ゴージャスにリニューアルされた2210号室。当時の面影はなくなっていた(撮影/西牟田靖)
ゴージャスにリニューアルされた2210号室。当時の面影はなくなっていた(撮影/西牟田靖)

 夜、金大中氏がKCIAに無理やり倒されたベッドに自ら横たわった。金大中氏の苦しさを少しでも追体験できるような夢を見られるかと思ったが、それはできなかった。ベッドがあまりに快適すぎて、気がついたら、朝になっていた。

 チェックアウト時間の午前11時直前、ロビーでカードキーを返却しようとすると、一階の入り口付近に行列ができていた。ホテル名物のオレンジケーキを買いもとめる客の姿だった。その光景とショッキングな事件があった過去とが結びつかず、何とも不思議な気持ちになった。

■事件の真相

 もし、この事件が拉致ではなく、金大中氏が殺害されていたら韓国の歴史はどう変わったのか。そもそも殺害計画は本当にあったのか。早稲田大学名誉教授の重村智計氏に改めて見解を聞いた。

――なせ拉致事件が起こったのでしょうか?

 1971年の大統領選挙に野党・新民党の代表として金大中氏が立候補します。しかし現職の朴正煕大統領の得票数約643万票にあと約97万票である約540万票で負けるわけですね。日本では「朴正煕に肉薄した。もう少しで勝てたんじゃないか」と強調されますが、彼はそのとき、政治家としては終わっていたのです。

 というのも、大統領候補になった人は党首選挙に出ないという約束があった。ところが、金大中氏は大統領選挙の後、党首選に参加すると言い出して、すったもんだの結果、野党から追放されたんです。それで韓国国内での活動の基盤を失って、日米の間を行ったり来たりしているときにあの事件が起きました。

――本や映画では「朴正煕に選挙で肉薄したため、朴政権に命を狙われた金大中が、身の危険を感じて日本やアメリカに滞在」などと紹介されています。

 自分の宣伝のため、金大中氏はそれぐらい言いますよ。でも政治家として終わっていたんだから、身の危険なんてなかったんです。

 ではなぜ彼が狙われたか。

 ポスト朴正煕のひとりで朴の側近だった李厚洛氏(韓国中央情報部長)が「後任の大統領に意欲を示している」という話が朴正煕大統領に漏れてしまい、李厚洛氏はクビ寸前になりました。そこで彼が名誉挽回のために利用したのが金大中氏でした。「亡命政権を作ろうとしている」という偽の情報を流して、拉致を決行したと言われている。つまり自分の保身のために拉致したわけですよ。殺さなかったのは、李厚洛氏に殺す度胸がなかったからだと思います。

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事件があったから大統領になれた