撮影:陳翔
撮影:陳翔

 ちなみに、写真を撮り始めたのは高校時代からで、「大学のときは写真サークルに入っていました」。「メンバーは100人くらいいました」と言うので、写真はかなり人気なのだろう。

 今回の撮影で使ったカメラ、ハッセルブラッドは大学時代から愛用しているものという。

■留学時代の思い出

 15年に大学を卒業すると、約半年後に再来日し、専門学校で本格的に写真を学び始めた。

 ただ、将来については「ぼんやりとしか考えていなくて、とにかく写真をやりたかった」と言う。

「でも、作品づくりって、すごく苦しいんです。何がやりたいのか? どうして撮りたいのか? 考えるようになった」

撮影:陳翔
撮影:陳翔

 夏休みになると、東京から逃れるように長崎を訪れた。

「どうしても忘れられないんですね、留学していたときが。すごく自由で、人生のなかでいちばん楽しい1年間だった。就職とか、進学とか、一切考えずに、毎日勉強して、本を読んだ。各国から来た友だちもいっぱいいた。街が近いし、海も近い。友だちと遊んで、写真を撮って、海辺でたそがれたりして」

 そんな思い出の街、長崎を訪れると、市街地から少し離れた小さな港町のゲストハウスで住み込みのアルバイトをしながら1カ月ほど滞在した。「宿代と食費が浮くし、昼間は暇なんですよ」。

「最初は、街を撮ろう、みたいな感じで行きました。そのうち、友だちのポートレートも撮るようになった。原爆の日も撮りに行かなきゃいけないし、と思ったり。そんな感じでフラフラしていたら山田家の人たちと出会って、圭太さんとつながった。それが17年。2年生の夏です」

■「お父さん」「ありがとう」

 8月13日、ちょうちんで飾られた山田家の前を通りかかかると、ちょうど、圭太さんの精霊船を飾りつけている最中だった。

「(ああ、精霊船をつくっているのは見たことないな、写真を撮りたいな)と思って、話しかけたら、けっこうみんな、ウエルカムな感じで、『いいよ』と、言ってくれたんです」

 準備の様子だけでなく、みんなを呼び止めて、近くの漁港へ行き、それを背景に撮らせてもらった。

 翌日も訪れると、「じゃあ、当日も来いや」と、声をかけられた。

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さよならの過程