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子育て世帯は東京・文京区の「住所」がほしい? 公立名門小「3S1K」狙いで家を買う
松岡かすみ 松岡かすみ
子育て世帯は東京・文京区の「住所」がほしい? 公立名門小「3S1K」狙いで家を買う
写真はイメージです(Getty Images)  首都圏の新築マンションの価格は上昇し、中古でもいい物件はめったに売りに出ない、出てもあっという間に買い手がつくーー。東京で家を買うのは、なんとも大変な時代になったが、共働き夫婦の購入意欲は高いという。特に子育て層に特に人気なのが文京区だ。一方で東京特有の学区意識に辟易している夫婦もいる。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。最終回は、「わが家」の価値について考えたい。 >>【前編:東京23区「家を買うなら港区」40代夫婦のブランド志向 狭小住宅も悪くない選択? 】より続く  *      *  *「文京区のアドレスが持てるのであれば、所有権でも借地権でも良い、というぐらいに場所にこだわる方も実際にいます。都内で家を買うときに、“住所を買う”という視点で、エリアにこだわって選ばれる方は結構多い」  首都圏を中心とした住宅購入における相談実績が多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)はこう話す。  東京大学、お茶の水女子大学、日本女子大学、東京医科歯科大学……文京区には、国立、私立を問わず19の大学・短期大学が存在。名前の通り、教育・文化関係の施設が集まり、雰囲気もいい。  もちろん、イメージだけではない。  令和2年度公立学校統計調査報告書(東京都教育委員会)によれば、文京区の教育レベルの高さは23区中トップで、国立・私立中学校への進学率がもっとも高いことが示されている。中でも名門校として知られているのが、誠之小学校、千駄木小学校、昭和小学校、窪町小学校の4校。この4校のイニシャルをまとめて通称「3S1K」とも呼ばれており、この「3S1K」に入学するために転居する“公立小移民”の子育て世帯も数多く見られるという。  さらに、お茶の水女子大学附属、筑波大学附属、東京学芸大学附属竹早という、国立大学の附属小学校、中学校、高校が3校もひしめき合う茗荷谷周辺も、子育て世代に人気の高いエリアだ。  文京区では中学校の「学校選択制度」を導入しており、文京区に在住していれば校区外の中学校でも希望することができるのも、子育て世帯にとって高い魅力だ。例えば都内名門中学校の“御三家”の一つとして知られ、東大キャンパスの目の前に位置する文京区立第六中学校。都立日比谷高校をはじめとした難関高校の多くの合格者が輩出していることでも知られる名門中学だ。  この第六中の学区は「3S1K」の一つ、誠之小学校だ。しかし、学校選択制度導入後は区内の数多くの小学校から入学希望者が殺到し、定員(受け入れ可能人数)約100人に対し希望者は毎年約300人前後と、およそ3倍の倍率で推移するのが通例となっている。誠之小学校→第六中学校→日比谷高校→東京大学といった“ゴールデンルート”にわが子を乗せたい、と考える親が多いことの表れだろう。不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 写真はイメージです(Getty Images) 「文京区には名門と言われる学校が多いことから、必然的に集まる層の教育意識も高く、受験などの情報交換も盛ん。また小石川植物園、教育の森公園、播磨坂さくら並木、六義園など、都内の中でも緑が多いエリアとしても知られる。落ち着いた環境の中で、高い教育を受けさせられる文京区の資産価値は、今後も高い水準を保てる可能性が高い」  都内屈指の文教エリアである文京区、それも人気学区ともなれば、賃貸マンションも含めて物件は争奪戦だ。競争率が高いこともあり、賃貸マンションであっても値段は決して安くはない。  昨年、「3S1K」の学区エリアの賃貸マンションに家族3人で引っ越したというAさんが決めた物件は、45平米、2LDKで家賃24万円。予算20万円内で半年ほど探していたが、条件に合う賃貸物件でヒットするのは家賃35万円超の物件ばかりだった。24万円でも予算オーバーではあるが、不動産屋からも「同エリアならば手頃な方だ」「決めるなら早く申し込まないと、すぐに決まってしまう」と後押しされ、内見もせずに即契約したという。  わが子を名門校に通わせるのも一筋縄ではいかず、多額の費用がついて回る。   こうした教育熱心な層が多いエリアから「むしろ距離を置きたい」と、あえて下町と呼ばれるエリアに引っ越した例もある。  三重県出身のBさん(36)。同郷の夫と5歳の子どもとの3人暮らしで、世田谷区の賃貸マンションで10年ほど暮らしていたが、2年前に足立区のマンションを購入。Bさんの少し前に友人が足立区の同エリアに引っ越したことも後押しになった。世田谷に住む周囲のママ友からは、「なぜ世田谷区から足立区に引っ越すのか」と驚かれたという。  地方都市で、当たり前のように公立小・中・高へと進学し、大学入学を機に上京したBさんは、「東京ならではの学区意識や私立信仰のような会話や雰囲気には、どうしても馴染めない」と首を振る。 写真はイメージです(Getty Images) 「世田谷に住んでいた頃、ママ友の間で小学校受験のための塾選びの会話が始まったとき、『ああ、私はこの場所では子どもを育てたくない』とはっきり思いました。私や夫が育ってきたような、もっとのびのびとした環境で子育てがしたい。それで選んだ環境が今の場所でした」  古くから続く商店街に、昔ながらの個人商店や居酒屋が軒を連ねる景色。そんな中に再開発で新たな商業施設やマンションが建ち、新旧入り混じった独特の活気がある。Bさんの暮らすマンションは、最寄駅から徒歩7分。都心の職場がある駅までの乗車時間は片道15分だ。家のすぐ近くにスーパーや商店街があり、世田谷に比べて物価も安く、近所付き合いも残っている。Bさんは「自分たちにはこちらの方が合っていると思う」と微笑む。 「長い目で住むことを考えると、いわゆるブランドエリアを始めとした“見栄っ張りな街”より、“本音で暮らせる町”を選ぶことに共感できる人も多いのでは」  まちづくりの専門家で、『23区格差』などの著書で知られる池田利道さん(東京23区研究所所長)は、こう話す。足立区を含む東京東部の下町エリアは、世田谷区を含む東京西部の山の手エリアと比べると、近所付き合いもはるかに活発だという。 「以前はイメージに難点があった荒川区以東の足立区、葛飾区、江戸川区ですが、大規模な再開発を通じて街のイメージは大きく変化し、子育て世代など若い層も移り住む地域に変化しています。西部に比べて物価も安く、都心へのアクセスも良いことから、東部の下町エリアは今後さらに発展していくのでは」  ブランドエリアと呼ばれる場所など、すでに一定の評価を得ているエリアを選ぶ方法もあるが、今後の町の発展を考えて選ぶというのも一つの手だ。新路線の開通で都心までのアクセスが良くなる場所や、新駅ができる場所、大学誘致に積極的に取り組んでいる場所など、発展の見通しにはいろんな要素がある。再開発によって町のイメージが一新する例があちこちで見られているように、大手デベロッパーが力を入れようとしている地域も飛躍的な発展の可能性がある。マンショントレンド評論家の日下部理絵さんは言う。 写真はイメージです(Getty Images) 「自分にとって快適である“居住価値”と、不動産としての“資産価値”は、必ずしもイコールじゃない。家を選ぶときに何にこだわりたいか、まずは3つに絞ってみる。その中で優先順位をつけた上で考えると良いでしょう」  「結局は同じ都内の話だろう」とタカをくくるなかれ。少しエリアが変わるだけで、いろんな要素が大きく変わってくるのが東京という大都市だ。「東京で家を買おう」——そう決めたなら、あなたは何を重視して選びますか?(松岡かすみ) 〉〉【連載を最初から読む】それでも夫婦は東京に家を買う#1
3S1Kそれでも夫婦は東京に家を買うゴールデンルード文京区
dot. 2021/11/29 08:00
村治佳織 “女子高生ギタリスト”の肩書に違和感があったころ
村治佳織 “女子高生ギタリスト”の肩書に違和感があったころ
村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃)  デビュー直後、ギタリストの村治佳織さんは「将来の夢は?」と質問されて、「おばあちゃんになっても弾いていたいです」と答えたことがある。 「プロフィルには、『3歳でギターを始めた』とありますが、私自身はギターとの出会いや始まりを意識していないんです。気がついたら弾いていた。それは、気づいたら自分の親が今の親だったという、そんな感覚でした(笑)」  もうその時点で、村治さんにとってギターは、かけがえのない相棒だった。人前でギターを演奏することは楽しい。レコーディングもワクワクする。レッスンも好き。でも、メディアに出るときに必ずついてまわる「女子高生ギタリスト」という肩書だけは、素直に受け入れられなかった。 「演奏しているときは、一人のギタリストとして頑張っているのに、そこにわざわざ“女子”とつくことにも違和感があったし、“高校生”とつくのも、若いから物珍しがられているようでイヤでした。学校に行くときは高校生ですけど、『演奏している限り、それは関係ないでしょ?』と。でも、当時は、『卒業したらそんな肩書は外れるんだから』と我慢しました」  今から30年近く前、公の場で、ジェンダー論など交わされていなかった時代のことだ。興味本位でつけられた肩書に抵抗する術を、まだ彼女は持たなかった。 「そんな経験も関係したのか、私自身は、女性らしく振る舞うことに恥ずかしさがありました。コンサートのとき以外はお化粧もしなかったし、20代の中頃までは、演奏するときの衣装もパンツスタイルが多かったです。音楽を第一に感じていただく上で、女性性が邪魔をするなら、無性でありたいと思った」  それが、23歳で3カ月間スペインに滞在してから、意識が変わった。 「スペインで、艶かしくない健康的な女性らしさに出会って、『私も、これならいけるかな?』と。そこから髪を伸ばしたり、アクセサリーをゴールドに変えてみたり。あとは、思い切ってヘソ出しルックにも挑戦しました(笑)。以来、音色が明るくなったと言われますね」  話は少し前後するが、3歳にしてすでに人生の相棒と出会った村治さんが、「ギターをやめるという選択肢もあるんだな」と気づいたのは、20歳のときだった。ギターが好きな気持ちに変わりはなく、「やめたい」と思ったわけでもないが、今のままギターと二人三脚の人生を続けていくためには、「続ける」という意思も必要なことに、はじめて気づいた。 村治佳織 (撮影/写真部・戸嶋日菜乃) 「『女子高生』の肩書が取れて、ラクになったと思ったら、今度は、受け身なだけでは自分が成長していけないとわかったんです。それで、ようやく自分の将来についてちゃんと考えて、私の強みは、始まりもないぐらい自然にギターを始められたことなんだから、自然と長く続けていくことを目標にしよう、と」  以来、“バランス”という言葉を大事にするようになった。能動と受動のバランス。仕事とプライベートのバランス。伝統と革新のバランス。いずれも、どちらかに偏りすぎないように。  20代半ばで、英デッカ・レコードと日本人初のインターナショナル長期専属契約を結び、アジア、ヨーロッパ、アメリカなどで、コンサートやテレビ番組で演奏する機会を得た。ところが、30代半ばで舌腫瘍を患い、2年間の休養を余儀なくされた。 「そのときは、『これが挫折か』と思いました。本当に落ち込みましたし、つらかったですが、逆に、あのときが人生でいちばん、人の優しさに触れた時間だったように思います。(吉永)小百合さんは、プライベートで水泳に誘ってくださいましたし、ご主人の岡田(太郎)さんからは、『なりゆき』という言葉をいただいて。『バランス』を大事に生きてきた私が、『“なりゆき”でいいんだ』と、肩の力を抜くことができました」  人と人との関係を深めるのは、仕事を介することがほとんどだったのが、病気になってはじめて人間と人間、真心と真心の触れ合いを感じた。 「先が見えないお休みの期間は苦しかったですが、その分、深い経験をさせていただいた。今にして思えば、学ぶことがたくさんあったなと思います。自分では、どうにもできない障害や災難に直面したときは、一旦状況を受け入れる。そのほうがうまくいくタイプなのかなとか、いろんなことを」 (菊地陽子 構成/長沢明) 村治佳織(むらじ・かおり)/東京都出身。1993年、デビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。翌年、日本フィルハーモニー交響楽団と共演し、協奏曲デビュー。97年、パリのエコール・ノルマルに留学。2003年、英国の名門クラシックレーベル、デッカ・レコードと日本人として初の長期専属契約を結ぶ。これまでに出光音楽賞、村松賞、ホテルオークラ音楽賞、2度の日本ゴールドディスク大賞など、受賞歴多数。 >>【後編/村治佳織 大病を患い、演奏スキルが身につく…その技術とは】へ続く※週刊朝日  2021年12月3日号
週刊朝日 2021/11/27 11:30
村上茉愛「体操から離れるのは、60、70歳になってからでいい」理由とは
村上茉愛「体操から離れるのは、60、70歳になってからでいい」理由とは
体操女子コーチ 村上茉愛  体操女子コーチの村上茉愛さんがAEARAに登場。10月に行われた体操世界選手権で引退を表明し、今後は指導者として体操に関わり続ける道を選んだという彼女が語った。AERA 2021年11月29日号から。 *  *  * 「私は今日で引退します! 最後の最後に金メダルで、感動を少しでも届けられたんじゃないかと思います」  10月24日、北九州市で開かれた体操の世界選手権の閉会式後、観客を前に笑顔でこう宣言した。女子種目別のゆかで金メダル、平均台でも銅メダルを獲得。有終の美を飾り、20年以上にわたる競技生活に別れを告げた際には「今はちょっと休みたい」と漏らしていた。  そんな彼女がまずやったのが、ラーメンをすすり、ハンバーガーとフライドポテトをほおばることだった。体重管理やけがとの闘いから解放された瞬間だった。 「翌朝起きて、鏡を見てびっくりしました。顔がパンパンだったんですよ。むくんだことなんか今までなかったので。明日の練習のことを考えなくていい生活、幸せですよ。よく眠れるようになりました」 AERA 2021年11月22日売り表紙に村上茉愛さんが登場  満面の笑みで言ったあと、「でも」と続けた。「1週間も休んだら体育館が恋しくなっちゃって。あぁ、私には体操しかないんだなって思いました」  小学校のころ、テレビドラマやCMに出演した。スポットライトを浴びるのも嫌いではない。ロンドン五輪代表の田中理恵らの活躍を見ながら、「タイプ的に自分もこっちかな」。引退後は芸能界に進むことを考えた時期もあった。  ところが、キャリアの終盤になるにつれ、「自分でも意外」という感情が芽生えた。 「日本の女子を強くしたい、自分と同じようにメダルをとったときの喜びを味わってほしいって思うようになったんです。体操から離れるのは、60、70歳になってからでいい」  この日の予定は「撮影と取材だけです」と言っていた。でも、そのあと向かった先は母校・日体大の体育館だった。バッグにはちゃんとジャージーもしのばせて──。引退から1週間あまり。指導者としての道を、もう走り始めていた。 (朝日新聞記者・金島淑華)※AERA 2021年11月29日号
AERA 2021/11/26 17:00
櫻坂・原田葵にフジ女子アナ内定報道「グループ卒業も発表していないのに…」とファンから戸惑いの声
櫻坂・原田葵にフジ女子アナ内定報道「グループ卒業も発表していないのに…」とファンから戸惑いの声
アイドルグループ・櫻坂46のメンバーの原田葵(21)が、フジテレビの再来年春入社のアナウンサー採用試験で内定したと週刊新潮が報じた。原田は現役のアイドルとして活動中でグループを卒業することは現時点で発表されていない。「寝耳の水」のニュースに、ファンから戸惑いの声が上がっている。  原田は櫻坂46に改名する前の欅坂46の初期メンバー。15歳で加入し、童顔であることから「小学生」といじられるなど癒し系キャラとして親しまれていた。グループきってのインテリとして知られ、学業に専念するため活動を休止していた期間もあった。記事によると、現在は法政大学3年に在学中で、テレビ朝日からも声がかかったが、フジテレビを選んだという。 「欅坂からグループに加入して6年が経ちます。特例で加入した長濱ねるを入れて23人いた初期メンバーも現在は11人まで減り、守屋茜と渡辺梨加も10月にグループを卒業することを発表しました。アイドルがゴールではなく、これからの人生もあるので将来の進路を考えるのは当然でしょう。原田は歌唱力、ダンス、人気に優れた「櫻エイト」のメンバーには一度も選ばれていないですが、コミュニケーション能力が高く、頭の回転も速い。アナウンサーとしての適性は十分にあると思います」(民放のテレビ関係者)  フジテレビの女子アナウンサーを巡っては、今年4月に報じられた「ステマ疑惑」で視聴者から批判の声が相次いだ一件が物議を醸した。女子アナ8人がある美容室に通い、無料でサービスを受ける代わりに店のインスタグラムに写真をアップするなど宣伝に協力した行為がステルスマーケティングにあたるのではないかと報じられた。フジテレビは5月28日に社内調査の結果、「社員就業規則に抵触する行為が認められました」と発表。女子アナたちが相次いで謝罪文を投稿した。 「マイナスイメージがついたフジテレビの女子アナに新しい風を入れるということで、原田さんは最高の人材でしょう。ただ心配なのはこの報道が事実だとしても入社は再来年で、まだ1年以上も先の話です」(スポーツ紙記者)   そしてこう続ける。 「人気グループで現役のアイドルとして活躍している真っただ中で卒業も発表していない中、応援しているファンはどう感じるか。就職活動をしている原田さんに非は全くないですがそこは心配ですね」  SNS、ネット上では「良い人材を早めに確保したい気持ちは理解できなくもない。でもこの情報が洩れるフジテレビのセキュリティーに対して不安を覚える。今回の報道でアイドルとして居心地が悪くなり内定を取り消す事態にはならないで欲しい」、「原田葵ファンとしては複雑な気持ちです。アナウンサーに内定したのはめでたいことだと思うけど、卒業とか全く聞いていないし本人も気まずいでしょう。出すタイミングを出して→考えてほしかった」などのコメントが相次いだ。  AERAdot.編集部がフジテレビに取材すると、「採用・内定に関するお問い合わせにはお答えしておりません」(企業広報部)との回答だった。  アイドルとして活動していても、将来を見据えた行動をするのは決して否定されることではない。櫻坂46で光り輝く原田に温かい声援が送られることを祈るばかりだ。(江口顕吾)
dot. 2021/11/26 11:00
「これまで聞かれてこなかった声を書く」 国際恋愛入り口に、日本社会の矛盾描く長編小説
「これまで聞かれてこなかった声を書く」 国際恋愛入り口に、日本社会の矛盾描く長編小説
なかじま・きょうこ/1964年、東京生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務、フリーライターを経て、2003年に『FUTON』でデビュー。10年『小さいおうち』で直木賞を受賞、20年に『夢見る帝国図書館』で紫式部文学賞など受賞多数(photo/写真部・張溢文)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。 出会って、好きになって、「この人とずっと一緒にいたい」と願う──そんな当たり前の幸せが奪われたのは、彼がスリランカ出身の外国人だったから。中島京子さんによる小説『やさしい猫』は、シングルマザーのミユキさんの一人娘・マヤの視点から、ミユキさんと8歳年下の青年クマさんの恋愛を入り口に、入管制度と難民社会、日本社会の矛盾など、大きな事件に見舞われた小さな家族を、温かく描いた長編小説。著者の中島さんに、同著にかける思いを聞いた。 *  *  *  「小説の役割は、これまで聞かれてこなかった声を書くことだと思っています」  と、中島京子さん(57)。『やさしい猫』は入管問題をテーマに、シングルマザーの「ミユキさん」と年下のスリランカ人の青年「クマさん」の関係を、高校生の娘・マヤの視点から描いた物語だ。映画化された直木賞受賞作『小さいおうち』や『長いお別れ』をはじめ、中島さんは現代の多様な家族のありかたを小説で描いてきた。 「ずっと家族の小説を書いてきて、21世紀の家族小説について考えたとき、国際結婚をとりあげるのは自然なことでした。これまでも小説に日本人しか登場しないのは不自然じゃないか──という気がして、外国人の登場人物を書くことは多かったんです。日常生活でも外国の方に会うし、姉もいとこも国際結婚をしていますから」  ミユキさんとクマさんは東日本大震災の被災地でボランティアとして出会う。異なる文化を背景にした、恋の行方を読むうちに、読者は2人の幸せを見守るような、応援する気持ちになってくる。だが婚姻届を提出したクマさんは「不法残留」だと警察に逮捕され、東京入国管理局に強制収容されてしまう。  ニュースで部分的に知っていた、入管のふるまいや複雑なシステムを、読者も物語を通して経験することになる。 「コロナがあって、『弱い立場の人たちの命は大切にされないかもしれない』『自分もいつ弱い立場になるかわからない』と思い知らされました。生きてきて初めての出来事です。小説を構想していた時期は、コロナのことなど考えもしなかったんですが、結果的に体調が悪くても病院へ行けない、入管に収容されたクマさんと、体調が悪くても自宅療養を強いられる人は、同じ立場ではないかと思いました」  2020年の年明けから書き始めた本作は、5月から連載開始、終わったのは21年4月と、くしくもコロナ禍と執筆時期が重なった。作品には弁護士、元入管職員、通訳、それぞれの事情を抱えた在留外国人など、多様な人物が登場する。丁寧な取材のもと、人物の一人ひとりに血が通い、声が聞こえてくるのはひとえに中島さんの筆力だろう。小説で知る入管の対応、不条理な対応は衝撃的だ。 「まずはこうした現実を多くの人が知ること、そして忘れないことが大切」だと、中島さんは言う。 「社会的なテーマだからこそ、告発やスローガンではなく、ちゃんと小説として書こう、と思いました。読んでいるうちに登場人物のことを身近に感じられてくるのが物語の良さですよね。宇宙人の話でも遠い国の話でも、『これは私の友だちのことじゃないか』と思えてくるのが小説です。入管問題の印象が強い作品ですが、自分としては恋愛小説であり家族小説でもあり、マヤちゃんの成長物語でもあると思っています」 (ライター・矢内裕子)※AERA 2021年11月22日号
AERA 2021/11/22 18:00
めくりん、温泉むすめ…「スカートめくり」ネタ炎上で問われる価値観のアップデート
めくりん、温泉むすめ…「スカートめくり」ネタ炎上で問われる価値観のアップデート
写真はイメージです(GettyImages)  昔は子どもの「いたずら」として軽く許される風潮のあった「スカートめくり」。しかし時代は変わり、「スカートめくり」の安易な取り上げ方が問題視される事例が続いている。自分の身近では価値観がアップデートされているかどうか。確認が必要だ。(フリーライター 鎌田和歌) 女性発案だった「めくりん」 「スカートめくりがトラウマになった身からすると、めくりんの件は地獄」「スカートめくりは性加害ですよ」 11月中旬、ツイッター上ではこんな投稿が相次いだ。問題となったのは、クラウドファンディングサイトに掲載されていた「めくりん」という商品。  使わなくなった学生服をバッグやポーチに作り直して再活用する「サステイナブルなおもしろバッグ!」がコンセプトの商品だが、プリーツのあるスカートをめくるとイチゴ柄のパンツが見えるデザインとなっていた。  使用方法の説明では、「話のネタになるおもしろプレゼントにも」として、接客業の女性に男性客がプレゼントをするようなイラストも添えられていた。  クラウドファンディングサイトで販売が始まった11月9日からほどなくしてSNS上で指摘が相次ぎ、11月15日にはサイトが「プロジェクト掲載中止のご案内」を発表。 「生活者の皆様から様々なご意見を頂いたことを真摯に受け止め、プロジェクトの内容が不適切な内容・表現であったことを鑑み、プラットフォームとして本プロジェクトの掲載を中止、ページを非公開とすることを決定いたしました」と書かれている。  この商品の企画・販売を行っていたのは金沢市にある制服リユース店で、「制服が高くて買えない」という声を聞いた女性が立ち上げた企業として、新聞に取り上げられたこともあった。そんな背景もあっただけに、女性経営者が「スカートめくり」をテーマにしたアイテムを「おもしろバッグ」として売り出したことについて失望の声も見られた。  店のツイッターアカウントでは、「この度は、私たちが制作した商品に対して、不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。今後は、制服を譲って下さる方の思いをもっともっと大切にし行動をしていきます」と発表を行っている。  数年で捨てられてしまう制服を再活用するための仕組みを考え、ビジネス化したことには意味があるし、クラウドファンディングでうたっていた通りSDGsの理念に沿う部分もあるだろう。 一方で、特に女子学生が使用した制服については、以前から付加価値をつけて高値で販売する「ブルセラショップ」が問題視されてきた。18歳未満の児童が着用する制服に性的な価値を見いだす風潮を顧みれば、「スカートめくり」を結びつける発想は無邪気すぎた。  また、多くのユーザーが指摘している通り、「スカートめくり」が笑えるユーモアとして受け止められてきた時代は、もはや過去のものになりつつある。 ご当地キャラ「温泉むすめ」が大炎上  ときをほぼ同じくして炎上したのが、ご当地温泉キャラクター「温泉むすめ」。温泉地の地域活性のために発案され、2016年から続いているプロジェクトだ。報道によれば、2019年からは観光庁の後援を受けているという。  各地の温泉に宿る「下級の神さま、温泉むすめ」がアイドルとして競い合うという設定で、公式サイトを見ると全国の温泉地のキャラクターが、イラストとともに紹介されている。  このキャラクターの設定の中に、「かわいい温泉むすめが大好きでいつもスカートめくりをしちゃういたずらなむすめ」「全温泉むすめのスリーサイズを覚えている」「布団に入ると妄想が爆発して『今日こそは夜這(ば)いがあるかも』とドキドキしてしまい」「諸事情でサラシを巻いて胸のボリュームを隠している」「隠し切れないぐらいの大人な雰囲気の持ち主で、肉感もありセクシー」といった性的な要素が含まれていたことから問題となった。これらの設定は炎上後に削除されている。  温泉むすめについては、「中等部」「高等部」など学生であることをにおわせる設定があった点や、「胸…?うぅん…目立ち…ますか? 隠してたつもりなのに…なんでこんなに大きいのがついてるんだろう…」といった成人用ゲームのような音声(セリフ)がつけられていたことも問題視されているが、ここでは「スカートめくり」に話を絞って進めたい。 「スカートめくりをしちゃういたずらなむすめ」に設定されていたのは、北海道・定山渓温泉の「温泉むすめ」である「定山渓泉美」。定山渓温泉にはかっぱ伝説があり、ご当地のマスコットにもなっている。 「定山渓泉美」も、テーマカラーが緑色であることから、かっぱをモチーフとして考案されたキャラクターなのだろう。「趣味」が「いたずら、人を驚かせること」、「好きなもの」が「きゅうり、魚全般」であることも、それをうかがわせる。  このことから、ネット上ではかっぱが尻子玉を抜くという言い伝えから、「スカートめくり」が発想されたのではという推測が散見される。  制作側が各地に伝わる伝説や名産品を参照しながら、それぞれのキャラクターの個性を打ち出そうとした苦労は理解できる。しかし、「いたずら」もしくは「尻子玉」から「スカートめくり」を発想し、それをそのまま掲載してしまうのはうかつすぎるだろう。 過去には議員も炎上「スカートめくり」の世代間ギャップ  近年になり、「性的同意」の概念が広まりつつある。性的な接触を持ちたいと思った場合には相手の同意を確認することが必要であるという、ごく当たり前の話なのだが、これまでは性的なタブー感からこのような話は曖昧にされる傾向があった。  子どもへの性教育でも、特にプライベートな部分については触らせてはいけないし、他人を勝手に触ってはいけないといった内容が教えられている。他者と自分の境界を大切にしようという教育だ。  たとえば、今年の7月に発売された絵本『だいじ だいじ どーこだ?』(作・遠見才希子、画・川原瑞丸、大泉書店)では、体の部位の名称を教えるとともに、「からだの とくべつ だいじなところは かぞくでも ともだちでも せんせいでも じろじろみたり かってに さわったりしない」といった文章がある。  このような教育が普及していることを考えれば、スカートめくりがなぜいけないのかは自明である。 しかし一方で、「スカートめくり」や修学旅行の「風呂のぞき」といった行為について、「子どものいたずらだから、それぐらいは」とされてきた歴史は長い。上の世代に多いこのような価値観を変えるには、もう少し時間がかかるのかもしれない。  少し古い話になるが、2015年にある男性の国会議員が、子どもの頃の思い出として「女性教師をトイレに閉じ込め、爆竹を投げ込んで快感だった」といった内容をつづっていたことが批判を浴びた。  このとき、この議員の秘書がメディアからの取材に対して「少年時代は、たいがいの男の子がスカートめくりをしたことがあると思います。そのような事実を書いただけで、深い意味があるわけではないです」と説明。火に油を注いだ。  最近では、4人組歌手「純烈」のメンバーが、舞台公演中に共演していた女性の尻を触る動画がツイッター上で拡散され、問題になった。  特撮ヒーローの格好をした女性が、他のことに気を取られているうちに尻を触り、その行動で客席からの笑いを取る、という演出だった。このような演出も性的同意に照らせば完全にアウトだが、一部ではまだ「面白いネタ」として続けられてしまっている。  人の体に勝手に触る、だまして触る…。そのような行為で傷ついてきた人がいることや、被害を訴えても「そのぐらい我慢しなさい」と言われてきた過去があることを考えれば、スカートめくりを「ネタ」にする風潮には、NOが突きつけられて当然だろう。  感覚のジェネレーションギャップ、あるいは個人差については、なかなか埋まるものではないのかもしれないが、心ある大人が変えていく必要があるはずだ。
ダイヤモンド・オンライン 2021/11/22 17:36
小5で笑顔が消えた娘を支えた保護猫の不思議な力 「まるでセラピスト」中学受験を合格に導き、次は?
水野マルコ 水野マルコ
小5で笑顔が消えた娘を支えた保護猫の不思議な力 「まるでセラピスト」中学受験を合格に導き、次は?
お揃いのコーディネイト風。雪ちゃんを抱く娘のナナちゃん(提供)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回、お話を聞かせてくれたのは首都圏に住む主婦、エミさん。結婚後、長女が生まれてしばらくはペットのいない生活でした。しかし長女が小学5年の時、保護猫を迎えることに。そのころ、ある事情から家族は大変な時期でしたが、猫が魔法のように家の雰囲気を変えたそうです。そして夏に2匹目の子猫を迎えました。猫の持つ不思議な力についてお話を。 *     *  * わが家には今、2匹の猫がいます。主人、私、中1の娘の3人家族のもとに雪ちゃん(2歳)が仲間入りしたのは2年前。さらに今年の夏、弟分の海君(4か月)も増えて、にぎやかな生活です。  雪ちゃんは娘のナナが大好き。学校から帰ると、大急ぎで居間から娘の部屋に移動します。海君と雪ちゃんの仲良しぶりもほほえましく、家族みんなが猫に癒されています。  でも、じつは我が家では2年前にちょっと大変な時期があり、猫はまさに家族の救世主なのです。 ◆ペットを飼う余裕も発想もなかった  私は動物が大好きなのですが、2年前まで、わが家は、ペットを飼う余裕も発想もありませんでした。  娘が5歳の時、競技スポーツを始めたのです。週1、2日のちょっとした習い事のつもりが、3か月後には週5日の練習になりました。小1の時に初めての試合に出て、さらに練習に明け暮れる毎日となりました。  登校前の朝練、下校後は夜まで練習で、私は離れた練習場までの車の送迎を2往復、毎日しました。娘は車で宿題、着替え、夜ごはんのお弁当も食べて、といった生活。本人は好きで夢中になって、私も娘が上達していくのがうれしくて、主人はスポーツ選手だったこともあり目標にむかって努力する娘を応援していました。  小学4年の夏には、全国から選考会を突破した子が集まる合宿に参加。秋に初めて全国大会にも出場できました。  なかなか猫の話にならないのですが……とにかく留守にする時間が多く、ペットと暮らすことは考えられなかったのです。  そして、5年生の夏。選考会を突破して合宿に参加できたのですが、娘が身を置く環境の中で、本人の気持ちが消化できないことが重なってしまい、そのまま秋の大会の予選は棄権することに。それまで一度も辞めたいと自分から言い出したことがなかったし、これからも続けていくと思っていた私も主人も心底驚きました。娘は競技から遠ざかりました。  スポーツを辞めた娘の顔からは、「笑顔」が消えていました。懸命に取り組んでいた故、娘の葛藤はとてつもなく大きかったはずです……。  家のムードも、沈みました。私もなんだか心にぽっかり穴が空いてしまったように感じていました。順風満帆だった競技をなぜ辞めたのかと周囲に声をかけられることもありました。なにより元気のない娘の姿をみるのが、あの時は本当につらかった。 ◆「猫ちゃん飼いたい」ペットショップじゃなくても 初めて雪ちゃんが家に来た日に(提供)  そんな家族の沈んだ空気を吹き飛ばしてくれたのが猫でした。娘の希望で保護猫を迎え入れたのです。  競技を辞めてしばらくたってからある日、娘が突然、「猫ちゃん、飼いたい」と言いだしたんです。  娘とペットショップを覗いては、猫を抱いて写真を撮ったりして……その時は、保護猫のことをよく知らなかったのです。  そんな私に、主人が「猫が欲しいなら別にペットショップでなくていいんじゃない?どこかでもらえる猫ちゃんもいるんじゃないかな」と言いだしたのです。確かにネットで「保護猫」の検索をしてみると、“猫オンリーの参加型SNSサイト”があり、掲示板を覗くとたくさんの猫が出てきてびっくり。私が子どもの頃に飼っていた頃と、猫の状況も変わって、驚いたものでした。 寝る時も一緒(提供)  11月、掲示板を見ていたら、豆大福の妖精と紹介された白い猫の写真がありました。納屋で生まれた兄弟と映っていたのですが、模様もおもしろいし、自分だけぐーっと前面に出ていて、家族みなで見て「可愛いね」と気にいりました。応募件数がたくさんあったのですが、人生初の「応募」をすると、すぐに保護主の方から「お見合いしませんか」とお返事をいただきました。  後日、家族3人で会いにいき、子猫と対面したのですが、娘は「可愛い!」といって、ちゅーるをあげたり、抱っこしたり。それが、雪ちゃんです。主人は猫を飼ったことがなかったので、まだ不安が残ったようで。一度家に帰り、気持ちを固めて迎える準備をしました。  そうして12月後半、雪ちゃんが家にやってきたのです。競技から離れ、ちょうど4か月経っていました。  はじめ、雪ちゃんは環境変化で緊張したのか、保護主さんが帰った後にみゃあみゃあ鳴いていました。私も子猫を飼うのは久しぶりで、こんなにふわふわなんだ、と新鮮でした。ごはんは食べても、おしっこをしてくれなくて心配でしたが、翌々日、耐えられない感じでトイレの前でじゃー。ほっとしました。  そこから家に慣れるのは、早かったですね。 ◆雪ちゃんはセラピスト、娘に寄り添い受験を支える 勉強の時も一緒(提供)  娘は最初こそ、おっかなびっくりの抱っこでしたが、雪ちゃんがすぐに娘に懐いたんです。ごはんやトイレの世話は私がするのに、雪ちゃんが好きなのはなぜか娘のようで。必ず娘の傍らにいるのです。勉強中に問題を解く腕の上に乗っていたかと思えば、寝る時は枕元に座り、寝かしつけるように見守っています。  そんなふうに猫と過ごすうちに、いつしか娘に笑顔が戻ってきたんです。 「重たい」なんて言いながらも自然と笑って。あんなに猫に甘えられ、絆を結ぶというのは、私自身の子ども時代を振り返っても経験がありません。  実は、話が前後しますが、競技を辞めてからすぐに娘から「中学受験がしたい」と言われ、チャレンジすることになりました。そこに雪ちゃんがやってきたのです。娘は自分の意志で競技の場から塾に場所を変え、大会から受験に目標をチェンジしたわけです。  娘が目指したいと言ったのは、親戚も卒業した私立の女子中学。中学受験は小3の2月から塾に通って準備を始めるのが多い中では、小5の秋からのスタートは遅めでした。  そして、翌年はコロナ禍です。そんな状態で受験を控えた最終学年がスタートしたわけですが、昨春からは一斉休校で塾も休みという落ち着かない事態になりました。その間、とにかく雪ちゃんは娘に寄り添い続けたのです。塾のオンライン授業の時に、割りこんで姿が映ったこともありましたが。  競技スポーツも結果が見える厳しい世界でしたが、中学受験も過酷だったと思います。今、放映されている『二月の勝者』という中学受験のドラマを家族で観ていますけど、まさにあんな感じ。親子で熱が入りました。娘は勉強も目標に向かって、集中して頑張りました。  元々負けず嫌いでしたが、スタートの遅れを取り戻し、娘は今年の2月、無事に志望校に合格することができました。  精神面では雪ちゃんの存在が大きかったですね。娘を、ずっと雪ちゃんが支えたんです。雪ちゃんはまるで、自分の役目をわかって家に来てくれたみたい。言葉を超えた触れ合いで。誰にもできないセラピーをしてくれた感じがします。 「雪ちゃんがいなかったら、競技での喪失感も癒えなかったし、受験時期の癒やしも無かったかもしれない」と思っています。  気づけば、猫を飼うことに不安を覚えた主人も「猫ってこんなに可愛いかったの?雪ちゃーーん」と。その猫撫で声に、娘と顔を見合わせて笑ったりして。雪ちゃんの一挙手一投足に家族中で夢中になり、家も明るくなっていきました。 ◆2匹目の猫と、軽井沢でお見合い あざといほど可愛い海君(提供)  受験が終わると、娘と「雪ちゃんに妹か弟がほしいね」と話すようになりました。  そのころ、保護活動をしているmaiさんのインスタグラムをチェックするのが日課になっていました。保護された猫が随時紹介されるのですが、7月、1匹の茶トラ猫が載りました。推定2カ月の男の子。ビビビときたというか、なぜか他の猫を見た時とは違う思いになり、<暑い中一人でよく頑張ったね……>という文に涙もこぼれて。その子の写真を何度も何度も見返しました。可愛いので、すぐ家族が決まるのだろうなと思いながら。 ソファでくつろぐ雪ちゃんと海君(提供)  夏休み、私は軽井沢に行く用事がありました。すると、たまたまその二日前にmaiさんが軽井沢の別宅からインスタライブをし、茶トラ君の紹介をしたんです。 「まだ家族が決まっていないんだ」  背中を押される気分で、maiさんにメッセージを送ってみました。うちには先住猫がいることと、簡単な家族紹介と、軽井沢に行く予定であることを記すと、「ぜひ会いにいきてください」とすぐにお返事がきました。ご縁があったのか、とんとん拍子でした。  そうして無事に猫とお見合いして、9月に家に来たのが海君です。  ◆無邪気な海君を包む雪ちゃんの母性 海君を抱くようにして寝る雪ちゃん。「癒されます」(提供)  海君は天真爛漫で人懐こいとは思っていたけれど、雪ちゃんとの相性は気になりました。それも杞憂に終わり、2日後には雪ちゃんはケージで寝ている海君に自分から近づき、3日目にはすぐ傍でお昼寝をしました。 「お姉ちゃんになるんだね」と雪ちゃんに話していたのですが、ママになってくれたんです。  海くんは子猫なので食べるのが早く、雪ちゃんは食べるのが遅い。そうするとごはんを譲るんです。大好きなちゅーるも、毛布も「どうぞ」。うちの主人が猫の遊び担当なんですが、猫じゃらしを振ると、雪ちゃんは海君に「最初に遊んでいいよ」と促すようにして。いつ海くんを生んだの?というくらい雪ちゃんに母性が溢れだしました。  maiさんに「2匹目を迎えると、今まで知らなかった先住さんの姿が見られます」と聞いていたのですが、まさにその通り。雪ちゃんの姿が、毎日、更新されている感じです。 ママ(エミさん)の外出時、揃ってお見送り(提供)  でも不思議なことに、今もたったひとつだけ、海君に対し雪ちゃんが譲らないものがあるのです。  それは、娘の“膝の上”です。 「お膝は私の」と雪ちゃんが教えたのか、幼い海君にも「ふたりの絆は本物」とわかっているように割り込みません。そういうシーンを見るにつけ、あらためて雪ちゃんに「ありがとう」という思いが溢れます。娘のことも、母性で包んでくれている気がしています。  よき保護主さんと出会い、2匹との暮らしを通し、私も多くの方に「保護猫」のことを知ってほしいと思うようになりました。  雪ちゃんと海君を迎えて家族の暮らしは変わりましたが、何より私自身が変わった気がします。視野が広がったというか、心に余裕ができたというか……。この先、猫の保護活動で、私にもできることで何かお手伝いがしたいなと考えるようになりました  過酷な環境にいたうちの雪ちゃんと海君には、わが家で幸せを感じてほしいし、安心してずっと元気に暮らしてほしいです。  (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらに連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
ねこ中学受験保護猫
dot. 2021/11/20 14:00
樹木希林さん、ドラマ演出家の不倫暴露も “一番弟子”浅田美代子が振り返る
樹木希林さん、ドラマ演出家の不倫暴露も “一番弟子”浅田美代子が振り返る
浅田美代子 (撮影/写真部・高橋奈緒)  今秋、長くから交流のあった樹木希林さんとの思い出をまとめた本を上梓した浅田美代子さん。作家・林真理子さんとの対談では、本の誕生秘話、希林さんとのいろんな話と話題が尽きることはありませんでした。 *  *  * 林:樹木希林さんが亡くなって、もう3年なんですね。それに合わせて浅田美代子さんが『ひとりじめ』という本を出しましたけど、すごく評判がよくて売れているみたいですね。 浅田:うれしいです。この本は真理子さんたちがいなかったらできてないですよね。 林:美代子さんと私と、中園ミホさん(脚本家)、元編集者の女性とでごはんを食べてたら、「希林さんのことを書いてくれって頼まれてるんだけど、どうしようかと思って」って美代子さんが。 浅田:そしたら「来年あたり本を出したほうがいいわよ」って中園ミホさんが言ったの。 林:あの占師ですね(笑)。 浅田:真理子さんも「いいんじゃない? 出したほうがいいよ」って言ってくれて、「でも美代ちゃん、写真が多くて文字が大きいタレント本はダメよ。文字がいっぱい詰まってて、写真も1枚にして」とか言って、「出版社、どこがいいかしら」って、そこからが早かったの。2、3日後には編集者も紹介してくれて。 林:「用事は忙しい人に頼め」っていうけど、私、頼まれた用事はすぐするの。忙しくてまごまごしてるうちに忘れちゃうから。 浅田:あれだけ早いとは思わなかったから、感動しちゃった。 林:浅田美代子さんが書いた樹木希林さんの本、私も読みたいし、みんなも読みたいだろうと思って一生懸命やらせていただいたかいがあって、いろんな人が希林さんの思い出を書いている中で、具体的でいちばんおもしろい。いいことばっかりじゃなくって、希林さんと二人で誰かの悪口を言った思い出なんかも書いてるし。 浅田:書いてるうちに希林さんのことをどんどん思い出してきて、「この話もあの話も入れたい」って思っちゃったんだけど、こんなことをやってたら焦点がぶれちゃうなって思って、やめました。 浅田美代子さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒) 林:希林さんにも前にここに出ていただいたことがあって。 浅田:変な人だったでしょ?(笑) 林:かなり個性の強いお方でした(笑)。希林さんと美代子さんって、親子みたいな関係に見られてるけど、親子ほど年は離れてないんですよね。いくつ違うんだっけ。 浅田:13歳かな。 林:だから親子じゃなくて、一番弟子って感じよね。「なんで私のこと、こんなにかわいがってくれるの?」って聞いたことがあるんでしょう? 浅田:ふつうの女子高生が芸能界に入るきっかけになったオーディションに、希林さんが審査員としてかかわっていて、「だから責任があるのよ」なんて言ってたけど。私、意外と性格がひねくれてるから、彼女みたいな変わった人、好きなんですよ。「おもしろい、この人」と思って、それこそ金魚のフンみたいにずっと一緒にいたんです。 林:1カ月に何回ぐらい会ってたんですか。 浅田:多いときは多いし、会わないときは月に1回ぐらいだったり。 林:それは二人っきりで? 浅田:だいたい二人っきり。あと、(内田)裕也さんがいたりとか。 林:裕也さん、希林さんのご夫妻と3人で、ハワイで過ごしたんでしょう? そんなコワいこと、よくできましたね(笑)。 浅田:部屋は違うし、飛行機だって私は私で別に行って、向こうで合流してたんですよ。1週間ぐらいの滞在だったんだけど、希林さんは物件好きだから、最初の3日とあとの3日、ホテルを引っ越したりするの。 林:不動産マニアだったみたいですね。美代子さんも、賃貸だったのに「家を買いなさい」って言われたんですよね。 浅田:延々言われてましたよ。「いいのよ私は。子どももいないし、残す人もいないんだから」と言ったら、「そういう問題じゃないのよ。60過ぎたら誰も貸してくれなくなるわよ。年寄りは孤独死とかあるから」って言われて、一緒に探してくれて。買ったら買ったで、「あんた、なんかコマーシャルに出てたけど、あれはギャラいくらだった? 100万でもいいから繰り上げ返済しなさい。借りたものは早く返しなさい」って。 林:それはすごく正しいアドバイスですね。 浅田:そうですよね。買わないつもりだったのに、「終のすみか」を持ったことで結局、精神的に変わったというか、落ち着きました。それまでは、たとえば車を買ったりすることでヨロイをつけてた気がするんだけど、家というちゃんとした資産を持ったことで、それがいらなくなったというか。 林:亡くなる少し前の希林さん、ご自分の死期がわかってたのか、いろんな映画に出てましたよね。 浅田:ほんとに状態は悪かったのに、メチャクチャ出てましたよ。「モリのいる場所」(2018年)、「万引き家族」(同)、「日日是好日」(同)、「エリカ38」(19年)、ドイツの映画(「命みじかし、恋せよ乙女」19年)にも出ていて、すごく精力的に仕事してらしたのよね。 林:「エリカ38」は、希林さんが「美代ちゃん、このままだったらバラエティータレントになっちゃうよ」と言って、美代子さん主演の映画を自分でプロデュースしたんでしょう? 浅田:「バラエティー色が強すぎるし、『釣りバカ日誌』とか、いい人、やさしい人の役ばっかりでおもしろくないわよ。犯人役をやりなさい」ってずっと言われてて。50代女性が起こしたワイドショーをにぎわすような殺人とかがあると、「こういうのやればいいのよ」って。「私にはこんな役来ないよ」と言ってたんだけど、年齢を20歳以上若く偽って男をだました詐欺事件があったときに、「これはいい。あんた、やれるよ」と言って、希林さんが動いたんです。 林:美代子さんへの最後のプレゼント、という感じですよね。 浅田:そうですよね。でも、ちゃんとお返ししてない感じがする。あの作品ではまだ。 林:希林さんが亡くなったとき、美代子さん、お葬式のときもご遺族の一員として、ずっと一緒に立ってましたよね。それが希林さんとの関係をあらわしてますよ。 浅田:自然にあそこにいましたね。 林:希林さんってとても冷静で知的な人ですが、本を読むと、びっくりするような一面もあるんですね。久世(光彦)さんのドラマの打ち上げのときに、久世さんがそのドラマに出ていた若い女優さんと不倫して、その女優さんがいま妊娠中だということを、希林さんが突然暴露したんでしょう? あれについて希林さんは何かおっしゃってたんですか。 浅田:希林さんは久世さんと同志みたいな感じで一緒にいろんなものをつくってきてたから、あれにはほんとにアタマに来たんだろうと思う。久世さんには家庭があったし、そういうのは許せないタイプなんですよね。周りはみんな知っているのに、誰もそれに触れないで、見て見ぬフリしてるし。それで最後の打ち上げのときに言っちゃったんだよね。 林:久世さんは激怒? 浅田:激怒というか、それでTBSをやめなきゃいけなくなっちゃって、人生が変わっちゃった。あのあと私、「仲直りしようよ」って両方に言ったけど、両方とも「絶対イヤだ」って。 林:でも、最後は和解したんでしょう? 浅田:うん。10年ぐらいたってからかな。和解したら、またベッタリになっちゃったの。 林:あ、そうなんだ。 浅田:希林さんが乳がんで入院したとき、私もしょっちゅう病院に行ってたんだけど、行くと久世さんがいつもいるんですよ。久世さん、自分が出版する小説とかについて、相談しに来てたの。希林さんの意見は的確だからね。 林:やっぱり久世さん、あんなことがあっても希林さんからは離れられなかったんですね。 浅田:希林さんと仕事した演出家とかは、離れられないと思う。 林:是枝(裕和)監督もそうみたいね。 浅田:ホン(台本)について本音で意見を言うし、それが的確だし、あんな役者さんいないと思う。「このシーンは私、いなくてもいいよね。ロケには行かないよ」ってほんとに来なかったり、セリフがすごく長いと「後半のここのセリフ、あんたが言って」って人にセリフ渡しちゃったり(笑)。 林:すごいですね、それは。 浅田:でも、そのほうがおもしろくなるのよ。それがすごい。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 浅田美代子(あさだ・みよこ)/1956年、東京都生まれ。73年、ドラマ「時間ですよ」でデビュー。劇中歌「赤い風船」が大ヒットし、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。「寺内貫太郎一家」「時間ですよ・昭和元年」「釣りバカ日誌」などのドラマ・映画など出演多数。2019年、映画「エリカ38」に主演、21年には映画「朝が来る」で第30回日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞。動物愛護団体への支援をライフワークとしている。俳優・樹木希林さんとの思い出をつづったエッセー集『ひとりじめ』(文藝春秋)が発売中。 >>【浅田美代子「上白石萌音ちゃんに『雰囲気似てるね』って言われる」】へ続く※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2021/11/20 11:30
ホリエモンも田中康夫も…瀬戸内寂聴さんはバッシングされた人の味方だった
大谷百合絵 大谷百合絵 菊地武顕 菊地武顕
ホリエモンも田中康夫も…瀬戸内寂聴さんはバッシングされた人の味方だった
瀬戸内寂聴さん(撮影/写真部・東川哲也)  99年の生涯の中で、多くの人と交流した瀬戸内寂聴さん。世間からたたかれている人も、自分と意見が違う人も、懐深く心を開き受け入れた。そんな寂聴さんの姿を心に刻む人たちに、ありし日の思い出を聞いた。 *  *  * 「みんなの味方が、亡くなった」  瀬戸内寂聴さんの訃報が流れた11月11日、親交のあった黒柳徹子さんはこのようなコメントを発表した。  みんなの味方。それは瀬戸内寂聴さんの生き方そのものだった。傷ついた人に手を差し伸べ、世間からどれほど批判を受けても見放すことはなかった。そんな生き方は、自らの過去から生まれたものだった。  20歳で結婚したが、5年後に夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘を置いて家を出た。  小説家を目指し、1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞。だが、その後に発表した「花芯」が大胆な性愛の描写で物議を醸し、一時は不遇を味わった。51歳で出家するまでに、2度の不倫も経験した。寂聴さんと20年以上の付き合いがあった小説家の平野啓一郎さんは、こう話す。 平野啓一郎さん 「瀬戸内さんは、多くの人に愛されましたが、自分に向けられる批判もよく知っていました。支持する人もいるけど、悪く言う人もいる。浮世の面白さとやるせなさを、文学者として、仏教者として、よく知っていました。自由に生きた分、いろいろな苦労をされて、自分が人を傷つけてきたという自覚もありました。特に、幼いお子様を置いて家を出たことについては、ずっと後悔されていました」  寂聴さんは、京都大在学中に芥川賞を受賞した平野さんの作品を高く評価し、新作が出るといつも励ましの連絡をしていたという。 「大学卒業後しばらくは京都に住んでいたので、京都で有名な料亭や祇園には一通り瀬戸内さんに連れていってもらいました。仏教徒としてはよくないのでしょうが、お酒も肉もよく召し上がりました。『私は破戒僧だけど、自分が一番守れそうにない淫戒だけは守ろうと決めて、実際守ってきた』と笑ってらっしゃいましたね。コロナの影響で最近は電話でしかお話できず、20年以上にわたる感謝を伝える機会がないまま亡くなられてしまったのが残念です」  寂聴さんは一貫して、世間からバッシングされた人の味方になってきた。 「青春は恋と革命」と語り、連合赤軍事件の永田洋子元死刑囚(故人)や元日本赤軍リーダーの重信房子受刑者とも手紙でやりとりを続けた。2016年には「STAP細胞」で一躍有名になったものの、論文の不正で批判された小保方晴子さんと雑誌で対談したこともある。  本誌でも、ライブドア事件で有罪になった堀江貴文さんと13年に対談。そのときも堀江さんに「私はあなたが悪かったとは思ってないの」と励ました。一方で二人は、原発問題で激しく対立。「あなたの原発論にはぜんぜん賛成できない。(中略)幽霊になって原発賛成のホリエモンに取り憑いてやる」とヒートアップする寂聴さんに、同席した編集者も肝を冷やしたが、それでも最後には、二人は打ち解けた。堀江さんは寂聴さんの訃報を受け、自身のYouTubeチャンネルで当時の思い出をこう話した。 「原発問題で反論すると、瀬戸内さんは『私が今から意見を変えることはできないけど、堀江さんの言っていることはわかりました』と理解していただいたんです。とても柔軟な方でした。寂聴さんの生き方に批判的な人もいますが、功績のほうが大きかったと思います」 田中康夫さん  00年の長野県知事選に当選した作家の田中康夫さんには、政治家になることを勧めた。阪神・淡路大震災の際に、田中さんがボランティア活動に積極的に参加していたことを知っていたからだ。寂聴さんが、田中さんに頼まれて長野県のアドバイザーになりかけたこともある。田中さんは言う。 「県知事になったとき、寂聴さんを含めた数人の方に県内で講演をしてもらおうと思って、謝礼は少なかったけどアドバイザーになってもらおうと考えたんです。結局は、県議会で否決されて実現できなかったのが苦い思い出です。寂聴さんは、会うたびに『もっと痩せなさい』と言われていましたが、私が批判されてもいつも応援してくれていました」 (本誌・西岡千史、大谷百合絵、菊地武顕、鈴木裕也、直木詩帆)※週刊朝日  2021年11月26日号より抜粋
お悔やみ
週刊朝日 2021/11/17 11:30
子宮頸がんワクチン8年ぶり接種勧奨が再開 日本の女性の接種率は1%未満の遅れを懸念
山本佳奈 山本佳奈
子宮頸がんワクチン8年ぶり接種勧奨が再開 日本の女性の接種率は1%未満の遅れを懸念
山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「HPVワクチン接種勧奨を正式に再開」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  11月12日、厚生労働省の厚生科学審議会が開催され、HPVワクチンの「積極的な接種勧奨」が再開されることが決まりました。厚生労働省は今月中にも、約8年ぶりに積極的な接種勧奨を正式に再開し、開始時期などを自治体へ通知する予定だと言います。  2013年4月、HPV ワクチンの定期接種(小学校6年生から高校1年生相当の女子が該当)が日本で開始されました。しかしながら、2カ月後には副反応の懸念から「積極的な接種勧奨」は中止。その結果、HPV ワクチンの接種率は1%未満にまで激減してしまいました。  HPVワクチンとは、ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染予防に効果のあるワクチンです。HPVには100種類以上の型があり、子宮頸がんのほとんどは高リスク型のHPVに持続的に感染することで発症します。HPV16型と18型の2種類が、子宮頸がんの原因の約7割を占めています。HPV感染の多くは免疫力によって排除されますが、持続感染してしまうと前癌病変を経てがんになってしまうのです。こうしたことから、日本ではHPVワクチンは主に「子宮頸がんワクチン」と呼ばれています。  実は、HPVの感染によって引き起こされるのは子宮頸がんだけではありません。肛門がんや中咽頭がん、尖圭コンジローマなどもHPVの感染と関連していることがわかっています。そのため、米国や英国、カナダ、ブラジルなどではこれらHPV関連がんの予防に対し、男女を問わず接種が進んでいます。日本でも2020年12月25日に、4価HPV ワクチンの男性への接種と肛門がんへの適応拡大が承認されました。しかしながら男性への接種は任意接種のため、全額自費負担となっています。 写真はイメージ(GettyImages)  HPVワクチン接種はすでに、100か国以上で導入されています。主に性交渉によって感染するため、HPVウイルスに感染する前、つまり性行為が始まる前に投与することが最も効果的となります。そのため、日本でも小学校6年生から高校1年生相当の女子に対してHPV ワクチンが定期接種となっていますが、「積極的な接種勧奨」の再開の次は、女子だけでなく男子も定期接種とする議論を始める必要があると私は考えています。  さて、日本では副反応が懸念され続け「積極的な接種勧奨」が中止されたままだったHPV ワクチンですが、WHO(世界保健機関)は2017年の諮問委員会による安全性に関する声明で、「HPVワクチンが承認されて以降、多くの大規模で質の高い研究・調査において、懸念されるような新たな有害事象は認められていない。HPVワクチンは極めて安全であると考えられる」との声明を出しています。子宮頸がんの撲滅に関するWHOのグローバル戦略の根底にあるのが、HPVワクチン接種なのです。  日本でHPVワクチンの「積極的な接種勧奨」が中止されていた間、HPVワクチンの有効性と安全性についてこれまで多くの研究が発表されました。さらに、HPVワクチン接種が開始されてから10年以上が経過し、子宮頸がん予防への効果が近年報告され始めているのです。  今年の11月3日、英国でのHPVワクチン接種の有効性がランセット(Lancet)において報告されました。それによると、2008年9月1日に英国でHPVワクチン接種が導入された結果、12-13歳の時にHPVワクチンを接種した女性の子宮頸癌の発現率は接種しなかった女性に比べて87%低いことが推定されたといいます。  国立がん研究センターのがん統計によると、2018年に子宮頸がんと診断された数は10,978例、2019年の死亡数は2,921人でした。「積極的な接種勧奨」が中止されていたのが約8年間なので、主に24歳以下の女性が接種の機会を失ったことになります。がん統計と統計局の人口推計より計算すると、15歳から24歳の女性の子宮頸がんの診断数は約24人です。そこで、英国でのHPVワクチン接種により子宮頸癌の発現率が87%低下するというデータを当てはめると、HPV ワクチンを接種していれば約21人は予防できていたことになります。10年後はどうかというと、25歳から34歳の性の子宮頸がんの診断数は約703人なので、HPV ワクチンを接種していれば約611人は予防できるだろう、ということになるのです。  昨年10月1日には、スウェーデンでのHPVワクチン接種の有効性がニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)において報告されています。それによると、  スウェーデンの10歳から30歳の女性約167万人を31歳までの追跡調査したところ、4価HPVワクチン(ガーダシル)を17歳までに接種した女性の28歳までの子宮頸癌の発現率は10万人あたり僅か4人でした。また補正解析の結果、非接種であった女性に比べて88%低いことが示されたといいます。  HPVワクチンの接種について、新型コロナウイルスワクチンの当初の接種遅れとは比較にならないほどの世界からの遅れを日本はとってしまったと言っても過言ではありません。  米国疾病予防管理センター(CDC)によると、米国の18歳から26歳の若い成人のHPVワクチン接種率は、2013年から2018年の6年間に22.1%から39.9%に増加し、2013年から2018年にかけて、HPVワクチンを1回以上接種したことがある女性の割合は、36.8%から53.6%へと増加し、男性の割合は7.7%から27.0%へと3倍以上に増加しました。  一方、日本のHPV ワクチンの接種率は1%未満です。「積極的な接種勧奨」の再開だけでは、接種率はすぐには上がらないでしょう。一人でも多くの男女が接種できるよう、接種についての丁寧な説明や支援体制の構築が、今後日本に求められるのではないでしょうか。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員
がん子宮頸がんVワクチン病気病院
dot. 2021/11/17 07:00
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若林健史 若林健史
歯科医院で働く「歯科衛生士」って何をする人? どんな理由で目指したのか聞いてみた
 歯科医院に欠かせない歯科衛生士。歯石やプラークの除去などでお世話になった人は多いことでしょう。超高齢社会の中で、今後、ますます必要とされる仕事だといわれています。しかし、一般の人にはまだその重要性は認知されていないかもしれません。そんななか、歯科衛生士を目指すのはどのような人なのか、志望動機は何だったのか、歯科医師の若林健史先生に、自身のクリニックで働くスタッフのケースを聞きました。 *  *  *  私の歯科医院(東京・恵比寿)には26歳から56歳まで、合わせて6人の歯科衛生士がいます。なお、6人すべてが女性です。なぜうちのクリニックに限らず、この仕事に女性が多いのかというと、歯科衛生士法で長い間、歯科衛生士は女子の仕事、と記載されていたことがあります(実際には男性の資格取得も可能でした)。また、歯科衛生士の養成学校の多くが女子のみの募集でした。現在は法律も変わり、大学でも資格を取得できるところが増えたことから、男性もこの仕事に就きやすくなっています。  話を元に戻しましょう。6人のスタッフのうち最も長くやってくれているのは50代の女性です。新卒(21歳)で当院に就職し、現在まで30年以上、働いています。  彼女は中学時代、勉強を頑張り、都内でも有名な進学校に入りました。しかし、受験勉強に疲れたこともあり、高校卒業後は大学に行かずに、「何か手に職をつける仕事がしたい」と考えるようになったといいます。手先が器用だったこともあったようです。  最初はテレビで見た「染色職人」に憧れましたが、 「修業期間が長く、一人前になるまでには大変だ」と親に反対されます。 「何かほかにいい職業はあるだろうか」  と考えていたときに、ふと、小学校のときに通っていた歯医者の記憶が思い起こされました。  むし歯が多く、毎年、学校健診で歯医者に行くように学校から手紙を渡されました。それを持って夏休みに歯科医院に通っていたのです。そこで働く女性(歯科衛生士)が生き生きとしていて、とても楽しそうに見えたことが、現在の仕事を選ぶきっかけになりました。 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  もう一人の50代のスタッフは、20代前半にうちに来た後、結婚・出産を経て、戻ってきてくれまし。  彼女が歯科衛生士を目指すきっかけは、お母さんからの助言だったそうです。  早い時期から、 「将来は女性も男性も関係なく、一生できる仕事に就きなさい」  と言われてきました。  高校生になると、さらに「歯科衛生士という仕事がいいのではないか?」とすすめられました。彼女は言います。 「私は『人と接することが好き』でした。母親はそのことを知っていたので、患者さんとじかに接することができる歯科衛生士をすすめたのだと思います。実際、自分にはこの仕事が向いていました。母親に感謝ですね」  おもしろいことに、2人ともに共通していたのは、高校時代、「理系科目が苦手」ということでした。多くの医療系の仕事が受験で理系科目を必要とするのに対し、歯科衛生士の養成学校は文系科目で受けられるところが多かったのです。今でもその傾向は変わっていないようです。 「医療系の仕事に就きたいけれど、理科や数学は苦手」  という人にはすすめられる仕事かもしれません。  歯科衛生士に必要なことは主に手を使った細かな技術の習得です。例えば歯周病予防の基本はプラークと歯石の除去。少しでも取り残しがあるとそこから歯周病が再発する可能性があります。ていねいに、かつ正確に、さらに患者さんの苦痛がないように処置をしなければなりません。  もう一つ大事なのがコミュニケーション能力です。処置の内容によっては、患者さんは歯科医師よりも歯科衛生士に接する時間が長くなります。また、歯科衛生士を担当制にしている歯科医院では、患者さんと何十年ものつきあいになるケースもあるからです。  こうした点から、歯科衛生士をやりたいという意欲があり、かつ、人と接するのが好きな人にこそ向いている仕事なのではないでしょうか。  前出の2人は、まさにこの条件にぴったりだったのでしょう。 「とてもやりがいのある仕事」  と言っていました。  なお、今から5~6年ほど前までは、歯科衛生士は「寿退社」が当たり前でした。しかし、最近は結婚や出産後も働き続けるのが一般的です(このため、歯科衛生士が若い女性ばかり、という歯科医院は減ってきているはずです)。  いったん、仕事をやめてしまった場合も、関連学会がさまざまな復職支援をしているので、現場に復帰しやすいこともあります。  私は個人的に、結婚、出産はこの仕事にプラスに働くと考えています。離婚も例外ではありません。歯科医院には年齢も職業も違う、さまざまな人がやってきます。人生経験が豊富であるほど、患者さんを理解し、深く接することに生かせると思うのです。  歯科衛生士になるには短期大学や専門学校などの養成所で3年間、学ぶ必要があります。  最近は4年制大学で学べるところも増えてきました。また、働きながら夜間で学べる学校もあり、さまざまなルートから歯科衛生士になる道が開かれています。  歯科衛生士の仕事は近年、介護施設や一般の病院などまで、さまざまな場で必要とされています。このため、まだ数は不足しています。超高齢社会の日本で、今後ますますその役割が期待されていることは間違いありません。  ただ、子どものころに歯科医院に通った経験が少なければ、歯科衛生士という職業に接する機会が少ないのも事実です。  関連学会では仕事紹介のDVDを作製し、高校に配布するなどして、その職業の魅力を伝えようとしています(当院も協力しました)。多くの若者にぜひ、歯科衛生士の仕事に興味を持ってほしいと思います。
歯科医病院
dot. 2021/11/15 07:00
「朝日杯」「信夫杯」大学生ゴルフ大会が打ち切り 丸山茂樹が振り返る
丸山茂樹 丸山茂樹
「朝日杯」「信夫杯」大学生ゴルフ大会が打ち切り 丸山茂樹が振り返る
丸山茂樹  丸山茂樹氏は、プロ9年目で初優勝した池村寛世選手への祝福、大学生のゴルフ大会の打ち切りなどについて語る。 *  *  *  国内男子ツアーの「ISPS HANDA ガツーンと飛ばせ」(10月28~31日、茨城・美浦GC)で、26歳の池村寛世がプロ9年目で初優勝しました。  非常にポテンシャルが高くて飛距離も申し分ないですし、もっと早めに活躍できててもおかしくなかった選手だなあと思って見てましたね。これまでは何かがかみ合わなかったんだと思いますけども、これでいろんなものが見えて、次のステップに入れると思います。  最終日に5打差の単独トップで出た植竹勇太も池村と同じ26歳の選手です。5打差をひっくり返されたってのはキツいですよね。いつこういう場面が来るか分からないので、猛烈な追い上げを食らうことも想定して、はねのける何かを身につけておくってのが今後の課題なのかなと思いますね。一方で3日間終えたところで5打差もつけられたってのは、自信にしておけばいいと思うんです。  国内女子ツアーの「樋口久子・三菱電機レディス」(10月29~31日、埼玉・武蔵丘GC)では、渋野日向子さん(22)が3週前に続く日米通算7勝目を挙げました。  最終の18番で2打差を追いついてプレーオフなんて、恐ろしい粘りです。相手のペ・ソンウ(韓国、27)が気の毒にもなります。渋野さんと3回目の優勝争いで3連敗。相当な相性の悪さもあるんでしょうけど、渋野さんの圧力が彼女をそうさせたんだと思うんで、やっぱりメジャーチャンピオンは勝つべくして勝つ選手であるということがね、この結果にも重く出たんじゃないかと思います。  この試合の放送は視聴率が12.4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)で、女子ゴルフの放送としては2年ぶりに2桁の数字だったそうです。女子ゴルフのファンは非常に多いですからね。ギャラリーの数を見てれば分かります。当然の数字でしょうね。 最後の信夫杯は男女とも東北福祉大の優勝でした  最後に、大学ゴルフの「朝日杯争奪日本学生ゴルフ選手権」と「信夫(しのぶ)杯争奪日本大学ゴルフ対抗戦」という伝統のある試合が来年から開催されないことになりました。  非常に残念ですね。僕らが通ってきた道なんで、ちょっとショックですね。詳しいことは僕も分からないんですけど。  僕は日大での個人戦初優勝が朝日杯なんですよ。小学6年のときに川岸良兼さんを見て、「絶対にこの人に勝ちたい」と思って、3学年違いなので僕が大学1年のときが最初で最後のチャンスでした。でもなかなか勝てずに朝日杯を迎えて、最終日最終組で川岸さんと伊澤利光さんと3人で回って、最終ホールで僕がイーグルをとって逆転優勝したんです。  団体戦の信夫杯は日大にとって優勝しかあり得ない試合でした。熱い思いを持って、勝ち続けました。  いろんな事情があるんでしょうけど、一つの歴史が幕を閉じるってのはさみしいもんですよね。代わりになるような試合を新たにつくれたらいいなとは思いますけどね。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表監督を務めた。セガサミーホールディングス所属。※週刊朝日  2021年11月19日号
丸山茂樹
週刊朝日 2021/11/14 07:00
【追悼】瀬戸内寂聴さん99歳で死去 生前にホリエモンと対談「あなたは悪くない」
【追悼】瀬戸内寂聴さん99歳で死去 生前にホリエモンと対談「あなたは悪くない」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)1922年、徳島県生まれ。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞、63年に『夏の終わり』で女流文学賞を受賞。73年に天台宗東北大本山の中尊寺で得度する。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章。映画「夏の終わり」(熊切和嘉監督)が公開中(撮影/写真部・松永卓也)>瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)1922年、徳島県生まれ。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞、63年に『夏の終わり』で女流文学賞を受賞。73年に天台宗東北大本山の中尊寺で得度する。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章。映画「夏の終わり」(熊切和嘉監督)が公開中(撮影/写真部・松永卓也)  作家瀬戸内寂聴さんが11月11日、亡くなっていたことがわかった。99歳だった。朝日新聞デジタルが報じた。故人をしのび、堀江貴文さんとの対談を再掲する。※肩書や年齢等は当時。  ◇  今年3月に仮釈放され、再びメディアに登場している元ライブドア社長・堀江貴文氏が、以前から交流のあった作家で尼僧の瀬戸内寂聴氏と約3年ぶりの再会を果たした。堀江氏はライブドア事件を振り返った。 *  *  *堀江:いまはスマホが普及して、LINEとか他人とつながるためのツールも増えています。だからあまり寂しくないんですよね。昔はそういうツールが少なかったので、家族とか会社の存在が大きかった。いまはネット上にもコミュニティーをつくれますし、精神的な拠り所がいっぱいあります。インターネットが世の中を変えたんです。 瀬戸内:そういうインターネットの世界で名を馳せて、当時はあなたをいじめる人が多かった。それで捕まって牢屋に入れられたけど、やっぱり有罪になるような悪いことをしたの? 堀江:ああいうのって有罪にできちゃうんですよね。 瀬戸内:でも優秀な弁護士はつけたんでしょ。 堀江:それがつけられなかったんですよ。 瀬戸内:え? なぜ? 堀江貴文(ほりえ・たかふみ)1972年、福岡県生まれ。ライブドア社長だった2006年に証券取引法違反容疑で逮捕。11年4月、懲役2年6カ月の実刑が確定。同年6月20日に収監された。仮釈放後、11月までは保護観察期間となる。11月1日に『ゼロ』(ダイヤモンド社)が刊行予定(撮影/写真部・松永卓也)>堀江貴文(ほりえ・たかふみ)1972年、福岡県生まれ。ライブドア社長だった2006年に証券取引法違反容疑で逮捕。11年4月、懲役2年6カ月の実刑が確定。同年6月20日に収監された。仮釈放後、11月までは保護観察期間となる。11月1日に『ゼロ』(ダイヤモンド社)が刊行予定(撮影/写真部・松永卓也) 堀江:いきなり強制捜査に来られて、1週間で逮捕されたんで余裕がなかったんです。テレビ局と喧嘩をしたので、世の中から一気に総攻撃を食らった。その状態で刑事裁判をちゃんとできる優秀な弁護士が誰かとか冷静に選別できなかった。まさか自分がそんな世界に放り込まれるとは思ってなかったですから。 瀬戸内:ひどい状態だったのね。 堀江:今では誰が優秀なのかわかりますけどね。今一番優秀なのは弘中惇一郎先生ですね。郵便不正事件で村木厚子さんの無罪を勝ち取った人です。最近は小沢一郎さんもそうですね。その弘中先生に、最高裁でようやく頼んだんですよ。紹介してくれたのが「ロス疑惑」の三浦和義さんだったんで、なかなか素直に「はい」と言えなくて時間がかかってしまいました。 瀬戸内:今でも自分が不当な扱いを受けたと感じてる? 堀江:もう忘れました。 瀬戸内:忘れられるの! 堀江:はい。もうどうでもいいです。 「誤解されないかしら(笑)」(瀬戸内)、「なんか照れますね」(堀江)と、初の“ベッド・イン”!?を果たした2人(撮影/写真部・松永卓也) 瀬戸内:私はあなたが悪かったとは思ってないの。世の中がね、あなたの悪口ばかり言ってたでしょ。あのころから味方でしたよ。私なんかじゃ何をするのか予測がつかない天才的なところが好きなの。今流行の「倍返し」ってやればいいじゃない。 堀江:僕自身のことはもう本当にどうでもいいんです。ただ、おかしいことはおかしいと言い続けますよ。捜査機関って維持するためにはやっぱり捜査をしなくちゃいけない。組織を維持するために、昔は犯罪にならなかったことを犯罪にするのはエゴでしかない。 瀬戸内:なんだか怖いわねえ。私は「徳島ラジオ商殺し」の冨士茂子さんの冤罪事件に関わって20年以上も彼女の闘いを応援したので、裁判の怖さといい加減さを知ってます。それに「幸徳秋水事件」も書いたので、牢屋の中のこともよく研究してます。まだ入ったことないけど。 堀江:確かに、いい加減ですね。 瀬戸内:私はもういろんな冤罪を見てきたからわかるの。だから、あなたの件も一種の冤罪なんじゃないかって。何かに嫌われたのね、あなたは。 堀江:フジテレビですよ。 瀬戸内:目障りだったのね。自分たちの予測できない人間が出てきて、どんどんお金を儲けてね。そういうことが起こると凡人は困るのよ。みんな迷惑するの。それでやっつけろってなった。まあ、世の中を変える人は、世の中から嫌われるものよ。あなたは政治にはもう興味ないの? 堀江:ん~微妙ですね。 瀬戸内:政治だけはやめときなさい! 堀江:(笑) ※週刊朝日 2013年10月18日号より再掲
ホリエモン瀬戸内寂聴追悼
週刊朝日 2021/11/11 13:33
【追悼】瀬戸内寂聴が最愛の66歳年下秘書にクビ宣言?!生前明かした手紙の秘密
【追悼】瀬戸内寂聴が最愛の66歳年下秘書にクビ宣言?!生前明かした手紙の秘密
[右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)>[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章 [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)  作家瀬戸内寂聴さんが11月11日、亡くなっていたことがわかった。99歳だった。朝日新聞デジタルが報じた。故人をしのび、最愛の秘書、瀬尾まなほさんとの対談を再掲する。※肩書や年齢等は当時。 *  *  *  作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思いを3年かけて執筆した。対談では、まなほさんが出した手紙に寂聴さんが返事を書かなかった理由が初めて明かされた。 まなほ(以下、ま):今月8日に結婚式を挙げました。私がバージンロードを歩いてチャペルの前まで行ったとき、先生が大きな声で「きれいだよー!」と叫んでくれたのがすごくうれしかったです。 寂聴(以下、寂):車椅子にも乗らず、杖もつかず、ちゃんと出席できました。華やかで和やかな式で、まなほは格別きれいでした。 ま:2、3年前までは、この場に先生が来られることを二人とも想像できなかったので、夢がかなったという思いです。「次は赤ちゃんだね」と言ってくれました。 寂:新郎も優しそうないい男。まなほのほうが威張ってると思いますから、尻に敷くんじゃないでしょうか(笑)。 ま:今回の本では、前作が出てから自分に起きたことを書いています。講演もするようになったり、テレビに出るようになったり、本を出してからガラッと変わりました。それと結婚のこと。 寂:もう31歳でしょ? 赤ちゃんを産むには、若いときほど楽なの。 ま:彼と出会ったとき「これだ!」というのはなかったんですけど、適齢期っていうのと、赤ちゃんが欲しいっていうのはずっとあったので、ちょうどいいタイミングで結婚したいと思える人に出会えたから、それはよかったです。 寂:お世話してくださる人が随分いらして、お見合いも何度もしてるんですよ。とてもいいお話ばかり来たんだけど、結婚っていうのは条件じゃなくて「好き」という気持ちでしょ。昔と違うからね。私たちが若いころは、お見合いしたらその人と結婚しなきゃいけない。でも今は、自由恋愛だから。 ま:彼を選んだ理由としては……私は押しに弱いので、自分から行けないんですよ。押されてっていうのもあるし、フィーリングです。話してて楽しい人がいい、というのが一番にあって、今の彼にはあてはまりました。 寂:彼のことは、決まってから紹介された。見せないのよ、私がまた反対すると思って。 ま:彼と先生は仕事でも会ってたんですけど、全くそういうふうに思ってなくて。 寂:そう、お相手とは思わなかったの。寂庵にはいろんな人が出入りするからね。どれだかわからなかったの。 「寂庵」での対談は、度々にぎやかな笑いに包まれた(撮影・楠本 涼) ま:先生がおしゃべりだから私、言わなかったんです。「しゃべらないでください」とお願いすると、「言われたくなかったら寂庵辞めろ」とか言うんですよ! 寂:だって、私がおしゃべりってことは、天下みんな知ってるから。ここでしゃべったことは、明日にはもう全国に広まるね。 ま:彼のことはちゃんと大切にずっと持っていて、いざ、というときに言いました。それでも私は「言わないでね。言ったらだめ」って言ったのに、先生は言いまくってましたけどね(笑)。 寂:「これを言っちゃあね、まなほが怒るからね、内緒よ」って言うの。お相手はハンサムですよ。ああ、ハンサムだからこの人「うん」って言ったんだな、って思った。だけどね、外から見ただけでは中身はわからないっていじわる言ってやる。ま:そう、それで「顔がいいから、たぶんすぐ女ができるよ」って……そんなことばっかり言われてます。でも、ブサイクだったら陰でボロクソ言ってると思う。イケメンお好きですもんね。 寂:だって見るだけでもいいじゃない? ご飯がおいしいよ。お相手はまなほのおかしいところを理解してるみたいなの。私がまなほといて笑うでしょ。その人も、まなほのおかしいところを笑うんだって。それなら大丈夫、と思って。 ま:あらためて彼が寂庵に挨拶に来たときに、「あ、あなただったの、よかった!」って言ってくれたんです。 寂:それはご挨拶で。あっはっは(笑)。 ま:こういうふうに、私にいじわる言うのが大好きなんですよ! 見てください、このうれしそうな顔。寂しいとか思わないんでしょう。 寂:ちっとも。二人で来たら、かえって今度はにぎやかになるんじゃないですか。 ま:結婚後も働かせてもらいます。今は京都で二人で暮らしてます。 寂:生きてる間に結婚式出られてよかったな、と思います。だって私はもう97歳よ。いつ死んでもおかしくない。 ま:週刊朝日と同じ年なんですって! 寂:いいねぇ、週刊朝日。このごろちょっと暇だとベッドで寝たいの。横になって読むには、重い本は読めない。だから週刊誌にとても詳しいんだよ、私! 端から端まで全部読むの。 ま:朝起きたらベッドから雑誌が落ちてますよね。読んでる途中に落ちたのかな。時々、表紙の俳優さんやジャニーズでも、先生が「あ、この子かわいいね」と思う人いますよね。  この本には、先生からもらった手紙の返事も載せました。これまで何度も先生に手紙を書いてきたけど、ずっと返事はもらってなかった。それを、当時連載していた文芸誌「群像」の小説『死に支度』を通じてもらったんです。小説に登場するモナ(私)宛てで。 <私の所から早く巣立って、自分の中に眠っている可能性の種を育てて、鮮やかな大輪の花を咲かせなさい。死なない私はモナが九十二のお婆さんになっても、傍についていてあげます> 寂:まなほに宛てて書いたって一銭にもならない(笑)。 ま:たぶん本当にただ忙しくて、「せっかくだから、ここで手紙の返事を書こう。そしたらお金にもなるし、まなほも喜ぶし」とひらめいたんじゃないですかね(笑)。 寂:まなほは文才が初めからある。手紙が素直でね、とてもいいの。この人にこう書きなさい、なんて言ったことない。 ま:一度私が手紙を書いたときに先生の部屋をのぞいたら、「あんた本当優しいね」ってちょっと泣いてたことがあったんですよ。 寂:目がかゆかったんじゃない? ま:そういうことしか言わないんだから~。でも、それはすごく覚えています。先生は、「秘書も書く仕事もどっちもできないから、秘書を辞めて書く仕事に専念しなさい」って言ってくれたけど、先生を見てるから書くことだけで生きていける自信は全くないし、まして小説も書けない。どうしても書くことで生きていく覚悟ができない、ってこの本の中で書いたんです。 寂:でもね、初めての本が売れて、すごいお金が入ってきたの。借りたいぐらいよ。だからやっていけますよ。運もいいのね。1冊だけでこれだけ売れたってことはすごいことなの。おもしろくなかったら人は買いません。おもしろいから読んでくれたんですよね。 ま:先生は今日もわざと私にいやなこと言って、私が耳を引っ張ったら「そんなのクビだ」って。そんなやりとり、毎日ですよ。もう8年一緒にいます。 寂:8年って感じ、しないね! ま:いつも2、3年って言われる(笑)。だけどこの本では、先生はかまわれすぎるのが嫌、基本一人が好き、とも書いています。 寂:そう、一人が好きなの。スタッフたちは午後5時に帰ってしまうから、夜は一人です。 ま:先生が「夜ぐらい一人にさせて」と言ったんです。周りの人から見たら、97歳を一人にするなんてけしからんって怒られるかもしれないんですけど、本人がそれを望んでいたら、私たちはむげにそれを断れない。一人で夜な夜な台所に来てお菓子食べて、お酒も飲んで、自由にしていますよ(笑)。 寂:ちょっとほっとするの。 >>【後編】「瀬戸内寂聴が明かす、寂庵のスタッフが“若返る”理由」へ続く (構成/本誌・緒方 麦) ※週刊朝日  2019年7月5日号より再掲
瀬戸内寂聴秘書追悼
週刊朝日 2021/11/11 13:12
【追悼】瀬戸内寂聴が生前明かした、周りのスタッフが“若返る”理由
【追悼】瀬戸内寂聴が生前明かした、周りのスタッフが“若返る”理由
[右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)>[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章 [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)  作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが11月11日、亡くなっていたことがわかった。99歳だった。朝日新聞デジタルが報じた。故人をしのび、最愛の秘書、瀬尾まなほさんとの対談を再掲する。※肩書や年齢等は当時。 *  *  * 作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思いを3年かけて執筆した。前編に引き続き、師弟対談を掲載する。 まなほ(以下、ま):本では、先生が反原発で闘う姿も書きました。89歳で座り込みに参加したり、胆嚢がんの手術の退院直後に国会議事堂前の集会に出たり……。圧倒されました。先生は長らく政治応援はしてこなかったですよね。川端康成さんの頼みすら断ったのに、つい5年前、都知事選で細川護熙さんを応援した。そこに小泉純一郎元総理もいましたね。 寂聴(以下、寂):細川さんは好きだから。選挙手伝って知ったけど、奥様がとってもいい方。細川さんは演説へたなんだけど、奥様がすごくうまい。小泉さんは総理のときから知っています。私が小泉さんにあんましたこともあるくらい。 ま:うまいんですよ。私もたまに肩出すと「凝ってるね~」って先生がやってくれるんですけど、「なんで私がしなきゃいけないの!」って途中で我に返るんです。 寂:被災地へ行くと、何もしてあげることないじゃない。だから「みんな疲れてるでしょ? あんましてあげる、いらっしゃい」って言うの。それでおばあさんが「では……」って来るからやってあげると、「はぁ~、いい気持ち!」って言うの。ふっと見てみると、ずらーっと並んでるのよ! ま:疲れるし、結構力がいると思うんですけどね。 寂:徳島の女学校は、卒業時に本職のあんま師を呼んできて、習ってから卒業するの。それで、結婚したら「亭主をもめ」ではなく、「舅と姑をもみなさい」と言うの。 ま:秘書になって最初のころは、私も怒られたことがありました。 寂:えっ、そう? たとえばどんなこと? ま:一度私が何か余計なこと言って、怒られたことがありました。それですぐに「先生すみません。ごめんなさい」と謝ったときの手紙を全部載せました。私に限らず、基本どんなときに怒りますか? [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)>[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章 [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼) 寂:うーん……やっぱり出しゃばったときじゃない?よく知らないくせに知ったこと言ったりとかね。 ま:そんなに怒らないですけどね、最近は。 寂:やっぱり年をとったら面倒くさくなる。まあいいか、と思って。 ま:若い世代と一緒にいる生活はどうですか? 私が30代、20代が1人いて、あとはお堂のスタッフは70代です。 寂:70代だけど、うちに来ればみんな若返るの。ぱっと見たら50代にしか見えない。髪形とか、お化粧とか、服も派手なもの着ててね。だから毎朝、「今日のいいねえ」「似合ってる」「お化粧がうまくいってる」と、必ずほめてあげる。そしたら、みるみるきれいになる。単純よ、人間。  気持ちよく働いてもらいたい、とまでは思ってない。誰かを見たら、幸せにしてあげようと思ってるの。そしたらほめるしかないじゃない。「今日の服いいわね」なんて言ったら、その服が私のお古だったりする(笑)。みんなにこにこしてますよ。 ま:新聞の字は読みにくくないですか? 寂:私は平気。眼鏡かけるし、白内障の手術もしてるから。でもね、この手術はしないほうがいいよ。術後に病院の鏡を見るでしょ。自分がこんなに汚い顔だと気づいて「ああっ!」って。もうね、絶望するよ。 ま:「80歳のおばあさんがいる!」ってね。 寂:そうそう。そのときの秘書が廊下にいて、何事かと飛んできたの。私が「ほら、見て、おばあさん!」と言ったら「前からですよ」って。クビにしようかと思った。 ま:先生は今も手書き原稿ですけど、長時間書くこともありますよね。 寂:忙しくなければ何時間ってことはない。「新潮」と「群像」の締め切りがほぼ同じなので、そのときは一晩徹夜して両方とも書いた。97歳で文芸誌二つ連載する作家は、かつてなかった。よくやってるね。  記憶力がいいってよく言われるけど、ものを覚えようとしたことないんですよ。だけど子どものころ、四つくらいのことから全部覚えてるの。 ま:先生に「一番良かった時期はいつですか?」って聞いたら、「子どものころ、遊んだり勉強したりするとき」って言ったんですよ。 寂:汚い子だったから、おできに薬をつけて、みんな遊んでくれなかったけど、それが良かった。一人遊びをするためにいろいろ工夫して、想像力ができたの。小説家になった一番の原因はそこだと思います。石一つ拾ったら、その石で遊ぶことができたの。それが今、一から全部思い出される。 ま:これまで私にそんな話してくれたことなかった。「新潮」の連載のために書き始めてから「4~5歳のときの思い出をこんなに覚えてるんだ」と思ったわけですよね。かつて多分、その時代のことを書いたことないんですよ。だからそういう意味では「残る」ものになると思います。 寂:幼稚園に入る前だからね。ある夜のことを書こうと思って思い出すと、「こんなことも、あんなこともあった」ってその辺りのこと全部思い出される。このごろ、子どものころの世界が一番身の回りにある。書くまではそんなこといちいち思い出してなかったんですよ。 ま:私がすごいと思うのは、スランプが一度もないこと。私はこの本を書くのでさえ3年かかったのに、先生はいまだに何を書こうか悩むことはあっても、書けない時期がないじゃないですか。書き続けられる力が衰えず、それだけずっと生み出しているのはすごい。 寂:天才とかよく売れてる人は、「スランプで書けない」とか言うじゃない。あれ言ってみたいんだけどね(笑)。 (構成/本誌・緒方 麦) ※週刊朝日  2019年7月5日号より再掲
瀬戸内寂聴秘書追悼
週刊朝日 2021/11/11 13:12
瀬戸内寂聴さん死去「私はたぶん、今年死ぬ」   佐藤愛子さん「仲間がいなくなってしまった」
吉崎洋夫 吉崎洋夫
瀬戸内寂聴さん死去「私はたぶん、今年死ぬ」  佐藤愛子さん「仲間がいなくなってしまった」
瀬戸内寂聴さん、2019年5月に行われた秘書の瀬尾まなほさんとの対談で見せた笑顔(撮影/楠本涼)  瀬戸内寂聴さんが9日、京都市内の病院で心不全で亡くなっていたことがわかった。99歳だった。  最近は体調を崩し、入院中だった。瀬戸内さんは週刊朝日で美術家の横尾忠則氏と『往復書簡 老親友のナイショ文』と題して連載をしていたが、今年10月15日号に<瀬戸内が風邪をひいてしまい、寝込んでいる>として、秘書の瀬尾まなほさんが代理で連載を執筆。その後、今週発売した11月19日号まで、6号連続で代理執筆が続いていた。  近年の瀬戸内さんから自身の死を意識した言及が多かった。2020年6月19日号では<自分の死がいよいよ近づいてきたと感じる>と綴っていた。また、今年1月22日号では<私はたぶん、今年、死ぬでしょう。(数え年で)百まで生きたと、人々はほめそやすでしょう>と述べていたが、今年2月26日号のインタビューでは<死ぬまでにもう一本、長編小説を書きたいのよ>と抱負を語っていた。  瀬戸内さんが休んでいる間は、連載中の『往復書簡』で秘書を通じて瀬戸内さんの様子が報告されていた。10月22日号では<瀬戸内の様子はおかげさまでだいぶよくなりました>と述べていたが、10月29日号では<風邪をひいて治りかけていた瀬戸内の体調がまたぶり返してしまった>と綴っていた。  一方で<弱っている瀬戸内を見ると、最近特に不安になります。私にとっては「無敵」な存在だったからです。「100歳」という数字をみれば誰でも高齢者ということはわかります。けれど瀬戸内はそういう括りに入らず、いつも超人的に元気だったからです。しかし、この頃はそうではなく、風邪でもひかれるとそれが命とりになることもあるので、私はいつも怯えています。願いは、「無事に年を越せますように」「5月の100歳の誕生日を迎えられますように」それだけです>と不安も記していた。  瀬戸内さんの様子が最後に紹介されたのは11月5日号で、そこには<だいぶ体調は良くなり、普通に冗談も言え、アイスクリームも食べ、いつもの瀬戸内に戻りつつありますが、しばらく寝ていたため体力が落ちており、書く気力がまだ起きない状況です。最近リハビリも開始し、体力を戻すために歩き始めたりしているので、ご安心ください>と書かれていた。 1973年、週刊朝日11月30日号で表紙も飾った  その後は秘書も<時間が取れない>として、直近の11月12日号と19日号では編集担当が代理で連載記事を書いていた。  訃報を受けて、親交のあった作家の佐藤愛子さんはこうコメントをAERAdot.編集部に寄せた。 「言葉にできないような気持です。私は98歳、瀬戸内さんは99歳。とうとう仲間がいなくなってしまったなあと。これから冥途の風を私が受けますね。瀬戸内さんは永遠に死なない存在というか、いつも元気でわれわれの前に立っていてくれて、その存在で安心させてもらっていました」  瀬戸内さんは1922年5月15日、徳島市生まれ。21歳で結婚。長女を出産したが、夫の知人と不倫関係になり、娘を残して家を出ている。その後、本格的な文学活動を開始し、1957年に『女子大生・曲愛玲』で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞。人気作家となる。作家・井上光晴氏との不倫があったことでも知られている。  73年、51歳のときに平泉・中尊寺で得度。同年、週刊朝日11月30日号で手記を著し、表紙も飾ったことがある。2006年に文化勲章、17年度朝日賞を受賞している。  不倫については井上氏の娘で作家の井上荒野(あれの)さんが、父と母、瀬戸内さんの三角関係を題材にした長編小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)を執筆。映画化も今月5日に発表されていた。荒野さんとは19年2月18日号の『AERA』で対談をし、話題を集めた。  著書は『夏の終り』(新潮社)、『美は乱調にあり』(文藝春秋)、『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)、『寂聴 九十七歳の遺言』(同)など多数。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)
瀬戸内寂聴
dot. 2021/11/11 13:09
【独自】池江璃花子の心を強くした母・美由紀さんが語る子育て「水着やゴーグルはおさがり。タイムより人間性が大事」
【独自】池江璃花子の心を強くした母・美由紀さんが語る子育て「水着やゴーグルはおさがり。タイムより人間性が大事」
競泳の池江璃花子選手の母・美由紀さんは、1995年に幼児教室を開講。講師兼経営者を務めながら、ひとり親で3人を育ててきた(撮影/写真部・高橋奈緒)  白血病を克服して東京五輪出場を果たした競泳・池江璃花子選手(21)の母・美由紀さんが五輪後、初めてメディアのインタビューに答えた。池江選手の、しなやかで強い心はどのようにして育まれたのか。困難にぶちあたってもあきらめない子どもを育てる方法とは――。親として大事にしてきたことを聞いた。 ――美由紀さんは30年近く幼児教室を経営されてきました。そこで約2千人の子どもたちを教えてきた成果が、璃花子さんの「あきらめない心」となって結実したのですね。今回、初の著書『あきらめない「強い心」をもつために』(アスコム)を出版され、その詳細をまとめられています。  育児って正解があるわけではありませんし、誰しも親になるための教育を受けてきたわけではありません。私も子どもが小さい頃は、このやり方でいいのかなと不安もありました。30年近く幼児教室をやってきた中で、次女の璃花子や長女、長男、そして幼児教室の生徒さんが成長し、自分の決めた道を歩き、充実した毎日を送っている姿を見て、信じてやってきてよかったと思えるようになりました。出版のお話は2018年にいただき、執筆を進めていたのですが、翌年に璃花子が病気になり、発刊を出版社さんに待っていただきました。私の生活も少し落ち着いてきたので、執筆を再び進めました。子育てに不安を抱えるみなさんの道しるべになれるんじゃないかと思い、本にまとめることにしたのです。 ――子どもたちに一番身につけてもらいたいと思っていることは何ですか。  一番は「人に愛される人」になってほしいと思って育ててきました。幼児教室でも親御さんには「かわいげのある子に育てなきゃだめよ」と伝えています。勉強やスポーツで1番を目指すのはいいことですが、最も大切なのは子どもが幸せになることです。たとえ1番になれなくても、たくさんの人に愛され、必要とされることが幸せだと私は思います。  私が子どもたちにスポーツをさせたのも、そうした人間力を育んでほしいと思ったからです。さまざまな人と関わり、目標に向かって努力することをスポーツを通して経験してほしい。ほかの子よりもタイムがいいからといって自慢したり、偉そうな態度を取ったりするようなことがあれば、いつでも水泳をやめさせると、子どもたちには言っていました。(スイミングスクールで)璃花子が選手コースに入ったからといって、一式ユニホームをそろえることはせず、水着やゴーグルは姉や兄のおさがりを使わせてきました。  トップアスリートの親の中には、自分を立派だと思う人や、「子どもの成績」イコール「親の価値」だと勘違いする人も少なからずいます。親のそうした態度を見た子どもは、「自分もそうしていい」と思ってしまいます。 ――子どもの習い事を選ぶスタンスや続ける基準はどう考えていますか。  私は運動がすごく好きで得意だったんですけど、音楽系は全然だめで、例えばバイオリンやピアノなんかは(自分が教えられないので)子どもにいい環境を与えられないんですよね。すると、環境を与えられる人たちと競っても極めるところまでは難しい。それに、先生の指導方針が自分の子育て方針と違う場合は、そこでやめます。例えば人と比べたり、人間性を攻撃したりするような先生のもとでは、人間性を育むのは難しいですから。 池江選手(右から2人目)は東京五輪女子400メートルメドレーリレーで8位入賞を果たし、仲間と抱き合って喜んだ(c)朝日新聞社 ――璃花子さんは今年4月の日本選手権で4冠に輝き、東京五輪代表に決まりました。その強さは、「自分を信じる力」だと思い至ったそうですね。  自分を信じることの大切さは、わが子や幼児教室の子どもたちに繰り返し伝えてきたことです。自分を信じる心を育てるには、まずは親が子どもの可能性を信じること。私はよく「あなたならできる」「あなたにはまだまだ眠っている力があるよ」と語りかけてきました。子どもはこうした「暗示」によって性格形成されるといっても過言ではありません。素晴らしいと言われれば「自分は素晴らしいんだ」と思うし、「あなたには価値がない」と言われたらそう思い込んでしまう。 「無限の力がある」と言い続けるうちに、璃花子は私がびっくりするような記録を出すようになりました。親が天井を作らずに、「もっと上に行ける」と励まし続けると、子どもは親も予想がつかないほどの成長を見せてくれます。 ――本番での強さも、小さいころからのトレーニングの成果なのですか。  璃花子は0歳から12歳まで私の教室に通っていました。レッスンでは一人ひとり発表する時間を設けています。幼いころからみんなに注目される中で、力を発揮する方法を体得した璃花子は、本番では練習で培った力を出せるようになりました。  もう一つ大事なのがリアルなイメージトレーニングです。小さい頃は、大会の前日になると、ふとんの中で目を閉じ、入場やレース、そして表彰台に立つ自分の姿などを細かくイメージさせるようにしていました。 ――幼児教室でも、将来の自分をイメージして絵を描く課題を与えると、璃花子さんはいつも五輪の表彰台の真ん中で金メダルをかけている自分の絵を描いていたそうですね。  本に璃花子が小学3年生のときに描いた絵を載せています。2位の女の子の隣には「ペルー人」、3位の隣には「インド人」と書いてあり、具体的なイメージができています。夢をかなえるには、まず強く思うことが大事です。 池江選手が赤ちゃんだった頃、母・美由紀さんはおむつ替えのたびに親指を握らせて体をつりあげていた(『あきらめない「強い心」をもつために』(池江美由紀著、アスコム)から)  子どもたちの夢や目標を描いた絵は教室の壁に貼っています。璃花子は12歳までは私の生徒でもあったので、子どもたちには「みんなの先輩の池江璃花子選手も同じように強くイメージしたから五輪出場の夢がかなったんだよ」と伝えています。  子どもたちが夢を語ったときには、「日本一の」「世界一の」とつけるようにしています。小さい子は特に現実的でない夢の場合もありますが、例えば「キリンさんになりたい」という子には「世界一背の高いキリンさん」、「お嫁さん」という子には「世界一きれいなお嫁さんになろうね」のように。夢を持ったときには、それに向かって努力することにつなげることが大切だと思うからです。 ――璃花子さんは19年に白血病を発症し、10カ月間入院しました。璃花子さんは闘病中も、必ずプールに戻るという強い思いやイメージを持っていたのでしょうか。  直接そうした気持ちは聞いていないんですけど、当然思っていたはずです。 ――入院中、仕事を調整して璃花子さんにできるだけ付き添っていたそうですね。本には10本以上の点滴につながれた姿を「まるで、璃花子が壊されていくようでした」と記しています。母親としてどのような心境だったのでしょう。  とにかく病気が早く治ってほしい、ただそれだけでした。娘が病気になってしまった絶望と、トップアスリートとしての道を絶たれた絶望という二重の苦しみに押しつぶされそうなときもありました。当時は、私自身も人に会うのが本当につらかった。普通、家族が深刻な病気になったとき、ごく親しい人にしか伝えないけど、璃花子のことはみなさんの知るところになりました。自宅は下町にあり、近所の人もみんな知っているんです。ただ、仕事は社会的責任がありますし、私は女性の一つの生き方のモデルとして、一人で子育てをしながら自分の人生もしっかり生きていくという思いもあったので、毅然(きぜん)としていないと、という気持ちもありました。 ――闘病中の璃花子さんの様子はいかがでしたか。  病気を宣告されたときも、つらい治療を受けているときも、弱音を一切吐かず、懸命に生きようとしていました。本当に強い子だと思いました。 ――本には、病室を訪れたトレーナーさんに、「ママにも(マッサージを)やってもらえませんか」とお願いしたというエピソードも紹介されています。  自分のほうがはるかに苦しい状況なのに、私の体調まで気にかけてくれました。 ――璃花子さんが小学校に上がる前に離婚し、その後は1人で3人の子を育ててきました。大変ではなかったですか。  夫がいないことが逆に良かった、と思っているんです。もし夫がいたら、困ったときには相手を頼って、本当の自分の力を出せなかったかもしれない。ひとり親で、自分の両足で立つしかなかったからこそ火事場の馬鹿力が出せたし、誰かのせいにせずに生きてこられたと思うんです。 美由紀さんは池江選手の応援にはいつも駆けつけていた(『あきらめない「強い心」をもつために』(池江美由紀著、アスコム)から)  夕方からしか子どもと向き合う時間はありませんでしたし、土曜日も仕事で確かに忙しかったです。ただ、家事の一部は3人の子どもたちが担当し、私の助けになってくれました。壁に円の当番表を貼って、「食器洗い」「お風呂掃除」「洗濯物畳み」などの家事を1人毎日三つずつ担当するんです。どれも重要な家事ばかりをさせます。子どもだからサボることもありますが、そんなときも代わりに私がやることは絶対にしませんでした。子どもが家事をしない上に親がやってあげるのは二重の約束破りだからです。家庭の中でも子どもに責任を持たせるという意味もありました。  食事についても、時間を決め、残してもいいけど、残った分は次の食事はそれを食べてからでなければみんなと同じものが食べられないという約束がありました。そう約束すると、残さずペロッと食べるんです。厳しいように感じられるけど、決して厳しくなく、親はイライラしたりガミガミ叱ったりしなくていい子育てになるんです。子どもが泣いてわがままを通そうとするときは、「泣いてもかまわないけど、玄関で泣いてね」と言って終わり。泣くことは認めてあげるけど、泣くならみんなの迷惑にならないところでね、と。子ども自身に選ばせるようにしています。子どものやりたいことばかりを尊重するのではなく、今の笑顔より将来子どもが幸せになることを考えることのほうが大事だと思っています。 ■池江美由紀(いけえ・みゆき)/3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、幼児教室の講師兼経営者を務める。次女が小学校に上がるころに離婚し、ひとり親で3人を育てる。1995年、子どものための能力開発教室を開校。約30年間、子どもたちの指導に携わってきた。現在も講師として教室のクラスを受けもち、子どもの才能を引き出し、本番力、人間力、何があってもあきらめない強い心を育む指導をしている。同時に、教室に通う子どもの親の子育て相談や指導を数多く行う。また、長年の経験に基づいた講演活動も行う。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。EQWELチャイルドアカデミー本八幡教室代表・講師。次女は競泳の池江璃花子選手。初の著書に『あきらめない「強い心」をもつために』(アスコム刊)がある。公式サイト https://ikee-miyuki.com 『あきらめない 「強い心」をもつために』 著者の池江美由紀さんが幼児教室で指導に携わる中で大切にしてきたことや、3人の子育てで実践してきたことをまとめた。アスコム、1540円(税込み) (構成/AERA編集部・深澤友紀) ※AERAオンライン限定記事
子育て母親池江璃花子競泳
AERA 2021/11/07 10:00
息子を殴った恋人に礼…母子の虐待の連鎖描いた桐野夏生の新作 「救いを見いだせず、やや絶望的な気持ちで書き進めた」
息子を殴った恋人に礼…母子の虐待の連鎖描いた桐野夏生の新作 「救いを見いだせず、やや絶望的な気持ちで書き進めた」
主人公の小森優真は空腹を抱えて町をさまよい、「理想の家族」が住む家に潜り込む。そこで小さなピンクのソックスを盗み出す……(撮影/写真部・東川哲也)  桐野夏生さんが新作『砂に埋もれる犬』で親から虐待を受けた少年を描いた。なぜ、このテーマに挑んだのか。AERA 2021年11月8日号で10代の子どもたちの深い闇について語った。 *  *  *  主人公の小森優真(ゆうま)は小学6年の少年だ。母親の亜紀が転がり込んだ男の家で、4歳の弟・篤人(あつと)とともに暮らす。食事を満足に与えられず、小学4年の途中から学校にも行っていない。ゴミだらけの部屋で弟と食べ物を奪い合う、荒廃した生活だ。空腹に耐えかね、コンビニ店長の目加田(めかた)浩一に賞味期限切れの弁当を分けてもらう場面から、桐野夏生さんの新作『砂に埋もれる犬』は始まる。  桐野さんは、3年ほど前に女子高生が主人公の『路上のX』(朝日文庫)を書きあげたころから、「次は男の子を書きたい」と思っていたという。 「『路上のX』は、女の子が大人の男たちに性的にも経済的にも恋愛対象としても搾取される物語です。書き終えてから、これだけでは足りない、少年たちは何によって損なわれるのかを知りたい、と考えるようになりました」  2014年に埼玉県川口市で17歳の少年が祖父母を殺害する事件が、15年には川崎市で中学1年の男子生徒が10代の少年たちに殺害される事件がそれぞれ起きた。こうした陰惨な出来事も「少年」という存在について考えを深める契機となったという。これらの事件を調べるなどして行きついたのが、虐待の連鎖だった。 ■亜紀の物語でもある  亜紀は、男を優先して子どもを虐げる母親に育てられ、同じことを優真と篤人に繰り返す。自分の恋人が優真を殴れば、男におもねり礼すら言う。 「優真の心を損なったのは、ネグレクト(育児放棄)、虐待という家庭環境ですが、亜紀も虐待による犠牲者の一人です。とすれば、これは優真・篤人の物語であると同時に、亜紀の物語でもあると考えたのです」  優真は、ある事件をきっかけに不登校になる。だが、勉強は嫌いではなく理解力も高い。貧困と飢え、暴力のなかで必死に生き抜くため、大人の喜びそうな表情を作るといった処世術も身につけている。  児童相談所(児相)に保護され、里親となった目加田の家から中学に通い始めたときも、最初は「良い息子」を演じた。しかし、次第に女性を性的に支配したいという欲望を募らせ、同級生の花梨(かりん)らに攻撃的な行動を取るようになる。  桐野さんは「被害者であるはずの少年が加害に至るメカニズムを、自分なりに解き明かそうと試みました」と話す。 「子育てを通じて、10代の子どもたちの、どす黒くてもやもやとした感情や、一歩間違えば死をも選びかねない危うさを感じていました。特に男の子の場合は性的な抑圧が爆発の引き金になるのでは、と想像したのです」 きりの・なつお/1951年生まれ。『柔らかな頬』で直木賞、『東京島』で谷崎潤一郎賞。2015年に紫綬褒章を受章。21年5月、女性初の日本ペンクラブ会長に就任した(撮影/写真部・東川哲也) ■母から愛されていない  優真は母親から愛されていないのではないか、という不安のなかで育つ。「ひどい母親を捨てた父親は偉い人だ」という歪(ゆが)んだ父親信仰と、女性嫌悪(ミソジニー)を抱くようになる。 「虐待がもたらす傷が性的な欲求を歪ませ、本人も爆発を止められなくなる。私の想像ではありますが、実際にこうしたベクトルが働くとすれば、虐待は本当に残酷なことだと思います」  優真や同級生にとって、スマートフォンは友だちづきあいに不可欠のツールだ。内閣府の20年度の調査によると、中学生の約7割がスマホを利用している。優真も、スマホがあればクラスに溶け込める、「真の仲間」を探せると信じていた。しかし、実際はスマホを通じて同級生から残酷な仕打ちを受けてしまう。  昨年11月に東京都町田市で小学6年の少女が自殺した事件でも、遺族は少女への悪口がチャットに書きこまれていたと訴えている。 「スマホさえあれば友だちができるというのは幻想にすぎず、むしろ世界中でいじめに利用されています。狭い世界で生きる子どもたちが、リアルだけでなくバーチャルでも居場所を奪われたら、死を思うようになっても不思議ではありません」  虐待されてきた優真は他人との適切な距離感がわからず、不満や鬱屈(うっくつ)を暴力でしか表現できない。このため、同級生たちの不信を買うばかりだ。両者の間には、絶望的な隔絶が横たわっている。 「同質的な人間関係のなかだけで生きる花梨たちにとって、優真のような子は『気持ち悪い』存在としか映らないでしょう」  自分が関心を持つ分野、自分にとって都合の良い情報ばかりが集まりがちなネット社会の特性も、異質な人々への「想像力の欠如」に拍車をかけていると、桐野さんは考える。 「想像力のなさは、他人が起こした結果のすべてを個人の能力や努力に帰する『自己責任論』にも通じます。価値観の違う人を『上から目線』でしか見られない人が増えれば、優真のような辺縁に置かれた人は、ますます社会から排除されてしまう。そこに恐怖すら覚えます」  里親の目加田夫妻や児相の職員らは、それぞれのやり方で優真を思いやり、理解しようと努める。しかし、その思いは届かず、優真は心を閉ざすようになる。 AERA 2021年11月8日号より ■口やかましく「しつけ」  特に目加田は「しつけなければ、本人が恥ずかしい思いをする」と、食事のマナーやあいさつなどについて口やかましく優真に干渉する。子どもを虐待死させた親からよく聞かれるのも「しつけのためにやった」という弁明だ。 「優真は食事や入浴などの基礎的な生活習慣も教えられず、半ば野生動物のように育ちました。いわゆる『しつけ』は、そんな彼の心には響かないでしょう」  優真に最も必要なのは、彼が何をしても受け入れるという愛情なのだろうか。 「反抗的で、感情を素直に表に出さなくなった優真はもう、大人たちが無条件に『救ってあげよう』と思える相手ではなくなっています。たとえ彼に深い愛情を注ぐ人が現れても、すぐに心の傷が癒やされ、歪んだ認識が改められるほど、人間は簡単な生き物ではありません。人を信頼し愛する心というのは、鍛え上げないと育ちません。たとえ花梨が、優真に優しく接していたとしても、状況は変わらなかったと思います」 ■全く救いを見いだせず  桐野さんは「全く救いを見いだせず、やや絶望的な気持ちで書き進めました」と明かす。 「どうすれば彼を救えるのかも、私には分かりません。主人公が愛情を受けて立ち直る、といったきれいごとで終わることはできませんでした」  本作のタイトルは、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の絵画から取った。絵の一部は装丁にも使われている。 「あがいてもあがいても、虐待のくびきから逃れられない優真のイメージ」が、ゴヤの絵に重なったという。  18歳未満の子どもに対する児童虐待で、全国の児相が相談対応した件数(厚生労働省調べ)は20年度、20万5029件と過去最多を更新した。国立社会保障・人口問題研究所の17年の調査によると、過去1年間のうちに、ひとり親家庭の15%が電気料金を、14%弱が水道料金を滞納したことがある。優真や亜紀のような親子は、フィクションのなかだけに存在するのでは決してない。  桐野さんは最後、次のように言った。 「優真のような子どもや、優真がそのまま成人したかのような壊れた男たち、そして亜紀のような母親たちは、現実社会のあちこちにいるはずです」 (フリーライター・有馬知子)※AERA 2021年11月8日号
読書
AERA 2021/11/06 11:00
美しすぎるロシアフィギュア女子の名演~ザギトワから新星・ワリエワまで~【写真10枚】
美しすぎるロシアフィギュア女子の名演~ザギトワから新星・ワリエワまで~【写真10枚】
フィギュアスケートのシーズン到来! 2014年ソチ五輪のソトニコワ、18年平昌五輪のザギトワに続く3連覇の期待が懸かるロシア女子フィギュアは、11月3日、北京五輪代表候補の11名が公表された。次々と新星が現れるロシア女子フィギュア――今回、代表候補から外れてしまったザギトワから北京五輪金メダル最有力候補のワリエワまで、華麗な演技の名場面で紹介する。 【関連記事はこちら】ザギトワは「19歳」で五輪候補外…早熟の女子フィギュアで異彩放つ“24歳の女帝”
ザギトワフィギュアスケートワリエワ北京2022
dot. 2021/11/05 18:00
キンプリ神宮寺勇太「癒やしは捨てる派」 すり減る精神も「正解」な理由
キンプリ神宮寺勇太「癒やしは捨てる派」 すり減る精神も「正解」な理由
 紳士的な優しさから、「国民的彼氏」の異名をとるKing & Princeの神宮寺勇太が今冬、単独初主演舞台で「いやな男」と「闇を抱えた青年」を演じる。三島由紀夫の「近代能楽集」のうちの、欲望や情念など人の心の闇をえぐる2編、『葵上(あおいのうえ)』と『弱法師(よろぼし)』にいかにして立ち向かうのか。 *  *  * ──2作品についての印象は?  僕の勉強不足で、最初三島由紀夫さんと聞いてもわからなかったんですよね。調べてみて、昭和を代表するすごい方ということを知って。  人間のどろっとした深い部分を描くんです。僕は毒気もないしさらっとしてるので、考えたこともなかった。どちらも難しい、一筋縄ではいかない2役です。 『葵上』で演じる主人公の光は、「源氏物語」の光源氏がモデルのプレイボーイの役。妻の葵のことは全然愛してなくて、「最近(葵は)病気ばかりしてめんどくさいなぁ」と思いながら結婚生活をしてる役なんですね。  葵が入院して、「やっと今朝仕事をすませて駆けつけてきた」という台詞があるんですが、よく考えると5日ぐらい経っているんです。光はぞっとするタイプの、冷たい、いやな男です。 『弱法師』は、俊徳という戦火で目が見えなくなった20歳の青年役なんですけど、毒というよりも闇を抱えていますね。目が見えなくなった瞬間の景色を鮮明に覚えていて、この素晴らしい景色を見たということだけを頼りに生きている。  でもやっぱりとてつもない孤独を抱えていて、すぐにキレたり、素直になれなくて育ての親を奴隷のように扱ったり。「自分の言葉で人の心に火傷をつけているけど、自分の心にも絶えず火傷をつけている」という台詞があり、とんでもなく闇が深いなと思いますね。 ──「国民的彼氏」として、この2役を演じるうえでの戸惑いは?  いや、まったくないです。国民的彼氏とファンの方に呼んでいただくのはありがたいですし、自分でもふざけて言うことはあるんですけど、そうなのかなあといつも疑心暗鬼です。真面目そうとよく言っていただきますが、意外と僕、おちゃらけた、ふざけた奴なので(笑)。  この2役はもう、寄り添うとかじゃないんですよね。共感はできない。だけど、理解者にはなりたいなと思います。見に来てくださるファンの方には、そうだなあ……。「普段の僕とは違う人がいると思ったほうがいいです」と伝えたいです。 ──『葵上』ではどろりと濃厚な恋愛が描かれます。誰かに想いを寄せられたとして、「可愛い」が「重い」に変わる境界は?  僕はけっこう寛容なタイプですね。なにが嫌かな。例えば、「女子とご飯に行かないで」は、まあ、はい、ってなりますが、「女子の連絡先を消して」は言いすぎかもなー(笑)。  うーん、自分から女子に連絡とかはしないと思いますが、この仕事をしてたらなかなか難しいんですよね。大先輩にありがとうございました、とか言わないといけない場面はやっぱりあるじゃないですか。 ──大人向けな2作品に挑みますが、自分のことはもう大人だと感じる?  思わないですね。今月、僕24……ん? うん、24になるんですけど、中学生や高校生の時に思い描いていた24歳はもっと大人なイメージでした。実際はまだまだ毎日発見だらけだなーって。でも、それをいかに吸収できるかを大切にしているので、子どもの心を忘れたくないなと思います。とりあえず言われたらやってみるのが好きです。  子ども心を忘れない人でぱっと思い浮かぶのが、長瀬智也くん。自分の好きなことを思いっきり楽しんで、それが仕事にも生きるというか。僕も、遊びでも全力でやりたいなと思います。  グループのメンバーはみんな子どもみたいな人たちなので、一緒にいると楽しいです。いちばん大人だと思う人……。くっ……。いるかなそんな人(笑)。やる時はしっかりやるんですよね、スイッチが入る瞬間はみんな一緒で。でも基本的には、ふざけた会話しかしてないですね。 ──舞台の稽古でハードな日々ですが、メンバーは気にかけてくれる?  岸(優太)くんは「稽古どんな感じ?」とか「今日稽古だったの?」と声をかけてくれます。  歌や踊りがないので体力は大丈夫なんですが、精神面がむしばまれていく感じがあります。でも人間の深いところを演じる以上、こういう気持ちになるのは正解だと思いますよ。どっぷり漬かるしかないですね。 (平野)紫耀には、移動の車の中で「どうやって台詞覚えてる?」と相談しました。彼は覚えが早くて器用なタイプなので。そしたら「リズムで覚えちゃいなよ。俺らはリズムで覚えるのが得意だから」と言われて。  自分の中で言い回しのリズムがあるじゃないですか。こことここはつなげて言うみたいな。そうやってしゃべっているうちに台詞が頭に入ってくるので、遠回りしなくて済みました。仕事が終わって帰宅してから、夜中に覚えてるんですが、追い詰められて、ひたすら台詞を紙に書くとかやりそうだったので。  でも家の中でぶつぶつ唱えてるので、近隣の人に聞こえていたら怖がられてしまうかもしれない(笑)。 ──むしばまれた精神をどう癒やしている?  僕、癒やしは捨てている派ですね。自分を追い込むのはけっこう好きです。ストイックという言葉に憧れてるだけなんですけど(笑)。でも「これだけやってんだ」と自分を安心させないと、夜寝つきが悪くて。「これだけ覚えたから今日は寝ていいよ」と言い聞かせるとすっきり寝られます。  あとは未来のことを考える、ですかね。12月は、舞台のほかにもいろんなお仕事をさせていただくので、たっぷり仕事しようと。じゃあ1月から何しよっかなって!  やっぱりずっと我慢していたバイクに乗りたいです。ケガしたら大変だから、舞台とかドラマに出ている間は控えるようにしていて。僕は安い奴なので、それでもう満足ですね。 (構成/本誌・大谷百合絵)※週刊朝日  2021年11月5日号
週刊朝日 2021/11/02 11:30
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
ロシアから見える世界

ロシアから見える世界

プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

ロシアから見える世界
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エリザベス女王
dot. 2024/09/29 11:00
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学校の大問題
AERA 2024/09/29 16:00
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dot. 2024/09/29 21:00
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ドラフト
dot. 2024/09/29 17:30
ヘルス
〈あのときの話題を「再生」〉サラリーマン家庭で医学部に息子2人進学 親子で目指した合格 父「決意を確かめる意味で違う道も提案」
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医学部に入る2024
dot. 2024/09/26 08:00
ビジネス
S&P500だけではダメ? オルカン一択の盲点は?なぜ日本株にも投資? 初心者の疑問に答えます 桶井道【投資歴25年おけいどん】
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オルカン
dot. 2024/09/29 10:00