多くの人々から「英語圏最高の短篇小説家」と称されたウィリアム・トレヴァーは、2016年、88歳で亡くなった。存命中に刊行予定だった『ラスト・ストーリーズ』は10編の短篇小説を収め、彼が生きていれば90歳となる誕生日に発売された。

 訳者のあとがきによれば、トレヴァーは生前、短篇小説の定義を問われてこう答えている。<それは一瞥の芸術だと思います。長篇小説が複雑なルネサンス絵画だとしたら、短篇小説は印象派の絵画です。それは真実の爆発でなければならない。その強さは、(中略)そこから削られたものに負っています。短篇小説においては無意味なものを排除することが重要です。ただその一方で、人生はほとんどの部分が無意味なのですけれど>

 本人が語ったとおり、トレヴァー作品の魅力は省筆の効果にある。登場人物たちの行動や発言の根源にある過去や秘密をどこまで書き、あるいは削るのか。その線引きが、彼の場合はぐっと削る方に寄っているのだ。だから書かれた文章は貴重で、それが何気ない一文であっても、その陰に<真実の爆発>が隠れていたりする。

 遺稿となった「ミセス・クラスソープ」では、年の離れた夫を亡くし、予定どおり未亡人ライフを楽しもうとする主人公が抱える息子の問題が、ちらっとだけ書かれている。丁寧に読めば、彼女の計画が狂っていく原因がそこにあるとわかり、私は息をのんだ。

 ほとんどの部分が無意味な私たちの日常のある断片に着目し、そこに潜む人生の分岐点の真実を、さりげなく明らかにする短篇小説。トレヴァーは、最後の作品集でも<一瞥の芸術>の奥深さを私たちに遺した。

週刊朝日  2020年10月30日号