学生時代の恩師であり、その後も心許せる話し相手としてつきあってきた男性作家に自殺され、深い喪失感にとらわれる初老の女性作家。そこに未亡人が現れ、彼が飼っていた老犬を狭いアパートで預かることになる──

 シーグリッド・ヌーネスの『友だち』は、この女性(わたし)の語りで進行していく。大学で創作を教えてきた作家同士とあって、わたしが回想する彼(あなた)とのやりとりには、数多くの引用が登場する。文学、歴史、映画、音楽など、それらをきっかけに生や死や愛や表現について考え、対話を重ねた日々を思いだせばなおさら、あなたの不在が身にしみる。だが、そんなわたしのそばにいる大きなグレートデンは、<あたかもここに自分だけで暮らしているかのように>わたしを無視する。

 この老犬は、未亡人が語ったようにあなたの死を理解していないのか。しかし、同居を続けるうちにわたしは、無愛想な犬が、実は大切な主人がいなくなって嘆いていると認めるようになる。

<守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独>

 かくして読者は、同じ人物を亡くして悲嘆にくれる作家と老犬との暮らしぶりに興味を抱くのだが、この作品はそう単純ではない。語り部と同じく創作を教える作者らしく、小説を書くことと読むことの本質を問うような、驚きの展開を用意しているのだ。そして、虚実の絶妙な配置によって生じる混乱を活かしてすっとテーマの核心に迫り、これしかないという最後の一行へ昇華してみせる。

 類似した作品のない、読者に動物への想像力と思索をうながしてくる傑作。

週刊朝日  2020年3月20日号