「放送法の原点」というテーマで、放送法がどんな理念で生まれたかを説き起こし、1950年の衆院電気通信委員会での提案説明で、網島毅電波監理長官が「第1条に表現の自由を根本原則として掲げ」「政府は放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない」と断言したこと。国会質疑の想定問答案には「放送番組に政府が干渉すると政府の御用機関となり、国民の思想の自由な発展を阻害し、戦争中のような恐るべき結果を生じる」と記載されていることを示した。現在の政府の見解が、如何に逸脱してしまったかは明らかだ。

 また、ベトナム戦争中に「ニュースコープ」の田英夫キャスターが、西側テレビ初の「北ベトナム取材」に成功したものの、与党自民党の圧力で降板した経緯を生前の本人へのインタビューで紹介している。

 政府と軍部に騙されて、国民が戦争の犠牲になった時代を知る人が大勢いた時代。二度と騙されないように、命をかけて取材をするジャーナリストがマスメディアにもたくさんいた。今、活躍するのはフリーばかりだが。

 今回の問題では、憲法学者やニュースキャスター有志が抗議の声をあげた。彼らだけに任せていいのか。

 特定秘密保護法の成立で「報道の自由」は、既に外堀を埋められた。集団的自衛権行使が現実のものとなる場合、さらに厳しくなるのは、イラク・サマワへの自衛隊派遣の取材規制を見ても明らかだ。

 後世から見ると「もはや戦前」であるかもしれないと覚悟し、放送への圧力には敏感に対抗していかなければならない。と大声を上げると、どこからか「守らねばならない番組がどれだけある?」「クリーンエネルギーのCMは見たけど、福島原発事故前に安全神話を検証したかい?」という声が聞こえてきそうだ。

 60数年前の想定問答案が予言した「政府の御用機関」に完全になってしまうのかどうか。まだ、モノが言える時代のうちにメディアとしてどう行動するかにかかっている。

●おはら・みちお 上智大学、金城学院大学、中部大学、名古屋外国語大学等で非常勤講師。民放のウィーン支局長時代には、冷戦終結で混乱の続く東欧やソ連、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、北朝鮮核問題などを取材。