●言語・文化は 天然の貿易障壁

 米欧間で両大戦間期から長く熱い政府間交渉が続けられていることに、「音楽や映像など文化を纏う財・サービスは自由貿易の対象か否か」という議論があり、ほぼ1世紀に近づきつつある今においても決着していない。80年代のGATT、90年代のWTO、00年代のユネスコ、10年代のFTA交渉などでも、その議論は続けられている。背景にはアメリカの圧倒的な輸出超、貿易不均衡問題があるが、その格差の説明要因の一つに、豊かな経済圏を持つ英語言語・文化を母体に持つことの強さが指摘される。例えばイギリスとフランスは地勢的にも経済的にも極めて似通った条件にある国であるが、こと放送番組と映画の輸出に関しては、雲泥の差がついている(表1)。  

 わが国が、実写よりもアニメのほうに相対的な国際競争力がある一つの説明要因は、アニメの性格上、吹き替えによって、言語という貿易障壁を乗り越えやすいからである。

●番販からチャンネル開局まで さまざまなビジネス・モデル  

 わが国には自動車や家電産業のように、既に多国籍企業として日本国内に留まらない活動、経営学でいうトランスナショナル経営を実践している産業がある。コンテンツの世界でも、わが国のコンソール型ゲーム産業は、そうしたトランスナショナル経営の域に達していたと言え、世界主要地域に拠点支社を置き、現地企画&現地ライセンシングの地産地消体制を築いている。
 
 放送の場合は、世界各国で認可事業であり、報道などのコンテンツの交換は必要だとしても、経営としての国境を越えた活動の必然性が乏しい面がある。しかしハリウッド映画やドラマがそうであるように、パッケージ系の番組を考えれば、商業性を伴った国際活動の側面があるし、経営としてそれを意識することがあっても特別なことでない。

 自動車や家電であっても一朝一夕にトランスナショナル経営に到達したわけではない。彼らも日本国内で製造した製品を細々と輸出することから始まっているのだ。番組販売に限らず、あらゆる財・サービスの輸出を考える際に、まず考えることは完成品の輸出である。番組販売もそのとおりで、完パケ作品を何らかの方法で海外事業者に売り、ローカライズ(字幕付け・吹替えなど)のうえ、現地での放送となる。

 一般に拡販の見込みが立つと、国際流通チャネル整備の課題が生じる。その過程でわが国のように信頼性を重視する商慣習を持っていると、得意先が選別されてくるようにもなる。海外番販の世界でもMIPTV/MIPCOMなどのような主要見本市に足しげく通うようになり、いくつかのテスト的な販売を経て、信頼できる代理店やエージェント、バイヤーが見出されるよう/見つけられるようになってくる。わが国はキー局といえど、各社とも信頼できる流通チャネルの構築において、長年苦労してきた印象が残る。

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