大川周明は戦後、民間人で唯一のA級戦犯に指定され、東京裁判に臨んでいる。これだけでも、彼が戦前の日本においてどれほどの影響力をもった思想家だったか、推察できるだろう。日本改造主義の実践にも深く関わり、五・一五事件では禁錮5年の判決を受けて服役。出所してからは日本精神の復興やアジア主義を核とする言論活動を展開し、昭和14年にそれらの集大成として『日本二千六百年史』を上梓すると、官憲の弾圧によって改訂を余儀なくされるも、大ベストセラーとなった。

 この本の新書版が今、よく売れている。内容はタイトルどおり、皇紀二千六百年の日本通史を全30章で記し、そこに通底する日本人の美質を讃え、最終章では〈世界維新〉につながる〈全アジア復興〉を主張する。その博覧強記に呆れつつ通読すると、大川が大東亜戦争の理論的指導者と目された理由がよくわかる。国体明徴運動やアジア侵略を推進する者たちにすれば、まさに大義名分の書となったに違いない。だからこそ戦後、米国は本書を発禁にしたのだろう。

 そして、この新書版がさらに興味深いのは、発刊時に「不敬罪違反」として削除された部分が掲載されている点だ。史実に基づく記述であっても、たとえば室町時代末期の天皇が〈恐れ多くも宸筆を売って用度を補い給うに至った〉と書くことは許されなかった。当時の政府が何を恐れていたのか、削除箇所を読むだけでも自ずと見えてくる。

 ところで、東京裁判に出た大川は前席の東条英機の頭を何度も叩き、精神疾患を理由に免訴されている。その後はコーラン全文の翻訳を果たし、昭和32年まで生きた。

週刊朝日  2017年12月1日号