ジャッキー・フレミングの『問題だらけの女性たち』には、19世紀ヴィクトリア朝時代のとんでもない女性観が、彼女の絵とともにこれでもかと紹介されている。

〈女性は夜はよく目が見えなかったので、外出は許されていませんでした。また、どこに連れていくにも感情的すぎたので、たいてい家の中でしくしく泣いていました〉

 この一例も含め、あまりに非科学的な迷信や固定観念が女性たちを支配した。そんな偏見を作りあげたのはもちろん男性なのだが、驚くのは、多くの天才たちがその形成を担っていた事実だ。

〈娘たちには人生の初期に挫折させてやる必要がある〉と語ったのは、18世紀の思想家ルソー。〈女性は芸術やほかのいかなる分野においても、真に優れた、独創的な偉業を成し遂げることができない〉は哲学者ショーペンハウアー。〈女性がボールを投げようとしている姿は見るも無残で拍手をしているほうが自然〉は近代五輪の父、クーベルタン男爵。他にもダーウィンらの苦笑するしかない言説が登場するのだが、笑うたびに、当時の女性たちが味わった理不尽がじわっと伝わってくる。

 彼女たちは何をしても問題だらけと見なされ、業績どころか存在までも歴史のゴミ箱に捨てられてきた。だから作者は、〈かつて世界には女性が存在していませんでした〉と巻頭に記した。

 ユーモアを忘れない皮肉の力が描いた19世紀の、男尊女卑の実態。それらを遠い過去の問題と笑ってばかりいられないのは、各国で次々と露見するセクハラ事件を見れば明らかだろう。男女平等はまだまだまだ途上なのだ。

週刊朝日  2018年6月8日号