自主映画からCM制作を経て、劇場映画へ進出した大林宣彦監督。大学在学時から、映像を作っていたが、その大学入試で珍事があったという。

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 当時、映画監督になるには、映画会社に就職するしか道がありませんでした。だけどそんなことも知らず、父がくれた8ミリカメラにフィルムを詰め、もったいないので1日1コマずつシャッターを押し、自転車で東京中の映画館を回って映画ばかり見ていました。そんなとき、武蔵野の雑木林の中にある成城大学を知り、その雰囲気に惹かれて翌年、受験したんです。

 そのころ、ボードレールに憧れていまして、入学試験中にポケットからウイスキーの小瓶を出して飲みながら答案を書いた。すると、試験官の先生が「良き香りがいたしますな」と。「先生も一献いかがですか」「頂戴いたしましょう」。ウソみたいなホントの話です。

 大学では授業なんてまったく出ずに、赤いスカーフを首に巻いて片手に8ミリカメラを持って、一日中グランドピアノの前でシャンソンを弾きながら、聴きに来る女学生たちを1コマずつ撮っていました。その中に妻がいたんです。

※週刊朝日 2012年6月22日号