書評『元記者が冒険というゲームに挑む』 |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

《週刊図書館 番外編 (週刊朝日)》

元記者が冒険というゲームに挑む 

このエントリーをはてなブックマークに追加
池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)#番外編

ロング・マルシュ 長く歩く

ベルナール・オリヴィエ著

space
amazonspace

amazon.co.jp

space

 異色の冒険記である。フランス人ベルナール・オリヴィエがシルクロード踏破を思い立ったのは、年金生活に入ってのち、61歳のときである。トルコのイスタンブールから中国・西安まで12000キロ。そしてみごとに歩き通した。まさしく「ロング・マルシュ」、長い長い、ひとりぼっちの行進だった。
 職業は新聞記者。先に妻を亡くしていた。子供たちは独立。定年を迎えてガックリきた。人生の終わり。さて、これから何をすればいい? そこで長大な徒歩旅行を思い立った。21世紀のマルコ・ポーロになる。無謀な思いつきだろうか? この記録が興味深いのは、二重のたのしみがあるからだ。一つは旅の途上に、つぎつぎと起こる珍しいこと。もう一つは報告者その人が一つの見ものであること。冒険家の冒険ではなく、まったくのアマチュアであって、まごつき、たじろぎ、途方にくれ、そのつど事柄に対処して、つぎの一歩に踏み出していく。
 多少ともヘマずくめの冒険記だが、だからこそ冒険ということの本質が、あますところなく語られている。彼はまず慎重に準備した。シルクロードに乗り出す前に、ヨーロッパの古くからの巡礼道で足ならしをした。パリからスペイン北西部の聖地まで2300キロ。これを3カ月かけて、ひとりで、電話も持たずに歩いた。「自分と向き合いながら歩きとおす」のがどういうことか、当の自分に納得させるためだった。
 「船を降りると、そこはアジアであり、私の旅のゼロ・キロメートル地点だ」
 ジャーナリストの文体であって、テンポ、また歯切れがいい。旅行者の目とともに、つねに事件を追う記者の目がひそんでいる。ヨーロッパの巡礼道とちがって異文化の世界に入っており、人々の考え方、感じ方、行動パターンがちがう。田舎道ではまったく言葉が通じない。クルド人問題が内乱寸前まで高まっていたころで、いたるところで検問にあい、銃をつきつけられる。リュック一つでトボトボ歩いている初老の男は「正常」ではないのである。
 長大な徒歩旅行は4年がかりの4期にわけて実行された。いずれも春に発って、3、4カ月。なるたけ酷暑を避ける行程をとった。電話、メールによって友人、知人、子供たちとの通信をたやさない。一日の歩行距離をきめていたが、体力、また足にたずねて変えてもいい。
 聡明なフランス人は冒険というゲームをよく知っていた。そこでは企画が重要であり、体力や勇気といったことよりも、むしろ知能が要求される。どこまでも準備と工夫をして、運用にあたっても知能のかぎりをつくし、状況によっては自主的に取りやめ、予定を変更する──。その一方で、こころならずも車で運ばれたりすると、翌朝、逆方向の車に乗せてもらい、歩行を中断した地点にもどって歩き出さずにいられない。「私のシルクロードを一キロたりと歩きそこねたくないのだ」
 自分の「偏執老人の帳簿づけ癖」に苦笑しながら、はればれと旅をつづけるには、この種のこだわりが欠かせないことも知っている。
 どうしても必要と判断すれば緊急の援護を受けた。たとえ慎重な準備と、巧みな応用があろうとも、失敗すれば死をもって報いられるのが冒険というゲームなのだ。『ロング・マルシュ』は1年目、テヘランまでの旅のはずが、病気になり、目的地目前で中断した。そんな冒険記がよく読まれ、続巻がひきつづいた。それはフランス社会が冒険というゲームの価値をよく認めていることを示している。
 日本のケースを考えてみよう。日本社会では冒険にも大義名分が要求され、成功すると称賛されるが、失敗すると口をきわめて批判される。日本人社会に特有のゲームに対するセンス、あるいはセンスのなさである。そのことも考えていいだろう。

 いけうち・おさむ=1940年、兵庫県生まれ。著書に『ニッポンの山里』(山と渓谷社)、『恩地孝四郎─一つの伝記』(幻戯書房)など。

週刊朝日 2013年8月16・23日号


トップにもどる 書評記事一覧

続きを読む


おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事
あわせて読みたい あわせて読みたい