一昨年あたりから書店へ行くたびに嫌な気分になった。店頭の新刊コーナーには韓国や中国を嫌う、いわゆる「ヘイト本」が並んでいた。同時期、新聞各紙を開いて下段を見ると、隣国を罵倒する本や週刊誌の広告が目だちはじめた。それらの本はよく売れ、柳の下のドジョウよろしく類似本が今も増えつづけている。
 その一方で、安倍政権は集団的自衛権の解釈変更を閣議で決定。在特会(在日特権を許さない市民の会)によるヘイトスピーチは勢いを増していった。
 書店の一角を占めるヘイト本を目にするたびに私が嫌な気分になるのは、そこに不穏な気配を感じるからだろう。かつて「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」や「鬼畜米英」をスローガンに掲げてアジアを侵略したこの国の暗い歴史が、ふと頭をよぎる。戦後ずいぶん時間がたってから生まれた者でも、その史実は本で学んできた。
 本は過去への扉であると同時に、未来に通じる入り口にもなりえる。少年期から読んできた多くの本は、私が自分で考える基盤となってきた。だから、ヘイト本にざっと目を通すと、もしもある若者がこの類の内容だけを読んで日韓や日中の関係をとらえたらどうなるのかと、憂えてしまう。そこから生まれるのは憎悪まじりの差別意識だけではないか……。
 この『NOヘイト!』を編んだ「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」も、ヘイト本の氾濫を憂えた人々によって誕生している。自分たちが関わる業界が、時に裏づけすらとらずに他国へのヘイト本を生みだしているジレンマ。本がなかなか売れない中、この状況にどう対峙していくのか──あきらめず、とにかく自分たちがまず考える意志から生まれた本の副題は、「出版の製造者責任を考える」だ。
 書店の責任を問う前にまずは出版社が考える。その一端がまとまったこの本が読者にどう読まれるのか、ぜひ注目したい。

週刊朝日 2015年1月16日号