いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないんだろう……。『中国化する日本』で注目された與那覇(よなは)潤は、そんな問いを抱えて歴史学の先輩である東島誠を訪ね、語りあった。
 時代区分は、古代、中世、近世、近代、戦前、戦後の六つ。こんな日本の起源の歴史を探っていく二人の対話は、数多い新旧の学説を参考にしつつ自在に展開する。それだけでも専門家の知見の幅に感嘆するが、そこから導き出される内容にはさらに驚かされた。

・起源の天皇は女帝だった
・東西分割統治と道州制の起源
・元寇が領域国家の起源
・印判状(いんばんじょう)が作った近代行政の起源
・忠臣蔵はブラック企業の起源

 目次からいくつか挙げるだけでも、現在の日本につらなる起源がずいぶん昔にあることがわかってくる。他にも、昨年秋から問題となった東日本大震災に関する復興予算流用の起源は、江戸時代と明言されている。宝永(ほうえい)富士山噴火時の復興増税「諸国高役金(しょこくたかやくきん)」で集めた金の半分が、江戸城北の丸の造営費としてプールされたらしい。また、高橋是清による雇用政策などは決して画期的ではなく、すでに中世に考えられていたとある。
 私たちは日本について、その政治風土や価値観についてあれこれ語るとき、つい「昔から」とか「この国は古来」と口にしがちだが、それが正確にいつからなのか曖昧なまま使っているのだろう。天皇の起源もさることながら、たとえばイエやムラといった、日本社会の特性を語る上で必須と信じている制度や仕組みが、では、いったいどこからはじまっているのか、かなり粗っぽい知識でわかったつもりになっているのかもしれない。
 起源を知ってその後の史実を学べば、歴史がくり返す必然もよくわかる。では、その循環を打破するためにはどうすればいいのか。二人は最後にそこにふれて対話を終えていた。

週刊朝日 2013年10月11日号