セミがこちらを向いている。
灰色のスーツを着て、ネクタイを締め、革靴を履き、書類を持って。白いシャツの上は緑色の頭部で、その左右にある黒い目がじっとこちらを、つまりは読者を見ている。
『アライバル』が世界的ベストセラーとなったオーストラリアの絵本作家、ショーン・タン。彼の最新刊『セミ』の表紙にはタイトルどおりセミがいて、愛らしくも不穏な気配を漂わせる。裏表紙には、呪文のような詩のような、こんな短い文が載っている。
<セミ おはなし する。
よい おはなし。かんたんな おはなし。
ニンゲンにも わかる おはなし。
トゥク トゥク トゥク!>
表紙を飾ったセミは、そのスーツ姿のまま高層ビルの中にある会社で、17年間まじめに働いてきた。欠勤なし、ミスもなし。しかし周囲の人間は、セミだからという理由でまったく彼を評価しない。それでも彼は、差別やイジメに耐えながら勤務し、定年を迎えた日にまで、上司から捨てぜりふを吐かれる。金も家もないセミがついに仕事までなくして……切ない寓話だなあとセミに同情していると、ほどなく、私はセミの逆襲にあってしまった。
同情している読者の君、だいじょうぶ?
絵本ならではの、美しく鮮やかな急展開。哀切感あふれるセミの話は、たしかに、<ニンゲンにもわかる>愚かな人間の<おはなし>だった。森にいるセミたちは、人間たちを思ってトゥクトゥクトゥクと嗤っているのだ。
今年も、そろそろセミたちが鳴きはじめる。トゥクトゥクトゥク……まいったなあ。
※週刊朝日 2019年7月12日号