私たちは日々、無数の「呪いの言葉」に縛られている。「嫌なら辞めればいい」なんていうのも典型的な呪いの言葉だ。上西充子『呪いの言葉の解きかた』は、そんな言葉の数々と、呪いの言葉への対処法を説いた本である。

「嫌なら辞めればいい」の場合、<長時間労働や不払い残業、パワハラ、セクハラ、無理な納期、無理な要求──そういう問題に声をあげる者に対して、「嫌なら辞めればいい」という言葉が、決まって投げつけられる>。不当な働き方をさせている側が悪いという発想がそこにはない。はたして辞めるか我慢するかの二者択一しかないのか。いやいや、三つめの選択肢があるよとドラマの台詞に託して本書はいう。<それは、言うべきことは言い、自分たちの会社を自分たちの手で、より良いものに変えていくという選択肢です>
<母親なんだから、しっかりしなさい>。これも呪いの言葉である。「母親たるもの、こうあるべき」という呪縛が母親を孤立させ、ときには死に至るほどの虐待を誘発する。<事件が起きると世間は、「なぜもっと適切に対処できなかったのか」と当人を責める>が、<安心して助けを求められる条件をどう整備するかには、目を向けない>。事件の当事者も「母親から降りる」ことができれば、事態は改善したかもしれないのだ。

 著者は「ご飯論法」という言葉や国会審議の録画を街頭で流す「国会パブリックビューイング」で注目された法政大学の教授。巻末の「呪いの言葉」と「切り返しかた」の文例集がおもしろい。

<選ばなければ仕事はある>といわれたら<仕事を選ぶ権利を奪うつもりですか?>。<デモに行くなんてよっぽど暇なんですね>には<よっぽどデモをして欲しくないんですね>。<野党は反対ばかり>には<与党は賛成ばかり>。<政治の話はしたくない>には<じゃあ暮らしの話をしましょうか>。呪いの言葉は悪意をもって発せられる。したがって<大事なのは、「相手の土俵に乗せられない」ことだ>。自己責任論の時代を生きるための処方箋である。

週刊朝日  2019年7月12日号