著者は1999年に「AERA」の取材で知りあって以来、市原悦子さんと20年間、公私にわたる交流を続けたノンフィクションライター。沢部ひとみ『いいことだけ考える 市原悦子のことば』は昨年1月12日、82歳で亡くなった名女優の仕事と人生を彼女のことばとともに追った本である。

<日本のホームドラマでは女はほとんど母親役でしょ。母親役が来ると、また母性か、と思ったものよ>といいながらも、77年の連続テレビドラマ「岸壁の母」で視聴者の紅涙をしぼった市原。他の人気番組の裏話もおもしろい。

 アニメ「まんが日本昔ばなし」は<常田(富士男)さんと『この番組、見てる人が三十分居眠りするような番組にしましょうよ』って言って始めたの>。75年にスタートしたこのアニメは3カ月で終了するも、継続を望む声が殺到。翌76年に再開され、20年も愛される長寿番組になった。<ずっと、子どもは意識してやっていなかったですね。(略)子どもを相手にした教育的な考えも、二十年間、一切ありませんでした>

 83年に放送された「家政婦は見た!」第1作の原作は意外にも松本清張の短編だった。女主人公は不幸な人生を背負った邪悪な人物。ときに市原悦子47歳。救いようのない人物像に情を吹き込んだ演技が好評を博し、84年からはオリジナルの脚本でシリーズ化され、大人気ドラマに成長した。
 9歳で終戦を迎えた市原は、高校卒業後、25倍の競争率を勝ち抜いて俳優座養成所に入り順風満帆の俳優人生を歩んだが、戦争映画への出演を通じてその悲惨さを知り、50歳からは戦争童話の朗読を続け、紫綬褒章は断った。

<私、石崎秋子にすごく愛情を持っていたのね。よくぞ頑張って生きているねって。貯金も、夫も、子どももないのにね、風邪をひいたらもう日当がもらえない。風邪ひかないで頑張ってね。そういうエールを送っていたのよ>

 2008年、72歳で最終回を迎えた「家政婦は見た!」への思いである。庶民派の女性を演じ続けた人の心の内にふれた気がした。

週刊朝日  2020年3月6日号