コロナで閉館していたなんばグランド花月(C)朝日新聞社
コロナで閉館していたなんばグランド花月(C)朝日新聞社

 これまではね、人気者であることを競ってたんですよ。テレビに力がある頃は。でも、これからは芸を競い合う時代になっていきます。本来の吉本の姿になってきたと思います。

 ますます、芸人の本当の力が問われると思います。長くやってるから大御所やとか、そんなことはカッコいいことでも何でもない。キャリアがあるなら、そのキャリアの分だけお客さんを満足させる。想像もつかないようなすさまじい場で腕を磨き、そうやって染みこんだ芸を持った大先輩にはかなわない。そう思わせる存在でないと若い子にも響かないし、そこで示さないとね。しっかりと。

 お客さんは容赦せんから。キャリアがあるからと楽屋でふんぞり返っていても、お客さんが見るのは面白いか面白くないかやから。

 劇場の出番順も、旧態依然とした流れを変えるべきだと思います。面白くて売れてるけど、まだ若手やから最初に出る。それは違う。トリを取らせたらいいんですよ。お客さんはお金を払って誰を見に来ているのか。出番は劇場が決めるんじゃないんです。お客さんが決めるんです。

 劇場が開いてお客さんが入ってくる。まだ劇場の雰囲気ができていないところで、一番の人気者が出てくる。そうなると、見たいものがきちんとした形で見られないわけですから。見たいものを一番見やすい状況でお見せする。心の底から、ワーッと声をあげてもらう。それが当然のことです。

 そして、このお客さんのワーッという声ね。特に、芸人が出てきた時の“出喝采”にいろいろなものが含まれているんです。もちろん、人気があると大きくなる。ただ、見慣れたり、露出が減ってくると、如実に小さくなるんです。そうではなく、いつも、ずっと、出喝采が大きい。これはね、その芸人が面白いからです。人気というより、本職の漫才の面白さをお客さんが分かっているからです。

 そういうことも含め、次の人たちにいろいろと伝えていかなアカン時期にもなってると思います。伝えるべきことは、それこそたくさんあります(笑)。ただ、カタチを教えると、それは伝統芸になるので、結局は内面というか、心になるんでしょうね。

次のページ
プライベートなんてあるわけがない