原爆をテーマにしたマンガ『はだしのゲン』。人間が死ぬ凄惨な描写が印象的だが、その現実を今の子どもは知るべきだと、アルピニストの野口健氏はいう。

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 外交官だった父の仕事の関係でエジプトに住んでいたとき、10歳ぐらいで初めて『はだしのゲン』を読みました。たまたま家にあったのですが、日本のマンガが簡単には手に入らなかったので、何度も繰り返し読んだことを覚えています。

 ゲンに負けないぐらい悪ガキだった僕は、ゲンが米兵のジープに角砂糖を入れて故障させるエピソードに「本当に砂糖で車は故障するのかなぁ?」と興味津々。近所にあった廃車寸前の車のガソリンタンクに砂糖を入れちゃった。見事に動かなくなり、親から大目玉をくらいました。(笑い)

 原爆投下後のシーンは本当に生々しく、「うわー!」と目をふせてしまうほどでした。ただ、ちょうど「ゲン」を読んでいた小学生のころ、祖父から戦争の話をよく聞かされていました。祖父は東南アジアの前線で戦った軍人で、仲間や部下が苦しみながら死んでいった姿を目の当たりにしていた。「生きていてもウジがわき、その数日後には死んでしまう」。祖父の話と「ゲン」の生々しいシーンがリンクして、子どもながらに戦争や死の恐ろしさをリアルに感じたことを覚えています。

 2008年から国内外の戦没者の遺骨収集の活動に取り組んでいます。ところが、小学校や中学校から講演を頼まれたとき、その話題は学校からも保護者からも嫌がられることが多い。「死」や「戦争の生々しさ」を子どもの目や耳に触れさせたくない、というのが理由のようです。

 どの時代でもヒーローものが人気のように、子どもは基本的に戦うことが好きです。学校では「戦争はよくない」と教えていますが、「なぜいけないのか」をしっかりと理解するためには、悲惨なことも含め「知る」ことが大事だと思うんです。

 残酷な描写が多いからと子どもに「ゲン」を読ませたくないという人もいるようですが、僕は子どもにこそ読んでほしい。遺骨収集の映像を流すと、エベレストや富士山清掃といった活動の映像よりも、むしろ子どもたちは真剣に見入っています。僕ら大人が考えるよりも、子どもはきちんと受け止め、考えたり判断したりできると思っています。

 原爆の場面以外にも、ゲンの父親が戦争反対の態度を取ることで、一家が非国民として町や学校でひどいいじめを受けるくだりが印象に残っています。たとえ正しいことを言っていても、戦争という異常な状況下では、人は大きな力に引きずられ、巻き込まれてしまう。もしかしたら、本当の戦争の恐ろしさはそこにあるのかもしれません。

 今、改めてページをめくると、『はだしのゲン』は、日本人が戦後をたくましく生き抜いた「人間ドラマ」だと気づかされます。単なる反戦マンガではないストーリーや登場人物の魅力が、40年たっても愛され続けている理由でしょう。

週刊朝日 2013年8月9日号