏切に取り組み始めた。だがそれがジャンプを狂わせ、その後の2シーズンはW杯も1勝ずつで総合4位と落ち込んだ。だが、五輪プレシーズンになってそれが形になり始めた。 「最初の2年は本当に苦しくて、目指すところもよくわからないまま探り探りの状態だったけど、今年に入ってそれが形になり始めて自分の思った以上の結果も出すことができた」  こう話したように、今年1月31日のW杯ではジャンプ台にしっかり力を伝える踏切ができるようになって2位に。そしてその後は4戦3勝と調子を上げて世界選手権に臨んだ。  世界選手権はノーマルヒル3位でラージヒル2位だったが、ノーマルヒルは1本目にテレマーク着地をしっかり決めていれば優勝できた惜しい結果。さらにW杯総合も終盤には1位争いをし、最終戦7位で9ポイント差の2位という大接戦を演じた。  それでも「世界選手権は惜しかったと言われるが、まだ空中ができていないのでテレマークが決まらなかった。助走に滑り出しから始め、R(助走路の角度が変わる部分)の滑り、そこから踏切までと順番に取り組んできたが、まだ空中は手付かずなので。いい条件なら着地までスムーズに行けるが、追い風などの難しい条件に対応できる空中のスキルはまだできていない」と冷静に振り返っていた。  北京五輪の金メダル獲得へ向けてその取り組みを進めている高梨は、今年7月から10月までのサマーグランプリは、全7戦中4戦出場して1位1回、2位2回、3位1回で総合2位。優勝したチェコ大会と開幕のポーランド大会第1戦では飛型点も高得点を取り、改良の成果を見せている。  世界の状況を見れば、昨季は大きな変動があったシーズンだった。平昌五輪シーズンからW杯総合を3連覇していたルンビは世界選手権でのラージヒルこそ優勝したが、W杯は表彰台無しで総合8位と低迷。前シーズンはルンビと総合1位を競り合ったオーストリアのキアラ・ヘルツェルとエバ・ピンケルニッヒも不調とケガで低迷し、20歳前後の若手が一気に力をつけてきたのだ。  その中でも20年札幌大会で初勝利をあげた時に「昨シーズンは結果が出ないのでやめるつもりだった」と驚いていたマリタ・クラマー(オーストリア)は、19歳の昨シーズンはビッグジャンプを連発して7勝。新型コロナウイルスのPCR検査陽性で2試合出場できなかったが、それがなければ総合優勝は確実という勢いを見せていた。また高梨に競り勝って初の総合優勝を果たしたニタ・クリズナ(スロベニア)は20歳の選手だった。  11月下旬からW杯が開幕する今季、五輪連覇がかかるルンビは「体重管理で無理をしたくない」と、シーズンの欠場を表明している。サマーグランプリでは26歳のウルシャ・ボガタイ(スロベニア)が高梨を抑え、7戦で1位4回、2位2回で総合優勝しているが、W杯10シーズン中で18~19年に3位が2回あるだけで、昨季も総合16位と未知数な部分は大きい。 平昌五輪ジャンプ女子の表彰式で並ぶ(左から)2位のアルトハウス、優勝のマーレン・ルンビ、3位の高梨沙羅(C)朝日新聞社  平昌五輪2位のアルトハウスも昨季は総合9位ながらも大舞台に合わせてきそうな怖さはあるが、順当なら昨季一気に力を伸ばし、今季のサマーグランプリでも着実に表彰台に乗っているクラマーやクリズナ、エマ・クリネク(スロベニア・23歳、21年世界選手権ノーマルヒル優勝)、シルジ・オプセット(ノルウェー・22歳、昨季W杯総合4位)などの若手が高梨のライバルになりそうだ。  ただ、北京五輪のジャンプ台は、昨季1月にテスト大会としてW杯とコンチネンタル杯を開催予定だったがコロナ禍でキャンセルになっている。今年12月4~5日のコンチネンタル杯は予定されているが、男女ともW杯と重なっているのでほとんどの選手はぶっつけ本番になりそう。コンチネンタル杯が開催されれはどんな条件になりそうなジャンプ台かという傾向も少しわかってくるが、選手たちは完全に白紙状態で臨まなければいけなくなりそうな状況だ。  若手台頭の中でも着実にメダル圏内を維持している高梨だが、そんな条件での試合になれば、これまでの経験をうまくいかしたベテランならではの味を見せつけることができるかもしれない。(文・折山淑美)
スキージャンプ高梨沙羅
dot. 2021/10/19 18:00
工藤監督退任のソフトバンクに「ありがとう」 西武、阪神、ヤクルト…カンニング竹山の意外なファン遍歴
カンニング竹山 カンニング竹山
工藤監督退任のソフトバンクに「ありがとう」 西武、阪神、ヤクルト…カンニング竹山の意外なファン遍歴
カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬)  プロ野球ペナントレースも終わりに近づいて、ソフトバンクホークスファンのお笑い芸人・カンニング竹山さんは脱力感に包まれている。福岡出身だからホークスファンかと思いきや、意外な野球ファン歴の変遷とホークス愛を語り尽くす! *  *  *  今季1年間、ソフトバンクを応援していて、絶対に今年も優勝できると思っていたから、今、脱力感が強いですよね。  9月の日本ハムとの3連戦で3つ勝てば、絶対イケると思っていた。それが、1勝1敗1分けとなってしまった。そうしたら、なかなか優勝が難しくなってきますよね。今まで長年福岡ソフトバンクホークスを応援してきて、優勝かAクラスには入るわけですよ。シーズンは終わっていなくてまだまだ試合は続くわけですけど、久々にこの時期に、「あ、終わったな……」と。まだ優勝が100%なくなったわけではないですけど。  非常にぜいたくな話で、今まで毎年優勝を味合わせてくれて「ありがとうございます」なんだけど、「あぁ終わっちゃうんだ」って感じがしますね。ホークスがずっと強かったので、他の球団のファンの方からすれば、ずっと幸せな思いをさせていただいたんで、それに関しては「すみません」って感じですが。  この秋にホークスがもう優勝は無理だなとなって、初めてセリーグをちょっと見ましたよね。「巨人、今3位なんだ!」「巨人、こんなに若手ばっかりなんだ! 知らない選手だらけだ」と発見ばかり。セリーグで唯一わかるのはヤクルトスワローズ。ヤクルトはご近所で試合をやっているから、いつも気になっている。でも、セリーグは見なかったから「ヤクルト、めちゃめちゃ強くなってんだ!」と今知りました。ホークスしか見てこなかったんだなと気が付いた。  まぁ、ホークスが一生、強いってことはないし、千賀、グラシアル、モイネロ、デスパイネ、森唯斗とケガ人も多かったし、しょうがない……。「皆様お疲れ様でした」という気持ちです。まだ、100%優勝はないとは思っていませんけど。どうにかすれば、まかり間違ってAクラスにとも思っています。それでも「あぁ、今年はクライマックスシリーズのことを考えなくていいんだ……」と、この秋は落ち着いてプロ野球を見ている。NFLのシーズンが始まっているので、そっちも見ながらですが。まぁまぁ、しょうがないですよね、何年も楽しい思いをさせてもらって「ありがとう!」しかないですよね。 退任が決まったと報じられた工藤公康監督(C)朝日新聞社  そもそも、幼稚園か小学校1年生の時にクラウンライターライオンズのファンでした。その後、球団が西武鉄道グループの国土計画に買収されて西武ライオンズになって、埼玉が本拠地になった。僕は1971年生まれですが、当時、クラウンライターライオンズが西武ライオンズになって、僕の同級生たちは西武の野球帽をかぶっていた。福岡の子どもたちはそんな感じでした。  でも、僕はクラウンライターライオンズが好きだったので、西武ライオンズと言われても好きになれず、プロ野球チームでファンになれるところはないかと考えていたところ、小学校3年生の時に阪神を好きになった。当時はネットもないから本で調べて、封筒にお金を入れて、阪神タイガースの子どもの会に入会しました。球団ファンクラブから手帳とバッジが送られてきましたね。福岡の平和台球場で年に1回くらい阪神タイガース主催ゲームがあるんですが、周りに阪神ファンの子がいなかったから1人で行っていた。掛布さんがいた頃で夢中で応援していましたね。  阪神タイガースは強いわけでもなく、なんか、関西への憧れがあったのだと思う。子どものころは東京なんて見えていなかった。だから、東京は未開の地だったけど、関西への憧れは「都会へ行きたい」という上昇志向みたいなものがあったのかもしれない。  夢中で阪神を応援していたのは中学入るくらいまで。中学生になった頃、阪神が強くなって、周りの友達が「阪神、阪神」って言い出したのでイヤになってきて、「いやいや、みんな、巨人か西武しか見ていなかったでしょ」、それが阪神、阪神って言い出した。そこから、しばらく「どこファンですか?」って聞かれるのがイヤだった。部活でバスケットボールをやっていたというのもあったし、野球からしばらく遠ざかってしまった。  福岡で芸人を始めた頃、ホークスがダイエーに買収され、球団名が福岡ダイエーホークス、本拠地が福岡・平和台球場になった。当時、吉本興業に所属していて、ネタ見せの時に社員さんから「地元なんだからダイエーホークスのネタを作れよ」と言われた。「ダイエーホークスが好きだというネタも入れないとダメだ」って言われ、つまりは地元色を出せということですよね。それでも、ホークスが好きではないまま、上京をしました。 2020年日本一になったソフトバンクホークスの祝勝会(C)朝日新聞社  東京に来てからは、「どこのファン?」と聞かれたら、東京に住んでいるという理由だけで「巨人ファン」と答えていた。ある時、35歳の頃、ソフトバンクモバイル九州のお仕事をいただいた。福岡ヤフオク!ドーム(現・福岡PayPayドーム)行って、大きな旗を持って「新しい携帯電話が出ましたー!」って宣伝の仕事でした。そこで初めて知ったのが、球場でのファンサービスが素晴らしいんですよ。極端な事を言うと、1回から9回まで野球を見なくても楽しめるイベントがいたるところで行われていた。本当にファンの事をめちゃくちゃ考えてくれている。  自分が野球から離れていたので、そういう状態であることを全く知らなくて、僕が知っている時代のパリーグなんて、お客が入らない球団ばかりだった。それが、ドーム球場は満杯になるし、福岡の地元の人たちに愛されていて、小さな子どもたちや野球を知らない人たちでも楽しめる環境になっていて、感銘を受けたんですよね。「これはなんだ!」と驚いて、ファンを大事にする点でもホークスが大好きになったんです。  お金のある球団だということもあるかもしれないけれども、例えば「女子高校生デー」なんていう日にはレプリカユニフォームを来場者にバンバン配るわけですよ。スタッフに「女子高生デーってなんですか? イケメンが多い球団だからやっているんですか?」と聞いたら、イケメンが多いのもあるけど、福岡の女子高生の7~8割は地元に残って地元でファミリーを作るから、地元密着の球団としてはお母さんがホークスファンなら子どももホークスファンになってくれて、代々ホークスファンになってくれる。だから、若い子のファンを増やすことが大切なんだと教えてくれました。  また、ソフトバンクの孫正義さんという偉大な人がホークスにはついているから、何でもやることが早いんですよ。「お客さんが見やすいように、ここにこれを作ろう」なんて発想があると、何年計画で完成とかでなく、すぐできるんですよ。その辺も素敵だなと思う。そこから、ファンになりました。 ヤクルトスワローズ応援名物の傘をカンニング竹山さんも思わずクルクルと(C)朝日新聞社  ホークスファンなのは、「地元だからでしょ」と言われるんですが、実はそうではないんです。福岡ドームでのお仕事をいただけていなかったら、ヤクルトファンになっていたと思います。それはなんでかと言うと、よく後輩に「ビール飲みに行こうぜ」って、神宮球場にナイターを観戦しに行っていた。ある時、ヤクルト対中日戦を見に行き、東京音頭が始まって、近くにいたサラリーマンの方が「竹山さん、コレ持って応援してよ!」って、応援グッズの傘をくれたんですよ。「俺、ホークスファンだけど、大丈夫?」って聞いたら、「いいの、いいの、そんなの知ってるから! そういうのも迎え入れるのもヤクルトスワローズファンだから! 一緒に楽しみましょう!」って言われて。一緒に東京音頭に合わせて傘を回していたら、すっげぇ楽しくて(笑)。「俺、セリーグはヤクルトを応援しますから!」って言っちゃった。でも、「セリーグは」ね。  交流戦でソフトバンク対ヤクルトだったら、ソフトバンクを応援しちゃいますよ。僕の最高の日本シリーズはソフトバンク対ヤクルトを神宮球場で見る事なんですが、その夢は今季は破れて……。そんな日本シリーズがあったら、何度も言いますが、もちろんホークスを応援しますよ。今回、こうなったら、ヤクルトに優勝してもらいたい。傘をくださったヤクルトファンの方の優しさを一生忘れないですよね。その義理がありますので、ホークスの優勝がないのであればヤクルトを心から応援します!  好きな球団があるとか、僕はNFLのパッカーズも好きですが、そういうものが何かあると人生に張り合いが出ますよね。アイドルの推し、アニメおたくとか、鉄道好きとかも、好きじゃないと理解できない部分はあるけど人生の張り合いとしては同じ。趣味で何かそういうものがあった方が楽しいんだなと思いますよね。そういう時間を過ごす事は大事だなと。  共通の仲間ができるとさらに楽しいし、仲間が作りにくいタイプの人でも今はネットのコミュニティーがあるから、そこには入りやすい。そういう点でのネットというテクノロジーの進歩はいいなと思う。  工藤監督がお辞めになるということで、来季に向けて、まずは次の監督人事ですよね。ドラフト会議も気になっていて、何の関係もつながりもないけど勝手に気になっているのが愛知の享栄高校の「竹山」くん。同じ名字というだけなんだけど、後半から球速151キロと伸びてきたらしい子なんですが、もし、ソフトバンクに入団したら死ぬほど応援しますよ!(笑) (編集部註※本コラムの取材はドラフト会議前で享栄高校の竹山日向投手は5位指名でヤクルトが交渉権を獲得した) ■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録。
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dot. 2021/10/13 11:30
第1子女児出産の板野友美 夫のヤクルト・高橋奎二も活躍で「ママタレ需要」高まるか
第1子女児出産の板野友美 夫のヤクルト・高橋奎二も活躍で「ママタレ需要」高まるか
板野友美(左)とヤクルトの高橋奎二(C)朝日新聞社  元AKB48でタレントの板野友美が10日、自身のインスタグラムを更新。第1子の女児が誕生したことを報告した。  板野は「先日無事に出産を終え我が家にかわいい女の子を迎え入れることができました。出産は奇跡の連続でした。そんな奇跡を経験させてくれたこと、そして、私たちのもとに生まれてきてくれて本当にありがとう。毎日色んな、表情を見せてくれる我が子に愛しさがとまりません。妊娠期間中はコロナもあり不安も多かったですが支え続けてくれた家族や友人、仕事関係者の方々、そして、温かいコメントをたくさん送り続けてくれたファンの皆さまに本当に感謝しています。これからもっともっと笑顔の絶えない家族になっていきたいです。今後とも、わたしたち高橋家をよろしくお願いします」と綴った。そして、文章の最後に女児に向けて、『はじめまして やっと会えたね』と呼びかけた。  板野はAKB48の中心メンバーとして活躍。前田敦子、大島優子、渡辺麻友、篠田麻里子、小嶋陽菜、高橋みなみと共に「神7」と形容され、派手な茶髪と童顔、オシャレなファッションで、当時女子中高生たちのカリスマ的存在だった。グループ卒業後はファッションモル、歌手、女優など様々なジャンルで精力的に活動。今年1月にヤクルトの高橋奎二と結婚し、5月に妊娠を報告していた。  夫の高橋も高卒6年目の今季は首位を快走するチームで飛躍の足掛かりをつかんでいる。開幕からファーム暮らしだったが、6月に1軍昇格すると11試合登板で3勝1敗、防御率2.76の好成績をマーク。好調の要因をスポーツ紙記者はこう分析する。 「左腕から150キロ近い球威十分の直球は大きな可能性を秘めていましたが、四球で自滅するパターンが多かった。向こうっ気の強い性格でピンチになるとカッカしてしまうケースが多く見られましたが、今年はマウンド上でも冷静さを失わず、自分をコントロールできている。制球力が上がり、ピンチでも落ち着いてアウトを取ることに集中できていますね。奥さんの内助の功は当然大きく影響していると思います。6歳年上の姉さん女房の仕事に対するプロフェッショナルな向き合い方は勉強になることが多かったはず。1児のパパになったことでさらに責任感が増すでしょう。左のエースになってほしいですね」  板野は当面育児や家事に専念するが、早期の仕事復帰に前向きだという。 「アイドルとして活躍し、アスリートと結婚、妊娠して育児、家事と仕事を両立することは相当ハードだと思いますが、『ママタレント』としてテレビ局やラジオ出演、雑誌の取材など需要は高いと思います」(スポーツ紙芸能担当記者)  板野は出産の報告の後、インスタグラムを更新。スキンケアブランド「peau de bébé」を立ち上げることを報告した。「妊娠中、人生初の肌荒れに悩まされホルモンバランスの影響で敏感肌になり、マタニティ期間を通して自分の肌ととことん向き合いました」と明かし、「わたしの妊娠体験での肌の悩みはたくさんの方が持つ肌の悩みと重なっていました。成分にこだわりマタニティ時期にはもちろん敏感肌や乾燥肌や加齢の悩みを抱えた全ての方に使っていただきたいです」と呼びかけた。  仕事にプライベートに充実している板野。多才な能力を生かし、今後も活躍が楽しみだ。(竹下洋介)
dot. 2021/10/11 12:46
12歳からのコロナワクチン接種、親たちの不安に専門医の回答は? 保護者2000人アンケート
12歳からのコロナワクチン接種、親たちの不安に専門医の回答は? 保護者2000人アンケート
国内のコロナワクチン接種完了者は6割を超えた ※写真はイメージ(c)朝日新聞社  国内での新型コロナワクチン接種完了者は全国で60%を超え、幅広い世代へのワクチン接種が進んでいる。ファイザー、モデルナ製ワクチンでは12歳以上が接種対象となっているが、「子どもの副反応は大丈夫か」「いつ受けさせるべきか」など、保護者からは接種についての不安や悩みの声も聞かれる。そこでAERA dot.編集部では、「Yahoo! ニュース」と共同でワクチン接種対象となる高校生以下(12~18歳)の子どもがいる保護者にアンケートを行い、「専門家に聞いてみたいこと」を幅広く募った。寄せられた質問や疑問を、専門医に取材した。 *  *  * アンケートは9月10~12日に実施。選択制の質問のほか、自由記述の項目を設け、ワクチン接種対象となる小学6年から高校3年までの子を持つ保護者2000人から有効回答を得た。  まずワクチン接種回数については、回答者のうち、子どもが「1度目の接種を受けた」と答えた人は17.5%、「2度目まで受けた」が10.0%。一方、「受けていない」と答えた人が72.5%だった。 「受けていない」と答えた人に理由を聞くと、「予約が埋まっている」「接種券が届いていない」「自治体での予約が始まっていない」という予約システム関連の割合が64.2%と半数以上を占めた。次いで「受けさせるかどうか決めかねている」が27.9%、「受けさせたくない」が6.3%となった。「アナフィラキシーなどの過敏症、持病のため受けられない」と答えた人は1.6%だった。  さらに「子どものワクチン接種で悩んでいることや専門家に聞いてみたいこと」を自由記述で回答してもらったところ、様々な声が集まった。多く寄せられた質問を中心に、日本ワクチン学会推薦理事で、長崎大学病院小児科教授の森内浩幸医師に聞いた。 ■副反応の心配は?  質問として多く挙げられていたのが、副反応についてだ。「大人でも若い人ほど副反応が強いと言われているので、これが子どもだったらもっと強く出たりするのでは?と心配」(中3女子の母)、「副反応が出た時に、どのように対処すればよいのか」(高1女子の母)などの声が多かった。森内医師によると「接種部位の痛みや腫れ、発熱などの副反応は20代や30代とほぼ同じレベル」とのことだが、副反応にはどう対応すればよいのだろうか。 長崎大学病院小児科教授の森内浩幸医師(森内医師提供) 「心配であれば、かかりつけ医に相談してください。内科でも構いませんが、小児科は総合診療科なので、12歳以上でしばらくかかっていなくても、小児科でよいでしょう。市販の解熱鎮痛薬を飲む場合は、用法用量をよく確認して年齢に合った量を飲んでください。大人と同じ量のワクチンを打つことに抵抗を感じる人もいるかもしれませんが、薬と違いワクチンは体重によって量を変えることはあまりありません。12歳以上は、今の量で治験を行い安全性、有効性が示されています」(森内医師、以下同) 「年中なんらかの花粉症で、その関係で果物や野菜等のアレルギーが多いので不安」(高3女子、高2男子の母)など、アレルギーやアトピーを抱える子の接種の安全性についての質問もあった。 「アレルギーは特定の物質に対して起こるものなので、ワクチンにその物質が入っていなければ問題ありません。卵アレルギーや花粉症があっても、今回のワクチンに卵や花粉の成分は入っていないので、気にしなくていいです。注意すべきなのは、これまで薬や他のワクチンでアナフィラキシー(重症のアレルギー反応)を起こしたことがある人。そういった人は、接種の可否を医師が判断しますので申告してください」 「喘息持ちでも打っていいのか?」(小6女子の父)については、「喘息のコントロールがうまくいっていない場合はかかりつけ医と相談したほうがいいですが、喘息を持っている子どもがワクチンを打つこと自体は、全く問題ありません」と森内医師は言う。 ■学校生活や受験への影響は?  副反応については、学校に通う子どもならではの心配もある。「接種後、運動(体育や部活)は当分休ませたほうがいいのか? 休ませる場合は期間はどのぐらい?」(高1男子の母)という質問に、森内医師はこう答える。 「発熱がなければ、学校へは普通に行って構いません。登下校程度の歩行や軽い運動であれば特に控える必要もないでしょう。ただ、非常にまれではありますが、特に若い男性においてワクチン接種で心筋炎が起こる可能性が危惧されています。その心筋炎は、ほとんどが特別な治療をしなくても治るような軽いものですが、念のため、特に男子は接種から1週間程度は、持久走などの激しい運動は控えたほうがいいかもしれません」  北欧では、心筋炎や心膜炎などのまれな副反応の症例増加を理由に、若年層へのモデルナ製接種を取りやめる動きも出てきている。その対応について森内医師は「絶対必要だとは思っていませんが、過剰だとも思いません」という。 「今のところワクチン接種後の心筋炎はまれであり、軽症のままで治っています。新型コロナに実際にかかった時の方が心筋炎のリスクは遥かに高く、ワクチン接種のメリットはデメリットを上回ると思います。とはいえ、やはり用心に越したことはありません。ファイザーとモデルナのどちらかを選べるのであれば、より副反応の頻度が低い前者を選ぶという方針を取るのは妥当だと思います」 【アンケート結果】「自治体から接種券が届いた」という人が7割を超えた  小6、中3、高3では、受験や就職活動など重要なイベントが控えている。「受験までに受けるべきか悩ましい」(小6女子の母)などの声もある。 「受験や就職活動で県境を越えて移動することもあるでしょうし、もしそのタイミングで感染してしまうと、これまでの努力が無駄になってしまいます。今後の人生に関わる最終学年は、できる限りの対策をするという意味でもワクチン接種をお勧めしています。接種後、特に2回目の接種の後数日は体調を崩すこともあるので、本番はもちろん、模擬試験など大事なイベントの直前は避け、早めに接種した方が良いと思います」  そして、これからの季節はインフルエンザの予防接種が始まる。加えて小6から高1までの女子は子宮頸がん予防のための「HPVワクチン」を原則無料で接種できる期間とも重なっていて、「HPVを受けてからコロナワクチンを接種するまでどれくらい期間を空ければ良いのか」(小6女子の父)などの質問もあった。コロナワクチンと同時期に打っても問題ないのだろうか。 「片方のワクチン接種から2週間たっていれば問題ありません。優先度としては、インフルエンザよりは、コロナのワクチンの接種をお勧めします。インフルエンザは、今年流行するかどうかまだわかりませんが、新型コロナは確実に流行するでしょうから。新型コロナの重症化リスクの低い健康な女子の場合、コロナのワクチンよりもHPVワクチンを優先してほしい。日本では、年間3000人近い女性が子宮頸がんで亡くなっており、そのうち2000人はワクチンで防げます。10代の人が新型コロナに感染して年間2000人亡くなることは現状ありませんので、健康被害という点で考えるとHPVワクチンのほうが優先度は圧倒的に高いです」 ■「不妊になる」はデマ  また「ワクチンを打つことで将来的に不妊にならないか」(中3女子の母)という声も。森内医師は「全く根拠がないデマ」と否定する。 【アンケート結果】まだ「接種を受けていない」が7割以上だった 「そもそも不妊になってしまう女性は一定数いますので、ワクチンとの関連を証明するには何年も追跡調査をし、ワクチンを打った人での不妊が、ワクチンを打たなくても不妊になった人よりも多いかどうかというデータを比較しなくてはいけません。今すぐに証明できない問題に対し、もっともらしく『不妊になる』と吹聴しているのは大きな問題です。また、男性不妊に関しては、新型コロナにかかった男性の精子の数が減り、運動能力が落ちるというデータがありますが、ワクチンを接種してもそんなことは起こらないことがはっきり示されています。不妊を心配するなら、コロナにかからないようワクチンを接種すべきです」  また、ワクチン接種で妊婦が流産をする可能性、胎児にトラブルが起こる可能性については、既に否定するデータが示されているという。 「妊娠には一定の確率で流産が起こりますし、一定の割合で胎児に生まれつきのトラブルが起こります。既に数万人規模で調査が行われましたが、その割合がワクチンを打ったことで増えたというデータは全くありません。また、妊婦が感染すると、本人も重症化の恐れがあるし、早産しやすくなることにより胎児にも障害が生じる恐れがあります。ワクチン接種は、胎児のためにも大切です」 ■子ども本人の意思を尊重すべき 「ワクチンを受けさせるかどうか決めかねている」という人の中には、「本人がネットの悪い噂を見て、接種に対して乗り気ではない」(高3男子の父)、「きちんとした情報や子どもへの理解を深める手段があれば教えてほしい」(高1女子の父)という悩みもあった。森内医師はこう助言する。 「もし、子どもが誤った情報をもとに判断をしているのであれば、それはワクチンに限らず、これからの情報社会を生きていくためのリテラシーの問題です。ワクチンであれば厚生労働省のサイトや、医師などの専門家が運営する『こびナビ』というサイトなどで正しい情報が発信されているので、そういった情報源を使うことを教え、よく話し合ってください」 【アンケート結果】「予約が埋まっている」「接種券が届いていない」「自治体での予約が始まっていない」を理由に予約できていない人が6割超  一方、12歳以上の子どもの多くは自ら判断できることから、「正しい情報を元にして打たないという判断をしている場合は、子どもの意思を尊重すべき」とも森内医師は言う。 「ワクチン接種に伴う不安や恐れから、血管迷走神経反射という急性のストレス反応が起こることがあります。これは、お化け屋敷で恐怖のあまり失神してしまうのと同じ現象で、ワクチンの成分とは全く無関係に起こりますが、本人にとっては紛れもなくワクチンの副反応です。このような血管迷走神経反射の他に、慢性的なストレスから様々な不定愁訴が起こることもありますので、それらを避けるためにも、本人が十分に納得して受けることが大切です」  また、接種に関しては「ワクチンパスポートで差別や偏見、いじめの対象にならないか心配」(小6女子の父)という心配の声も。「接種しないことで修学旅行に行けなかったりするのか」(中3男子の母)という疑問には、「問題ない」と森内医師は答える。 「大人の場合、ワクチン接種をせずに感染すると命に関わることも多いので、接種の有無で行動制限を区別するのは致し方ない部分があると思います。しかし、健康な子どもは感染しても命に関わることはほとんどない。感染した場合の重症化リスクの前提が全く違います。感染した子どもから、重症化リスクの高い大人にうつるのが心配なら、周りの大人たちがしっかりとワクチン接種をすればいいのです。また、ワクチンを接種してもブレイクスルー感染は起こるので、接種した生徒もしていない生徒も、同じようにマスクを着用し、3密を避けるといった基本的な感染対策が必要です。それがきちんと行われていれば、接種していない子どもがいたとしても、運動会や修学旅行といった行事は十分行えるでしょう」  (AERA dot.編集部・大谷奈央) ※この記事はAERA dot.とYahoo!ニュースによる共同企画です。
ワクチン新型コロナウイルス
dot. 2021/10/08 10:00
佳子さまの“お相手”と悠仁さまの“進学先”…眞子さまが結婚しても秋篠宮家が抱える前途多難と危機
佳子さまの“お相手”と悠仁さまの“進学先”…眞子さまが結婚しても秋篠宮家が抱える前途多難と危機
佳子さまと悠仁さま(C)朝日新聞社  秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(30)が婚姻届を提出される10月26日が刻一刻と迫ってきた。本来なら、多くの人から広く祝福されるはずの慶事だが、宮内庁は眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の状態であることを公表。それでもなお、小室さんをめぐる報道は過熱し、SNS上の批判的な書き込みは増すばかりだ。  婚約内定後に発覚した小室さんの母・佳代さんと元婚約者との金銭トラブルはいまだ終結していない。そればかりか、小室さんや佳代さんにかかる警備費用などが税金で賄われていることが批判されたり、小室さんが留学の際などに「眞子さまのフィアンセ」ということを利用したのではないかと疑う声まで上がったりと、騒動が続いている。 「眞子さまが一時金を辞退されたのも、そうしたネガティブな声が届いていたからです。さらに小室さん母子に関するさまざまな疑惑も報じられ、ついにはその批判は秋篠宮家の子育てへの批判にまでエスカレートしていきました。秋篠宮家にとっては長女のご結婚ですから、これほど喜ばしいことはないのですが、結婚に伴う儀式や結婚式も行わず婚姻届の提出のみという異例の形をとらざるを得ないのは、やはりおつらいと思います。特に母親である紀子さまのご心痛は想像に難くありません」(皇室ジャーナリスト)  26日に眞子さまと小室さんは記者会見に臨まれ、それから間もなく新生活となるニューヨークへ移る予定だ。 「11月の秋篠宮さまのお誕生日会見では、眞子さまと小室さんの結婚問題は“解決済み”ということになるのではないでしょうか。むしろ、眞子さまのご結婚が一段落しても、今度は悠仁さま(15)の進学先がどうなるか、また佳子さま(26)が眞子さまの二の舞になってはいけないという懸念など、ご心配は尽きません」(同前)  9月に15歳になられた悠仁さまは現在、お茶の水女子大学附属中学校の3年生。以前から進学先に注目が集まっていた。 紀子さまと眞子さま(C)朝日新聞社 「筑波大学附属高校や東京農業大学第一高校などが候補にあがっていると報じられています。紀子さまは悠仁さまが小さい頃から、“帝王教育”の一つとして東大に進学させたいというお考えのようでしたから、学習院以外の進学先も検討されておられるようです。ただ、眞子さまのご結婚で『学習院へ進まれていたなら、このようなことは起こらなかったのに』という声も聞こえてくるのも事実です。悠仁さまの進学先によっては、再び紀子さまへの向かい風が強くなるのではと……」(皇室記者)  また、眞子さまの結婚が佳子さまのご結婚にも影響を及ぼすことも十分考えられる。 「姉思いの佳子さまは、眞子さまのご結婚についても『姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています』(2019年3月、国際基督教大学を卒業された際の会見)と結婚を後押しされていましたから、ご自身が将来、結婚される際に眞子さまと同じような選択をされる可能性もあり得るかもしれません。眞子さまの悩まれる姿を間近で見て『皇室から出るためには、結婚しかない。自分がいいと思える相手なら、(細かいことは)構わない』と周囲に語っておられたそうです」(同前)  眞子さまのご結婚により、今後は佳子さまの公務はさらに増えることも考えられ、「秋篠宮家として、佳子さまへかかる期待は大きくなりつつある」(皇室ジャーナリスト)という。 「海外メディアでも、眞子さまと小室さんの結婚はスキャンダラスに報じられ、皇室そのものへの信頼が揺らぎかねません。秋篠宮さまは、そうした潮流にも心を痛められています」  眞子さまがご結婚されても、秋篠宮家の心痛と危機はまだ解消されそうもない。(緒方博子)
佳子さま小室圭さん悠仁さま眞子さま秋篠宮家
dot. 2021/10/08 09:00
紀子さまと小室佳代さんは同い年 矢部万紀子「眞子さま、圭さんの母という哀しみ」
矢部万紀子 矢部万紀子
紀子さまと小室佳代さんは同い年 矢部万紀子「眞子さま、圭さんの母という哀しみ」
婚約内定会見時の眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日 (c)朝日新聞社  眞子さまと小室圭さんが10月26日に婚姻届を提出する。同じ1966年生まれの母、紀子さまと小室佳代さんはこの間、どんな気持ちで見守っていたのだろうか。皇室取材を続けるコラムニスト・矢部万紀子さんに寄稿してもらった。 *  *  * 「昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました」  2018年11月、秋篠宮妃紀子さまが語った言葉だ。平成最後となる秋篠宮さま53歳の誕生日にあたっての記者会見に同席し、眞子さまへの思いを問われた。紀子さまは、「母親としての思い」と断った上で語った。 今年9月11日の55歳の誕生日を前に撮影された紀子さま(宮内庁提供) 「そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした」  この年の2月、眞子さまと小室圭さんとの結婚の延期を宮内庁が発表した。秋篠宮さまが「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ、婚約に当たる納采の儀を行うことはできません」と語ったのは、この会見だった。  この言葉通り眞子さまは行事や儀式をせず、1億円を超すという「一時金」も受け取らずに結婚するという。その発表と同時に明かされたのが、眞子さまが複雑性PTSDだという診断だった。  冒頭の言葉から、紀子さまは眞子さまの心の傷を早くから見てとっていたことがわかる。「昨年の暮れ」は、小室さんの母・佳代さんと元婚約者の「金銭トラブル」が報じられた時期にあたる。医師の説明では、眞子さまの病は「誹謗(ひぼう)中傷と感じられるできごとを、長期にわたり反復的に体験された結果」だという。  紀子さまは眞子さまへの思いを語る中、「しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました」と述べた。ブラジルに行き14都市を回った、都内や地方でも多くの行事に出席した、心を込め、全力で務めている、本当によく頑張っているなと思っている、と語り、こう締めくくった。 眞子さまを囲んで秋篠宮さまと(宮内庁提供)=1991年 「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております」  それから3年。紀子さまは今、どんな思いでいるだろうか。  娘の結婚と病が同時に発表される。そのつらさは、想像にあまりある。眞子さまは秋篠宮さまと紀子さまの長女だったが、生まれた瞬間から「天皇陛下の初孫」だった。  このことをずっと意識してきたから、眞子さまは公務を懸命に務めた。その一方で、皇室を出たいという気持ちを強く持っていた。そこに小室さんへの愛が重なり、結婚を強く望んだ。そう拝察し、何度も書いてきた。  皇族としての自覚をもって公務に邁進(まいしん)する。紀子さまは娘をそういう女性に育てた。だが、娘の最大の望みは、育った場所からの脱出。この矛盾を前に、紀子さまはどう感じているのか。己を責めることだけはしないでほしいと願いながら、ある文章を思う。令和になって間もなく林真理子さんが書いた文章だ。 「『雅子さま』平成と生きづらさと私」と題された特集(「週刊文春」19年8月15・22日号)への寄稿で、林さんは天皇ご一家の人気が上がるにつれ秋篠宮家が非難にさらされていることを危惧し、こう書いていた。 <いつのまにか紀子さまがヒール役を担わされてまことにお気の毒である。ご婚約の時の、愛くるしく清楚な「紀子ちゃん」を知っている者にとって、昨今の「皇室顔」となられた紀子さまにはあまり親近感がわかない。それでもいつのまにかヒール役を負わされていて、私は憤っているのである>  紀子さまバッシングが皇室報道の定番のようになっていた。ターゲットにされた紀子さまの表情を林さんは「皇室顔」と表現した。確かに、紀子さまはいつも同じ表情に見える。口角は上がっているのに、笑っていない。笑っているのに、楽しそうでない。そんな表情だ。 ◆険しくなった紀子さまの表情 眞子さま、佳子さまの高校、中学入学式に付き添う=2007年(代表撮影) (c)朝日新聞社  皇室という制度が、紀子さまに無理をさせている。その無理が、あの表情になっている。林さんはそう感じていたからこそ「皇室顔」と表現したのだと思う。  雅子さまは「適応障害」という形で皇室の無理を訴えた。一見、順調そうな紀子さまも表情が無理を訴えている。そして、眞子さまは結婚への強い思いと引き換えにしたPTSDという形で無理を訴えた。それが、天皇制の重い現実だと思う。  紀子さまの写真を大量に見た経験がある。ある写真専門サイトで「秋篠宮 紀子さま」と検索し、ヒットした4千点以上を見たのだ。婚約前から53歳の誕生日までのものだったが、悠仁さまが生まれてから表情がどんどん険しくなっていた。  紀子さまが悠仁さまを出産したのは06年9月、40歳になる5日前だった。皇室には41年ぶりとなる男子誕生で、紀子さまが「皇室の危機」を救ったとされた。小泉政権下、「女性、女系天皇」議論が進んでいた時期でもあり、紀子さまの「強さ」が強烈に印象付けられた。  雅子さまと比べ、紀子さまは「できた嫁」と評されていた。その範疇(はんちゅう)を超えた強さと誰もが思ったからだろうか、悠仁さまがお茶の水女子大附属幼稚園に入園した頃から、徐々にバッシングが増えていった。本来、長男の嫁がすべきことを、次男の嫁がした。そんな「ねじれ」にメディアがつけこんだのだと思う。  紀子さまバッシングを減らしたのは、皮肉にも小室さんと母・佳代さんだった。小室さんが今年4月、母と元婚約者の「金銭トラブル」を説明する文書を公表したが、それが事態を悪化させた。  28枚に及ぶ説明文書を読み通し、小室さんと佳代さんの「物語」のようだと感じた。どこかの炭鉱あたりで、母子が肩を寄せ合い暮らしている。そんな昭和の映画を見たような気持ちになった。  決して楽ではない暮らしが浮かんでくる。佳代さんが元婚約者(便宜上、Aさんとする)からの支援を定期的に受けるようになったのは婚約の翌年の11年4月からだというくだりでは、理由がこう説明される。 ◆読後感が昭和28枚の説明文書 ブータンへ向けて羽田空港を出発する長男悠仁さまと=2019年(代表撮影) (c)朝日新聞社 <東日本大震災の影響を受けて、当時は時給制のパート従業員として働いていた母の出勤日が少なくなり、収入も激減することになりました>。それを知ったAさんが「家族になるのですから当然です、頼られて嬉(うれ)しいです」などと言って、支援してくれるようになった、と続く。  Aさんと婚約に至った事情もまとめると、「交際を始めたものの、応分の負担を求められる店の値段が高く、家計への負担が心配になってきた。でも、好感情を持っていたので、真剣な交際か尋ねた。すると『あなたさえよければ結婚を前提としています』と返ってきた」からという。  パートのシフト減、負担となる割り勘……。コロナ禍の昨今と重なる事情なのに読後感が昭和なのは、佳代さんの他律性というか依頼心というか、そこにあると思う。  夫を亡くしたのは、息子が10歳のときだったという。それまで市役所勤務の夫を支える専業主婦だったのだからすぐに安定的な仕事を得られなくて当然だ。そもそも今だって日本はジェンダーギャップ指数120位なのだ。が、それにしてもAさんに頼る以外になかったろうか、と思ってしまう。脳内時計を、ググッと巻き戻される感じになる。  一方で、息子の教育にかける思いはとても強い。結果、母が小さな部屋で一心に息子を守り、息子は貧しい暮らしをバネに立身出世を狙っている、そんな昭和の風景が浮かんでくる。これが本当に昭和なら、息子は東大を経て大蔵省に入ったりするのだろうが、平成生まれの小室さんは「海の王子」を経て、眞子さまへ。  そのわかりやすすぎる上昇志向、母の強すぎる存在感、その先にあったのが本来、手の届かない皇室──。小室母子バッシングのありかもまた、非常にわかりやすい。  佳代さんが紀子さまと同い年だと知ったのは、ごく最近だ。佳代さんを悪(あ)しざまに書く記事はたくさんあっても年齢を明記したものを目にすることはなかった。だが「文藝春秋」7月号に「紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち」という記事が載っていた。筆者の酒井順子さんも66年生まれで、かつての週刊誌記事から「ひのえウーマン」という言葉を紹介していた。 米国から帰国し、自宅に入る小室圭さん=9月27日 (c)朝日新聞社  もちろん、丙午生まれの女性を畏怖(いふ)と揶揄(やゆ)、相半ばで表す表現と十分知ってのことで、紀子さまと佳代さんの強さを酒井さんらしく読み解いていた。最後は眞子さまの「(結婚は)自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」という昨年11月公表の「お気持ち」を引き、「眞子さまの強さこそ、両ひのえウーマンを凌駕(りょうが)するものなのだと私は思います」とまとめていた。  子ども同士が同い年なのだから、母同士が同い年でも不思議はない。23歳での結婚も同じだそうだ。紀子さま、佳代さんという、私より五つ年下の2人が結婚したころに思いを馳せた。  小室さんの“肉声”が説明文書だとしたら、佳代さんのそれを伝えたのは「週刊文春ウーマン2021夏号」だ。「小室佳代さん『密着取材』一年」という記事を掲載した。  佳代さんの心を開いたのは、記者が「幼い子供がいる」と話したことだったという。「男の子ですか? 女の子ですか?」と聞かれ、男の子だと答えると「かわいいですよね」。ここから会話が成立するようになった。 ◆切ない佳代さん「ズレてよし」  佳代さんは職場について語っていた。40歳から今の店に勤めている、とても人間関係の良い職場だ、と。記者が「パートとして勤めている?」と尋ねると、佳代さんはこう答えている。 「記事ではそう書かれたみたいですが、実は正社員なんです。別にどう書かれても良いですけどね……。今の社員の中では、一番長く勤めていると思います」  先述したが、小室さんが公表した文書には「当時は時給制のパート従業員として働いていた母の出勤日が少なくなり」とあった。「週刊文春ウーマン」では正社員。小室さんの文書は11年当時の説明だから、その後、正社員になったのかもしれない。それはどうでもいい。ただ職場を語る佳代さんの言葉に触れ、私は何か胸が締め付けられるような思いがした。  9月19日の朝日新聞朝刊に「短歌時評」が載っていた。「評価がズレる短歌」と見出しがあり、歌人の山田航さんが書いていた。最後に萩原慎一郎の歌集『滑走路』のことが書かれていた。 「ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」。そんな歌が収められていて、私は何度か読み返している。萩原は早稲田大学卒業後、非正規として働きながら歌を詠み、32歳で自死した。 「『滑走路』も、口語短歌としての評価と平成プロレタリア文学としての評価の間に、どうしてもズレが生じる」。山田さんはそう書いていた。  突然、腑に落ちた。「評価のズレ」なのだと。小室さんを叩く人たちは、「野心の果てに皇室を利用する母子」ととらえている。わかる。だけど、私は切ない。同時代を生きた女性だから、佳代さんが切ない。ズレてよし。そう思っている。(コラムニスト・矢部万紀子) ※週刊朝日  2021年10月15日号
小室圭さん皇室眞子さま紀子さま
週刊朝日 2021/10/06 07:00
岸田新総裁と妻・裕子さん「人前で手をつないだ姿は見たことない」後援会長が明かす素顔
上田耕司 上田耕司
岸田新総裁と妻・裕子さん「人前で手をつないだ姿は見たことない」後援会長が明かす素顔
自民党総裁に選出された岸田文雄氏 (c)朝日新聞社  自民党の新総裁に選任され、10月4日召集の臨時国会で次の首相に選ばれる岸田文雄氏(64)。ファーストレディとなる妻・裕子(ゆうこ)さん(57)の素顔について、岸田氏の地元・広島の「岸田文雄後援会」の伊藤学人会長はこう話す。 「文雄さんは見ての通り、穏やかで、いい人ですよ。裕子ちゃんも人柄がよくて似た者夫婦ですね」  総裁選期間中の9月20日に行われた党青年局・女性局の公開討論会で、岸田氏は休日の過ごし方について、こう話した。 「昔は囲碁とか英語とかいろいろと趣味らしきものがありましたが、最近は時間が細切れで十分そういったことを堪能することができません。結論として、細切れの時間、できるだけ私の妻と時間を過ごすようにしております。リラックスすること、大変重要ですが、あわせて時々ケンカもしますのでテンションも上がります。気分転換としては大変ありがたいと思っております」  前出の伊藤会長が続ける。 「夫婦で休日を一緒に過ごせる日はめったにないんじゃないですかね。裕子ちゃんは今まではずっと広島にいた。広島で子育てもしていましたから。これからは東京の公邸で過ごすのか、ずっと地元にいるわけにはいかないかもしれませんね」  裕子さんは広島県三次市出身。広島市にある中高一貫の女子校、広島女学院中学・高校を卒業し、東京女子大に進学。1986年、自動車メーカーのマツダに入社した。 「裕子ちゃんは、マツダの役員秘書をしておられたんですよ。文雄さんとはお見合い結婚だと聞いています」(伊藤会長)  88年の秋、2人は結婚した。岸田氏31歳、裕子さん24歳の時。裕子さんは地元企業の社長令嬢で、英語も堪能だという。  現在、岸田氏がなかなか地元に帰れないため、選挙の時には、裕子さんが支援活動をしているという。 「彼女には足しげく、いろんな会合に出てもらってます。次の衆院選も文雄さんは帰ってこられないかもしれませんから、裕子ちゃんと、東京で文雄さんの秘書になった長男の翔太郎君の2人が中心になってやってもらわないといけないですね」 インスタライブをした岸田氏と妻・裕子さん(岸田氏のインスタグラムから)  裕子さんはどんなファーストレディになるのだろうか。最近の首相の外遊の様子をひもとくと、安倍晋三前首相は、妻・昭恵さんと手をつないで歩いた。菅義偉首相の場合は、妻・真理子さんが3歩後を歩いた。 「私は6、7年間、後援会の会長をしていますが、文雄さんと手をつないでいるところは一度も見たことがありません。裕子ちゃんは少し控えめですから、飛行機へ向かう時は横、もしくは半歩下がるかもしれませんね。裕子ちゃんはしゃしゃり出るタイプではないですが、如才なくおつきあいができる方。ちょっと天然で面白いところがあります」  一方、岸田氏はどんな人物なのか。伊藤会長によると「酒豪」だという。 「年に1回は後援会の役員と岸田さんとで一緒に酒を飲むんですが、岸田さんは飲み負けたことがないんじゃないですかね。ワインでも、ビールでも、日本酒でも何でもいける。そもそも酔わないから、酒を飲んでも変化がない。ハンパじゃないと思いますよ。後援会で30人くらいの人たちが3~4人のグループに分かれ、岸田さんは話をしながら回るんですが、岸田さんが酔ったという記憶が私にはありません」   岸田氏は自民党の宏池会(岸田派)を率いる。同じ広島出身で、著書「大宏池会の逆襲 保守本流の名門派閥」のある作家の大下英治氏は、こう語る。 「宏池会は広島が本場。その広島からは池田勇人、宮澤喜一と2人の首相を輩出した。岸田さんで3人目になるんです」  大下氏は、岸田氏と池田勇人元首相とを重ねた。 「安倍さんのおじいさまの岸信介氏が第56代、57代の首相を務めた後、安保騒動の責任をとって辞任。その後釜になったのが、池田勇人氏です。岸氏の流れとは別の池田氏が出てきて、日本がなんとなく落ち着いた。今、日本はコロナ禍が続いている“乱”の時代ですが、国民には安定というか、おだやかな日本になってほしいという願いがあるのではないか。岸田さんは国内を少し安定させ、国民の心がやわらぐような方向に引っ張っていってくれるのではないか」(大下氏)  岸田氏は、永田町では「いい人」で通っていると大下氏は言う。 「人柄は抜群にいい。だけど、これまでは少し人柄が良すぎて、突進力、攻撃性に欠けるんじゃないかと見られていました。だけど今回、総裁選の出馬会見で、極秘の岸田ノートを振り上げるのを見た瞬間、変わったなと思いました。ものごとを決める力はどうかなと思っていたんですが、決断力がにじみ出る表情になっている。これから宏池会魂を見せてほしい」(同) 厳島神社の大鳥居をバックに記念写真におさまる岸田裕子夫人と2016年、G7に出席した外相夫人たち(C)朝日新聞社  政治ジャーナリストの角谷浩一氏も「岸田氏は総裁選でひと皮もふた皮も剥けた」と言う。 「目つきもだんだん変わってきたし、演説の声もしっかりしてきた。岸田氏と言えば、安倍氏から政権を禅譲してもらうイメージを持っている人が多いけれど、今回は最初から宏池会が裏で支えた。細田派・麻生派の派閥連合の上に乗っかって岸田氏が政権を奪取したから、これからも両派閥に遠慮しなきゃいけないだろうという見方をする人もいるが、それは表面的なことで、実態は自分の派閥でできます、というふうになっていくと思います」  岸田氏は人づきあいもいいという。 「河野太郎行革相と夕食をともにしたことがあるという国会議員は少ないでしょうが、それとは全く逆です。岸田氏はとにかく酒が好きだし、人づきあいがいい。お坊ちゃんな面はあるけど、政調会長もやっていたし政策にも明るく、意外としっかりしてくるんじゃないかと思います」   岸田氏と裕子さんは、これからどんな話題を振りまいてくれるのか。(AERA dot.編集部・上田耕司)
岸田文雄
dot. 2021/09/30 08:00
竹内結子さん一周忌 「ストロベリーナイト」監督が初めて語った「私、泣けない」と直訴したシーン
上田耕司 上田耕司
竹内結子さん一周忌 「ストロベリーナイト」監督が初めて語った「私、泣けない」と直訴したシーン
竹内結子さん(C)朝日新聞社  9月27日、女優の竹内結子さん(享年40)が亡くなってから1周忌をむかえた。竹内さんは多くのドラマや映画に出演したが、その中でも、30歳のときに出演したドラマ「ストロベリーナイト」(フジテレビ系)は、その後の代表作となった。同作品の佐藤祐市監督は、竹内さんとぶつかり合いながら女性刑事の「姫川玲子」をつくった日々を今でも鮮明に覚えている。佐藤監督が竹内結子さんとの思い出を語ってくれた。 *  *  *「結子さんが亡くなったばかりの頃は、私自身、本当にショックを受けていました。一緒に仕事をした役者さんやスタッフ全員から愛されていたので、みんな本当に辛かったと思います。その時も、マスコミからコメントがほしいと言われたんですが、結子さんに対してはいろんな思いがありすぎて、『ちょっと勘弁してください』とお断りしていました」  竹内さんは19年に再婚した夫で俳優の中林大樹(36)と、当時14歳の長男、生後8カ月の次男を残し、亡くなった。突然の訃報には日本中が衝撃を受け、悲しみに包まれた。「亡くなってから1年たった今でも、結子さんのことを思い出します。一緒に撮影現場でドラマ制作に明け暮れた苦しみや喜びは、忘れたくないし、かけがえのない思い出です。まだ心の整理はついたわけではないですが、やっと振り返れるようにはなりました」  佐藤監督と竹内さんは2010年からドラマ「ストロベリーナイト」シリーズの監督と主演女優として仕事を共にし、2013年の映画化でもタッグを組んだ。竹内さんは初の女性刑事役への挑戦がハマり、彼女が演じた「姫川玲子」は当たり役となった。ドラマは大ヒットしてシリーズ化され、映画の興行収入は21億円を超えた。 「最初は2010年、2時間10分のスペシャルドラマ『ストロベリーナイトSP』をつくったんです。それが評判が良くてね。11年夏には3カ月かけてドラマ11話分を撮った。それが翌年1月から連続ドラマとして放送されました。結子さんとは撮影現場でぶつかり合ったこともあります。結子さんは、わからないことはわからないと言うし、できることはできる、できないことはできないとハッキリと言う。逆に、私が『今の演技良かったよ』ってほめると、めちゃめちゃ喜ぶ。感情表現がストレートな女優さんなんです」 佐藤祐市監督(画像=本人提供)  竹内さんは、NHKの朝ドラ「あすか」(1999年)のヒロインを演じた後、ドラマ「ランチの女王」(フジテレビ系 2002年)で月9初主演を果たし、映画「いま、会いにゆきます」(04年)や「サイドカーに犬」(07年)など話題作に多数出演し、人気女優の地位を築いていた。「それまでは、優等生で真面目というか、わりと清純派の役が多かった印象でした。結子さんとしても、30代になって、これまでの役者としての自分を壊したいと思っていたのかもしれません。姫川玲子という役には、本当に一生懸命というか必死でした。私もそれなりにドラマ経験を積んできて、次はリアルな刑事ドラマをやってみたいと思っていた時だったし、いろんなタイミングがピタっと合ったんでしょうね」 「ストロベリーナイト」の原作は、誉田哲也氏の警察小説「姫川玲子シリーズ」。竹内さんは警部補として、男性刑事ばかりの部下を束ねる主役の姫川玲子を演じた。 事件の描写は首を切って血が飛び散ったり、バッドを腹に叩きつけたりするなど、猟奇的なシーンも多かった。竹内さんが演じた姫川は、女子高生の頃、公園付近で何者かに襲われ、腹部を刺されて性的暴行を受けた過去があるという、難しい役どころでもある。 「2010年5月頃、初めて結子さんと会議室でお会いした時、彼女は前のめりで、食い入るように、私の話を聞いていたのが印象に残っています。レイプ被害に遭われた女性が、自分のつらい経験をつづった手記が何冊か出ています。結子さんにそうした手記を読んだことはありますかと聞いたら、何冊かは知っていましたが、読んだことがないとのことでした。そこで、ぜひ読んでみてくださいと伝えたら、実際に何冊か読んでくれたみたいです」  ドラマでは姫川が過去のトラウマから、法廷で被告の弁護士に泣き叫びながら抗議するシーンがある。被害者の手記を読んで、竹内さんに響くものがあったのだろうと思わせる、迫真の演技だった。 竹内結子さん(C)朝日新聞社 「手記からも、役づくりのヒントを得たみたいです。性犯罪の被害者は、家族や友達ですら、腫れ物に触るように接しているように感じられるといいます。それゆえ、家族に対しても何も打ち明けられなくなる自分がいる。そうした複雑な感情を、体全体で表現していました。この作品で彼女の“力強さ”みたいなものは引き出せたかなと思います」  ただ、すべての撮影が順調だったわけではない。前述のように、佐藤監督と竹内さんは、ときにぶつかり合うこともあった。 佐藤監督が最も印象的だったと語るのは、連続ドラマの終盤。姫川が実家で親ともめてビジネスホテルに帰るシーンだという。 そのホテルの前で、姫川に思いを寄せる刑事・菊田和男(西島秀俊)は『大丈夫ですか』と声をかける。台本では、親とのもめ事や過去の傷についてずっと我慢していたものがあふれ、姫川が菊田の胸に抱きついて泣くことになっていた。しかし、竹内さんは、「私、何か泣けない」と言い出したという。 「結子さんは『部下の菊田の前ではちゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃと思ってずっとやってきました。弱い所を見せたくない』と言うんです。だけど、ここで泣けなきゃ、その後、ホテルの部屋で1人になって、荷物を投げ出して怒りをぶつけるというストーリーが成り立たなくなってしまう。私も頑としてはねつけました」  それでも、竹内さんは「どうしても泣けない」と直訴したという。「しょうがないから目薬をしてもらって、泣いてもらいました。それ以外の姫川が泣くシーンは全て、結子さんが本当に泣いています。それくらい役に入っているんです。演技ではあっても、本当の感情が表情に出てくる瞬間というのがある。私たちもそれを待ちながら撮影していました」  映画では、唯一のラブシーンもあった。相手役は背中一面に刺青のある極道役の俳優・大沢たかおだった。生真面目を絵に描いたような姫川がそのような男に惹かれ、体を許すシーンには観客もドギマギさせられた。撮影の様子はどんな感じだったのか。 「車の中で大沢さんがリードする形でしたが、テイク1かテイク2で終わったと思います。基本的には2人に任せていました。大沢さんはすごく紳士的な方なので、結子さんも大沢さんを信頼していたんだと思います。車の中に雨が降ってくる設定だったので、車の屋根を溶接で全部切り取りました。ここでは、姫川のどうしようもないトラウマを表現したかったんです。車の中で雨にぬれながら、姫川の息が荒くなっていく。抱かれながら、溺れていくというような感じのシーンにしました」 映画公開の後は、「姫川班」のメンバーで打ち上げを行ったという。「姫川班」の刑事役を演じた俳優、西島秀俊、小出恵介、丸山隆平、宇梶剛士らと一緒に酒を酌み交わした。 「姫川班のメンバーは夕方ぐらいから明け方まで飲んでいて、みんなベロベロでした(笑)。結子さんも酒が強い方だから、一緒に飲んでました。その後、オールナイトニッポンで竹内さんが1日だけメインMCを務めた時に『姫川班でまた絶対、一緒にドラマをやろうね』と言っていたんですが、それもかなわぬ夢となりました」  竹内さんの死後、原作者の誉田氏は「結子さんの玲子は私のミューズでした」とツイッターに投稿した。「誉田先生もやっぱりショックだったと思うし、姫川シリーズは現在も続いていて、結子さんに触発されて書き続けていらっしゃる部分もあると思います。結子さんはそのくらい姫川チームを大事にしてくれました」  インタビュー中、佐藤監督は何度も「幸せな時間だった」と繰り返した。「結子さんと挑戦した作品は、私にとって大切な思い出で、すごく幸せな時間でした。結子さんという素敵な人に出会えて、いい仕事をさせてもらって、感謝しかありません。みなさんにも、女優としての結子さんの姿を、いつまでも忘れないでいてもらいたいです」 (構成=AERA dot.編集部・上田耕司)
ストロベリーナイト姫川玲子竹内結子
dot. 2021/09/27 12:12
私らしく生きて「自由と平等」を伝える アーティスト・西村宏堂
私らしく生きて「自由と平等」を伝える アーティスト・西村宏堂
心は男性でもあり女性でもある。そして身体が男性であることには違和感がなく、男性を愛する(撮影/石動弘喜)  アーティスト、西村宏堂。ずっと孤独だった。セクシュアリティーについて心ない言葉をかけられ、友人と呼べる人は少なく、アトピーに悩んだ。高校卒業後に渡米し、モノクロームだった世界が鮮やかな色に反転。自分が自分らしく生きることに価値があり、心から自由だと感じられた。僧侶であり、メイクアップアーティストでもあるが、西村宏堂として自分らしく生きることで、悩み傷ついた人に寄り添いたい。 *  *  *  シンデレラが好きだった。「こうちゃん、女の子よ」と言っていたことも覚えている。幼稚園では集団遊びが苦手で、一人でお絵描きをしていた。寂しかった──。  初対面のその日、西村宏堂(にしむらこうどう)(32)は黒い僧衣でにこやかに現れた。寺の周囲にはマンションや高層ビル。庭に木々が茂り、墓地が続く。浄土宗のこの寺を実家に育ち、幼稚園にもここから母親に連れられて通った。  18歳から11年を米国で過ごし、メイクアップアーティストとしてミス・ユニバース世界大会に参加してきた。同性愛者であることを公表し、LGBTQのアクティビストでもある。  活動のトピックを見てみると、メイクの仕事の主戦場はアメリカだったが、コロナ禍で国内にとどまるこの2年はミス・ユニバース日本代表のメイクアップ指導に携わっている。  2019年春にはニューヨークの国連人口基金本部でスピーチを行った。LGBTQの人権は国連人口基金にとって重要なテーマのひとつだ。駐日事務所長・佐藤摩利子は初対面で宏堂に独自の存在感を読み取り、本部に企画を通した。 「当事者で僧侶の宏堂さんが仏教の平等観に基づいてLGBTQ理解を説けば、社会を変えるメッセージになるでしょう。人の心にあんなにしっかりと届く言葉で話す人をダイバーシティー後進国の日本から送り出すインパクトは大きかった」  僧侶としての宏堂は、今年6月、浄土宗の研修に講師として招かれ、また、全日本仏教会のLGBTQ啓蒙(けいもう)ステッカーの制作にも関わった。  いつのときも宏堂は心にアプローチする。そして黒い僧衣の神秘的な佇(たたず)まいは仏教への憧れを掻き立て、外国メディアが放っておかない。 6月、増上寺で開かれた関東ブロック浄土宗青年会研修会での講演後、できたてほやほやのレインボーステッカーの完成を喜んだ。僧侶資格取得の最後の修行では、この増上寺に3週間寝泊まりした(撮影/石動弘喜) 心ない同級生からの言葉いつも一人で寂しかった  初日の取材後、宏堂に案内されて本堂に入った。天井の高い室内の中央に黄金色の阿弥陀如来像が鎮座している。ここでかくれんぼをして遊んだ子どもの頃、仏教もお寺も好きではなかった。宏堂を跡取りと信じる檀家(だんか)の人たちの愛情のこもった視線は、「自分の死後をわたしに託そうだなんて」と重たく感じた。  その宏堂が26歳で僧侶の資格を取得した。だが毎日お経を読むわけではなく、檀家さんのお葬式も父親に任せているらしい。 「お経をあげたりお葬式を出したりというのは他のお坊さんでもできることだと思うんです。私には私にしか伝えられないことがあります。そのために、僧侶の資格は有効なフックになるんです」  たおやかな笑顔が企(たくら)み顔になった。  幼い頃から頭の中にはコックピットがあるのだと呟(つぶや)いたのは、2度目に会った日だった。 「司令塔がいて、操縦席から指示を出すんです。いやなものを無理に合わせなくてもいいのよ、とか、子どもの遊びにつき合わなくていいわ、とか」  小学校に上がると、性同一性障害ではないかと思った母に連れられ教育センターで心理テストを受けた。勉強を強制されると反発する子だった。  中学時代の友人・小林菜月(32)によると、学校のコミュニティーには溶け込んでいたという。 「女子のバレーボールの輪に宏堂さんがいて全然おかしくない感じです。放課後は一緒に帰ってましたし、ディズニーランドに何度も2人で行きました。英語と美術が抜群にできて、私の知らない洋楽を『これ、聴いてみて』って教えてくれる。おもしろいことや楽しいことをどんどん掘り下げて知らない世界に連れて行ってくれる人でした」  希望校の受験に落ち、進学した私立高校で生活は暗転した。入学早々に同級生の何げない「西村、あいつオカマだろう?」という言葉に全身から血の気が引いた。1日10時間勉強させる受験校で、管理型の校風に疑問を持たない同級生とも打ち解けられない。孤独を深め、アトピーを悪化させた。いつも一人だった。寂しかったが、コックピットは<中退するわけにはいかない。今は耐えてやり過ごしましょう>と指示をした。放課後の英会話スクールや映画館通いで自分を保ち、海外の同性愛者とのオンラインチャットで深呼吸した。卒業後は居場所を求めてアメリカに渡った。  その冬、オンラインで知り合ったスペイン人のゲイカップルを訪ねた。彼は家族に同性愛者であることをオープンにしていて、母親はゲイナイトイベントに繰り出す我が子と恋人にサンドイッチをつくって持たせた。初めてのゲイナイトで、ゲイがゲイであることを心から楽しんでいる光景に目を白黒させ、宏堂は自分が生きて存在することを素晴らしいと思えた。  世界はモノクロームから鮮やかな天然色に反転した。2009年にニューヨークのパーソンズ美術大学に進学すると、学部長はゲイで学生の7割がLGBTQ。宏堂は19歳年の離れたアメリカ人のミュージシャンとつき合った。 「大学では留学生とアメリカ人学生が交じり合うクラスでそれぞれ自分の課題に没頭していました。表現を競い合う場では人と違っていることが評価されます。心から自由だと思えました」(宏堂) (文・三宅玲子) ※記事の続きは2021年9月27日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2021/09/25 17:00
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

ロシアから見える世界
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