iPad上のアプリを操作し、ラーメンの絵を押せば「ラーメン」と音声が出る。食事をする絵を押せば「食べます」という声が出る。

 アメリカ・シリコンバレー発の「Voice4u」という名のこのアプリ。2009年に日米で同時発売され、現在では世界42カ国で使われている。言葉をうまく話せない重度の自閉症やダウン症の子どもがこのアプリを使って気持ちを表現し、親たちや言語聴覚士の間では「使いやすい」と評判になっている。

 開発したのは、シリコンバレーに住む専業主婦・久保由美さんだ。

 アプリを世に出すきっかけになったのは、アメリカで出産した長男の渡君(18)を育てた経験だ。渡君は2歳の時、医師から重度の自閉症と診断される。
 
 言葉を話せない自閉症児の場合、親は絵が描かれた「絵カード」を見せて、「暑い」「寒い」「お腹がすいた」などの基本的な意思を確認する。一日に必要な絵カードは数百枚単位。買い物に行く場合も、ラミネートした大きな絵カードをバッグに入れ、多動の傾向がある息子の手をひいて歩く。

「他の親子連れが買い物して楽しんでいる間も、うちの息子が『キャー』と奇声を発すると、私は地べたに座って、絵カードを必死に何枚も見せるんです。『痛いの?』『暑いの?』って聞きながら、全身汗だくで。ものすごくみじめでした」

 そんな日々を激変させたのは、iPhoneの登場だった。自宅に遊びに来ていた日本人技術者たちがiPhoneを手に興奮しているのを横で見ながら、ふとこうつぶやいた。

「その中に絵カードを全部入れることができたらいいのに」

 スタンフォード大学大学院博士課程で航空宇宙工学を研究した樋口聖さん(33)が「簡単にできますよ」と即答し、ボランティアでコードを書いた。

 樋口さんに、どんな機能が欲しいか洗いざらい言ってくださいと言われて、やっと言葉が出た。絵カードの音声は味気ない機械音ではなく、親の肉声を吹き込めること。自分で撮影した写真を自由に加えられる機能はどうしても欲しいこと。

 最初は渡君とその友達に配れれば、ぐらいの軽い気持ちだったが、周囲の自閉症児の母親などから「自分たちだけで使うなんて、ずるい。製品にして、発売すべき」と後押しされ、10年に「スペクトラムビジョンズグローバル」社を起こした。

AERA 2012年12月10号