週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』から。この10人は、山脇之人著『維新元勲十傑論』で選ばれた十傑をもとに、桐野作人氏が独自に、長州藩の前原一誠を外し、土佐藩の後藤象二郎を加えたものである(写真/国立国会図書館所蔵)
週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』から。この10人は、山脇之人著『維新元勲十傑論』で選ばれた十傑をもとに、桐野作人氏が独自に、長州藩の前原一誠を外し、土佐藩の後藤象二郎を加えたものである(写真/国立国会図書館所蔵)

 幕末から明治にかけ、維新を成し遂げた原動力となった功労者は数多く存在する。そんな功労者の中で歴史に名を残し、その功績が讃えられた10人にはどのような功績があるのか。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、歴史作家・桐野作人氏に「指導力」を評価してもらった。

【写真】大久保利通の生誕地近くを流れる甲突川

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 明治維新の功労者はきら星のように多数いる。有名人だけでなく、身分の低い無名の人々も含まれる。

 明治の世も戦乱から落ち着いてくると、維新に貢献した人物評価が行われるようになった。もっとも有名なのは「維新の三傑」だろう。すなわち、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允である。 

 そもそも「維新の三傑」の人選はいつ、誰が行ったのか。それは岩村吉太郎の『皇国三傑伝』が最初だろう。刊行されたのは明治十一年(1878)十一月。大久保が暗殺されてから半年後であることを考えると、前年から相次いだ3人の死去をみてから叙述されている。

 注目すべきは、西南戦争を起こして逆賊となった西郷を堂々と加えている大胆さである。もっとも、他の2人を利通公とか木戸公と呼んでいるのに対して、西郷だけは隆盛と呼び捨てで敬称が付けられていない。

「維新の三傑」からさらに発展して、数年後に登場したのが、山脇之人『維新元勲十傑論』である。 選ばれた10名に共通しているのは、「三傑」と同様、同書が刊行された明治十七年(1884)時点で、すべて鬼籍に入っていることである。いわば、維新革命の「第一世代」といってよい。そのため、その後の明治政府を中心的に担い、当時存命していた伊藤博文・山県有朋・黒田清隆・松方正義・大隈重信など「第二世代」は一人も含まれていない。

 じつは十傑を一人だけ差し替えてある。同書には前原一誠が挙げられていたが、筆者の判断で後藤象二郎とした。その理由は十傑に土佐藩出身者が一人もいなかったからである。薩長土肥と呼ばれ、肥前(佐賀)の江藤新平がいるのに、土佐が一人もいないのは偏りが過ぎる。

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