本書の親本が刊行されたのは2017年。なのにまるで20年を予見して書かれたかのよう。澤田瞳子『火定』は737年の寧楽(奈良)を舞台にした天平のパンデミック小説だ。

 蜂田名代は施薬院(貧しい病人の救済施設)に勤務する若き下級官吏。こんな割に合わない仕事はウンザリだと思っていた。猪名部諸男は国政の高官たる公卿のお抱え医師。かつて冤罪で投獄された経験があり、世間を恨んでいた。そんな二人が高熱と疱疹をともなう謎の病に遭遇する。施薬院のベテラン医師・綱手は表情をくもらせる。

<裳瘡(天然痘)じゃ>

 全身に病の痕跡がのこる綱手自身、若き日に裳瘡から生還した感染症サバイバーだったのだ。典薬寮(官人の病院)に綱手は応援を要請する。<医師を京内に遣わし、疫癘が広がらぬよう、手立てを講じていただかねばならん><一刻も早く手を打たねば、都はまさに疫神の跳梁する地獄と化すに違いない>

 しかしはたして事態は綱手が危惧した通りになった。

 医療崩壊寸前の状態に陥る施薬院。あやしげな禁厭札を高値で売る一味。クラスターが発生し、蔵の中に隔離される悲田院(施薬院に併設された貧窮院)の子どもたち。律令時代のお話なんですけどね。特にグサッとくるのはこんなくだりだ。

<お気を付けくだされよ。疫病の流行は時に、人の身体ばかりか心まで蝕みまする>

 疫病は遣新羅使によってもたらされた可能性が高く、恐怖にかられた民衆はやがて暴徒と化して外国人狩りに向かう。

<新羅の奴らを殺せッ>

 医療従事者の苦悩を描いているのはカミュ『ペスト』と同じ。が、名代は頼りないし、屋敷を追い出された諸男は禁厭札の一味に加わるし……。憎むべき相手は誰か考えよと綱手はいう。<この三月、官は都の惨状にいったい何をしてくれた>

 市井に生きる人々の視線で語られた、疫病との戦いの物語。ひとごととは思えませぬ。

週刊朝日  2021年1月1ー8日合併号