直木賞を受賞した大島真寿美の『渦』は、江戸時代中期に活躍した浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いている。

 浄瑠璃狂いの父につれられ、幼い頃から道頓堀の芝居小屋に入りびたった穂積成章。成長するにつれて芝居の他には興味をしめさなくなった息子に、父は近松門左衛門が愛用したという硯(すずり)を手渡す。これを機に、成章は勝手に近松姓を名乗って近松半二となり、竹本座の座付き作者となる。ベテラン人形遣いの手厳しい駄目だしや貧乏暮らしもやり過ごし、幼なじみで歌舞伎作者として精進する並木正三と互いの才能を認めつつ切磋琢磨し、『役行者大峯桜(えんのぎょうじゃおおみねさくら)』でデビュー。その後、『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』などで好評を博していくうちに半二は、浄瑠璃を書く意味にたどりつく。

<この世もあの世も渾然となった渦のなかで、この人の世の凄まじさを詞章にしていく>

 半二が門左衛門の影響下にあるように、死者と生者の境など関係ない。芝居と現実もまた然りで、創作とは虚実の渦の中に飛びこんで初めて可能となる作業なのだ。だから、時に作者は虚に食われて自身の命を縮めてしまうのだが、半二は生きて書き上げ、虚実ないまぜの『妹背山婦女庭訓』をものする。

 私は歌舞伎でしか見たことがないが、この名作のお三輪は、兄の許嫁(いいなずけ)ながら破談されたお末の早世を知った半二の衝撃が生みだした。お末の念は半二を通してお三輪へと昇華し、初演から250年となる今も客をうならせる。

 小気味いい大阪弁で語られる近松半二の一代記。この作品もまた、大島真寿美が虚実の渦とまみれ、そこから命懸けで引き出した傑作である。

週刊朝日  2019年10月4日号