ビルの名前こそ変わっていたが、当時の面影を残している旧原田マンション。画像の一部を加工しています。(撮影/西牟田靖)
ビルの名前こそ変わっていたが、当時の面影を残している旧原田マンション。画像の一部を加工しています。(撮影/西牟田靖)

 次に丸の内のパレスホテルに移動し、そこからタクシーでグランドパレスを目指した。

 当時、金大中氏は、原田マンションのほかに京王プラザホテル(新宿区西新宿)、ホテルニューオータニ(千代田区紀尾井町)、ホテルパシフィック東京(品川区高輪)といった高級ホテルを2~3日おきに転々として、KCIAの追跡を逃れようとしていた。そうしたなか、事件当日の8月8日はパレスホテルに泊まっていたのだ。

 1973年8月8日、午前10時50分。金大中氏はパレスホテルからタクシーでグランドパレスへ向かう。10分ほどで到着すると、彼はエレベーターで22階の2212号室を訪ねている。そこには、日本に滞在していた梁一東・韓国民主統一党党首(当時)が泊まっていた。梁の部屋を訪問した金氏は、ソファのある同室の応接間で会談をしたり、ルームサービスで食事をとったりしている。

2212号室はスイートルーム。その部屋は応接間になっており、つながっている2211号室は寝室になっていた。会談時と同じ絵が当時のまま飾られていた(撮影/西牟田靖)
2212号室はスイートルーム。その部屋は応接間になっており、つながっている2211号室は寝室になっていた。会談時と同じ絵が当時のまま飾られていた(撮影/西牟田靖)

 昼食後、部屋を出た金大中氏は、廊下で待ち伏せていたKCIAの部員たちに捕えられ、隣の2210号室に引きずり込まれる。麻酔薬クロロホルムをかがされ、気を失わされた。その後、エレベーターで地下駐車場へ連れて行かれ、車で大阪方面へと連行される。翌9日朝、大型の偽装貨物船「龍金号」に乗せられ、両足に重りを着けられたという。

 金大中氏はそのときのことを「海に投げ込まれる寸前のところで、謎のヘリまたは飛行機が照明弾を投下して警告したため助かった」と話している。

金大中氏が捕らわれた22階の廊下。フロアの奥まったところにあり、囲まれれば逃げるのは困難に思えた(撮影/西牟田靖)
金大中氏が捕らわれた22階の廊下。フロアの奥まったところにあり、囲まれれば逃げるのは困難に思えた(撮影/西牟田靖)

■拉致の現場となった部屋

 改めて振り返ると、このような国際的な事件の舞台となったグランドパレスの閉館は、1つの歴史の終わりを感じさせる。

 6月27日、筆者は金大中氏が押し込まれ、麻酔薬を嗅がされたベッドのある2210号室を予約した。ロビーで渡されたカードキーで解錠して中に入る。モダンに、そしてゴージャスにリニューアルされており、当時の面影はまったく残していなかった。

 液晶テレビで、金大中事件を題材にした映画「KT」を流し、そこに集った人たちと鑑賞した。窓の外には当時なかった東京スカイツリーのネオンが見えた。

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専門家が振り返る「事件の真相」