アイスダンス村元・高橋「次の1シーズンに集中する」 決意と「毎日ヘトヘト」の理由
高橋大輔(たかはし・だいすけ、右):1986年生まれ。フィギュアスケート男子シングル選手として活躍。2014年に引退し18年に復帰、20年にアイスダンスに/村元哉中(むらもと・かな):1993年生まれ。フィギュアスケート女子シングル選手として活躍、2014年からアイスダンスに[写真:蜷川実花、hair & make up 宇田川恵司(heliotrope) styling 吉田謙一(Secession/村元さん) 折原美奈子(Mi-knot Inc./高橋さん) costume nude:masahiko maruyama、DISTORTION3 prop styling 遠藤歩]
アイスダンスの村元哉中・高橋大輔ペアが競技続行を表明した。昨年12月の全日本選手権、今年1月の四大陸選手権、3月の世界選手権を経て、手応えを感じているという。AERA 2022年6月6日号から。
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――「超進化」の2季目。シングルで日本男子初となる五輪メダルを獲得した高橋大輔(36)と平昌五輪代表の村元哉中(29)が組んだ“かなだい”チームは、北京五輪出場を逃したものの、1月の四大陸選手権で日本歴代最高の銀メダルに輝いた。そして、初めての世界選手権でその存在感を見せつけた。
大会後、2人が語ったのは「世界と戦えるポテンシャルを持っている」(村元)、「なかなかシングルでは感じられない気持ちよさ」(高橋)という充実感。だが、高橋は「この先のスケジュールは決まっていない」と語り、“かなだい”の新シーズンの行方は見えなかった。そして、その答えが出た。
■気持ち変わらなかった
高橋:とりあえず2年、北京五輪のシーズンまでという目標を決めていました。次のことはある程度は自分の中で決めていたんですけど、そのままの流れで続けるのは嫌で。アイスショーの「スターズ・オン・アイス」が終わってから2週間ほど休んで、その間に考えました。僕も年齢的なこともあるので、軽い気持ちでこの競技を続けるのは簡単なことじゃない。2週間スケートから離れてみて、やっぱり気持ちが変わらなかった。それで、村元選手に「やります。続けます」と言いました。
村元:世界選手権が終わって、この“かなだい”というチームは世界と戦えると思えた2年間でした。1年目はコロナ禍もあって試合経験がない中でも、2年でここまでのことを成し遂げました。だからこそ来季、私はもうちょっと自分たちがどこまで行けるのか見てみたいなと思うぐらいの手応えがありました。だから、私は高橋選手には世界選手権の後に「あと1年やってみたい」と言って、答えを待っていました。大ちゃんの答えが聞けるまですごく長く感じたけど、やっと聞けてよかったです(笑)。
――短いようで濃厚な2年だった。これまでを振り返って、それぞれが一番印象に残っている試合はどれだったのだろう。
村元:私は1年目の全日本選手権です。クリス(・リード)とカップルを解散してから2年くらいブランクがあって、高橋選手に声をかけてチームを結成してもらって、久しぶりに全日本に戻ってきた。それも大ちゃんと、です。大会では試合直前にケガをするハプニングはありましたし、コロナ禍ですごい大変な1年目だったと思うんですけど、あれが私たちの始まりだと思うので、一番印象的でした。
AERA 2022年6月6日号
■懐かしさと燃える感覚
高橋:僕は2年目の全日本ですね。やっぱり悔しいというか、シーズンの中で一番悪い内容でした。一番大事な試合で一番ダメな演技をしてしまったというところに、自分の弱さを改めて感じました。コロナ対策の入国制限でマリーナ(・ズエワ)コーチも来ることができなかった。五輪選考がかかっていましたし、けっこうプレッシャーのかかる試合でした。その空気感の中で、自分たちだけで上げていかないといけない熱量は相当厳しいものがありました。
――その全日本は2位に。北京五輪出場という2人が掲げていた目標は果たせなかった。
高橋:五輪は一つの大きな目標でしたけど、お互い五輪がすべてではなかった部分がありました。それぞれアイスダンスをやるにあたって、それぞれの思いがあったわけで、五輪に出られないのは悔しかったですけど、四大陸選手権と世界選手権の出場権をもらえた。特に哉中ちゃんは代表として名前が呼ばれた時は、「よし!」とガッツポーズをしていました(笑)。
村元:代表発表は、シングルもペアも五輪に選ばれた選手が世界選手権も出場するという流れでした。「ああ、これは無理かな」と思っていて、名前が呼ばれて、「よっしゃ」と(笑)。
高橋:もしいきなり五輪だったら、僕はかなり緊張していたと思う。四大陸選手権と世界選手権に出場できるということで、すぐに気持ちを切り替えることができました。NHK杯とワルシャワ杯で国際大会である程度の得点がもらえていて、「欲」が出ていた。その中で世界のトップチームと戦える。自分たちの現段階での世界の位置を確かめることができる、と。
村元:四大陸選手権はメダルの可能性があるチャンスだと思っていました。2年間で国際大会ではあまり戦っていないので、自分たちには世界ランキングポイントがあまりない。メダルを取ればポイントが上がる。そうすれば、世界選手権の滑走順も変わる。やっぱり、後半グループで滑る方がいいですからね。
――満を持して臨んだ世界選手権。高橋はシングル時代の2013年以来、9年ぶり。村元は4年ぶり。“かなだい”としての世界選手権は16位だった。
村元:久しぶりで何とも言えない感覚でした。外国の選手もみんな覚えていてくれて、「久しぶり! 元気だった?」「大ちゃんと出るなんてすごい」と。でも、アスリート魂じゃないですけど、性格上、負けず嫌いなところが出てきて、懐かしい思いと燃える感覚もありました。
高橋大輔(撮影/小黒冴夏)
■スケートが一番好き
高橋:おもしろかったですね。僕はリズムダンスのツイズルでミスをしてしまって、あれで点数と順位をだいぶ落としました。でも、公式練習の仕方や衣装を着るタイミングなんかを見ていて、こういう雰囲気でやっているんだということを感じることができて、勉強になりました。シングルの時は最終グループの方が多かったので、前半グループで滑って、いろんなものを見せてもらえたと思います。
村元哉中(撮影/小黒冴夏)
――うまくいくこと、うまくいかなかったこと。2人はそれぞれ乗り越えてきた。その源泉は?
高橋:結局、スケートが一番好きだということだと思います。1度引退して、いろいろな仕事を経験して、やっぱり自分はパフォーマンスする側にいたいと思いました。スケートがあるからこそ、自分はいろんな人やものとつながっているんだなと思って、もう一回スケートを見つめ直したくて、競技に復帰しました。その結果、今はアイスダンスをやっているわけですけど、この経験は将来自分の役に立つと思ってやっています。
村元:私も2シーズン競技から離れた時はダメ人間でした(笑)。最初の1、2週間ぐらいは楽しいんですよ。練習もしなくていいし、好きなことができるし。でも、だんだんスケートがないと、私は何をしてるんだろうと思ってしまって……。このオフも「プリンスアイスワールド」を見る機会があったんですけど、一人のスケートファンとして感動しました。やっぱりスケートが好きなんだな、と。
■集中して追い込む
――“かなだい”の未来は、どこまで続くのだろうか。
村元:あまり先のことを考えすぎると、今大切なことに集中できなくなる。私は昔からそんな感じです。これまでも一年一年やっていって、五輪につながればいいやと思っていました。もちろん、カップルを組む時は大きな目標があった方がいいんですけど、何が起こるかわからない。本当に一年一年だと思う。
高橋:とりあえず、次の1シーズン。次の五輪となると、4年ですよね。もう僕は40歳ですよ(笑)。五輪の時はまだ39歳ですけど、体的にもハードな部分がすごくあります。自分が40歳まで体をどこまで保てるかもわからないですし、先のことを考えると疲れてしまう。本当に毎日頭を使ってヘトヘトになるんです。シングルの時より頭を使うので、あんまり長く考えるよりは、1年集中して思い切り追い込んでいって、あとは流れでどこまで行けるか、ですね。
(朝日新聞スポーツ部・坂上武司)※AERA 2022年6月6日号
AERA
2022/06/06 18:00