――案の定、父親は帰ってこない。卓上には珍しく出した大丼(どんぶり)に、4、5種類の汁があり、麺も湯気を出している。――はずだったが、冷めかけている。ボソボソと喰べる3人の姿がとても可哀想だった。

 ドラマのこの回はテーマと食事のメニューが一致した成功例だが、もう一つ忘れてはならないことがある。<食事の全容がずっとテーブルの上に提示されている>。これが大事だ。

「岸辺のアルバム」では第1回で亭主は会社、子どもは大学と予備校で、家にポツンと一人残った主婦が食事をするシーンがある。ここでは塩鮭の焼いたのが1枚(残せば翌日また食べられる)、これも料理の全容が見えてよかった。中華は最終回、洪水で家を壊された家族が再び絆を取り戻すところでもう一度出てくる。料理はドラマのもう一つの主役なことがよくわかる。 すべてが、“対応”しているのだ。

(2)食事には【音】が肝要だ。

 音の出る料理がいいというのは、彼女自身グルメだった向田邦子さんの説で、なるほど一家そろっての“スキヤキ”などは、あのジューッというシズル音がいかにも食事の感じがする。 「寺内貫太郎一家」で、婆ちゃん(樹木希林)が町内の老人会で温泉へ一晩行った留守にスキヤキをやっていると、突然庭先に婆ちゃんが立っている(旅館の料理の冷えて味気ないのに怒って帰って来てしまったのだ)。賑やかな話し声もピタッと止まって凍りついた沈黙の中、ジュウジュウいう音だけが聞こえるのは、まことに悲喜劇だった。

 マナイタのトントンという音、鍋の煮物の煮える音、御飯の炊き上がったフキコボシの音、蓋を取った時のボワーッという湯気の音まで、箸、茶碗のカチャカチャ、チンチンする音まで昔の台所、食卓にはいつも音があった。漬け物、果物、センベイ等の菓子、音の出る食べ物もたくさんあった。

「森光子さんはタクアンをバリバリ音をたてて食べてくれるから好き」と向田さんはよく言っていた。セリフの邪魔にならないようにタクアンやお茶漬けを食べるのは難しい芸だ。(スキヤキの時注意したほうがいいのは、脂のはぜる音で、これがマイクでひろうとすごい轟音になり、しかも後で整音できない。蝉の声と同じで切れ目がないからだ。最初に脂身の多い肉を入れ、後は赤身にすれば少し救える。こんなことを書くのは、後処理が意外と大変だからだ)。

 とにかく食事のシーンの役者はうまそうに大きく口を開いて食べてくれるのが一番。

(3)役の個性は食べる前の【ルーティン】で決まる。

 ラグビーの五郎丸歩選手以来ビヘイビュアといわれるような事前のお呪いのような準備運動に関心が高まっている。人間の[食べ方]はそんなに個性が出るものではない。その前の段階、箸の取り出し方、持ち方(茶碗の)、すぐにスプーンを使いたがるクセ、食べる前にいちど汁物に箸を浸したり、飲んだりするクセは重要な個性になる(就眠儀式といって寝る前に枕を叩くとか、目覚ましを確認するとかは心理学上ではとても重要な行動様式だ)。

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