紗倉まなの小説集『春、死なん』には、表題作と「ははばなれ」の2篇が収められている。どちらの作品も家族間、あるいは男女の役割からの解放を描き、静かなカタルシスへと読者を誘う。

「春、死なん」は、6年前に妻を亡くした70歳の富雄が主人公。一人息子の家族と二世帯住宅で暮らし、眼の不調に悩みながらアダルト雑誌やDVDを見ては自慰をくり返す。そんな日々の中、学生時代に一度だけ関係を持った文江に再会する。

「ははばなれ」は、30歳手前の専業主婦コヨミが、母と夫とともに久しぶりに亡父の墓参りへ行く場面からはじまる。その帰りに実家に立ち寄ってみると、近くの電柱の傍らに、犬を抱いた不審な男の姿が……男は、母の恋人だった。

 昔から世間で語られ求められてきた理想的な男女、夫婦、親子、家族像の呪縛。その拘束力は頑強で、一度身についてしまうと簡単には離れない。何かを選択しようとするたび、どこからか、祖父なんだから、母親なんだから、一人息子なんだから、妻なんだから、と声が聞こえてきては行動を制限する。そうやって役割を演じ続けるうちに生きる気力が削られ、人は、心身に異常を抱えるのかもしれない。

 役割の呪縛を解いて行動すれば幸福になれるかどうかは不明だが、コヨミの母がそうだったように、自分なりの人生を生きている実感は得られるのではないか。

 そう感じさせる物語を、紗倉は、性の在り方を通して描いた。私は的確な描写力に魅了され、作者が現役の人気AV女優であることなど忘れて読み耽った。

週刊朝日  2020年5月1日号