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宇野昌磨と坂本花織が「金」、ペアは初の「銀」 メダリストが語る来季への決意
宇野昌磨と坂本花織が「金」、ペアは初の「銀」 メダリストが語る来季への決意
宇野昌磨/合計312.48点で、男子シングルの金メダルを獲得した。SP109.63点、フリー202.85点もともに1位だった(International Skating Union via Getty Images)  フィギュアスケートの世界選手権が3月下旬、フランス・モンペリエで開かれた。日本勢が男女シングルで金メダルを独占、ペアが初の銀メダルに輝くなど、歴史に残る大会となった。AERA 2022年4月11日号の記事を紹介する。 *  *  *  自身6度目の世界選手権で、ようやく頂点をつかんだ。しかも、ショートプログラム(SP)、フリーともに自己ベストを更新し、総合得点は世界歴代3位。なのに、宇野昌磨(24)は意外なほど淡々としていた。 「優勝は、僕のゴールではない。ゴールはもっと成長した先にあるものだと思っています」  それでも、フランスで優勝した事実には特別な思いがあった。 「(この国は)僕の分岐点。この舞台で素晴らしい成績を取れたことに感謝しかない」 ■分岐点から2年4カ月  24歳の感情を理解するには、少し時間をさかのぼらなければならない。  2018年平昌五輪で銀メダルに輝いた後、宇野はもがいた。「とらわれたくない」と言っていた結果を意識するようになり、スケートが苦しいものになった。 「終わりに向かってスケートをしている印象だった」  再生のきっかけをくれたのが19年秋、グランプリ(GP)シリーズのフランス杯だ。計5度転倒し、GPシリーズ過去最低となる総合8位。涙を流した。  SPを終えた時、「もうすぐ引退かな」と覚悟したという。だが、続くフリーでもミスが相次いだ時、殻を破った。 「ずっと失敗を恐れてきた。けど、失敗してみるとそこまで大きなことじゃなかった。どうしてそんなに恐れていたのか」  どん底まで沈んだことで、「それでもスケートが好き」というシンプルな思いを確かめることができたという。  あの分岐点から2年4カ月。今、「この先どんなことをなすことができるか、期待を込めてスケートをしている」と語る。再出発の地、フランスのリンクには今回、あの日とは見違えるような宇野がいた。フリー終盤のステップでは、演技中だというのに笑みさえこぼれた。  めざすゴールは、ずっと先。 「来季、成績が落ちてしまうくらい新たな挑戦をして、もっと成長したい」  滑る喜びとともに、これからも突き進む。 坂本花織/合計236.09点で、女子シングルの金メダルを獲得した。SP80.32点、フリー155.77点もともに1位だった(International Skating Union via Getty Images) ■来年はノーミスで優勝  鍵山優真(18)は2度目の世界選手権を北京五輪銀メダリストとして迎えた。 「自分の期待値がすごく上がったというか、もっといいものができると自分で思い込んじゃっていた」  SP2位で迎えたフリー。 「緊張で力が入らなくて」  トリプルアクセル(3回転半)が1回転半になるなどジャンプでミスが出た。一方で、SP、フリーともに4回転サルコーで出来栄え点(GOE)を4点台に乗せるなど、確かな成長も見せた。  初出場だった昨年の大会、北京五輪と銀メダルが続く。 「徐々に悔しく思えてきたのが、一つの成長かなと思います」  世界一への思いも強くなった。 「次は絶対に取りたい。来年はノーミスで優勝したい」  埼玉で開催される1年後の世界選手権で目指すものがはっきりした。 ■2位に18点以上の大差  前回大会で表彰台を独占したロシア勢が不在の女子は、北京五輪銅メダルの坂本花織(21)が優勝候補の大本命に挙げられた。 「(五輪後は)完全に燃え尽きた。何を目標に頑張ればいいのかと、すごく考えて悩んでしまった」  調子はどん底だった。  それでも「五輪がまぐれだと言われたくない」という思いが、自分の背中を押した。大会直前にプログラムをノーミスで滑れる状態に戻した。  SPは初の80点台。得点を知ると、思わず立ち上がった。 「『未知の世界へようこそ』みたいな感じ」と喜んだ。  フリーは優勝の重圧に加え、2位以内に入らなければ、来季の日本の世界選手権の出場枠が2に減る状況での出番となった。 「怖くなりすぎて」  演技前に泣いた。中野園子コーチから「必死ほど強いものはない」と励まされ、リンクへ向かった。  気持ちを切り替えて、 「最後の最後まで全力疾走で走り抜け、みたいな感じで」  スピード感あふれるスケーティングで不安を吹き飛ばした。ジャンプはすべて着氷。自己ベストを更新し、2位に合計で18点以上の大差をつけて初めての金メダルをつかんだ。 「最後の最後までやりきれて、このメダルにはすごい価値がある」  表彰台ではうれし涙を流した。 鍵山優真/合計297.60点で、2月の北京五輪に続く銀メダル。SP105.69点、フリー191.91点もともに2位だった(International Skating Union via Getty Images)  世界女王は日本勢では史上6人目。2014年大会を制した浅田真央以来だ。 「レジェンドの方々の次に、というのは何かまだしっくりこない」  と笑いながらも、 「日本の女子を引っ張っていけるような存在になっていきたい」  今後は4回転ジャンプの習得も視野に、さらなる進化を目指す。  ペアの三浦璃来(20)、木原龍一(29)組は北京五輪を終えてから苦しんだ。 「疲れが抜けるのにすごく時間がかかった。気持ちも1回切れてしまった」 ■合言葉はフランス旅行  2人で決めたのは「シンプルに楽しめばいい」。合言葉は「フランス旅行」。笑顔を心がけた。  SP3位で臨んだフリーでは3連続ジャンプが2連続になるなどした。 「滑りきらなきゃという思いが先立ってしまった」(三浦)  それでも、リフトやスピンなどで高い評価を得た。  北京五輪の上位5組が出場しなかったとはいえ、日本勢歴代最高の銀メダルで飛躍のシーズンを締めくくった。 「成長しているのを実感できたが、少し悔しい。これが来季につながると思う」(木原) 「メダルはうれしいけど、まだそこに値しないと思っている。もっと自分たちは上にいける」(三浦)  ここから、さらに進化する。 (朝日新聞スポーツ部・吉永岳央/岩佐友)※AERA 2022年4月11日号から抜粋
坂本花織宇野昌磨
AERA 2022/04/08 11:00
東大合格者の“役立ちアプリ”はYouTube スマホ断ちの必要はある、ない?
東大合格者の“役立ちアプリ”はYouTube スマホ断ちの必要はある、ない?
東大の安田講堂  東大・京大合格者を対象にした本誌恒例のアンケート。東大理系編をお送りする。将来の夢ややりたい仕事など、612人が答えてくれた。 *  *  *  今年の東大理系の合格者は1765人。その35%にあたる612人から回答があった。主な質問は次のとおり。 「大学で勉強したいことや成し遂げたいこと、将来の夢ややりたい仕事は何か」 「勉強がはかどらず、成績が伸びなかったとき、どう乗り越えたか」 「受験勉強期間のスマホとの付き合い方」 「受験勉強で役に立ったアプリ」 「合格大学出身の尊敬する有名人は誰か」 「好きなYouTuber(ユーチューバー)は誰か」  将来の夢や、やりたい仕事は合格した科類によって傾向が分かれた。入学後、主に工学部や理学部に進む理科一類では「拡張現実関連の技術、ヒューマンインターフェースの開発」(都立武蔵、理一)、「宇宙航空学を学んで、将来は先進的で環境に配慮されたロケットを作るエンジニアになる」(広島大附、理一)など、技術系の研究や職業に興味を示す回答が目立った。  理科二類は工学部や理学部に加え、農学部や薬学部への進学者も多く「ビワの種を世界中にまいて、世界から飢餓をなくす」(公文国際学園、理二)、「今は治療の難しい病気を治せるような薬を開発したい」(東京学芸大附、理二)といった回答があった。  主に医学部へ進む理科三類では「医者」という回答が最多。「脳神経関連の難病について深く学びたい」(日比谷、理三)など、興味ある分野を具体的に挙げる人もいた。  勉強がはかどらず、成績も思うように伸びないときは、どう対処していたのだろう。回答は大きく二つの傾向に分かれた。  一つは「落ち込んだ心を癒やすのは勉強と成績しかないので全て前向きに捉えて頑張りました」(女子学院、理一)、「伸びていない成績表を見て、課題と対策リストを作ると精神安定剤になった」(暁星、理二)など、原因に向き合って克服を試みた派。もう一つは「一日だけ全く勉強しない日を作る」(筑波大附駒場、理一)など、いったん勉強から離れて切り替えようとする派だ。 「ディスコにいる気分にしてくれるような曲を自分で作ってテンションを上げた」(開成、理三)のように、ユーモアある(?)息抜き法を書いてくれた人もいた。 ◆難関大出身者のチャンネル人気 (週刊朝日2022年4月15日号より)  スマホとの付き合い方はどうか。  すっぱり「スマホ断ち」したのは8%、「制限を設けた」のは15%と、それぞれ少数派にとどまった。「普段通り利用した」が76%にのぼった。1日の利用時間は「1~3時間」が最も多く、全体の約4割(235人)を占め、「3~6時間」も約2割(112人)いた。  使い方としては「考えても分からないことがあったら、調べる。大抵のものは出てくる」(灘、理三)、「英単語や古文単語を調べる」(福岡、理一)といった声があった。学習アプリを利用していた人も多く、「端末に保存した問題集やリスニングのデータへのアクセス」(筑波大附駒場、理一)、「一問一答アプリ」(女子学院、理二)などの答えが見られた。  役に立ったアプリで最も名前が挙がったのがYouTube。「ゲーム動画で時間を決めて息抜き」(岡山大安寺中教、理一)、「外国の動画を見た」(広島学院、理一)など多くが気晴らしに活用していたが、「YouTubeで4時間勉強した後30分休憩のスパンを3周した」(浅野、理一)など、日々の勉強に取り入れているケースも。学びを深めたり、志望校へのモチベーションを高めたりと、合格者たちは自身のプラスになる使い方を見いだしていたようだ。 (週刊朝日2022年4月15日号より)  好きなYouTuber(チャンネル)で最も人気があったのがヨビノリ(予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」)で、38人が挙げた。創設者のたくみさんは東大大学院修了者で、微分積分、量子力学など理系科目の解説動画を数多く投稿している。ほかに大阪大学基礎工学部出身の男性2人組「はなおでんがん」や、ベテランち、河野玄斗など、東大や難関大学出身者に票が集まった。  SNSの活用者も多い。Twitter(ツイッター)で「入試の情報を手に入れたり、他の東大志望の人の考えに触れてモチベーションを保った」(東葛飾、理一)、「周りの受験生の話を聞くことが心構えを醸成したし有益な情報収集にもなった」(岡山大安寺中教、理一)といった答えがあった。  LINEは主に連絡用に使われていたが、「オープンチャット機能でガチプロ(勉学に熱心に取り組む東大生)に質問してみる」(筑波大附駒場、理二)のように、志望校に通う先輩に接触する手段として活用していた人もいた。 (週刊朝日2022年4月15日号より)  尊敬する東大出身者で最も票を集めたのは、東進ハイスクール講師の林修さん(33人)。東進の講師陣からは「物理界のカリスマ」と称される苑田尚之さんも5位(22人)に。クイズ番組「東大王」出身者の人気も根強く、伊沢拓司さん(30人)や21年3月に番組を卒業した鈴木光さん(10人)らの名前が挙がった。ピアニストの角野隼斗さんは1995年生まれの26歳。受験生と年齢が近く、憧れの対象になりやすいのだろう。(本誌・松岡瑛理)※週刊朝日  2022年4月15日号
京大大学入試東大
週刊朝日 2022/04/08 07:00
志村けんさん三回忌 「アイ~ン銅像」「墓地」地元・東村山駅前に集うファン
志村けんさん三回忌 「アイ~ン銅像」「墓地」地元・東村山駅前に集うファン
東村山駅前の志村さんの銅像前で写真撮影するファンたち  2年前の3月29日、新型コロナによる肺炎で急逝したタレントの志村けんさん(享年70)。生まれ育った東京都東村山市の西武・東村山駅東口に建てられた銅像は、志村さんやザ・ドリフターズの聖地として全国からファンが足を運んでいる。三回忌に、改めてゆかりの場所で“喜劇王”志村さんの素顔を追った。 *  *  *  29日の命日。志村さんが眠る東村山市の墓地には、平日にもかかわらず、次から次へとファンが訪れていた。 「2年たった今でも、亡くなられたことが信じられなくて……。あの『だいじょうぶだぁ』って高い声とトボケた顔で、バラエティー番組に出てくるような気がしてならないんですよ」  群馬県高崎市から来た男性ファン(55)はこう言って、持参したカップ焼酎を墓石に置き合掌した。  川崎市から来たのは、46歳男性と30代女性のカップル。 「昨年も命日に来ました。物心ついたころから、お笑い番組といえば、志村さん。どれだけ楽しませてもらったことかわかりません。ありがとう、と感謝の気持ちしかないですね」(男性)  供花を手にした17歳の2人の女子高生は、神奈川県鎌倉市から電車で2時間かけて来たという。 「両親が志村さんの大ファンで、『8時だョ!全員集合』(TBS系)のDVDを見て私も大好きになりました。誰も傷つけないバカバカしいコントが魅力です」  東村山市在住の男性ファン(48)は、「普段からファンが訪れるので、お墓の周りはきれいで供花が絶えません。やはり人柄でしょう」。  26日には、ザ・ドリフターズの高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さんらの姿があった。SNSなどで、それぞれの思いなどを語っていた。  三回忌法要は27日午前、けんさんの実兄の知之さん(75)によって市内で営まれ、親族ら関係者約10人が参列したという。  志村さんといえば、「東村山音頭」は外せない。ザ・ドリフターズのメンバーに抜擢(ばってき)されたものの、なかなか芽が出なかった志村さんがブレークしたきっかけの曲でもある。東村山市商工会の担当者によると、「1961年に東村山町農協(現・JA東京みらい)が日本歌謡協会理事の土屋忠司氏に作詞を、キングレコードの専属作曲家の細川潤一氏に作曲を依頼したご当地ソングなんです。歌ったのは昭和歌謡の大御所・三橋美智也さん(故人)でした」。 志村さんの墓参りをするファンたち  それをアレンジして、76年に志村さんが「8時だョ!全員集合」の少年少女合唱隊コーナーで歌ったところ、奇抜な衣装も大ウケし、爆発的な人気を集めた。  その波及効果は絶大で、同市の渡部尚市長が「志村けんといえば東村山。東村山といえば志村けん」と公言するほどだ。 志村さんが亡くなって間もなく、「感謝の気持ちを表し、功績を残そう」と東村山駅東口に銅像を建てるプランが持ち上がった。地元有志による「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」が、クラウドファンディングで建立資金を集め、昨年6月、羽織はかま姿で定番ギャグの「アイ~ン」ポーズの銅像が完成した。 銅像はすっかり観光名所となり、市内にある、志村さんゆかりの和菓子店などにもファンが訪れるという。  粉物が大好きだったという志村さん。うどんなら「こせがわ」だ。けんさんが実家に帰ると、兄の知之さんがうどん玉を買って迎えたという。  女将の岩崎和江さん(78)が話す。 「東村山周辺ではかつて、家庭料理として自家製うどんをよく食べました。早い話、“おふくろの味”なんです」 同店にも全国から志村ファンが訪れる。 「昨年秋には、志村さんそっくりのサロペットに赤いバンダナ姿で、北海道からお越しの方も。新型コロナで売り上げが低迷したものの、ファンの方々のおかげで乗り越えられました」(岩崎さん)   一方、東京都港区麻布十番にも志村さんがひいきにした店が数多くある。居酒屋やすし店、鰻からイタリアン……。 「庶民的な店から高級店までジャンルは問わず、さながら麻布十番飲食店の応援団長でした」(大手番組制作会社プロデューサー)  開店42年目。オープン以来、志村さんが足しげく通った純喫茶「おもかげ」の田口はる代ママは、こう懐かしむ。 「よく番組の打ち合わせに使ってくださいました。普段は、穏やかでニコニコされてるんですが、いざ仕事となると一変。空気感が変わるくらい真剣な表情でした」  店には、志村さんがボトルキープした芋焼酎「伊七郎」が未開封のまま残されている。  東村山も麻布十番もソメイヨシノは満開。桜の季節を迎えるたびに志村さんは思い出されるのだろう。(高鍬真之)※週刊朝日  2022年4月15日号
新型コロナウイルス
週刊朝日 2022/04/06 17:00
「難民になりたくない」ウクライナに両親は留まった 日本の受け入れ数325人が示す避難の壁
上田耕司 上田耕司
「難民になりたくない」ウクライナに両親は留まった 日本の受け入れ数325人が示す避難の壁
ウクライナからポーランド国境に避難してきた親子  都内に住む20代のウクライナ人女性は栗色の長い髪、緑色の瞳で見つめながら、静かな口調で話した。女性は5年間日本に滞在している。 「ウクライナにいる私の家族に『日本に来れるよ、来る?』と聞いたら、みんな『日本へ行くことに興味はない』『難民になりたくない』と言っています」  女性の両親はウクライナの南に広がる黒海沿いの地方都市に住み、祖母や親戚は首都キーフに住む。両親は共働きだったが戦争になって仕事がなくなったという。 「お父さんは会社でマネジメントの仕事をしていましたが、営業している場所は危ないからもう閉めた。お母さんは病院で働いていたけど、今は子供たちの施設で働いていて、給料はもらっていない。地下鉄も動いてない」  それでも今もウクライナにいる。 「日本に来たら、1年間のビザが出るのは知っています。でも、家族は言葉もわからないし、生活に必要なことも何もわからない。日本は遠い……」  外務省によると、クリミアを除いたウクライナの人口は約4159万人。ロシアの侵攻でウクライナ国内外に避難、移動した人は1千万人にのぼる。国内に留まる人たちがいる一方、戦火の危険の中、国境を越えて逃れる人も多い。  日本政府もいち早く支援を表明。避難民は現在、1年間の「特定活動」の在留資格が得られるようになり、就労も可能だ。企業や自治体の支援の動きも目立つ。   岸田首相は3月24日の記者会見で、こう語った。 「日本への避難民受け入れ支援を進めるための取り組みも進めてまいります。ポーランドにウクライナ避難民支援チームを設けます。こうした取り組みをポーランドのモラヴィエツキ首相に説明し、先方から日本の貢献を高く評価するとの発言がありました」  岸田首相は、ウクライナ及び周辺国に対しては1億ドル(約122億円)の人道支援に加え、追加で1億ドルの緊急人道支援を行なうことを表明。周辺国に滞在するウクライナの避難民支援のため、物資協力や医療・保険などの分野で人的貢献も検討しているとした。4月1日から林芳正外相が岸田首相の特使としてポーランドを訪問する予定だ。   リビウ駅の前の広場でボランティアからスープを受け取る、東部から避難してきた人たち  現時点で、受け入れ人数はそう増えてはいない。出入国在留管理庁によれば、ロシアの侵略により約382万がウクライナから避難している。うち、日本への避難民受け入れ数は、岸田首相が受け入れを表明した3月2日から3月29日までの間に325人。  避難先として一番多いのは西隣のポーランドで227万人、次いでルーマニア59万人、モルドバ38万人、ハンガリー35万人、スロバキア27万人と続く。  避難民の9割は女性と子供だという。ヨーロッパの国々はビザの発給を緩和し、受け入れやすくしている。 「今は、ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、どこでも行ける。イギリスでもこれまではビザは簡単に出なかった。でも、今は住むことができる」(前出のウクライナ人女性)  日本行きを希望した場合、どのようなルートで来日し、日本に滞在できるようになるのだろうか。 「ウクライナの日本大使館は閉鎖をしているので、隣国の日本大使館まで行って査証を申請していただくしか、現時点では方法はありません」(出入国在留管理庁出入国管理課)  ポーランドなどの現地の日本大使館で発給されるビザは「短期滞在」。日本での滞在は90日間だ。その期間のうちに、1年間の就労が可能となる「特定活動」に在留資格を切り替える。  現状では日本の受け入れが325人に留まっていることについて、前出の出入国在留管理庁出入国管理課ではこう説明する。 「手続き的には高度なものを求めているわけではないので、ご本人が申請していただければ基本的にはビザは発給されているものと承知しています」(担当者)  そもそも日本行きの希望者が少ないということだろうか。 「陸続きではないし、遠いということも関係するのかなと私的には思います。日本と文化もかなり違うので、希望者が増えるかはわからない。急速に増える可能性もゼロではない。何とも、見通しを申し上げるのは難しい」(同前)  前出のウクライナ人女性が事情を説明する。 「今はウクライナ現地の日本大使館はやっていない。とりあえず、ポーランドなどの日本大使館まで行き、ビザを申請しないといけません。そこでビザが出るのを待たなければならない煩わしさもあるし、日本行きの航空チケット代は高いのです」  日本への来日の方法としては、従来からある留学というルートもある。留学ビザを取得するためには、受け入れる日本側の大学や日本語学校への入学が必要だ。ウクライナやロシアからの留学生の来日を支援している30歳前後のロシア人女性は、明かす。 ウクライナ東部からリビウに避難してきた1歳の男の子 「ポーランドに逃げた女子学生は、今、ポーランドの日本大使館でビザを申請し、待っています。ポーランド経由でドイツに逃げた女子学生もいます。今、ドイツから日本に来たいと言っている」  認定NPO法人難民支援協会広報部の伏見和子氏は次のように説明する。 「単に現地で『留学生ビザください』と言ってももらえるわけではないので。日本の大学や日本語学校がウクライナの方を留学生として受け入れるという、学校とウクライナをつなぐような支援プロジェクトを始めているところもあります」  実際に日本のいくつかの大学で受け入れが始まっている。ただし、入管の手続きや審査が緩和されているわけでないので、 「留学のためのビザが出るためには在留資格認定書という入管手続きが必要になってきますので、そこの部分については通常通りのままです」(出入国在留管理庁出入国管理課担当者)  このように、日本への避難民の325人という数字には様々な意味があるようだ。325人に留まっている背景には、冒頭の女性の両親のように、祖国を離れて遠い国で生活することが人生の選択肢として考えられない人もいることも確かだ。  一方、留学ビザで入国したり、「特別活動」という在留資格を得たりしても、実態が他国に庇護を求めた「難民」であっても、すぐに国が定めた“難民”となるわけではない。 「短期滞在なり、ほかの在留資格なり、なにがしかの査証を取って日本に来てから難民認定申請ということになります。そのうえで、審査をして認定か不認定かという判断になります。審査は適切に行なっています」(同前)  前出のNPO法人難民支援協会の伏見氏は、これまでの難民申請の状況をこう語る。 「ウクライナに限らず、難民申請の件数は近年ですと、年間1万人ほど。それがコロナ禍で2020年は約4千人に減りましたが、それでもかなりの人数が難民認定を求めて日本政府に申請しているんです」  日本の場合は難民認定の審査が非常に厳しい。 「年間数10人という単位でしか、難民認定されていないんですね。しかも、難民申請をして結果が出るまでに平均で4年以上かかっています。多くの方は3カ月や半年ごとに更新をしながら難民申請の結果が出るのを待っていらっしゃる。在留資格がない方もいます」  世界ではウクライナだけではなく、各地で武力紛争や人権侵害が起きている。ミャンマーでは昨年2月、軍事クーデターが起き、アフガニスタンでも昨年8月、イスラム主義勢力タリバンが政権を奪取した。 「日本ではあまり知られていませんが、昨年、アフリカだけでも複数の国でクーデターや紛争が発生。中東でも紛争が起きています」  そうした国からも保護を求めて来日している。昨年、難民支援協会が支援を行なった難民の出身国は50以上にのぼるという。  ウクライナに限らず、他の国に対しても、紛争や人権侵害で逃れてきた人々に救いの手を差し伸べることはますます重要になってきている。(AERAdot.編集部 上田耕司)
ウクライナロシア避難民
dot. 2022/04/01 17:00
埼玉エスカレーター条例施行から半年「右側に立ち止まって手すりを持ちたい」 まひ残る40代男性の本心
國府田英之 國府田英之
埼玉エスカレーター条例施行から半年「右側に立ち止まって手すりを持ちたい」 まひ残る40代男性の本心
エスカレーターを降りようとする川瀬正広さん。地元の駅にある距離の短い低速のエスカレーターは乗りやすいのだという(写真/編集部・國府田英之)  埼玉県で、全国初のエスカレーターに立ち止まって乗るよう求める条例が施行され、4月1日で半年がたつ。首都圏ではエスカレーターの「左側立ち、右側空け」が長く定着してきた。だが、身体に障害があり右側に立ちたい人もいる。昨年11月にAERAdot.が配信した、エスカレーターの右側にしか乗れない15歳少女と両親の苦悩についての記事は大きな反響を呼び、様々な声が寄せられた。条例をきっかけに県民の意識やマナーは変わったのか。そして、エスカレーターの右側に立ち止まって乗りたい当事者は、どう感じているのか。 *  *  *  3月下旬の午後。  埼玉県最大のターミナル駅であるJR大宮駅西口のエスカレーターを眺めていると、「左側立ち、右側空け」の慣習は変わっていないように見えた。大半は左側に立っているが、右側を歩いたり早足で駆け上がっていった人も少なくない。JRが立ち止まって乗るようアナウンスを流し続けているのだが、効果はいかばかりか。駅のホームでは、電車から降りた客で上りエスカレーターを歩く人は、さらに多かった。  右側を歩いて上っていった春日部市の30代男性会社員に話を聞くと、 「条例は知っていますけど、子どものころから身に着いた習慣なので急いでいると歩いてしまいます。小さい子どもなどに気づいたら、立ち止まるようにはしているつもりです」  左側に立った地元の80代男性は、 「高齢者はみんなが立ち止まって乗ってくれた方が安心。ぶつかられると怖い」と話しつつも、「仕事をしていた若いころは、何も考えずに歩いていたと思います。自分自身の足が弱ってくると色んなことに気がつくんだよね」  さらに、「埼玉だけじゃ効果はない。東京で働く県民が多いんだから、東京都にも働きかけるべき」(40代女性)や、「大人が変わらないと子どももマネするだけでは」(19歳女子大学生)など、意見は様々だ。 ■立ち止まる勇気が持てない 「条例の効果なのかはわかりませんが、大丈夫ですかと声をかけてくれたり、気を使ってくださる人もいらっしゃいます。ただ、全体的にはエスカレーターの乗り方は条例施行前と何も変わっていないように感じています」  うつむき加減でそう話すのは、和光市在住の会社員、川瀬正広さん(49)だ。20年近くすし店の板前として働いていたが、2015年の秋、脳出血を起こし入院。リハビリを経て歩けるようにはなったものの左半身にまひが残り、一歩一歩、ゆっくりと足を運ぶ。 3月25日の午後、JR大宮駅西口のエスカレーター。空いていても右側を歩く人は散見された(写真/編集部・國府田英之)  立ち仕事の板前から道を変え、今は都心で事務の仕事に就く川瀬さん。 「特に駅のエスカレーターは、歩く人がとても多いですよね。ぶつかられると転んでしまうし、下りだと転落する危険があるので怖いですよ。板前のころは自転車通勤で、プライベートも車移動が大半だったので、通勤時の駅はこんなにエスカレーターを歩く人が多いのかと驚きました」  本心は、右側に立ち止まって力の入る右手で手すりを持ちたい。ただ、右側空けの慣習が根付いている状況で、立ち止まる勇気が持てない時もある。  事情を察してもらうためにヘルプマークをつけているが、そうそう気づいてもらえないのが現実だ。 「エスカレーターが混んでいないときは、少し左寄りに立って、右手を伸ばして手すりをつかむようにしています。後ろから人が歩いて来たら、右手を離して通れるようにするときもあります。埼玉県内は条例ができたので気持ちとしては少し楽ですが、都心は重圧を感じます」  コロナ禍で在宅勤務が増えたとはいえ、気を使いながらの通勤が続く。 ■「罰がないからやりません」に疑問  埼玉県の条例は違反しても罰則がなく、実効性を疑問視する声は施行前からあった。川瀬さんは疑問を口にする。 「身体の不自由な高齢者や、子どもでも障害などで配慮が必要な人はいます。罰がないからやりません、で良いのでしょうか」  リハビリをした病院で、懸命な患者たちの姿を見てきたからこそ、思いは強い。 川瀬さん自身、脳出血後に医師から、歩くことはもうできないと告げられた。 「心が折れましたよ。妻と小さな子ども2人。これからどう生活していけばいいのか、目の前が真っ暗になりました」  左半身は手足に力が入らず、ベッドから車いすに移る練習も、うまくいかない。それでも当時、小学校低学年だった長女にこう話した。 「小学校の卒業式には歩いていくよ」  幼い娘は何の話かよくわかっていなかったが、父は再び歩くことをあきらめなかった。  学生時代はスキーでインターハイに出場し、体力に自信のあった川瀬さん。「本当にきつかったです」と今も顔をゆがめて振り返るほどのリハビリを経て、何とか立てるようになったという。 「真っ暗闇」の状況で、大きな気づきもあった。 JR大宮駅構内。立ち止まって乗るよう呼びかける掲示板も(写真/編集部・國府田英之) 「友人たちは、障害者になった自分と、以前のようには付き合わないだろう」。勝手にそう思い込んでいたが、現実は違った。毎日のように見舞いに来た高校時代からの友人。退院後、ひそかなブームとなっていた「たき火」に誘ってきた友人は、荷物を持つこともできないと遠慮しかけた川瀬さんにこう言った。 「そんなのいいよ。楽しめるだけ楽しめばいいじゃん」  つらい経験は少なくない。エスカレーターで後ろから来た人に舌打ちされたり、「どいてください」などと吐き捨てられたり……。今でも、「また何か言われるだろうな」と、あきらめにも似た気持ちを抱えてエスカレーターの右側に立つ。  一方で、障害を知ってくれた仲間たちは優しかった。 「知ってくれれば、ちょっとずつ状況が変わるんじゃないかとも思っています。自分の今の姿や思いを伝えてもらうことで、一人でも二人でも、エスカレーターで立ち止まってくれる方が増えてくれないだろうかと」 ■見えない努力を重ねて  長女の小学校の卒業式には、約束通り歩いて行った。その5歳下の長男は、ペットボトルのふたをやっと自分で開けられるようになった父を見て、こう言った。 「できなかったことができたね」  誰もがいつかは年を取り、身体は弱る。自分は元気でも、身近な誰かが病気や事故などで配慮が必要な状況になるかもしれない。その当事者たちは、川瀬さんのように見えない努力を重ねて社会で生きているはずだ。 「自分にとってのエスカレーターの問題だけではなく、エレベーターに乗りたいベビーカーを押すお母さんや、事情があって電車の優先席に座りたい人、点字ブロックを開けてほしい視覚障害者の人……配慮や支えを必要としている人は日常にいますよね。そうした人たちが生きやすい社会になっていってほしいと強く願います」  条例の施行がゴールなのか、埼玉以外にも広がり、社会を変える一歩目になるのか。自分や身近な人に何かがあったとき、「生きやすい社会」で暮らせる方がいいことだけは間違いない。 (AERAdot.編集部・國府田英之)
dot. 2022/04/01 08:00
日本フィギュアスケートの未来は明るい “次世代を担う”男女のスター候補
日本フィギュアスケートの未来は明るい “次世代を担う”男女のスター候補
今後の飛躍が期待される島田麻央  次の冬季五輪は2026年、イタリアのミラノ・コルティナダンペッツォで行われる。北京五輪のフィギュアスケートでは、男子シングルで鍵山優真が銀メダル・宇野昌磨が銅メダル、女子シングルで坂本花織が銅メダルを獲得した日本代表だが、次世代のスケーターも着々と育っている。  男子の若手では、16歳の三浦佳生が急成長を遂げている。三浦が掲げていた今季の目標は、北京五輪代表選考がかかった全日本選手権・フリーの最終グループで滑ることだった。その目標通り全日本のショートで5位につけて最終グループ入りした三浦は、フリーで4回転ループに挑戦。ステップアウトしたものの、その後2種類3本の4回転を決め、総合4位という結果を残した。  ジャンプにおいては早くから豊かな才能を見せていた三浦は、今季はスピンやスケーティングも上達している。もとより滑りのスピードは抜群だった三浦だが、いささかその速さを持て余している感もあった。だが今季の試合ではジャンプ以外の部分にも丁寧さが感じられ、ステップアップした演技をみせている。  今年1月の四大陸選手権(エストニア・タリン)に出場した三浦は銅メダルを獲得し、シニアの国際大会で表彰台に上がった。記者会見ではフリー前日に足の肉離れを起こしていたと明かし、「その中でも本番集中して4回転3本締められましたし、存在感は見せられたのかなと思う」と手応えを語っている。 「僕は元々、今シーズンはジュニアの選手なのですが、だからシーズン始まった時にはこの四大陸に出られるとはまったく思っていなくて。こうして全日本選手権(の結果が)良くて派遣してもらって、メダルを持って帰ってこられることが本当に嬉しいです。この先この銅メダル、3位という成績に恥じないようにもっともっと練習して、来シーズン以降ももっと活躍できるようにしていきたい」  羽生結弦の欠場により世界選手権の出場も決まっていた三浦だが、3月16日に負った左大腿四頭筋肉離れのため棄権した。「次の世界ジュニア選手権(4月13~17日、エストニア・タリン)に向けしっかりと治していきたい」とコメントしており、怪我の完治と健闘を期待したい。 急成長を遂げている三浦佳生  女子のホープは、現在13歳の島田麻央だ。ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪シーズン開幕を16歳で迎える島田は、現行の規定では五輪プレシーズンからシニアデビューが可能になる。ただISU(国際スケート連盟)はシニア大会に参加できる最低年齢を現行の15歳から17歳に引き上げる提案について今年後半に投票を行うことを明らかにしており、その結果によっては変更があるかもしれない。  2019年全日本ノービスB、2020・2021年全日本ノービスAを制している島田は、早くからミラノ・コルティナダンペッツォ五輪での活躍が期待されてきた。ノービス推薦選手として出場した今季の全日本ジュニアでも優勝しており、来季デビューする予定のジュニアでも強さを発揮しそうだ。  島田の武器は2021年3月の京都府選手権で日本女子として初めて成功させた4回転トウループで、その後も継続的に試合で成功させてきた。また島田は11歳で臨んだ2020年全日本ノービスで、トリプルアクセルにも挑んでいる。その際は転倒したものの、「浅田真央選手みたいなトリプルアクセルを跳べるようにしていきたい」と意欲を持ち続けてきた。そして3月26日に行われた京都府選手権で、ついにトリプルアクセルを成功させたのだ。  北京で輝く先輩の姿を見た日本の若手達は、4年後の大舞台でどんな滑りをみせてくれるのだろう。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
フィギュア三浦佳生島田麻央
dot. 2022/03/28 18:00
深澤辰哉が「週刊朝日」の表紙&カラーグラビアなど計11ページで登場「Snow Manとしてもっと大きくなることが恩返し」
深澤辰哉が「週刊朝日」の表紙&カラーグラビアなど計11ページで登場「Snow Manとしてもっと大きくなることが恩返し」
 今週の「週刊朝日」は、Snow Manの深澤辰哉さんが表紙とカラーグラビアを飾ります。グループ最年長で、よどみなくトークを回すMC担当。自身の容貌をネタにする“いじられ三枚目キャラ”で、3月25日公開の実写映画「おそ松さん」で演じる“無気力マイペースな四男・一松”についても、「共通点は二つで、ジト目と猫背です」と笑いを誘いますが……インタビューでは、一松とは違う側面に迫りました。「おそ松さん」の“未完成報告会”の様子を報じたグラビアでは、Snow Manのメンバー全員が登場します。他にも、成年後初めての会見で高まる「愛子天皇」待望論、東大・京大・早大・慶大の結果を一挙掲載する大学合格者高校ランキング、早慶、上智、東京理科・GMARCHの学部別ランキング、ロシアによるウクライナ侵攻で激変する国際情勢を受けての証券マン緊急座談会、テレビで「食ドラマ」が次々とつくられる背景など、バラエティー豊かなラインナップでお届けいたします。 週刊朝日4/1号 表紙は深澤辰哉さん!※アマゾンで好評発売中  いつも笑いの絶えない印象の深澤辰哉さん。赤塚不二夫の「おそ松くん」を原作に、20代となってもニートな松野家の6つ子を描いたアニメの実写化映画「おそ松さん」で演じる一松と似ている点を聞かれると、「性格は真逆ですね。一松はぼそぼそしたしゃべり方だし。でもテンションがずっとローなわけじゃなくて、バッて上がるところもあるから、切り替えはめちゃめちゃ難しかった」。作品中でニートの6つ子に転機が訪れることにちなんで自身の転機を尋ねられると、「一つはA.B.C-Zの河合(郁人)くんで、もう一つは20歳のときの滝沢(秀明)くん。滝沢くんはターニングポイントだったかなという気がします」。当時、滝沢さんからあるアドバイスをされたことが、その後大きく影響したといいます。どんなアドバイスで、深澤さんはどんな思いで受け止めたのでしょうか──さらには、5月に30歳を迎えるにあたっての目標をうかがうなど、充実のインタビューとなりました。  その他の注目コンテンツは、 ●“堂々”成年会見で見せた気品とユーモア 「愛子天皇」への高まる期待天皇、皇后両陛下の長女、愛子さま(20)が3月17日、成年皇族となって初めての会見に臨みました。初々しくも気品あふれるその姿に、かねてから根強い「愛子天皇」待望論がさらに高まる可能性があります。令和の皇室は、未来へ向けてどんな変化を遂げていくのか。愛子さまのユーモアもキラリと光った会見の様子を詳報。さらに、女性・女系天皇を認めるのかなどなかなか進展しない皇位継承をめぐる制度変更の議論について、自民党の下村博文元文科相や立憲民主党の小川淳也政調会長などに取材しました。 ●大学合格者高校ランキングは東大・京大・早大・慶大 GMARCHら難関私大学部別ランキングも本誌毎年恒例の大学合格者高校ランキングは東大・京大・早大・慶大の結果を一挙掲載。MARCH、学習院、東京理科など難関私大の学部別ランキングもお届けします。関連特集では、学生獲得に向けて対照的な道を歩んでいる「永遠のライバル」早大と慶大の「新潮流」を、インターネットの検索数などのビッグデータから分析。さらに、女子学生が少ないという共通の課題を抱える東大と京大について、現役学生や卒業生がどう考えているのかについても詳しく取材しました。 ●証券マンが緊急座談会「岸田政権が続く限り日本株は買われない」3月上旬、日経平均株価は1年4カ月ぶりに2万5千円を割りました。その後は一気に2万6500円台を回復するなど、波乱の展開となっています。ロシアによるウクライナ侵攻で世界経済の先行き不透明感が高まるなか、日本株はどうなるのでしょうか? 日々相場を見つめる現役証券マンら、投資のプロ4人が緊急誌上座談会を開きました。「最大の株安要因は岸田文雄首相」と、現政権への批判も噴出。今後の最適な投資行動を考えるうえでも、見逃せない内容です。  ●深夜食堂・孤独のグルメ・ワカコ酒……続々登場する「食ドラマ」が流行るワケ「深夜食堂」や「孤独のグルメ」など、近年は食を題材にしたドラマがテレビの定番コンテンツとなっています。なぜ、次々と新たな「食ドラマ」が生み出されているのでしょうか。その舞台裏を探ると、近年の日本人の嗜好の変化も見えてきました。漫画「孤独のグルメ」原作者の久住昌之さんや、5月に映画化を控える「おいしい給食」のプロデューサーなど、コンテンツを生み出す当事者たちに論じていただきました。 週刊朝日 2021年 4/1増大号発売日:2022年3月22日(火曜日)増大号特別定価:470円(本体427+税10%) ※アマゾンで好評発売中!
dot. 2022/03/22 11:21
「カムカム」好評の川栄李奈 好きな「朝ドラ」ヒロインと次の夢を明かす
「カムカム」好評の川栄李奈 好きな「朝ドラ」ヒロインと次の夢を明かす
 NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の3代目ヒロイン・ひなたを演じ、毎朝お茶の間をほっこりさせている川栄李奈さん。そんな川栄さんに、朝ドラファンの作家・林真理子さんが、迫ります。 【川栄李奈が語る「カムカム」最終回 「5回は見直したい、すごい終わり方」】より続く *  *  * 林:私、「カムカムエヴリバディ」が終わっちゃったら、何を楽しみに朝起きればいいんだろうという感じですよ(笑)。「朝ドラ」って、見てる人に半年間寄り添うから、3カ月で終わる週1のドラマとは、思い入れがぜんぜん違いますね。 川栄:そう思います。私は18歳から始まって、最後60歳ぐらいまで演じるんですけど、そんな長い期間演じるって「朝ドラ」ぐらいしかないと思うので、その振り幅を自分自身も逆に楽しんでいます。 林:いま、ずっと大阪なんですよね。お食事なんかどうしてるんですか。 川栄:なんかそこらへんにあるものを……。 林:そこらへんにあるもの?(笑) 川栄:コンビニとか、買いだめしてたものとか、NHKの食堂に行ったりして。 林:自分でつくったりもするんですか。 川栄:はい、お休みの日にはつくったりとか。 林:共演者の皆さんと食べに行ったりはしないんですか。 川栄:できていないですね。このご時世なのでなかなか行けてなくて、みんな「落ち着いたら行きたいね」とは言ってるんですけど、なかなか……。 林:話が変わりますけど、川栄さんはオーディションで「朝ドラ」のヒロインを勝ち取ったそうですね。 川栄:はい、オーディションを受けさせてもらいました。 林:川栄さんは大河ドラマにも二つ(「いだてん~東京オリムピック噺~」「青天を衝け」)お出になってるし、これだけお名前があるのに「オーディション受けろ」と言われて、ちょっとムッとしなかった?(笑) 川栄:「朝ドラ」のヒロインになりたいという夢はずっと前からあって、AKB48にいたときからオーディションは受けさせてもらっていたんです。私はオーディションに落ちたその悔しさで「頑張ろう!」と思える人間なので、「朝ドラ」もいままで5回受けて落ちてきて、そのたびに悔しくて、「次は絶対やってやろう!」と思ってきました。 林:「朝ドラ」のヒロインになって、ご両親、すごく喜んだんじゃないですか。 川栄:お母さんもお父さんもすごく喜んでました。私がずっと「朝ドラ」のヒロインになりたがってるってことも知ってたので、「夢がかなったね」ってお母さんに言ってもらいました。 林:川栄さんがいちばん好きな「朝ドラ」のヒロインって誰ですか。 川栄:私、「あまちゃん」(2013年度前期)の能年(玲奈)さん(現のん)のかわいらしいキャラクターと、クドカンさん(宮藤官九郎)の脚本がすごく好きで、あれを見て「朝ドラ」っていうものを知ったんですよね。それで私は「あさが来た」(15年度後期)からずっとオーディションを受けさせてもらってきたんです。だから感慨深いというか、不思議な感覚でした。 林:私、昔、川栄さんをバラエティー番組で見た記憶があるんですけど、「女優としていける」と思ったのはいつぐらいですか。 川栄:いや、「いける」とは思ってないんですけど、「お芝居、すごく楽しいな。やりたいなあ」と18歳ぐらいのときからやんわり思っていて、20歳でAKBを卒業してからは、お芝居を本格的にやろうと思いました。 林:いまや川栄さん、女優さんの階段を着実にのぼってるという感じですよね。 川栄:AKBを卒業するときに、「朝ドラ」と大河ドラマに出るというのが目標だったんです。そしたら4年後ぐらいに1回目の大河(「いだてん」)に出させてもらって、ほんとにうれしくて、もう2回目はないだろうと思ってたら、その2年後ぐらいに「青天を衝け」でお声をかけていただいて、すぐまた今回の「朝ドラ」に続けて出られたんです。ほんとに夢がかなったという感じで、「自分、頑張ったな」って、自分をほめてあげたいなと思いました。 林:川栄さんが、自分は女優さんに向いてるなと思ったのは、たとえば台本を読んですぐそのキャラクターに入っていけるとか、そういうところがあったんですか。 川栄:ふだんは私、わりと静かなほうで、あんまり感情を出さないタイプの人間なので、いろんな役で感情表現をするのがすごく楽しいんです。あと、台本を覚えるのがわりと速いんです。台本をもらったらすぐセリフを覚えられるのも一種の特技かなと思ってます。 林:『ガラスの仮面』のマヤちゃんみたい。すいません、古い話で(笑)。「青天を衝け」では、徳川慶喜の正妻の美賀君の役でしたよね。私、慶喜の伝記(『正妻 慶喜と美賀子』)を書いたことがあるからわかりますけど、美賀子さんって公家から来てるから、武家の人とは所作も違うし、大変だったと思いますよ。でも、気品があって公家出身の奥方の雰囲気が出ていて、あの役にぴったりでした。着物の所作とか習ったんですか。 川栄:はい。指導の先生に厳しめに、何度も怒られながら(笑)。 林:きょう川栄さんにお目にかかったら、「ひなた」とは違って、陰影をたたえた大人の女性なので、これからいろんな役ができそうですね。 川栄:いろんな役ができたらいいなと思います。いままで女子高生とか若い元気な役が多かったので、いま、27歳なんですけど、30代からは大人っぽい役とかもやってみたいなと思います。 林:この分だったら舞台もぜんぜんオッケーじゃないですか。 川栄:でも、舞台と映像はぜんぜん違うなって思います。舞台も何度か出させてもらったんですが、生のお芝居ってその一回が勝負じゃないですか。舞台はけっこう緊張しますね。 林:でも、またやってみたいと思ってます? 川栄:そうですね。機会があればやりたいなと思います。 林:ひとつの作品が終わると、またすぐ次のお仕事に入っていけるタイプですか。 川栄:そうですね。切り替えがけっこう速くて、「このお仕事終わった。おしまい!」という性格なので、次に、次に、というタイプではありますね。 林:「朝ドラ」と大河という二つの望みがかなっちゃって、次の目標は何にしますか。 川栄:私、ドラマに出させてもらうことは多いんですけど、映画ってそんなにたくさん出ていないので、映画にたくさん出たいなという夢がまだ一つ残ってます。 林:じゃ、次は日本アカデミー賞ですね。きっとすぐかなうと思いますよ。日本全国の人をこれだけ感動させたんだから。 川栄:頑張ります! (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 川栄李奈(かわえい・りな)/1995年、神奈川県生まれ。2010年、オーディションに合格し、AKB48第11期研究生として公演デビュー。15年、AKB48を卒業、舞台「AZUMI 幕末編」主演。過去の出演作に、ドラマ「とと姉ちゃん」「フランケンシュタインの恋」「いだてん~東京オリムピック噺~」「BG~身辺警護人~」「知ってるワイフ」「青天を衝け」、映画「亜人」「恋のしずく」など。現在放送中のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の3代目ヒロイン「ひなた」を好演している。※週刊朝日  2022年3月25日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2022/03/20 11:30
愛子さまが雅子さまに応じた「生んでくれてありがとう」の20年 天皇一家仲良し写真で振り返る
愛子さまが雅子さまに応じた「生んでくれてありがとう」の20年 天皇一家仲良し写真で振り返る
成年の記者会見での愛子さま  天皇、皇后両陛下の長女・愛子さまは皇居・御所で17日、成年の単独記者会見に臨まれた。20歳の誕生日を迎えられたのは昨年12月だったが、春休みに入り学業が落ち着いた時期を見計らい行われた。  愛子さまが会見するのは初めてで緊張した様子を見せながらも、冒頭、前日16日の夜に起きた宮城、福島両県で最大震度6強の地震に言及し、お見舞いを述べられた。会見では、“お馴染み”な質問である結婚観や理想のお相手から、いとこ・眞子さんの結婚にも触れられた。中でも初々しさがあふれたのは天皇、皇后両陛下と愛子さまの「仲良し家族」エピソード。そんな愛子さまの家族との触れ合い写真で20年を振り返る。 *  *  * 【1】愛子さま「生まれてきてくれてありがとう」 2001年12月1日に生まれた愛子さまを抱かれて、宮内庁病院を退院する雅子さま。愛子さまは成年の会見で「これまでたくさんの愛情をそそぎ、育ててくださったことに深く感謝しております」と話されたが、雅子さまはご出産後の会見で「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐまれ、皇太子さま(当時)が寄り添い、背中を優しくさすられた姿が目に浮かんでくる。愛子さまは会見で「母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉にかけて、私も『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」と応じられた。 【1】 【2】パパのほっぺに手を伸ばしツン! 2002年8月、栃木県黒磯市の湿原を散策し、休憩で立ち止まった時に、雅子さまに抱かれた愛子さまが小さな手を伸ばし、皇太子さま(当時)のほっぺをツン! 皇太子さまが爆笑され、雅子さまも満面の笑顔で、その中心には愛子さまが。皇太子さまが手にしているのは愛子さまを背負うためのベビーキャリー。家族での旅行の思い出も会見では明かされ、ある時は海に家族でドボン!「静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き、海で泳いでいるときにきれいなお魚の群れを発見して、皆で観賞しましたり、また須崎の海はほとんど波のない穏やか海でございますけれども、サーフボードを海に浮かべてそこに3人で座る挑戦をして見事に全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」とユーモアたっぷりに話された。 【2】 【3】わんわんに興味津々な姿に家族の笑顔が 2003年葉山御用邸近くの海岸・小磯の鼻を散策する皇太子さま(当時)ご一家。葉山御用邸近くの海岸・小磯の鼻で、集まった人が連れてきた小型犬と目を合わせるようにしてしゃがみ込む愛子さまを笑顔で見守る皇太子さま(当時)と雅子さま。海岸で砂遊びをされたようで皇太子さまの手にはお砂場遊びのスコップが! まだ1歳だった愛子さまは、この頃から動物に興味を持ち始められたのか、現在では「両親と一緒に飼っている犬や猫とふれあう時間も私の心安らぐ時間になっていると感じております。これからもペットを含め、家族で過ごす時間を大事にして参りたいと思います」と会見でお話された。 【3】 【4】新しい家族の「一員」と一緒に 2009年5月、皇太子さま(当時)ご一家 新家族・子犬の「由莉(ゆり)」と一緒に静養へ。会見では関心事のひとつにあげたのも犬。「盲導犬や聴導犬といった働く動物たちにも学校主催のイベントや動物についてのフォーラムの折などに触れる機会がございまして、動物好きの私といたしましては、心引かれるものがございます」と、国内外での関心事のひとつとしてあげられていた。 【4】 【5】高校の入学式はスキー焼けの笑顔 2017年4月、愛子さまは学習院女子高等科に入学。入学式を前に報道陣からの質問に笑顔を見せる皇太子さまご夫妻(当時)と愛子さまだが、よく見ると顔半分が日焼けをしている。スキー焼けのようで、愛子さまはスキーを3歳から始められ、家族3人でスキーを楽しむ姿も報じられている。会見では「昔から体を動かすことが好きですので父と一緒に敷地内をジョギングしたり、以前は家族3人でテニスをしたり」と会見でも家族で体を動かす、仲の良さが伝わるエピソードをお話された。 【5】 【6】父と真剣に語り合う愛子さま 愛子さま16歳に。2017年のお誕生日前に公表されたお写真で、八ケ岳について話す皇太子さまと愛子さま。写真から真剣にお話するお二人の会話が聞こえてきそうだが、「両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また両親の物事に対する考え方や人との接し方などからは学ぶことが多くございます」と、会見では明かしていた。 【6】 【7】愛犬・由莉もこんなに大きくなり 2019年、愛犬の「由莉」とともに、那須御用邸の敷地内を散策する天皇、皇后両陛下と愛子さま。会見で長所を聞かれた質問では那須での微笑ましいエピソードを披露し、「どこでも寝られるところでしょうか。以前、栃木県にある那須の御用邸に行き、その着いた晩に縁側にあるソファで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えたなんてこともございました」と、まさかの寝落ち! このお話には会見の場が温かい雰囲気に包まれた。 【7】 【8】成年皇族としてデビュー 2021年12月、ティアラや勲章を着用したロングドレス姿で成年の行事に臨む愛子さま。会見では「12月5日の成年行事の折に天皇陛下より勲章親授をしていただきまして、初めて身につけたときにその重みをひしひしと感じて身の引き締まる思いがいたしました」と。また、いまは大学での学業を優先しながらも「一つ一つのお務めを大切にしながら少しでも両陛下やほかの皇族方のお力になれますよう、私のできる限り精いっぱい務めさせていただきたいと考えております」と。  【8】 会見では、国民に寄り添いながら、公務に向き合う気持ちを自分の言葉でしっかり語られた。 「これまで両親には、様々な機会を与えていただいたり、私の成長を愛情を持って温かく見守ってきていただいていて、なんでしょう、なんと申しますか、両親のそういった両親の生活面で支えてくれているところなどにも深く感謝しておりますので、そのことについてお礼を伝えたいと思います」 仲良し家族のエピソードを交え、20歳というひとつの節目でもある会見は両親への感謝の言葉であふれていた。(AERAdot.編集部太田裕子)
天皇陛下愛子さま皇室雅子さま
dot. 2022/03/18 08:20
“ロシア勢”なき女子フィギュアの世界選手権 注目すべき選手は誰になる?
“ロシア勢”なき女子フィギュアの世界選手権 注目すべき選手は誰になる?
北京五輪では7位だったアリサ・リウ  3月21日からフランス・モンペリエで開催されるフィギュアスケートの世界選手権に、ロシアとベラルーシの選手は参加することができない。  ロシアは2月24日からウクライナ侵攻を開始し、ベラルーシはそれを支援している。そのため国際オリンピック委員会 (IOC)は両国の選手・役員を国際大会から除外するよう各競技の国際連盟に勧告しており、国際スケート連盟(ISU)もそれに従った。  フィギュアスケート大国であるロシアは、特に近年の女子シングルでは圧倒的な強さをみせてきた。2月に行われた北京五輪でもアンナ・シェルバコワが金メダル、アレクサンドラ・トゥルソワが銀メダルを獲得している。同じくロシア勢である北京五輪4位のカミラ・ワリエワも参加しない世界選手権では、同3位の坂本花織や同5位の樋口新葉ら日本勢が優勝候補となる。特殊な状況での大会だが、日本代表の選手は持てる力を出し切ってほしい。  日本勢以外で注目される選手は、北京五輪6位のユ・ヨン(韓国)、同7位のアリサ・リウ(アメリカ)、同8位のルナ・ヘンドリックス(ベルギー)か。ユ・ヨンとリウはトリプルアクセルを持っており、高難度ジャンプを跳ばないヘンドリックスは質の高さで勝負するタイプのスケーターだ。  11歳で韓国の国内選手権を制しているユ・ヨンは、2020年四大陸選手権2位、2020年ユースオリンピック優勝と順調にキャリアを積み重ねてきた。しかし昨季は調子を落とし、北京五輪代表に選ばれた今季も、1月の四大陸選手権では3人出場した韓国勢の中で最下位の6位とふるわなかった。しかし、北京五輪ではショート・フリーともに武器であるトリプルアクセルを回転不足ながら着氷させ、6位に入っている。伸びのあるスケーティングも魅力で、17歳の若さで重厚な曲を滑りこなす。世界選手権でトリプルアクセルをきれいに決められれば、表彰台を狙うこともできそうだ。  リウは、14歳だった2019年、女子では初めてトリプルアクセルと4回転を一つのプログラムの中で成功させている。その後体型変化のためにジャンプが決まらず苦しんだ時期を乗り越え、北京五輪シーズンである今季までにトリプルアクセルをプログラムに戻してきた。今季の全米選手権でショートを滑った後に新型コロナウイルス陽性が判明しフリーを棄権したものの、実績が評価されて北京五輪代表入りを果たしている。16歳で迎えた北京五輪ではフリーでトリプルアクセルに挑戦し、重度の回転不足と判定されたものの着氷、アメリカ勢では最高となる7位に入った。笑顔で滑る溌溂とした姿が観る者も幸せにする、チャーミングなスケーターだ。  22歳のヘンドリックスは、ロシア勢が席捲してきたヨーロッパでも、その確かな技術で存在感を示してきた。今年1月に行われたヨーロッパ選手権のショートでは、ロシア勢に割って入る2位につけている(総合4位)。北京五輪ではショート・フリーの両方でミスが出てしまったが、世界選手権ではミスのない滑りを期待したい。体が軽い10代の選手が活躍する女子シングルにおいて、ヘンドリックスの成熟した滑りは一味違う魅力を放つ。正確な技術と、大きくリンクを使う滑り、情感あふれる表現は必見だ。  フィギュアスケートも不穏な世界情勢と無縁ではないことを痛感する世界選手権となったが、その中でも全力を尽くす各国のスケーターの滑りを、しっかりと見届けたい。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
アリサ・リウフィギュア女子ユ・ヨンルナ・ヘンドリックス
dot. 2022/03/17 18:00
福原愛 不倫相手の前妻が「福原は嘘をついている」と告白、「メディアで起用しにくくなる」の懸念
福原愛 不倫相手の前妻が「福原は嘘をついている」と告白、「メディアで起用しにくくなる」の懸念
福原愛  卓球女子元日本代表で、現在は解説者やタレントなどで活動している福原愛。不倫相手として報じられた一般男性の元妻が週刊文春の取材に応じ、「福原さんは嘘をついている」と告発したことが波紋を呼んでいる。  経緯を振り返ると、福原は昨年7月に卓球元台湾代表の江宏傑氏との離婚が発表されてから5カ月あまりで、男性との熱愛が報じられた。「NEWSポストセブン」の報道によると、デートのお相手は福原が江氏と婚姻関係だった昨年3月に「横浜デート」が報じられた5歳年下の会社員。2人は中華街で食べ歩きなどを楽しむ様子が伝えられ、1日目は2人で高級ホテルに宿泊。翌日は男性が愛さん宅に泊まったという。Aさんも既婚者だったことから「ダブル不倫」と騒がれたが、福原がマネジメント契約を結んでいる「電通スポーツパートナーズ」でコメントを発表。自身が昨年1月に個人事務所を立ち上げて助言を求めるために気分転換も兼ねて男性と会ったと説明し、「一緒の部屋に宿泊した事実はありません」と不倫関係を否定していた。男性は元妻と昨年11月初旬に離婚。ほどなくして福原と交際がスタートしたことが報じられた。  男性の元妻は今回の週刊文春の取材に対し、「(横浜デートが報じられた報道後に)二人が連絡を絶っていたのは真っ赤な嘘」と指摘。当時夫婦関係が破綻していたことも否定し、週刊誌の取材に対応することで事実を伝えたい旨を福原に連絡したところ、「それはやめて欲しい。記事が出ると、報道が過熱し、結果的に巻き込むことにもなる」と迷惑料として100万円を提示されたことを明かした。元妻は福原の言動に誠意が見られなかったとして、あえて支払いに応じられない金額の5千万円を求め、その後は代理人同士のやりとりに。双方の主張は対立しているという。  テレビ関係者は渋い表情を浮かべる。 「記事を読む限り福原さん、男性の元妻で言い分が食い違っていて真相は分かりませんが、この熱愛報道に関しては冷ややかな視線で見ている人たちが多いのは事実です。昨年7月に東京五輪の卓球で解説を務めましたが、女性層を中心に『なぜ解説に起用したのか理解できない』と批判の声が目立った。福原さんの解説は素人には分かりにくい高度なプレーに対し、独特の例えでわかりやすく説明してくれるので好評でした。卓球の魅力をどんどん発信してほしいですが、このような報道が続くようだとメディアはスポンサー、視聴者の目を意識して起用しにくくなる」  スポーツ紙記者は、「日本では風当たりが強いままなので、活躍のフィールドが中国にシフトしていくのではないでしょうか」と分析する。  福原は中国で絶大な人気を誇る。現役時代に中国で卓球のスーパーリーグに参加。「フーユアンアイ」の愛称で流暢な中国語と愛くるしい笑顔で話題になり、アイドルのような存在だった。現役引退後もその人気は健在で、昨年の12月8日に中国版TikTok「抖音」でアカウントを開設して話題に。フォロワーは2日間で180万人を超えた。現地メディアの取材に積極的にも対応している。  日本卓球女子の第一人者としての貢献度は計り知れないが、プライベートの報道でマイナスイメージがつきまとう。今回の騒動を無事に乗り越えられるのだろうか。(西川秀之)
dot. 2022/03/17 14:00
「二男と三男はひやめし」 『昭和天皇拝謁記』に見る天皇家の兄弟 立場の違いと苦悩
矢部万紀子 矢部万紀子
「二男と三男はひやめし」 『昭和天皇拝謁記』に見る天皇家の兄弟 立場の違いと苦悩
1969年、浩宮さま(天皇陛下)に手を貸してもらい、自転車に乗る練習をする礼宮さま(秋篠宮さま)  昭和天皇と秩父宮、高松宮、三笠宮、上皇さまと常陸宮さま、そして天皇陛下と秋篠宮さま──。男系男子が継承する天皇家の兄弟の立場の違いを、それにより生じた苦悩を考察する。AERA2022年3月14日号の記事から。 *  *  * 『相模湾産後鰓類図譜』(生物学御研究所編)という本が1949年、岩波書店から出版された。昭和天皇が相模湾で採取した後鰓類(ウミウシ、アメフラシなど、読み:こうさいるい)を解説した本だ。  この出版の後日談が『昭和天皇拝謁記1』(岩波書店)に登場する。初代宮内庁長官・田島道治氏による天皇との詳細な面談メモにこうあるのだ。 <本の御礼が三笠宮様から直ぐ来た。三笠宮様は近来余程よく御成りになつた様に思ふ。(略)高松宮はおそく御礼が来た。(略)秩父さんは未だ何ともいつて来ないとの御話、一寸御返事に窮す。大きい御心で御寛容をと申すのみ>(49年9月19日)  名の挙がった3人は、昭和天皇の弟。上から秩父宮(昭和天皇の1歳下)、高松宮(同4歳下)、三笠宮(同14歳下)だ。年の離れた順に反応し、気やすい間柄ほど反応が鈍いと読むことも可能だが、そう単純でもないことは明らかだ。49年2月から始まるから、この日まで7カ月、何度となく弟たちへの不満が登場する。  昭和天皇は弟を「宮号+さん」で呼ぶ。「高松さんのことだがネー」といった調子で語りだし、「ネー」の後はほぼ不満。その理由は、田島氏の50年4月5日の記述から明らかだ。 <それから高松宮、秩父宮等のことにも言及され、皇弟たるの自覚足らぬとの仰せ(皇弟たるの自覚の内容が陛下と宮様方の間で違ふやうに思はるゝ)>  弟宮とも話をする立場の田島氏は、彼らに「皇弟の自覚」はあると認識している。が、兄の思う「自覚」とは違う。この指摘、皇弟とは何かという問題提起ではないかと思う。 二男と三男はひやめし  田島氏は昭和天皇と弟宮たちを見ながら、昭和天皇の長男(現在の上皇さま)と次男(義宮、現在の常陸宮さま)について考える。50年7月5日には、昭和天皇にこう語ったと記している。 <民法に家の観念も長子相続もなくなつたに係らず、皇室だけは長子相続で家のある様な建前で長男は所謂惣領であり、二男、三男はひやめしで余程違つた事となる故、此等の点余程注意しなければならぬと存じます>  ひやめし。天皇と田島氏の信頼関係あってこそのクールで率直な表現だ。翌日はこう記す。 1954年5月、バイオリンの演奏会を訪れた当時の皇太子さま(上皇さま・中央)、義宮さま(常陸宮さま) <田島は私と三笠さんとのやうな事を東宮ちやんや義宮の事に心配してた様だけれども、二人は私は余程違ふと思ふとの仰せにて、それは教育が違ふ。東宮ちやんと義宮は同じ学習院へ通つてる>  自分は御学問所で特別な人、弟たちは幼年学校や中等科で、みな違ったと天皇は語る。田島氏は「義宮様は軍人といふ昔のやうな事がなくなりましたが」と答える。学校の問題でなく、大人になってからの役割の問題だという指摘だろう。すると天皇は、こんなふうに語る。 <今は化学がいゝと思ふ。然し専門家になつて貰つては困る。相当の時間つぶしになつて、そして趣味の程度といふ事を考へる。丁度私の生物学等の程度のものに>  弟宮には仕事がない。そういう田島氏に、時間つぶしが必要だと答える昭和天皇。何というリアリスト同士だろう。  弟宮たちの直接の言い分は、『昭和天皇拝謁記』には見当たらない。が、こんな記述が49年12月にあった。 <高松さんは人が右といへば左と仰せになるといふ御話故、それは高松さんの御くせと存じますと申し上げ> 分け隔てせずいきたい  御くせという言葉で、田島氏は高松宮の気性を表現したのだと思う。自分なりの視点を常に持ち、表明する。そういう気性だ、と。思い出したのが、天皇陛下の弟として生まれた秋篠宮さまだ。  2018年、53歳の誕生日を前にした記者会見で、代替わりに伴う行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べた秋篠宮さま。弟宮歴53年の自覚は、兄には言えない意見を率直に語ること。そして国民と皇室との距離を近づける。そうわかる発言だった。  秋篠宮さまが生まれたのは、65年11月。その翌月、上皇さま(当時の皇太子さま)は誕生日にあたっての記者会見で「私は二人を可能な限り、分け隔てしないでいきたい」と述べた。乳母制度を廃止した上皇さまと美智子さまだから実際、分け隔てなく育てたに違いない。が、やはり長男は違うのだとしみじみ思わずにいられないのは、美智子さまのこんな言葉だ。  74年、40歳のお誕生日にあたっての記者会見、美智子さまはこう述べた。 「私一人の感じでいえば、浩宮の人柄の中に私でも習いたいというような美しいものを見出しています」  浩宮、つまり現在の天皇陛下は当時、14歳だった。  秋篠宮さまと親しい毎日新聞編集委員の江森敬治さんは共著『天皇交代』の中で、「秋篠宮を理解するキーワードの一つ」として「自由」を挙げた。 AERA 2022年3月14日号より 「自由」と生じた「誤算」  兄と弟、成年式を前にした記者会見での質問の違いなどを示し、皇族としての明確な目標のない次男だから好きな研究の道を歩む、早く結婚し、両親らと別な生計を立て、より自由な道を得る。江森さんは、若き秋篠宮さまの思いをそう解説した。  が、そこに「大きな『誤算』が生じた」と江森さん。それは、兄夫妻に男子が生まれなかったことだ、と。そして06年の悠仁さまの誕生に筆を進め、「ここに、今に続く、彼の大きな苦悩があるのではないだろうか」と書いた。  次男であり、将来の天皇の父。秋篠宮さまは、叔父も大叔父も経験していない立場にいる。その複雑さゆえの「誤算」と「苦悩」。端的すぎる表現だ。  江森さんは「仮にだが」として「皇太子夫妻に男の子が誕生していたら」と論を進めている。マスコミの目も国民の関心もそちらに集中、悠仁さまの誕生も「秋篠宮家の後継ぎ」として喜ばれるだけで、特別な視線が送られることもなかったろう、と。  この本が出版されたのは平成が終わる前年の18年だった。それから4年。仮のこの論を現在に当てはめるなら、眞子さんの結婚も悠仁さまの筑波大学付属高校進学も、これほど批判を招くことはなかっただろうと思う。そしてもう一つ、仮の論として、秋篠宮さまが長男だったら、と置いてみる。 男系男子に限る継承  女子2人と男子が生まれる。女子は大学から、男子は幼稚園から非・学習院を選択する。自由がキーワードの家庭ということで、あまり波風は立たなかったはずだ。大学で出会った男性と長女が婚約、その男性の関係者が「金銭トラブル」を訴えたとしても、嵐のような非難は起きなかったに違いない。  そう書きながら胸が痛む。「男系男子」に皇位継承を限っていることに行き着いてしまうからだ。それがなければ、誤算も苦悩もなかった。それは兄弟どちらの家庭にも、と思う。 「民法に家の観念も長子相続もなくなつたに係らず、皇室だけは長子相続で家のある様な建前で」と田島氏が語ってから、72年が経とうとしている。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2022年3月14日号
皇室
AERA 2022/03/12 08:00
ミッツ・マングローブ「クレイジー! 人類の限界とジョイナー」
ミッツ・マングローブ ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ「クレイジー! 人類の限界とジョイナー」
ミッツ・マングローブ  ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、限界について。 *  *  *  先に閉幕した冬季五輪北京大会。今回も数々の不明瞭な判定や疑惑に揺れた大会でしたが、私が初めて「ドーピング」なる言葉を知ったのは、88年ソウル五輪における陸上男子100m決勝でぶっちぎりの世界新記録(9秒79)を出したベン・ジョンソン(カナダ代表)です。  陸上界の大スターであるカール・ルイスを抜き1位でゴールした瞬間、ベン・ジョンソンは世界中のニューヒーローになりました。ネットもSNSもない時代だったにもかかわらず、地球全体が沸き立った感覚がありました。しかし、レース直後のドーピング検査で陽性反応が出て失格。金メダルも世界新記録も一瞬にして幻のものとなり、当時の子供たちは「ドーピング」という新語とともに大わらわだったのを憶えています。  そしてもうひとり、同じ88年ソウル大会で強烈な印象を残した人と言えば、陸上女子100mと200m、さらには400mリレーで三つの金メダルを獲得したフローレンス・ジョイナーでしょう。風を切るロングソバージュに見事な筋肉美をたたえた褐色の肌、真っ赤な口紅とロングネイルは、まさに大会の象徴であり、「ジョイナーブーム」はバブル真っ只中の日本を席巻しました。学校で足の速い女子は、もれなく「ジョイナー」と呼ばれていたあの頃、何を勘違いしたのか「夜のヒットスタジオ」に夫婦(夫も陸上選手)で出演し、黒人とは思えない驚異的な音感の無さを披露。日本中を震撼させたことは決して忘れません。  ジョイナーはソウル五輪から10年後、38歳という若さで突然この世を去りました。しかしながら、彼女が打ち立てた女子100mと200mの世界新記録は34年間破られていません。特に200mについては、破られるどころか肉薄すらされていないのです。時代や技術の進化とともに肉体の限界値も日々更新されていくスポーツの世界において、ジョイナーが打ち立てた圧倒的な強さ・速さというのは、実に摩訶不思議なものである一方で、これはこれで「人類が夢を見た証」であるとも思います。そして、その摩訶不思議さを科学的に証明できぬまま今日にまで至っているというのもまた、人間の限界を突きつけられているような気がして、話としては決して嫌いではありません。 「限界」と言えば、日本人と英語の関係についても思うところが。此度の五輪でも、海外選手たちから頻繁に聞かれた「crazy」という言葉。日本人にとって馴染みの深い英単語です。しかし、例えばスノボーの選手がインタビューで「This is so crazy!」と発言した際に出る字幕は、決まって「クレイジーだね!」とか「とてもクレイジーなことだわ!」といったものばかり。中学のテストならば間違いなく「×」でしょう。 「crazy」に対する日本人の知識はあまりにも偏り過ぎています。「狂っている」「頭がおかしい」と訳すからこんなことになるのです。昨今は日本語でも、ポジティブな意味で「ありえない」とか「やばい」とか「えげつない」といった言葉を使いますよね。NHK的ではないかもしれませんが、「クレイジーだね!」よりは恥ずかしくないかと。 ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する※週刊朝日  2022年3月11日号
ミッツ・マングローブ
週刊朝日 2022/03/09 16:00
ひきこもっても「ああ、そうなんだ」で済む社会へ 林恭子さんが新著で訴えるひきこもりの真実
野村昌二 野村昌二
ひきこもっても「ああ、そうなんだ」で済む社会へ 林恭子さんが新著で訴えるひきこもりの真実
はやし・きょうこ/1966年生まれ。高校2年生で不登校になり、以来30代まで断続的にひきこもって過ごす。現在、一般社団法人ひきこもりUX会議代表理事。他、新ひきこもりについて考える会世話人、NPO法人Node理事、一般社団法人Polyphony理事などを歴任(photo 小暮誠)  AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。 『ひきこもりの真実─就労より自立より大切なこと』は、一般社団法人ひきこもりUX会議代表理事を務める林恭子さんの著書。ひきこもりには女性も性的少数者もいるし、困窮する人も、本当は働きたい人もいる。そして、それぞれに生きづらさを抱えている──。ひきこもり当事者でもあった著者が、「ひきこもり1686人調査」と自身の体験をもとに、ひきこもりの真実を伝える。画一的な支援の課題、当事者に寄り添う支援とは何か、考えさせられる。林さんに、同書にかける思いを聞いた。 *  *  *  16歳で不登校になり36歳までの20年間、断続的にひきこもった。そんな林恭子さん(55)による本書は、まさにひきこもりの「真実」を伝える一書だ。 「大きく誤解されているひきこもり当事者の本来の姿を、支援者にもご家族にも知ってもらい、支援の在り方について考えてほしいと思って」  ひきこもりと言えば、甘えや怠けと捉え、ゴールは「自立と就労」と考えている支援者や家族が少なくない。しかし、当事者は現状を何とかしたい、でもどうしていいかわからず、地下の土の中で「生き埋め」の状態でもがき苦しんでいる。なのに、それが支援者たちに伝わらず、多くの当事者が傷ついてきたと語る。  本書では、自身の体験も赤裸々につづった。自分の価値観を押し付けてくる母親との関係や管理教育に馴染めず、不登校やひきこもりになったこと。高校も大学も中退したこと。自己否定、不安、焦り、生き地獄だった日々……。 「もしかしたら一カ所でも、同じような経験をしているかもしれないので、『一人じゃなかった』と思ってくれたら」  林さんがひきこもりを脱することができたのは、これというきっかけがあったわけではない。少しずつ少しずつ「光」の方に向かい匍匐(ほふく)前進していったイメージ。光は自身の中では「地上」だったという。それと信頼できる精神科医に出会えたこと。33歳の時に初めてひきこもりの集まりに行き同じ当事者と出会え、「一人じゃなかったんだ」と思えたことが大きかったと話す。 『ひきこもりの真実 ─就労より自立より大切なこと』(924円〈税込み〉/ちくま新書)ひきこもりには女性も性的少数者もいるし、困窮する人も、本当は働きたい人もいる。そして、それぞれに生きづらさを抱えている──。ひきこもり当事者でもあった著者が、「ひきこもり1686人調査」と自身の体験をもとに、ひきこもりの真実を伝える。画一的な支援の課題、当事者に寄り添う支援とは何か、考えさせられる(photo 小暮誠) 「ひきこもることは自己防衛でもあるので時に必要ですが、私の場合はこじらせ長引かせ過ぎました。おしゃれや恋愛もして、楽しかったかもしれない一番いい時期をひきこもって過ごしたのですから。生まれ変わったら? 今度はひきこもりたくないですね(笑)」  こうして2012年から当事者活動を始め、14年に当事者団体「ひきこもりUX会議」を立ち上げ代表理事を務める。  今、80代の親が50代のひきこもりの子どもを支える「8050問題」が深刻だが、これからは「9060問題」に移行していくだろうと警鐘を鳴らす。当事者には、あなたは一人じゃない、わかってくれる人は必ずいるので「女子会」など当事者会にアクセスしてほしいという。家族には「家族会」につながってほしい、支援者は当事者と向き合うのではなく横に並んで、と話す。  アルバイトを続けながら、イベントを主催したり、講演で全国を飛び回る。来年度からは支援者向け研修会も始めるという。原動力はどこに? 「怒りです。生きづらい社会がひきこもりを生みだしている、それへの怒りです」  今も多様性が大切と言いながら、異なる意見の人を排除したりしている。そんな社会が息苦しい。目指すのは、 「色々な生き方ができる社会。ひきこもっていても『ああ、そうなんだ』で済む社会です」 と力を込めた。(編集部・野村昌二)※AERA 2022年3月7日号
AERA 2022/03/07 17:00
「クレージーと誰も僕を信じてなかった」自信を吹き込みバスケ女子を五輪銀メダルに導くバスケ男子日本代表HC トム・ホーバス
吉井妙子 吉井妙子
「クレージーと誰も僕を信じてなかった」自信を吹き込みバスケ女子を五輪銀メダルに導くバスケ男子日本代表HC トム・ホーバス
魂のこもった激しい言葉で選手の能力を引き出し、「日本語のマジシャン」とも言われる(撮影/大野洋介)  バスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ、トム・ホーバス。東京五輪でバスケ女子が銀メダルに輝いた。バスケで日本がメダルを取るのは初めて。率いたのが、トム・ホーバスだった。23歳のときに来日し、トヨタで仕事をしながら選手としてプレーをした。その後、女子バスケのコーチの声がかかった。通訳はつけずに、自分の言葉で語りかける。昨年から男子バスケ日本代表のヘッドコーチとなった。新しい旅が始まる。 *  *  *  スーツに身を包んだ長身のアメリカ人男性が、失望感が漂う観客席に流暢な日本語で叫んだ。 「スタートはよくなかったけど、みんな我慢してください」  一呼吸を置き、さらに語気を強める。 「間違いなく上手くなります。23年のワールドカップでは、もっといいバスケをお見せします」  2021年11月末、男子バスケットボールW杯アジア1次予選が仙台で行われ、日本代表はアジアの強豪・中国に63-79、73-106と大差で敗れた。コートサイドで日本を指揮していたのが、東京五輪で女子バスケ日本代表を銀メダルに導き、世界を驚かせたトム・ホーバス(55)。初陣を飾れなかった指揮官はファンに向かって詫びた。  急ごしらえのチームだった。プロバスケットボールBリーグが開幕中でメンバーが揃わず、合宿期間も実質1週間しかなかった。ホーバスが指導する細かな戦術を理解するには、あまりにも時間が足りなかった。  代表キャプテンで、日本人初の1億円プレーヤーでもある富樫勇樹(28=千葉ジェッツ)は、合宿期間中ホーバスの戦術の緻密さに驚いた。 「短期間にいくつもの戦術を覚えなければならなかった。こんな経験は初めて。選手全員がこんなに覚えるの!とびっくりしていました」  だがホーバスは「まだちょっとだけ」で、女子の半分も教えていないという。中国戦の敗因は「うちのファイティングスピリットが足りなかった」。  女子を銀メダルに導いた名将が、男子代表のHC(ヘッドコーチ=監督)に就任すると発表されたのは、五輪1カ月後の9月下旬。この発表に多くの人が驚いた。女子バスケの監督が、同じ国の男子にスライドするのは世界的にも稀。男子と女子では同じ競技とは言え、戦い方はまるで違う。この起用を決断した日本バスケットボール協会の技術委員長・東野智弥(51)は、男子代表の底上げができるのはホーバスしかいないと踏んだ。 「東京五輪の経験で一番大きかったのは、選手が私を信じ尊敬してくれ、私も選手を尊敬し信じたこと。男子とのリレーションシップはこれから合宿を重ねながら作る。ステップ・バイ・ステップです」と語る(写真=(c)JBA) 自信を吹き込めば世界トップに辿り着く  23年のW杯は日本、インドネシア、フィリピンの共催。ビッグイベントを成功させるには男子のテコ入れが急務だった。活躍が読める女子と違い、男子は世界の大舞台でほぼ勝ったことがない。東京五輪は開催国枠で出場したものの、1勝もできずに終わった。世界ランキングは現在32位、アジア・オセアニアで6位だ。低空飛行を続ける男子代表をジャンプアップさせるには、ホーバスの力がどうしても必要だったと東野は言う。 「彼は日本のバスケを知り、日本の文化を知っている。世界に勝つための戦略設定もあり、ストラテジー(戦略)の天才でもある」  そんな能力がいかんなく発揮されたのが、女子を率いた東京五輪だった。それまで、身長差が如実に表れる競技と言われるバスケットで、日本女子が銀メダルを取るとは誰もが考えていなかった。だが17年に監督に就任すると、こう宣言した。 「東京の決勝でアメリカと戦い、金を取ります」  ホーバスが当時を思い起こす。 「あの時、誰も僕のことを信じていなかったね。クレージーだって」  しかしホーバスには確信があった。アシスタントコーチとして関わったリオ五輪で日本は8位。その時の経験から、足りない身長を戦術や戦略、技術でカバーすれば、世界NO.1のアメリカとも互角に戦えると考えた。そして、日本に最も欠けていたのが「自信」。自信を吹き込めば、間違いなく世界トップに辿り着けると踏んだ。  リオ五輪に出場し、東京五輪の主将を務めた高田真希(32=デンソーアイリス)は、ホーバスの金メダル発言を聞き、「マジか!」と思ったという。  監督は高い目標を掲げがちだ。だが、ホーバスの性格をよく知る高田は、「本気だ」と感じ取った。 「そのためにこれからどんな厳しい練習が待っているか想像できた。覚悟しましたね」  選手に自信を持たせるためには、ハードワークが必要だった。勝つための万全な準備と言ってもいい。しかし、ただ単に長時間練習をすればいいというものではない。ホーバスは、日本の学校の部活で行われている「根性練習」の弊害を感じていた。長時間練習の環境にいると、選手たちは本能的に体力を温存し、配分しようとする。そのため選手らは自分の限界を低い地点で設定してしまっていた。日本スポーツ界の弊害でもあった。  ホーバスはまず、長年培われた選手の本能を取り払う必要があると考えた。なぜこの技術を身につけなければならないのか、それはどの場面で生きてくるのか、練習の中で常に考えさせた。  ホーバスは日本人以上に日本人の心を察知し、選手が気づいていない個々のアドバンテージを引き出した。我慢、気遣い、思いやり、誠実さ、緻密さなど一見勝負の世界ではマイナスになりそうなメンタリティーを巧みに結合させ、強固なチーム力として結晶させた。 「私は日本語があまり分からなかった。だから、相手の表情やしぐさなどを観察して理解しようとしてきた。その分、その人の“本当”が見えるのかもしれない。そして私は日本人以上に日本人の秘めた能力を理解していると思います」 (文中敬称略) (文・吉井妙子) ※記事の続きはAERA 2022年2月28日号でご覧いただけます
現代の肖像
AERA 2022/02/27 18:00
ワリエワの“無心”で観られなくなった美しい演技 大会出場を続ける前に「すべきこと」
ワリエワの“無心”で観られなくなった美しい演技 大会出場を続ける前に「すべきこと」
北京五輪ではドーピング疑惑もあり本来の力が発揮できなかったワリエワ  北京五輪のフィギュアスケート・女子シングルが始まる直前まで、カミラ・ワリエワ(ROC)は絶対的な優勝候補だった。  15歳でシニアデビューした今季、出場したすべての試合で優勝、世界最高得点を数回にわたり更新。2種類の4回転ジャンプとトリプルアクセルを跳ぶだけでなく、抒情的なショートと名曲『ボレロ』を使うフリーを滑りこなす表現力を持ち、死角のない圧倒的な強さを誇ってきた。  北京五輪・団体戦でも、その強さは変わらなかった。ショート・フリーともに1位となり、ROCの金メダル獲得に貢献。またフリーでは4回転ジャンプを成功させており、これは女子シングルのスケーターとしては五輪で初めての快挙だった。  しかし世界反ドーピング機関(WADA)は、昨年12月25日にロシア選手権で採取されたワリエワの検体から禁止薬物であるトリメタジジンが検出されたという分析結果を、RUSADA(ロシア反ドーピング機関)に報告していた。これを受けてRUSADAは8日、ワリエワに暫定資格停止処分を科し、ワリエワ側はこれに対して異議を申し立てた。それを受けてRUSADAが9日に処分を解除したことに対し、不服とした国際オリンピック委員会(IOC)、WADA、ISU(国際スケート連盟)がスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴。CASが、ワリエワは16歳未満の保護対象者であることなどを理由に訴えを退け、ワリエワの個人戦出場が確定したのは14日。個人戦・ショートの前日だった。  ワリエワの個人戦出場には、ドーピング疑惑が解決していないため成績は暫定のものとして扱われ、3位以内に入った場合、表彰式は行われないという条件がついていた。ワリエワはショートではトリプルアクセルでステップアウトしたものの、その後の演技をまとめて首位につけた。もちこたえた印象だったが、フリーでは抱えていたものがあふれ出るように演技がほころびる。まともに決まったジャンプは数えるほどで、4回転やトリプルアクセルのみならず、いつもであれば難なく跳ぶ3回転―3回転の着氷でもバランスを崩し、演技終盤では少しずつ音に遅れた。自身の持つフリーの世界最高得点より40点以上低い141.93というスコアに終わったワリエワは、総合4位で表彰台に立つことはなかった。 2021年11月ロシア杯のSPで首位になったときのワリエワ。真相を明らかにし、このような美しい演技を再び見られる日が来ることを願う  ロシアのメディアによれば、ワリエワは「これで表彰式は中止にならないのでしょう」と語ったという。15歳の少女がドーピングを自発的に行ったとは考えにくく、ワリエワがキスアンドクライで泣き崩れる光景には、やり切れなさだけが残った。  ロシアに帰国したワリエワは歓迎を受け、インスタグラムでコーチへの感謝を綴っている。ドーピングによる処分が決まらない状況下で、3月4・5日にロシア・ソチで行われるチャンネルワントロフィーに出場することが伝えられており、世界選手権(3月21日~、フランス・モンペリエ)出場の可能性にふれているロシアメディアもあるという。  ワリエワは、女子シングルの歴史上有数の優れたスケーターと言えるだろう。事実だとしてもおそらく自分の意志で行ったわけではないであろうドーピング疑惑によって、15歳の若さでキャリアを終えるのは惜しいと思わせる傑出した才能を持つ。ただ、ドーピングに関する事実がはっきりしない限り、その美しい演技を無心で観ることはできなくなってしまった。今求められているのは、真実を明らかにし、ワリエワの優れたスケーティングが健全な方法で育まれていることを証明することではないだろうか。(文・沢田聡子) ●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」
カミラ・ワリエワドーピングフィギュア女子ロシアワリエワ北京2022
dot. 2022/02/25 18:00
「川栄李奈」朝ドラ女子高生役が大当たり! 結婚出産から「復帰ブレーク」できた理由
丸山ひろし 丸山ひろし
「川栄李奈」朝ドラ女子高生役が大当たり! 結婚出産から「復帰ブレーク」できた理由
川栄李奈  NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に出演中の女優・川栄李奈(27)が10代の女子高生として登場し、話題となっている。違和感なく女子高生を演じていることに、ネット上では「少女みありすぎてリアルでは一児の母とか想像つかない」「本当に結婚も出産も経験してるの?」など驚きの声が上がっている。  テレビ情報誌の編集者は川栄についてこう評価する。 「もともと、演技力の高さには定評があります。彼女は演技をする際に、なるべく自分の色を出さないように努力しているそうで、毎回、うまく役に染まっています。『もともと自分に色があまりないので、大変ではない』『台本読んで、こういう役なんだと思って芝居をするだけで、こだわりが特になく、何でもいいという性格』とインタビューで答えていたこともあります。さらに、身長152 cmという小柄で薄い顔立ちというところも、女子高生役になじんだ一因でしょう。薄顔はシワなどが目立ちにくいので、実年齢より幼く見られやすい。川栄自身もインタビューで、『すっぴんの顔がとにかく薄いんです』と話していました。しっかりメークをしても、ナチュラルに見える顔立ちだと思います」  それだけでなく、出産後のスキンケアや体形維持もしっかり行っているようだ。女性誌のインタビューでは、体重が増えやすい体質であることを告白。浴室暖房をつけ、サウナスーツを着る“おうちサウナ”にハマっており、「3時間ほど入っていたら1.5kg落ちました」と話していたことも(『美的』2021年10月号)。  一方、「良くも悪くも母親オーラがまったくない」と言うのは週刊誌の芸能担当記者だ。 「過去、朝ドラのオーディションに5回も落ち、ようやく6回目で今回の主演を勝ち取ったのは有名な話。出産後、『#リモラブ』への出演もあったのに、育児の合間を縫って演技力を高めるため、相当な努力をしたとか。女性誌の報道によると、朝ドラの収録開始に伴い、川栄は大阪で単身赴任をし、子育ては夫や実母がサポートしているようです。朝ドラへの気合はすさまじく、女優としてのプロ意識を強く感じさせますが、家族に関する情報はほとんど発信していないので、一部女性視聴者からは『まだ小さいのに、子どもは大丈夫?』などの意見もあるのは事実です。ただ、母親っぽさがないからこそ、女子高生役もハマるわけですし、今後の伸びしろが大きいとも言えます」 ■結婚直後に夫の二股が発覚  15歳でAKB48の研究生になり、芸歴はすでに10年以上。AKB48出身としては、もっとも成功した女優の一人だろう。だが、すべてが順風満帆だったわけではない。女優として波に乗っていた2019年5月、突如入籍と妊娠を発表し世間を驚かせた。この“電撃デキ婚”に、当時SNS上では「プロ意識の低さに幻滅した」など、厳しい意見も寄せられた。また、直後に夫が結婚前に二股状態にあったことを「週刊文春」が報道。その後、川栄は告発した女性への批判とも捉えられるツイートをし、ファンから「余計な一言言っちゃったな」と、残念がるコメントもあった。 「川栄の場合、入籍&妊娠で結果、好感度が下がってしまいましたが、出産で1年ほど露出を減らしたことで、世間のイメージがリセットされたような気がします。たとえば、同じくデキ婚した黒木メイサも同様にイメージダウンとなりましたが、黒木はクールでミステリアスな雰囲気で売っていただけに、デキ婚との“ギャップ”が大きかった。それに対して、川栄は“プロ意識がない”という点をたたかれただけなので、ダメージが少なかった印象です。その上、川栄の場合は出産をへたことで、うまくマイナスイメージが払拭(ふっしょく)され、素直な目で彼女の演技を見ることができる人が多くなったように思います」(前出の記者)  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、彼女の演技についてこう分析する。 「『カムカム~』における彼女の演技は、表情やしぐさが非常にナチュラル。いつの間にかストーリーに引き込まれ、思わず応援したくなる、ひなたというキャラクターをとても生き生きと演じています。他の作品でもそうですが、スムーズに役になじみ、スタンドプレーをして悪い方向に個性を主張しないので、作品全体の雰囲気を損ないません。それだけでも立派ですが、本作ではヒロインとして必要な凛々しさ、力強さを感じさせる演技もしっかり見せてくれており、そのバランス感覚が絶妙です。間違いなく彼女の代表作になるでしょうし、もっと主演作を見たいと思う人も増えていくと思います」  今後、幅広い年齢を演じられる実力派という評価が高まってきそうだ。(丸山ひろし)
カムカムエヴリバディ川栄李奈
dot. 2022/02/25 11:30
芸歴25年「いとうあさこ」がテレビから消えない理由  好感度だけじゃない貪欲な「プロ根性」
丸山ひろし 丸山ひろし
芸歴25年「いとうあさこ」がテレビから消えない理由  好感度だけじゃない貪欲な「プロ根性」
いとうあさこ  2月4日から初主演映画「鈴木さん」が公開されている、お笑いタレントのいとうあさこ(51)。4月からは指原莉乃とMCを務めるバラエティー番組「トークィーンズ」(フジテレビ系)がスタートする予定で、新番組を合わせるとテレビのレギュラーは「ヒルナンデス!」(日本テレビ系)、「世界の果てまでイッテQ!」(同)など計4本となり、派手さはないものの、底堅い人気を維持している。  明るい人柄で、ひな壇トークから体を張ったロケまで器用にこなす。一方、雙葉小学校から雙葉高等学校というお嬢様学校に通い、育ちのよさから体を張っても下品に感じず、好感度が高い女性芸人の筆頭という印象も強い。40代に差し掛かる頃にブレークして以降、ほぼ途切れることなくテレビに出続けているが、「長く活躍できるのは好感度だけではない」と言うのはテレビ情報誌の編集者だ。 「レオタード姿でリボンを振り回し、『浅倉南、39歳。なんかイライラする!』というネタでブレークしました、昨年放送されたラジオ番組で、このネタを封印したことを明かしています。『あの頃はちょっとポップに“イライラする”ってネタにできていたんですけど、今はガチでイライラするので、もう笑えない』という理由だそうです。浅倉南ネタは、例えば『産まれて初めて香水をつけたら、片思いの彼にこう言われたの“お前、殺虫剤臭い”。私の匂いで虫が死ぬ』みたいな、アラフォー女子の自虐ネタだったのですが、確かに50歳を超えてこれをやるのは、少し痛々しくなる。そうなると芸人として笑いを取りづらくなる。いとうの場合、痛々しくなる前に自ら浅倉南ネタを止め、痛さを回避できたところが今も活躍につながっているのだと思います」  うまい具合に“芸風”をシフトチェンジできたいとうだが、そんなところを見ると、やはりクレバーな一面も持ち合わせているのだろう。その一方で、若手芸人の頃に発揮していたガッツは今も健在のようだ。 「いとうさんは、女性芸人のなかで随一ともいえるプロ根性の持ち主です。今もロケをこなしていますが、『黄色い粉を絶対持っていく。それをなめると何時間かはもつ』と、昨年放送されたバラエティー番組で明かしていたいとう。黄色い粉とはアミノ酸のことで、50歳を過ぎた頃から気力が続かなくなり、アミノ酸が支えになっているのだとか。でも、視聴者にそうしたことを感じさせないのはすごいですよね。そんなプロ根性も引っ張りだこの理由かと思います」(放送作家) ■久本雅美、大久保佳代子との違い  さらに、いとうの人柄がよくわかるエピソードがある。 「以前、いとうのマネージャーが明かしていたのですが、『24時間テレビ』でチャリティーランナーを務めたときのエピソードが印象的でした。番組でいとうがフルマラソンと同じ距離を走った際、最後の5kmだけマネージャーも一緒に走ったのですが、その時マネージャーは事前練習をやりすぎて膝を痛めていた。それをいとうも知っており、ゴールした際、疲労困憊(こんぱい)にもかかわらず、『膝大丈夫?』とマネージャーのことをまず気遣ったというのです。彼女は親しみやすさが人気ですが、その裏ではプロ根性もあり相手を気遣える人柄も持ち合わせている。加えて、うまく路線変更もできた。そうしたところが相まって、息の長い活躍ができているのでしょう」(前出の編集者)  お笑い評論家のラリー遠田氏は、いとうあさこについてこう評する。 「明るく爽やかで、体を張ったヨゴレ仕事をしていても、どこか品の良さを感じさせる――そんなアラフィフ世代の女性タレントがほかにいないからこそ、いとうさんの存在感が際立っているのだと思います。似たようなポジションで言うと久本雅美さんや柴田理恵さんがいますが、どちらも彼女より一世代上にあたるので、ターゲットとなる年齢層が少しずれています。同世代では大久保佳代子さんが似たようなキャラクターですが、大久保さんには独特の“性欲が強いキャラ”があるので、いとうさんとも少し路線が違います。そういう意味で、彼女が築いた現在のポジションは唯一無二のものであり、今後も長く活躍が期待できると思います」  もちろん、トークやロケの面白さも折り紙付き。若手が続々と台頭しているお笑い界だが、いとうが世代交代の波に飲まれることはなさそうだ。(丸山ひろし)
いとうあさこ
dot. 2022/02/24 11:30
辛い思いもあれど「最も身近に世界最高の選手がいた」 五輪で活躍するきょうだいの絆
川口穣 川口穣
辛い思いもあれど「最も身近に世界最高の選手がいた」 五輪で活躍するきょうだいの絆
2月15日のスピードスケート女子団体追い抜きのセレモニーで、涙する高木菜那(右)を抱き寄せる妹・美帆(中)  北京五輪では10組のきょうだい選手が日本代表として活躍した。どうしてこれほど多いのか。専門家や五輪経験者に聞いた。AERA 2022年2月28日号の記事を紹介する。 *  *  *  涙を流す高木菜那(29)をそっと抱き寄せる妹・高木美帆(27)。北京五輪スピードスケート女子団体追い抜きで連覇を狙った日本の挑戦は、最後のカーブで菜那が転倒し、銀メダルだった。その後の2人の姿からは、姉妹の絆が感じられた。  北京五輪では、高木姉妹も含めて10組のきょうだいが日本代表入りしている。夏季の人気競技と比べて競技人口が少なく、盛んな地域も限られる冬季競技では、きょうだいそろって代表レベルの力をつけるケースが少なくない。  1992年アルベールビル五輪ショートトラック男子5000メートルリレーの銅メダリストで、アスリートの育成システムを研究する筑波大学准教授の河合季信(としのぶ)さんは言う。 「冬の競技は練習場所がかなり限られます。幼少期から親に連れられて各地を転戦する子も多い。そこに弟や妹が同行して競技を始め、一緒に上達する例はよく見聞きします」 ■競い合いながら成長  河合さんによると、種目ごとに差はあるが、代表レベルの選手が競技を始めるのは夏季競技だと平均10~11歳、冬は6~7歳ごろだという。特に冬季競技は幼少期の環境の影響が大きい。 「きょうだいの存在は競技を始めるきっかけになるし、競い合いながら成長できるメリットも大きいでしょう」(河合さん)  きょうだいは最も身近なライバルであり、仲間だ。2010年、15歳でバンクーバー五輪に出た美帆を見て、菜那は悔しくてたまらなかったという。ライバル心もバネに、その後3大会連続で代表入り。18年平昌五輪では2冠に輝いた。今大会1500メートルで世界記録保持者の美帆が銀メダルに終わったあとは、「妹に金を取ってほしかった」と姉の顔ものぞかせた。 AERA 2022年2月28日号より  98年長野五輪のノルディック複合に双子の兄・荻原健司さんと出場した荻原次晴(つぎはる)さんも、「兄がいなければ僕に五輪はなかった」と断言する。健司さんはアルベールビル五輪の複合団体で金メダルを獲得し、翌年の世界選手権では2冠。「キング・オブ・スキー」と呼ばれた。 「毎日のように街中で間違えられ、苦い思いをたくさんしました。でも、その経験があって僕も競技に本気で取り組めたし、最も身近に世界最高の選手がいたから、健司を追うだけで世界の力を知ることができました」 ■兄のおかげで落ち着く  スキーについて2人で深く話したことはほとんどないという。それでも、兄がいることで落ち着いて競技に臨めたと振り返る。長野五輪では、健司さんは4位、次晴さんも6位入賞を果たした。 「五輪に出られたのも、物おじせず戦って入賞できたのも健司が道を開いてくれたから。長野では、わずかなメダルの可能性にかけて勝負に出る健司の背中を祈るように見ていました。同時に、僕がこんなに苦しいなら健司も苦しいはず、ついていけるはずだと励みにもなりました。今大会、きょうだいで出場した選手が活躍しているのも、身近な家族と切磋琢磨(せっさたくま)してきたからこそと感じます」 (編集部・川口穣)※AERA 2022年2月28日号
北京2022
AERA 2022/02/23 17:00
天皇陛下62歳 「うっそー、と言われても困りますね」茶目っ気たっぷりに笑った
永井貴子 永井貴子
天皇陛下62歳 「うっそー、と言われても困りますね」茶目っ気たっぷりに笑った
2019年、茨城国体の開会式に出席した両陛下  2月23日、令和の天皇陛下は62歳の誕生日を迎えた。 「多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」  誕生日に向けて行われた21日の記者会見。  秋篠宮家の長女、眞子さんが結婚問題で体調を崩したことや皇室報道のあり方について質問された天皇陛下は、騒動について「心苦しい」と話し、こう続けた。 「週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては、人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、憲法が保障する基本的人権として、誰もが尊重すべきものです」  一般論と前置きをしたうえで、他者に対して意見を表明する際には、その人の心や立場を傷つけることもあると心にとどめておく必要があることや、他者の置かれた状況に想像力を働かせ、異なる立場や考えを持つ人々に配慮し、尊重し合える社会を願う、と続けた。  眞子さんの結婚問題に際して、「皇室報道には一定の基準が必要」と話していた秋篠宮さまの言葉に、さらに天皇陛下が踏み込んだ形だった。  姪の眞子さんを伯父としておもんばかる気持ちはあるが同時に、国民統合の象徴である天皇であらねばならない。そうした複雑な立場がにじむような会見の言葉だった。  天皇陛下は、「皇室に関する情報をきちんと伝えていくことも大事なこと」とも話した。 「大切なのは、天皇や皇族もまた、生身の人間であることを理解してもらうことなのかもしれません」  そう話すのは、平成の天皇の侍従として皇室に仕えた多賀敏行・元チュニジア大使(現在は、中京大学客員教授)だ。  平成の天皇は、皇太子時代から命を削るように公務に向き合い国民の痛みに寄り添い、祈りを捧げてきた。  そうした父親の姿を見て来た令和の天皇も、皇室の在り方について、「国民と苦楽を共にすること」であると会見で表現した。  令和の天皇も浩宮親王であった昭和の時代から、自身のあるべき姿を模索してきた。  たとえば、学習院時代に浩宮親王が所属するクラスの主管(担任)を務めた小坂部元秀氏は、自身の著書の中で、苦悩する少年、浩宮の姿を書き残している。 1975年 浩宮さま、学習院高等科入学式に出席  中等科時代の浩宮親王の家庭教師をつとめた数学科の佐藤茂人教諭から聞いた話として、こんなエピソードに触れている。 〈浩宮は、自信がないと練習問題の解答をなかなか示そうとしなかったとか。数学の誤答を提出することを、嘘をつくことと同義に考えていたという。中等科時代の彼には、「誤答」→「嘘をつくこと」=「いけないこと」という、常識では考えられない思考の枠がはめられていたといえよう>(『浩宮の感情教育』より)  小坂部氏は、ご両親の明仁皇太子、そして美智子さまと面談をした際に、担当する現代国語の読解や鑑賞はよく出来ているが作文は、「喜怒哀楽の感情表現が乏しい」、と説明し、こう分析している。<日常生活における喜怒哀楽という「私情」を漏らすことを抑制する心理が働いていたのだろうか>(同)として、将来の天皇として重責を背負い、「正しくあらねば」と自らの感情にふたをして自身を律する浩宮親王に、複雑な感情を寄せた。  苦悩と葛藤を抱えながら少年浩宮は成長し、平成の時代に皇太子となった。会見などでは、「新しい皇室と公務のあり方を模索している」と国民にメッセージを発信し続けた。  前出の多賀さんは、こう話す。 「令和の天皇陛下は皇太子だった若いころから、自然体であるように意識的に振る舞い、人と交流なさってきた部分もあるように感じます。これは、ご自身の御代で国民との関係をどう構築してゆくべきかーーという模索を続けてこられた証なのかもしれません」  多賀さんが、強く印象に残った場面がある。  侍従として仕えたのち、カナダ・バンクーバーの総領事として赴任した多賀さんは、2006年にバンクーバーを訪れた徳仁皇太子(当時)の案内役を務めた。 メキシコで開催された「第4回世界水フォーラム」ご臨席のための海外訪問で、カナダは飛行機の給油による立ち寄りであった。  そうしたなかでも徳仁皇太子は、バンクーバーの在留邦人と懇談するなど、忙しく動いていた。ひと息ついたタイミングで、観光名所としても有名なグランビル・アイランドのマーケットまで足を延ばした。  市場の店先には、果物や野菜、肉や大きな魚など生鮮食品が山盛りに積まれ、行きかう人びとで賑わっていた。 2017年デンマーク・コペンハーゲンで現地の市民ハイネさんとのセルフィー(自分撮り)に応じた徳仁皇太子(当時)  ふと乳母車に赤ちゃんを乗せた若い日本人女性が近づいてくる。徳仁皇太子の顔を見ると一瞬、ポカンと口を開け、すぐに悲鳴のような声をあげた。 「うっそぉー。あら、ナルちゃん。どうして!」  公式訪問ではなかったので、徳仁皇太子がバンクーバーに滞在していることを知らなかったのだろう。  だいぶ大きな悲鳴だったが、徳仁皇太子は、にっこりと笑うとその若い母親と会話をはじめた。  若い母親が去ると、徳仁皇太子は多賀さんに、茶目っ気たっぷりな表情でこう口を開いた。 「うっそぉー、と言われても困りますね」  すぐに、観光客らしき日本の女子学生が徳仁皇太子の姿を見つけて、キャーキャーと騒ぎ出した。彼女たちは、ちょと恥ずかしそうに、しかし手に持ったカメラをしっかりと差し出してきた。 「皇太子さまと、一緒に写真を撮りたいんです」  総領事として横にいた多賀さんが、女子学生の大胆さに戸惑った。しかし、徳仁皇太子は、気さくな雰囲気で、「いいですよ」と応じて、彼女たちとカメラにおさまった。  穏やかに、そしてごく自然な所作で相手の気持ちを受け止める。こうした姿勢は、ずっと変わっていない。  即位を前にした2017年、デンマークを訪問した徳仁皇太子は、地元住民からセルフィー(自分撮り)で一緒に写って欲しいと頼まれ、笑顔でツーショット写真に納まった。  マレーシア訪問でも同国のナジブ首相が、自身のツイッターに「一緒にセルフィーができた」と書き込み、徳仁皇太子とのツーショット写真を投稿している。  多賀さんが侍従として皇居にいたころ、平成の天皇も、よくご自身のカメラを持ち出して侍従やそばに仕える人たちと一緒に写真を撮影していたという。 「当然ですが、その写真が現像されて私たちに配られることはない。報道の機会は別として、ご自身のプライベートな写真を外に出すことについては慎重でいらした。たとえば、昭和天皇が職員や知人と気軽に撮影に応じるなどということは、考えられなかった。それを思うと、天皇と国民の関係は、大きく変わりました」    雅子さまのご体調問題や、眞子さまが結婚問題に関わる報道やインターネットの書き込みなどで、複雑性PTSDと診断されたことで、天皇や皇族も、生身の人間であるという認識が国民にも浸透しつつある。 2017年、ナジブ首相の公式ツイッター。「公邸での昼食会で、徳仁皇太子さまとセルフィーを撮ることができた」と投稿された  だが、侍従として皇室を見てきた多賀さんには、心配なことがある。天皇や皇族方の過酷な日常の務めが、ほとんど国民に知られていないことだ。  たとえば天皇の新年は、宮中祭祀である「四方拝」で始まる。1日の夜も明けきらぬころから、国の安寧と国民の幸せを祈るのだ。  多賀さんは侍従として平成の天皇の祭祀の場にも仕えてきた。 「皇祖神と天照大神などを祀る宮中三殿の建物の壁は、薄い板の壁です。出入り口に外気を遮断する戸はなく布がかけてあるだけです。天皇は祭祀の装束に身を包み、一畳ほどの畳の上で祭祀によっては明け方まで祈りを捧げます。冬の祭祀となれば、お仕えする私たちも、手足の感覚がなくなるほどの寒さでした。平成の陛下は、70代になっても祭祀に臨まれてきた」  政治日程にも巻き込まれる。組閣となれば、皇居・宮殿で行われる大臣の認証式が深夜に及ぶこともある。 「日程が二転、三転したうえに、官邸から真夜中に電話がかかってきて、『明日、認証式ができるか』などと、問い合わせが来ることも珍しくありませんでした。皇室に迷惑をかけてはいけない、などといった配慮は感じませんでした」  令和の陛下は、62歳の誕生日を迎えられたばかり。まだまだ、若くお元気だが、祭祀王として人びとに祈りを捧げ、国の象徴としての国事行為や公務を果たす天皇の務めは過酷だ。  多賀さんはこう話す。 「さらに、コロナ禍でオンラインでの公務が中心となり、人びと直に触れ合う機会は、ほとんどない。ニューノーマルの価値観にシフトしたなかで、令和の天皇として国民とどう向き合われるのか。皇室はひとつの岐路にあるのかも知れません」 (AERA dot.編集部・永井貴子)
天皇陛下上皇さま小室さん眞子さん秋篠宮紀子さま皇室
dot. 2022/02/23 14:50
学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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