かつてタリバーンがバーミヤンの大仏を破壊したとき、なんてひどいことをするのだと腹が立った。だが、よく考えてみると、ほんの150年前の日本人も似たようなことをした。廃仏毀釈である。鵜飼秀徳『仏教抹殺』は、明治維新のときに起きたこの異常な事態についての本。

 1868(慶応4・明治元)年、新政府は一連の神仏分離令を出す。古代から続いてきた神仏習合を禁じて、神道を国教にしようとしたのだ。ところが、神仏分離のはずが、仏教弾圧になった。寺院は潰され、僧侶は還俗を強いられた。仏像や経典は燃やされ、仏具は溶かされて建物や橋の一部となった。

 あの奈良・興福寺の仏像すら捨てられた。廃仏毀釈がなかったら、国宝の数はゆうに3倍はあっただろう、と梅原猛が指摘したそうだ。

 この廃仏毀釈、実に奇妙な事件だったと、本書を読んで思う。広がるのも早かったが、終息も早い。ほんの1、2年で破壊は収まる。

 なぜ廃仏毀釈が人びとを熱狂させたのか。著者は四つの要因をあげている。まず権力者の忖度。地方の権力者たちが、新政府のご機嫌を取ろうと過激な行動に出る。昨今の安倍チルドレン議員がトンデモ発言をするのと同じだ。二つめは富国策のための寺院利用。潰した寺院を学校として使ったところも多い。三つめは熱しやすく冷めやすい日本人の民族性。そして四つめが僧侶の堕落だ。廃仏毀釈に迎合した者もいた。

 僧侶でもある著者は、人口減少等によって寺院が維持できなくなっている現代は、かつての廃仏毀釈とさほど変わらないと述べる。寺と僧侶はまた棄てられるのだろうか。

週刊朝日  2019年4月5日号