「男はつらいよ」シリーズはかつて正月映画の定番だった。それが22年ぶりに復活、もっか全国で公開中だ。山田洋次原作&脚本・朝原雄三脚本・小路幸也著『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、シリーズ50作目に当たる同名の映画のノベライズ版である。

 今度の主役は寅さんの甥の満男。サラリーマン生活にピリオドを打って小説家に転身したばかりである。その満男が東京駅に近い書店で行ったサイン会で、昔の恋人・泉に再会した。満男は泉を神保町でリリーが営む「ジャズ喫茶リリー」に連れていき、さらにカフェに生まれ変わった柴又のくるまやにも足を延ばす。吉岡秀隆演じる満男が売れない小説家だという設定は「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じ。泉が家族とともに海外在住なのも、演じる後藤久美子の実人生と重なるところがある。

 とはいえ<フーテンという言葉も、死語だ。(略)今のプータローとかニートとかと意味合いでは多少似てくるところもあるのかもしれないけれど>な時代である(プータローももう死語だけどね)。本作もノスタルジーだけでは終わらず、満男は妻を6年前に失っていて中学生の娘と二人暮らし。泉は離婚した父母への屈託をいまだに引きずっている。
 でもさ、いま思うと、このシリーズでいちばん得したのは満男なのよね。満男と泉の恋模様が描かれるのは第42~45作だが、そのころから伯父を追うなど、彼は全国各地に旅していた。亡き妻の法要の帰り、母のさくらは満男に問う。<満男はどうだったの、お父さんと男同士の話をしたことなんかある?>。<するわけないだろぉ。あの無口な親父とそんな話>と答える満男。<「それでよかったの?」/「だって、俺には伯父さんがいたじゃないか」>

 そう、斜めの関係は貴重である。同窓会みたいな作品ながら、生きているとも死んだとも、この作品で寅次郎の消息は一切語られない。目の前にいなくてもどこかで生きているとみなが信じる。それがフーテンの特徴。一家に一人、フーテンの伯父は必要なのだ。

週刊朝日  2020年1月17日号