ペンネーム「倉本聰」が会社に内緒で脚本執筆していたころ 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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ペンネーム「倉本聰」が会社に内緒で脚本執筆していたころ

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週刊朝日#ドラマ

「北の国から」をはじめ、数々のドラマを世に送り出してきた脚本家・倉本聰さん。大学時代は劇団で演出と脚本について学び、卒業後はニッポン放送に入社。会社には内緒で、アルバイトとして「倉本聰」名義で活動を始めたという。

*  *  *
(東大卒業後)劇団に残らなかったのは、堅気志向があったからです。麻布(中学)を卒業する前年に親父が病死し、母と弟妹の生活が僕にかかっていました。定収入を得て、しっかり生活していかなければという気持ちが強くあったのです。

 ところが、入社したニッポン放送の初任給は、忘れもしない1万2360円。6本も番組を持たされて、安月給でよく働きました。

 担当番組の構成作家が遅筆でしびれを切らしていたら、先輩が「台本を代わりに書いてアルバイト代を頂戴したらいい」とささやいてくれてね。この内職のおかげで少し潤ったうえに、当の作家に見込まれて、「パパ起きてちょうだい」というテレビドラマのシナリオを初めて書くことになりました。そのときのペンネームが「倉本聰」です。

 会社には内緒のまま「倉本聰」はどんどん売れていきました。「現代っ子」というドラマは30%を超える視聴率。毎晩10時くらいまで会社で働き、家に帰ってシナリオを書くと、寝るのは朝方4時。会社員だから8時半には出社しなければならない。睡眠時間は2時間ほどです。2年も続けると、「もたない」と思いました。そんなときです。部長に呼ばれて、「最近、倉本という作家がいい本を書いているから、会いに行ってこい」。これで腹が決まりました。会社にバレるのは時間の問題です。ニッポン放送は4年で辞め、独立することにしました。

週刊朝日 2012年12月28日号


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