意味不明の図形に1本の線を引くことで、隠れていたものが浮かび上がってくる。福岡伸一と池田善昭の共著『福岡伸一、西田哲学を読む』は、そんな知的興奮を味わえる本だ。『生物と無生物のあいだ』で知られる生物学者と哲学者の対談である。

 西田幾多郎といえば、西洋の翻案ではないオリジナルな哲学をつくり出したことで知られる。とくに「絶対矛盾的自己同一」は、ヘーゲル流の弁証法とは違う概念として評価されてきた。

 だが、これが難解だ。なんだかよくわからない。宗教の呪文のような意味不明のもの、と批判する人もいる。ところが、福岡が唱える生命観「動的平衡」と照らし合わせると、両者は驚くほど似ていることがわかる。

 生物は変わらないように見えて、細胞レベル、分子レベルでは常に入れ替わっている、というのが動的平衡。絶えず変化しているが、平衡を保っているので止まって見える。鴨長明が観察した川の流れのように。

 生物の内部では、分解と合成を同時に進行している。外部から食べ物を取り込んで分解し、タンパク質を合成する。肝心なのは「作る」ことよりもむしろ「壊す」こと。壊すことによって作っている。この生命のメカニズムが、「絶対矛盾的自己同一」とそっくりだというのである。なるほど、そういうことだったんだ。

 福岡の生命科学をとおして西田哲学を見ることで「絶対矛盾的自己同一」が理解でき、西田哲学によって福岡生命科学を読むことで「動的平衡」がより深くわかる。一挙両得というか、なんだかすごくトクした気分だ。暑さも吹き飛ぶ面白さである。

週刊朝日  2017年9月1日号