児童虐待死事件が後を絶たない。

 鹿児島県出水市で4歳の女児が母親の交際相手に頭を殴られて死亡した事件(2019年8月)。千葉県野田市で小学4年生の女児が父親の暴行を受けて死亡した事件(19年1月)。東京都目黒区で5歳の女児が死亡した事件(18年3月)では、この9月の公判で母親が夫のDVを恐れていたことが明らかになりつつある。

 近年こうした事件のたびに問題になるのは児童相談所の対応である。だがその前に、児童虐待事件はなぜ起きるのか。杉山春『児童虐待から考える』の副題は「社会は家族に何を強いてきたか」。著者は虐待事件を長く取材してきたルポライター。<虐待死をさせる親たちは、詳しく目を凝らせば、「極悪人」というよりも、社会の様々な支援から遠ざかった不遇な人たちだ>。それがこの本のとりあえずの結論である。

 まず取り上げられるのは14年5月、神奈川県厚木市のアパートで白骨化した子どもの遺体が発見された事件である。5歳で死亡したとみられる男児で、父親が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された。母親が家を出てから2年間、父親はひとりで子どもの面倒をみてきたが、知的なハンディキャップがあり、証言は二転三転、記憶は曖昧。裁判でその点は考慮されなかった。大阪市で3歳と1歳の姉弟が50日間放置されて死亡した事件(10年7月)では風俗店で働く23歳の母親に非難が集まったが、彼女は幼い頃、実母のネグレクトを受けて育った。虐待する親には子ども時代にネグレクトや暴行を受けた人が目立つ。ある専門家は、子どもを虐待死させてしまった親は<100パーセント虐待を受けて育っているという>。

<子どもを虐待する親たちは、まるで難民のようだ>と著者は書く。支援の制度はあるのに頼らない。孤立し、それでも家族にこだわり、社会との回路を絶つ。本質的な問題へのアプローチを試みた本。<弱さを抱えた人間が支援を求めないということで、その個人に責任を帰すことは妥当なのか>という問いはあまりにも重い。

週刊朝日  2019年9月27日号