仕事のひとつとしてこの夏、私は田村隆一(1923~98)のすべての詩を再読した。
 戦前の少年期にモダニズム詩に衝撃をうけた田村は、復員後、日本的な抒情とは無縁の硬質の作品を書きつづけ、現代詩の基本的な枠組みをつくりあげた。田村の詩は当時の若い世代を中心に支持され、後につづく詩人たちにも大きな影響を与えた……そんな文学史を復習した私は、現代ではなく現在の詩が気になり、最果タヒの新しい詩集『死んでしまう系のぼくらに』を手にとった。
 1986年に生まれ、大学在学中に『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞した最果は、多くの作品をネット上に発表してきた。縦書きの散文詩と横書きのつぶやきのような短詩が収まった今回の詩篇も、詩誌や新聞紙上に掲載された一部を除けば、初出はネットとなっている。
<ビル、海、山、光のさす窓のさっし、カーテン、ゆれることでみえる風や、わたしたちの肉体。大丈夫、こんなものはいつだって、数億年で作り直される。きみは死んだらおしまいだから、だから私は何度だって、死ぬなっていうし、世界を憎もうっていうよ。>
 これは「2013年生まれ」という作品の最終段だが、詩の矛先はタイトルどおり、死んでしまうかもしれない同世代に向けられているようだ。自殺が若者の死因のトップとなっているこの国で、若い詩人が、言葉の可能性を駆使して「死への誘惑」と対峙している。
 死ぬな、生きろ、都合のいい愛という言葉を使い果たせ。──「香水の詩」より
 口を隠して、鼻を隠して、/世界からわたしを見えなくすればいいだけの、/簡単な自殺をしよう。──「マスクの詩」より
 詩が読まれなくなった日本で、情報を伝えるためだけに言葉が使われる日常にあって、<言葉が想像以上に自由で、そして不自由なひとのためにあることを>伝えたかった詩人の詩集には、息苦しい現在がいきいきと詰まっている。

週刊朝日 2014年9月26日号