テレニン晃子さん原稿は自筆で。書けなくなってからは、声をテープに吹き込んだ。今も読者から、娘の柚莉亜ちゃん宛に手紙が寄せられる(撮影/比田勝大直)
テレニン晃子さん
原稿は自筆で。書けなくなってからは、声をテープに吹き込んだ。今も読者から、娘の柚莉亜ちゃん宛に手紙が寄せられる(撮影/比田勝大直)
現在のレオニドさんと柚莉亜ちゃん(撮影/比田勝大直)
現在のレオニドさんと柚莉亜ちゃん(撮影/比田勝大直)

 出産という最高に幸せであるはずのライフイベントが、ときに、母である自分の命の危機と重なることがある。

 がんの治療を優先して子どもをあきらめるか、自身のリスクは高めても、出産を待ってから治療するか。佐賀県唐津市出身のテレニン晃子さん(享年36 )は、06年2月に長女の柚莉亜(ゆりあ)ちゃん(6)を出産する前、難しい選択を迫られていた。

 ロシア出身の夫のテレニン・レオニドさん(45)とのやりとりや、その決断の過程は、7万部のベストセラーとなった『ゆりちかへ ママからの伝言』(書肆侃侃房)に詳しい。ドラマ化され、1月26日に放送される。

〈ママはパパに約束したの。パパに健康な赤ちゃんをあげるってね。ママ、パパに聞きました。「Do you really want this baby?」パパは泣きながら「Yes.ごめんね。I want both.(ゆりあもママも)」と言いました。パパが泣きくずれるのを見たのは、これが初めてでした〉

 晃子さんは、脊髄のがんだった。産前に腫瘍を取り除く手術を受け、産後すぐから放射線治療と抗がん剤治療とを受けた。それでも、がんは頭や首に飛び、余命半年と告げられた。

 自宅で療養する間、ベッドの上で手鏡を持ち、柚莉亜ちゃんの様子を鏡越しに追っていた。その姿が、母親の青山つや子さん(62)の脳裏に焼き付いている。

「晃子は腰に激痛としびれを抱えていて、少し触っただけでも大声で叫んでいたのに、柚莉亜がベッドに乗っかって遊んでいた時は、一言も痛いとは言わなかった。やっぱり母親やね」

 わずかに残された時間。そこで出来ることをと、晃子さんは、将来の娘に「本」という形でメッセージを託すことを思い立つ。友達、おしゃれ、恋、セックスのこと。何でも話し合える親友みたいに、書き綴った。

 晃子さん亡き後、つや子さんは柚莉亜ちゃんを膝に抱き、この本を読み聞かせようとしたことがあった。つや子さんが涙で声を詰まらせ、言葉にならない様子に、柚莉亜ちゃんは、

「ばあちゃん、どうしたと?」

 もう少し大きくなったら、じっくり読んで聞かせたいと思っている。

AERA 2013年1月28日号