イラスト:佐野文二郎
イラスト:佐野文二郎

 スポーツキャスターとして『プロ野球ニュース』を大成功に導いたのが高橋ユニオンズなどに所属した佐々木信也。寄席に通って話術を研究した努力が実った。

「野球選手は歌がうまい」という俗説を実証するようにムード歌謡の世界では、「マムシ」と呼ばれた巨人・柳田真宏、同じく巨人・藤城和明が有名。なんと藤城は「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた『敏いとうとハッピー&ブルー』にメンバー入りし、メインボーカルを任された経験を誇っているのだ。

 意外な転身と言えば、東映、南海、阪神で現役を過ごした江本孟紀は、92(平成4)年にアントニオ猪木率いるスポーツ平和党から比例代表で出馬し、参議院議員となった。98年には民主党から出馬して再選。2期12年を無事に務めた。

■公認会計士、宅建士、ライター、そして、犯罪を犯した者まで

 飲食業界に進出したプロ野球選手は枚挙にいとまがない。立教大学からドラフト1位で巨人入りした横山忠夫は現役引退後に、堀内恒夫の紹介で銀座のうどん店で修業を積み、母校のすぐそばに「手打ちうどん 立山」をオープン。「横山」をもじって「立山」と名づけて現在も大繁盛。

「巨人とうどん」で言えば、00~05年まで巨人に在籍した條辺剛。24歳で現役引退後、同郷の先輩である水野雄仁の勧めでうどんの世界に飛び込み、その後は讃岐うどんの本場・香川県で修業。08年に『讃岐うどん 條辺』を開店。暖簾に染め抜かれた店名は長嶋茂雄の手になるものとして有名だ。

 近年では、西武、巨人に在籍したデーブ大久保が新橋に「肉蔵でーぶ」をオープン。ヤクルト、西武、日本ハムを渡り歩いた米野智人は、現役引退後に「食の伝道師」として、東京・下北沢にヘルシー志向の自然食レストランをオープンした。21(令和3)年からは古巣・メットライフドームにビーガン専門店「バックヤード・ブッチャーズ」を開店した。

 難関資格を取って新天地で成功を収めているのは98~01年まで阪神に在籍した奥村武博。13年に公認会計士試験に合格し、プロ野球出身者初の偉業を成し遂げた。また、お立ち台での「キモティー!」で人気だったGG佐藤は現役引退後、父親の経営する住宅測量、地盤改良会社に就職。新規事業立ち上げのために宅地建物取引士(宅建)試験に一発合格。

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意外なところでは…?