今年のお盆は、下級兵士だった亡父を偲びつつ吉田裕の『日本軍兵士』を読んだ。アジア・太平洋戦争の戦地で兵士たちがどのような状況にあったか、吉田は彼らの「目線」と「立ち位置」がよくわかるデータと証言資料を通し、現場の実相を明らかにしていた。

 国内外の戦史に類を見ないほど高い餓死率、35万人を超える海没死、世界一の自殺率など、数字が示す惨状にもあらためて驚嘆したが、生き残った軍医や元兵士たちが語る、虫歯や水虫や結核の蔓延には息を呑んだ。

 痩せる一方の体で体重の半分にもなる背嚢や武器を身につけ、同じ軍靴を何カ月も履きつづけて行軍し、食糧は現地徴発(つまりは略奪)でやりくりし、古参兵から腹いせに殴られ、衛生面は無視され、マラリアに罹っても薬はなく、捕虜になるぐらいなら死ねといわれ……。

 日本軍は制海・制空権を失って補給路を断たれてからも作戦至上主義で押し通し、兵站、衛生、医療を後回しにした。戦地に放り出された兵士たちは、食糧や武器だけでなく被服や装備も欠乏したまま各地で戦い、無惨な戦没者となった。吉田の計算では、1944年以降だけで、その数は全戦没者の9割におよぶという。

 私の父は、戦地での体験を話さなかった。訊ねても苦笑するだけだったが、酒に酔ってぼそっと洩らしたのは、「とにかく食うものがなかった」と「毎日殴られた」だった。父が遺したこれらのつぶやきに、当時の日本軍兵士の日常が象徴されていたことを、この本を読んで理解した。日本軍礼賛の本が出てくる昨今、吉田が示した事実が議論の前提になるよう願っている。

週刊朝日  2018年9月14日号