森友学園への国有地払い下げをめぐる文書改ざん。自衛隊のPKO派遣をめぐる日報の隠蔽。加計学園問題にからんで文科省や愛媛県から出てきた文書を無視する政府。昨年来の政治スキャンダルにはなべて公文書がからんでいる。

 瀬畑源『公文書問題』の副題は「日本の『闇』の核心」。2月に出版された本なので、3月に発覚した財務省の文書改ざんなどへの言及はないのだが、いや~驚きましたね。一連の報道では、公文書の管理は民主主義の根幹にかかわる問題であり、それを軽視する最近の官僚の劣化は言語道断、みたいな感じじゃありませんでした?だが、本書によれば、<公文書管理のずさんさには、もっと根深い歴史が潜んでいます>なのだ。

 日本では、戦後、自民党の一党体制が続いたため、情報は与党政治家と公務員が独占していた。情報公開法の制定が政治課題化したのは自民党が下野した1993年で、99年に制定、2001年に施行された。しかし、公務員には文書公開制度を快く思わない人もいて、公開の対象となる「公文書」ではなく「私的メモ」が習慣化。請求を恐れて議事録を作成しない、政策を決める途中経過を文書に残さないなどの事態が横行した。

 福田康夫元首相の肝いりで、09年、公文書管理法が成立、11年に施行された。政策決定のプロセスを示すために不可欠なのが公文書。だが<未だに公文書管理法の精神が徹底されていない>と著者は嘆く。<プロセスが公開されず、文書がきちんと残らないがゆえに、特定の権力者によって行政が歪められることになるわけです>

 モリカケ問題が浮上する以前から、公文書を軽視する事案がどれほど多かったかを本書は暴く。

<文書を「作成」することと「公開」することは異なります。今すぐに公開できない文書であったとしても、時間が経過し、問題がなくなってから公開することができるのです。文書が作成されていれば、いつかはその検証を行うことが可能となります>。公文書の軽視は歴史に対する罪でもあるのだ。だめじゃん安倍政権。

週刊朝日  2018年6月15日号