撮影:高橋宣之
撮影:高橋宣之

 除隊後は公費留学生の難関試験に挑み、見事突破。69年からスペインのサラゴサ大学で美術史を学んだ。写真家を志したのはこのころで、スウェーデンで皿洗いのアルバイトをしてためた金でハッセルブラッドを手に入れた。

 72年に帰国した後は、一貫して「水」をテーマに撮影に取り組んできた。

 最初の10年は海の撮影に没頭した。自宅から30分ほどのところにある海岸に毎日のように通い、波に向けてシャッターを切った。永遠に変化し続ける波の形は新鮮で特別な被写体に思えた。

撮影:高橋宣之
撮影:高橋宣之

■最果ての海へ

 目の前に広がる土佐湾の海はどこへ続くのだろうか? そんな疑問を胸に、87年、「最果ての海」、南米大陸の最南端、ホーン岬を目指して旅立った。

 ホーン岬の近くまでは到達したものの、岬へ向かう交通機関はなかった。しかも季節は厳冬期。マゼラン海峡の港町、プンタ・アレナスでカニ取り漁船、パシフィコ号に乗り込んだ。

 出航4日目。凶暴な海に祈った。

<「みんなしがみつけ」「危ない。三十五度を超えたぞ」とホセも叫ぶ。それまで気がつかなかったが、かじの右下に分銅のついた粗末な傾斜計があり、横揺れの角度はレッドゾーンを超えていた。船は転覆寸前の危機にあった>(「銀花」85号、文化出版局)

 さいわい、ビーグル水道に入ると天候は急速に回復した。ところが、一難去ってまた一難。チリ海軍にスパイ容疑で拘束され、軍港で取り調べを受ける事態となった。

 将校は畳みかけるように詰問した。「何のためにここへ来たのか?」「なぜ漁船で来たのか?」「どうしてお前はスペイン語をしゃべるのか?」。しかし、容疑が晴れると、「君は運がいい」と言った。

「実はあさって、ホーン岬の基地に補給に向かう魚雷艇がある。よかったら乗せていこう。冬季にホーン岬に向かうチャンスは、これが最初で最後なんだ」

 荒涼としたホーン岬に立つと、南極へと続くドレーク海峡が広がっていた。シャッターに指をかけたまま長い時間が過ぎた。寂しさと安堵感に包まれた。最果ての海を見るだけで満足だった。

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