3・11から9年。あの日何があったのか、検証しきれていない部分はまだ多い。吉田千亜『孤塁』の副題は「双葉郡消防士たちの3・11」。福島第一原発のお膝元・福島県双葉郡にある出張所も含めた六つの消防署の署員ら約70人に取材した渾身のルポルタージュだ。

 自衛隊や東京消防庁ハイパーレスキュー隊の活躍が華々しく報じられる一方、地元消防隊員の活動は知らされてこなかった。だが本書を読むと、情報がない、応援も来ない。2011年3月11日からの1週間、総勢125人の隊員たちが経験したことは陸の孤島に放置された小隊の戦争に近い。

 11日、地震と津波発生。その直後に異変は起きた。住民の救出に追われる中、15時42分に「一〇条通報(基準以上の放射線が検出)」が、16時45分に「一五条通報(原子炉をコントロールできなくなる)」が発令された。

 12日、逃げ遅れた住民の誘導や傷病者の搬送中、1号機の爆発が発生する。<どういうことだよ!><つい一〇日ほど前に、東電職員による研修で、「安全が確保されています」「原発が壊れることはありません」と教えられていたのだ>。爆発4分後に三つの消防署の閉鎖と移転が決まった。

 13日、東電から原子炉注入用の水を構内の防火水槽に入れる仕事の要請が入るが、現地につくと東電のポンプ車が到着していた。

 14日、3号機が爆発。負傷した自衛隊員や東電関係者の救急搬送も彼らの仕事だった。

 15日、全住民の避難後、<原子炉の冷却要請が東電から来ている>と消防長は明かした。<無事な保証は何もない><これでは、特攻隊と同じではないか><この状態で我々が葛藤していることを、国は知っているのだろうか>。会議は紛糾し<東電から現場の詳細な情報をもらうまでは保留>と決まるが、数時間後、4号機で火災発生との通知が……。

 胸が締めつけられるような緊迫感。わいてくるのは静かな怒りだ。あの日、被曝の恐怖と戦いながら働いた人は「Fukushima50」だけじゃなかったのだ。

週刊朝日  2020年3月13日号