島本理生『ファーストラヴ』。今期直木賞受賞作である。このタイトルだし、作者は恋愛小説の名手と聞くし、ま、読まなくてもいいかと思ったあなた、認識を改められたし。本書は甘い恋愛小説のむしろ対極にある作品だ。

 語り手の「私」こと真壁由紀はカウンセラーになって9年目の臨床心理士。某日、彼女はとある事件についてのノンフィクションを書かないかと誘われる。アナウンサー志望の女子大生・聖山環菜が面接の帰りに父親を殺害し、世間を騒がせている事件だった。

 環菜の国選弁護人となった庵野迦葉(夫の弟で由紀とは大学の同期生)からも協力を頼まれた由紀は、環菜との面会を重ね、周囲の証言を集めるうち、事件の背景に隠されたおそるべき事実を知る。はたしてそれは、環菜が誰にもいえず、本人も言語化できずにいた少女時代の体験だった……。

 以前だったら、ここまでの共感と理解は得られず、直木賞にも至らなかったかもしれないな。作品のせいではなく、社会の側の認識の問題。核心部分だけいうと、幼少時の性的な虐待が人の心にどれほど深い傷を残すかを、この小説は描いている。今般のMeToo運動にもつながるテーマだ。

 環菜の父・聖山那雄人は美術学校で教え、自宅でデッサン教室も開く画家だった。一風変わった形で環菜は絵のモデルをしていた。

<だって、この子は、そのへんの子供じゃなくて、聖山先生の娘さんですよ>とかつての学生はいう。<当時は皆、芸術ってそういうものだっていう考えでした>

 一方、<絵のモデルだって、本当はやりたくなかったんじゃない?>という由紀の問いに環菜は答える。<異常なんて、思ったことなかった>。環菜が信じる「初恋の記憶」にも疑問があった。<愛情がなにか分かる? 私は、尊重と尊敬と信頼だと思ってる>と語る由紀。<あなたがされたことは正しいことだったと思う?>

 描かれた事件は特殊だが、これに類する虐待はまだ多いのではないか。それを異常と感知するセンサーが、さて、あなたにはあるか。

週刊朝日  2018年8月10日号