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愛子さまは有言実行 抱き続けた「困難にある人を助けたい」 新社会人の抱負に込められた思い
太田裕子 太田裕子
愛子さまは有言実行 抱き続けた「困難にある人を助けたい」 新社会人の抱負に込められた思い
宮内庁書陵部所蔵の古典籍である「むし双六(すご・ろく)の和歌」を鑑賞する天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=23年11月24日、皇居内の同庁書陵部庁舎、宮内庁提供    天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまは4月1日、日本赤十字社の入社式に出席。社会人としての生活をスタートさせた。初出勤のご様子に、愛子さまが生まれた2001年から皇室番組の放送作家を務めるつげのり子氏が思い浮かべたのは、愛子さまが「困難にある人を助けたい」という思いを長く持ち続け、それを実現させたことだった。 *   *   *  日赤での愛子さまの所属は、ボランティア活動推進室の青少年・ボランティア課。  この配属先が報じられたときに。2022年3月に行われた成年の記者会見での言葉を思い出した人もいるのではないだろうか。  愛子さまは、国内外の出来事への関心についての質問に、こう回答されていた。 「国内外の関心事につきましては、近年自然災害が増え、またその規模も徐々に大きくなっていることを心配しています。  そのような中でボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分の住んでいる街であるとかないとかに関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。  私の親しい友人にも東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして、私自身、災害ボランティアにも関心を持っております」    ちょうど2年前に話していた関心事を自分の進路に選び、新社会人として突き進む姿に、愛子さまが生まれた01年から皇室番組の放送作家を務めるつげのり子氏は、「ある姿」が思い浮かぶと話す。 「よく番組で愛子さまを報じるときに使用する過去の映像で、学習院初等科2年生の運動会の様子があります。愛子さまがリレーの代表選手で出場し、ガッツポーズされるシーンです」   【こちらも話題】 さすがの愛子さま!とっさの「目くばせ」でアドリブもスムーズに 東京駅では人気ぶりに「ルート変更」も https://dot.asahi.com/articles/-/218435   学習院初等科2年生の運動会ではリレーに出場。チームが優勝し、ガッツポーズをする愛子さま=2009年10月、東京・四谷の学習院初等科 代表撮影   全力少女だった愛子さま  黄色い鉢巻をした愛子さまが、両手をあげて喜ぶ映像。つげ氏はそのときの様子を、こう続ける。 「あのときは、愛子さまは前の走者からバトンを受け、全力疾走してグングン差が縮まりました。追い抜くことはできなかったんですが、次にバトンを渡し、その結果、愛子さまのチームは逆転優勝。その喜びで、あのガッツポーズが出たわけです。  新社会人になられた愛子さまを見ると、まさにあのガッツポーズの愛子さまが思い浮かび、幼い頃から目標に向かって全力で突き進む、とても強い実行力の持ち主だったのではないかと思います。精一杯、力を発揮し、結果を残す、そんなイメージが非常に強いです」  全力を出し切る愛子さまの姿は、もっと幼い頃からあったと、つげ氏はいう。 「4歳のときからスケートを教えていた先生が話してくれたんですが、練習の最後に2チームに分かれてリレーをやっていたそうです。  愛子さまはその対抗リレーをすごく楽しみにされていたそうで、順番が回ってくると、スタートダッシュをして、ものすごく真剣な表情だったそうです。  そんなエピソードからも自分の目標が定まったら、全力を注がれるのだろうと思います」   愛子さまがつむいだストーリー  また、つげ氏は愛子さまの日本赤十字社内定の報道を受けたときにも、思い出したことがあったという。あの有名な『看護師の愛子』だ。 「日赤に就職されると聞いたときに思い出したのは、愛子さまが学習院中等科1年生のときに書かれた『看護師の愛子』です。  診療所にやってきたけがをした海の生き物たちを看護師の愛子が一生懸命看護し、助けて、みんなに希望を与えるというストーリーでした。  困難にある人を助けたいという気持ちが幼い頃からあって、成人されてからもその気持ちを醸成されてきたのではないかなと思います。  『看護師の愛子』のときから、愛子さまには将来進みたい道を漠然とですが、持っていらっしゃったのではないかと就職されたいまになって思いますね」   【こちらも話題】 愛子さま「古典の才女」への出発点は「この玩具」? 「パパ」の声をキャッチして、夢中で手を伸ばした絵札…「遊び上手な」天皇ご一家 https://dot.asahi.com/articles/-/218348 22年3月、天皇、皇后両陛下の長女愛子さまは、成人にあたって初の記者会見に臨んだ。このときにあげた関心事が「ボランティア」だった=皇居・御所「大広間」 代表撮影  4月2日に発表された、日本赤十字社への就職に際しての宮内記者会からの質問に回答された文書の中にも、冒頭にこんな言葉があった。 「私は、天皇、皇后両陛下や上皇、上皇后両陛下をはじめ、皇室の皆さまが、国民に寄り添われながらご公務に取り組んでいらっしゃるお姿をこれまでおそばで拝見しながら、皇室の役目の基本は『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ことであり、それはすなわち『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました」  この文書回答に、つげ氏はこう感想を話す。 「愛子さまのいまの姿や思いは、『看護師の愛子』という創作のファンタジー小説にすごく通ずるものがありますよね。日本赤十字社のご就職はまさに、自分自身が目的に向かって全力で取り組む目標達成力、そして妥協しない意志の強さも感じます。まさに有言実行の賜物ではないでしょうか」  全力で頑張る人は、誰でも応援したくなる――愛子さまに人々の関心が集まる理由はそこにもある感じがした。(AERA dot.編集部・太田裕子) ◎つげのり子/放送作家、ノンフィクション作家。2001年の愛子さまご誕生以来皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。   【こちらも話題】 さすがの愛子さま!とっさの「目くばせ」でアドリブもスムーズに 東京駅では人気ぶりに「ルート変更」も https://dot.asahi.com/articles/-/218435 天皇誕生日の一般参賀での愛子さま(JMPA) ベランダに勢ぞろいした天皇家と秋篠宮家のご家族。皇后雅子さまと愛子さまのお手ふりはそっくり(JMPA)   まるで春風のようなほほ笑みの愛子さま。天皇誕生日の一般参賀の様子(JMPA) 天皇家の家族仲のよさが伝わってくる。柔らかな雰囲気がみてとれるお手ふりの様子(JMPA) 雅楽を鑑賞された愛子さまと佳子様 本当に成長されて…。2014年、伊勢神宮に参拝された10年前の愛子さまの姿 姿勢の美しさは母親の雅子さま譲り? 2014年に伊勢神宮に参拝されたときの様子 初めて単独で伊勢神宮を参拝された愛子さま。堂々としたふるまいが目を引く 愛子さまのたおやかな笑みに思わず目を奪われる(宮内庁提供)      
愛子さま新社会人天皇陛下雅子さま皇室日本赤十字社
dot. 2024/04/05 07:00
天才猫にシンクロ猫、舞姫猫が見参!  かわいく受け継いだお世話のバトン【写真多数】
天才猫にシンクロ猫、舞姫猫が見参! かわいく受け継いだお世話のバトン【写真多数】
左から姫ちゃん、虎くん、景くん。3にゃんそろってフォトジェニック!(撮影/蝦名さん)  「NyAERA」は、猫を愛するみニャさまと猫たちに支えられてきました。愛ある写真をしっかり見てほしくて、みんなで作る写真館ができました。「NyAERA2024」の「ウチの子、スゴい猫です」に登場した、フォトジェニックな3にゃん、シンクロしちゃう虎くん景くんと、舞うように遊ぶ姫ちゃんの写真をご覧ください。 *   *   * 【虎、景、姫の物語はこちら】 猫と暮らせば奇跡の連続! 立ち上がって虹色のおもちゃを狙う猫 決定的瞬間が撮れたワケ https://dot.asahi.com/articles/-/215001 長男の虎と次男の景。「NyAERA2024」の「ウチの子、スゴい猫です」に掲載された1枚。シンクロする姿が美しい(撮影/蝦名さん) お昼ねする姿もこの通り。シンクロニャイズには実は理由があるのです(撮影/蝦名さん) 虎くんと、後ろは妖精時代の景くん。こんな小さな頃からちょっとシンクロ(撮影/蝦名さん) 景くん、虎くんに大切にお世話されて成長しました。お昼寝中もシンクロします(撮影/蝦名さん) 伸びる姿もほらこの通り(撮影/蝦名さん)   デキすぎる天才、虎くん。景くんは虎くんにいつもぴったり寄り添っていました(撮影/蝦名さん) 自由過ぎる寝相も受け入れます。「ボクの心は広いからね」(撮影/蝦名さん)   では、虎くんの天才ぶりに注目してみましょう。まだ子猫だというのに、組み立てたばかりの引き出しをあける虎くん(撮影/蝦名さん) 両手をかけて…(撮影/蝦名さん) ほらこのとおり!初見でこの器用さ(撮影/蝦名さん)   幼い姫ちゃんが仲間に加わって、虎くんは「景、きみの番だよ」。お世話のバトンが引き継がれました   姫ちゃんをお世話する景くん(撮影/蝦名さん)   任せて、僕もやってもらったからね、なめてあげる(撮影/蝦名さん)   つかれたにゃー。一緒にお昼寝する景くんと姫ちゃん(撮影/蝦名さん)   よいしょ、よいしょ(撮影/蝦名さん) ちょっと疲れたかな?(撮影/蝦名さん)   景くんにお世話されて、姫ちゃん、成長しました(撮影/蝦名さん) 姫ちゃんは気質もお姫さま。「私の好きなおもちゃ、教えてあげましょうか?」(撮影/蝦名さん) お気に入りのおもちゃをねらう姫ちゃん(撮影/蝦名さん) 奥義、猫の舞を披露する姫ちゃん。おもちゃを狙ってます 姫ちゃん、ジャンプが得意じゃないんですって。子猫時代からこうしておもちゃを狙ってました 大人になったら、ほら、こんな感じ。きれいですね(撮影/蝦名さん)   大きくなって、3にゃん一緒のごはんタイム(撮影/蝦名さん) 景です。僕も偉かったでしょ?(撮影/蝦名さん) えっ?ボクがお笑い担当?こんなに格好いいのに?(撮影/蝦名さん)   ボクは小さいころからカッコよかった。どこにいてもサマになってるでしょ?(撮影/蝦名さん)   探検だって得意だし(撮影/蝦名さん) 「スタイルだって抜群だい!」と景くんがいったかわかりませんが、猫って液体ですね。めちゃめちゃかわいいです(撮影/蝦名さん)   自由すぎる景くんの股を隠す虎くん。にゃいすサポート!(撮影/蝦名さん)   隙あらばシンクロにゃいずする虎くん、景くん(撮影/蝦名さん) 後ろ姿でシンクロにゃーいず!(撮影/蝦名さん)   眠る姿もしんくろにゃいずっ(撮影/蝦名さん) 「はいはい、通りまーす」割って入る姫ちゃん   個性豊かな虎くん、景くん、姫ちゃんなのでした。すてきな場面をありがとう!(撮影/蝦名さん)      
AERA 2024/02/22 10:00
タモリ、大谷翔平、イーロン・マスクも!  10年間をAERA表紙の「時代の顔」と振り返る
タモリ、大谷翔平、イーロン・マスクも! 10年間をAERA表紙の「時代の顔」と振り返る
 その「顔」を見れば、時代がわかる――。  2023年も暮れが近づいてきました。10年ひと昔といいますが、この10年はいったいどんな時代だったのでしょうか。  時代を切り取るニュース週刊誌AERAが、創刊2000号を記念し、2013年から現在まで10年間の表紙から50点を抜粋して公開します。 【2014年3月31 日号タモリさん】 【2013年3 月4 日号 ワン・ダイレクション】 【2013年4 月29 日号 秋元康さん】 【2013年7 月1 日号きゃりーぱみゅぱみゅさん】 【2013年10 月14 日号堺雅人さん】 【2014年1 月13 日号有吉弘行さん】 【2014年3月17 日号ゆず】 【2014年7月7日号アンジェリーナ・ジョリーさん】 【2014年7月14 日号古舘伊知郎さん】 【2014年8月18 日号若田光一さん】 【2014年10月20 日号大谷翔平さん】 【2014年10月27 日号クリスティーヌ・ラガルドさん】 【2014年11月24 日号イーロン・マスクさん】 【2014年12月15 日号エリック・シュミットさん】 【2015年1月19 日号ティム・バートンさん】 【2015年1月16 日号国枝慎吾さん】 【2015年2月9 日号石川佳純さん】 【2015年2月16 日号内田篤人さん】 【2015年2月23 日号トマ・ピケティさん】 【2015年4月27 日号ももいろクローバーZさん】 【2015年7月6 日号BABYMETAL】 【2015年8月3 日号ハメス・ロドリゲスさん】 【2015年8月24 日号指原莉乃さん】 【2015年11月9 日号鈴木亮平さん】 【2015年12月14 日号マララ・ユスフザイさん】 【2016年3月21日号宇野昌磨さん】 【2016年3月28日号江口寿史さん】 【2016年4月4日号上地結衣さん】 【2016年4月18日号渡辺謙さん】 【2016年4月25日号内村光良さん】 【2016年5月30日号阿部寛さん】 【2016年6月13日号井上芳雄さん】 【2016年6月20日号ジョディ・フォスターさん】 【2016年10月31日号宮沢りえさん】 【2016年12月19日号コムアイさん】 【2017年1月30日号エマニュエル・トッドさん】 【2017年2月6日号金原ひとみさん】 【2017年4月10日号スカーレット・ヨハンソンさん】 【2017年4月24日号湊かなえさん】 【2017年6月5日号チャン・グンソクさん】 【2017年7月3日号Suchmos】 【2017年7月31日号GLAY】 【2017年8月7日号山崎賢人さん】 【2017年9月25日号渡辺直美さん】 【2017年10月2日号ウサイン・ボルトさん】 【2017年10月23日号エフゲニア・メドベージェワさん】 【2017年10月30日号シシド・カフカさん】 【2017年11月13日号ハリソン・フォードさん】 【2017年11月20日号坂本龍一さん】 【2017年12月18日号YOSHIKIさん】
タモリ大谷翔平AERA
AERA 2023/11/19 10:00
【創刊2000号】忌野清志郎、吉永小百合、オノヨーコも!  AERA表紙を飾った「時代の顔」52人
【創刊2000号】忌野清志郎、吉永小百合、オノヨーコも! AERA表紙を飾った「時代の顔」52人
その「顔」を見れば、時代がわかる――。 時代を切り取るニュース週刊誌としてAERAが産声をあげたのは、1988年のことでした。 AERA創刊2000号を記念して、1988年の創刊から1992年まで、写真家・坂田栄一郎さんが撮影した表紙から52点を抜粋して公開します。   【1988 年8 月16 日号 忌野清志郎さん】   【1988 年5 月24 日号 利根川進さん】   【1988 年6 月7 日号 蜷川幸雄さん】   【1988 年6 月14 日号 盛田昭夫さん】   【1988 年7 月26 日号 松岡修造さん】   【1988 年10 月18 日号 土井たか子さん】   【1988 年11 月1 日号 伊丹十三さん】   【1989 年1 月3 日号 吉永小百合さん】   【1989 年1 月31 日号 安藤忠雄さん】   【1989 年2 月21 日号 ワダエミさん】   【1989 年4 月11 日号 向井千秋さん】   【1989 年4 月25 日号 松本清張さん】   【1989 年5 月23 日号 本田宗一郎さん】   【1989 年8 月1 日号 井上陽水さん】   【1989 年8 月8 日号 宮本信子さん】   【1989 年11 月21 日号 千代の富士貢さん】   【1989 年12 月5 日号 稲盛和夫さん】   【1989 年12 月26 日号 山本耀司さん】   【1990 年1 月9 日号 小澤征爾さん】   【1990 年4 月10 日号 いしだあゆみさん】   【1990 年4 月24 日号 金丸信さん】   【1990 年5 月1 日号 王貞治さん】   【1990 年6 月5 日号 オノ・ヨーコさん】   【1990 年7 月17 日号 A. フジモリさん】   【1990 年7 月24 日号 藤井郁弥さん】   【1990 年7 月31 日号 L. バーンスタインさん】   【1990 年9 月11 日号 桑田佳祐さん】   【1990 年9 月18 日号 小沢一郎さん】   【1990 年11月13 日号 ネルソン・マンデラさん】   【1991 年2 月5 日号 デビッド・リンチさん】   【1991 年2 月19 日号 緒方貞子さん】   【1991 年4 月2 日 号川久保玲さん】   【1991 年4 月30 日号 黒澤明さん】   【1991 年5 月28 日号 三田佳子さん】   【1991 年9 月10 日号 北野武さん】   【1991 年10 月8 日号 M ・サッチャーさん】   【1991 年11 月5 日号 宮沢喜一さん】   【1992 年1 月21 日号 若花田さん、貴花田さん】   【1992 年2 月4 日号 グロリア・エステファンさん】   【1992 年4 月14 日号 明石康さん】   【1992 年5 月5 日号 菊池桃子さん】   【1992 年5 月19 日号 江崎玲於奈さん】   【1992 年5 月26 日号 M. ゴルバチョフさん】   【1992 年6 月2 日号 W. ヴェンダースさん】   【1992 年6 月30 日号 渡辺貞夫さん】   【1992 年7 月21 日号 ダスティン・ホフマンさん】   【1992 年9 月22 日号 小宮悦子さん】   【1992 年11 月10 日号 毛利衛さん】   【1992 年11 月17 日号 G. ルーカスさん】   【1992 年11 月24 日号 宮本亜門さん】   【1992 年12 月8 日号 ピーター・フランクルさん】   【1992 年12 月15 日号 ラモス瑠偉さん】
AERA 2023/11/12 10:00
『偶発的ルネッサンス少女』第1話 モナ・リザの女
『偶発的ルネッサンス少女』第1話 モナ・リザの女
    『偶発的ルネッサンス少女』単行本発売になりました! 描きおろしのオマケ漫画や作品解説コラムも充実してます! リクトとエミの恋の行方が気になる方、ぜひご覧ください!
2023/09/12 11:30
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤
死別した妻への本音を言える相手をアプリでしか探せない人も マッチング・アプリ症候群の葛藤
※写真はイメージです(Getty Images) 『マッチング・アプリ症候群 婚活沼に棲む人々』(朝日新書)を、ジャーナリスト・速水由紀子氏が上梓した。速水氏は同書でマッチング・アプリをやめられない人たちの実態をつづり、彼ら・彼女らを「マッチング・アプリ症候群」と名付けている。「病んでいるかどうかは人それぞれだが、彼らがみんなあるジレンマを抱えていることは確かだ」という速水氏。同書から一部を抜粋、再編集し、マッチング・アプリ症候群の実態を紹介する。 *  *  *  マッチング・アプリ症候群の定義をここで確認しておく。 1 アプリで真剣に結婚相手、もしくは結婚を前提にした恋人を見つけたいと思っている。 2 登録してから最低1年以上、常時アプリをやっている。 3 次々にマッチングすること、またはそれを期待することが通常運転で生活の一部となっている。マッチングがないと自分に自信が持てず不安になる。 4 今までに15人以上とマッチングして付き合ったがうまくいかず3ヶ月以内に別れてはまた付き合うことを繰り返している。 5 短期の交際と別れを繰り返すのは、自分と相性のいい相手に出会えないからだと思っている。例えば性格や価値観、ライフスタイルなど。 6 「いいね!」をもらうと、その瞬間だけは自己肯定感を得られる。そのために足跡づけを必要以上にがんばる。 7 常時、複数進行が当たり前になる。 8 マッチングがないと物足りなくなり、注目させるためにプロフィールを常時あれこれいじったり、参加コミュニティをどんどん増やしてしまう。  5つ以上の項目に当てはまる人は、程度の差こそあれマッチング・アプリ症候群と言える。一言で言えば目的と手段が少しずつ入れ替わっており、結婚よりアプリで自己肯定感を得ることのほうが重要な目的になっている、ということだ。  そしてこの8つのうち、誰もが1は揺るぎないものだと考えている。  しかし、マッチング・アプリ症候群の人たちが抱えるジレンマとは、実はこの「自分は結婚したい。結婚を前提にした恋人を見つけたい」という前提条件の部分にもある。そんなバカなと思うかもしれないが、人は過去に傷ついた経験があると心の奥底にある恋愛・結婚への本音をなかなか正視できないものだ。  8番目にマッチングした52歳のカイさんも、そんなジレンマを抱えていた1人だ。  建設現場の工事監督をしている彼は、地味だがプロフィールから誠実で優しい雰囲気がにじみ出ている。アプリの流動的な人間関係に疲れきっていた私はそのほっこりした笑顔に癒されて、もらった「いいね!」をつけ返した。  ただプロフィールの「結婚歴」に「死別」と書いてあるのが気になる。マッチングした人で何人かパートナーが病気や事故で亡くなったという人がいたが、みんな性格や価値観の不一致による離婚に比べると遥かに深く過去を引きずっていた。当たり前の話だが亡くなった方には絶対に勝てないし記憶の書き換えもできないから、せいぜい思い出話を聞いてあげることぐらいしかできない。でもそれがあまりに近い過去の場合は、こちらも苦しくなるので躊躇してしまう。  カイさんとは過去の話を聞くチャンスもないままメッセージを重ねていき、おたがいに水族館好きだと判明したので、週末、品川のアクアパークで会った。  その日、魚を見ながら雑談を始めて間もなく、私はカイさんに聞くべき質問をぶつけることにした。妻と死別したのはいつ頃だったのか。  亡くなったのが3年以内なら、こちらとしても心が痛むのであまり突っ込むのはやめようと思っていた。が、聞きにくい。さんざん回り道をしたあげく、ようやくこう聞くことができた。 「もし話すのが辛かったらスルーしてもらって構わないんですけど、プロフィールに書いてあった死別っていうのはいつ頃……?」 「逝ったのは4年前。もともと持病があったんですけど、いろいろな事情で離れて生活していて。で、予想以上に進行していて看取れないままに……」  それからカイさんは事情を詳しく話してくれた。亡くなった妻はベトナム人だった。カイさんが仕事でホーチミンに6年間住んでいた時に出会い、付き合って結婚したのだ。が、カイさんの仕事が終わって日本に帰国する時、彼女は体調を崩して入院していた。そばについていてあげたかったが、入院費と生活費を稼ぐには、ベトナムより日本のほうがずっと効率がいい。仕方なく彼女を家族に託して帰国し、必死に働いている時に状態が悪化して亡くなった。 「葬儀には行けたんですけど、ビザの滞在期間の問題で埋葬までいられなくて……その後はコロナ禍でベトナムと行き来ができなくなってしまった。でも墓参りにだけはどうしても行かなくちゃと決意しています。今、2つの仕事を掛け持ちしているのも、その費用を工面するためなんです」  聞いているうちにカイさんの亡くなった奥さんへの気持ちが溢れてきて、アプリなんてやっている場合じゃないのでは?という気持ちになる。余計なお節介と思いつつ、思わず、「そんなに奥さんの供養をしたいと願っているのに、アプリに登録するのはおかしい。何より墓参りを優先させるべきでは? 今のままでは前に進めないと思う」とはっきり言ってしまった。  カイさんは言葉に詰まりながら、ベトナム暮らしの間に日本の友人とも疎遠になり、誰も話せる相手がいなかったため、心の支えが欲しかったと答える。だが、私の言葉を聞いてモヤモヤしていた自分の気持ちに踏ん切りがついたという。 「今まではそういうことを言ってくれる友人さえ近くにいなかった。ようやく自分が今すべきことがわかりました。ありがとう」  アプリでしか本音を言える相手を探せない、というのはかなり辛い状況だ。だが現実にはそういう人たちはたくさんいる。たまたま私のような仕事をしている人間だったからカイさんの本音を指摘できたのだろうが、他人が付き合う相手をどんなふうに探すかに口を挟むなんて、余計なお世話以外の何ものでもないのだ。  今までなら仲間内や職場での飲み会、昼食時のちょっとした近況報告や無駄話で知ることができた相手の個人的な境遇が、人間関係やコロナによる変化でどんどん減ってしまったのだと実感した。  カイさんは「結婚相手を探している。結婚を前提とした恋人との出会いを求めている」という心境に到達していなかった。なのにプロフィールには「2人で温かい家庭を築きたい。なんでも話し合える関係が理想」などと書かれている。  つくづく人の心の矛盾を感じてしまう。1週間後、そのアプリの「メッセージのやりとり」ページで確認すると、カイさんはすでに退会していた。きっと私の言ったことを考えて素直に受け止めてくれたのだろう。  ひとつの出会いの後ろには、ひとつの別れや弔いがある。  そんなシンプルなことさえわからなくなってしまうのは、アプリでしか繋がれない時代のせいなのかもしれない。 ●速水由紀子(はやみ・ゆきこ)大学卒業後、新聞社記者を経てフリー・ジャーナリストとなる。「AERA」他紙誌での取材・執筆活動等で活躍。女性や若者の意識、家族、セクシャリティ、少年少女犯罪などをテーマとする。映像世界にも造詣が深い。著書に『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房)『家族卒業』(朝日文庫)『働く私に究極の花道はあるか?』(小学館)『恋愛できない男たち』(大和書房)『ワン婚─犬を飼うように、男と暮らしたい』(メタローグ)『「つながり」という危ない快楽─格差のドアが閉じていく』(筑摩書房)、共著に『サイファ覚醒せよ!─世界の新解読バイブル』(筑摩書房)『不純異性交遊マニュアル』(筑摩書房)などがある。
書籍朝日新聞出版の本
dot. 2023/07/13 11:00
猫は「おうち暮らし」が幸せは本当? 庭のデッキに住みついたオス猫ボロの姿で考え変化
水野マルコ 水野マルコ
猫は「おうち暮らし」が幸せは本当? 庭のデッキに住みついたオス猫ボロの姿で考え変化
庭のデッキで悠々と暮らすボロ(提供) 飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ人気連載「猫をたずねて三千里」。今回ご紹介するのは、茨城県在住のrinneさんのお話です。大の猫好きで、室内で飼うだけでなく、野良猫のケアもしています。猫はおうち暮らしが幸せ……ずっとそう思ってきたrinneさんですが、とあるオス猫だけは別。個性的なこの猫に出会い、考えが変わったといいます。 *  *  *  私は5年くらい前から、野良ちゃんを保護、譲渡するお世話をして、約200匹の猫の家族を見つけてきました。保護したなかには病気やけが、どうしても人馴れしない猫もいて、そうした子たちを自宅でひきとっています。  今は5匹の家猫と、1匹の庭猫がいます。庭猫は推定5~6歳の雄で、名前はボロといいます。我が家の庭のデッキで悠々と暮らすボロは、今まで見てきたなかでも“最強クラス”の狂暴ぶり、他の猫も人も寄せ付けないのですが、実はチャーミングで“ファン”も多いんです。 初めてデッキにやってきたとき、毛が汚れていた(提供)  ボロとの出会いは2020年2月。3年前の今頃です。突然ふらっとデッキにやってきました。もともと野良ちゃんのためデッキにごはんを置いていたのですが、「やっとありつけたぜ」とでもいうように、夢中でむしゃむしゃ。  いっちゃ悪いけどブサイクで、苦労したのか毛が汚れ、ものすごく悲壮感が漂っていました。そんなボロボロの風貌から、ボロと名付けたのでした。 犬小屋がお気に入り(提供)  ボロはその日から、デッキに住みつきました。気づくと犬小屋で当たり前のように寝て。その犬小屋は、以前、雪の降った日に、野良ちゃんの寒さよけに置いたものです。  ボロは気性が激しく、私に対してはもちろん、他の野良ちゃんへの威嚇もひどく、飛びかかろうとします。その時の大きな唸り声は、猫に慣れている私でも「こわいな」と思うほど。室内の猫が窓の外を見ていると、「お前もやったろか」というように、むこうからすっ飛んできて窓ガラスに体当たり。まるで動物園のトラとかライオンのイメージです。 ご飯もよく食べる(提供) ■去勢後も強者のまま  私はその最強クラスのボロに、去勢手術を施そうと思いました。  猫嫌いのボロでもこの先、恋をすることがあるかもしれない、子猫がどんどん生まれたら?そう考えると、やはり他の野良ちゃんと同じように去勢したいと思いました。去勢をすれば、縄張り争いでおしっこをいろんな所にするスプレー行為も減る可能性があります。 なんとか捕まえて去勢手術へ(提供)  いつも野良ちゃんたちを連れていく動物病院で、ボロも去勢手術をしてもらいました。私は、野良ちゃんに去勢や避妊手術をしたあとに外に離す、いわゆる“TNR”が苦手で、術後はすぐに家に入れて、新たな家族を探すようにしてきました。けれど、ボロの場合はすぐ家に入れることはできませんでした。  雄猫は去勢手術をすると、性格が穏やかに変わっていくことが多いといわれます。ボロの攻撃性も解消するかな?とちょっと期待したんですが……、その後もまったく変わらず(笑)、強者のままだったからです。  でも、くすっと笑わせてくれる面もありました。もともと白い毛ですが、どこかに出かけると顔を土か何かで黒く汚して帰ってきます。ある時なんて、散歩から帰ってきたら、体に薄茶色の直線的な模様がくっきりついて、“シャムミックス”みたいになってました。 おや?シャムミックス?(提供) まるで違う猫になって散歩から戻ってきたボロ(提供)  インスタ(@rinne1108)に写真をあげたら、“ボロちゃんたらシャム猫に憧れてカラーリングしてきたの?”なんてコメントももらったりして。ボロを最初にインスタで紹介した時から興味を持ち、好きだといってくれる方が多いんですよね。ボロについて書くと「目は優しいね」とか「たくましい!」「ボロちゃんを見てると、嫌なことがあってもがんばらにゃと思う」など、反響が大きいのです。惹きつけるものがあるのかもしれません。私もそのひとりですが。 ■強い女と気のいい旦那  家の中の猫のことも、少しだけお話しますね。  ある意味、ボロ以上に“強い“と思う雌猫が、我が家にいます。三毛猫で名はママンというのですが、誰が見ても“貫禄たっぷり”な面持ち。とにかく人が大嫌い。ママンを家に入れたのは4年くらい前ですが、いまだに体に触らせてくれません。 最強の女、ママン(提供)  それにはわけがあります。  ママンはうちから少し離れた場所に居着いていた元野良ちゃんですが、当時、その辺りに猫に意地悪する人がいたんです。たまたまそのことを知って、すぐに保護したのですが、冷たくされたせいか心を閉ざしてしまったのです。その心の傷は容易に癒える感じではなく、新たな家族を見つけるのは厳しい状態でした。  けれど、ママンは“猫が大好き”だったのです。以前の過酷な環境でも、何回か出産もしたようです。ママンには雄猫はすべて手玉に取ってしまうような魔性の女の面もありました(笑)。あとからデッキに来て家に迎えた、体の大きなたぬきちという雄猫をすぐに陥落させました。たぬきちは、ママンに寄り添い優しく接し、とてもいい旦那ぶりを発揮したので、今は夫婦のように、“ふたりだけ”でうちの3階の一室に暮らしています。朝夕の“猫夫婦”のごはんは、私がお世話係として3階まで運んでいるんです。 気のいい、ママンの夫たぬきち(提供)  猫の個性や背景はそれぞれ。だから個々にあったお付き合いや、彼女たちができるだけストレスを感じず無理のない環境作りが大事だな、と思っています。ママンはそうしたことを私にあらためて教えてくれた気がします。今も部屋を開けると、シャーっといわれますけどね。でも、たぬきちと一緒にくつろぐ姿は、とてもかわいらしいです。 ■ここが俺の幸せな場所  ボロの話に戻りますが、しばらく、家に入れるタイミングを見計らっていました。 オーニングを“ニャンモック”にしてくつろぎ中(提供)  でも、庭でくつろぐ姿があまりに気持ちよさそうなんです。たとえば、屋根からデッキに張ったオーニング(日よけシェード)をまるでハンモックみたいにして、その上でぐたーっと昼寝したり、少し暑い時はデッキに直にぺたっと寝てみたり。 窓によっかかって、こちらを見るボロ(提供)  ボロが来てから他の野良ちゃんは庭に来にくくなってしまったと思うけれど、ボロの散歩中にそーっとやってくる子たちを、何匹か保護して家に入れ、里親を見つけました。他の野良ちゃんは、どんなにシャーシャーしていても、しばらくするとスリスリして窓から家を覗き寂しそうに「いれて~」と鳴くのです。ボロも窓から覗きますが、「あ~?お前ら今日も家の中か」みたいに超然としているんですよね。そこが大きく違いました。 出会ったころに比べて毛並みもよくふっくらした(提供)  我が家のそばは車があまり通らず、周囲には杉林が広がっています。ボロの危険を100%回避できるわけではないけど、可能な限り、見守ってあげています。この2年半、とくに大きなケガもなく、病気にかかることもありませんでした。虫に刺されたり小さな傷を作ったりした時は、ごはんに混ぜた薬で治りました。蛇を首にかけてデッキに戻った時は驚いたけど、「ダメ、連れてこないで戻して」と行ったら林に戻しに?いきました。  そんなふうに日々デッキで過ごすうちに、私とも、アイコンタクトが少しできるようになってきたんです。これだけでも大進歩です。 外のベッドでお昼寝(提供)  それまで、外の猫は“可哀想だからすぐに家に入れなきゃ”と思っていた私ですが、ボロとつきあって、こういう生き方もありかな、と気持ちが変わりましたね。ボロは外で生活しているけど、彼に限ってはそれが快適そう。顔にかいてあるんですもの。 「ここが俺の幸せな場所。外もまんざら悪くないぜ」と。  だから逆に動かせなくなりました。そこにいて欲しいと思って。ボロが体調を崩して危ないような時は室内にいれて、看取る覚悟はしているけど、それまでは、お外ライフを満喫してほしいなと。 ■大好評のボロちゃんカレンダー  昨年11月、保護猫たちの医療費の足しにしたいと思い、カレンダーを作って販売することにしました。 ボロの魅力が詰まった、大好評カレンダー(提供)  はじめは、子猫たちの写真を使おうかと思ったのですが、インスタでボロを応援してくださる方がいることから、毎月ボロが見られる“ボロちゃんカレンダー”にしました。1350円で50部程作ったら、「ボロちゃんだー」と、あっという間に売れたんです。欲しい~という方がまだいたので、30部増刷するとそれもすぐに出てしまうほどの人気でした。残った1冊を我が家で使っています。 ボロを思ってくれるファンも多い(提供)  インスタにしばらくボロを登場させないと、フォロワーさんが心配するので、今日のボロちゃんです、と写真をのせると「待ってました」「ありがとう」というようなコメントが寄せられます。周囲のみなさんにも、温かく見守っていただいてる感じですね。  今日もボロはオーニングの上で気持ちよさそうに風に吹かれています。その顔に、もう悲壮感はありません。  たくましく生きてくれてありがとう!これからも元気で長生きしてくれたらうれしいな。 触らせてくれないけれど、ちょっぴり穏やかになったボロ(提供) (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
猫をたずねて三千里野良猫
dot. 2023/02/11 14:00
3万円以内で楽しめる観光列車の豪快な“中身”とは? 車両、絶景から料理まで丸ごとチェック
3万円以内で楽しめる観光列車の豪快な“中身”とは? 車両、絶景から料理まで丸ごとチェック
「ろくもん」食事付きプラン洋食コースは、軽井沢発10:34→長野着12:49で1万5800円。車内でお土産も買える  おいしいお酒においしい食事、そして車窓を流れる美しい景色とくれば、観光列車の旅。非日常的な空間でぜいたくなひとときを堪能できる、究極の旅の形だ。酒と旅に精通した精鋭ライターが日本各地の酒処を取材したムック「日本のおいしい酒旅」が、えりすぐりの観光列車の旅を特集している。この記事ではその特集をほぼ丸ごと収録した。いつ、どの観光列車でなに呑む?なに食べる? しなの鉄道「ろくもん」(軽井沢→長野)  自然あふれる軽井沢から歴史の町・長野まで、およそ75キロ。信濃路を走り抜ける「ろくもん」は、ボルドーとゴールドの華やかなカラーリングで彩られた観光列車だ。出発前のホームにはほら貝の音が響き渡り、出陣のようで心がはずむ。上田市真田町ゆかりの武家・真田一族の家紋「六文銭」がその名の由来だ。 おいしいワインと料理で最高の休日。個室タイプの席を確保できれば、非日常感はさらに増す  3両編成の列車は車両ごとに座席の位置も雰囲気も異なる。食事をいただく3号車には、長野県産の木材、ヒノキがふんだんに使われたぬくもりの空間が広がる。食事付きプランはいくつかあるが、今回は信州のワインと洋食が楽しめるコースを個室でゆっくりと味わった。 メインディッシュは色鮮やかで、目でも楽しめる。車窓の景色に癒されながらいただきたい  前菜は色彩豊かなひと口サイズの盛り合わせ。メインは低温調理した信濃産豚ロースに飯網町産りんごソースをかけて。料理には、長野のぶどう「竜眼」を使った甘口で優しい白ワイン「長野竜眼2020」や、りんごの香りが心地よい「いいづなシードル」などがペアリングされた。 北側車窓からのベストショット。標高2568メートルの浅間山の雄大な姿を眺めることができる  小諸付近で見える懐古園、軽井沢から信濃追分にかけての浅間山ビューなど車窓を流れる四季折々の景色を眺めながら味わうお酒と食事は格別のおいしさ。冬に乗車すれば、青空と浅間山の雪景色という「ベストビュー」を一望できることもある。リッチな観光列車旅を楽しんだあとは終点長野駅で降りて、北信濃を満喫したい。 長野電鉄「北信濃ワインバレー列車」(湯田中→長野) 「北信濃ワインバレー列車」は湯田中駅と長野駅の間を1日1往復。片道ずつの販売で、ワイン・弁当付きで6000円 「北信濃ワインバレー列車」は、湯田中から長野までを日本一ゆっくり走る特急列車だ。車内は、ロゴ入りのゴージャスな座席カバーやカーテンがラグジュアリーな雰囲気を醸し出す。座席には「本日のワインリスト」があって、ワインカウンターに行くと北信濃のワイナリーから厳選された赤・白のワインが勢揃い。なんと、約80分間の乗車中は飲み放題だというから、ワイン好きにはたまらない空間だ。 対面式の席なら、景色とともにおしゃべりも楽しめる。もちろん、感染対策は徹底しておきたい こちらは下りの「のんびりべんとう」。その時期その時期の信州産の旬食材がギュッと詰まっている  車内でいただくのは信州産の旬食材を詰め込んだ「のんびりべんとう」。「上り」では湯田中「GOEN」の、下りでは長野の老舗ホテル犀北館「Delica鐵扇」のオリジナル弁当が提供される。いずれもワインとの相性抜群で、具だくさん。ビュースポットでは一時停車してくれるので、車窓からしか見ることのできない北信濃の山、川、田園の美しい景色をゆっくり楽しめる。 えちごトキめき鉄道「えちごトキめきリゾート雪月花」(上越妙高→妙高高原→糸魚川) 「えちごトキめきリゾート雪月花」は上越妙高発10:19。運航は土日祝日。ワインと料理が付いて2万4800円  上越妙高~糸魚川を結ぶ約3時間の旅を提供する観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」の最大の特徴は、なんと言っても国内最大級の広い窓だ。1号車は日本海と妙高山の方面を臨むラウンジ形式の座席。2号車はゆったりとしたレストランカー形式。「さくらラウンジ」は桜の木をぜいたくに使い、燕三条の銅金属意匠をちりばめた内装となっている。上越地域の田園風景や雄大な山々、日本海の絶景を眺めながら、地元食材がふんだんに使われた料理を味わうことができる。 四季折々のいい眺めという意味を持つ「雪月花」。天井まで回り込んだ国内最大級の車窓から絶景を満喫  運行日によって、料理は4種類。いずれも、地元食材を知り尽くした料理人考案のオリジナルメニューなので、どのメニューの日に乗車するかが悩ましい。きっと、この列車の楽しさは、メニュー選びで悩むところから始まっているのだ。 新鮮な海の幸を使った「割烹汐路」の「漁港直送、漁師の豪快コース」。クオリティーの高さは一目瞭然  バーカウンターでは、上越地域の地酒をはじめ、厳選されたお酒やソフトドリンクがそろい、気軽に注文することができる。料理とお酒と車窓からの絶景。時間が過ぎるのはあっという間だ。 ウェルカムドリンクはオリジナルのスパークリングワイン。新鮮な海の幸には厳選された地酒を JR四国「四国まんなか千年ものがたり」(大歩危→多度津) 「四国まんなか千年ものがたり」は大歩危発14:21→多度津着17:41。土日祝日を中心に運行し、食事別で4000円  讃岐の豊かな自然と千年のものがたりに思いをはせる列車旅、それが「四国まんなか千年ものがたり」だ。大歩危(おおぼけ)~多度津(たどつ)の上りは「しあわせの郷紀行」、多度津~大歩危の下りは「そらの郷紀行」と呼び名が変わり、それぞれにサービスが異なるので、2度の楽しみが約束された気分だ。 見ているだけで楽しい、上りの「おとなの遊山箱」5000円。車窓の景色と共に四国を味わい尽くしたい 「しあわせの郷紀行」でいただく三段重ねの「おとなの遊山箱」は、三好郡の日本料理店「味匠藤本」が手掛けるこだわりの逸品。その昔、徳島の子どもたちは、お弁当を持って近くの山々に出かけ、そこで一日を過ごす「遊山」と呼ばれる娯楽を楽しんでいたという。 下りの「さぬきこだわり食材の洋風料理」は5600円。上りと下りで和洋を楽しめる演出が心憎い 「そらの郷紀行」では、がらりと趣を変えた「さぬきこだわり食材の洋風料理」が提供される。自然豊かな沿線の絶景を眺めながらお弁当を食べる幸せは、今も昔もきっと変わらない。列車内での食事とともに楽しみたいのが地酒の飲み比べ。好みの銘酒3酒を選び、国宝の香川漆器に注いでくれるという、なんともぜいたくな利き酒を堪能できる。  人間国宝の漆器かが作った「香川漆器」で地酒の飲み比べもできる。大歩危峡の絶景と共に楽しんで  列車は3両編成。1号車はわかばの芽吹きを表現したグリーン、2号車は夏の川のすがすがしさと冬の空気の清らかさを表現したブルー、3号車は紅葉を思い起こさせるオレンジのカラーリング。彩りの演出も、旅の気分を盛り上げてくれる。 JR九州「特急A列車で行こう」(熊本→三角) 「特急A列車で行こう」は土日祝日の運航。熊本発10:21→三角着11:11ほか。2040円で、デコポンハイボールは530円 「特急A列車で行こう」は、乗車時間が約40分間と短く、価格もお手頃。ちょっと気分転換したいというときにおすすめの観光列車だ。ラグジュアリーで大人な空間が魅力の車両は、16世紀に天草に伝わった南蛮文化がテーマ。A列車のAは天草(Amakusa)と大人(Adult)を意味しているという。 クラシカルなインテリアと豪華なステンドグラスのぜいたく空間。2号車にはベンチシートやキッズチェアもある  乗車すると、雲仙普賢岳やおこしき海岸を眺めつつ、バーカウンターで格別の一杯を楽しむことができる。列車名の由来は、言わずと知れたジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」。ジャズを聴きながら、ちょっと甘めの名物「デコポンハイボール」を飲めば、まさに大人の休日。ステンドグラスを配したクラシック映画に出てくるような列車で、特別な休日を満喫してみて。(構成 生活・文化編集部 白方美樹)
旅行観光列車
dot. 2022/12/10 11:30
被爆者の体験を聞き高校生が絵に 戦争体験を対話で継承する広島の平和教育
被爆者の体験を聞き高校生が絵に 戦争体験を対話で継承する広島の平和教育
広島の基町高校で7月1日に開かれた原爆の絵制作完成披露会。絵を共同制作した被爆者と生徒が説明(photo 写真映像部・東川哲也)  広島市内にある市立基町高校の生徒たちは2007年から被爆者と一緒に原爆の絵を描き続けている。体験の詳細を聞き出し、必死になって被爆者の想いに近づき描いた絵は15年間で合計182点になった。AERA2022年8月8日号の記事を紹介する。 *  *  *  広島の原爆ドームから北へ約1キロメートルの所にある広島市立基町高等学校。県内有数の進学校でもある同校では、個性的な平和教育を展開している。 ■今回は11点の絵が完成  15年前から被爆者と生徒が組んで原爆の絵を描く「『次世代と描く原爆の絵』プロジェクト」だ。被爆者の高齢化が進む中、被爆体験の継承を実践的に行う取り組みとして注目され、東京・銀座などのギャラリーでもこれまでに3回、絵の展覧会が開かれた。  今年、7月1日。同校の日本画教室で21年度「原爆の絵制作完成披露会」が開かれた。完成した絵は11点。6人の被爆者から11人の高校生が体験を聞き、制作した。披露会では、被爆者(被爆体験証言者)が、絵に描かれたシーンを説明、生徒はどのように苦心し、どこに力点を置いて描いたかなどを説明した。  その中の一点、「お母ちゃんを探して!」。絵のほぼ中心にもんぺをはいた女学生が立ち、足元には、つぶらな瞳の幼い女の子が両足を投げだすようにして座っていた。足をけがしているのだ。彼女の手は女学生のもんペのスソをつかんでいる。女学生の横には、血を流し、呆然(ぼうぜん)と壁にもたれかかる被爆者の姿。  絵に描かれた女学生は現在広島市に住む92歳の切明千枝子さん。1945年8月6日、爆心から南東約1.9キロメートルの屋外で被爆。偶然建物の陰にいたため、大きなけがややけどは負わなかった。当時、広島県立広島第二高等女学校4年生。15歳だった。大やけどを負った叔父(母の弟)を探しに宇品の病院へ。そこで女の子に出会った。 「その子が『お母ちゃん探してきて、探してきて』と離さないんですよ。でも私は叔父を探さないといけないので、ついウソをついたんです。お母ちゃんが見つかったら、ここにいると言ってあげるからね、と。いまでも顔が目に浮かぶんです。せめてその子の名前を聞いておけばよかった……死んでしまったかもしれませんね」  切明さんは声を震わせた。  描いたのは同校普通科創造表現コース2年生の福本悠那(はるな)さん。原爆の絵を描くのは初めてだ。 「横たわっている人の脱力した感じや女子学生と女の子の表情をどう表現するか難しかった」 右は被爆者の笠岡貞江さん(89)。笠岡さんの体験を絵にした広島市立基町高校3年の田邊萌奈美さん(左)は、昨年も笠岡さんの体験を描いている(photo 写真映像部・東川哲也) ■絵にすると一目瞭然  被爆者と生徒は、毎年10月頃に顔合わせを行う。どんな絵にするかは被爆者が希望する。それに沿って描いてもらいたい場面、状況などを確認。その後何度も会って、構図や色、トーンなどを細かく見直し、約8カ月かけて描き上げる。福本さんは完成までに切明さんと5回会っている。切明さんがこの取り組みに参加したのは2度目。 「被爆地として大きなプロジェクトだと思います。被爆体験を口で話しても、戦争を知らない人にはわかってもらいにくい。絵にすると一目瞭然ですからね」  被爆体験証言者の一人、笠岡貞江さん(89)は12歳の時、爆心から3.5キロの江波町の自宅で被爆。両親を原爆で亡くした。絵を描いてもらうのは今回で11回目。最初の頃の絵は、被爆直後のひどいやけどを負った被爆者や、川に浮き沈みする死体、黒こげになった身体にうじが湧いている姿など、生々しく、悲惨な絵が多い。しかし最近は、ケガをした自分を祖母が治療しているシーンや、母の死を知らずに帰宅した弟が言葉を失い呆然としている場面など、少し時間が経過した時の場面が増えた。被爆直後のことだけでなく、時系列的に希望する絵を変えているのだという。  今回描いてもらったのは、被爆後、友人たちと5人で、春に入学したばかりの進徳高等女学校に向かう途中の出来事だ。渡し船で川を渡り、川べりの道に出た時、進駐軍の兵士2人とばったり出くわした。青空も見えるような日中だった。 「初めて見る外国人の兵士で、背も高くて、もうびっくりして、後ずさりして、皆で体を寄せあってね。その時の怖さを描いてもらいたかったんです」  制作したのは3年生の田邊萌奈美さん。 「天気がいい中で、不気味な感じ、すくんでいる様子を描こうとしてもなかなかうまく伝わらなくて苦労しました」  友人数人にポーズを取ってもらい、体を寄せあい、背中に回した手やしぐさで「表情」を感じさせるように描いたという。田邊さんは昨年も笠岡さんの絵を描いている。「兄妹で父親を火葬」というタイトルだ。笠岡さんから、火葬の際、「疲れや非現実感から涙などは出ず、無表情だったと言われたことがとても印象に残っています」とコメントしている。 毎年、「原爆の絵」プロジェクトに取り組む基町高校普通科創造表現コースの生徒たち。被爆者と仲間の生徒の話をしっかりと聞いていた(photo 写真映像部・東川哲也) ■泣きながら描く生徒も  田邊さんは中学生の頃、基町高校のオープンスクールでこのプロジェクトを知り、自分も取り組みたいと思い進学した。  プロジェクトは広島平和記念資料館(原爆資料館)主催で2004年に始まった。被爆者が被爆証言をする際、言葉でなかなか言い表せない場面など、絵があれば体験がより伝えやすいからだ。当初は広島市立大学に委託。07年から創造表現コースのある基町高校で取り組むようになった。  07年から21年春まで指導した橋本一貫元教諭(現・非常勤講師)は依頼が来た時、まずやってみようと思ったものの難しさも感じたという。 「できあがるかどうか心配はありました。証言をただ聞き取るだけでは上っ面な絵しか出来ませんから、被爆者の想いを聞いて、描く場面の背景、ケガの状況や血の色とか根ほり葉ほり聞かないといけない。途中でやめたりしないか、トラウマになるのではないかとか考えました」  何度も描き直し、夜中にうなされ、泣きながら描いた生徒もいるという。しかし、15年間途中でやめたケースは一つもない。ただ、1カ月くらい筆を執れなくなるような生徒もいた。 「惨状を受け止めて絵として表現できない。想像力が追いついていかないという苦しみがあるんですね。被爆者の方の心境、悲しみを表現しようと、一生懸命考えてしまうわけです」 ■被爆者も見直す機会に  内面的なことだけでなく、被爆者が語る言葉の一つひとつがそもそもわからない。「大八車」「ゲートル」「国民服」「もんぺ」……。被爆者の口から、聞いたこともない言葉が出る度に、質問し、資料や写真を調べるところから始めなければならなかった。ただそうした苦しみを乗り越えて描き上げることに意味があると橋本元教諭は言う。 「生徒は技術的には未熟でも、必死になって、被爆者の想いに近づこうとする。僕も一度描いたことがあるのですが、なまじいろいろ知っているもので、淡々と描いてしまい、絵に感情がこもらないんです」 切明千枝子さん(中)は、大やけどを負った叔父を探しに行った病院で出会った、母とはぐれた幼い女の子のことがいまも忘れられない(photo 写真映像部・東川哲也) 「非被爆者」である高校生が「被爆者」の絵を描くとは、どういうことなのか。基町高校の取り組みを、11年から調査・研究している立教大学社会学部の小倉康嗣教授は、「一対一で聞く-語るというやりとりのなかで、『知ってるつもりでい』た被爆体験が異化されるという対話的相互行為が積み重ねられていく」と言う。異化とは、新たな気づきや意味を生み出すということだ。  そして、「(戦争体験の)継承とは、コミュニケーションなのだ」と語る。対話することで、被爆者の記憶が協働生成されるという。高校生とのやりとりの中で、被爆者自身が新たに忘れていたことを思い出し、それが、被爆者の感情を揺さぶり、刺激し、被爆者自身が自らの体験を見直していくきっかけにもなる。実際、生徒たちから質問され、全く覚えていないと思っていたことが、対話の中で少しずつ引き出されていった被爆者もいる。  この15年間で、プロジェクトに参加した被爆者は46人。制作に参加した生徒(一部教員も含む)のべ177人。両者の共同制作により、歴史の記録である182点の絵が誕生した。(ノンフィクション作家・高瀬毅) 「おびただしい遺体」飯田國彦。被爆翌日、住吉橋の袂は被爆者で凄絶な状況(制作・サンガー梨里)(photo 写真映像部・東川哲也) 「登校途中、アメリカ兵に出会った」笠岡貞江。戦後、学校に行く途中、米兵に出くわした恐怖(制作・田邊萌奈美)(photo 写真映像部・東川哲也) 「お母ちゃんを探して!」切明千枝子。はぐれた母親を必死で探す女の子に出会った(制作・福本悠那)(photo 写真映像部・東川哲也) 「つまずいたのは炭化した幼児だった」切明千枝子。瓦礫だらけの街で炭化した幼児の身体につまずいた(制作・山口伶)(photo 写真映像部・東川哲也) 「戦後の食糧難を乗り切る為に」瀧口秀隆。戦後の食糧難。母親は畑を作り野菜を作った(制作・久保田葉奈)(photo 写真映像部・東川哲也) 「お骨が入った紙袋」八幡照子。避難所である運動場に遺骨の入った紙袋が運ばれた(制作・川畠芽衣)(photo 写真映像部・東川哲也) 「東練兵場に設けられた救護テントで目にした若い娘さん」山本定男。救護テントで大やけどの若い女性が治療を受けていた(制作・伊藤早利)(photo 写真映像部・東川哲也) 「東練兵場近くの道端で亡くなっている兵隊さん」山本定男。練兵場の道路沿いで、兵士が被爆し、亡くなっていた(制作・日高乃愛)(photo 写真映像部・東川哲也) 「爆風で吹き飛ばされて」瀧口秀隆。家の外にいて原爆の爆風で吹き飛び気を失った(制作・寺西栞理)(photo 写真映像部・東川哲也) 「不気味な閃光」八幡照子。原爆投下で不気味な閃光が。その後意識を失う(制作・香川凪)(photo 写真映像部・東川哲也) 「父の友人の変わり果てた姿」八幡照子。不明の父の親友の頭蓋骨が見つかり、皆で拝んだ(制作・大原萌里)(photo 写真映像部・東川哲也) ※AERA 2022年8月8日号
AERA 2022/08/06 07:00
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井手隊長 井手隊長
「こだわりはお客さんにわからなければ意味がない」 ミシュラン獲得ラーメン店主の“取捨選択”
カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。鶏清湯で3年連続の『ミシュランガイド』掲載を果たした店主の愛するラーメンは、同じ店で修行した店主が紡ぐ、手もみの自家製麺が光る珠玉の一杯だった。 ■「あえて自家製麺にしない」 ミシュラン獲得店のこだわり  西武池袋線・東長崎駅南口から徒歩2分。小さなビルの2階に「カネキッチン ヌードル(KaneKitchen Noodles)」はある。つけ麺の名店「六厘舎」出身の店主・金田広伸さんが、「六厘舎」とは真逆の清湯系のラーメンで勝負した店。「ミシュランガイド東京」で3年連続のビブグルマンを獲得し、頂点を極めた。 カネキッチン ヌードル/東京都豊島区南長崎5-26-15 マチテラス南長崎 2F/[木~火] 11:30~15:00、18:00~21:00、水曜定休※麺、スープなくなり次第閉店/筆者撮影 「カネキッチンヌードル」のラーメンは、“鶏清湯”と分類される。地鶏の丸鶏をぜいたくに使ったダシ感の分厚いスープ。ここに黄金の鶏油を合わせ、うまみを倍増させる。ここに柔らかくゆで切った麺をくぐらせ、至高の一杯が完成する。  2019年5月まで鶏清湯を提供していた「飯田商店」(神奈川・湯河原)の大ブームや、「トイボックス」(東京・三ノ輪)や「カネキッチンヌードル」などの名店がミシュランガイドに掲載されたことをきっかけに関東を中心に鶏清湯の店が増え、空前の鶏清湯ブームが到来した。 「いきなりの大ブームで、自分の実力以上に後ろから背中を押されている感覚でした。お店がたくさん増えて鶏清湯が一般化してからは差が生まれにくくなっていると思います。私はラーメンがおいしいのは当たり前として、差別化できる他の目線をはじめから探していました」(金田さん) カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。名店「六厘舎」で修行した(筆者撮影)  金田さんが他店との差別化のために注力したのは、とびきりおいしいチャーシューの開発だった。レアチャーシューとくんせいチャーシューをいち早く取り入れ、“チャーシューのうまい店”としてメディアで引っ張りだこになった。 「スープをこれ以上頑張ってもマニアックになるだけだなと思いました。“こだわり”というのはお客さんにわからなければ意味がないと思っています。もっとお客さんがおいしいと思うポイントは他にあるはずと思って、チャーシューに行きつきました」(金田さん) カネキッチン ヌードルの「地鶏丹波黒どり醤油らぁめん」は醤油の配合を間違ったことから生まれたという(筆者撮影)  金田さんは、繁盛店は長く続けられるようにすることこそが大事だという。こだわり続けることも大切だが、原価や工数との戦いも待っている。「六厘舎」出身の金田さんは、続けることの大変さとその術を知っているのだ。あえて自家製麺にしないなど、こだわりの中にも取捨選択が必要だという。  今後、店舗を増やしたい思いはあるが、路面店の展開は考えていない。今のラーメンをしっかりレシピ化し、フードコートなどに展開できるようにしていきたいという。「六厘舎」での商品開発経験を役立て、次なる挑戦をしていくという。 カネキッチン ヌードル店主の金田広伸さん。名店「六厘舎」で修行した(筆者撮影)  そんな金田さんの愛するお店は、「六厘舎」時代の後輩が埼玉でオープンした店。西武ライオンズを愛する夫婦が所沢で開いた名店だ。 ■テレビで同級生の活躍を見て… ラーメンの世界に飛び込んだ男の挑戦  西武池袋線・狭山ヶ丘駅の西口から徒歩1分のところに、連日大人気のラーメン店がある。「自家製手もみ麺 鈴ノ木」だ。開店4年目ながら埼玉でもトップレベルの人気を誇る有名店。店主の鈴木一成さんが一玉ずつ手もみするモチモチの自家製麺が自慢で、ダシ感たっぷりのスープとの相性は抜群だ。 自家製手もみ麺 鈴ノ木/埼玉県所沢市埼玉県所沢市狭山ケ丘1-3003-83/11:30-15:00 火曜・水曜定休日 不定期で夜営業有り。詳細はお店のTwitter(@suzunoki0802)にて/筆者撮影  鈴木さんは埼玉県幸手市に生まれた。小中高と野球をやっていて、西武ライオンズの大ファン。西武は当時常勝時代で秋山・清原・デストラーデが大活躍していた頃だ。幼い頃から、家族旅行で訪れた栃木県佐野市や福島県喜多方市のラーメンが大好きだったという。  高校を卒業し、ヤマト運輸のドライバーとして働いた後は、お菓子の工場で働いていた。ある日、テレビで東京都品川区大崎にある「六厘舎」の行列がすごすぎて、移転を余儀なくされているというニュースを見た。そのとき、店長としてインタビューに答えていたのが、中学の同級生・瀬戸口亮さんだった。仲の良かった同級生が繁盛店で店長をしていることに衝撃を受けた鈴木さん。久しぶりに瀬戸口さんに連絡をすると、「今、人がいないので良かったら来ない?」と誘われた。そこからが鈴木さんのラーメン人生のスタートである。27歳の頃だった。 鈴ノ木の製麺機。モチモチの自家製麺が自慢だ(筆者撮影) 「六厘舎」では東京ソラマチ店(東京都墨田区)で働いた。そのうち2年間は店長に抜擢(ばってき)された。店舗展開がスタートし、会社が変わっていく時期で、40~50人の従業員のマネジメントをやるという役割だった。ラーメン作りというよりは、店作りをしっかり学べた時期だった。その頃、瀬戸口さんが先に独立し、「つけめん さなだ」を埼玉県の三郷でオープンした。この瀬戸口さんの独立が、鈴木さんの独立を考えるきっかけになった。 「会社の中でのステップアップもあり得ましたが、多忙なのと精神的にもつらいかなと思いました。店長として1店舗を見るだけでも大変なのに、多店舗は難しいだろうと判断したんです。自分は経営者ではなくラーメン職人になろうと決意しましたが、独立するにはラーメン作りを知らなさ過ぎたことに気づきました」(鈴木さん)  そこで、独立するにはどうしたらいいかを東京・東小金井のラーメン店「くじら食堂」の店主・下村浩介さんに相談した。もともと多加水でピロピロとした手打ち麺が好きで、「くじら食堂」の常連になって顔を覚えてもらっていた鈴木さん。下村さんに紹介してもらった店で修業することになる。 「器、醤油、地鶏など使うものはもちろん、1日のムダのない使い方など、今やっていることの9割はここで教わったことです」(鈴木さん) 「鈴ノ木」店主の鈴木一成さん。27歳の頃に「六厘舎」に飛び込んだ(筆者撮影)  この修業に合わせて、東京都葛飾区の「金町製麺」でもバイトという形で製麺などを教わった。鈴木さんは独立に向けて、大好きな“多加水の手打ち麺”を極めたかったのだ。幼い頃から好きだった佐野や喜多方のラーメンの麺を職人になっても追い求めた。  この頃は、結婚して埼玉県吉川市に住んでいた。独立に向けて開業資金を貯めていて、いよいよ独立をと考えた時に、所沢市にある西武ドーム(現・ベルーナドーム)の近くに店を出す案が浮かび上がる。夫婦そろっての西武ライオンズファンだからだ。 西武ライオンズの大ファンだという鈴木さん。店内にもその思いがあふれている(筆者撮影) 「静かな場所でゆったりとラーメンを作りたいという思いがあり、そうなると西武ドームの近くはいいのではないかという話になったんです。妻も09年からの西武ファンだったので。もしかしたら選手が食べに来てくれるかもという淡い期待をしながら、16年に小手指に引っ越し、狭山ヶ丘駅前に店をオープンしました」(鈴木さん) 鈴ノ木の「特製ラーメン」は一杯1200円。3種のチャーシューや手作りのワンタンもおいしい(筆者撮影)  こうして18年10月、「鈴ノ木」はオープンした。年内はオープン景気で繁盛したが、年明けから3月までは客足が悪く不安な日々が続いた。だが、鈴木さんは限定メニューには逃げず、グランドメニューをひたすら磨き続けた。すると徐々に評判が広がり、口コミサイトでも高得点が付くようになった。そして、秋の「TRYラーメン大賞」や「ラーメンWALKER」での受賞がきっかけとなり、大人気店の仲間入りとなった。今やエリアを代表する名店として、多くのファンが訪れている。 「カネキッチンヌードル」の金田店主は、鈴木さんのラーメンを高く評価する。 「『六厘舎』時代に最後の2年間を一緒に過ごしました。温厚で優しい性格で、どんなラーメンで独立するのかずっと楽しみにしていました。自宅で試作していた時代から食べさせてもらいましたが、最初からかなり完成度が高かったですね。うどん屋でも小麦の使い方を学んだそうで、いい麺を作っていると思います。地域に根付く理想のお店ですね」(金田さん) 手打ち麺を極めた(筆者撮影)  鈴木さんも金田さんのセンスには驚くばかりだ。 「『六厘舎』の先輩ということで、いろいろと教えていただいています。修行先と真逆のラーメンを作って、さらに高く評価されるというのは本当にすごいことだと思います。センスがとにかく抜群で、うまいものを作らせたらその腕はピカイチです」(鈴木さん) 麺は目の前で一玉ずつ手もみしてくれる(筆者撮影)  同じ「六厘舎」出身でも、これほどまでに違うラーメンで人気を勝ち得ているのはすごい。別のラーメンを作っていても、大事にしている部分は同じなのだと思う。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
AERA 2022/07/17 12:00
ゆるい、ボロい、スカスカに象徴される「第四の消費」とは何だったのか 三浦展×小林和人×河尻亨一
ゆるい、ボロい、スカスカに象徴される「第四の消費」とは何だったのか 三浦展×小林和人×河尻亨一
マーケティング・アナリストの三浦展さん リノベーションやシェアリングエコノミーなど「所有からシェア」への消費行動の変化を、マーケティング・アナリストの三浦展さんは「第四の消費」と名付けた。6月、三浦さんは近い将来訪れる「第五の消費」を見据えて、「次の時代の日本人がどんな豊かさを求めて、どんな生活をするかを考える」ヒントとなる『永続孤独社会――分断か、つながりか?』(朝日新書)を出版した。同書刊行を前に行われたスペシャル座談会では、生活道具を扱うRoundabout/OUTBOUNDの店主・小林和人氏と、国内外の広告クリエイティブを分析してきた河尻亨一氏とともに、社会の消費活動の変遷とカルチャーの関係を中心に、来るべき「未来」を語り合った。 *  *  * ■第四の消費は高円寺で発見した 河尻:この鼎談では「第四の消費」のこれまでを振り返りながら、今後の展望についてもお話しします。2000年代冒頭の20年を、ライフスタイルやカルチャーの側面から読み解く試みにもなりそうですが、三浦さんが最初、第四の消費的な新しい動きに気づいたのはいつ頃なんでしょう? 三浦:1998年です。この年は肌感覚としても世の中がガラッと変わった記憶があります。前年の、山一證券の経営破綻による金融危機の影響も大きくて。当時、僕は大手町に通勤していましたが、事務職の女性たちは白いブラウスにタイトスカート、エルメスのスカーフみたいな格好で、バブルというのかジュリアナ的なものがまだ残っていました。それが98年を境に変わっていくんです。  たまたま久しぶりに高円寺を歩いたら、古着屋がにぎわっていて驚きました。これは発見でしたね。井の頭公園のあたりでも、その頃から急にフリマが増えていく。会社を辞めて、またマーケティングでもしようと思っていた瞬間に未知の風景が見えてきたので、非常に印象的でした。吉祥寺の真っ暗だったハモニカ横丁に手塚一郎さんがハモニカキッチンを作ったのも同じ頃。あれも僕にとっては「住吉の長屋」ぐらいの衝撃でした。小林さんが吉祥寺の古ビルでラウンダバウト(Roundabout)を始めたのはいつから? 生活道具を扱うRoundabout/OUTBOUNDの店主・小林和人氏 小林:99年の8月からです。 三浦:だいたい同時期ですね。ラウンダバウトも壁紙を剥がしたままみたいな感じで、いままでと全然違うインテリアのお店が出てきたなと。いかにもスタイリッシュなデザインとは対極の、ゆるくて、ボロくて、力が抜けたような。世代論的に見ても、98年には、78年生まれが20歳になる。成人した団塊ジュニアたちがIT起業家になったり、フリマだ、古着だと言いはじめた。 河尻:小林さんがラウンダバウトを始めたきっかけは? 小林:僕は75年生まれで、99年に大学を卒業したんですけど、モノに興味を持ったきっかけは、ルイジ・コラーニというインダストリアルデザイナーです。中学生のとき、市の図書館で何げなく借りたルイジ・コラーニの作品集を見て、デザイナーという職業があることを衝撃とともに知りました。  ただ、家電のようにライン生産で大量製造されるプロダクトではなく、家具や文房具といった、生活のなかで把握できるスケールのモノのデザインに興味がありましたね。多摩美ではインテリアデザインを専攻しましたが、入学当時の95年頃はインテリア雑誌をめくると、まだバブルの残り香が感じられるような「ギラギラ」の商業空間が並んでいたんです。そこから遠ざかりたいと思ってしまって。 三浦:「ギラギラ」は「第三の消費」的ですね。ちなみに僕が裏原宿や高円寺の街を歩いていて浮かんだ言葉は「スカスカ」。スタイリッシュに作りこまれた空間ではなく、古いアパートを改造しただけのお店が多かった。 河尻:ラウンダバウトもスカスカ系? 小林:というより、最初は本気で店をやろうとさえ思ってなかったんですよね。ある日、仲間の1人が、吉祥寺の古ビルが1週間だけ借りられるという話を持ってきたんです。それでグループ展とかファッションショーとか、いろんなアイデアが出たんですけど、どうせなら内輪で終わらないものにしたいと考えたときに、店というのがもしかしたら自分たちと社会との唯一の接地面になり得るかもしれないと思いつき、店はどうだろう? となりました。  明治公園のフリマで買ってきた中古家電のラジカセ、パタパタ時計、アメリカンスクールのバザーで買った海外の絵本にポータブルプレーヤーなどを集めて、自分たちで手刷りしたTシャツなども用意してゴチャゴチャっと始めました。 国内外の広告クリエイティブを分析してきた河尻亨一氏 三浦:ようするにフリマだね(笑) 小林:ノリとしては、廃ビルを占拠してるみたいな感じでした。カッコよくいえばデンマークのクリスチャニア(自由区)みたいに。昔はキャバレーや学習塾が入っていたビルですが、通りがかりの人も結構、面白がって入ってきてくださって、それで味をしめて本格的にやろうということになった。 ■「ていねいな暮らし」が共感を生んだ00年代 河尻:「ゆるい」「ボロい」「スカスカ」などは、第四の消費を語る上でのキーワード。それは三浦さんのなかで、どういうプロセスをへて消費社会論に発展していったんですか? 三浦:高円寺の風景に衝撃を受けて、99年に会社を辞めてからは、それこそ毎日のように高円寺、下北沢、原宿、代官山などの街を歩いて写真を撮り、気づいたことをキーワード化する中で全体像が見えてきたんです。  簡単に言うと、そこで目にしたものは、近代化する日本が否定した価値観ですよね。近代化時代には、着るものはパリッと新品を着たい、クルマも新車を買いたい、家も新築がいいという価値観だった。それが古着や古民家、フリマ、ボロいカフェなんかがいい、ということになってきていたのがすごく新鮮に感じられた。  古い建物が面白いと思ったきっかけは馬場正尊さんです。彼がR不動産を始める前に一緒に中目黒なんかを歩いて、ボロいビルがカッコいいことに気づいた(三浦展『ヤバいビル』参照)。ブルースタジオのリノベーション本を見ても、「高円寺の月1万8000円のぼろアパートが6万円で貸せるようになった」なんて書いてある。リノベが普及していった最初の10年は、非常に面白かったですね。 河尻:小林さんにも、お店を始めて最初の10年くらいで感じた世の中の変化を聞いてみたいです。我々がいま「第四の消費」という言葉で言い表そうとしている新しいカルチャーは、2000年代にどう広まっていったのか。 小林:オープン当初は上の階はまだ空っぽで、それほど人の流れが多くはなかったんです。それで、上にカフェがあると、人の流れができていいなと思ってイデーから独立したばかりの知人に相談したら、元同僚がカフェをやりたがっていたから話してみようと。  その人が3階のスペースを見てひと目ぼれしてくれて、2000年に「フロア(FLOOR!)」というカフェが始まり、そこが雑誌『ポパイ』の表紙で取り上げられたあたりから、都心からのお客さんも来てくれるようになりました。 三浦:ラウンダバウトは、最初はゆるい中古家電の店だと思っていたけど、途中からセレクトが「ていねいな暮らし」系の雑貨に変わった印象がある。あれは何か意図があったの? 小林:最初はアメリカ西海岸のフリーマーケットを巡って、60年代のラジオや電話機などを買い付けてきたので、結構スペースエイジ色が濃かったんです。その後徐々に、業務用のステンレスバットだとか野田琺瑯(のだほうろう)とか、シンプルな生活道具の割合が高まってきました。  さっきルイジ・コラーニの話をしましたけど、自分のなかのもうひとつの下地として、柳宗理(やなぎ・そうり)の存在もあったんです。大学生のときにセゾン美術館で展示を見て、柳宗悦(やなぎ・むねよし)よりも先に宗理に出会い、そこでアノニマス・デザインの概念をインストールされたというか。  世の中の変化を感じたのは、2005年に『物語のある暮らし雑貨』というムックの取材を受けたあたりからですかね。それ以降、暮らし系の気配のするお客さんが増えてきました。 河尻:なるほど。クウネル族の時代とでもいうのか、2003年に創刊した雑誌『クウネル』は「ストーリーのあるモノと暮らし」というコンセプトを掲げていました。スローライフ的な価値観が脚光を浴びたのもその頃ですね。当時、キユーピーマヨネーズが「シンプルに生きることにした。」というキャッチコピーのCMを流していて、共感した記憶があります。ちなみに雑誌『アルネ』の創刊号では、柳宗理を特集しています(02年)。ていねいな暮らし系の雑誌は流行しましたね。 【中編】に続く ●三浦 展(みうら・あつし)1958年生まれ。社会デザイン研究者。1982年一橋大学社会学部卒業。株式会社パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年カルチャースタディーズ研究所設立。著書に『大下流国家』(光文社新書)、『都心集中の真実』(ちくま新書)など ●小林和人(こばやし・かずと)1975年生まれ。海外と郊外で育つ。1999年に吉祥寺の古いキャバレー跡のビルで国内外の生活用品を扱う「Roundabout」を友人数名で始める。2008年、物がもたらす作用に着目した品ぞろえを展開する「OUTBOUND」を開始。建物の取り壊しに伴い、2016年にRoundaboutを代々木上原に移転。2021年には「LOST AND FOUND」(ニッコー株式会社)の商品選定を担当。著書に『あたらしい日用品』(マイナビ)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社)がある ●河尻亨一(かわじり・こういち)1974年生まれ。取材・執筆からイベント、企業コンテンツの企画制作ほか、広告とジャーナリズムをつなぐ活動を行う。カンヌライオンズを取材するなど、海外の最新動向にも詳しい。訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』(左右社)がある。『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』(朝日新聞出版)で第75回毎日出版文化賞受賞(文学・芸術部門)
三浦展書籍朝日新聞出版の本永続孤独社会
dot. 2022/06/20 06:00
『花四段といっしょ』第3話 ご飯の時間の巻
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2022/03/08 11:30
『花四段といっしょ』第1話 花四段の頭の中の巻
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2022/02/22 11:30
パク・セロイの店のチゲは少々お高め? 「梨泰院クラス」ロケ地巡礼でわかった意外な事実
パク・セロイの店のチゲは少々お高め? 「梨泰院クラス」ロケ地巡礼でわかった意外な事実
歩道橋から眺めるNソウルタワー。空気が澄む秋の日は特に美しく見える。手すりに肘をついてしばらく眺めていく人が多かった(写真・鈴木はな)  いがぐり頭の若者を、こんなに好きになると思わなかった。「愛の不時着」と人気で肩を並べる「梨泰院クラス」の舞台を新型コロナで行きたくても行けない今、現地ライターが歩いた。AERA2020年10月26日号の記事を紹介する。 *  *  *  曲がったことが許せない。たとえ友人だろうと警察だろうと、納得いくまで筋を通す──。  現在ネットフリックスで配信中の韓国ドラマ「梨泰院(イテウォン)クラス」は、真っすぐな性格のいがぐり頭の主人公が仲間とともに成り上がっていくストーリー。日本でも大ヒットし、「愛の不時着」同様、新たな韓流ドラマブームを巻き起こしている。筆者が今年3月から留学している本場・韓国では今年初めにケーブルテレビ局JTBCで放送され、話題になった。 イラスト・小迎裕美子  ドラマが人気になれば、そのロケ地も注目されるようになるのは、日本も韓国も同じ。舞台となった街、梨泰院を中心とするソウル市内を旅してみたくなるが、コロナ禍で日本から行くのは難しい。そこで今の梨泰院はどうなっているのか、留学中の筆者がナビゲートしよう。 六本木のような街並み  まずは、簡単にドラマのあらすじから。  パク・ソジュン演じる主人公パク・セロイは、巨大飲食企業・長家(チャンガ)の会長と息子によって父を殺され、セロイも殺人未遂の罪で服役する。刑期を終えたセロイはやがて、父の仇討ちを胸に、ソウルの飲食店激戦区である梨泰院に小さな居酒屋を開き、仲間とともに長家に挑むという青春群像劇だ。単純な復讐モノではない。恋愛や格差社会を生きる若者たちの苦しみをも描く濃すぎるストーリーに、ハマる人が続出している。 イラスト・小迎裕美子 イラスト・小迎裕美子  梨泰院周辺はバーやクラブの他、大使館やインターナショナルスクール、高級ホテルなどがあり、外国人や芸能人が多く暮らす高級住宅街としても知られている。日本で言えば東京・六本木のような場所だ。  ドラマで印象に残るのが、Nソウルタワーの見える歩道橋だ。 (写真・鈴木はな)  舞台となった歩道橋は地下鉄6号線の梨泰院駅の隣、緑莎坪(ノッサピョン)駅を降りてすぐのところにある。歩道橋からは南山(ナムサン)が見え、夜になると、ライトアップされたNソウルタワーがキラキラと、まるで暗闇に浮かんでいるように見える。筆者も渡韓して以降、コロナのために一度も日本に帰れていない。ソウルを代表するような美しい夜景を見ていたら「私もここで絶対に夢を叶えてやるぞ!」とセロイのような気持ちがじわじわと盛り上がってくる。 セロイが幼なじみのオ・スア(クォン・ナラ)をおぶって歩くシーンが撮影された階段。記念撮影する人もいた(写真・鈴木はな) (写真・鈴木はな) 外国人がこんなに!  取材で訪れた日は、カップルや女性グループが次々に来て、Nソウルタワーを背に写真を撮っていた。外国語を話す人の姿も目立つ。  今、ソウル市内で外国人の姿を見ることは、コロナ前に比べて大きく減った。コロナの影響で、韓国政府は海外からの入国者にPCR検査と2週間の隔離を義務づけているからだ。さらに8月半ば以降、ソウルを含む首都圏でコロナの新規感染者が再拡大し、飲食店の営業が一時期、午後9時までに制限されるなどしたため街を歩く人の数は減っていた。だがこの日の梨泰院周辺には、「こんなにいたのか!」と驚くほど、在住者や留学生であろう多くの外国人が屋外のテラス席でお酒やお茶を楽しんでいた。 タンバムの外観。看板も店内の様子も、ほぼドラマに出てきたままだ。通りすがりに写真を撮っていく人が多かった(写真・鈴木はな) ドラマを見て訪れたのだろうか。チゲを食べている人が目立つ。店内だけでなく、ドラマにも登場した屋上で食べることもできる(写真・鈴木はな) ドラマの店そのまま  歩道橋を渡り、カフェや飲食店が集まる道を5分ほど歩くと、セロイが最初に開いた店「タンバム」がある。看板も外観もドラマに出てきた店そのまま。入り口にはテレビでの放映当時からあったのか「JTBC 梨泰院クラス 多くの視聴をお願いします~」と書かれた黒板がかかっていた。  ずっと気になっていたのがタンバムの看板メニューとして登場する純豆腐(スンドゥブ)チゲだ。セロイと最愛の父の思い出の味でもあり、深夜、チゲを食べるシーンを見ながら「今すぐ純豆腐チゲを食べたい!!」と悶絶したのは私だけではないはずだ。 カボチャが入ったチゲ?  実はこのチゲ、リアルなお店でも人気のメニュー。ドラマと同じ銀色の丸テーブルに座り、メニューを開くと、一番上に純豆腐チゲとブタキムチ炒めのセットがあった。値段は3万ウォン(約2700円)と、韓国の家庭料理の定番でもあり、庶民の味である純豆腐チゲとブタキムチにしてはなかなか強気な値段。通常の1.5倍はする。  チゲは卓上コンロで火にかけて食べるスタイルで、運ばれてきた鍋には、純豆腐チゲではあまり見かけないカボチャが入っていた。少し不安がよぎったが、秋の風に吹かれながら熱々のチゲを口に運ぶと、辛すぎず、親しみやすい味でなかなかおいしかった。 イラスト・小迎裕美子  歩いてみてわかったのは、梨泰院は坂が多い街だということだ。ドラマにも坂道や階段が頻繁に登場する。それらのシーンは、個性的な店が並ぶ解放村(ヘバンチョン)でのロケが多い。  駅から続く坂道を10分ほど上がっていくと、レンガでできた低層住宅が並ぶレトロな街並みが見えてくる。ソウル中心部にしては珍しく高い建物がほとんどないので、階段や路地のあちこちからNソウルタワーが見える。若いアーティストや外国人も多く住んでおり、古い市場や食堂に交じって、オシャレな古書店やカフェもあり、デートスポットとしても人気らしい。この日も多くのカップルが秋の日の散歩を楽しんでいた。 (写真・鈴木はな) 日本の植民地支配から解放された後、海外から戻ってきた人が多く住んだという解放村。展望台からはソウルの街が見える(写真・鈴木はな)  息を切らしながら坂を上りきったところにある展望台にのぼると、眼下にソウルの街が広がる。そんな眺望を生かし、界隈には屋上やテラスに席を設けているカフェも多い。 ド派手「長家」実は遠い  ロケ地の多くが梨泰院周辺に集まっているが、セロイの宿敵、長家が経営する居酒屋のロケ地となった建物は、地下鉄2号線弘大入口(ホンデイック)駅近くにある。梨泰院からは電車で20分ほどの場所だ。駅名にもなっている弘益(ホンイク)大学校(弘大)は芸術系学部が特に有名で、大学周辺にはクラブや飲食店など若者に人気の飲食店が多い。 長家が経営する居酒屋として登場する建物がある弘大も、梨泰院と並ぶ飲食店激戦区。週末には多くの人で賑わう(写真・鈴木はな) イラスト・小迎裕美子 イラスト・小迎裕美子  そのなかでもひときわケバケバしい建物が長家だ。実際に居酒屋なので、店内で食事をすることもできる。  韓国も日本と同様、コロナの影響で厳しい状況が続いている。ソウル市では8月下旬以降、自宅以外でのマスクの着用が義務化され、10月13日以降は違反者に10万ウォン(約8900円)以下の罰金が科されることになった。またカフェやレストランなどで飲食をする場合は、アプリによる本人認証か名簿に連絡先の記入を求められるなど、ものものしい雰囲気が続いている。  以前のように観光客が自由に行き来できる日が来るまでにはまだ時間がかかるかもしれないが、コロナ禍が過ぎたら、その時はぜひ梨泰院の街を訪ねてみてほしい。(文・鈴木はな 取材協力・金洋見) イラスト・小迎裕美子 ※AERA 2020年10月26日号
梨泰院クラス韓国
AERA 2020/10/25 17:00
パン屋の本屋、韓国本専門も 「御書印」のユニーク書店4選
パン屋の本屋、韓国本専門も 「御書印」のユニーク書店4選
 今年3月から始まり、全国135の書店が参加する「御書印プロジェクト」。寺社の「御朱印」のように、書店員が「御書印」をしたためてくれる。参加店の中から、個性的な4店を紹介します! パン屋の本屋/芝生を挟んで向かい合うパン屋と本屋。絵本をモチーフにした菓子パンやカレーパン、もちもちの食パンが人気 (撮影/写真部・小黒冴夏) *  *  * ■パン屋の本屋 芝生広場のある、街の本屋 日暮里の住宅街にあったフェルト工場が、地域密着型の複合施設に生まれ変わったのは2016年のこと。書店の約半分は絵本や児童書などで、パンや食、ライフスタイル系の本も充実している。購入後、敷地内のカフェですぐ読む人も。「御書印を始めて初来店の方が増えました。集めている人は本好きが多く、会話もはずんでいます」(店長の近藤裕子さん) パン屋の本屋 (撮影/写真部・小黒冴夏) おすすめの一冊 『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵) パン屋の本屋/おすすめの一冊『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵) (撮影/写真部・小黒冴夏) ある街に元エリートで、今はドラァグクイーンのシャールが営むカフェがある。様々な悩みを持つ客に、シャールはどんな料理を提供する? 「御書印に書いているのは、この本の一節。人間の機微が詰まっている小説です」 パン屋の本屋 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都荒川区西日暮里2‐6‐7ひぐらしガーデン1F/影響時間:10:00~18:00 /定休日:月 ■チェッコリ 韓国語の原書や翻訳本の宝庫 チェッコリ/御書印にハングル文字で記されるのは、韓国の大型書店・教保文庫創業者のシン・ヨンホさんの「人は本を作り、本は人を作る」という言葉 (撮影/写真部・小黒冴夏) 神保町の一角にあり、「韓国と本でつながる」がキーワード。韓国語の文芸書やエッセー、児童書、実用書、韓国語学習書などが豊富に揃う。広報の佐々木静代さんが、SNSで御書印プロジェクトのことを知り、「面白くていい企画だ!」と参加を決意した。「“韓国の本”に特化して扱っているので、この店を知らない人に来てもらえてうれしいです」 おすすめの一冊 『それでも、素敵な一日』(ク作家) チェッコリ/おすすめの一冊『それでも、素敵な一日』(ク作家) (撮影/写真部・小黒冴夏) 幼い時に病気で聴覚を失い、視力も失うことがわかった著者が、自らの分身であるうさぎのベニーを通して、今を生きる大切さを綴ったエッセー。「韓国で5年前にベストセラーになり、今年日本語版が発売。原書も扱ってます」 チェッコリ 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都千代田区神田神保町1‐7‐3三光堂ビル3F/営業時間:12:00~20:00 (土曜は11:00~19:00)/定休日:日、月 ■青猫書房 絵本や児童書、猫がたくさん 青猫書房/店名のとおり猫に関するものもたくさんある。ギャラリーとカフェスペースがあり、随時原画展なども開催 (撮影/写真部・小黒冴夏) 図書館の児童書担当だった岩瀬惠子さんが開いた同店。約4500冊の児童書や絵本があり、コロナ自粛中も土日だけ営業し、客にも喜ばれた。御書印に記す「絵本から児童文学に続く、ゆきて帰りし物語」という一文は、岩瀬さんが尊敬する児童文学者・瀬田貞二さんの言葉から。店をいつでも来て帰れる場所にしたいという岩瀬さんの思いが詰まっている。 おすすめの一冊 『空猫アラベラ』(アティ・シーへンベーク・ファン・フーケロム) 青猫書房/おすすめの一冊『空猫アラベラ』(アティ・シーへンベーク・ファン・フーケロム)があり、随時原画展なども開催 (撮影/写真部・小黒冴夏) 猫天国に召された猫が、宇宙カゴに乗って飼い主のおばさんに会いに行くと──。翻訳者の女性がオランダで見つけて一目惚れし、日本語版を刊行。「死別した猫と飼い主の話ですが、あっけらかんとした、楽しい絵本です」 青猫書房 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都北区赤羽2‐28‐8 Timber House 1F営業時間:11:00~19:00(日曜は~17:00)/定休日:火 ■本とコーヒーtegamisha 暮らしを豊かにする本が見つかる 本とコーヒーtegamisha (撮影/写真部・小黒冴夏) 趣味や食、旅などのライフスタイル全般を中心に、センスよく選書された本が充実している。7月中旬にリニューアルし、ケーキや軽食、自家焙煎のコーヒーやクラフトビールなどがテイクアウトできるように。「コロナ自粛中は書店を閉めてテイクアウトだけでしたが、その間も御書印のお客さんが来てくださり、うれしかったです」(店長の城田波穂さん) 本とコーヒーtegamisha/御書印プロジェクト共通の3つの印とは別に、オリジナルのスタンプも用意。一筆は絵本『めがねこのぼうけん』の一節から (撮影/写真部・小黒冴夏) おすすめの一冊 『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(バリー・ユアグロー 訳/柴田元幸) 本とコーヒーtegamisha/おすすめの一冊『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(バリー・ユアグロー 訳/柴田元幸) (撮影/写真部・小黒冴夏) NY在住の作家バリー・ユアグローさんが、コロナでロックダウン中に感じたことを短編小説にし、翻訳者の柴田元幸さんに送ったところ、「読者に届けたい」と緊急出版。「不思議な物語で、読むたびに印象が変わります」 本とコーヒーtegamisha 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都調布市菊野台1‐17‐5 1F/営業時間:11:30~18:30/定休日:月、火 ※営業時間等は変更の可能性あり (取材・文/吉川明子) ※週刊朝日  2020年8月7日号
週刊朝日 2020/08/03 17:00
【アレンジ非常食】ほんのひと手間でごちそうに変身!<洋食編>
【アレンジ非常食】ほんのひと手間でごちそうに変身!<洋食編>
 新型コロナウイルス、震災や風水害など、非常時に注目が集まる備蓄用の非常食。味付けも種類もバリエーション豊富で、どれをストックするか迷うほどだ。そんな非常食を、ふだんから食べたくなる一品に変えたり、1人分を2人でシェアしたりするヒントを紹介する。 1人前のパスタを2人でシェアできる!「2人で大満足カルボナーラ」  新型コロナウイルスの感染は少しずつ収まりを見せているが、自然災害の多い日本では非常食のストックは欠かせない。しかし、「非常食はストックしているものの、実際に食べたことはない」という人も多いのでは? 親元を離れて1人暮らしをしている長女も、その1人。そこで、食べ方や味を知っておくためにも、非常食のローリングストック(賞味期限が切れる前の買い替え)を兼ねて、食べてもらった。  とはいえ、水やお湯で戻すなど、決められた通りの食べ方だけではちょっと寂しい。毎日自炊していて、調理師と管理栄養士の資格も持っている長女は、調理やアレンジは手慣れたもの。そこで「家に常備している食材や調味料を使う」「電子レンジやオーブン、トースターは使用不可」「カセットコンロのみ使える」という条件で非常食アレンジに挑戦してもらった。  非常食は味付けせずにそのまま食べられるものが多いから、野菜や卵、水などを加えて短時間加熱するだけで食べられる。忙しい時などふだんの料理に使えば時短にもなり、手間も時間も省けて一石二鳥だ。今回作ったのは、パスタやリゾットなどの洋食メニュー。パスタやスープなど、どれもそのままでもおいしい味付けだが、食材を足せば栄養バランスがよくなりお腹いっぱい食べられるし、1人前をかさ増しすれば2人でシェアすることもできる。  また、昔ながらの硬くて味気ない「乾パン」のイメージも払拭したい。今や非常用のパンはしっとりしたデニッシュやマフィンなどのソフトタイプが主流。チョコ、オレンジ、ストロベリーなど種類も豊富で目移りするほどだ。そんなパン缶をさらにアレンジして、女性や子どもにうれしいデザートに変身させた。非常食の買い替えを考えている方は、ぜひいろいろなアレンジに挑戦して好みの味を探してみて! 「カルボナーラ」+じゃがいも、ベーコン →  1人前のパスタを2人でシェアできる!「2人で大満足カルボナーラ」 「2人で大満足カルボナーラ」材料 ●材料 <非常食>カルボナーラ(湯でもどすタイプ)1食分 <追加> ベーコン3枚、じゃがいも1~2個 ●作り方 1、じゃがいもは皮をむいて1cm角に、ベーコンは1cm幅に切る。 2、カルボナーラを作るのに必要な水+50ccを鍋に入れ1を茹でる。 3、じゃがいもが柔らかくなったら、具材ごとカルボナーラの袋に入れ、全体をよく混ぜる。 4、表示された時間(この商品の場合は3分)待てば完成。 じゃがいもが柔らかくなったら、具材ごとカルボナーラの袋に入れる ここがポイント☆パスタを戻すために沸かすお湯でじゃがいもとベーコンをゆでる一石二鳥のアイデアメニュー。1人前のカルボナーラも、じゃがいもを追加することで2人前のボリュームに。ベーコンがない場合は少しだけ塩を追加して。 「トマトスープ」+ショートパスタ、蒸し大豆 → 食べ応えたっぷり「ミネストローネ」 ●材料 <非常食>トマトスープ160g <追加> 蒸し大豆30g、ショートパスタ50g、塩こしょう 「ミネストローネ」材料 ●作り方 1、鍋に材料全部を入れ、火にかける。 2、パスタが水を吸うので、減った分だけ水を追加する。 3、塩こしょうで味を整える。 ここがポイント☆そのままでは少し物足りないトマトスープも、大豆とパスタを追加すればボリュームアップ! 炭水化物とたんぱく質が加わるので栄養バランスもばっちり。オリーブオイルをかけると味も華やかで、エネルギー補給にも効果的。 食べ応えたっぷり「ミネストローネ」 「トマトスープ」「アルファ化米」+チーズ、パセリ → チーズとトマトの相性抜群「トマトリゾット」 ●材料 <非常食>トマトスープ160g、アルファ化米1/2食分 <追加> 粉チーズ、パセリ 「トマトリゾット」材料 ●作り方 1、鍋にトマトスープ、ごはんを入れ温める。 2、皿に盛り、粉チーズとパセリをトッピングする。 ここがポイント☆非常食同士の組み合わせでもバリエーションが増やせる。水気の足りない米もリゾットにすると美味しく食べられる。 チーズとトマトの相性抜群「トマトリゾット」 「デニッシュ」+バター、砂糖 → サックサクで思わず手が伸びる「スティックラスク」 ●材料 <非常食>デニッシュ(缶) <追加> バター、砂糖適宜 「スティックラスク」材料 ●作り方 1、デニッシュをスティック状に切る。 2、フライパンにバターを熱し、デニッシュを入れてカリカリに焼く。 3、砂糖を入れてからめながら焼く。 ここがポイント☆バターの代わりにマーガリンやサラダ油でも。デニッシュ自体が甘いので、砂糖はお好みで。焼きたてのアツアツ、カリカリのうちにどうぞ。 サックサクで思わず手が伸びる「スティックラスク」 「デニッシュ」+プリン、いちご → いちごの酸味とプリンの甘味が絶妙なバランス「プリンdeシュークリーム」 ●材料 <非常食>デニッシュ(缶)  <追加> プリン1個、いちご1個 「プリンdeシュークリーム」材料 ●作り方 1、デニッシュの上下の部分を使う。底の部分を2cmに切り、少しくりぬく。デニッシュの上部はふたにするので薄くスライスする。 2、くりぬいたところにプリンの本体部分(カラメル部分以外)を入れ、アルミホイルで包む。 3、フライパンに2を乗せて弱火で2~3分、包み焼きにする。 4、底がカリカリに焼けたら取り出し、いちごを乗せてふたを乗せる。 くりぬいたところにプリンの本体部分(カラメル部分以外)を入れ、アルミホイルで包んで焼く ここがポイント☆焦げないように弱火で焼くと底がパリパリになって香ばしい。使わなかった真ん中の部分はカリカリに焼いてラスクにしても。プリンのカラメル部分はフライパンで加熱するとキャラメルクリームとしても使える。 いちごの酸味とプリンの甘味が絶妙なバランス「プリンdeシュークリーム」 文/加納美紀 監修・料理作成/管理栄養士・調理師 加納志帆 高校時代に調理を学び、調理師免許取得。大学時代にふぐ調理師免許を取得し、大学卒業後に管理栄養士取得。食品メーカーに就職して地方勤務になり、1日3食ほぼすべて自炊(昼食は弁当持参)している。
#新型コロナウイルスレシピ
dot. 2020/05/31 10:00
幻想的な景観を楽しむスキー&スノボ旅!絶景スノーリゾート5選
幻想的な景観を楽しむスキー&スノボ旅!絶景スノーリゾート5選
スキー&スノーボードは元来、大自然の中で楽しむもの。スポーツではあるけれど、その大自然の絶景もぜひ堪能いただきたい! ということで、今回はこれからでもまだ間に合う! そんな幻想的なスノーリゾート5選をご紹介します。極寒の地に広がる氷の街「アイスヴィレッジ」。星野リゾート トマム(北海道) トマムの絶景を彩るアイスヴィレッジ&霧氷テラス 絶景スノーリゾートの代表格が星野リゾート トマム。グリーンシーズンは雲海テラスで人気ですが、その雲海テラスが冬は霧氷テラスへ。霧氷とは氷点下の環境で、空気中の水蒸気や霧が樹木に着く現象。本来、茶色や深緑の木々が真っ白になることで、空の青とのコントラストも相まって、とても素敵な空間へと様変わりするわけです。 山麓から雲海ゴンドラに乗って約13分。もちろん、下山もゴンドラが利用できるので、滑らなくてもこの絶景を堪能できます。そして、テラスから約200m歩くと、断崖絶壁にせり出すような「Cloud Walk(クラウドウォーク)」が出現。ちょっとしたスリルと雄大な冬の景観を楽しめると評判です。スリルと絶景が楽しめるCloud Walk(星野リゾート トマム) そして、トマムを語る上で忘れてはいけないのは、アイスヴィレッジ(営業期間:~3/14)。氷の教会や氷のホテル、さらにはアイスリンクや氷の滑り台など、大人も子供も楽しめるコンテンツが満載。マイナス30度にまで気温が下がるトマムならではの氷の街で、素敵な体験をしてみませんか? 【星野リゾート トマム】 ◆住所:北海道勇払郡占冠村中トマム ◆アクセス:[車]道東道 トマムICから約5km [電車]JR石勝線 トマム駅から送迎バスで約5分 ◆詳細情報はこちらアイスヴィレッジの氷の滑り台(星野リゾート トマム) 車山高原に“映え”写真スポットが続々登場! 日本百名山「霧ヶ峰」の最高峰、標高1,925mの車山山頂から扇状に広がるのが、車山高原SKYPARKスキー場。車山はスキー場のリフト2本を乗り継いで、山頂までは徒歩約5分と、日本一登りやすい日本百名山としても有名。もちろん、2本のリフトはスキーやスノーボードを履いていなくても、登りも下りも乗車可能です。 山頂からは八ヶ岳連峰や北・中央・南の各アルプス、浅間山、さらには、富士山まで、360度の大パノラマを堪能できます。しかも、晴天率は80%を誇り、“車山ブルー”と呼ばれる濃紺の青空とのコントラストで、そこは、まさに幻想的な空間。絵馬台も登場した車山神社(車山高原SKYPARKスキー場) さらに、今シーズンはフォトスポットが続々登場しています。山頂のフォトフレーム「SKY frame」や山麓の「BLUE me」、そして、スキーセンターSKYPLAZA前の「to BLUE」など、映え写真が撮れること間違いなし。この冬、最後の“映え”写真撮影は、車山高原SKYPARKスキー場でキマリですね。 【車山高原SKYPARKスキー場】 ◆住所:長野県茅野市北山3413 ◆アクセス:[車]中央道 諏訪南ICから約40分、中部横断道 佐久南ICから約60分 [電車]JR中央本線 茅野駅から路線バスで約60分 ◆詳細はこちら絶景フォトフレーム SKY frame(車山高原SKYPARKスキー場) 北信五岳と野尻湖の景観が素晴らしいタングラム 5歳から乗車可能なスノーモビルやスリル満点のスノーラフティングなど、多彩なスノーアクティビティ。さらには、ゲレンデベースにあり、スキーイン&アウトが可能なリゾート感満載のホテルタングラムで、ファミリーに人気のタングラムスキーサーカス。 そんなタングラムの絶景スポットといえば、野尻湖テラスと野尻湖ラウンジ。野尻湖テラス観光リフトに乗って、約10分の空中散歩。もちろん、滑走具をつけずに乗車可能。フード付きなので、少々の寒さなら気になることはありません。山頂からは北信五岳の絶景を一望(タングラムスキーサーカス) 山頂駅に着いたら、標高1,100mの展望デッキへ。眼下に野尻湖、目の前には妙高山や戸隠連峰など、北信五岳の素晴らしい冬景色が広がります。野尻湖に向いた大きな窓が特徴的な野尻湖ラウンジで、入れたての香り豊かなコーヒーでまったりするのがおすすめです。 【タングラムスキーサーカス】 ◆住所:長野県上水内郡信濃町古海 ◆アクセス:[車]上信越道 信濃町ICから約10km [電車]JR北陸新幹線 飯山駅から路線バスで約45分、長野駅からタングラムバス(有料・要予約)で約60分 ◆詳細情報はこちら大きな窓からの絶景が魅力の野尻湖ラウンジ(タングラムスキーサーカス) 竜王「KAMAKURA POT dining」で気軽にかまくら体験を! 竜王スキーパークに来たら、まずは、世界最大級の166人乗りロープウェイで、標高1,770mの山頂へ。グリーンシーズンには多くの観光客が訪れる、雲海発生率64.3%(スキー場調べ)というSORA terraceからの、斑尾山や妙高山、北アルプス、空気の澄んだ日には佐渡島まで見渡せるという絶景探訪がおすすめです。 そんな竜王にも今シーズン、映え&美味スポットが誕生しました! その名も「KAMAKURA POT dining」。日本の伝統文化であるかまくらを現代風にアレンジ。幻想的な雪景色を味わいながら、暖かいコタツに入って、気軽にお食事を楽しむことが可能です。SORA terraceで冬の雲海を堪能しよう(竜王スキーパーク) メニューも豊富で、3種類から選べる鍋にデザート、1ドリンクが付いたかまくらダイニングセットもあります。コタツだけでなく、暖房設備完備なので、気軽にかまくら体験ができると注目を集めています。 【竜王スキーパーク】 ◆住所:長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬11700 ◆アクセス:[車]上信越道 信州中野ICから約16分 [電車]長野電鉄 湯田中駅から無料シャトルバスで約25分 ◆詳細はこちらNEW映えスポット KAMAKURA POT dining(竜王スキーパーク) 八方うさぎ平で真冬にビーチラウンジを堪能! HAKUBA VALLEY白馬八方尾根といえば、最長滑走距離8,000m! 標高差1,000m超という国内最大級のスケールを誇ります。その絶景スポットもスケール・内容ともにハンパなく、標高1,400mのうさぎ平にこの冬、なんと!ビーチラウンジ「HAKUBA MOUTAIN BEACH」が登場しました。 ラウンジではゆったりと寛ぎながら、白馬豚や白馬産ブルーベリーを使ったオリジナルフード&ドリンクを堪能できるのはもちろんのこと、サウナやジャグジーでリフレッシュも可能。絶景でココロを癒すだけでなく、本当にカラダのケアまで! ❝絶景+リラックス❞をテーマにした、まさに絶景リラクシングテラスなのです。スキー場にビーチ?! HAKUBA MOUTAIN BEACH(白馬八方尾根) もうひとつ、ビール党の方におすすめしたいのが「Corona Escape Terrace」。世界で最も飲まれていると言われるメキシカンビール、コロナビールを飲みながら、白馬の絶景を堪能してみてはいかがでしょうか? 【HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根(長野)】 ◆住所:長野県北安曇郡白馬村八方 ◆アクセス:[車]長野道 安曇野ICから約50km、上信越道 長野ICから約45km、北陸道 糸魚川ICから約47km [電車]JR大糸線 白馬駅から路線バスで約10分、JR北陸新幹線 長野駅から特急バスで約60分 ◆詳細情報はこちらCorona Escape Terraceでコロナビール&絶景を堪能(白馬八方尾根)
tenki.jp 2020/02/28 00:00
『真田太平記』第0話 日本一の兵
『真田太平記』第0話 日本一の兵
2019/04/15 11:30
「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話まで 浦沢直樹×糸井重里対談を全文公開!
「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話まで 浦沢直樹×糸井重里対談を全文公開!
「本職の前で」と言いながら、ペンを取る糸井さん(右)。手塚先生の目の描き方に時代がみえると、実際に描いてみせる。ステージ後ろのスクリーンに映しだされた絵を見ながら説明を聞く浦沢さん(左)(撮影/今村拓馬) 【写真2】手塚先生の「掛け合わせ」を実際に描いてみせる浦沢さん(撮影/今村拓馬) 【写真3】影の描き方を実践する浦沢さん(撮影/今村拓馬) 【写真4】影で寂しさを表現することもできる(撮影/今村拓馬) 【写真5】上段左のアトムがはいている海パンにベルトがある。二段目の真ん中が、着陸しようとしているアトムだ(撮影/今村拓馬) 【写真6】ゴルゴ・ブラックジャック。新しい方向にちょっとでも向かおうとする手塚先生の姿勢を感じられる(撮影/今村拓馬) 【写真7】糸井さんが描いたミッキーマウスの目。丸で囲むと杉浦茂先生になる(撮影/今村拓馬) 【写真8】うーーーん(撮影/今村拓馬) 【写真9】かっきーーん!(撮影/今村拓馬) 【写真10】荒木さんの「あしたのジョー」を再現(撮影/今村拓馬) 【写真11】だらーんとしたジョーの腕が荒木伸吾だという(撮影/今村拓馬)  2016年5月29日に有楽町・朝日ホール行われた、第20回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)贈呈式と記念イベントは、盛況のうちに幕を閉じた。20年の節目を記念して行われた特別イベント「漫画家という仕事~描線ということば~」浦沢直樹×糸井重里対談で、「実は昔漫画家になりたかった」と紹介された糸井さん。2度の手塚治虫文化賞受賞経験のある浦沢さんとともに、漫画家という仕事の、謎と魅力に迫った。貴重な対談を、ほぼ全文の形で紹介する。 *  *  * ■本当は漫画家になりたかった? 浦沢直樹(以下浦沢):漫画家になりたかったんですか? 糸井重里(以下糸井):なりたかったですよ。 浦沢:いくつくらいのとき? 糸井:中学のときが一番なりたかったかな。消去法の面もあるんですけど、働くのがいやだったので(笑)。 浦沢:あはは。漫画家だって仕事ですよ? 糸井:そうなんです。気づいてなかったんですよ、それに。 浦沢:漫画を描くのは遊びで仕事じゃないと? 糸井:そう。上司がいるのが嫌だったんですよ。怒られるのが嫌だった。で、編集者が締め切りだからって催促に来る漫画をいっぱい読むんですけど、それも楽しそうに見えたんですよ。 浦沢:でもそうやって追い込まれたり、何やかんや一番ひどい仕事ですよ。 糸井:知っていれば思わなかったかもしれないね(笑)。結局のところはなれないと思ったので、よかったです。浦沢さんなんかはまだ社会人として人に接しようとしてるけど、僕がやってたら無理ですね。 浦沢:あはは、社会に出ない? 糸井:社会から断絶しちゃったかもしれないなあ。だって、アシスタントがいるかいないかは別にして、背景の絵まで描いているわけじゃないですか。漫画家が描かないものは漫画の中に一切出てこないわけですよね。白紙から、それを毎週何本も描いているわけですよね。 浦沢:地獄ですよ。 糸井:本当になれなくてよかったし、今も、尊敬してます。浦沢さんばかりでなく、すごく簡単なように描いている人も含めて、漫画に対するリスペクトというのは、ぼくはものすごく高いですね。 ■漫画家と締め切り 浦沢:以前、糸井さんのラジオに出たころが、僕がメディアに少しずつ出始めた時期で、あの時に糸井さんがラジオで「浦沢さんそんなにしゃべるのに、今までどこで何やってたの?」ってね。言ってましたよね? 出る時間がなかったんですよ。月6回締め切りがありましたので。外に出る時間がなくて。 糸井:はあ。月に6回……。もちろん、1枚ずつ原稿を渡すわけじゃないんですよね? 浦沢:原稿を1枚ずつ渡す漫画家さんもいるにはいるらしいですよ。 糸井:間に合わなくて? 浦沢:間に合わなくて。それ一番ダメな仕事の仕方なんですよ(笑)。描いちゃ渡し、描いちゃ渡しみたいなね。 糸井:最低でも何ページですか? 浦沢さんがやっているのは。 浦沢:週刊誌は18枚ですね。 糸井:18枚だから、札束のようにこうトントンとやって、渡すわけでしょ? 浦沢:トントンとやりたいんだけども、雑誌の折りの具合ってのがあるんですよ。製本するにあたって、反対側のページの原稿が描き上がってる場合、こっち側も入れてくれってことになるんですよ。で、反対側の作家さんに、早い人がいるんですよ。あっち側ができてるから「とりあえず刷りたいから、こっちも描いてくれ」って言われるんだけど、それが最後の2ページだったりするんですよ。今から描こうとしてるのに、いきなりクライマックスを描かなきゃいけなくなったりするんです(笑) 糸井:いきなりね。 浦沢:そう。頭で考えて、「あー!」みたいなクライマックスの演技を描くんですけど、できあがってみると、だいたいダメなんですよ。 糸井:時間の流れが違うんですね。 浦沢:前から描いていかないと、ちゃんとした演技にならないんです。演技のつながりだから。だからいきなり最後の2ページのクライマックスをぱーんと描いても、最初から今度描いていくと、演技が合わないんです。 糸井:違う芝居をつなげたみたいになっちゃうんですね。 浦沢:そうなんです。 糸井:それは読者でも気づく人いるんだろうか? 浦沢:どうなんですかね。だから単行本の時に描き直したりするんですけどね。 ■作品でわかる漫画家裏事情 糸井:浦沢さんは他の方がそういう目に遭っていそうだなってわかるでしょ、きっと。よその漫画家さんの仕事が、何か事情があったな、みたいな。 浦沢:まあ事情はずいぶん見えますよ。 糸井:でしょうね。 浦沢:異様に空が広いな、とか。見開きで空かあ、とかね、ありますね(笑) 糸井:アシスタントが途中で辞めたんじゃないかとか。 浦沢:いいアシスタントが入ったなとか、いいアシスタントが抜けたなとかわかりますね。後は、よほどのことがあったんだなという絵のときもありますね。 糸井:よほどのこと(笑)。だいたい週刊単位で連載があるということ自体がすごいですよね。だって1週間なんて、みなさんそうだと思いますけど、今日日曜日だなと思っても、すぐ次の日曜日が来るじゃないですか。この速度の中で原稿を渡しているわけですからね。 浦沢:一番ひどいのが、ある雑誌が木曜日校了なんですよ。木曜日に締め切りがあってそこに入れられない場合、「ごめんなさい! ごめんなさい!」って言うと、「じゃあ翌日金曜日」なんて言うんですよ。だけどそれも無理な場合、「本当ごめんなさい!」って言うと、週明けて月曜日っていうのが奇跡的に大丈夫なときがあるんですよ。 糸井:中3日使えるんだ。 浦沢:はい、製版所が土日休みとかで。それで、ひーひー言って月曜日に納めるじゃないですか。寝てないような状態で。ハッって気づくと、もう次の木曜日が目の前なんですよ。これはもうねえ、地獄ですよ。 糸井:なんか聞いてるだけでドキドキする(笑)。落ちたことはないんですよね。 浦沢:ぼくは落ちたことはないです。きっちり向こう3カ月くらいのスケジュール作って、それでわりとぴったり合わせているんですけど、スケジュール上で「MONSTER」と「Happy!」がどうしても重なっちゃうなという。そこはどっちか休み。 糸井:それはあり得たんですね。 浦沢:3カ月前に休みを入れるのは、落ちたってことにはならないんですよ。別の人を用意しますから。 糸井:なるほどなるほど。計画的にそこは…… 浦沢:目次とかに載っちゃってるのに載ってないのが落ちたってことです。表紙にいるのにいない、みたいな(笑) 糸井:あり得るでしょうねえ。 浦沢:そういうやつが落ちたっていうんですよね。 ■最初の読者でなければならない 浦沢:ぼくこの間、手塚プロダクションで手塚治虫さんのスケジュール表を見せてもらったんですよ。 糸井:残っているわけですか? 浦沢:1977年11月ってやつ。「マガジン」「チャンピオン」で毎週描いていたのが「三つ目がとおる」と「ブラックジャック」なんですよ。さらに「漫画少年」でも「火の鳥」を描いていたんです。で、「希望の友」で「ブッダ」。「ビッグコミック」が「MW(ムウ)」、「サンリオ」って書いてあるのが「ユニコ」ですね。それが、同じ月の中に入ってるんですよ。異常ですよね。 糸井:異常ですねえ。それ締め切りいくつあるんだろう。 浦沢:まず週刊誌だけで8本ですからね。 糸井:そういうケースって浦沢さん自身に当てはめたときに、原稿を渡した次の週の案は頭にもうあるんですか? それともコンテぐらいはあるんですか? 浦沢:うーん、ありそうでない。 糸井:浦沢さんでも? 浦沢:うん、描いてるうちに「こうじゃねえな」と思いだしちゃったりすると、もう全部なしになっちゃうから。日本漫画の素晴らしいところは、即興性ですね。 糸井:そう!(笑) 浦沢:パッと思いついたら、もうストーリー全体もバッと変わっていくみたいな。 糸井:そこをまあものすごく利用したのは赤塚不二夫さんだとは思いますけれど。 浦沢:そうですよね(笑)。実物大バカボンとか、思いつきで描いちゃう。7年とか8年とか連載が続く状態で、最初に思ったことを7年間貫徹するというのはすごく立派な感じがしますけど、絶対飽きますってそんなの。 糸井:自分が飽きていくわけですよね。 浦沢:作り手が飽きちゃった作品ってのは、絶対面白くないですから。描きながら作り手が、「えっ、こうなるんだ」ってワクワクドキドキしながら描かないと、作品絶対面白くないですから。予定調和でこうなるんだって作ってるとね。だから、あれだけ年月かけられたのはやっぱり、作者が驚いていたということでしょうね。 糸井:俺が描いているものを「いいなっ!」って思うってことですね。 浦沢:最初の読者じゃなくちゃいけない。「えー! そんなことになるの」とか言いながら作ってますから。 ■二人の天才がひらめくとき 糸井:へとへとに苦しくなったときって、基本的にはひらめかなくなると思われがちですが、逆もあるんでしょうね。もうダメだ何も出ないっていうときに……。 浦沢:「もうダメだ何も出ない」を越えると、何か出ますよね(笑) 糸井:そうやって言語化できるような世界ですか? 浦沢:端的によくあるのは、「もうダメだあ」ってバタって倒れて、「うぅ~」って起きると「わかったあ」ってなるんですよ。一瞬寝るんです。外界の音とかちゃんと聞こえてるんですけど、本当に気を失うんですね。そんで「うぅ~」って起きると、「わかったあ」って言って描き出す。 糸井:そのわかったの内容は、まるまるわかってないですよねきっと。わかったことだけがわかった、みたいな状態になるんじゃないですか、一回。 浦沢:いやでも何かね、バラバラなジグソーパズルがあって、途方に暮れてて気絶して、起きたら組み合わさってたみたいな感じ。それは何度も体験してます。 糸井:浦沢さんの中でも、もう何度もあるの? 浦沢:うん。 糸井:そうやって最初から新しい漫画ができることだってありますよね、きっと。他の漫画の連載をしているときにひらめいたことが、今はできないけど次の漫画へってことはないですか? 浦沢:それもありますね。ずっとイメージはあるんですよ。「これは一体何だろう」みたいなのがずーっと。ひらめくといえば、こんなことがありました。新人のときに、ストーリーが浮かばない漫画家は一発でクビになると思ってたんですよ。だから編集者が「来週打ち合わせしよう。それまでに何か考えてきて」って言って、それで「考えてきました」って何か提示できなければ、「はい、君はもう来なくていいよ」って言われると思ってたんです。 糸井:面白い話を考えるやつが、漫画家の中心なんだと。 浦沢:はい。「何も思いつきませんでした」って言ったら、「もう君結構」って言われるんだろうなと思い込んでいたので。 糸井:デビューしてから? 浦沢:そう。それで翌日打ち合わせなのに、何も浮かんでなくて、「うーわあ、何にも浮かんでないわー」って。短編なんですけど。本当にね、夜公園に行って星空を見上げて、「神様ぁ」って言いましたもん、本当にね(笑)。「ぼく何も浮かびません」って。「何かアイデアをください」 糸井:それはその自分が間違ってたんですかね? 今にして思えば。アイデアなんてなくてもいいやぐらいに今はなるんですか? だって、ずっと(アイデア)出してるじゃない。事実は。 浦沢:はい。その後、その日のことが自信になっていくんです。その翌日、打ち合わせの日になって、電車に乗って神保町の小学館に向かってるんだけど、まだ何も浮かばないんですよ。で、遠足の子どもたちがぞろぞろぞろって(電車に)乗ってきて、おっ何かネタになりそうだと思ってじーっと見てたら、ただうるさいだけで(笑)。うるせーなーとか言って、考えがまとまんねーじゃねーかとか思っているうちに神保町に着いちゃって。それで「着きました~」って今も一緒にやっている長崎(尚志)さんが、当時担当編集者でしたから、公衆電話で連絡して、「じゃあ喫茶店で話そうや。歩いて行くから途中で落ち合おう」って、向こうから長崎さんが歩いてきちゃうんですよ。で、わーダメだ、もう一巻の終わりだ、何もないって。それが、交差点のところで「おぅ! 何か浮かんだ?」って言われたときに、「えーとですねえ、悪党がですねえ、ウサギのぬいぐるみを被ってですねえ」って何かしゃべってるんですよ、自分が。何言ってんだろうなと自分でも思ったんですけど(笑)。それで長崎さんが「お、何か面白そうな話じゃん。詳しく聞かせて」なんて言って、喫茶店で「それでその悪党がウサギのぬいぐるみに入って何やってんのそれ?」みたいな話で打ち合わせが始まったんですよ。その時に、これはここまで考えると何か出てくるなっていう。そういう自信にはなったんですよ。 糸井:違う次元かもしれないけど、実はぼくも浦沢さんと同じようなことを繰り返してきましたね。例えば今回時間をたっぷりもらったから、一番いいのを作ろうと思っても、出てきたためしがないですよね? 浦沢:そうですよね(笑)。そんなものは必要ない。 糸井:それこそ神に祈ったらおりてきたということも、ない。 浦沢:ない(笑)。そんなもん、神様なんていないですよね、創作の神様。 糸井:テレビを見ていてヒントを見つけるということもない。そんで本棚の全然関係ない本を出してみても、ない。何にもないなーって言って、ちょっと寝たとか。 浦沢:そうですねー。ぼくの場合はよくガラスを拭きますね。 糸井:いいですねえ(笑)、何ですかそれ。 浦沢:ガラス磨きをしたり、ほこりをとったりしている時間。あの人掃除ばっかりしてるなっていう。それとなんか寝るっていうのはちょっと似てるかなって感じがしますね。 糸井:お風呂はどうですか? 浦沢:あ、お風呂は1回あります。 糸井:お風呂はいいですよね。 浦沢:三谷幸喜さんと話していて、「お風呂はある」って。お風呂も、三谷さんいわく、お風呂からあがって体を拭いている瞬間とかそのぐらいがいいんだよねって(笑)。一番何にもなくなる瞬間。 糸井:あー、から拭きね。 浦沢:ふぁーって何か頭のなかで考えるという作為がぽーんと飛んだ瞬間に、ふぁって何か浮かんでくる。考えようとしていること自体が、すでに浮かばない状態にしちゃっているという。禅問答みたいですけど。 糸井:そこはみんなね、ちょっと何かやってる人はわかると思うんだけど。ロジックで追い詰めていって、「~のはずだ」ってものに答えはないんですよね。お風呂が何でいいかっていうのは、ぼくはお風呂がとても多いんだけど、いま考えたいテーマじゃない、別の“いいこと”を考えるんですよ。で、それをメモしておくと、後で使えるんですよね。 浦沢:浮かんじゃうんですよね。 糸井:浮かんじゃう。やっぱり比重が(笑) 浦沢:あ、お風呂でね(笑) ■「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話 浦沢:ぼく「20世紀少年」がそれなんですよ。「Happy!」の最終回を描いて、やったー! 終わったー!って。「YAWARA!」から「Happy!」にかけて、14、5年週刊誌でやってたので、もう二度と週刊誌なんかやるもんかって、最後の原稿渡して。「わー! かんぱーい!」ってやって、それで「やれやれ~」ってお風呂入って、あーもう週刊誌なんか二度とやるもんかーって湯舟につかってたら、国連総長みたいなのが「彼らがいなければ、21世紀を迎えることはなかったでしょう」って演説するシーンが浮かんだんですよ。 糸井:おぉ! 浦沢:それで、ん!?何だこれ!?って、その「彼らを紹介しましょう」って国連総長が言うと、メンバーが出てきて、「20世紀少年」っていうタイトルが出て、っていうのをお風呂あがってからメモに書きとめたんですよ。で、何だろうこの話はっていう、そこから始まったんですよ。二度とやるもんか、週刊誌なんか描くもんか、もう何も考えたくないってなった瞬間に、わって浮かんだんですよ。 糸井:その時に、国連が出ちゃったんだ。しゃべった? そのことはすぐに誰かに? 浦沢:そのメモを、スピリッツ編集部にFAXしたんですよ。こんなのが浮かんじゃいましたって。 糸井:は~。よかったですねえ。 浦沢:いや、描く気ないですよ(笑) 糸井:そうなの? 浦沢:もうこりごりですから。でも浮かんじゃったからしょうがなく描いたんです。週刊誌なんてもう二度とやりたくない! あんなスケジュールの世界はやだって思ってたけど、浮かんじゃったんで。 糸井:何で週刊誌に送ったんだろうね(笑)。飛んで火に入る夏の虫じゃないですか。 浦沢:しかもね、1998年くらいに浮かんだんですよ。で、このドラマは1990年代中に、20世紀中に始めなければいけないドラマだなって思って、うわーもうすぐ始めなきゃいけないじゃんってなって(笑) 糸井:状況は自分の首を絞めるようなことばっかりですよね。俺はやらないって言っておいてね(笑)。いちいちもう、ぼくもそういうのあるよなと思うんだけど。これ誰かがやればいいのにっていうアイデアがよく出るんですよ。読みたいなとか、そういうのあったら俺絶対お客になるんだけどな、買いたいなとか、それを自分でやることになるんですよ。 浦沢:ほんとそれ。「PLUTO」はそれですもん。 糸井:あれも読みたかったんですか!?(笑) 浦沢:「PLUTO」も、鉄腕アトム生誕2003年に、生誕年なので、みなさんで鉄腕アトム生誕をお祝いする何かをやりましょうよっていうことをアナウンスされて、何かやりませんかって言われたときに、ぼくが鉄腕アトムの中で一番人気の「地上最大のロボットの巻」のリメイクとかに真っ向から挑むような、気骨のある漫画家はいないもんかね」なんて言ったんですよ。そしたらまわりにいた編集者に「自分で描きゃいいじゃない」って言われて。 糸井:その一言だよね。 浦沢:で、いやいやいやいや、とんでもないとんでもないとんでもないって言ってて。ぼくはだからそういうものが見たいって言っただけなんですよ。 糸井:それ、ぼくも相当近いなあ。 ■自分が読みたい漫画を自分で描く 糸井:話を聞いてて、他の漫画家のこと語るときの浦沢さんすごいいきいきとしてますよね。 浦沢:あ、楽しいですよね(笑)。人の漫画は楽しいですね。 糸井:ねえ。で、同時に自分が漫画家なんですよね。 浦沢:うん、だから世の中にこんな漫画があったらいいのになーって思う自分がいるじゃないですか。こういうの読みたいな、で一番手っ取り早いのが自分で描いちゃうっていう。それは子どものときからですね。こういうのがあったらいいんじゃないかって、じゃあ自分で描いちゃえばいいじゃないかっていう。「あしたのジョー」の単行本を1巻2巻って買ったんですけど、3巻買うお小遣いがなかったんですよ。小学校3年くらいのときに。それで、じゃあいいや自分で描いちゃえって描き出したんですよ。 糸井:あはは。お話は知ってたの? 浦沢:うん、少年マガジンで読んでましたから。 糸井:読んでいたのを再現したんだ、自分で。 浦沢:そう、それで単行本の大きさに紙を切りまして、こういうふうにやればいいのかな、なんて折って(笑)。それ描き出したんですよ。サイズ小せえなとか言いながら。 糸井:いいなあ~。 浦沢:で、数ページ描いたところで、それ最終的に頓挫したんですけど、単行本ってこう見ると、背中のところで何か糊(のり)みたいなもので束ねられてるじゃないですか。この糊なんだろうなと思って。で、不易糊(ふえきのり)じゃねーよなあなんて言いながら(笑)。指でぐっぐっとやって、硬いなあって、これは素人が手に入れられるやつじゃないなあって。それでやめたんです。 糸井:はあ~。そんなのとっておいたら面白いだろうねえ。 浦沢:ね(笑) 糸井:捨てちゃうんですよねえ。製品っていうか商品としてあるもの、例えば漫画とかを自分で作ってみようと思う気持ちそのものが、なんかすごく面白いですね。ぼくは小学校のときにボールの硬球を見たことがなかったので、革でできていて縫い目が108つあるっていうのを本で読んで、靴屋さんに作ってもらったことがあるんですよ。 浦沢:形を? 糸井:そう。縫うのも全部やってもらったんで、今の自分とそっくりなんですけど、自分ではやらないんですよ。これをこうやってって言って、中にコルクが入ってて、ゴムが巻いてあるとか読んでたんで、それも全部準備して靴屋さんに渡して、これでどうかなって言ったら、やっぱり緩いんですよ。ピチっとならないんですよ、革も違うし。本当に出回っているものを自分で作るのは大変なことだなって。浦沢さんがそんなことやってたくらいの歳のときにぼくもやってましたね。 浦沢:何だろう、あるものを自分で作ってみたいっていう。そんな感じなんじゃないですかね。 糸井:そうそうそう(笑)。電気洗濯機を作ってみたいっていう気持ちも、自作パソコンを作ってみたいっていう気持ちも同じかもしれないですね。 浦沢:その感覚すごく近いですね。本というものを自分の手で作ってみたいっていうのが自分で描く作業としての始まりなんですよ。 糸井:間のプロセスで、ものすごくいろんな大人の苦労があるっていうのはあんまりよくわかんないから、できるんじゃないかなあって思う。地上最大のロボットを自分で描くときに、絶対できないって思ってたら始めないわけだから。 浦沢:そうですね。 糸井:ちょっとできるんじゃないかなあっていう(笑) ■手塚治虫漫画から受けた影響とは 浦沢:小学生のころから、手塚先生がどういうふうに描いているのかを分析するわけですよ。「掛け合わせ」ってどうやってやるんだって。ジーっと見て。実際に描いてみましょうか?(プロジェクターに向かう) 糸井:わあ、便利な講演会ですね。 浦沢:掛け合わせって、ざっくりいうとこうなんですね(※写真2参照)。これが掛け合わせっていうんですよ。手塚先生はこれがとってもきれいで、掛け方によると、模様みたいなものが出るときがあるんですよ。微妙に斜めにする、こうやってやると、モアレが出てくるんですよ。 糸井:手作業なのにねえ。 浦沢:そう。これを、ずーっと練習したんですよ。 糸井:はぁ~。世界中にそんな子どもが何人かはいたんでしょうね。浦沢さんだけじゃないんでしょうね。 浦沢:そうですね、たくさんいたと思いますよ。 糸井:たくさんはいないと思いますよ(笑)。スクリーントーンっていう発想はなかったんですか? 浦沢:スクリーントーンは20歳過ぎて新人賞をとった作品で初めて使ったんですけど、あまりにたくさん種類があって、どれを使ったらいいかわからない。まず、点々みたいなやつがあるんですよ。それを1センチ四方計りまして、点の数を数えたんですよ。 糸井:うん。 浦沢:それで印刷物は、120%で縮小されますので、それを計算して、この点でいけば、71番かなってぼく算出したんですよ。そうしたらね、実際は61番だった。 糸井:(笑、拍手) 浦沢:でそれを貼って、雲のところとかかすれたようになったのをホワイト筆で丁寧に消していったんですよ。 糸井:あ、多すぎる点をね。 浦沢:うん。したら編集者が、「浦沢くんこれホワイトで消してるけどさ、カッターで削るんだよ」って。あんときすっごいショックだったんですよ。うわー、カッターで削んのかーって。うーわー、削れるーって。 糸井:その技術があったら、またガーッと進化するわけだ。全くそれファンの目線ですよね。自分で描いてる漫画に対して、もう自分じゃなくてファンとして見てますよね。 浦沢:うん、漫画ファンですよね。 ■手塚さんからもらった「かっこいー!」 糸井:浦沢さんとぼくは全然違うタイプの人だと思ってたけど、自分が普段人に言ってることも同じような話ですよ。ぼくは文章書くときとか、企画するときには、コピーライターは依頼があって仕事するわけだけど、依頼があった人の一番いい所にいっては、いいことをしては駄目だと思っていて。その人が言いたいことがあるときは、一番前の列で聞いている人がいるから、その人の立場で考えるっていうことをしてきたんです。会社でも、みんなに文章を書くときとか、立ち位置の話をよくするんだけど、お客さんに近いところの一番前で書きなさいと。今のお話は、自分で描くごとに客席にちゃっと回ってますね(笑) 浦沢:そうですね。「かっこいー!」って思ったら、そっくりそのままいただくっていう。なんてことないんですよ。手塚先生の描いている……(再びプロジェクターに向かう)。 糸井:手が動くのは都合がいいねえ。 浦沢:そうねえ。簡単に説明すると、たとえば、なんだろう(絵を描き始める)。 糸井:あ、なんか手塚っぽいですよ。これ、火の鳥の人かなあ。 浦沢:人が立っているのを上から見た構図で、ここにこういうふうに影がこうやって入っているんですよ。この影を見た段階で、「かっこいー!」ってなるんですよ(※写真3参照)。 糸井:影によって季節を感じますよね。太陽の位置を。 浦沢:太陽の位置、そう、これが濃ければ濃いほど夏になったりとか。 糸井:これ手塚さんが考えたわけですよね、あるとき。 浦沢:そう、なんかね、こういうふうにした段階でこの男がどういうふうに地面に立っているかっていうそこに立体空間が出てくるっていう。それが、「わー! かっこいー!」って思って、それを一生懸命まねしたんです。 糸井:じゃあ浦沢さんの漫画にもこの影響はずばり出てるんですか? 浦沢:もうもろに。 糸井:その目で見てみたくなった。これ冬だったら長くなるし。 浦沢:影ってすごいんですよ。 糸井:影の話をするのに人体ぜんぶを描いたってところに、浦沢さんの誠実な人柄を見ました。棒1本だって描けるのにね。あ、また全部描いた。あーいいねー。 浦沢:これで、これだけ(影を入れる)でかなり寂しい絵になります(※写真4参照)。 糸井:寂しいですね。寒くなりますね。 浦沢:うん、これ半袖だけどね。 糸井:あ、長袖が買えない子だったんだね(笑) 浦沢:影はね、本当に大事ですよ。 糸井:そのもとは、手塚さんにもらったの? 浦沢:そうです。 糸井:手塚さん、あげた覚えないんでしょうけど(笑)。すっごいですねそれ。 浦沢:そういうことがかっこいい。 ■糸井重里さんがもらった「ま、」 糸井:ぼく自分のことでそういうことあるかなって思ったんですけど、「ま」って書いて点を打つんですよ。「今日は浦沢さんに会った。ま、前にも会ったことがある人だから」っていうその「ま、」っていう。その「ま、」は土屋耕一さんって人にもらったんですよね。「いいーーー!」って思ったんですよ。「ま、」一つで、本気で文章を書いてない感じが出るんですよ。 浦沢:あー。そうかー。 糸井:プラモデルのバリみたいなところですから。なきゃないで飛ばしちゃえばいいわけ。新聞記事には絶対「ま、」とは書いてない。「猿が逃げた。ま、その猿も長年……」って、その「ま、」一つでね。で、それを印刷される言葉に「ま、」って入れたことに、かっこいいー!って思ってね。今でも多用してますね。「ま、」は。 浦沢:丸つけるとかってあるじゃないですか。 糸井:あれも広告の中で、確か単語一つのっけて、「乾きに。」っていうのがあったんですよね。それも土屋耕一さんです。 浦沢:その丸つけただけで、かっこいー!って。 糸井:文章のようになるんですよ。 浦沢:そのかっこいー!って響くっていうのがすごく重要ですよね。 糸井:そうですね。だから丸っていうのはコピーライターがやるものだって思い込んでる人もいるんですけど、コピーライターがやるというよりは、誰かが書いたものですよっていう気がするんですね。俳句の最後に丸をつけたら、誰かが書いたっていう、誰かさんの匂いがするわけですよ。「不思議大好き」とか書いても丸って打たないと、不思議大好きって言葉は部品ってことになっちゃうんです。どう使ってもどこにはめてもよくなっちゃうんですね、不思議大好きが。でも「不思議大好き。」って丸を入れると、これ1個で全部のこと言いたいんですよっていう表現になるわけです。わけですっていうか、たぶん感じ方がそうなんだと思います。今の影の話も、見つけたから浦沢さんのところにDNAとして残って伝わったけど、浦沢さんが見逃してたら、そのままですよね。 浦沢:うん、そうですね。 ■手塚治虫の目の描き方にみる時代の変遷 糸井:目玉の描き方とか手の描き方って、漫画家の人が自分の記号としていっぱい持ってますけど、さっき楽屋でちょっとお話したしたんだけど、手塚さんの目の描き方の発明とその変遷があるんですよね。 浦沢:いろいろぼく今日テキストを持ってきたんですけど。糸井さん世代はやっぱりアトム? 糸井:アトムです。「少年」っていう雑誌にアトムが連載されていて、「少年」を読むにはぼくはちょっと幼かったので、「幼年ブック」ていうのを読んでいたんですけど、でも「少年」はお兄さんの雑誌で読んでました、憧れで。 浦沢:これ、復刊ドットコムさんで、当時のそのまま復刻してるんで。 糸井:このアトムです。この海パンにベルトがついてるっていうのがね(※写真5参照)。みなさんお笑いになりますけど、当時の海パンにはベルトがついていました。この真ん中の着陸しそうなアトムとかいいですよね。 浦沢:これ? 糸井:そう、手からシャーッと出てる。 浦沢:これねえ。なんかもうこれ見てるだけで、あのころのSF感っていうか、心躍る何かがありますね。 糸井:高さを子どもが感じられるんですよ。 浦沢:そう! こういうのかっこいー!ってやつですよ。 糸井:かっこいい(笑)。速度出してたらこの姿は見えないんですよね。 浦沢:そうですね、このページだけでもうご飯3杯くらいいけちゃう(笑) 糸井:ほんとだね(笑)。目の話は? 浦沢:さっきちょっと糸井さんと楽屋で話してたんですけど、『手塚治虫 原画の秘密 手塚プロダクション編』の後ろに載っているブラックジャックの目の周りが、変に黒々となってるんですよ。これ実は、ブラックジャックが登場する最初のコマなんですけど、これ印刷だと白いんです。でも原画で見ると黒々となってるんですよ。貼ってある修正の下に、大きい目が描いてあるんです。ブラックジャックを描くにあたって、目を小さくしようとしてるんですよね。で、これがどうやら時代に合わせていく手塚的なものであって、さっき糸井さんが楽屋で「あっ、これって!」って言ったのはこの絵ですよね。 糸井:この絵(※写真6参照)。 浦沢:どっかで見たことある状態になってる。 糸井:特にこの筋がね(笑) 浦沢:これゴルゴさん(会場笑、拍手)。眉毛がね。 糸井:眉毛まさしく筆で描いた一文字なんですよ。 浦沢:いわゆる時代は劇画になりつつあるところに、手塚先生がどのくらいそこにコミットできるか。自分の絵としてどこまでコミットできるかっていうことの実験なんでしょうね。 糸井:よく見てみると口の描き方もさいとう・たかをさんっぽいですよね。 浦沢:そうですよね。だからそこにリアリズムみたいなのを、背景もそうですけど、リアリズムが出てきてるわけですよ。だからやっぱり劇画というものと対抗してやっていこうとしていたんですが、そこにやっぱり自分も、自分の中で何ができるかっていうチャレンジをされていたんだろうなって思って。 糸井:あの忙しさの中で、新しい方向にちょっとでも向かおうとすること自体が……。 浦沢:漫画界の中で、手塚先生ほど絵柄が変わった人はいないんじゃないかって思うくらい、すごくフレキシブルに変わってる。 糸井:変わることで手塚治虫であり続けられたっていう。 ■日本漫画と海外漫画の違いとは? 糸井:これ、今ここで気づいたんだけど、戦後日本とアメリカですね。 浦沢:はあ。 糸井:あの、ごめんなさいね、本職の方の前で(筆をとる、会場笑)。違う紙にしましょうか、もったいないから。おおもとのもとに、この目があるんですよね(※写真7参照)。 浦沢:あー、はいはい、あります。 糸井:ミッキーやらなんやらの目ですね。で、これを丸で囲むと杉浦茂さんになるんですね。で、おおもとはこれなんですよ、一番が。もうちょっと点みたいになってるやつもあったんですけど、ミッキーの最初のころっていうのは、パックマンみたいだったりするんですよね。 浦沢:それだけだとね。 糸井:で、囲んで、これもミッキーだったんですよ。あと杉浦さん。手塚さんの初期のあたりっていうのは、このミッキーの流れじゃないですか。これがどんどん貸本漫画の劇画を媒介にして、ブラックジャックの目に至るわけですよ。 浦沢:そうですよね。 糸井:それは、手塚さんの動きかなにか全部、アメリカの動画の動きらしい描法から、手塚さんが離脱していくプロセスですね。電気製品から何から全部アメリカのデザインだし、アメリカから来たものをそのまま使っていた。それが唯一の価値だった時代から、日本ならではのデザインだとか生活という方向にいった歴史と、重なるじゃないですか。 浦沢:いわゆる日本漫画の形になっていくってことですよね。オリジナルの形になっていく。 糸井:そうですね。今の日本の漫画っていうのは、途中からアニメーションが入るんで、アニメーションって大量生産するための記号化がすごく激しく行われたので、そうなるとちょっとまた、もう一つ分かれると思うんですけど。個人が漫画家として描いてきた絵の変化っていうのは、アメリカと日本の関係に非常に符合するんじゃないでしょうかね。 浦沢:そういう初期の絵っていうのは、1枚でもTシャツのイラストになりますけど、1枚絵としての存在感が強いのは、やっぱりアメリカやヨーロッパの漫画なんですよね。 糸井:まったくその通りですね。 浦沢:日本の漫画は連なりなので、1枚ずつ取り出すと、それでは弱いんですよ。めくって、めくっていく。向こうは1枚を取り上げて、カレンダーになったり、まあタンタンとかもそうですけど。ミッキーなんかもそうなんですけど。1個取り上げてもそれでもう十分イラストになるんですよね。日本の場合は連なりに、1枚ではなく、何コマ、何ページで成立するっていうのはありますよね。 糸井:劇画の前まではみんなその丸っこい柔らかい描法で少年雑誌っていうのは描かれていましたよね。ちばてつやさんなんかも、デビューのころはまだそのにおいがしますもんね。 浦沢:そうですね。 糸井:あと何だろう、動きを面白くしようとしてか何だかわかんないけど、昔のアニメで崖のこっち側から走ってきて、崖を越えてるのに空中に浮いてて、気づいたら落ちるってあるじゃないですか。意識と現実のDelay(遅れ)ですよね。 浦沢:はい。 糸井:人体の動きも全部Delayしてる気がするんですよね。手塚さんの初期のころでも、スローモーションの遅れみたいに見えるんですよ。それ今もう全く日本の漫画にはないですよね。 浦沢:なくなりましたね。宮崎駿さんが、ルパン三世でタタタタタタタって下りて行って、普通だったら落ちちゃうのにそっからひょいーんっていっちゃうのは、あれはもう、アニメがもう……(映画「ルパン三世 カリオストロの城」、ルパンが屋根から屋根へジャンプするシーン)。 糸井:ひっくり返したってやつですね。 浦沢:うん、ひっくり返した。 ■アニメは漫画のDNAを途絶えさせた? 糸井:アニメっていう新しい流派が生まれて、ぼくの代わりに君が描いても「巨人の星」は成り立つよねっていう文化が入った気がするんです。あそこからはまた描法についてのDNAが途絶えるようにも思えるんですよ。 浦沢:あの、描き手としての? 糸井:描き手としての。 浦沢:ところがぼく、いろんなところで言ってるんですけど、「巨人の星」のアニメチームを、東京ムービーというところがやってたんですけど、ぼく当時まだ10歳くらいで、あれが4チームか5チームで描いてるのを見抜きまして。 糸井:すごい(大笑) 浦沢:うまい人、うまい人、普通な人……下手な人みたいな感じのチームで(笑)。で、指折り数えていくと、花形(満)が大リーグボール1号を打つ回は、下手な人になっちゃうわって……。 糸井:あー、順番が。 浦沢:やばいぞと。あの人でもつのか、って思ったら、間になんか、何その話っていう雑誌で見たことのないグランドキーパーのおじさんの話みたいなのが入ったりするんですよ。 糸井:うんうん(笑) 浦沢:で、間延びして、あ、ここにこれが入るってことは、お、もしかしてあの人、みたいな感じでちゃんとクライマックスは一番うまい人が、荒木伸吾さんって人なんですけど。荒木伸吾さんが描いた花形満が大リーグボール1号を打つシーンっていうのがね、それをぼくもう、ビデオがない時代じゃないですか。もうジーっと見てね。 糸井:観察して(笑) 浦沢:(放送が)終わってから新聞広告の裏に、もう何枚も何枚もそのアニメのセル画のように、こうなって、こうなって、こうなったっていうのを描きましてね。 糸井:すごいですねそれ。なるほど。 浦沢:はい。今でも描けますよ(笑いながらプロジェクターに向かう) 糸井:描き分けをするわけですね。大量生産できるようになったのに、個性の描き分けを。 浦:(描きながら)あのこれが、花形が…… 糸井:あ、もう花形を感じます。 浦沢:こうなって、こういうふうにきて、ここに、ボールが当たるんですよ。 糸井:うんうん。 浦沢:それで、うぅーんって、うにって。こうなる。阪神(ユニフォームに棒を引く、会場笑、※写真8参照)。それで、次このざっくりいきましょうね。これがね……こんな感じでこう……ボールが上に……。 糸井:あーーーー! 浦沢:で、こうでしょ?(※写真9枚目参照) 糸井:(絵を順番に見せながら)うーーーん、かっきーーん!(会場笑、拍手) 浦沢:これね、これ小学校のとき何度も描いたんですよ。 糸井:いい! そうか、その作画演出っていうジャンルがもう一つ生まれたんだね。 浦沢:そうなんです。こんなふうに見えるんだ、こういうふうに描くと、って。 糸井:うれしかった? 浦沢:うれしかった! 糸井:それを自分でもう漫画とかで描いてたんですね? 浦沢:描いてました。 糸井:応用したわけですねきっと。 浦沢:こういうの見たらそれ全部応用されて、自分の作品に使われるんですよ。 糸井:はー。 浦沢:眉毛太くなっちゃって(会場笑) 糸井:はあー。この時代にね(笑) 浦沢:うん(笑) ■面白いアニメにはいつも同じ名前が! 糸井:自分はアニメになったときに、がっかりしたタイプの人間だったんですよ。ぼくの親しんでいたうまい下手、好き嫌いは手塚さんが中心だったんで、手塚さんから離れていくと、ちょっと違うなって思っちゃった。劇画側の人にも慣れていったんで両方受け取るんですけど、どっちにしてもこのくらいの完成度みたいな基準が何となくできていたんで、アニメーションで見ると、これ違うじゃないかと。 浦沢:はい、うん。 糸井:で、アニメにぼく近づかなくなったんですよね。 浦沢:はいはいはい。 糸井:でも浦沢さんはそこは貪欲に。 浦沢:貪欲に。面白いアニメだな~って思うと、「みやざきしゅん」って人の名前が入ってるんですよ(会場笑) 糸井:そこも見てたんだ。 浦沢:見てました。 糸井:録画とかなくて? 浦沢:はい。 糸井:はあ。 浦沢:面白いって思うところには、なんかいつも同じメンバーがいて。さっき話した東京ムービーが「巨人の星」を作っていたころに、虫プロダクションが作ってた「あしたのジョー」を見て、明らかに同じ人が描いてるって思ったんですよ。それで、後に「YAWARA!」をアニメーション化するにあたって、もうあのころから30年後くらいですかね、マッドハウスの丸山(正雄)社長とお話ししていて。で、丸山さんって「あしたのジョー」とかでバーンと制作者で名前出ますよね。で、「巨人の星」の花形満の回を描いた人が、「あしたのジョー」も描いていたような気がするんですって言ったら、そしたら、それ荒木伸吾だよって。 糸井:異動したんですね。 浦沢:いや、同時に描いてたんですよ。 糸井:はー。そしたら「あしたのジョー」でも、さっきの花形のホームランみたいに、相手が飛んでくシーンとかあった? 浦沢:あのね、えっと荒木伸吾さんの特徴としてね……(筆を持つ。会場笑、拍手)。荒木伸吾さんの特徴としてね、こう(※写真10参照)。 糸井:おー。ジョーだ。ジョーだじょー(会場笑) 浦沢:でね、これ、腕はね、こういう感じでね。 糸井:だらーんですか? 浦沢:だらーんがね、ちょっと手がでかめなんですよ。 糸井:ほうほう。 浦沢:わりとね、こういう感じの手なんですよ。 糸井:だらーん感が出るんですかね。 浦沢:そう、こうやるとね、この手の感じ、これがね、荒木伸吾さんなんですよ(※写真11参照)。 糸井:これはね、急に「はい」って言えないよ(会場笑) 浦沢:これね、わかる人は「うんうん!」って言ってくれると思う。 糸井:素手でもいいんですかこれ。ボクシング。 浦沢:あ、これ、これは少年院の服です(会場笑) 糸井:あ、少年院だから。なるほど。 浦沢:や、これね、わかる人はにはわかるはず。ちょっと手がでかいんです。 糸井:動画になっても浦沢さんの追跡は続いていた。分類されても、されても、あらゆるジャンルでこういうふうに見るようになったってことですね。 浦沢:そうです、そうです。 糸井:それが今の浦沢漫画に生きてると。 浦沢:「侍ジャイアンツ」にどうも、あれは何だったかな、「ハイジ」だったかな。 糸井:あはは。 浦沢:「ハイジ」やってる人が「侍ジャイアンツ」にいるって思ってたら、ジブリの鈴木敏夫さんが「侍ジャイアンツのオープニング、宮崎駿だよ」って(会場笑、拍手) 糸井:それなら、おまけみたいな話だけど、マリオの中に宮崎チームがあるのはわかりますか? 浦沢:え、なになに? 糸井:小田部(羊一)さんっていう人が、後に任天堂に入ったんで、任天堂のゲームの動きは、小田部さんの指導を受けてるんですよ。 浦沢:あー、そうなんですか。 糸井:社内に入ってますからね。 浦沢:あの「ひょーい」が(会場笑) 糸井:そう、そうなんですよ。 浦沢:「てぃてぃてぃてぃひょーい」ってやつが(会場笑) 糸井:宮本(茂)さんが動きをつけるときに、小田部さんの指導を受けてるんですよ。 浦沢:あのチームの動きなんだ。それは面白いわけだね。 糸井:そうです。東映動画からの流れです。終わりにしないと怒られそうなので(会場笑、拍手) 浦沢・糸井:ありがとうございました。
糸井重里
dot. 2016/06/18 16:00
西原理恵子のダーリンも登場? しりあがり寿×西原理恵子 爆笑画力対決
西原理恵子のダーリンも登場? しりあがり寿×西原理恵子 爆笑画力対決
最初から最後まで、会場を含め大笑いの対決になった。左から、しりあがり寿さん、八巻和弘さん、西原理恵子さん(撮影/今村拓馬) 【写真2】うまくなった西原さん作の「じみへん」と「よつばと!」(撮影/今村拓馬) 【写真3】しりあがりさんの「じみへん」と「よつばと!」。八巻さんが「どっちかわからない」と評しただけはある?(撮影/今村拓馬) 【写真4】西原さん作「孤独のグルメ」。中井貴一っぽい?(撮影/今村拓馬) 【写真5】しりあがりさん作「孤独のグルメ」。会場から歓声が上がった。ちなみに、食べこぼしているのは塩辛だそうだ(撮影/今村拓馬) 【写真6】しりあがりさん作「手塚アトムと浦沢アトム」。だいたい合ってる?(撮影/今村拓馬) 【写真7】西原さん作「手塚アトムとPLUTOのノース2号」。会場の人たちも、笑いながらバシバシ写真撮影(撮影/今村拓馬) 【写真8】しりあがりさん作「ヒカルの碁」。学生服にしちゃったのが敗因?(撮影/今村拓馬) 【写真9】西原さん作「ヒカルの碁」。よーじやの人です(撮影/今村拓馬) 【写真10】西原さん作「OL進化論」。イラつくアマと書いてある(撮影/今村拓馬) 【写真11】しりあがりさん作「OL進化論」。机を定規で描いたが、線がはみ出ている……(撮影/今村拓馬) 【写真12】しりあがりさん作「ポーの一族」。今回は完璧?(撮影/今村拓馬) 【写真13】西原さん作「ポーの一族」。見開きの大作だ(撮影/今村拓馬) 【写真14】西原さん作「まんが道と手塚治虫先生」。手塚先生というよりも、左門豊作?(撮影/今村拓馬) 【写真15】前髪を描き足すと、テラさんに(撮影/今村拓馬) 【写真16】しりあがりさん作「まんが道と手塚治虫先生」。手にしているのはフランスパンではなく、ものさし(撮影/今村拓馬) 【写真17】西原さん作「ドラえもんとアンパンマンとピカチュウ」。やなせたかし先生のお墨付き?(撮影/今村拓馬) 【写真18】しりあがりさん作「ドラえもんとアンパンマン」。ドラえもんがアンパンマンを……(撮影/今村拓馬) 【写真19】西原さん作「ブラックジャック」高須ジャックに手術される西原ピノコ(撮影/今村拓馬) 【写真20】しりあがりさん作「ブラックジャック」。なんと、2色使い!(撮影/今村拓馬) 【写真21】(撮影/今村拓馬)  2016年5月29日に有楽町・朝日ホール行われた、第20回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)記念イベントで、漫画家の西原理恵子さんとしりあがり寿さんによる10年後の因縁の対決「画力対決七番勝負 ふたりとも、10年経って絵は上手くなりましたか?」が行われた。実はまさに10年前、第10回手塚治虫文化賞贈呈式の記念イベントとして、「画力対決7番勝負」を行っていた2人。10年ぶりの対決では、画力もさることながら話術もさえ渡り、会場を大いに沸かせた。貴重な画力対決の様子を、ほぼ全文の形で紹介する。司会は小学館の編集者、八巻和弘さんだ。 *  *  * 八巻和弘(以下、八巻): 10年ぶりです。10年前にいらした方いらっしゃいますか? あ、いらっしゃいますね。すごい。あれ以来全然変わっていませんので。 西原理恵子(以下、西原):絵柄も全く向上してませんし。 しりあがり寿(以下、しりあがり):どっちかというと、下手になってるよね。老化してるから。 八巻:10年前にここで、まさにこの3人でやらせていただいて、僕と西原さんは商売人なので、それをそのまま「人生画力対決」というマンガの連載にしまして、単行本を8冊も出させてもらいました。おかげでマンガ連載がひとつ出来たので、大変ありがたかったです。この10年の間で、しりあがりさんはほとんどアーティスト状態で……。 しりあがり:いやいや、それは。それ、ほめてないよね? 八巻:ほめてますよ(笑)。今度、展覧会やるんですよね? 西原:なんか一個しかない椅子にうまく座ったよね、しりあがりさんは。 八巻:あと、しりあがりさんあれですよ、紫綬褒章。もらってますよね? しりあがり:一昨年ですかね。 八巻:勲章まで。 しりあがり:でもこんなちっちゃかったんですよ。うずらの卵みたいな(笑) 西原:でもなんでももらっとかないとね。はい。 ■まずは受賞作で本人確認? 八巻:それでは最初に、2人の受賞作を一回ここで書いてもらって。しりあがりさんは「弥次喜多 in DEEP」ですよね。 しりあがり:自分のマンガ描くの? 西原:もう覚えてないでしょ? しりあがり:まあ覚えてないよね。 八巻:じゃあ、ここ(プロジェクター上)で描いて下さい。生描きで。 西原:本人証明で偽物じゃないっていう。 しりあがり:なるほどね。 西原:手塚さんところのご長男じゃないってことを(会場爆笑) しりあがり:いやこれ、かえって俺怪しまれるんじゃない?(笑) 西原:本人覚えてません、弥次喜多なんて覚えてません!(笑) しりあがり:描きまーす(描く)。緊張して駄目だ……。 西原:これで数万円稼ぐんだから、一瞬で。ほんと楽な商売ですよ。 しりあがり:できました! やべー緊張した。 八巻:では続いて西原さん。西原さんは「毎日かあさん」ですね。朝日新聞の会場ですけど、毎日かあさん。 西原:ああ、かあさんで受賞したんですね、私。 八巻:あと「上京ものがたり」なんですけど、それは描きにくいでしょうから、こっちで。 西原:あんまり人のことはいえませんけどね。 八巻:でも西原さんは絵がうまくなりましたからね。 西原:うん、だいぶうまくなったよね(会場笑) 八巻:いや、笑うところじゃないですから、笑うところじゃ(笑) 西原:だいたいこんな感じ。 八巻:どうもありがとうございます(会場拍手)。(笑)すみません、本物か偽物かよくわかんなくなっちゃって(笑) 西原:偽物でも、大した違いはないですね。 ■第20回手塚治虫文化賞受賞作「よつばと!」と「じみへん」を描く 八巻: 10年前は初めての画力対決ということで、手塚治虫文化賞にちなんで手塚治虫作品限定でお題を出したんですけど、今回また同じ作品というのもあれなので、手塚治虫文化賞受賞作品の中から選んでもらおうと思ったのですが、ほとんど読んでないですよね? 西原:なんかさっき、大賞の人通って、「誰だ誰だ誰だ」って(笑) 八巻:それでですね、第20回(今回)のマンガ大賞2作品ありますよね、「よつばと!」と「鼻紙写楽」。でも、鼻紙の方は描けないですよね……一ノ関先生のは……。 西原:まあ、似ても似つかないよね。 八巻:「よつばと!」は描けますよね? 西原:憎たらしいね、あのマンガ売れてね。 八巻:じゃあ、「よつばと!」と、町田くんは描けないですよね?「町田くんの世界」。描けない? すみません、描けないものばかりで。じゃあ、「じみへん」は描けますよね? じゃあ、「じみへん」と「よつばと!」。ひとつそこで描いて下さい。 西原:和田ラヂヲさんとかぶるんですけど。 八巻:そうかもしれませんね(苦笑) しりあがり:あはははは。 八巻:何笑ってるんですか?(のぞきこむ)そう、それでいいんです、それでいいんです。これ、どっちがどっちですか?(会場爆笑) 西原:久しぶりに中崎さん見たら、もう高知の典型的な漁師のおっちゃんで。でもあの、ハローワークに登録したらぜいたくばっかり言って、仕事が一個もこないっていう(笑) 八巻:すごいなー。自ら連載をおやめになられて。 西原:ようは無職のおっちゃんなわけですよね。 しりあがり:(のぞきこんで)西原さんうまくなったね、本当に。もう30回くらいやってるんですよね? 八巻:画力対決? そうですね。いやもっとやったんじゃないですかね? (西原さんの作品をのぞきこんで)ほんとにすごい。どっちだかわかりますもんね、すぐに。 西原:うまくなってます。 八巻:うまくなってますね。 八巻:まずはうまくなった西原さんの絵です(※写真2参照)。うまいですよね? 会場:(拍手) 西原:レベルが低い! 落ちこぼれクラスと、進学校クラスって感じですね。 八巻:さて今度はしりあがりさんの、どちらかわかんないのはこちらですね(※写真3参照)。 会場:(爆笑) 八巻:まあ、あのね、両先生いらしてるんで。裏で怒ってるかもしれない。(裏に向かって)怒らないでくださいね~! しりあがり:まあ、だいたいこんな感じですよね。 八巻:だいたいこんな感じですかね。あ、写真撮って構いませんから。 西原:それをツイッターで流そうが、2ちゃんで悪口を書こうが、大丈夫です。(写真を撮っている観客を眺めながら)多分、家帰って冷静になって消すと思いますよ(会場笑) ■しりあがり寿さんの絵に会場から歓声が… 八巻:さて、次にいきましょうか。20回の賞で、落ちた人たちがいるんですけど、その人たちのなかから……これは絶対描けますよね、「孤独のグルメ」。 し:ん? 八巻:え? 孤独のグルメです、あの、あれ……。 西原:谷口ジロー! あの絵の下手な。地味な。 八巻:大きい声では……(苦笑) 西原:あの人と、大友克洋さんぐらい女性を描くのが下手な人はいない。すんげーブサイクな女が出てくるんですよ。あの、谷口さんのルーブル美術館の絵見ました? ヤクルトタフマンみたいな女神が出てくる。ドレスのドの字も描けねーでやんの。見てください、ひどいですから。さりとて、あんな特徴のない絵ってまねしづらいんですよね。 しりあがり:そうですよね。そう、特徴がないとね。 八巻:散々そこまでいじったんだから、描けますよね? 西原:うん、真面目なだけが取りえみたいな感じの。 八巻:今日のお客さんは真面目な気がする。笑い方が遠慮してますもん(苦笑) しりあがり:結局「孤独のグルメ」を描けばいいのね?(描き始める) 八巻:そうです、お願いします。 しりあがり:今度は上手に描けた。 八巻:ほんとっすか? (しりあがりさんの絵を見て)あ、ほんとだ~。(今度は西原さんの絵を見て)あ、西原さん、やっぱりうまくなりましたね。じゃあ、西原さんの方から行きましょう。こちらです(※写真4参照)。わかりますもんね? ちゃんと。なんか中井貴一っぽい感じも。 西原:そうそう、ちょっと困り顔の人が。 八巻:これが最近西原さんお気に入りの、りえくまちゃんですね。うまいですね。じゃあ、しりあがりさんの行きますね。しりあがりさん、今回はちゃんと知ってたみたいで(※写真5参照)。 会場:おおー! しりあがり:ほらー(笑) 八巻:なんかすごい、感嘆の声が(笑) しりあがり:なんかこれくらいで感心されるっていいなぁ。得だなぁ。 西原:やっぱり、落ちこぼれクラスの子がちゃんとできるようになるとね、褒められちゃってもう。 しりあがり:絵、がんばろうとか思うよね。 西原:ねぇ(笑) しりあがり:あ、落ちてんのは塩辛ね。(会場爆笑) ■波乱を呼ぶ「手塚アトム」と「浦沢アトム」 八巻:細かいですね。なるほど、なるほど。さて、次どうしましょうね。せっかく浦沢先生がいらしてたので、「PLUTO」を。手塚アトムと浦沢アトムを。 西原:いや、PLUTO自体忘れちゃったし。ミッキーマウスみたいな……あ、違う! しりあがり:あれ、手は取れなかったっけ? 西原:ミッキーマウスだ……。 しりあがり:……ミッキーマウスじゃないよ(笑) 西原:いや、ミッキーマウスを手塚先生が意識したんだって浦沢さんが言ってて、あ、ほんとだなって、あのイラつく富士額……。えっとねー、浦沢さんロボットが下手なんですよ。 八巻:(笑いながら両作品を見て)2人ともPLUTO読んでませんね? 絶対に読んでいない! 西原:いや、読んだけど忘れちゃった。 八巻:読んだけど忘れた? しりあがり:え、でも、だいたい想像つくよね? 八巻:だいたい想像つくよね?(笑) 西原:だから、なんかほら、浦沢さんのマンガってなんか忘れちゃうじゃん。華がなくて。 八巻:まあ、忘れちゃいますね。特にラストがどうだったとか……。 西原:ラストどうなったとか誰も覚えてない。 八巻:それは、そういうところがあるかもしれない。(舞台袖をうかがいながら)浦沢さんはもう帰られました? 会場:(爆笑) 八巻:ちょっと発言の強さを変えなきゃならないんで。一応小学館の社員なんで。一応。ではここで、先に正解を見てみましょうか。(プロジェクターに映し出される)浦沢さんのPLUTO。 西原:ああ、こんなんだったか。 八巻:さて、それを念頭に置きまして、しりあがりさんの両アトムさんですね(※写真6参照)。 会場:(笑) しりあがり:だいたい合ってる。 八巻:これなんか、マンガ家さん違いますよ。これ浦沢さんのせいじゃない。 しりあがり:あのアトムがちょっと年取ったら、髪形も変えて。 西原:これはなんか、ただの相撲取りかなんか……。 八巻:さて、西原さんのPLUTOは。これは、あ、あれですね、アレを描いたんですね(※写真7参照)。 西原:カニが出てくるじゃん、途中で、ジャキジャキジャキって。 八巻:メイドです、メイドの女の人ですね。いました、いました。あれ、いい話でしたね。 西原:浦沢さんがミッキーマウスだよって教えてくれたんで、よく考えたら耳、丸くしちゃったの間違いでしたね。とがらせなきゃいけないっすね。 ■衝撃的な「ヒカルの碁」誕生! 八巻:さてじゃあ次にいきましょうか。そうだな、一番苦手系の絵で、第9回の新生賞「ヒカルの碁」とか描けます? 一番はるか遠いところにいると思いますが。 西原:うーん。碁を描けばいいんでしょ。 八巻:碁を描けばいいってなんか違います。それは「3月のライオン」は将棋描けばいいってことですよね。根本的なことが違っているような……。 しりあがり:碁が光ってればいいんでしょ。 八巻:じゃあ、「ヒカルの碁」をぜひ。ものすごく絵のうまい人です。 西原:碁とか、かるたとか、なんか変なもんでみんな一山当てるよね。 会場:(笑) しりあがり:次は花札かなんかでね。 西原:なんかもう次から次へとよく持ってくるよね。発酵食品で当てたりとか、みんな。なんかいろいろだよね。 しりあがり:誰のことだよそれ(笑) 西原:ねえ、ヒカルの碁ってよーじやみたいな顔の人出てくるよね? 確か出たよね? 八巻:よーじや? 「ヒカルの碁」によーじや? 佐為のこと言ってるんですかね? しりあがり:もう諦めちゃったから。 八巻:諦めたって、顔が結構全然(笑)やる気がないでしょ? しりあがり:でも今回難しい。もうちょっと記憶のかけらでもあるといいんだけど。 八巻:いや、かけらは残ってます。読まれてるっていうのはわかります。 西原:こんなよーじやみたいなの。 八巻:ああ、やっぱりそれですか。佐為ですね。じゃあ、先に答えを(スクリーンに映し出される)。これですね、「ヒカルの碁」。 西原:ああ、そうそう、これこれ。 八巻:これのこと言ってるんですね。 しりあがり:ほぼ合ってたけどな。惜しかった 八巻:ほぼ合ってるしりあがりさんは、これですね(※写真8参照)。 西原:あ、合ってる合ってる! 八巻:合ってる合ってるって、会話がおかしいです(笑) しりあがり:学生服にしちゃったんだよね、間違って。 西原:いや、学生服に見えないから、生首がこうもげたみたいななんか……。 八巻:学生服ってこれですか? しりあがり:そうそう。 西原:いやそれは首がもげた。進撃の巨人に引っ張られたという。 しりあがり:残念だな、学生服じゃなかったな。 八巻:でも、読まれてるのはわかりますよね? で、西原さんのは……(※写真9参照)。 しりあがり・会場:ああー。 八巻:ダメです、感心しちゃ。感心されてる(笑) しりあがり:なんか今日、すごいレベル低くない? 八巻:気付きました? あの、おふたりとも美大なんですよ。ムサビとタマビです。 西原:そう、共にデザインです。 しりあがり:線引きさえあればもっと上手に描けんのになぁ。 八巻:線引きありますよ。線引き。(定規を持ってくる)ありますよ。線引きあります、はい。 西原:もー、次から上手に描くんですね。うそついたからもー。 しりあがり:(苦笑)とりあえず描いてみるか。 ■OL進化論 八巻:そうですね、次どうしようかな。もっとも意外なところで、秋月りすさんの「OL進化論」。 西原:ああ、あのイラつくマンガね。 八巻:あ、イラつきますか? 意外と、簡単そうで難しいんじゃないですか? 西原:古い女子大生のイラストみたいな絵なんだよね。私の絵と微妙に時代が近いんだけど、ちょっと古いんです私より。私が子供のころの女子大生が、ああいう絵を手紙の後ろに付けて出してた。そん時にイラッとして。その女子大生がソバージュとかしてて。 八巻:時代ですね。 西原:そう、時代です。時代です。 しりあがり:わかった。完全によみがえりました。秋月りすさん。 八巻:よみがえりました? じゃあ、ぜひ。定規使ってぜひ。 西原:あ、定規使ってる、定規使ってる。 しりあがり:あ、ホワイトがないとダメだやっぱ。 八巻:ほんとに必要ですか? あ、でもほんとに(定規)使ってるんですね。 しりあがり:OLといえば机だもんね。 八巻:ホワイトは……ないですね、ごめんなさい。 西原:なんか私が描くとサザエさんみたいになるな。でも、すごい平和でなんもない日常をずーっと描いてて、ああいうの偉いですよね。強姦(ごうかん)もないし。火事もないし。 八巻:それが連載を長く続ける秘訣(ひけつ)ですよ。 西原:そうだよね。 しりあがり:(一人で笑う)なんか、すごい新しい世界開いちゃったな。こりゃ違うと思うんだけど、どこが違うのかよくわかんないな(笑) 八巻:(のぞきこんで)それはあれですよ、つげ義春先生の絵です。どう見ても。 しりあがり:これある意味すごいな。 西原:あ、急に手が遅くなった。 八巻:定規の分だけ。 西原:こんだけ困ってんの初めて見た。 しりあがり:全然違う(苦笑)難しい。 八巻:まずこれが答えです。いやーほんとにステキに害がない線ですよね。なかなか描けないっすよこの線。 西原:あー、今見たら私の絵より新しいや。 八巻:でも連載長いですからね。じゃ、西原さんの(※写真10参照)。西原さんやっぱり絵、うまくなりましたね。この10年間で。 しりあがり:これは負けたかもしれない、俺。 八巻:でもこれだけ見て「OL進化論」とはわかんないですよね。しかもイラつくアマって書いてあるし(笑)。続いてこれがしりあがりさんのですよ(※写真11参照)。 会場:(爆笑) 八巻:あのー、定規はここ(机)に使いました。 しりあがり:そうか、本物は鼻がないんだね。鼻さえなきゃなあ。 八巻:ここ(机のはみ出た線)をホワイトで消したがってました。このはみ出たとこ。全然合ってないじゃないですかー。 西原:しかも茶箱じゃないですか。全然机じゃない。 八巻:あ、しりあがりさん、ホワイトが来ました! しりあがり:え? ホワイト? 余計なことしやがって。 西原:さあ、腕の見せどころかな。 ■世界一の引っ越し一家「ポーの一族」 八巻:そうですね、ホワイトもきたところで、「ポーの一族」にしましょうか? ちょうどね、復活したから。 西原:ああ、あの日本一の引っ越し一家。 八巻:いや、世界一の引っ越し一家です。 西原:世界一の引っ越し一家か。引っ越しが主な仕事ですね、あの人たち。 八巻:では、萩尾先生の「ポーの一族」を。 西原:(描きながら)収入はどうしてるんだと思う? 株とか持ってんのかな? 八巻:やっぱり、長生きしてますから年金が入るんじゃないですか。何百歳ですからね。 しりあがり:俺10年前に、ここの楽屋で萩尾先生に会ったんですよ。 八巻:浦沢さんと(手塚治虫文化賞10周年で)対談したんですよね。 しりあがり:すごい感激しちゃって。で、うちの子どもが「ポーの一族」のことを「ポーノー族」って読むんですよって言ったら、もうすごい何度も聞いているらしくて、ピクリともされなかった。いやーあの時は緊張した。 八巻:ポーノー族かわいい(笑) 西原:萩尾先生見ると、やっぱうれしいですね。 八巻:あ、はい。手を動かしましょう(笑) しりあがり:なんかジョジョみたいなポーズになっちゃった。 八巻:ジョジョ?! 西原:ある日リビングですごい叫び声がするので、なにかと思ったら、うちのお兄ちゃんが、妹が「11人いる!」を読んでるのに、11人目を最初のページで教えるっていう。 会場:(爆笑) 八巻:さいてー(笑) 西原:お兄ちゃんならではの嫌がらせをしていましたね。「これだよ」って(笑) 八巻:萩尾先生にも画力対決に来ていただいたんですけど、その時に、萩尾先生と、西原さん、テルマエ・ロマエのヤマザキマリさん、あと伊藤理佐先生と一緒にやったんですよ。3人とも「萩尾先生大ファンだから」って言うんですね。「なんでも描きます。大好きですから」って。「じゃあ『11人いる!』の11人描いて下さい」って言ったら、全然描けないんですよ(笑) 西原:まず、岩石がいるんですよ(笑)岩石と、オンタ(男)とメンタ(女)がおって、そっからわかんない(笑) 八巻:萩尾先生優しいから、最初にわかりづらい4人描いてくださって、あとわかりやすい人しか残ってないですけど全然出なかったですね。青いヌーっとしてる人とか。あと岩石と……岩石2回くらい描きましたもんね。 西原:うん、うろこの人もいたんじゃないかなーみたいな。 八巻:あとフロル描いてましたよね。 西原:うん、フロルと岩石と、あとハゲがいた。 八巻:ハゲ。あ、だからうろこじゃないですか? 西原:あ、うろこか。何でもいいや。私の画力対決なんでちょっと会場行ったらキャーッて言われるんですけど、もう萩尾先生のときは私が通ってもみんな素通りです(笑)。萩尾先生目当てに海外から来てる人とかいて。少女漫画家がありとあらゆるコネで入り込んでるし(笑)。「いいですか。これから萩尾先生来ますが、サインをもらってはいけません!」って、漫画家にお触れがでるの(笑) 八巻:ちなみに「11人いる!」の正解を出してもらえますか? 会場にいらっしゃる方はほとんどお読みになってると思うんですけど。意外と11人出ないでしょ? いま思い浮かべても。 会場:(赤ちゃんの泣き声) 八巻:ごめんね、いまアンパンマン描かせますから大丈夫です。出さなくて大丈夫です! いてください! 西原:大丈夫ですよ~。 八巻:この回は大丈夫です! もう遠慮なく遠慮なく! しりあがり:完璧です今回は。 八巻:あ、完璧! ほんとだ。え、どっちもうまいですねほんとに。 西原:萩尾望都の典型的な連載のオープニングの描き方を描いた。 八巻:じゃあこれ、しりあがり先生の(※写真12参照)。 西原:あ、キングポー。 しりあがり:上手だよね、なんかね。点描がちょっと大きかったけどね。 西原:いい感じに踊ってますね。 八巻:エドガーの髪形が全然違う気がする(笑)。キングポー、メリーベル、一応字体もこんな感じで(笑)。で、西原さんの方……西原さん似てるかも。これ見開きになってるんですけど(※写真13参照)。 しりあがり:あー。 八巻:確かに世界観は出てますね。 西原:萩尾望都は、髪の毛がよく空中に溶け出すんですよ。あの人ね、意外に色の使い方下手なんです。 八巻:色の使い方下手なんですか?(爆笑) 西原:あの時代絵の具が悪かったのかしんないけど、なんか緑とか赤とかの原色平気で混ぜちゃうんで、なんかねー透明感のない色の塗り方するんですねーあの人。 八巻:あ、これキャンディ・キャンディのつもりじゃないですか? 西原:違う違う、それユニコーン。 八巻:あ、だからこれ1本。 西原:角! 八巻:あ、角なんですねこれ(笑) しりあがり:はいはいはい(笑) 西原:よくユニコーン出て、その後ろによくカップルのオンタとメンタが子どもん時のやつとかがあって、そんで後ろに花があって「萩尾望都先生待望の大連載!」っていうのでドキドキしてたんですよ。引っ越し一家を見るのが大好き(笑) しりあがり:これ右だけにしとけばよかったね。 西原:いや必ずこういうシーンがあるんですよ。メリーベルもよく花の茂みから出てきたりするんですよ。 八巻:いやでもほんと上手ですね。見事です。 西原:うまくなったと思う。 八巻:10年間でうまくなってますね、2人。 しりあがり:西原さんやるなあ。 西原:そうでしょう。伊達に脱税してるわけじゃないですからね。この10年で脱税御殿がもう1軒増えましたから(笑) ■「まんが道」と手塚治虫先生 八巻:じゃあ、あれいきましょうか。歴代の受賞者でやはりこれは描いていただきたいなと思ったのが、藤子不二雄A先生の「まんが道」。 しりあがり:ん? 西原:藤子不二雄先生が帝銀事件のあったアパートでほら、なんかいろいろやった(笑) 八巻:満賀道雄さんと、才野茂さん。あと、「まんが道」に出てくる手塚先生の絵を描いてください。 しりあがり:あー。 八巻:「まんが道」の中に手塚先生出てきたじゃないですか。だって会いに行きますし、アシスタントしたりとか。 西原:うんうんうん。テラさん(寺田ヒロオ)も。 八巻:あ、テラさんも描いてください。 しりあがり:よこたとくおさんとか。 八巻:そこまではちょっと(笑)。そこまではいらないとおも……、あ、いらないって言ったらダメだな。あの、描いてもいいです(笑)。じゃあ「まんが道」をお願いします。 しりあがり:あ、なんか描けちゃうかもしれない俺。ほんとに。 八巻:(西原さんの絵を見て)これ誰ですか? 西原:え、手塚治虫。 八巻:やば、よかったー変なこと言わなくて(笑) 西原:こんなじゃない? 八巻:いやーあの、左門豊作かと思いました(笑) 西原:いや、眼鏡と鼻で。テラさんもまた変な顔した人でねー。 八巻:テラさん変な顔って(笑)。けっこう男前の感じじゃないですか。 西原:テラさん、最後頭おかしくなっちゃった人だよね。 八巻:(スクリーンに「まんが道」の絵が映しだされて)これが答えですね。 西原:あ、なんか構図もそっくりだ私。 八巻:懐かしいですね。で、西原さんはこんな感じで(※写真14参照)。なんか、巨人の星の左門豊作に似てません? 西原:あと2人とテラさんで、「まんが道」の連載1回目の構図が頭にこびりついてて、こういうことになってしまって。 八巻:テラさんって、ここにこんなふうに髪の毛ついてて。 西原:あ、三平師匠だったっけ? なんかやたら黒目がちな人だったと……。 八巻:描き足します? 西原:そうですね。 八巻:確かここにこんなんついてましたよ。それでテラさんですよ。 西原:こうするとぐっとテラさんテイストに(※写真15参照)。 八巻:そうそう、これがテラさんテイストですよ。 西原:なるほどなるほど。 八巻:さて、これが……(笑)、はい、こちらです(しりあがりさんの絵 ※写真16参照)。 会場:(笑) 八巻:まずあの、トキワ荘ビルじゃないんで(笑) しりあがり:ビルにしちゃった。 八巻:始めからビルだった(笑) 会場:あれフランスパンじゃない?(笑) 八巻:フランスパンじゃないと思いますよっ(笑) しりあがり:ものさし、ものさし。 八巻:これ(才野茂らしき人物が右手に持っているもの)ですよね。これフランスパンじゃないですよね?(笑) しりあがり:ものさしです。フランスパンで漫画描かないよね? 八巻:富山でフランスパン(笑) ■子どもが泣く? 衝撃の「ドラえもんとアンパンマン」 八巻:あ、そうださっきのチビちゃんまだいるかな? 何がいいんだろう。ドラえもんですか? アンパンマン? 西原:じゃあドラえもんとアンパンマンを両方描いてみる? 八巻:ドラえもん1回目にとってますもんね。第1回の大賞がドラえもんですよね。何かそのへんの子供向けのやつをごった煮で描いてもらえれば。それはピカチュウじゃないですよね? 西原:ピカチュウです。 八巻:ドラえもんとピカチュウ、うちのもうけがしらふたりを(笑) しりあがり:こんなでもいいかな? 八巻:これ……あはははは(笑) 西原:こんな。他になんかありましたっけ。 八巻:西原さんのこうです(※写真17参照)。 会場:(爆笑) 西原:いつもの。 八巻:ドラえもんと、ピカチュウと、アンパンマン(笑) 西原:これ、やなせ先生本人に見せたらうけてくれました。「ずっと描いてていいよー」って。「俺も売れないときはドラえもん描いてたからいいよー」って(笑) 八巻:アンパンって……会場の人はわかりますよね? きっと。 西原:今どきねー、アンパン吸ってる人なかなかいませんよね。 しりあがり:やばい(笑) 西原:まだね、新宿のバス通りのとこで売ってんだけどね。 八巻:気づきませんでした(笑) 西原:昭和40年代頃から値段が変わってなくて、物価の優等生って言われてんの(笑) しりあがり:タバコは高くなってんのにね、みんなアンパンに流れちゃうね(笑) 八巻:真面目なお客さんが絶対引いてると思うんですけど(笑)。さて、しりあがりさん。またちょっと、黒いんで(※写真18参照)。 会場:(爆笑) 八巻:あの、ドラえもんは一応うちが守るべきものなので、こんなことはしてないですから。困ってるじゃないですかアンパンマンも(笑) しりあがり:かわいく描けた。 西原:ね、かわいくかけたね。 八巻:しかもドラえもんも似てないですから! かけらも似てないです。西原さんの方がまだドラえもんに見えるのが不思議ですよね。 西原:わりとドラえもんですよね。 ■まさかのダーリン登場? 「ブラックジャック」を描く 八巻:最後は手塚先生の作品にしましょうか。 しりあがり:特徴がはっきりしてるのがいいなあ。 八巻:前回と比べて変わってないところを見るのもいいか。じゃあ「ブラックジャック」にしましょうか。 西原:前回はね、こんな2色(青と赤のペンを持って)使って描いて。 八巻:よく覚えてますね。 西原:もうばっちりですよ! ばっちりです。 しりあがり:俺ね、前回ピノコに力を入れすぎて失敗したのね。 西原:私はあれからねー手術に詳しくなったよ(笑)。オペ室とかしょっちゅう出入りしてる。 しりあがり:やばい(笑)。ブラックジャックかあー。よし。(描き始める)……なんかシャガールみたいだなあ。いろいろとうまくいかないな。 西原:今どきの手術着はねー緑とか赤があってねー足とかもせったでペタペタ走り回ってる先生が多くってねー。 八巻:あれ? 西原さんそれ高須医院長ちょっと入ってますよ。 西原:いや、あの高須ジャックを。 八巻:やっぱそうだったんだ(笑) 西原:私は一応ピノコで。えーちなみに高須ジャックは手塚先生を憎んでいます。同じ医者で漫画家になりそこねた高須先生は、ブラックジャックの手術の手順を「闇医者ってどうゆうこと? 消毒もしてないメスをこんな懐から出してそれで手術が成功すると思ってるわけ!?」とか「手順なんか全部逆なのよ!」とか「闇医者ってのに手術をさせることがどんな恐ろしいことか!」ってずっと怒ってる(笑) 八巻:あはは。西原さんそれでいいですか、大丈夫ですか? 西原:はい。 しりあがり:これは絶対、これはいいぞお。 西原:あ、赤くなってる。 しりあがり:んふふ、2色! 西原:すごいすごい、かっこいい。 八巻:ちなみに、これがブラックジャック(正解がスクリーンに映し出される)。 西原:あ、傷逆だ。 八巻:よく気づきましたね。西原さんの傷が逆なんです(※写真19参照)。 西原:西原ピノコと高須ジャックを描かせていただきました。ラブラブなもんですみません(笑) 八巻:(手術が)下手そうですね~下手そう(笑)。さて、よろしいでしょうか、次、こちらしりあがりさん(※写真20参照)。 会場:(爆笑) しりあがり:いやあー、ね(笑) 八巻:傷2箇所あります! しりあがり:なんかほうれい線と間違えちゃった。 西原:あーほうれい線とね。これおなかの中のどこ?(笑) 八巻:しかも、しりあがりさんすごいんですけどね、10年前と変わらないんですよ。これ10年前のしりあがりさんが描いたブラックジャックなんですけど(※写真21参照)。 しりあがり:あ、ほんとだー。やばい。 西原:しかも手突っ込んでますね、臓器にね。 八巻:変わってないですねーほんとに。 西原:私の絵も変わってないなー。 しりあがり:すごいなあ。ピノコが上手になっちゃったね。 八巻:なんかもう両手の感じとか全く同じですもんね。すごいなあ。 西原:2人とも傷の向きも間違えてるし、髪の毛のダラーも間違えてますね。 八巻:何もかも間違えてますね(笑) 西原:人間はやっぱり努力してもダメな生き物っているんですね。うん、精進してもダメですね。一生変わらないな(笑) ■合同色紙 八巻:じゃあ最後にせっかくですから、2人の合同色紙を作ってもらって、1名の方にプレゼントして終わろうかと思いますんで。しりあがりさんこちらに。 西原:はい。真ん中にでっかく描いてください。遠慮なしに。 しりあがり:これは自分のを描くんでしたっけ? 八巻:はい、何でもいいです。 しりあがり:えーやっぱ朝日さんだからなあ。 西原:みなさんあんまりいらないとは思いますけど。近所の肉屋とかにあげといてもいいので。蛾次郎さんのサインの横とかに。 八巻:朝日で連載してるあれですね。 しりあがり:そうですね。お世話になってまーす。 西原:朝日はいつまで続けるんでしょうね、それ。 八巻:あはは。毎日もいつまで続くんですか? 西原:毎日新聞が先に終わるから大丈夫。 八巻:あははは。 西原:私よりあの人たちの方が寿命が短い。 八巻:10年前に読売新聞さんお待ちしてますって言ったけど全然来ませんでしたね。 西原:うん、来なかったねえ。 八巻:あ、朝日新聞連載(しりあがりさん)、毎日新聞連載(西原さん)なので今。 西原:こーんな格差が。おいしい席とられたし(笑)。何で新聞社はちゃんとした正規の漫画家に漫画を頼まないんでしょうね? 会場:(笑) 八巻:んーやっぱり原稿料とか折り合わないんじゃないですか(笑) 西原:あーそっか。普通のちゃんとした漫画家だと折り合わないんだ。 八巻:きっと。 西原:なんか、ちょっと違うところの漫画家連れてきますよね。どこも。 八巻:読売もけらえいこさんでしたもんね。 西原:「毎日かあさん」を描いてもう十何年ですかね、毎日新聞で。あのかわいい娘が、先日2度目の朝帰りを……。 しりあがり、八巻:あっはっはっは。 西原:「あんたどーゆーつもりなのよ」って言ったらさ、「なんでぇ? 行って帰ってきただけでしょお」とか言って。「どーしてお前は誰々ちゃんち泊まりに行くってうそつかないわけぇ」って話なわけよ(笑)。私だったらちゃんとうそついて外泊するのにさあ。演劇観に行って、深夜バスで帰ってきたんですよ。どうしても舞台が観たくなって。そういうサブカル系にはまってるみたいなんですけどね。「てめえのケツも拭けねえバカガキが何そんなことこいてんだよ」って私が怒ったら、後ろから息子が来て「お母さん、下品だよ」って。「落ち着いて」って言われて(笑) 会場:(笑) 西原:なんかいま一番息子が大人になってる。でも息子が「俺だってまだ朝帰りしたことないのに、くやしぃー」って言って。あ、なんか手が短くなってる。 八巻:いいです、いいです。おかしいけど。 西原:最近娘がこんなわわいくない始祖鳥みたいになっちゃって。 八巻:始祖鳥(笑) 西原:「お母さんのことは好きだけど、漫画家の西原理恵子はきらーい」とか、「てんめえ言いやがったなこのクソガキが」って(笑)、そのたびに息子が「お母さん、お母さん、ここはね」とか言って(笑) 八巻:さて、じゃあどうしようかな。今日誕生日の方います? 自分の誕生日を証明できるなんか免許証とか持ってて。います? えっと、昨日とか、います? 昨日の人いません? 西原:ほしくないんですね、みんな。 会場:(爆笑) 八巻:あはは、言わないって。えっと笑ってる場合じゃない、時間がないんですよね。 会場:5日後! 八巻:5日後でいいですか? 西原:はい、全然構いません 八巻:5日後より近い方います? 西原:いやみんな本当ほしくないんだな(笑) しりあがり:(笑) 八巻:じゃあどうぞ、上がってきてください。どちらから受け取りたいですか。あ、じゃあ西原さん。 西原:すいませんねえ、こんないらないものをねえ。引っ越しのときに捨ててくださって結構ですので(笑)。どうもありがとうございました。 八巻:今晩ヤクオフに出てたらあなたですからね! しりあがり:んふふ(笑) 西原:ヤフオクに出てて、1000円くらいで売れてたら、花嫁のブーケトスを誰にも受け取ってもらえなかったみたいな、そういう悲しさがありますね(笑) 八巻:じゃあ、お笑いの部はここまでってことで、一言ずつお願いします。 しりあがり:はい。あのー楽しかったです。ありがとうございました。なんか、10年ぶりにまたできたって、いいことですね。本当にね。 西原:こうなったらまた10年後……いや、5年後にもういっぺん。 しりあがり:それは10年生きてないとってことだね(笑) 西原:そうですね。小刻みにしておかないと危ないですね。成人病とかきますから。出版不況の中ね、あと新聞もね、どんなになってるかわかりませんから。引退する引退すると言いながら、次は5年後ぐらいにやりたいと思います。みなさまも成人病にはお気をつけて、また来ていただければと思います(笑) しりあがり・西原・八巻:どうもありがとうございました! ■7月開催の、しりあがり寿さんの個展「回・転・展」特設サイトはこちら http://www.saruhage.com/kaiten/
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