不幸な目に遭うと、人はあれこれ考える。これも運命なのだと受けいれたり、たまたまの偶然にすぎないと気持ちを切り替えたり。これまでの行いの結果だと反省する人もいれば、誰かのせいだと怒る人もいる。

 そんなとき、入不二基義と森岡正博の『運命論を哲学する』を読むと、ものごとの見方が変わるかもしれない。

 ただしこの本、問題をスッキリ解決してくれる本ではない。それどころか、疑問がさらに増えていく。「わたし」とは何なのか。「いま」「ここ」とはどういうものなのか。「運命」はあるのか。なぜなら、そうやって考え続けることが哲学なのだから。

 本書は「哲学をする」ことの入門のために行われた討論会、「現代哲学ラボ」の記録に大幅加筆したものである。テーマは「運命論」と「現実性」。入不二の講義に森岡がコメントする形で繰り広げられ、会場からの質問にも答えていく。哲学についてのイベントだが、西洋の哲学者や概念・学説の紹介ではなく、日本語で考えるところに特徴がある。帯には「これがJ-哲学だ!」とある。

 前半は易しい。森岡の概論的な第1部、そして入不二がラボで行った講義の前半は、気持ちいいぐらいにスラスラと入ってくる。ところが入不二の講義の後半から難解になっていく。何度も読み返し、考えながらでないと意味がわからない。ぼくは宇宙論や仏典を連想しながら「いま」「ここ」を考えた。

 結論は出ない。でも、そうやって考えることに快楽を感じる。小説を読んだり映画を見たりするのとは違う種類の気持ちよさだ。

週刊朝日  2019年6月7日号