新型コロナウイルス対策で、卒業式や入学式が中止や縮小になった学校も少なくない今年の春。せめてこんな本はいかがだろう。『岐路の前にいる君たちに』。朝日新聞朝刊の連載「折々のことば」でもおなじみ、哲学者の鷲田清一先生が大阪大学の総長時代(2007~11年)と京都市立芸術大学の理事長・学長時代(15~19年)に学生たちに贈った卒業式と入学式の式辞集である。

<プロフェッショナルがその専門性を十分に活かすためには、専門領域の勉強だけではどうしても足りません><日頃から、異分野の人たちと深く交わっている必要があります>(08年度阪大卒業式)。鷲田さんが繰り返し述べている「複眼のすすめ」である。

 もうひとつ鷲田さんが強調するのは「賢い市民になれ」である。<重要なのは、自分とは異なる他者たちの、声にならぬ叫びや訴えにリスポンドできるということです>(09年度阪大卒業式)

 卒業式と入学式の式辞の間に大きな差はない。卒業生を一人前の市民として扱う一方、新入生も子ども扱いはしないわけ。京都芸大で芸術を語る際には専門外の学長らしく学生たちへの敬意が光る。

<わたしはみなさんに対しては「学長」ではなく「応援団長」を名のってきました>(17年度京都芸大卒業式)。<この大学には、「ちょっと助けて」と声を上げれば、だれかがすぐに駆けつけてくれるような、言ってみれば温い気風があります><これは、わたしたちの社会にもっとも必要なものでもあるのです>。自分の世界に閉じこもらず新しい世界を開く。<アートとは人びとをつなぐそういう生存の技法のことなのです>(16年度京都芸大入学式)

 驚くべきは引用された文献や言葉の多さだ。まさに専門性に閉じこもらない複眼のすすめ。<自分が何を知っていて何を知らないか、自分に何ができて何ができないか、それを見通せていることが「教養」というものにほかなりません>(08年度阪大卒業式)。挨拶かくあるべしのお手本。式辞や祝辞でお悩みの方にもおすすめだ。

週刊朝日  2020年3月27日号