撮影:陳翔
撮影:陳翔

「ずっと撮ってましたね。15日も写真を撮りながら船といっしょに歩いた」

 道路をゆっくりと進む精霊船を先導するのは、長いさおの先に灯籠のついた「印灯籠(しるしどうろう)」を手にした小学生の長男。灯籠の側面には墨書で「お父さん」とある。

 爆竹の煙でかすむ船尾には「ありがとう」と書かれている。

「精霊流しの後、お墓参りにも行かせてもらったんですよ。その墓石にも『ありがとう』と、書いてある。圭太さんは入院中ずっと、息子と交換日記みたいのをしていて、口ぐせのように、『ありがとう』と書いていたらしいです」

 ちょうちんと花で飾られた父親の墓の前に座り、花火をする息子と娘。そんな写真を見ていると、あのさだまさしの歌が頭の中に流れてくる。

■さよならの過程

「たくさんあるお花の写真は精霊流しのものだけじゃなくて、原爆の日のお花も意図的に混ぜています。あの日、人がいっぱい死んでしまった。どうしても長崎は8月になると、命の話とかをするんです」

<故人の魂を乗せて次の場所へと旅立つため、長崎では初盆を迎える家族や友人のために精霊船を作る。(中略)原子爆弾が落とされ、数日後の精霊流しで自分の船を流してくれるのかと案じて亡くなった人がたくさんいたという>(写真展案内から)

撮影:陳翔
撮影:陳翔

 実は、陳さんは精霊流しを写したとき、圭太さんがどんな人だったのか、なぜ亡くなったのか、まったく知らなかった。

「後で知ったんです。圭太さんのお母さんとは撮影後もずっと連絡を取り合っていて、お土産を送り合ったり、長崎に行ったら、いっしょにご飯を食べたりした。そのときにやっと圭太さんがガンで亡くなったことについて、話してくれた」

 それは、2年前のことだった。

「17年に圭太さんの精霊流しの写真を撮って、これをどういうかたちで発表すればいいのか、すごく悩んだんです。難しいな、と。でも、最近になって、(やっぱり、これは出したいな)と、思った」

 写真展案内の文章の最後に「光の列は果てしなく永いさよならを告げながら」という一節がある。

「亡くなってから、初盆のまでの間、みんなで精霊流しの準備をしていく。それが、『さよならの過程』のように感じる。でも、精霊流しが終わったら、今度はほんとうに亡くなった人がいなくなるかというと、たぶん、そうじゃないんですね。そんな気がします」

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】陳翔写真展「永いさよなら-長崎の夏-」
ニコンプラザ東京 ニコンサロン 6月8日~6月21日開催